Land of Riches


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 2000年12月31日(日)   締めくくり(苦痛を伴う言葉) 

年の瀬にやったこと―夜行帰りで出勤、ブラウザのバージョンアップ。何か間違ってますね(自嘲)
(現在の使用ブラウザは自前マシンがネスケ6、親のを無断借用する際はIE5.5です。
アンケートを載せた Winning Smile はIE見ながら作ったので、ネスケだとおかしいかも)

2000年最後の関東遠征、胃の痛い思いもしましたが、良かったです。
ただ、危惧していた移動時間ではなく、試合中や食事中に薬を切望するのもどうかと我ながら呆れますが。
最大の失敗は、昨夜が年に二度ある“大垣夜行が死ぬほど混む日”(通勤電車で一夜を明かす感覚…)なのを忘れていたこと。
よく帰ってこれました。でもって、1泊20万円と噂のスイートルームを清掃(笑)

羽田憲司、中澤聡太―DFの魅力を語るのは、攻撃陣のそれより奥が深く、難しい気がしました。

今はやりたくないんですが、心を病む前から大晦日にやろうと(本当はSeeTheSkyで)思っていたことがあるので、
それを…「2000年忘れられない出来事トップ3」!


第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設

何がどう転んでユース代表をこんなに応援するようになったのか、いまだに分かりません。
引くに引き下がれなくなったのは、羽田さんが直前で辞退したにもかかわらず、
チケット(通し券)を買ってしまったSBSカップを皆勤し、そして彼らが連覇したせいでしょうか?
嬉しかったんです、あの優勝が。あさひさんが「ソラヲミナヨ」の開設を決意されたのも、あの瞬間。

周囲のU-19(の選手)好きをかき集めて誕生し、現在では様々な方にご覧いただけるサイトへと成長しました。
今年はじめ、カノさんと前田隆&山形恭平のコラボレーションHPを始めた時もいろいろ苦労したのですが、
9人となると、書き込み一つをめぐってでも時には熱い意見交換をかわしているのです。

年が明ければ、彼らもU-20と呼ばれるようになります。目指す地は、アルゼンチン―私にとっても。


第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”

岐阜へ戻ってからは、瑞穂やトヨスポ以外はどこでも“遠征”になってしまったのですが、
今年もあちこち行きましたけど(まさかの(笑)Jヴィレッジ泊まり込みもありました)
そこから一つ選ぶとすれば、九州縦断の、あの濃い1週間しかないでしょう。

金古さんの復活、羽田さんとの出会い、野沢さんとの“再会”(苦笑)、恭平さんとの“遭遇”(更に苦笑)、
後の衝撃的な出来事の予兆だったかもしれない“空き地”での放心―選手たちだけではありません。
鹿児島や福岡でお会いした方々の優しさは、今でも胸に焼きついています。来年こそは、あのおいしい寿司を再び!!
……そして、“ミッフィー様”はいずこに……。

中3の時、受験生だからという理由で、長良川球場で愛する投手―今年引退―が完封するのを見逃して以来、
後悔するのが本当に嫌で、多少の無茶をしてでも生で見ることにこだわってきました。
この目で見て、この耳で聞いたものこそ、この世で何よりも信じられることのはずだから。


第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後

上にも書いた“アジアユース直前最終選考合宿”後、すぐに鹿嶋へ戻りチームに合流した
3人(羽田・根本・野沢)を追いかけるように、翌日に組まれた順大との練習試合を見に行きました。
さすがに顔も覚えているだろうし、ストーカー扱いされたらどうしよう…などと心配しつつ、
鹿嶋ではお馴染みながら決して慣れることのできない寒い寒い中で行われた試合を見ていました。

前半で“主力”がロッカーへ引き揚げる中、24番だけがベンチでユニフォームを着替えるのを見た時は、
なんてひどいチーム―11月羽田さんにオフは1日もなかった―だと違う意味で震えましたが、
近未来のセンターバックコンビと囁かれる“Wツカサ”―金古聖司&羽田憲司―を初めて生で見れて、
他のギャラリーが“主力”の出待ちに移動(この時は建物から遠いコートを使ってました)する中、
後半の方が見応えがある、などと口走りつつ、タイムアップまで見つめ続けてました。

