Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年03月31日(水) |
CDR『And Birds Are Still・・・,』 |
夜の桜がまだ暗がりにアスファルトから反射する街灯の光に照らされていたから、下から見上げるぼくは車をそこに停めて後部座席に横になって眠った。
午後1時からはCD灌頂会があった。スピーカーのコンディション良好。 ポイントは ・UA(ううあ)の『うたううあ』『SUN』『空の小屋』 ・アーマッド・ジャマル『but not for me』 今年はジャズ名盤入門!をすることにしました。 ・ECM自選ベスト“;rarum”のヨン・クリステンセン
ECMのギタリスト、ヤコブ・ヤングも、即座にいい。 サザンの「TSUNAMI」をオリジナル超えしている菅原洋一の歌唱もいい。 北朝鮮の芸術をつかさどる国家公務員たちが首領様にささげる音響をつむぐポチョンボ電子楽団もいい。 ムーンドックの復刻もいい。
CDR『And Birds Are Still・・・,』
1 the pop group / amnesty report (1979) 3:16 ※ ポリフォニックなリズムのメルト・ダウン。このリズムの大胆なズレを脳で処理している時間はない。 2 can / halleluwah ( 1971) 5:38 ※ ジャッキ・リーベツァイトのドラムスこそがCANなのだと確信できる演奏。トータスのジョン・マッケンタイヤーに最も影響を与えた男だと勝手に信じている僕。 3 松村禎三 teizo matumura / 映画「tomorrow 明日」より(1988) 5:58 ※ 映画では悲劇的なラストシーンに向かって静かに始まる。映画を観た人間なら永遠に忘れられないメロディ。そして時を刻む音。 4 吉松隆 takashi yosimatu / And Birds Are Still・・・,Op72 (1998) 7:45 ※ 非調性的な現代音楽の限界を知る吉松隆。僕が吉松を愛するのはそういう部分。 5 黛 敏郎 toshiro mayuzumi / 映画「赤線地帯」より (1956) 2:23 6 黛 敏郎 toshiro mayuzumi / 映画「気違い部落」より (1957) 1:41 ※ 映画音楽を書く時の黛は、趣味の実験をしているようだ。どちらも映像は観たことがないが、音から想像させる力は物凄い。 7 菅野よう子 yoko kanno / 映画「tokyo.sora」より medley 破片〜時速12キロのフリンジ〜彼女の温度〜ウィークエンド(2002) 7:14 ※ 坂本真綾に永遠の“feel myself”をプレゼントした菅野よう子が最もストイックになったとき、こういう曲を書く、と勝手に信じている僕。 8 joe henry / flag (2003) 5:11 ※ アルバム「tiny voices」の中で唯一ジム・ケルトナーがドラムスで参加した曲。その意味を理解できるか否か。ほとんどこれは神がかりなプレイだと思う。 9 charles ives : 答えのない質問 the unanswered question / leonard bernstein(cond) NYP(1908) 5:28 ※ 独り言のような音楽。迷いが頭の中を堂々めぐりしている時、このような音楽を心の中で無意識に奏でているのかもしれない。 10 robert wyatt / sea song (1974) 6:38 ※ ロバート・ワイアット自身による間奏のピアノ・プレイの「間」に、元・ドラマーである彼の天才を見た。 11 olivier messiaen : イエスの永遠性への賛歌 eulogy to the eternity of jesus 10:01 “世の終わりのための四重奏曲”より from “quartet for the end of time” gil shaham(vn),myung-whun chung(pf) (1941) ※ ブロック・コードのみのピアノがバックにつくヴァイオリンによる歌曲とでも言えばいいか?転調につぐ転調で、音楽は次第にエーテル状になり空気の中に溶けていく。 12 tortoise / dot,eyes(2004) ※ ジャーマン・ロックそのものと言ってよい。カオスだ。トータスの真価は、そこにある。
2004年03月30日(火) |
CDR『Who’s Crazy 2004.3.30』 |
独習でバッハを弾きまくっている長男が、コミュニティFMに出演してリクエストした曲は、たまの『さよなら人類』だった。 許す。 次男でなくてよかった。やつならポルノグラフィティとか女子十二楽坊とかアルフィーなんぞをリクエストしたかもしれん。 その場合は、うめるぞ。 次男の次なるアイテムはアジカンというものらしい。 「アジカンってどんな曲だ?」 「おれがゆうべからずっと歌ってるやつだよ。」 「びーん、あんびしゃーす、か?あーかいさくらんぼー、か?」 「ちゃうちゃう、聴いてみ。」 「・・・お、ええやん。」 「あじあんかんふーじぇねれーしょん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、というん。」 「エイジアン・ダブ・ファウンデーション(ASIAN DUB FOUNDATION)のマネっこやな。」 「なにそれ。」 「これがだなー、今度聴かせてやる。」
▼ せんたくものとちゃわんあらいをしながらまたついぞ、春休みに子どもたちに渡すCDRを作ってもうた。
最初はシングルのB面だったミスチルの「I’m Sorry」をトーストするだけのつもりが、何も考えねえでいたら、 そっだ、オーネットの『Who’s Crazy』も聴かせるべえか、までの76分53秒。
音楽には階級性やランク、歴史と文化圏に裏打ちされた価値というものがある。それらが展開するのだ。ジェットコースターのように体験するのだろうか。いやちがう、次々現れる超獣たちに投げ飛ばされて再起を誓うウルトラマンAになるのだ。音楽の感動なんてあとで編集すると無残なもんだ。そして、バンプの「天体観測」を歌いたい気持ちだ。明日も聴きたいモンに出会うだ。
さて、視点を変えて父親としては。 これは“トロイの木馬戦略”というものである。 菅野邦彦やマッツグスタフソンやオーネットコールマンが、結果、忍び込んだ。テリーキャリアーのヴォーカルにも出会うだろう。
CDR『Who’s Crazy 2004.3.30』 I’m Sorry / Mr.Children (4:23) from single『Any』(toy’s factory)2002 Love Is A Many Splendored Thing / 菅野邦彦 (7:08) from『慕情』(ThreeBlindMice)1974 灰色の瞳 / 椎名林檎+草野マサムネ (4:26) from『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』(東芝EMI)2002 Shine We Are ! / BoA (5:07) from『LOVE & HONESTY』(avex trax)2004 Part I / Mats Gustafsson-Barry Guy-Paul Lovens (4:26) from『Mouth Eating Trees And Related Activities』(Okka)1996 Stage of the ground / Bump Of Chicken (5:35) from『jupiter』(toy’s factory)2002 Candy Pop In Love / tommy february6 (4:21) from『tommy february6』(DefSTAR)2002 Ordinary Joe / Terry Callier (7:48) from『Alive』(Mr. Bongo)2001 風立ちぬ / あがた森魚 (6:17) from『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』(Kitty)2001 ピンクのモーツァルト / 松田聖子 (4:02) from the single()1984 はじめて / 小川美潮 (5:42) from『檸檬の月』(epic/sony)1993 天体観測 / Bump Of Chicken (4:25) from『jupiter』(toy’s factory)2002 The Reluctant Bride / Ralph Towner (4:33) from『ANA』(ECM)1997 Joyful Departure / Ralph Towner (4:04) from『ANA』(ECM)1997 January / Ornette Coleman-David Izenzon-Charles Moffett (4:29) from『Who’s Crazy』(Jazz Atmosphere)1966
あ、いかん、ASIAN DUB FOUNDATIONを入れるの忘れた。
2004年03月29日(月) |
「Bloomin’」と「トラヴェリング」 |
トミフェブのセカンドが並び、明日は宇多田ヒカルのベストが発売される。今はどちらもどうでもいい。 トミフェブのファーストは名作である。宇多田の「トラヴェリング」は名曲である。
トミフェブのよるべなさは、たった一度だけの作品のはずだったからだし、911以降の最初に響きわたったポップだったからだ。 「Bloomin’」のポップが弾むように抱えていた“世界の翳り”にぼくらは敏感に反応したはずだった。
宇多田の「トラヴェリング」もまた、911以降という状況下での“踊りたい疼き”を誰よりも先に言い出してくれていたからだった。
「そんなのはただくんの妄想だよ。」
Fantasien D 760, D934/Franz Schubert(ECM New Series 1699) - Andras Schiff(P), Yuuko Shiokawa(Vln)
2004年03月28日(日) |
武満徹:遠い呼び声の彼方へ!・ピンクのモーツァルト・司馬遼太郎『空海の風景』・『慕情/菅野邦彦(1974)』(TBM) |
デュトワ+N響、諏訪内晶子の「武満徹:遠い呼び声の彼方へ!Far calls. Coming, far! (1980)」を聴く。 タイトルを知らぬまま朦朧としながら聴いていた。 ・・・日本人が「一陣の無常の風が吹いた」と形容するときのその“風”が聴こえた。・・・ ただし確証がないというか、そのような“聴こえ”はたいした意味も持たないことははなはだしく。 (じゃあ、いつもは確信があるのかと問われれば、なんとも、かなりありますと、いちお、こたえますー)
▼ 3枚100円シングルCDコーナーで数合わせで手にした「ピンクのモーツァルト/松田聖子(1984)」、駄曲だと思っていたんだけどー。 「ピンクのモーツァルト」のあと「ねえ、感じてる?」「ねえ、もうじきね」と執拗にかすれ声の松田聖子、に、かなりドキドキする。 「潮辛いのキッスをしたでしょ、濡れた砂に横たわった満ち潮のとき」の驚くべき喚起力、したのくちびるとあなたのくちびる、濡れた、満ち潮、「したでしょ」との語感。いたずらをせめるのか、そのときの感興か、つづきをなげかけているのか、宙に浮かせる、この声。
▼ 『Love Comes Shining Over The Mountain / V. A. (1999) (Rune Grammofon; RCD 2012)』 ほんの少し前のCD。ノルウェー・シーンの活況をそのままコンパイルした観のあるルーン・グラモフォン・レーベル(配給はECM)のコンピ。 すでに懐かしい。流行は非情なりや。
▼ 司馬遼太郎の『空海の風景』上下巻を読了。 バロック、ロマン派、現代音楽、歌謡曲、モダンジャズ、プログレを収めた奈良六宗。モダンジャズ〜チャーリー・パーカーを収めた最澄。欧州即興から民族音楽のコアに進んだ空海。「CD聴いたくらいじゃわかんねーつうの」と、空海は最澄を罵倒する。 読んでいるあいだじゅう、なぜにかトーキング・ヘッズの「Once in a lifetime」の冒頭に鳴る循環電子サウンドが鳴るものであった。
