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2004年04月19日(月) 今さらレポ。

13日(火)のいいともに行くことができたので忘れないうちにと水曜日にレポをUPした。
UPしてから一緒に行ったYちゃんに
「なんか抜けてるところや中担ならではのツボがあったら教えて」ってメールしたら
案の定大事なことが抜けてたりしてたので
付け足しレポができたら日記でお知らせしようと思っていた。
ところがその後めちゃくちゃ忙しくなっちゃって
レポはおろか、増刊号も見れていない。

で、何やら増刊号では火曜日の放送終了後の話が流れなかったらしいと伝え聞いた。
タモさんは確かに「これ放送するから」と言っていたのに。
そうしたら今日Yちゃんから「梶原離婚したんだって。だから増刊号やらなかったのかな?」とメールが。
仕事の前にちらりとYahooのトップを見たら、あらホントだニュースになってる。
話の中に嫁ネタが出てきたから流すのは微妙だったのかもしれないし
離婚が決まってたばこ吸わなきゃやってらんねぇ!な気分になってしまったのかもしれないね。
流れるはずの話が流れなかったのは残念だけど
今は「梶原がんばれ」って思っちゃうな。


なーんて、話が全然わかんないと思うんでレポ読んでみてください。
付け足しレポはまだしてません。悪しからず。

★いいともレポ★



2004年04月10日(土) いろんなこと。

いいともオープニングでびっくり。
髪を切って茶髪になってる!!
中居が茶髪になって大喜びだったところへ剛も茶髪でうれしーー!!
だけど茶髪ならもう少し長い方が良かったかな。
どんなビジュアルでも剛は剛だからOKだけど。

1位を当てちゃいけまテンで出てきた30品目サラダ。
町田のルミネにも売っていて、ダイエットを始めたばかりの頃は
「食べる量を減らしてるんだからせめてバランスのいいものを」と思ってよく買ってた。
でも100g380円だからね〜、最近買ってない。
最近はもっぱらこんにゃく畑。←バランス悪すぎ。

ルミネと言えば、今日はアド街の特集が町田だった。
見慣れた景色なのにテレビの画面で見るとなんか新鮮。
ダイソーもBOOK OFFも町田店が日本一大きいなんて全然知らなかった。
これがフツー(よりちょっと大きめ)だって思ってたからね。
そうか〜日本一だったのか〜。
久美堂も円マックもマルカワもよく行きます。
(・・・と書いているけど果たしてアド街を見た人はいるんだろうか?)

スマステ、今日から吾郎のコーナーが始まるから一応録画しておこうって思ったの。
録画しておいてサムガ聞こうと思ってたら
裏スマに剛がちゃっかりいるじゃないの〜〜〜!!!!!
普段はスマステ録画しないのに、剛に呼ばれたわ〜(^o^)
こりゃ〜サムガを後で聞くしかないかなと思いつつラジオもテレビもつけていたら
サムガは器の話だから聞きたいし、スマステもいつ剛が出てくるかわかんないし。
仕方なくサムガとスマステの二重音声で聞いてた。
結構聞き取れるもんなんだな、これが(笑)。
サムガが終わってスマステオンリーになったのはいいけど
やっぱり剛は出ないのかな〜とあきらめて録画ストップしようかと思ったところ
ベラベラで外人と一緒になって拍手してる剛・・・。
「カモーン」とか言っちゃってるし。
思わぬところで生剛に遭遇できて超ラッキーな気分♪
エンディングで「いろいろあって・・・」って言いかけて切れちゃったのが気になるぅぅぅ!
スマステ後の99SHOPのCMも捕獲。
今日は剛運があった。

片耳で聞いていた器の話も良かったな〜。
ホントに和賀英良になりきってたんだね。
役にのめりこむっていうイメージがあんまりないだけに、改めて中居の心意気にホロリ。
我が家でもまだまだ器を引きずっていて私、娘、息子の3人で宿命の練習をしてる。
今日は、いつも貸し出し中になっていた器のサントラがあった!と息子が借りてきてくれたので
サントラに合わせてピアノを弾いて和賀気分を味わった。
もちろん難しいとこは弾けないけど、指だけは弾いてるふりの中居気分も満喫。

ベイスターズは連敗だけど、私は平和だ。



2004年04月08日(木) スタート。

昨日は息子の入学式だった。
さすがに高校の入学式、式辞の最後に新入生にあてて校長から英語のメッセージがあった。
3分ぐらいのメッセージだったけれど「car」を「cre」と書いていた息子も
今ではこのメッセージを理解できるぐらいになったんだな〜と思ってちょっと感慨深かった。
掲示板に合格の報告をした時にDっちが
「以前は日記に息子くんのネタが結構あったのに」という書き込みをしてくれたけど
なんとなく家族ネタは自然と避けるようになっていたかなぁ。誰が見てるかわかんないので。
・・・なんて考えつつ、中学入学の日の日記を読み返してみた。
朝から制服を着るのに悪戦苦闘する息子。
長すぎたネクタイも3年になるとちゃんと締めないで胸のあたりで結ぶようになり
ぐーんと背が伸びて卒業式には制服がつんつるてん。
制服のない高校に進学したので、卒業式に「もう制服を着ることはないんだね」って写真を撮った。
ユースケとか氷川きよしとか、好きなタレントは男ばっかり・・・なんて書いてあるけど
いつの間にか携帯の待ち受けはあるタレントのおっぱいボーン!な水着姿だったり(笑)。
ま、心配かけるわけでもなく、普通に成長してくれてるんじゃないかな。