その日は、気になって気になって仕方ない、アジアユースのエントリーメンバー発表日でしたから、
自宅にいる友人(あの時はお世話になりました(謝))にJFAサイトをずーっと見てもらってました。
凍りつきそうな私たちの前へ3人の中で最初に出てきた根本さんは、まだ知らないと言いました。
次に出てきた野沢さんに、ちょうど発売になったばかりの『サッカーai』にサインをもらおうと
差し出したところ―これ以上は、誰かに読ませる前提のもので書くべきではないのかな…。
(でも、Land of Richesは読者の存在を望んではいないコンテンツなんですよ)

あの記事がアジアユースの展望だったのは、きっと、夏、静岡で私が感じたのと同じ思いを、
編集部も抱かれたからに違いなくて…ゆえに、どれだけ名前、そして何者かが与えた“端的な形容”が
先行していたとしても、誰もが注目するであろう舞台に立てば、真実が広まっただろうに。

分かっていたんです。2日前、選手・関係者の誰もが最悪と口を揃えた試合で見せたパフォーマンスを、
こともあろうに、我が目ですべて見てしまったのですから。置かれている状況とか。

拓也、ボランチ!

あちこちでしつこく言ってますけど、まだ誤解している人がいるようなので、繰り返しますが、
ソニー仙台との試合前、アップする選手の中で一人だけ監督に呼ばれて話をしていたのは、彼です。

順大戦でも、途中から“不得手な”ボランチを務めていました。
……やはりここで書くべき話ではありませんね、ちゃんとレポートを書かなければ。
どれだけ時が過ぎてもかまわない―きっと、傷は簡単には癒えてくれないはず。

モウオワッタンデスヨ。あの一言を超えるインパクトを胸に刻んだものは、今年、ありませんでした。


 2000年12月30日(土)   未知への好奇心 

旅の醍醐味は、見知らぬものとの出会い。
それによって自分の視野を広げ、価値観などを磨き直す点だと思います。
実際、サッカー関係の遠征だと同じ場所が多く(そういう意味では、評判のよろしくない
天皇杯の地方開催も嫌ではないです。そうでなければ仙台@大好きな街へは行かなかった)
新鮮味を失い、とても「旅行」とは言えないものになります。だから「遠征」。
リフレッシュするには、そこへ行くのが初めてだという方と同行するのが効果的。
初めて生でプレーを見た感動、初めてサインをいただいた時の感激、
慣れてしまうと「当たり前」のように感じてしまいますが、実は素晴らしいことなのだと
ときどき再確認する必要があると思っています。愛する選手を応援し続けるために。

サッカーは「非」日常であるべき―私のポリシーです。
だから、大学へ入る頃に志望していたメディア関係の進路を諦めたとも言えます。
これには、あまり書くようなものでもない、違う理由もあるのですが。
「物書き」で生計を立てるのを拒否しているのも、同じわけです、おそらく。
(自分の人生選択なのに曖昧な言い方をするのは私の欠点<面接で指摘された経験あり)

今のバイトは年末年始が稼ぎ時なので、通勤定期のために陥った極貧状態もあり
本当は関東遠征などしたい気分ではないのですが、福島で“オトコマエ”に
「市船の試合も見に行きます!」と一方的に宣言した以上、引き下がれなかったんです。
ただ、京輔さんや羽田さんの母校と分かっていても、あのユニフォーム自体は
“倒すべき相手”のものと認識されてしまいますね…今までの出会い方ゆえに。
(今年2回見てますが、いずれも贔屓の対戦相手だったんです)

昨日の天皇杯準決勝はあくまでついでです、本当に(にやにや)
ただ、鹿島の「三冠」に関しては、これまでの二冠、それを得た肝心の試合は
テレビ観戦すらできずにいたりするものの、その前の試合は
(ナビスコは準決勝、CSは第1戦)生観戦しているので今回もそうならないかな、と密かに祈ってはいます。
負傷者続出で(相馬さん…(号泣))布陣が気がかりですけど。

前に鹿嶋では独りでぼーっとしてても苦にはならなかった、と書いたら
鹿嶋こそ、やぶさんにとって居心地のいい場所、と言われましたけど、違います(苦笑)
あんな埃っぽいところに住んでいたら、ハードコンタクトの私はいつも目が真っ赤…。
それに、実際にその街へ住んでしまったら、鹿嶋そのものが日常化してしまい、
“彼ら”すらその一部として見なしてしまいそうで、怖いんです。

愛しい人達が、笑いながらボールと戯れている場面があれば、
多分、それが日本の、いや、世界のどこであっても私は幸せでしょう。
だからといって、土むき出しのシロツメクサが生い茂る場所は該当しない気がしますけど。