▼ 「ただどの、こないだ拙宅より持っていったハットロジーのトラピストは聴きましたかの?小沢のマーラー9番、トリスターノ、ポチョンボ電子楽団(北朝鮮国営楽団である)、高田渡のファースト、クレイジーケンバンドのベストのほうはいかがだったかの?」 「すいません、まだです。」 「なにをもたもたしておるのじゃ。いったい何を聴いておるのじゃ。」 「いまだジョンテイラーのロスリン、トマシュスタンコのサスペンディッドナイト、など、を…。ECM、いまだあなどれず。」 「うそをつけい。」 「もうしわけございません。ぼあ(Boa)ちゃんのベストとひとみ(hitomi)のベストとはまあゆ(浜崎あゆみ)のベストも聴いていました。」 「ううむ、わしにも聴かせろ。もとい、おぬしジョンテイラーのロスリンを聴いて、どの曲が核心じゃ。」 「4曲目です。ミニマル効果による、久々のECMの、アノ、時が止まったような夢幻のまどろみ、です。」 「ふむ。よかろう。」 「師匠はいま何を聴いておられるのですか。」 「UAの『SUN』と『うたううあ』じゃ。」 「昨年のUAのライブ『空の小屋』2CDも良かったですもんね。」 「お、それも聴かせろ。明後日の午後1時に寺に参れ。くるりの『アンテナ』もそちに授けよう。」
▼ わたしはいまだ修行の身である。山林を駆け巡り、雑密の宇宙に彷徨う存在に過ぎぬ。老いて寒山拾得とならんと欲す。 このたび師匠より、念願の『慕情/菅野邦彦(1974)』(TBM)を聴かせていただいた。 30年前の菅野邦彦だ。 タッチはしこたま強く。旋律とタイム感覚の“逸脱”において、瞬間ごとに網の目のように、野心いっぱいに企てており、嫌味なほどに落差を演出している。とにかく1曲目「慕情」を聴いてみてほしい。 1974年というとキース・ジャレットとポール・ブレイがジャズ・ピアノを席巻する時期だ。 驚くことに同時代的にこの二人をはるか上方よりせせら笑っていた日本人がいた。 菅野の演奏が物語っている。菅野のピアノの気質はラテンである。 クラシックの流儀にはフランスとドイツの二大潮流がある。近代以降、ドイツがドイツ人を主軸にした西洋音楽史観を確立させた。日本はドイツからその西洋音楽を導入した。東京藝術大学はドイツ流儀のものになった。 ラテンは明らかにフランス流儀に一部にその痕跡がある。 一方で、イタリアの豊饒な歌曲から派生するパッションは存在の普遍なままに持続し、半ば独仏の抑圧装置でありつつ無視された。 菅野はブラジルに渡りいつしか円盤を追いかけて過ごすようであり、いわばシーンから失踪してしまった。 帰国した菅野は全身が旋律そのものになったものか、銀座のバーでピアノを奏でて生活をしている。 そこには単なる達観を超えた態度がある。 1974年の『慕情』は現在の菅野につながっている。
▼ 「おとーちゃん、さー、おとーちゃんが尊敬するひとってだれなん?」 「じぶん。」 「しねっ!(怒)、まじめにこたえてよー。」 「じゃあ、空海。」 「だれそれ。たしか坊さんだよねー。真言宗だっけ、天台宗だっけ。」 「おまえはだれなの?」 「わたしはねー、獏良(ばくら)さま。こないだは獏良さまの誕生日だったから、わたしケーキ作って祝ったんだよー。」 「あのなー。高校生にもなってアニメの脇キャラかよー。」 「おとーちゃんの子だもー。」 「おまえさー、マンガのホンモノをわかってんのかー?」 「それは手塚治虫だよん。」 「おー、わかってんじゃん。」 「おとーちゃんの子だもー。」 「どこがだよー。おっぱいさわっちまうぞこらー。」
2004年03月27日(土) |
『MOJO』誌4月号・海童道宗祖(わたづみどうそ)・「サーフス・アップ」・CDR『Brian Wilson (best of the beach boys)』 |
60〜70年代ロックを中心に扱う『MOJO』誌4月号は、『QUEEN II』(まごーことなき最高傑作)時の精悍なフレディが表紙。きゃー。 ネルソン・マンデラを中心にブライアンとロジャー、ピーター・ガブリエル、アニー・レノックス、デイブ・スチュワートという昨年11月の写真も。 ブライアン・ウイルソンのスマイル・ライブ(!)のレビュー(曲目リスト付き)も載っている。 エスビョルン・スヴェンソン・トリオ(E.S.T.)のライブ・レビューもあるけど、そーそー彼らはロック的なのだし、いい感じ。
今どきのわたし、三善晃の響きも、スマイルに見える音も、おざけんの楽曲のオーケストラも、プーさんのトスカも、モスラフライト高木元輝も、 そして、おととい入手した“わだづみどうそ”、も、耳ん中でブレンドされてくるくる響きあう曼荼羅みたくなってまっさり。
■海童道宗祖のCDが買える尺八サイト 海童道祖(わたづみどうそ) (1910-1992) 禅の普化宗を学び、それに飽き足らなかった海童道宗祖(後に海童道祖)は、自分自身の哲学を生み出し呼吸法と音の関係を追求した。門人の一人横山勝也氏は著書「竹と生きる」の中で---“呼吸法の完璧さは正に神技と言うべきで、後にも先にも先生ほどの呼吸法をみることは出来ないだろう“---鍛練と修業によって得た新境地は呼吸と身体の動作とを整える自然法(体)と一管の竹を吹くことによってそれを体言する道法(用)に分かれている。
中学1年になったばかりの長女が恥ずかしそうに「おとうちゃん、かなみ、しゃくはちしたいの…」と言われた衝撃ゆえに、いかんいかん断じていかんそれに尺八は高いし習うところもないぞと習わせなかったものの、思えば、わたしの父は尺八を吹いていたひとだったのであったからして、悪いことをしたものかな。
「サーフス・アップ」 4分13秒に込められた“永遠にさよなら”の向こう側にあるものをぼくらはいつもさがしあてたと手をとり歓びあったその瞬間がすぐにふわっと消えていってしまうことをくりかえしているばかりいる4分13秒。
▼ 友だちからもらったブライアン・ウイルソンCDR。ビーチボーイズのベストとして、CDRながらAB面で選曲構成されてます。
side A 1 ドント・ウォーリー・ベイビー (1964「シャット・ダウンvol2」) 2 プリーズ・レット・ミー・ワンダー (1965「トゥデイ」) 3 駄目な僕 (1966「ペットサウンズ」) 4 キス・ミー・ベイビー (1965「トゥデイ」) 5 ダーリン (1967「ワイルド・ハニー」) 6 タイム・トゥー・ゲット・アローン (1969「20/20」) 7 レット・ヒム・ラン・ワイルド (1965「サマー・デイズ」) 8 カリフォルニア・ガールズ (1965「サマー・デイズ」) 9 恋のリバイバル (1969「20/20」) 10 アド・サム・ミュージック・トゥ・ユア・デイ (1970「サンフラワー」)
side B 1 素敵じゃないか (1966「ペットサウンズ」) 2 ザ・ナイト・ワズ・ソー・ヤング (1977「ラブ・ユー」) 3 ディス・ホウール・ワールド (1970「サンフラワー」) 4 フレンズ (1968「フレンズ」) 5 神のみぞ知る (1966「ペットサウンズ」) 6 ヘルプ・ミー・ロンダ (1965「トゥデイ」) 7 恋の夏 (1965「サマー・デイズ」) 8 太陽を浴びて (1964「シャット・ダウン・vol2」) 9 オール・サマー・ロング (1964「オール・サマー・ロング」) 10 サーフズ・アップ (1971「サーフズ・アップ」)
2004年03月26日(金) |
菅野邦彦って、お兄さんが菅野沖彦なんだよね。・小沢征爾・佐々木敦のオザケン・毎日ミスチル(宮台真司「Hero」) |
レッチリのDVD『live at slane castle』を観ながらギターマガジンを読む。うにー、知らないCDってどしてこげによさげなんですかにー。 3月からエアロスミスはチープ・トリックを前座にしてツアーだそう。ぼくが中学ん頃のアイドルが揃い踏んでる。 ギターマガジンの特集は「ジョン・トロペイ、デヴィッド・スピノザ、ヒューマクラッケン、ニューヨーク・スタジオ・シーンの3大ギタリスト特集」。 3人の代表作とそれぞれの11枚の参加作品が紹介されています。なにげに労作。 ポール・マッカートニーの「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」のギターはデヴィッド・スピノザなのだそうです。うっとり。
▼ 「ただくん、菅野邦彦のピアノって、そんなに良かったんだー。」 「ええ、夢に出てきますー。」 「70年代にも友だちが菅野邦彦のピアノにハマってたっけな。鈴木勲のアルバムで聴いたことあるけど、たしかにうまい。」 「ライブはまた違うんですよー。それにじじいになってて、そこに顔を出す音楽の猛獣…。」 「狂気を秘めたカクテル・ピアノ、ね。」 「名言でしょう。」 「菅野邦彦って、お兄さんが菅野沖彦なんだよね。」 「おえ!ほ、ほんとですか?オーディオ界の天皇と称される、あの菅野沖彦ですか。」 「えー、知らなかったのー?」 「いやー。すげー兄弟だなー。」
▼ 23歳の無名な若者に過ぎなかった小沢征爾は、初めてのヨーロッパの土を踏んだそのパリで、偶然ホテルの食堂にいた老人と。 「あんた、どこの映画会社?」(ちょうどホテルに日本から映画のロケ隊がきていた) 「いえ、ぼくは音楽をやりに来ました」 「名前は?」 「おざわせいじ」 その老人が知っているはずもないが、そう答えた。その老人はちょっと考えてから、 「ぼくはあなたのお父さんを知っているよ」
その老人は小林秀雄だった。
小沢征爾の父(小沢健二のおじいちゃん)、開作と小林秀雄はよく酒を飲んだらしい。 北京の小沢家に、ある日満州のひとからもらった壷が置かれていた。 「きみは何だってこんなニセモノを飾っておくんだ!イカサマだ!」と壷を庭に叩きつけた小林秀雄。 「そんなことはわかっている!おれは気持ちを飾っているんだ!」と小林を殴る開作。
「芸術」と「人間」
▼ 午後11時。小沢健二の「ラブリー」と「ぼくらが旅に出る理由」を、漆黒に浮かぶ梅の花を見ながら聴く。 「ラブリー」の刻むビートが恋する気持ちの拍をあらわしている。服部克久のオーケストラが後半、高揚させる。 「ぼくらが旅に出る理由」はオーケストラだけでも飛んでしまう。ハープが執拗に奏でるのは疾走する哀しみだと思う。
ビデオ『VILLAGE 〜the video〜 / 小沢健二』の曲目を、ただただコピペしてみる。 1.VILLAGEのテーマ 2.ぼくらが旅に出る理由 3.ローラースケート・パーク 4.東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー 5.戦場のボーイズ・ライフ 6.愛し愛されて生きるのさ 7.強い気持ち・強い愛 8.天使たちのシーン 9.ラブリー 10.いちょう並木のセレナーデ 11.ドアをノックするのは誰だ? 12.ラブリー
音楽評論家の佐々木敦さんのサイトがあって、小沢健二の項目があった。意外。なんかうれしい。 ■atsushi sasaki@faderbyheadz.com
▼ 毎日ミスチルのねたを書くんだった。 次はJenのインタビューを読んでみたいな>ロッキンオンジャパンさま。
ミスチルのファースト『everything』、いちばん好きな曲はもちろん「君がいた夏」でいいんだけど、それは「Lord, I miss you」の失恋感をギターのカットで描く1曲目の切なさ、が、あってこそ、だと思う。
宮台真司さんのサイトで「Hero」の指摘があった。 ■「CDが売れなくても誰も困らない」 “ちなみに03年のJ−POPシングルの上位20位を分析したけど、主語があったのは桜井和寿の「HERO」だけ”とのこと。
2004年03月25日(木) |
シリーズ三善晃の世界 第2回―響きの世界―・毎日ミスチル(ロッキンオンジャパン4月号桜井和寿インタビュー) |
東京オペラシティへ、“シリーズ三善晃の世界 第2回―響きの世界―”を聴きに出かけた。 沼尻竜典指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。
「この世のものとは思えない、幽玄であり妖しくもはかない響き、というものがあるものだ…。」 そう書きながら、なんと表現の語彙がないものかと恥じるけども。最初の曲、わずか8分ほどの出来事だったらしい、オーケストラが紡ぐ響きが、オーケストラの上空2メートルから3メートルあたりにふらふらと揺れるもの、それはオーケストラの占める面積のひとまわり小さいほどの“響きのかたまり”としか言えないものが浮かび、まさに光を放っていた。いや、光を放つという言い方は適切ではない。生命体のようでもある。 座席にいながらして、ホールの中空からオーケストラを見下ろしているようにして、それを感じることができた。 楽曲の中に物理的に大きな音は構成されていたはずだけど、その構成を包んでそれはそこに居続けた。 1曲目の『夏の散乱』はすごいものだ。録音されていたようだからいずれCDとなって聴くことが出来るだろう。きちんとしたオーディオで聴いたなら。
