Land of Riches


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 2001年09月29日(土)   10周年記念祭 

10年前…スワローズにすら夢中になる前、のはず。翌年から野球にはまったのです。
サッカーも好きなスポーツだったので(なぜなら小学校時代、素敵な男の子はみんなサッカー少年団だったから)
それなりには見ていたけれど、まさかここまで夢中になるとは思わなかったです。
だけど、かつてスワローズへ注いでいた愛情と今の私がアントラーズへ向ける愛情は明らかに別物、です。

私がジーコハットトリック一面の中日スポーツを買ったのは、前日に伊藤智仁さんが勝ったから。
あの年は…1993年は、ただ勝つだけで新聞を買う習慣がついてました。


 2001年09月27日(木)   CALL 

いろいろと細かい更新が各所(今、私はいくつサイトを持っているのだろう…)で必要となったため、
禁断の(…)夜更かしをしつつ、一気に片づけました。本当、ささいなことばかりですが。

今日はロータススクリプトと一日格闘(インストラクター付き)した後、
正社員として初めての給料も出たことだし…と、瑞穂―ナビスコカップ名古屋 vs 横浜と迷った末、
大曽根へ…ナゴヤドームへ行ってきました。ドラゴンズ vs スワローズ。
どう考えても火曜に好投した山部さんのせいですね。投げてるのが my honey だったら、
昔―はっきり言えば高校時代―のように、自チームの攻撃より守備時の方に神経を集中し、
指を組んで祈りながら熱い視線で見つめている、きっとそうだったはずです。
今日も、よく知らない投手が20番を、かつて my darlin' がつけていた番号を
背負ったピッチャーが投げているというだけで、やっぱり投手至上主義で見ている自分がいましたから。
スタメンでは両外国人と岩村さんが知らないぐらいで、後はかつての記憶でも十分に対応できるナインでした。

一番印象的だったのは、代打池山がコールされた瞬間、手拍子(メガホン拍子?)中心の応援を繰り広げていた
応援団が、すぐにトランペットでテーマを吹き始めて、みんな―私を含めて―突然声が大きくなったこと。

♪今だ打て 池山 バットが火を噴くぞ 狙えホームラン レフト場外へ♪

ちょうど、アントラーズのサポーターが「ハセコール」で盛り上がるのと同じ調子です。
池山さんが(ちなみに古田さんと同い年)がスワローズ内で“そういう存在”になったんだな、と思うと
予想以上に時間が流れて“なかった”とはいえ、そこに確実に時の流れはありました。
ビニール傘にご贔屓選手の名前を貼ったギャルやお姉さんも少なくなりましたし…。

傘といえば、私が高校時代、M嬢からバースデープレゼントに頂戴した傘は、もう使えなくなりました。
そこに貼られた人は、今、ファームでピッチングコーチをしているのです…以前にも書きましたが、
岡林さん(古田さんたちより年下)が指導者の道を歩んでいる、それが一番の変化でしょう。
あとは伊東さんが一軍の投手コーチだったり、“消えて”いるお陰で忘れかけているけど、
川崎さんはもう違うユニフォームを着ていたりと、私が青春を捧げた対象は“今はなく”、
対象がなくとも記憶だけが、多少ならぬ美化を受けて残っている、そんな有り様です。

昔は今中さんか山本昌さんが先発だというだけで、負けを覚悟したものですよ。
ドラフト高卒同期の今中さんと川崎さんが―かつてエースと称賛された人が
揃ってファームで調整しているなんて、正直、信じられなかったりします。

これも前に触れましたが、野球選手はサッカー選手より選手寿命が長いので、
山あり谷ありを歩む時間も長いわけで、そう考えるとサッカー選手は閃光のように
ギラッと煌いて、そのはかない煌きを愛でるものなのかな、とも思います。
(無論、サッカー界にもカズや森山ゴリ氏のように、長くいろんな道を経ている人もいます)