やりたいことがあって、それへ一心不乱に打ちこむ姿こそ、憧れ。
…いつも、自分にないものを持つ人へ愛を抱いてきたから。


 2000年12月29日(金)   知らぬが仏 

世の中には知らない方が幸せなこともたくさんあります…自分の「運命」とか、
アクセスログの情報とか、愛する選手の容体とか。
(宿命は、それを自覚した瞬間から身を縛るのですが<知らなければ関係ない)

これ、30日に書いてます(笑) しかも人様の家で。

いつも履歴書の趣味欄には「スポーツ観戦・独り旅」と書きます。
各駅停車に乗って何時間もかけて、いろいろ思索にふけりながら
遠くへ出かけるの好きだったんですけど…今の私は薬なしでは無理(泣笑)
長く揺られて上京するなら、途中下車もできる電車での昼行が良かったんですが、
現在は導入剤服用の上で夜行でないと―18きっぷの使用可能期間だから
朝4時台に到着してしまう電車なぞ使ってますが、消灯してくれたり
リクライニング等を考えると、断然夜行はバスの方がおすすめです。

薬を飲み始めたばかりで効き過ぎなのか、珍しく途中駅での記憶が乏しく
(大抵の遠征ではほとんど全ての停車駅を目で見てしまう=眠れない)
なおかつ夜(30日の)もアントvsガンバの中継を見ながら寝てしまうなど
体と心のコントロールがうまくいかない状況です。
医者に言われた通り、小さな小さな錠剤を苦労して半分にカットすべき?(笑)

それで、朝と昼は飲んでないんです(安定剤は1日3回服用と言われている)
そしたら、横国で、試合中に―目の前で、自信喪失気味の、
いや、自信を取り戻そうと必死な彼がいるにもかかわらず、焦点が合わなくて、
例の黒い影に心を奪われてしまいました。そんな自分は終わってると
鹿島側ゴール裏2階席で一人、がたがた震えてました。
いや、1失点目(宏美さんとスピード勝負では勝てないですよ…)の取られ方にも
かなりのショックを受けて、それで心に“隙”ができたのかもしれません。

…サッカーを逃避という名の薬にするには、習慣性が邪魔をするようになったと
感じることもある今日この頃です。

以下私信。前日の日記はDAY BY DAY聴きながら書きました(笑)
新潟行って日本酒を美味しそうに飲んでいたのは誰ですか?
実験の大変さはムーンストーン嬢に常々聞いているので察しはつきますが…。

来年は、博多へ行く回数絶対増やすから(これも私信)


 2000年12月28日(木)   西村監督と会って話がしたい。 

本当にDAY BY DAYですか? 私の記憶力おかしい?
そうそう、ばりゅ〜すた〜(アナログ回線接続(苦笑))にはCD-Rドライブがついているのですよ…。

本当は昨日、待合室で2時間半待った末ゲットした薬の話でもしようかと思ったのですが、
帰宅後、唯一定期購読しているフリークス(の羽田&根本対談)にSさんと狂喜乱舞しているうちに
ついにやって来たISDN導入作業にすら手をつけず眠ってしまった(しかもほぼ久々の熟睡!)ので
違う話でも…いや、この年の瀬に初診でかかる至難さを思い知りました。
1軒目は年内は予約いっぱいですと追い返され、そこに紹介された(!)2軒目は既に年末休業に入っていて、
3軒目(結局かかった所)でもすごく待ちますよと脅されたのですが、もう回る気力もなく…。
今の私は何もせずにいること=待機を非常に苦手としているので、2時間半、まさに地獄の真っ只中でした。
やっと先生とご対面も、既に診療時間を過ぎ、更に別の初診患者が控えているとあって、少し話をして、
まずは…と二種類ばかり処方されたのみ。憔悴した私より疲れていそうな先生を見て文句も出ませんでした。
定番のフレーズですが、「12月―師走は先生も走り回る忙しさ」だな、と変な時期に発病した自分を呪いました。