まーそのー、一笑に付してくださいまし。2001年6月に庄司紗矢香のヴァイオリン(パガニーニ作曲<イ・バルビディ>)にも陽炎みたいのは見ているので慣れっこではある、というか。
今日のプログラムである三善晃作品は次のとおり。
・ 夏の散乱:現(うつつ)よ 明るいわたしの墓よ(宗左近) (1995) ・ オーケストラのための『レオス』 (1976) ・ 魁響の譜(かいきょうのふ) (1991) ・ 児童合唱とオーケストラのための『響紋』 (1984)
ハイライトは『響紋』。この曲はCDで聴いたことがあるが、これにもまったく驚く体験をさせてもらった。オーケストラの後方に40名ほどのガキどもが並んでおり、座席より(この得難い機会に下手やったらころすぞおまえら!)くらいは思ったが。「かーごめかごめ」という合唱の声が、オーケストラの後方から聴こえていたと思いきや、2度、もしくは3度、オーケストラの“中から”聴こえてくる瞬間を体験するのである。 『響紋』の後半のテンポをあとわずかに落としてくれると心情叙情派リスナーのわたしとしては嬉しかったような気もするが、そこはそれ、指揮の沼尻さんは三善先生の弟子であるからにして、あのテンポによるはかなさ、とどまりがたさの定置を受け入れるべきなのでしょう。
▼ 10月14日にこの“三善晃の世界シリーズ第3回―言葉の世界―”があります。 三善晃の声とオーケストラのための三部作『響紋』『詩篇』『レクイエム』のうち、『レクイエム』が聴けます。
三善晃さん本人がステージに上がりました。以前に三善晃さんをこんなふうに眼差した記憶があるから、コンサートで何かは聴いていたと思います。うーん、記憶力が弱いというか。サントリー・ホールが出来たときに現代音楽の委嘱シリーズ5夜全部通ったとか、アファナシエフの初来日にしこたま感動したとか、アンナー・ビルスマを即興演奏家のように聴いたとか、ばくぜんとしか憶えていないのは日記をつけていないせいだな。
▼ ミスチルの新譜『シフクノオト』が発売されるまであと13日。毎日ミスチルのねたを書くことにしよう。
ロッキンオンジャパン4月号は桜井和寿インタビュー。ポイントは次の4つでしょうか。
(1)筒美京平 だしぬけに、筒美京平の作曲におけるサビの3重構造(!)に対して「なんだこの貪欲さは?サービス精神?」とリスペクトを表し、自らの作曲においても「これじゃあ筒美さんはオッケー出さないだろうなあ」と思うことを告白している。武満徹が居なくなって現代音楽がダメになった、マイルスが居なくなってジャズがダメになった、に、ならえば筒美京平の存在が“ポップザウルス”桜井をリアルにさせているということか。
(2)AP BANK アーティスト・パワー・バンクという銀行を桜井は小林武史と設立している。それはミスチルが売れることに対する贖罪意識によるものでもあることを桜井は認めている。まさに“キリスト教的な「我と汝」の基底”というものを裏打ちするもの。
(3)天頂バス 「人生ってものは引き返すことができないもんだ」ということを、アレンジを通じて、転調の繰り返しを通じて表現している、とのこと。桜井は精神的にご隠居状態であるようにも見えるインタビューである。けれども、たとえば「もうぼくは恋をしなくていい」なんて言ってて、それでいいんだろうか、と余計な心配も思う。転調が惹き起こすダイナミズムは、天頂バスのとおり景色の過ぎ去りではあるけれども、それは成功と不成功、不可能への企てに対する結果の落差のダイナミズムなんだからして。
(4)ボタンホールのサビ(「くるみ」) 「くるみ」の2番におけるボタンホールのたとえを用いた部分、に、桜井くんは作ってて涙したという。リスナーの大半は「そこじゃないだろ」と思う。このあたりの比喩表現の素朴さといえば、「ファスナー」自体のモチーフの素朴さを想起するところがある。
お、新譜発売前恒例のミスチルのベストCDRを作って楽しもうかな。 あ、インタビューで「Any」がマルチビタミンだとか言ってるけど、「Any」にはサビの3重構造ないしー、イントロからして「Tomorrow Never Knows」狙いの一発芸でしかないとしか思えないんだけどな。え?「Any」は「Tomorrow Never Knows」への返歌だって?おー、ありうる。 『シフクノオト』12曲中、6曲はすでに聴いているわけだし、ぼくとしては楽しみは新曲「PADDLE」だけかな。
2004年03月24日(水) |
CDR『泥棒 2004.3.25』 |
机のまわりにあるCDから編集CDR第2弾を作って夜更かし。 入れるつもりの曲の半分もいかないうちに78:55のタイムリミットになってしまう。 お楽しみの自分解説をするまえに聴いてるうちに眠たくなってきました。
Flag / Joe Henry (5:11) from『Tiny Voices』(Epitaph)2003 ※ドラマーのジム・ケルトナーを聴け、ということです。 Palhaso / Egberto Gismonti (4:09) from 『Alma』(Brazil-EMI)1987 ※ピアノが世界一上手いギタリスト、エグベルト・ジスモンチのここに現れるリリシズムにはかなりとろけさせられます。 Half Moon / Tokyo Zawinul Bach (10:38) from『Live in Tokyo』(Masayasu Tzboguchi)2001 ※坪口昌恭・菊地成孔・五十嵐一生による東京ザヴィヌルバッハの自主制作第1作の1曲目。 My Pal Foot Foot / The Shaggs (2:35) from 『Philosophy Of The World』(RCA)1969 ※音楽史の奇跡の年69年にシャッグスは自覚しえない?ハーモロディクスをすでにやっていたのでは、と疑わせる。 京都慕情 / 渚ゆう子 (2:38) from the single(EMI)1970 ※フリッパーズギターの登場にバンドの方向を模索していたミスチル桜井が思わず感涙して歩む道を悟ったという名曲。 おなじ星 / Jungle Smile (5:43) from 『林檎のためいき』(Victor)1998 ※生死の境までの恋愛観をつい歌ってしまう彼ら。背景音には“死した富田靖子が織田裕二をあの世に誘うシーン”(ドラマ)が聴こえる。 Face / 高木元輝トリオ (8:26) from『幻野・'71幻野祭・三里塚で祭れ』1971 ※サックスだけ別格。当時のバカ者たちが「ごくろうさーん」「よーし」「もっかい吹きなおせ」と野次る雰囲気に走る虫酸が調味料。 Excusa Aqua Going / Alejandro Franov (10:50) from『Accesorion』(mu records)2000 ※南米の音響派による海中旅行記のような時間。 大きなあなた小さなわたし / Shiina (4:20) from the single(ForLife)2001 ※ボコーダーによるアレンジが突出した躁状態を示しており、キャバ嬢が純情を歌うような有り様がはなはだ倒錯的に聴こえる。 武満徹 : Stanza II (1971) (6:26) from『武満徹・翼(Wings)』 ※この曲順で聴くとポップに聴こえさえする武満の音のスケッチ。 ダンケ(Danke) / 梅津和時+原田依幸 (9:45) from『DANKE Donauschinger Musiktage ‘80』1981 ※権威ある現代音楽祭でのあっぱれな日本男児の“かけ声”即興。聴衆のどよめきと喝采も聴きもの。 Space Shipp / Mattew Shipp (3:23) from『nu bop』(ThirstyEar)2002 ※あらら、この先鋭的ジャズ演奏がこのCDRではお飾りに過ぎないように聴こえてしまうのは選曲ミスなんだろうかそれとも…。 泥棒DOROBON 岸田今日子 (1:22) ※朗読バージョン。 泥棒DOROBON / UA (3:25) from the single(Victor)2002 ※ううあのこれは、まさに“化けた”、さらに“化けた”というシングルだった。ジャズ、感じます。
2004年03月21日(日) |
「金色のガッシュベル“ザケルフェスタ”春の陣2004」 |
幕張メッセの「金色のガッシュベル“ザケルフェスタ”春の陣2004」に行ってきた。 お目当ての会場限定カードが午前11時で売り切れつうのは、2時間以上かけて10時過ぎには到着していたわたしたちには非情に思えた。 会場係員のその告知、誘導案内その他、が、低レベルだったのもいただけない。 無駄に長時間満員電車のように並ばされて疲れ果てたご父母の怒りは、群集をかきわけて列から離脱する憤懣やるかたなきさまに現れていた。 こないだはジャンプフェスタに行って、入場者数は今日の十倍にはなっていたけども、買い物はスムーズだったし、遊んで疲れ果てても休むところや軽食コーナーがあったし、これはもう雲泥の差。これは主催者である集英社(ジャンプ)と小学館(サンデー)の差だと思う。
午後を過ぎて、下北沢へ向かい、リトル・ファッツ&スィンギン・ホット・ショット・パーティーのライブへ。 さすがに楽しかったライブのレビューはあとで記入するとして、 とにかく、会場で用意されていた北海道産のトマトジュース“オオカミの桃”、が、めっさ美味かったー! ガキどもはザケルフェスタの失望を取り戻さんとばかりに下北沢の古本屋と雑貨屋めぐりをしてしまい、この美味しいジュースとライブを観ることがかなわなかったわけだ。
2004年03月20日(土) |
高木元輝(追加情報) |
追加情報です。
間章さんと親交があり、また画家としても、吉沢元治『インランド・フィッシュ』の ジャケット画を描いた、志賀恒夫さんのサイトです。 ■”深海の汽笛” (間章が半夏 IA -番外編 『ライヴ12+12=24/間章』 )
▼ サイト“ミュージサーカス”の更新情報。
「70年代日本のフリージャズを聴く!」全三期 30枚、の第3期を、アップしました。 ヤン・ガルバレク・グループ 2004. 2. 25(水)来日公演リポート、が、アップされました。 ぼくのコラム「ロヴァの耳」をミスチルのシフクノオト発売までに更新するつもりでいます。
■musicircus
会えるはずのない場所で誰かに出会い、また二度と会うことがないことを了解しあいながら、「がんばってね」とほほえみあう。
▼
昨年復刻された『モスラフライト / 高木元輝』に出会うまで、誰も高木元輝の名をおしえてくれなかった。 今頃知ったのか、と、みんなに言われそうだ。 こういう喪失感を感じたのはいつ以来のことだっただろう。 このロヴァ耳日記に書いていることには価値はないのです、ただ読んだかたに、なにかにアクセスできてほしい、気がします。
高木元輝で検索したら、こんなテキストが出てきました。いつものごとく勝手にリンク貼ります。
■松岡正剛の千夜千冊(第三百四十二夜)
▼
「高木元輝さん、て、亡くなっていたのですか?」
「ええ、あのイベントの当日だったそうです。」
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■間章 没後24周年記念イベント概要 12+12=24 間章 "ライブとAA上映"
企画意図 1960年代から70年代にかけて時代を駆け抜け、1978年に32歳という若さで生涯を閉じた音楽批評家がいました。彼の名は間章(あいだ・あきら)。ジャズ批評家として出発し、ただ音楽を批評しただけでなく、優れた演奏家を見いだして、触発するために彼らの音楽活動場所を設けるなど、パフォーマーと聴衆を常に刺激する存在でした。近藤等則、坂本龍一といった世界で活躍するミュージシャンも間のフィールドから旅立っていったのです。またフリージャズ、シャンソン、プログレッシブ・ロックといった、間が発見し、紹介してきた音楽は新しい時代の潮流として、いまも引き継がれています。