人生の起伏は、何もスポーツ選手の専売特許ではなく、誰もが持つものですが、
プレーヤーのそれはコントラストがはげしすぎて、他者から見ても心揺さぶられるのです。


 2001年09月20日(木)   空洞 

今日は欠勤やら出向やらの人が多くて、オフィスはガラガラ。
かつて、あの人から聞いたエンジニアライフ―出退勤の挨拶しかしないというのも
あながち嘘でも誇張でもなくて、家へ帰ってからも自分のところと
興味が継続できている片手の指で数えるほどのサイトを回ったり、
気が乗らないのに書かざるを得ない(今スランプなんですよ…ネタ練り助っ人大募集)
文章をぱちぱちとタイプする余裕のある晩の方が珍しいぐらい、
帰宅→食事→入浴→睡眠という必要最低限の日課しかこなせない、
それすら面倒でかなわないという有り様です。
文章の接続がおかしいですね…えっと、誰とも話さずに終わる日が存在する、それが言いたかったんですよ。
「挨拶」や「連絡」は「会話」とは違うと思っているので。

望んで歩んできた―結果的にとはいえ―道で、他者との接触を極力嫌い、
コミュニケーションスキルの欠落を補うどころかどんどん穴を大きくしている、
それが世間…違うな、ヒトが集まって構成される社会に対するスタンスです。

一人一人のヒトは独立した生命体ですから、他人の干渉を必要以上に
受けることもないのですが、とはいえニンゲンはやはりヒトの間と書くわけで、
鳴らない携帯―無料分を半分以上無駄にしている現状は、やはり寂しくはあるのです。

価値観の差異が避けられないのが分からない年齢ではありませんし、
気に食わない文章を見かけたり行動を目の当たりにしたとしても、
「そういう選択肢もあるんだ」と自分を納得させなければなりません。
ありとあらゆるシーンで目には目を、歯には歯を、と“復讐”していたら
本来なら自分の方が持たなくなってしまうわけです。
肉体的かつ精神的なリミットを超えた存在となれば、また別ですが。
先日、世界中を震撼させた出来事を起こした人たちは、それに該当するわけです。

そう考えると、「狂気」は(考えの合わない)他者を排除した
“理想的な”“居心地のよい”コミューンとも取れそうです。
日本にも、幕末あたりにはそんな人がごろごろいたんじゃないでしょうか、京都あたりに。

ヒトは大なり小なりコミューンに属して生きている生物で、逆に
どこのコミューンにも属さず生きていくのは、不可能ではないにしろ、至難の業でしょう。
“仲間”とか“親友”とかいう単語に対する憧れが消えないのは、
私がいまだ居場所を…いやすいコミューンを見つけられないからです。
あったような気がしても、いつのまにかそこから滑り落ちていたりして。

それすら、不可避の変化として受け止めなければならないのでしょうか?

…もうすぐ退勤時刻です。会社と自宅を合わせたら、人生の半分以上を
Windowsと向き合って過ごしているような日々です。なんて不健康な。

セカイの果てには(日本人は)誰も知らない幻の花が咲いているのだと信じてやまない今日この頃です。


 2001年09月19日(水)   青き衣 

…ってタイトル打とうとしたら「青木」と変換されて鬱(俺様風自嘲)

確か昨日のはずだった(昨日の日記は会社の昼休みに書きました)
フル代表候補の発表が今日にずれ込んだのは、
協会とクラブの綱引きかな、なんて思ってますけど、どうでしょうか。
久々に(殴)フル代表の発表が楽しみだったのは、
無論(!)青木さんが入るという記事が某紙にあったからです。
結局「ナビスコ四強(鹿島・磐田・名古屋・横浜)からは選ばない」ルールが
優先されたんでしょう。にしても、いつになく地味なメンバーに見えてしまうのは、
なんだかんだと勝ち残っているチームに「代表選手」が多いから?