そんな息子の本当のスタートはおとといだったようで。
おとといは待ちに待った横浜スタジアムの開幕戦で、朝からいそいそと出かけて行った。
6時プレーボールだからいくらなんでも早いんじゃないのと言うと「熱いファンは朝から行くんだ」と。
シーズンオフには選手のサイン会に行ったり
テレビ神奈川のベイスターズの番組を忘れずにチェックしたり
「誰だよそれ?」っていうような新人選手について熱く語ったり。
一人で試合を見に行くのも初めての時は心細かったみたいだけれど、今はもう全然平気。
隣にいたおじさんにコーヒーをおごってもらったとか
前にいたお兄さんはわざわざ福島から応援に来たらしいとか
それなりにコミュニケーションをとっているみたい。
なんかスマファンに通じるものがある・・・。
対象は違えど「熱いファン」を身近に見てるとこうなるんかいな(笑)。
とりあえずベイスターズも開幕こそ連敗したものの
現在4連勝中、しかも阪神を3タテで最高のスタートを切り、我が家は平和。



2004年04月02日(金) 塵も積もれば。

朝、Yちゃんから「今雑誌の整理をしている」とメールが来た。
ちょうど出かける予定がキャンセルになったので
この3ヶ月間でものすごいことになっている雑誌を私も整理することにした。
整理と言っても切り抜いてファイリングをする気力があるはずもなく。
雑誌ごとに古い順に並べて積みなおしてみた(笑)。
違う大きさの雑誌を積み上げると下にある雑誌にクセがついてしまうので
5冊ぐらいの山が部屋のあちこちに出来ていて、
部屋を歩く時は山をまたいで数少ない隙間を移動していた。
本屋の袋に入ったままの雑誌やかばんに入れっぱなしの雑誌もあり。
なんのために買ってるんだか、自分のことながら呆れる。

改めて並べて見るとSMAPはホントにすごい。
どの雑誌もSMAPの誰かが表紙になってる。
ってゆーかただでさえ出費が多かったからスマ以外の表紙の雑誌は買ってないってのもあるけど。
SWITCHは雑誌のどのコーナーにあるのか見当がつかなくてまいった。
音楽雑誌のコーナーに置いてあったけど、どう考えても音楽雑誌じゃないだろ。と中を見て思った。
韓国語ジャーナルやセセデは友達に教えてもらわなければ全然知らなかった。ありがとうm(__)m
キネ旬は発売当日の夕方に近所の本屋2軒まわったらもう売り切れていた。
「こんなにすぐになくなるはずないんですけど」と店員さんもびっくりしてたっけ。
やっと見つけてペラペラめくってみたらビーナス関連がいっぱい載ってたから嬉しくて2冊買っちゃった。
雑誌を買う時に恥ずかしいという感覚はとうの昔になくしてしまったけれど
剛の表紙の雑誌3冊をレジに出す時はちょっと恥ずかしくて
TV naviとBS fanの間にアノTarzanをはさんでレジに出した。
MOREとかCan Camとかありえない雑誌も買ってしまったし。(重いよ・・・)
Wちゃんに「日経エンタの剛は笑っちゃうほど短足だったよね」って言われて全然思い出せなかったけど
案の定本屋の袋に入ったまま積まれていた。ホントに短足だった(爆)。
雑誌だけじゃなくて新撰組の本を買ってちょっと勉強したりもした。
砂の器の原作は家のどこかにあるはずだけど
探しても探しても見つからないから中居の帯付きを買っちゃった。
塵だか宝だかわからないけど、積もってホントにすごいことになっちゃったよ。



2004年04月01日(木) 新年度スタート。

桜満開、あったかくてのどかな新年度のスタートにふさわしい1日だった。
でも、気分はちょっとばかりブルー。
先生方の異動が発表になって、息子がお世話になった先生が転勤されることになった。
教職員の異動があるのは当たり前のことなんだけれども。
卒業式で日の丸問題が勃発。
当事者であるその先生が処分されるかも・・・と心配していたところやっぱり異動なのかと。
懲罰人事なのかどうかなんて私たちは知る由もないし、
3年生を卒業させてひと区切り、別の学校へというのはよくあるパターンなので
これはもうどうすることもできないんだなぁ。
私が学校現場にいた頃は、日の丸君が代は校長の裁量にまかされていた。
もちろん校長への要求など、さまざまな議論はあったけれどうまく折り合いをつけていたと思う。
それが、教員としてでなく母親として、我が子の卒業式で目の当たりにするとは。
ひとつだけ救われるのが、子供たちがその先生の行動を
(行動したのは一人の先生だったけれど3年生担当の先生の総意だったらしい)
自分たちなりに考え、理解し、なんとかできないかと連絡を取り合っていたこと。
父兄も卒業式が終わったというのに臨時の保護者会が何度かあったのだけれど
子供たちも自分たちのネットワークで動いていたというのが頼もしい。
願いはかなわなかったけれど、思いは先生に届いたかな。


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