そして2002年。間章が死去して24年、間の再評価の機運が高まりつつあります。きっかけは、青山真治監督による間章のドキュメンタリー、「AA」制作です。青山監督は「ユリイカ」(2000年)がカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞し、同作を自らノベライズした作品で第9回三島由紀夫賞も受賞した気鋭の映画監督です。
この「AA」撮影中、間章の生まれ故郷、新潟市のロケでのこと。ご健在の間のお母さんが、80歳になったのを機に、同市中心部で長年経営してきた喫茶店を閉めることになったのです。この店の名前は「マンハイム」といい、間が生前、まだ無名のミュージシャンを呼んでは演奏活動の場として提供していたのですが、それを懐かしむお母さんがぽつりと「最後にもう一度、ライブをやってにぎやかに終わりたいね」とつぶやいたのです。このお母さんの夢をなんとかかなえてあげたい。青山監督をはじめ、若いスタッフ、新潟で協力した人々がそういう願いで一致し、その店でライブ&上映会を行うことになりました。この12月12日は間の命日です。
出演者は、いまや世界的なトランペッターとなった近藤等則をはじめ、ピーターブルック劇団の音楽監督でパーカッションの土取利行、サックスの高木元輝、ドラムスの豊住芳三郎。いずれもジャズファンなら見過ごすことのできない方ばかりで、4人とも「間さんのためなら」と、今回の趣旨に賛同いただき新潟までおいでいただけることになりました。この豪華な顔ぶれのライブはおそらく最初で最後となります。今回はライブ中心のため、「AA」はダイジェストの上映となります。 開催日時:2002年12月12日(木曜日)(間章の命日)午後6時半開場、7時開演 会 場:カフェ&ラウンジSTYLE マンハイム(新潟市西堀前通) 料 金:7000円(ワンドリンク付き) 限定100人、スタンディング、当日券なし 出演者:(間章年譜登場順) 高木 元輝、豊住芳三郎、近藤 等則、土取 利行 同時上映:「AA」(監督:青山真治)
2004年03月18日(木) |
『Evening Falls / Jacob Young』(ECM1876)2004 |
ツァブロポウロス(Tsabropoulos)のECM第3作『Triangle』(ECM1752)2004、は、トリオとしては標準作。演奏力はさすがなれど構成力弱し。 『Achirana』(ECM1728)1999が美しすぎたのね。
ノルウェーのギタリスト、ヤコブ・ヤング(Jacob Young)。 『Evening Falls / Jacob Young』(ECM1876)2004。 ECMから新たにギタリストが登場するというのは何年ぶりでしょう。 ジャジーな中に、2管の響きがかっちりと寄り添い、ヤコブ・ヤングの奏でるギターにこってりと酩酊させられた。 こういうのはすぐに国内盤にしてリリースしてくださいまし、ユニバーサルさま。 これはおそらくECMとしてはコニッツ〜ホイーラーらによる『Angel Song』以来の詩情の深さだ。 決して甘く収まらないのはクリステンセンのタイコによるもの。
わたしのよな逸脱音楽嗜好者をもねじ伏せてしまうヤコブさん、たいしたもんだ。 (とゆうよか、わし、最近すごくオーソドックスにジャズ好きになってるかも) (こういうの聴いてると、なんでこんなのが面白いのだ?とフリージャズ系CDを手にするわたしになれる、耳の多重人格)
2004年03月17日(水) |
(国分寺に行った)・『フライング・トゥー・ザ・スカイ / 本田竹彦+ゲルト・デュルック』 |
新宿を経由して府中自動車試験場へ。 国分寺にある、学生時代によく行ったジャズ喫茶のあった場所へ20年ぶりに訪れた。 まわりの景色だけが変わらずに、そこに新しいビルが建っていた。
むかし住んでいた場所を訪れる。公衆電話があった場所、角の酒屋、大学の正門、駅裏路地の中古レコード屋。
本屋に向かう路地ひとつにも、ともに歩んだ友人や歩き始めた頃の長女や雪が降った日や月がきれいだった深夜や見送った彼女のカバンの色などが、意識のコラージュのようになって映って動けなくなる。
中央線は拡張工事に伴う交通誘導。
あちこちをまるで夢遊病者のように車を走らせて、途中吉祥寺でCDを20枚ばかり購入して、練馬に向かった。
この日記の色彩を変えたものの、まだ理想的ではない。
ジャック・ニコルソン主演の『アバウト・シュミット』を観たら、なんだか今日の自分ような感じじゃんか。 映画としてはなんてことない作品。
エンリコ・ピエラヌンツィ、デイブ・ダグラス、マイケル・ムーア、ムーンドックEP復刻(!)、ECM盤新譜3種、バド・パウエル、アンソニー・ブラクストン、ポールデズモンド、・・・
『フライング・トゥー・ザ・スカイ / 本田竹彦+ゲルト・デュルック』 これはまったくコルトレーンのガイストが憑依しているような名演で、つい3回くりかえして聴き入ってしまう。
ゲルト・デュデックは、ジャズ評論家のヨアヒム・E・ベーレントをして「ジョン・サーマンとゲルト・デュデックは実力のわりには知られていないクロート筋から注目されている才能だ」と言われるサックス奏者で、これにジャズ評論家の油井正一は「ぼくはこれにイギリス出身のエヴァン・パーカーを加えたい」としている。すごいよね、1971年初頭のやりとりである。油井さんはジャズの歴史の語り部でもあったし、いち早く才能をピックアップするアクティブさにも現場からの慧眼を発信していた。
国分寺の喫茶店ではよくコルトレーンがかかっていた。
2004年03月15日(月) |
『Lightning / UA』3月24日発売・相田みつをの詩が桜井和寿の詩よりも優れている理由 |
J-WAVEでドリカムの番組を聴いてて(わはは)、度肝が抜かれる。ロヴァ耳が座った目で反応している。 「ううあ、の、らいとにんぐ、すげー!今年のジャズベストだしー!」
『Lightning / UA』(VICL-61316) 3月24日発売 UA待望のニュー・アルバムは、"音とランドスケープ/世界旅行"。国内の多彩、奇才なアーティストとのコラボレートによるサウンド・トリップ!! 鈴木正人(Little Creatures)、大野由美子(Buffalo Daughter)、菊池成孔、外山明、吉田大吉、藤野家舞、他が参加。
UA(ううあ)のこないだのシングル「DOROBON」だって、歌詞は現代詩みたいだし、このシングル盤に収録されているヴァージョン違いでは、パスカル・コムラードによるヴァージョンや岸田今日子の朗読(!)ヴァージョンまであったりして、かなりな予感はあった。
しかし、こんなんなっていようとは・・・。 “ビョークの輸入、には収まらない、さすがにメイドインジャパン、ビョ−ク越え、で、返球す。”
▼ ブランキー解散したあとの浅井健一の音を聴いといて、と言ったです。『AJICO SHOW』、を、聴いていたのは2001年。 日本にはマリア・カラスもビョークもカサンドラ・ウイルソンもおらんけど、UAがいる。 UA(ううあ)をうたのおねえさんにする、NHK、えらい。 NHKは日本の良心であるから、政府からの独立性を保つための受信料、というなら話はわかる。
▼ 午前3時とか5時とか、に、よくJ-WAVE聴いている。もしくはNHKラジオ深夜便。
橋幸夫特集で、 『いつでも夢を / 橋幸夫・吉永小百合』がかかる。 こんなにすてきな歌が成り立っていた頃に戻れないのはわかっているけど、わかっているけど。 この感じ、は、おざけん、なんです。 小沢健二に歌ってもらいたい。誰とデュオにします?
the music i listen today - Ajico Show / Ajico - With A Little Luck / Wings - Love Me For A Reason / Osmonds
▼ (おとといの話題のつづき)
したがってパット・メセニーは耳かきが大好きなはずだ。
そこそこの耳達者な御仁たち、「ぶっちゃけて言うけどさ、パット・メセニーのどこがいいのかさっぱりわからん」。それは、ブラッド・メルドーについても、キース・ジャレットについても、ポール・ブレイについても、ルイ・スクラヴィスについても、ジョー・マネリについても、ミスター・チルドレンについても、クイーンについても、まま言われることがある。
ミスチルにお熱なぼくに、先輩がメールをくれました。とってもいいメールです。
浜崎あゆみが相田みつをのファンらしく、彼女の名作『I am ...』を聴きました。 そしたら浜崎あゆみがわかりました。未婚の女性で、男の子に求められて日々流されてゆく日常に対して、“響く”音楽。
先輩からもらったメールにより、わたしの真っ赤に燃えたミスチル熱はジューッとクールダウンと相対化を瞬時にくぐり抜ける。それはあたかも刀の焼き入れのごとくであり、わたしのミスチル耳が名刀であるかどうかはこれからなんである。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 歌詞(詩)に人生を重ねるにはさまざまな表現のスタンスがあるのでしょうが、 私は、直接的なシチュエーションから生じる心的立場を主体的に表現する方法の深度を疑っています。
たとえば、(ミスチルを含め)こうした人生訓をつづったものは、詩でいえば八木重吉や武者小路実篤の世界だと思うのです。 彼らの詩に書かれていることに反発もしなければ否定することもないのですが、それらがあまりに地上の良心と苦悩であることが、 文学としてのカタルシスではなく、生活の跳躍のためのドラッグ的符牒として機能しているところに限界をみているのです。 私は、八木重吉にしろ、武者小路実篤にしろ、あるいはミスチルの歌詞にしろ、本来これらは他人の書いたものを読むのではなく、自分自身が 自分自身のことばで、自分自身に向かってのみ書き綴るべき言葉であると考えているのです。 (最近興味のある相田みつをはこれらよりも抽象度が高く、かつ背後に禅の思想が横たわっているところが異なります。八木にもミスチルにも、私にはキリスト教的な「我と汝」の基底を感じるのですが...つまり、絶対主体の罪の中心化ですね)
私は、詩は、この世の奥にある、われわれの生活や意識の成り立ちそのものを暗示する「警告」として危険なものであってほしいと思うからですね。詩を読んで、「うっ、ヤバイッ」「なんだこれはッ」と思い、地上の生活・規範・連帯が歪み、壊れなければ、現状のより強度な肯定または否定(それはおなじこと)に係留してしまうからです。 (電流に打たれたように見えたヴィジョンが、それによってさらに深く「現実」を捉えるものであるなら、それは宗教と重なる体験ですね。しかし、信者以外に、その超越体験を語りかけることは危険な側面をもつこともおさえておいたほうがよいかと思うのです...) ------------------------------------------------------------------------------------------------------------
2004年03月14日(日) |
ジャズ本2冊・菅野邦彦さんのピアノ演奏の衝撃 |
青土社からジャズ本の新刊が出た。 『ジャズ・ヒストリー』ジョンFスウェッド著・諸岡敏行訳(青土社)\2800 著者はイエール大学の先生。アンソニー・ブラクストンがきちんと登場している、ジャズの通史本、と言えます。 ディスクのセレクトと、そのコメントが啓発されるところが多く素晴らしいものです。
ただ“80年代以降のジャズとその周辺の音楽”に関心を持ってきたぼくとしては、 『ジャズの明日へ―コンテンポラリー・ジャズの歴史』村井康司著(河出書房新社)\1800 こっちのほうを先に入手することをおすすめします。
▼ 来週の21日は下北沢へ”リトル・ファッツ&スィンギン・ホット・ショット・パーティー”のライブへ行く予定。(3・9日記参照) 幕張メッセでアニメ・イベントのため子どもたち全員を引率して上京するので、子どもらにもこのライブを観せることに。
ライブを主催するmizugameさんへ、昨年6月の菅野邦彦さんのライブを観た感想をメールしていた。ここにも置いておこ。 ほんとに凄かったな、あのピアノの指。CDにして残しておいたほうがいいと思う。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------ mizugameさん、こんばんは多田です。 菅野邦彦さんのピアノ演奏の衝撃から立ち直れないでいます。狂気を孕んだカクテルピアノ、の、凄みの在り処を感じて帰りました。 菅野さんは自分の弾くピアノを相当に高い水準で自分のものにしていますね。 どの瞬間にも、自分の指が紡ぐ音が、どの音楽(旋律、リズム、ジャンルとかフォーム、その出力の強弱の按配…)へも向かわせることができる「ものすごい自由」を手にしていらっしゃいます。それは天才的な猛獣使いの様相を示していると思います。