朝6時に目が覚めて(本当、久しぶりに気持ち良く目が覚めたんです)ISDNの導入作業に2時間かけてから出勤。
常時接続が可能になるフレッツISDNも来月11日からの導入が決まり、ついでに自室に電話とFAXも設置できご機嫌です。
そんなわけで、導入剤は使ってませんが安定剤は服用中。ていうか眠くなりますよ…Always I'm a dog.みたいな。
ぼーっとしてます。これならどんな劣悪な環境でも「だんだん慣れてあまり気にならなかった」を連発できるようになるかな?(笑)
…いや、キャプテンの場合はボケすぎですけど!(サッカーaiの寿人レポート参照)
とにかく、フリークス&サッカーaiを見て、市船CBコンビが更に好きになりました♪
中澤聡太オトコマエ!(感涙) あなたに教室という場所は似合いません!(核爆)

この実にくだらない駄文を読んで下さる奇特な皆様、フリークスはともかく、
aiは立ち読みでかまわないので、U-19特集へぜひ目を通してやって下さい。
あの子たち(あえてこの呼び方)を今年1年ずっと追っていることが、私の活力であり誇りです。
…ナビスコカップ決勝よりエスパルス戦を選び、鹿島ファンでないと周りから叩かれた(笑)のも、今では自慢ですよ、ハネケン。

10/22の次のオフが12/14だったなんて、プロサッカー選手としてどうなのかしら?


 2000年12月27日(水)   LACK OF REASON 

L⇔R好き仲間(笑)のSさんが日記でタイトルに使われた曲がどうしても思い出せなくて、
かなり歯がゆい思いをしてます。そうだ、世間の少数派と思われる(苦笑)L⇔R好きな方にお願い。
4枚組ライブアルバムの4枚目だけ貸して下さい。引っ越しの時、処分したラジカセに入れたままだったんです…(死)
このコーナーのタイトルにもなっているLAND OF RICHESが入っているCDです…。

"Land of Riches"は日付が変わった直後から朝までの間に、大体更新してます。
前夜のうちから書いてしまうことも多く、日付が変わるのを待ってアップ、という形です。
(今回は27日になってから書いてますが)
なかなか眠れなくて、やっと落ちた眠りから今度は脱出できなくて生活に支障をきたしてるのが今の私。
こうやってL⇔Rを聴きながら(今夜はアルバムLet me roll it!)キーを叩いていても
ふつふつと湧きあがってくる不安というか恐怖を飼い慣らさなければいけないと思いつつ、
常に緊張―休みを取っても休むことができない―している日々にキレかけている今日この頃。

まあ、私がキレて何か起こしたとしても、若くもないですからもう実名報道ですし(苦笑)
そうなった時、誰に迷惑をかけるか考えたら、起こす気なんて到底起きないんですけど。
(ここで誰の顔が浮かぶかは結構人間として重要なことかもしれない)
昨日、人を殺してみたいと見ず知らずの人を殺してしまった少年の医療少年院送致が決まりました。
5月に事件が起きてからずっと思っていて、誰にも言えずにいたんですけど、その気持ち、分からなくはないです。
昔、小説家志望だった私は、一応オリジナルの小説(という名の駄文)を書いていたのですが、
誰かが死ぬシーンを書けなくて、それを勝手にコンプレックスとしていました。
人を殺す気持ち。明らかに不自然な(こう書くことは正しいのかな?)行為だから心情が察せないんです。
まだその頃は、死そのものも未知の領域でしたし―葬儀というものすら出たことがなくて。

たとえば作中に、暗殺者を出すとします。人殺しを生業とする者。
平然と仕事をこなしますが、もちろん職業選択には理由があるはず。さて、その理由とは?
良心の痛みを覚えないのか? 終生、その職を全うするのか? 何を書いてもリアリティを持ちません。
上記の少年とは度合が違うとはいえ、リアリティの追求に凝っていた時期があるんです。
でも、諦めました。そうすると今だって、フルサッカーの経験がない(フットサルなら一応ある)私が
観戦記を書くというのはおかしな話になってしまいます。まあ、だから私の観戦記はダメなんですが。

…こんなの書いてたら、少ない友達すらなくしてしまいそう(泣笑)
多発する少年犯罪を分析した新聞記事によると、他国に比べ日本の若者は目標が持てず、
望みも「その日その日を楽しく暮らす」とか「趣味を満喫する」という程度なんだそうです。
しつこいですが(自爆)若くない私の毎日も、まさにそれ。
こういう時代になると、何が普通で、何が異常か、それすらボーダーレスなのかもしれません。

もう一つお願い。各チームのイン&アウトを整理してあるページをご存知の方は教えて下さい(ぺこり)