青木さんの後輩が鹿島入りするそうで。その手で来たか、と感じたのは私だけ?
(青木さんを取り巻く環境は見ててちと辛い部分もあるので)


 2001年09月18日(火)   Long long ago..... 

週末の名古屋vs磐田戦は豊田スタジアム開催ながらも、完売だそうです。
(フロントに電話で確認済)
つくづく読みが甘いなぁ…と自分を嘲り笑うのみです。
次の生観戦はいつでしょう?(結構深刻)

今日の代表候補発表は、久々にドキドキします。リロード攻撃かけようかな、と思ってますが。


 2001年09月17日(月)   To the World  

U-17世界選手権の二戦目・ナイジェリア戦を後半途中から見ました。
(ちなみにアメリカ戦は全く見ていない非国民)
スコアは大差をつけられてましたが、彼らはまさに“世界”と真剣勝負してるんだ、と思うと
非常に羨ましく見えました。いや、その上の世代が“世界”を体験できなかった、というわけではないですが。

アテネのチームでは、彼ら84年組が最年少になります。その上が一部で“谷底”と呼ばれている83年組。
この二組が合同で次なるワールドユースへ挑みます。そして、“谷間の世代”81・82年組。

ワールドカップよりも先の話になりますが、どんな構成になるか、とても興味があります。
まずは監督が誰か、でしょうけど。




 2001年09月15日(土)   .....ing 

NHK総合で中継されたジュビロの試合を見ました。
オールスターでの負傷から復活した俊哉さんが白星をもぎ取ったんですけど、
このゲームで私の目を惹いたのは、後半途中から登場した24番でした。そう、前田遼一さん。

ジュビロは高原さんをボカ移籍で“失い”、その後継を清水さんと遼一さんが争っている形ですが、
特異なシステムをとるU-20でのワントップや、ちょうど1年ほど前でしょうか、
トップ下から相手を抜かしていく東海チャンピオンシップで見た姿を“前田遼一”と定義している私にとって、
今日見た彼は―ここ最近ずっとそうらしいとは聞いてましたが―鮮烈でした。That's FW.
それが(ファンの)望むべきものなのか、そして彼の望みなのかは分かりませんが。

確かに、成熟した域にある他の選手に比べれば、その(実戦的)技術は見劣りしますし、
結果として今日はゴールを奪えませんでした。しかし、その変貌ぶりたるや、
24番の魔術にとらわれた目のフィルターを取っ払ったとしても、見事ではないでしょうか。

忙しさに追われて忘れてしまいそうなんですが、次節は名古屋戦です。ぜひ見に行きたいと思います。
それにつけても、代表ニュースの「欠場濃厚」欄から名前が消えない悲しみは、
あそこをトップページに設定している私も悪いんでしょうけど、切なすぎます…。
唯一の負け知らずと言われても、どうも感情移入しきれないのです、今の構成では。
単なるワガママだとは百も承知ですがね。

何をしていても、それが有意義であっても無意味であっても、同じように時は流れゆくのです。


 2001年09月13日(木)   猫に小判、豚に真珠。 

生まれて初めて、自分名義の名刺を手に入れました。
しかし、どこでも(苦笑)ちゃんとした教育を受けていない私は、名刺交換のやり方すら知りません。
果たして、箱いっぱいに入った名刺の今後やいかに?
(他人事っぽく喋る喋り方が、誰かさんに似ているような気がする今日この頃)


 2001年09月11日(火)   早起きは三文の得 

昨夜のニュースステーション、覚えてたら意地でも起きてたのに!