ライブは3部構成になりましたが、1部ではその力量をショウのように見せつけて楽しめました。 最初に座った席からは菅野さんの演奏する指先が見えなかったのですが、お隣にいらしたお客様の勧めをいただけて2部からは菅野さんの左後方からの鑑賞となりました。
菅野さんにとって自家薬籠中となった音楽のバラエティの広さは、最盛期のミシェル・ペトルチアーニぐらいしか対抗できないだろうと思えました(現役ピアニストでもユリ・ケインがどうかというくらいで)。ところが、ぼくや、mizugameさんが電気を走らせてしまっただろう「菅野さんの凄味」というのは、きっとそこではないと思います。 2部と3部では、ところどころで瞬間的に猛獣が顔を見せていました。 菅野さんが「自由に」ピアノを走らせれば走らせるほどに、当の菅野さんでさえ制御し切れないで鍵盤に走らせてしまう刹那的な指の動きにそれは顔を出します。
この日の菅野さんはおそらく好調だったと感じます。逆説的に、この猛獣の出現は少なくなり。 それにしてもほんとにこんな凄いピアニストが日本にいるのですねー。とにかく、「追っかけ」たくなりました。 今回のライブの企画、お知らせいただいてありがとうございます。mizugameさんにまたすごいプレゼントをもらった気持ちです。
今年になって聴いたCDで(1日1枚聴きますから200弱)、いちばん良かったのが渋谷毅さんのピアノ・ソロ『アフタヌーン』なのですが(最終 トラックの「ビヨンド・ザ・フレームス」には聴くたびに涙が出てしまいます)、 次回のライブでは高田渡さんと渋谷さんということで、楽しみすぎて切ないです。 でも、告白するに高田渡さんの音楽を耳にしたことがほとんどないわたしです(笑)。 mizugameさんがキティ時代に間章さんと制作した『メディテーション・アマング・アス』が未発表音源も含めて復刻されるのですって? もう、ほとんどレッド・ツェッペリンのライブ並みにすごい事件ですよ。 素晴らしいものは時間を超えるちからがあるのですね。
ライブの帰りに『en-TAXI』という雑誌を読んでいて、岸信介元首相の言葉を引用した「日本をアメリカ領土に出動させ、軍事怪獣を封じ込め!」という評論があったのだけど、妙に菅野さんのピアノとセットになって響いてきたものでした。 思うに、菊地雅章さんのピアノには(早く弾いたときに何かが起こる!)と、で、菅野邦彦さんのピアノには(遅く弾いたときに何かが顔を出す!)と、そんなことをふと思いついたりします。 2003年7月4日 多田雅範
わたしの子どもは遺伝的にアタマがでかいようである。
アタマがでかいというと“福助の足袋”の“福助”を連想する。
伝承的に“福助”というアイコンがどのような存在であるか、文化的かつ医学的に分析した研究した論文もあったかと記憶する。
パット・メセニーの『TRAVELS』を聴いていた頃、ぼくは家庭教師の仕事をしていて、休憩時間に『TRAVELS』をよくかけた。 「せんせー、このトラベル、ズ?って、どういう意味ですかー」 「トラベルズってなー、“複数形の旅”だよー」 「えー?福助の足袋ですかー?」。
わたしは“耳かき”されるのが異様に好きだ。 わたしに“耳かき”を要求される女性というのは、かなりのVIP待遇だと思ってよろしい。 耳かきをしてもらう、というのは、いつ何どきキリで刺されるかという甘美な恐怖を仮託できる、ということ。
1歳8ヶ月ぐらいの時期のアタマがでかい息子をだっこして、綿棒で耳のあなの入り口と耳のしわの内側をなで続けていると、息子はそのでかいアタマを前方へ脱力させて白目をむいてよだれをだらーっとたらしてかなり気持ちよさげに落ちる。 そのように耳かきに恍惚になれるというのは、あまりいないのではないのだろうか。
わたしのアタマのどこがでかいかというと、後頭部。 後頭部がでかい音楽友だち、と、アヴァンギャルド系のギタリストの嗜好について話し合っていたら 「わー、同じだわねー、わたしたち、後頭部が大きいのって、きっとほかのひとと違うところを演奏に聴いているのかもしれないわねー」
う〜ん、流離貴種の末裔であるわたしたちな、照れくさくても、なんかとっても嬉しい気持ちになったわし。 彼女に耳かきが好きかどうか聞いてみようか。でも、それってとっても勇気がいることかもしれない。 「耳かきして」というのはプロポーズの言葉に匹敵するのではないだろうか。
アタマのかたちと聴く音楽は関係ないか。それに、こういう思考ってとっても危険なのは言うまでもない。
アタマがでかくて獅子舞のようになって弾くギタリストの筆頭であるパット・メセニーの『TRAVELS』、「Straight On Red」というナンバーは、パーカッションが疾走しまくるもあれ模様の高速回転の上をメセニーのギターが八艘跳びで着地する。 えっちがしたくてこかんがうずうずなかなかはいんないーと間奏のリフがぴくぴくちんぴくしている。
昼休みに「ア・ストリング・アラウンド・オータム」武満徹を聴きながら、思わず「美しい」と口にしたら、そばでやきそばをほおばっていたNさん34歳主婦、「あたし?」とわりばしで自分をさしている。タケミツだぞ。わりばしでさしてやろうか。
聴いてないCD31、聴きたいCD14、買いたいCD11、借りる予定のCD6、食卓テーブルの上に積まさっているCD8、醤油に浸かってべたべたになって変色してしまったCD1、とは、ティム・バーンのエンパイアボックス紙ジャケ5枚組。
友だちが、佐々木敦さんが雑誌に発表したベストテンやセレクトCDをコンプリートしてしまったという。ストーカー行為ではないのか。
相田みつをが桜井和寿よりもすごい詩人である、なんてことは百年たっても世界がひっくり返ってもないと思っていたが、さっき数行で納得させられた。
テレビで観てちとぞっこん。Berryz工房。デビューシングル「あなたなしでは生きてゆけない」3月17日発売。 Berryz工房のサイト■ 動いているのを観てでなければ否定してはいけません(むきになってません)。あ、シングルVも発売される。
女の子の春の髪型がたくさんのヘアーカタログがいくつか出版され始めている。即買い。
the music i listen today - 新妻に捧げる歌 / 江利チエミ (KING)1964
2004年03月11日(木) |
ヤマダ電機看板落下・『TOKライブ+TOKダイレクト・マスター』加古隆 |
午前11時48分、ロト6を買いに。練馬平和台駅前の宝くじ売り場が収まっているヤマダ電機屋上の推定1.5トンの3メートルもの看板が10メートル以上の高さから歩道に落下した。奇跡的に負傷者はいなかった。30秒早かったらわたしは即死だった。部屋を出るときにオーディオのスイッチを切るに、加古隆のCDをかけていて、そこのオリバー・ジョンソンのタイコにちょっと聴き入ってスイッチを切る手が30秒ほど止まったこと、と、この不愉快なほどのなま暖かい強風でもって赤いチェックのスカートをはいて自転車をなまめかしい表情をしてこいでいた綿矢りさ似の(またかよ)高校生のパンティーのおしりまでが見えてしまったことにかなりな妄想をたくましくハンドルを握ってしまいこれはわいせつ物陳列罪という彼女の罪なのか準視姦罪というわたしの罪なのかそれとも神さまが作った合意なのか、おお、合意とはいい響きじゃ、などと、うっとりと5秒ばかり到着が遅れたことにより、わたしはこの難を逃れた。おれ、ぜったいあの場所通っていた。
ここでのポイントは、そのような看板落下をするような安普請の責任主体であるヤマダ電機およびその溶接業者・溶接職人への怒りであろうか。
否、わたしはオリバー・ジョンソンのタイコと赤いチェックのスカートの内側に対する感謝でいっぱいになっている。 ここでもまた、真なるジャズ即興音楽とかわいい女の子によってわたしの生は引き伸ばされたと言っても過言ではない。
オリバー・ジョンソン、技術と感覚は一流のものがあったけど、いまいち個性といったものが薄かったタイコだったかしら? センスに頼りすぎているきらいがあるわね。
デヴィッド・マレイは『フラワーズ・フォー・アルバート』以降、80年代半ばまではほぼコンプリートに聴いているんだけど、 調べてみたらこんな作品で叩いていた。
David Murray INTERBOOGIEOLOGY Black Saint BSR 0018 (LP - 1978; CD) Recorded in February 1978 at Ricordi Studios, Milan, Italy David Murray (ts), Lawrence "Butch" Morris (c), Johnny Dyani (b), Oliver Johnson (d), Maria Contreras (vo - 4)
ブッチモリスとデヴィッドマレイ、ジョニーダイアニ、とのセッション、良さげですなー。
それにしてもオリバー・ジョンソン、いま何してんだろ。
加古隆がかつてオリバー・ジョンソン、ケント・カーターと組んだ“TOK”がCDで復刻されている。 初作『パラドックス』はECMスティーブ・レイクがプロデュースしているが、今年になってTOKのその後の復刻を耳にしてレイク氏も相当に興奮しているようだ。70年代後半から80年にかけての時代耳には聴こえなかったかもしれない、2004年に聴こえる加古隆トリオ“TOK”というのも面白い。聴き逃していたジャズファンやデベロッパー関係者たちの好評も聞こえているが、たしかに、こういう演奏、今ではほとんど聴けない高い演奏水準を保有している。なるほど、こうして音楽が時代を飛び越えることもあるのか。 おーい、加古隆ー、そろそろまた秘蔵のピアニズムを発揮していい時代が来たみたいだぞー。
『TOKライブ+TOKダイレクト・マスター』(P.J.L. MTCJ5527 \2100) これは2LP(ライブとスタジオ録音)を1CDに収めた復刻。「あとで修正不可能なスリルを感じた」と当時の加古隆は述べている。必聴。
■musicircus
2004年03月10日(水) |
『ANSWER / SUPERCAR』田名網敬一(イラストレーター)は、サイケなのだそうで、そっか、サイケは空海だったかー |
友だちに貸していたCDが帰ってくる。貸す前にほとんど聴いていなかったCDもあって、自分のCDなのかわからないCDもあって、彼女に感想をきいて、そうなんですかとその感想にまた聴きたくなってかけたりする。
『江戸のノイズ』櫻井進著(NHKブックス879)2000 『ANSWER / SUPERCAR』 (Ki/oon)2004 『DOROBON / UA』(Victor)2002 『HOW TO GO / くるり』(Victor)2003 『藻 / 豊住芳三郎』(P.J.L.)reissued2003 『モスラ・フライト / 高木元輝』(P.J.L.)reissued2003 『武満徹・翼(Wings)』(philips)1997 『なくなった母を / マリア・カラス』(EMI classics)1994 『コロラトゥーラ・オペラ・アリア集 / マリア・カラス』(EMI classics)1998 『伝説の誕生 / ミケランジェリ1941-42』(warner)1997 『エレゲイア・サイクル / ブラッド・メルドー』(warner)1999 『supersilent 4』(rune gramofon)1998
青森が生んだ天才といえばもはや寺山修司、三上寛を言わずとも、迷わずスーパーカー4人の名を挙げなければ。
『ANSWER / SUPERCAR』のアートワークを見て、 「もうこりゃ空海が到達した世界観じゃないかー」 と思ったのですが、この田名網敬一(イラストレーター)は、サイケなのだそうで、そっか、サイケは空海だったかー。
田名網敬一作品フェアー@TSUTAYA TOKYO ROPPONGI開催中!!〜3月14日 (2004.2.27) -------------------------------------------------------------------------------- 田名網先生の作品集(書籍、DVD)販売を中心に、他、田名網先生の本棚を再現する『田名網セレクションの100冊』展示と、Tシャツなど関連グッズ販売、店内にマネキンをたたせ、(ギャラリ−360°でやっていた)マントの再展示、店内の柱、2本を使ってB全変型作品7枚の展示販売など。スーパーカーのアルバムのアートワークも展示されてます。