 2000年12月26日(火)   考えすぎて夜も眠れないなんて 


1秒単位朝を無駄にするのさ―このワンフレーズに胸打たれL⇔Rを好きになったのが、5年前の秋。
同じ苦悩を抱えてのた打ち回っている自分は、何も進歩してないんだな…と悲しくなります。
あの時、手を差し伸べてくれたのは近くの人で、「大学で答えを探せばいい」と言ってくれました。
でも、大学4年間では自分を納得させられる解答をゲットできなかったのです。

ここ最近、昼は仕事/夜は電話という生活です。特に長電話は連日親を怒らせていて、不快感や出費という代償を払ってでも
電話で話し続ける自分は、まるで独り暮らしを始めたばかり―ホームシック―の人のようです。
そのうち帰宅を拒否しだしそうな気配もあって怖いです。金を払って健康を買っていると言われましたが、
今の私はハイテンションが続かない(どころか坂を転げ落ちるように憂鬱にとらわれる)ので、効果はイマイチです。
大体、クリスマス明けで残業約3時間(デスクワークの残業は精神的な疲労が主ですが、肉体労働の残業は
とにかく体をダメにします。帰りの買い物では500円玉と100円玉をナチュラルに間違える始末。Jヴィレッジの売店で
1,000円と10,000円を混同していた某U-19選手のこと笑えませんよ!(苦笑))、くたくたになって帰ってきたはずなのに
眠れずにこうしてキーを叩いているあたり、自分の憔悴ぶりが表れているように思います。

こうしている間にも時間は流れ、もしかすると心も蝕まれているのでは…と考えると、気が気ではないです。
そう考えることが一番悪いというのも頭では分かるのですが、理性と感情と身体の連携が最悪で。
高桑さんの声が聞こえない新人センターバックのようですよ!(ものすごい自虐的な比喩)

だけど、ひたすら作業をこなしながらふっと生まれた心の空白域に、不安ではなく聡太くんや俊太くんの姿が入り込んできた時は
やりながら結構楽しかったんです。数分経つと、その時の感情を羨むような懐かしむような暗い影に覆われるんですけど、
とりあえずは金曜の天皇杯・土曜の選手権開幕戦を楽しみに働こうかと思ってます。いや、そう考えられるようになるのが目標。
自分へのクリスマスプレゼントが、その2試合のチケット(しかもカード払い)というのは寂しいんですが。

それにしても、何かを断る“エクスキューズ”を考えるのが、こんなに難しいとは。病んだ心では思いつきません…。
文学が非日常を表現する“異化”の手段なら、行為者だってある程度は逸脱しているのではないですか? これは弁護?
価値観の相違は他者と暮らしている以上避けられぬ現実で、いかに認めがたい―嫌いな―価値観を受け入れられるかが
大人の物差しだと、かつて、最愛の人に言われました。でも、この世にいるほとんどの人は子供なんです…。

傷つくことを恐れ、傷つけられるのも恐れ、切り開く意思を失い、現状に甘んじる―ぬるま湯につかる。
もし目の前に壁があったら、乗り越えるのでもなく壊すのでもなく抜け道を探そうとし、見つからなければ早めに諦めてしまう、
そんな自分の弱さが忌々しくもあります。強くなりたい、強くなりたい。それが今の望みかもしれません。

自分を冷静に分析しているように見えるかもしれませんが、実際、自分のことなんてよく分かりません。ましてや他人は(苦笑)
私だって、1年前と何が違いますか、と聞かれたら「分からない」と答えます。学生でなくなったくらいですもん…彼と同じで。
あ…でも1年前は打倒市船が最大の目標でした。何度も言ってますが(苦笑)今度は市船を見るためにSブロック指定。摩訶不思議。


 2000年12月25日(月)   サンタは遠くに住んでいる 


クリスマスイブは日曜日―こんな最高のシチュエーションなのに、家にいましたよ私は!(泣笑)
弟は帰ってこないのに、私はいつもより多い仕事を終えて帰宅しました。がくっ。

でも、こんな私にもプレゼントはあったりして―素敵な電話をいただきました。
私、かぶっていた猫を脱ぐと、えらく無口になるんです。今日も一方的に話していただいて、相づちすらまともに打てない。
電話で話していただいた一言一言が胸に染みました。そう感じる私には、まだ“心”があるんだな、と安堵したり。