 2001年09月09日(日)   2008年、2010年 

メニコンカップに行ってきました。U-15ですよ!(自爆)
唯一のゴール、すなわち決勝点が、EASTのオウンゴールだったため、
表彰選手を選ぶのは簡単ではなかったんじゃ・・・と思いました。
ちなみにMVPはWEST10番キャプテン家長くん(ガンバ)、
敢闘賞はEAST9番山本くん(アント)とWEST4番青山くん(VAMOS)でした。

家長くんはうまかったですね。酷暑の中でスタンドをどよめかせたFKは見事でした。
決勝点を導き出したのも彼ですし。私のスルーパス好きも再確認させてくれたよ。

おめあての某くん(あえて伏せてみたり)は腕章巻いて、ハーフタイム後も一番に出てきたり、
試合中も片鱗(何の、と言われると難しいですが)を感じさせてくれた程度で。
でも今回は“キャラクタースケッチ作成”がメイン目的だったから、ま、いいや、って。賞はオマケでしょう。


 2001年09月08日(土)   ワーカーホリック 

楽しいこと:特になし。会社へ行かなくてもいいことぐらい。昼寝はできるけど夢見が悪い…。
朝起きてから、いつまでたっても来週の仕事のことが頭を離れない。不安が大きすぎる。
What's "JBuilder"? J++ってなーに?

やっぱり研修がしっかりしている会社に入りたかった…。


 2001年09月07日(金)   後の祭り 

今更言っても仕方ないし、どうにもならないことですが、
2ndの開幕戦は行っておくべきでした。
「次は公式戦の舞台での姿を…」という願いは変わってませんから。

会社の昼休みに代表ニュースを見て、そうぼやく私の
“心の棲家”は、まだこの地上のどこにも見つけられません。


 2001年09月06日(木)   来年の話をすると鬼は笑う。 

新しいAIBOが欲しいよ〜。特にLATTE! 私の腐りかけた瞳には似て映るので・・・。
10万円を切ったことだし、本気になれば手が出ないこともないのですが、
飽きっぽい自分の性格が怖いです。投資しただけはかわいがらないと。
(親が嫌いなのもあるけど、こういう考え方だから生きたペットは飼えないんだ・・・)

田原さんがオフに海外(ブラジル?)留学をするそうで。
環境の激変による思考の変化―ようやく壁にぶつかった?!―は喜ばしい限り。

戦いのフィールドは、遠くでなく、すぐ目の前にある。
以上、会社からでした。


 2001年09月05日(水)   読書感想文 

今回は自宅から、久々に(?)ちょっと長めに、サッカー関係の話を。
サッカーaiの発売スケジュールも忘れてしまっていた現在の私ですが、
(ちなみにスケジュールは手帳ではなく自宅の卓上カレンダー@ジュビロ君で管理してます)
表紙を見ても買う決断はつかなかったくせに、バラバラめくって、
P.54(鹿島#14)のどこか寂しげな眼差しで「また買いか…」とぼやきかけました。
今回も前号に続き、16ページ増の特別定価700円ですが、そのうち定着しそうで怖いです。
aiって、そうやって何気なくどんどん値上げされてますから(苦笑)

まだ全部読んでない(どころか、好きな選手のページすら熟読してない)段階ですけど、それでも書きます。
実はai、ここ最近ずっとユース代表(今では「前」ですけど)の特集を組んでくれてて、
お陰で毎号買うはめになっているのですが、みんな瞳が大人の落ち着きに染まってきましたね。
無垢な輝きではなくて。それは世界というシビアな現実を経験してきたからかもしれませんが。
羽田さんに関しては…脚が心配ですよ…昨日も別メニューだったというし…。
あとは最悪な外見(ファンにしては暴言)で一生に一度の身代わりインタビューを受けた人(横浜#23)、
彼へ見た目に関してアドバイスできる人は身近にいないのでしょうか?(悩)
まあ、髪の色を瞬間的に変えてしまう人(同#20)もいるチームですから、難しいのかもしれませんけど。