2004年03月09日(火) |
田村夏樹カルテット・赤目四十八瀧心中未遂の千野秀一・リトルファッツ&スィンギンホットショットパーティー |
ジャズ即興関連のライブを3つご紹介。
(1) ミュージックマガジン3月号特集「ジャズの現在形」を読んで、田村夏樹『KOKOKOKE』を購入し、そこに息づいている音楽のありように耳のプラグがスポンと抜かれたひとは多かったと思う。 3月13日(土)7:30pmから、その田村夏樹のアコースティックカルテットによるライブがあります。 場所は西荻窪、北口、西荻中央病院前の『音屋金時』(03-5382-2020)。 メンバーは、田村夏樹(トランペット)、津村和彦(アコースティックギター)、藤井郷子(アコーディオン!)、是安則克(ベース)。 「ここのカレーはとても美味しい」(田村夏樹)だそうです。 ■discography 来月にはバンクーバーへ行ってDylan van der Schyffらとのライブもあるようです。(■information) ■田村夏樹さんのエッセイ「1オクターブ」
(2) 映画『赤目四十八瀧心中未遂』のサントラを作曲・音響構成したのも千野秀一でした。 サントラには春日“Hachi”博文、斎藤徹、今井和雄、内橋和久、大熊ワタルといった日本を代表する演奏家たちがこぞって参加。 サントラでは作曲家としての千野秀一を堪能できましたが、即興ピアノ演奏のほうは、さらにすごい。 3月15日(月)7:00pmから斎藤徹+千野秀一デュオがあります。 場所は上尾市の床屋『バーバー富士』■バーバー富士のサイト 映画ファンは映画観るのに忙しいでしょうから、ときにこういうライブで音楽の数少ないホンモノに効率良く出会うのがいいと思います。
(3) 2000年の時点で「日本で今すごいバンドは東京ザヴィヌルバッハとコンボピアノとクレイジーケンバンド」と早耳ぶりを示していたおじさん磯田秀人さん。氏の企画するまさに手弁当ライブの3回目です。いつも半信半疑で出かけるわたしですが、100%の的中率でノックアウトされます。(以下、コンサートの告知テキスト)
〜お待たせいたしました!〜 第1回目のジャズ・ピアニスト菅野邦彦グループ、2回目の歌手高田渡さんに続いて第3回目のPinpoint Liveは、リトル・ファッツ&スィンギン・ホット・ショット・パーティー(Little fats & Swingin'hot shot Party ■)です。今では世界でも数少なくなったユニークなジャグ・バンド、いよいよ登場。 〜古きよきアメリカがいっぱい〜 リトル・ファッツ&スィンギン・ホット・ショット・パーティーは6人編成のジャグ・バンドです。 ジャグ・バンドとは、ブルース、ジャズ、ラグタイムなど、アメリカの黒人音楽を演奏する最も古い形態のバンドで、貧乏で楽器を買えなかった黒人の子ども達が、ウォッシュボード(洗濯板)を改良してパーカッションに、ウォッシュタブ(洗濯ダライ)にモップの柄を立ててワイアーを張ったものをベース代わりにして、路上で演奏して小遣い稼ぎをしたことが発端と言われています。 リトル・ファッツ&スィンギン・ホット・ショット・パーティーは吉祥寺の路上演奏で最近人気急上昇中のグループです。 〜今回はお捻りライブ〜 今回は、路上出身の彼らに相応しく、「お捻り(ご祝儀)ライブ」という趣向を取り入れました。チケット代をいつもよりも1000円安く(出演料もその分、安くなっています)しましたので、演奏を気に入っていただけたら、金額の多寡に関わらず、どしどしご祝儀をはずんでやってください。
【日時】3月21日(日) 【会場】下北沢アレイホール■(下北沢駅徒歩1分)約70席 【開場】14:00 【開演】15:00【終演】17:00(予定)※終演後はお酒をお楽しみ下さい。 【料金】\3,150(税込み) 【企画・制作】ピンポイント(■) info@pinpoint.ne.jp tel:03-3755-0073 fax:03-3755-2993 【ドリンク・メニュー(各\600)】 ・生ビール(サーバーから注ぎます) ・ジンジャーエール(甘味のないドライ・タイプ) ・トマト・ジュース(絶品!北海道産“オオカミの桃”) ・響天(沖縄・蔵出し7年古酒・44度)お湯割り ・黒糖酒お湯割り(ジャパニーズ・ホット・ラム) ※飲み物のプロデュースは、経堂駅前でオーガニック酒に力を入れる「つき屋酒店」さんです。
▼ 今日、ぼくん中でヒットしてんのはBoaちゃんの「Shine We Are!」です。 なにをいまごろ?ええ、なにをいまごろです。DVD大画面+ヘッドホンでの視聴で、後方から空気圧のように迫るサウンド、きもちいいです。
平原綾香の「明日」のDVDライブ、にも、なにげに感動しているわたしです。 「あの星屑」と彼女は歌います。ぼくはぼくにとっての星屑をその歌詞に代入して聴いています。
おたる寿司が練馬平和台にできたらしく、「ねたが乾いたままいつまでも回っている」「注文してから10分は待たされた」「作っているひとが見えなくて注文したものもただ流されてくるだけ」と怒りの証言者が続々であるため、拡大基調の同社株は買わないように友だちにメール。
▼ DVD『呪怨』『呪怨2』を続けて朝に観たら、けっこう笑えて面白かった。設定のありえなさ、や、どのように効果音が配されているか、を、観た。 ありがちな文法的な枠内に収まっている効果音で、取って付けたような主題歌といい、サントラは面白くないだろう。
ぼくは昭和36年生まれで、怪奇大作戦、ウルトラQ、ウルトラマンを同時代的に、圧倒的な“刷り込み”で聴いた世代だ。 そのせいか、 即興、アヴァンギャルド、前衛、実験とジャンル分けされている音楽の受信においては、そのように聴いてしまっている。
つまり。ディレク・ベイリーの即興ギターを、エイオット・シャープのカーボーンのサウンドを、ハラダマサシのコンダンクションのサウンドを、そのようにも聴いてしまえている自分がいる、のである。ゼットンの声、ギャンゴの声、ゴジラの声、のように。 言うまでもなく、怪獣の声というのは、当時の最先端、現代音楽の作曲家たちが、電子音響スタジオで開発した“音”をベースに作られている。
このことは、当時6歳とか7歳だったガキどもは、現代音楽の最先端の成果を、ものすごい強度で聴取していた事実を示している。
また、たとえばディズニーのアニメにバック・トラックとなっているオーケストラ・サウンドの凄さ、である。 アニメーションの動きに合わせての即興的なオーケストラの演奏というのは、コンセプトとしては実に先行しているものだ。 このことを示唆したのは音楽評論家の福島恵一さんだった。
今日もしっかり音楽とたたかおう。
2004年03月08日(月) |
ジャズ評論家青木和富さんのサイト・成田正さんのサイト・音場舎通信63号(北里義之)で音響批評! |
今日は、カール・エマニュエル・バッハ、水上勉、水木しげる、高木ブー、江川達也、桜井和寿の誕生日である。 すごいコラボレーションができそうな面々、なわけないか。
▼ ジャズ即興関連の重要アクセスポイントをご紹介。
(1) ジャズ評論家・青木和富さんのサイトがあった。
青木さんがクラシックの黒田恭一さんと連載しているのはサライではなく、マリ・クレールでした。マリ・クレールは安原顕さんが編集していた時代のものを毎月購入していました。そこでセレクトされて紹介されるCDたちをぼくはよく聴いていた時期があります。
コラムも抜群に面白いし、ガルバレク公演の曲目もここにあったし。 ■bejazz
(2) 2月1日の日記■で紹介したジャズ評論家・成田正さんの “日本を訪れたジャズ、ジャズ系、ジャズがらみの音楽家の足どりを読むウェブ・データ・ベース” ■『CUSTOMS RECORD of JAPAN』 で、2003年12月31日の分まで入力し終えられた、とのこと。 文化的公共財と言っていいこの労作。みなさん、価値を高めるためにも、増補・訂正などの情報を提供してください。
(3) 1月8日の日記■で紹介した音場舎通信の63号が届く。 ペーター・ニクラス・ウイルソンについて書いたが、 今回の特集はそのペーター・ニクラス・ウイルソンによる 第8回ダルムシュタット・ジャズフォーラム講演「即興音楽の新たなパラダイム[前編]」(翻訳:北里義之)であった(!)。
「喪失の不安」「転極:ポルヴェクセル」という章だてがされており、“即興音楽におけるパラダイムシフト”つまり、いわゆる音響派的な表現についての考察がくり広げられている。 ポルヴェクセルって、クリスチャン・フェネス(デヴィッド・シルヴィアン『Blemish』でディレク・ベイリーと参加してるラップトップアーティスト)とのCDも昨年Erstwhileからリリースしている。 つまり、ミスチル・桜井和寿・小林武史〜坂本龍一〜デヴィッド・シルヴィアン〜クリスチャン・フェネス〜ポルヴェクセル〜ペーター・ニクラス・ウイルソン、という、まさに「ぼくらは連鎖する生き物だよ」的にミスチルファンも関心を持つべきところのものだ(半分本気だよん)。
▼ ラジオでかかっていたわけでもないのに、早朝の散歩をしていたらキッスの「Shout It Out Loud」(1976)が耳に鳴る。 カッコいいイントロのギターのリフから、脳内再生をしている。歩調が早まる。
JAN DITMAS ZELENKA (1679-1745)の全ソナタ集と全オーケストラ集のCDが、ニュース23「タガタメ」(ビデオ)をまた風呂上りに観て取り乱した鼻をかむのに手を伸ばした先のCDの山が崩れてきた中にあったものだから、感情の高まりを鎮めるのに再生し続ける午後。たしかハインツ・ホリガー(オーボエ)の名前につられて購入したんだ。
むかし、森高千里の『太陽』をカンペキに再生させるためだけに300万のオーディオを手にした友人がいた。
オーディオ装置は科学的に鳴るのではない。持ち主の人柄、音楽的素養があらわれるという、そういう代物だ、と、信頼すべき人物(オーディオ専門誌に常に氏の名はある)に教えられたことがある。 わたしは一関ベイシーから渋谷メアリージェーン、横浜エアジン、…、古くは、渋谷ジニアス、吉祥寺アウトバック、中野ビアズレー・オーブレー・いもはうす、水道橋スイング、横浜ちぐさ、代々木Naru、新宿DUG、国分寺プー横丁のお店まで、ほとんどを聴き抜いている。
瞬発的知性では銀行員が優れていても、持続的営みとして農民が優れている場合は多々ある。
ECMの『Solstice』(ECM1060)をカンペキに鳴らすために、オーディオショップに勤めあげ、スイスだかの輸入スピーカーに辿り着いてウェーバーの音を、この世のものとは思えぬ悦楽に聴かせた友だちがいた。 もう何年も会っていないけれども、彼とは永遠に近い思い出がたくさんある。
▼ 夕方に起床し、そば屋で親子丼+かけそばセットを食べて、風呂に入ってから出かける。
大きな満月が追いかけてくる。 川越街道を下って、環七に沿って千葉方面へ進むあいだじゅう、ビルの陰から、歩道橋のすきまから、陸橋を上って下りる中空に。 いつのまにか満月を追いかけて走っていた。
鮮やかに美しい月だった。 車で走り抜ける街や雑踏やコンビニの灯りの音がわずらわしく響いていても、月を眺めた瞬間に心地よいざわめきとなった。 輪郭がハッキリとぼくの目に映りはじめ、 呆然とただただ時間が止まったかのように味わっている自分に気付く。
子どもの頃に、眠りしな絵本を読んでもらっていた気持ちがよみがえってきた。
千葉のはずれまで走り、仕事に4時間遅れて、会社への言い訳を考えるのがとても楽しかった。
■musicircus
PS. 音場舎のことを書くと、わたしは月に惹かれる、のには、何らかのつながりがあるのかもしれない。あ、そっか、新月と土星に似つかわしい音楽が即興だと4年前にも書いていたっけ。
2004年03月07日(日) |
『呪怨2』の予告編見ただけでひとりでうんこするのに深夜2時すぎに友だちにケータイしたのはわたしです |
『呪怨』 『呪怨2』
こえー。しぶほぼこえー!タイトル言うだけでこえー!単語登録するだけでこえー!わー、なんで単語登録してしまってんだー、こえー!