もう何年前になるのか、支え―愛する人―を失い、心がひび割れて乾いていくのが分かって、
月日の経過と共に、乾いた心が崩れて砂になり、その砂すら世間の風に吹き飛ばされて
自分には何も残ってないのかとすら感じてました。誰か他の方と共鳴できる“部分”なんてないと。
だけど、電話の最後には泣いてました。今、自分が置かれているシチュエーション上、
この涙をこらえなければならないのが非常に辛いんですけど、遠くにだけれど私を分かってくれる人がいる、
そして近くには分かってくれる人がいない、二つが痛いほど分かって、嬉しくて、悲しくて。

これをこうやってネットに載せるのも、きっと伝えたい相手がいるから。
ネット日記を嫌い、他人のそれの受け取りを拒否している私が書く言葉ではない気もしますが…。

人は独りで生きていかねばならない。人は独りでは生きていけない。
いつも言ってますが、人生はこの矛盾をアウフヘーベンしたものを探し当てる旅だと思います。
自分でどうにかしないといけないとあがき続けてきた私には、後者の言葉がじーんと来るのです。
なんでもそうです。「人は…」というたぐいは、すべて「私は…」に過ぎません。
私ハ独リデ生キテイカネバナラナイ。私ハ独リデハ生キテイケナイ。私ハイツカ死ヌ。

体裁を繕おうと必死に保つ強さより、弱さを正直にさらけ出す“強さ”の方がいいなんて、頭では分かってます。
でも難しいんです。こんな私にも微塵の自尊心があって、その攻撃に苦しめられてます。
だからこそ、動じないディフェンスリーダーやおおらかなストライカーに惹かれるのかもしれません。
自分の中で“ハネケン”たちがそこまで大きな存在になっていたとは、思いもよりませんでした。
もっと素直になりたいです。自分を大切にできない人間には、他人を大切にはできないから。

私は独り。私は独り?―私は独りじゃない。誰かを見てて、誰かに見てもらえてる。

そんな訳で、本当にありがとうございました!>Hさん Hさんは私のサンタクロースです(^^)
いつか一緒に、羽田憲司のプレーを生で見に行きましょう! 百聞は一見にしかず!!
たとえ漢字は書けなくとも(苦笑)素晴らしい読みを披露してくれますよ、きっと。
「僕は考えながらプレーするタイプだから」

…「渡る世間は鬼ばかり」みたいに、親がこれを見て愕然とする日は来るのかな、なんて考えも浮かびますね(微苦笑)


 2000年12月24日(日)   ゆっくり風呂に入りたい。 

なんでイブ日記のタイトルがこれなんだ自分…(呆) でも切実な願いかも。
入浴と通勤(所要時間30分強)は、今の私にとっては拷問タイムなのです。
身体を動かさず、頭だけ動いている時間は精神状態下り坂一直線に陥りやすいので、
別に忙しいわけでもないのに、出勤前にシャワー浴びる程度になってしまってます。
車中では読む物が必須。だから最近、以前なら立ち読みで我慢できた雑誌も結構買ってます。貧しいのに。

先週はサカマガを買いました。察しはつくと思いますが、本山さんに負けました。
フツウ―日本サッカー界屈指の“スーパー”サブが普通なら、誰が普通じゃないんですか(苦笑)
身内の方にはよく話してますが、本山さんの第一印象は「サインを頼んだファンへ礼を言う変な子」でした。
この人と出会えなければ、私のサッカーファン歴は1998年夏―フランスの後―で止まっていたかもしれません。
「変な子」のプレーが見たくて足を運んだSBSカップ以降、それまでの2年半、
フル代表を中心に回っていた私的日本サッカー界(笑)がぐっと若い年代へシフトしたのです。
(それまで自分より年下の選手は全く眼中になかったのです)

「変な子」と同年代の選手―今では日本サッカーのゴールデンエイジと呼ばれる―が
才能豊かなプレーヤー揃いだったことが、3年サイクルで趣味が変わる私をサッカーへつなぎとめました。
何より、その「変な子」自身が、ものすごく私好みのプレーをしてくれるのです。
今ではいろんなポジションに好きな選手がいますけど、一番好きなのは中盤。
ドリブルにしろスルーパスにしろ、守備陣を切り裂く瞬間にときめく私にとって、
両方を―片方が得意な選手はよくいますけど―選択肢に持つ本山さんは、
私に、貧しいイマジネーションを超えられていく快感を何度も与えてくれる超越者なのです。