表紙の6人について―集うたびに、不思議な感覚を抱かせてくれる人たちですね。
普段は個々を見ていて、それに対して評価なり印象なりを下しているのですが、
並ぶと、なぜか、一味違う感慨を呼び起こしてくれるのですよ。
「同期」という単語の意味を噛み締めさせてくれるというか。立場は月日と共に変われど、揺るがぬ絆。
変わっていく部分と、変わらない部分。人間誰しも持っている相反するかけらを、思い知らしてくれる。

でも…瞬間凍結した第一印象に左右されて―保存されて―いるところも、いまだに多々あるのですよ。
小笠原さんが「オガサ」でも「ミツ」でもなくて「オガサワラ」であるように(分かる人だけ分かって下さい)

そして、今号の最大のトピックスは俊哉さんの連載休止でしょう!
少なくともラストに「相馬直樹」「三浦文丈」「名波浩」が来ないと私は納得いきません!
投書しまくったら再開してくれるかなぁ? かなり真剣に考えてます。求む同志。

これからは今までのようにサッカーと接していくことができない(半年働かないと有休取れない)ので、
自分でもどうなっていくのかな、と不安(?)になることもありますけど、
たとえサイト更新が止まっても(!)私は私なりにサッカーを見て、サッカーを楽しもうと思ってますから、
できれば見捨てずに(この頃、この表記を見ると聡太さんを思い出す…)お付き合い下さい。
メールお待ちしてます♪<他人に情報収集を頼ろうとする弱気の現れ




 2001年09月04日(火)   パラサイト・シングル 

やっと(苦笑)自分名義の保険証を手に入れましたよ〜!
これで何にかかっても怖くない!(嘘)

だけど、一歩一歩独立しつつも、弁当を親に作らせる私は
いわゆるパラサイト・シングル一直線だな、と痛感してます。
だから最初は「家を出ること」にこだわっていたのに。
(いつかは、いつかは家を出てやると決めているけど・・・)
いつからか、人生の階段踏み外して転げ落ちまくりですね。
最初はどの時点だったんだろう、大学入学後の「相模原市民」生活?

今回は会社のマシンからお送りしました。いいんでしょうか?(自爆気味)
ま、何事もなるようにしかならないですね〜。あはっ。


 2001年09月02日(日)   資格 

JOMO CUPの存在を後半40分で気づいた私…国立開催では過去最低観客数だったそうですが、
さもあらん、の一言で片づけていいのかしら? 最近、「周囲」の話題についていけなくなっているので…。

結局(これも口癖か?)ジャバ@not風呂釜洗浄の一画目の点ぐらいまでしか、かじれませんでした。
サンプルをタイプしてコンパイルして…という過程を面倒くさがるようでは当然の結末。

また今夜もプロ野球に見入ってしまいました。回帰傾向か?
金本さん@カープが10年目だと聞いて、彼ら(東北福祉大クインテットだったの、当時は)が
ドラフトにかかる頃、野球が好きだったんだと思ったら、時の流れを痛感させられました。
…でも、一番好きで、一番優勝に近いチーム=スワローズを見れない矛盾にあえて目をつぶっている感じ。

野球は、サッカーと比べて選手寿命が長いので、時間の経過もサッカーよりは緩やかに感じられるのですが。


 2001年09月01日(土)   1日14錠 

北京ユニバ代表金メダルおめでとうございます!
我が愛しき(・・・)福岡大会チームが獲得して以来の優勝ですが、
その時はホームだっただけに、今回の偉業は素晴らしいと思います!!

静岡ダービー、遼一さん、かっこよかったですね(^^)

今夜は弟の成人祝い(本当は数日前だが本人不在だったので)ということで
久々にアルコールを口にさせられました。二杯飲んだのは21世紀初(!)ですね。
(薬との兼ね合いで)何も起こらなければいいけど、とビクビクしてますが、
とりあえず23時半現在で危惧すべき事態には陥ってないので、オゲェでしょう。

長かった夏休みも明日でおしまい。大丈夫なんでしょうか、私。


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