セットでDVDになっている。
でもねっ。ぼくは深夜午前2時46分のスーパーの金庫の上方にくるくる回る首を見たり、銀行のロビーに濡れて立つ男性を見たり、7人の霊体にまとわりつかれて運転している若者を見たり、自殺された若者のご遺体を安置した霊安所に走った悪寒とか、満員電車で死臭をはなつひとがわかったり、神社で神さまの光がわしにではなく子どもたちに射しているのを見たりしたけれども、この映画はちょっとオーバーな気がする。
金原ひとみ『蛇にピアス』、すげー作品。 でも、ちょっとオーバーな気がする。
だけども、指し示すことがらは、やはり、この映画ならびに小説にしか還元できない内容を保持している。
音楽について。人間の聴取における物理的なフォーカス能力の凄さについて示唆した発言をしたのは大友良英だった。 心理的フォーカス能力、というものもある。 たいして興味の無かった演奏家の音楽が、その演奏家のファンに会って、2・3言葉を交わしただけで、もしくは一緒に聴いていたりするだけで、その良さがわかってしまう、ということがある。 名盤という評判をきいて、「これは名盤なんだ」と思っただけで、その名盤である勘どころを感得してしまうことも、ある。 信頼する音楽評論家のセレクト、というだけで、そのように聴こえることも、ある。 「たださん、マッコイは無視していいですから、ヘインズだけを聴いてみてください」だけで、すげーマイフェイバリットシングスがリアルに輝いたりする。
聴くことに対しても、バークリー音楽院のようなメソッドを採用しているリスナーたちもいる。
綿矢りさ『蹴りたい背中』を、なかなか読み進めないでいる。 スカートの中をゆっくりめくってみているみたいな心境に襲われてしまうのである。 もったいないので、ゆっくりゆっくり読んでいるのである。 この作品に対する文芸批評だけは、ぼくは読まないと思う(笑)。
2004年03月06日(土) |
定義「音楽の三大始祖は、ジョーミーク(joe meek)ムーンドック(moondog)シャッグス(the shaggs)である」 |
友だちが遊びに来てCDを聴きまくった。純粋に聴きまくった4時間セッション。 次々にCDを取り換えながら耳の全力疾走をしている不良中年二人組。
『LOVE SONG / 菊地雅章 piano solo』『メランコリー・ギル /菊地雅章 piano solo』、シャッグス『philosophy of the world』、ノッコ『coloured』、アラン・ジベール、アランシルヴァ『インザトラッディション』、丹下桜ベスト、バリーガイ+マッツグスタフスン+ポールローベンス、ポールマッカートニーベスト、ジョーヘンリー『scar』、グラッシーヌールIII、レジデンツ『ノット・アヴェイラブル』、ムーンドック、花花「さよなら大好きな人」、shiina『大きなあなた小さなわたし』、Coccoベスト、映画「タクシー・ドライバー」サントラ完全版。
以上のようなメニューでしたっけ。これらでセレクトCDRを作ったらすげーもんが出来上がるぞ。
ここで主張したいことは次の3点である。
(1) 音楽の三大始祖は、ジョーミーク(joe meek)、ムーンドック(moondog)、シャッグス(the shaggs)、である。 シャッグスはオーネットコールマンのハーモロディクスである、間違いない。
(2) 『LOVE SONG / 菊地雅章 piano solo』を廃盤にしたままであってはならない。
(3) ポールマッカートニーを侮ってはならない。「カミングアップ」は、プリンスの出現を予言していたものである。
それだけか?もっとあった気がする。
花・花の「さよなら大好きな人」は、父親が亡くなって作って歌だ、と、話していたら、「ぐううー、いい歌ですねー」と涙を浮かべて聴き入ってしまう不良中年二人組(「ちっとも負けている気がしていないがどうやら負け組であるらしい」が定義)の午後。
いけねー、口ずさんでいたら、また泣けてきちまったー。
2004年03月05日(金) |
「Everything (It’s You) / Mr.Children」 |
「Everything (It’s You) / Mr.Children」 (ちょっとラフに書いたので、後に加筆したい。参考意見求む。)
子どもがいて、カミさんもいて、それでもいやおうなく誰かを好きになることは、ある。 「Everything (It’s You)」を歌ったときの桜井くんがそうだったと、思う。 そのようなシチュエーションでなくしては、この曲にあれだけのリアリティは感じない。歌詞の必然がない。
「STAY 何を犠牲にしても手にしたいものがあるとして それを僕と思うのなら もう君の好きなようにして 自分を犠牲にしてもいつでも守るべきものはただ1つ 君なんだよ いつでも 君なんだよ」
何を犠牲にしても手に入れたいきみ、を、手に入れるためには、いちばん犠牲にしたくない家族を犠牲にしなければならない。 家族を犠牲にするなら、自分が犠牲になったほうが、まし。 「もう君の好きなようにして」 自分で手を下せないでいる家族という犠牲。 STAY は、そこに居て、待っててそこに居て、今すぐに行くから。 でも、行けない。 「僕が落ちぶれたら、迷わず古い荷物を捨て君は新しいドアを開けて進めばいいんだよ」 自分が払う犠牲が君にとっての重荷には決してなってほしくない、という叫びがこの一行の背後に横たわっている。
かなり辛い状況下でのラブソングである。 聴いてみるとわかるとおり、”STAY”を基底にして丁寧に韻を踏んでいる。そこに、“正気”を漂わせているあたりに、桜井の凄味がある。
桜井くんはこの曲のあとバンドを休業させて“君”のもとにたどりついた。
2004年03月04日(木) |
ミスチルをミスチルたらしめているJen・ニュース23「タガタメ」演奏後の放送会話内容全文 |
ミスチルをミスチルたらしめているJen、であることがいよいよはっきりしてきた今日この頃、です。 ミスチルのことなら毎日でも書きたいぞ。
ミスチルのシングル『掌・くるみ』がサイトでアナウンスされたときの映像、ホワイトボードがガタッと落ちるシーン、ピアノでの「くるみ」のイントロ(これもCD化してほしいなあ)、は“directed by Jen”でした。
ミスチルのドラマー鈴木くんが、なぜ“Jen”と呼ばれるのか、は、スズキのスクーター“ジェンマ”から、“Jen”と呼ばれるようになったそうです。
桜井くん田原くん中川くんは同じ高校で、ドラマーに鈴木くんを誘ったところ、浅香唯主演の映画『柔』の男優役のオーディションの結果待ちを理由に延期され続けていた、という話(ありえねー!)も、なかなかいいエピソードで笑える。
ミスチルの楽曲におけるタイコの凄さを初めて感じたのは「口笛」で、です。(ちょっと遅いかも、です。) このJenのタイコの良さ、について、ちょっと古今東西のタイコにくわしい友だちに分析してもらいましょう。 <分析テキスト(近日アップ予定)>
年末からTV出演して「くるみ」を3度ほど歌っているミスチルの映像をチェックしてみて気付いた(今ごろ)のだけど、 「くるみ」の桜井くんの歌唱に見事なバックコーラスを入れているのは、“Jen”なのです。
桜井くんと“Jen”は、ただの酔いどれちんぽだしブラザーズではない、音楽史に残るコンビだと思います。
▼
繰り返すけども、ニュース23「タガタメ」、演奏セット、すべての演奏、桜井くんのすべての歌詞の一字一句の表現の強さ、 カンペキだ。DVDでリリースすべし。放映されなかった関西圏のファンへの償いとして、TBSは尽力すべき。 こんな演奏、人生でそう出会えるものではない。
2・20日記に書いた内容を補完する意味でここにアップします。
『ニュース23「タガタメ」演奏後の放送会話内容全文』
草野アナ 「どうも、ありがとうございました。…ずーんときましたね。」 筑紫 「すーごいね、あの、強い歌なんだけども、どういう、いちばん気持ちを込めてこういうのを作ったんですか?」
桜井 「うーん…、まああの、気持ち、いっぱい込もっているんですけど…。 でも、あの、たかだがミュージシャンが、あの、社会のこととか、を、歌っている、というのではなくて…。 あの、こうやって、声高らかに、歌ってますけど家に帰れば、 嫁のひとりも説得できないような、はは(笑)、人間が集まって、やってるんで…、 それをなんか、歌いながら、自分に突っ込み入れながら、はい、やってますけども…。」
草野アナ 「プロデューサーの小林さん。小林さんのこの曲にかける思いは。」
小林 「いや、まぁ、こういう歌を歌うというのは、それ相応のリスクというか、 理解されないようなこともあるのかと、そういう思いは作っている時からありましたけども、 こうやって今日のようにたくさんのミュージシャンとやって、音楽として思いをひとつにやれるということがいちばんいいと思いますし、 こうやって連鎖してゆくということが、それがやっぱり、作ったときからの願い、という、そんな感じです。」
筑紫 「桜井さんはたかがミュージシャンと言ったけどもね、 アーティストというのは、人より敏感に世の中に吹いている風とかそういうのを感じ取ることで成り立っていると思うんです。 やっぱり、こういう歌を作りたくなる、一種、この世の中の空気をすごく感じているのかな、と、思ったんだけど。」 ★出た、芸術家=カナリア説。古い左翼がよく使う。今ではみんな小学校高学年でマスターしてるぞ。
桜井 「そうですね、事件とか悲しいニュースとかありますけど、そこの責任追及するんじゃなくて。 自分の内面に責任とか原因の一端はあるんじゃないかということを常に感じていたいな、と、思いますけど。」 ★この桜井の言葉は、報道メディアにある人々へのこの上ない痛烈な批判になっていることに留意。
筑紫 「被害者・加害者という言葉がありますけど、これは子どもの世界で起きていることではなくて 大人の世界のもの、というのはありますよね。★「ここで小林武史の飽き飽きとしたという表情がアップされる」 それにしても、ガーンとくる歌をありがとうございました。」
■musicircus
2004年03月03日(水) |
「DIWレーベル総帥の沼田順さん、退社」・「金大煥(キム・デハン)逝去」 |
くそー、風邪だ風邪だー。3年ぶりに発熱で仕事をキャンセルした。どろんどろんになって眠っていたが、現在回復基調。わたしの持論では、風邪は定期的にひくべし、ときに泥酔してからだを酷使すべし、ときに“接して漏らさず”6時間セッションでからだを酷使すべし、というのがあるので、たまにはいい。今日の日記は、ふたつのニュースを。
▼「DIWレーベル総帥の沼田順さん、退社」
ディスク・ユニオンのDIWレーベルで、ヘンリー・スレッギルをはじめとするPI RECORDINGSの国内盤化、大友良英ニュージャズクインテットや、北欧のピアノトリオ・ヘルゲ・リエン・トリオの制作などで辣腕を振るってきた沼田順さんが退社した、というニュースが飛び込んできた。
彼の手がけたCDの売り上げは決して悪くはなく、むしろ聴衆を開拓していた側面が大きかったものだから、余計にびっくりである。 ジャズ・即興・前衛・アヴァンギャルド・オルタナティヴ界隈のリスナーにとってはとっても痛いと思う。 「なにも、辞めることないじゃん」という状況だし。
『幻野 幻の野は現出したか〜’71日本幻野祭 三里塚で祭れ』(■)のブックレットでの沼田さんの仕事を読んでいた矢先だった。
どうしてですかー?これからどうするんですかー?、とは、わたしも尋ねなかったものの、 氏は、DIWの仕事を邁進している時期に「いまミュージシャンの著作権や印税のことを勉強しているんだけどさ、いかにミュージシャンが不利な状態にあるか、ただくん知ったらびっくりするよ」とおっしゃっていたし、 昨年の四谷いーぐるでの講演『ジャズ破壊史観』では、「このところ売れるジャズのCDのトップテンのうち7割以上がピアノトリオなんですね。それに対しての個人的な欲求不満でこういう選曲をしましたー」というアナウンスがあって、大友良英ニュージャズクインテットからオーネットコールマン、ポップグループ、ノイバウテン、アートサンサンブルオブシカゴといった選曲で聴衆の度肝を抜いていたこともあるし、 あと、『日本フリージャズ史』を執筆した副島輝人さんとイベント(■)を行っていたこともあるし、 次に何をするのか、は、とても期待できると思っております。