何かにたとえるなら、迷わず「光」! 見るもの全てをくらませる輝きを放つ、光の化身です。
全てのものを優しく照らし温めるかと思えば、一点に集中すれば対象を焼き焦がせる力もある。
本山ヴィジョンが激化すると、私の目には、本山さんがうっすらと光を放っているように見えます(…)
光は形を持たず、また常に直進します。水や鏡で反射すると、特にまぶしさを覚えます。
(※水=昔『サッカーai』で城定さんが小野伸二さんを水にたとえてました)

本人も言っている通り、まだまだ発展途上。それでいて、多くのサッカーファンが
「本山」という名だけで、存在のみで(実際にピッチ上で動くのを見なくとも)
大きな期待を、はるかな未来を思い描けるのは、彼が日々積み重ねてきた結果だと思います。
他の誰でもなく、モトヤママサシ。もう既にそういう立場にある気はしますが、
“常に必要とされる”とまでは、至っていませんから…。

好きな選手はたくさんいますが、本山さんは「この人が好き!」と
サッカーに詳しくない人にまで勧められる数少ないプレーヤーでもあります。
好きであることを誇りに思える人。五輪壮行試合の頃は特に強く感じてました。
長居の試合の後でしたか、周りの本山ファンが恥ずかしいと前置きしつつも
「もとやんが好きで良かった!」と口を揃えていたのは印象的でした。

…あ、でもヒガシでキャプテンはやってません! キャプテンは手島さんです!!(声大)

最近、えせファンと言われることが多いので(強く否定できないのも事実ですが(苦笑))
あえて聖夜に本山語りをしてみました。某新聞で語ったように、ファンに優しいところも大好きです。
それにしても、ガンバ戦秋田さん出場停止なのですね…行きますか…(なんだそれは)

2年前の天皇杯@仙台、本山コールにたった鳥肌は、きっと、一生忘れないです。あの感動をもう一度。


 2000年12月23日(土)   最後の晩餐 

今選べと言われたら、卒業旅行の最終日に行った北九州の寿司屋さんです。
そこの極上太巻を食べつつ、お店の方と存分に語りたいです。

基本的に食べ物のおいしい・まずいに執着がないタイプである上(誰かさんと大違い…)
ものすごく食べるのが早いので、高い物を食べさせる気がしないと言われて育ち、
何かを食べて「おいしい!」と感激した経験がほとんどありません。
そんな舌の貧しい私でも、あそこの寿司は感動的においしかったんです。
今年中にもう一度お伺いするのが目標だったんですけど、かなわなくて本当に悔しいです。
来年こそは是非…山形辰徳くんも最高学年になることですし。

食べ物に対するこだわりに乏しいのは、「食事」という時間に対する嫌悪感のせいだと自分では思ってます。
独り暮らしを経験する前は好き嫌いが激しかった―私に合致する数少ないA型的特色―んですが、
食事を用意する面倒さを知ってからは、随分と改善されました。
極度の面倒くさがりなので、大学時代は3食摂ることはまずなく、2食が基本でした。
ひどい時は昼のみ―それも自分で作らず学食。お陰で料理が全くできない最低な大人になりました。
食べさせる相手がいればできるようになる、と言われたんですけど、
勇気を振り絞って初めて作った(やや誇張表現)カレーをおいしくないと嫌がられた後は
たとえどんなに「腹減った」と言われても作ってやらなかったです。ははは。

自分一人が活動エネルギーを補充することだけが目的なら、何も手間暇かける必要がないと
思ってしまう―すぐにサプリメントに頼っていた―私は、人間として終わってるんでしょうか?
…いや、大学時代に食事を省いていたのは、その分の費用を他に回すのが目的でしたが。

食事の印象を左右するのは、私の場合、料理そのものというより、雰囲気というか環境になります。
(木曜晩に八重洲地下街で摂った夕食は楽しかったですよ!>フラット9分の3+オブザーバー1様
ユース代表の話をしたかったら上京するしかないのが、今の私が置かれた状況ですので(微苦笑))
平たく言うと、誰と食べるか。どんな高級料理でも、気まずい空気の中で食べたらおいしくないはずです。
食べるのが早いと書きましたけど、実は小学校低学年の頃は非常に食べるのが遅くて、
昼休みはおろか、その後の掃除の時間になっても給食を食べ終わらないとよく怒られました。
当時の私にとって、給食の時間はどんな科目よりも苦痛でした(昔は勉強ができたので辛くなかった…)