氏はギターも奏でるというから、大友良英さんが多忙のために抜けたデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンに参加という可能性もある。
▼「金大煥(キム・デハン)逝去」 3月1日に、肺結核のため、急逝。
■
金大煥のプロフィール キム・デハン(ドラム、パーカッション) 現在ではフリージャズのフィールドで活躍している金大煥は姜泰煥(カン・テファン;アルト・サックス)トリオで広く紹介された(近藤等則が企画したTokyo Meetingで来日)。その後、単独の来日も含め、幾度も日本を訪れている。殊に両手に3本ずつ計6本のマレットを用いて多彩なリズムを生み出す奏法は有名。 生まれは1933年11月25日、ソウル近郊の港町仁川(インチョン)。兵役時代に軍のブラス・バンドでドラムを始め、60年代中頃、ヴェンチャーズやビートルズを手本にしたエレキギター・コンボ“ADD4(アド・フォー)”に参加。このバンドは大韓民国初のグループ・サウンズだった。60年代末にADD4は解散し、その後、アイドルスやキム・トリオといったバンドを結成して活動を続けた。キム・トリオには日本で演歌歌手として有名な趙容弼(チョウ・ヨンピル)なども在籍していた。70年代には大韓民国GS協会の初代会長になるなど各方面からの信頼も厚い。 また、般若心経283文字を米粒ひとつぶに刻む(ギネス・ブックに掲載されている)微刻(びっこく)という書の大家でもあるが、その技術は大統領からも注文が来るほどである。
■musicircus
2004年03月02日(火) |
パットメセニーはノルウェー種だった(成田正)・「タガタメ」ニュース23ライブ音源を緊急DVD化しろ |
この『ロヴァ耳日記@練馬平和台』へのアクセス・ランキングが落ちてしまっている。書く密度もユルくなっている。昨日の日記に加筆した。
ジョーヘンリーも田村夏樹も菊地雅章テザートムーンも渋さ知らズもトーマススタンコも『何語で?』もジミーライオンズボックスセットも坂本龍一も『マグノリア』のサントラ(ジョンブライオン)もクレイジーケンバンドベストもラルクアンシェルも、ロレックスデイトナもJALの株も『アドリブ』誌3月号もダノンヨーグルト4個パックも手に入れた。しかし、音楽聴取時間が仕事の移動中にしか、だいたい2時間くらいしか取れなかった。そのくせ知り合ったおねえちゃんに付き合って浜崎あゆみのライブDVDをしっかり観ていたりする。よっちゃん(野村義男)のギター、また上手くなってないか?浜崎あゆみって、エジプトのツタンカーメンみたいな顔なんだなー。Hitomiによる浜崎あゆみカバーアルバムを聴いてみたいぞ。
2・14に書いた日本チャーリーパーカー協会会長“辻バード”こと辻真須彦さん(71)の2回目の放送を聴き逃してしまった。惜しい。そういえばこういうことも話していた。「ボクはね、サックスをやっていたから、ちょっとジャズ評論はできないんですよ。ジャズ評論をするひとというのは、たいていがリズム楽器を司っているベーシストかドラマーなんですね。」これが意味するところは深いと思うのだけど、どうだろう。
▼ 『アドリブ』誌3月号にジャズ評論家の成田正さん(2・1日記参照)がパット・メセニーについて興味深い指摘をしていた。 ECMファン、メセニー・ファンには、スクープと言えるような内容だ。
「ウチの裏庭でギターを練習しながら見上げたカンザス・シティの空の向こうには、きっと面白い世界が広がっているに違いないとずっと思い続けていたよ」(パット・メセニー)。
『トランペットを吹いた祖父のビヨルン・デルマー・ハンセンは、ノルウェイからウィスコンシン州に入植した移民二世。お父さんも実兄マイクもトランペッターで、パットも一時は目指したことがあったのは良く知られている。曾祖父が入植したのは19世紀末のことだそうだ。 少年が空の向こうに探したのは、ひょっとすると北欧ノルウェイから吹いてくる風だったのかも知れない、というのが、これを聴けば聴くほど膨らんできた見立てだ。』 『「ニュー・シャトゥーカ」の曲説明で、曾祖父が「シャトゥーカ座」といって、いわゆる旅芸人だったことに触れている。「ニュー・シャトゥーカ」とは、ツアーで飛び回るパットを見た祖父デルマー・ハンセンが言い出したフレイズだそうだ。「やっぱり血は争えないんだなあ」と痛感したらしい。80年に他界するまで、パットや家族と何度もジャム・セッションし、朗々たるプレイを披露。』
ちょっと引用し過ぎな気もするけど、面白い事実が披露されています。全文についてはぜひ雑誌をご購入ください。
メセニーの音楽はアメリカの大地の上ミズーリの空の下で醸成されてきた、というわたしの中の常識的なイメージが、ひゅっとノルウェーの凍てついた空気につながってしまう、のである。
▼ パット・メセニーの自選ベストがユニバーサルから発売されている。 『ECM 24-bit ベスト・セレクション パット・メセニー』
1.ブライト・サイズ・ライフ 2.フェイズ・ダンス 3.ニュー・シャトークァ 4.エアーストリーム 5.エヴリデイ(アイ・サンキュー) 6.イッツ・フォー・ユー 7.ついておいで 8.ザ・ファースト・サークル 9.ロンリー・ウーマン
ふーん。ま、メセニーが自分で選曲したんだからなー。たしかに音楽の果実っぽさは濃密な気はする。まだ聴いてないけど、まず聴かないな。 なんつったって、わたしにとって『アメリカン・ガレージ』というのは、ECMレーベル全カタログの中で最下位を争う代物。 「オザーク」を入れろ!「ザ・バット・パート2」を入れろ!
ごめんごめん。こないだメセニーの最高傑作は『Quartet』って言ったけど、やっぱやめ。
『ミズーリの空高く〜スペシャル・エディション [LIMITED EDITION]』DVD付き、というのが出ているではないか!やっぱこれにする。
このCDの、ジム・ウェッブの曲「The Moon is a Harsh Mistress」、この曲はたまらん。聴き始めると、あごがはずれて、せぼねがゆるんで、うんこがむりむりでてきてしまうような、まるで北斗神拳で秘孔を突かれたかのような状態になってしまう。車を運転するひとは気をつけなければならない。運転手はそのようになってしまうし、車も走行中にハンドルがはずれて、サスペンションがゆるんで、タイヤがばらばらはずれていってしまう、じゃじゃ馬億万長者みたいになってしまうのである。
▼ 小田和正のニューシングルは『まっ白』というもので、それは、年末に桜井和寿に引導を渡されたときの頭の中のことか、と、思ったけど。
友だちが、こないだの筑紫哲也「ニュース23」でのミスチル「タガタメ」を、もう20回以上観ているという。もう、この演奏、でなくしては、ならないと力説している。たしかに、すごい演奏だった。世の中に熱を与え、光をはなつ曲だと思う。
それで犯罪は無くなったりはしないだろう。さっきニュースで、どっかの産婦人科のじじいが、本来なら帝王切開しなきゃなんない生まれてくる赤ん坊を、吸い取り器具でもってアタマを引っ張って引っ張って無理やりに引っ張って胎児を取り出して、やわらかい胎児の頭蓋骨の中身がぐちゃぐちゃに出血してその赤ん坊は死んでしまったのだそうだ。頭の中、真っ赤、だったのだ。おい小田和正、そんな歌歌ってエンターテイメントなんて言ってる場合かよ、「生まれ来るこどもたちのために」を歌った小田さんはこの事件をきいてどう思われますか?
テレビ局は交通事故の凄惨な場面を放映したほうがいい。医者は算術であってはならない。愛国心なくして倫理はない(福田和也)。労働基準監督署は仕事をしろ。ルールを作ったらそれを守れ。
■musicircus
2004年03月01日(月) |
昔から音符がきらいだった。 |
現在、ECMのサイト(■)を開くと、 『Suspended Night / Tomasz Stanko Quartet』のジャケットがそこにはあり、
「Think of your ears as eyes」
と宣言にも似た。
これ、ほとんど、“書”でしょ。
だから、シャレじゃなくて。
視るが如くに聴け、ということかしら。
昔から音符がきらいだった。 ドレミを知らずにハモニカを吹きまくった幼稚園児だったわしは、小学校低学年に『こどもクラシック名曲EP付き全集』みたいのをあてがわれ、小学3年生になると、クラスのかわいい女の子(ますみちゃんとくみこちゃんとともこちゃんとまゆみちゃん)がみんな音楽クラブに入っていたので、当然わたしも「ぼくも音楽が好き」と大ウソをこいて、でもやっぱり音符を読むのを拒否したため(このあたり、オーネットコールマンを思わせる)、しかたなく大太鼓を担当した。大太鼓は楽で、曲によってはほとんど叩かずに、かわいい女の子たちがあんなんなったりこんなんなったりしながら奏でる演奏に至近距離から酔えた。大太鼓をナメてはいけない、一撃で音楽を瞬殺するものだ。相棒の小太鼓を担当したKくんは理論家で、中学に上がるとわしと共闘しプチ学生運動をした。プチ学生運動と歓ばれるスカートめくりで人気者であったわしは、常に合唱コンクールの指揮者に選ばれた。指揮者なら音符がわからなくても歌を歌わなくても、かわいい女の子のあんなんなったりこんなんなったりした素顔を正々堂々と眼差せるこの上ない立場である。中学時代のオカズはエロ本要らずであった。全校トップのリズム感と指揮者ぶりと自分に言いきかせていたら、中学1年初出場で優勝してしまった。将来は指揮者になるのが夢だという3年生を抑えての優勝じゃった。技術ではないのだ、音楽は愛なのだ。アファナシエフもそう言っている。「あのときだけだね、アンタに才能があると思えたのは。後にも先にも」。おふくろー。
のちにKくんは早稲田に進学し、民青に身を捧げ、共産党員になり議員になった。大学時代にパンクやフリージャズを聴いてたKくんは「ただくん、いま金大中を救わないでいいのか!」と詰めるもので、「金大中より大三元。ぼくはガールフレンドとマージャンとECMをえらびます」と訣別した。音楽とは体制の中にあって、反抗がどうの、民衆のちからがどうの、と、説教をたれられたが、わたしはようやく14ヶ月越しの片思いが実ってあこがれのじゅんこちゃんに中指第二関節まで許されたばかりという、まさに人生の究極地にあったため、ただ、そうはさすがに話せない純情だったもので、だしぬけに「金大中も必死だろうが、わしも必死なんじゃ!」と叫んで彼のアパートから脱走してきた。すべてに理由はあった。
思えば、わたしにとって、音楽はヴィジョンとして現れていた。
かわいい女の子のことではない。
音楽を聴くと、図形とか色彩とか風景とかオーラといったものを感じ続けていた42年であった。
あれ。べつにわたしは死んだわけではない。わたしが言いたいのは、なるほど、「Think of your ears as eyes」は、21世紀にECMが提出してきた、「the most beautiful sound next to silence」に次ぐ新しいコンセプトであると言えよう。しかし、わたしの感覚からすれば、むしろそうであることを今ごろわかったのか、と、アイヒャーにわしは言いたいのだ、なんてな。
マネリ父子の即興が描くヴィジョンはいいぞ。
田村夏樹の『コココケ』も、今生きている音でもって意識を開いてくれる作品だ。
それにしても『Suspended Night / Tomasz Stanko Quartet』は沁みる作品だ。 引き伸ばされた夜、なるほど、聴いていたら夜が明けて昼になってしまった。 洗濯ものも干したし、眠ろう。
■musicircus
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