それが、高学年になるとクラスでも五本の指に入るほど食べ終わるのが早くなりました。
自分でも驚いてたんですが、思い起こすと、それは家庭での食事のせいかと推察されます。
食事…というか家族(特に祖父母)が嫌いで、祖父母の世間話をBGMに食べる夕食の“団らん”から
早く逃げ出したいがゆえ、噛まずに飲み込む食べ方が染み付いたような気がします。
我が家は一家6人なんですが、全員揃っても喋るのは大抵、祖父母だけです。
両親と弟、それに私は互いに干渉しません―よく言えば自由、悪く言えば放任。
第三者から見たら仲が悪いとは見えないんでしょうが、ある意味、ケンカしている親子よりたち悪いです。

だから、友達や選手が家族と親しいのを聞くと、正直、かなり羨ましいです。
やりたいことをやらせてくれた親だから、今の私があるのは間違いないんですけど…。
いろんな人の話を聞くと、やはり人間の性格は家庭環境に大きく左右されるんだな、と思います。
本山さんしかり、山形兄弟しかり、野沢さんしかり(笑) あの親にしてこの子あり、というか。

…家族とは話をした方がいいですよ。話す気なんて起きない、とならないために。

ラストに少しだけ天皇杯の話(BSもCSもない家に住んでいるのでヴィジュアルでは全く把握できず)
疲れていても自信をなくしそうになっても、神様はきっちり舞台を用意して下さるんですね>羽田さん
3回戦からのビデオ募集してます(苦笑)<次は先発か?!


 2000年12月22日(金)   筆跡鑑定 

睡眠に支障をきたしているとぼやいたところ、
複数の方から薬で多少は改善されるというアドバイスをいただきました。
かなり前から医者へかかりたいと感じつつ、資金難で
(医療費は自己負担なのです…夏から秋にかけて月収の何割かを
 歯医者へ費やしていた頃も大変でしたが、今はそれ以上にひどい経済状態で)
残念ながらかなわないままです。診療も薬も宗教も対価を必要とします。
貧乏人は救われる資格がないのか…と、どうしても沈んでしまいます。

とりあえず、悪友ムーンストーン嬢の助言を受け入れて
デスクワークではなく単純肉体労働をバイトに選んでから、
ベッドの上へ転がって“記憶が途絶える”までの時間は短くなりました。
(相変わらず“意図的に眠る”ことができず苦労してます)

時間の流れにさらされ、常に焦りを覚えているため、非常に落ち着きを欠き、
愛しの羽田さんにまで大迷惑をかけている有り様です。
もう鹿嶋には足を向けて眠れません…(ありがとう根本さん!!)
ちょっと隙ができると、恐怖というか焦燥に襲われるため
「待つ」という行為が事実上、不可能な状態です。
病むまでは結構好きな時間だった「睡眠」「入浴」「独り旅」も、今では苦痛。
逆に、あまり好きでなかった「テレビ」がもはや不可欠な存在になりました。

ただ、今夜はやること―"Winning Smile"大改装―ができて、それに集中していられました。
集中している間はいいのですが、一度切れるともう大変。
このムラの激しさは、野沢拓也様に匹敵するかも…だってまだ終わってない…。

昨日は鹿嶋へ行ってきました。サンスポ関東版で一面を飾った(泣笑)
世紀末のジャイアントキリングを目撃するはめになりましたけど、
敗因はどこからどう見ても後輩相手に平常心を失った羽田さん。
なのに、私は彼にも心が揺らぐ時があるんだな…となんだかホッとした部分もあるんです。
(これは強がりではありません!(この書き方が強がりっぽいんだって…))

羽田さんの魅力の一つはピッチ内外での精神年齢のギャップだと思ってますが、
返送していただいた(多謝!!)アンケートの字を見ると、
Sさんにご指摘していただくまでもなく(笑)その幼さがにじみ出ています。
ゲーム中はあんなに頼もしいのに、どうして外へ出てくるとああなんだろう…(遠い目)
早めにアップできるよう頑張ります!(これも私を急げ急げと駆り立てる)

あ、鹿嶋でキックオフを待っている時は独りでも平静を保っていられました。
環境をガラッと変えてみようかな、というのも考えてはいるのですが…。


 2000年12月21日(木)   総武線 

記憶が曖昧なんですけど、乗ったの1月3日以来?

市川から千葉にかけての地名には、実はそれなりの思い入れがあります。
高校時代、クラブ活動で書いていた合作小説の舞台が(友達の発案で)そのエリアだったためです。
主人公は千葉市民で、市内の高校へ通う気弱で純粋な男の子。
その悪友は船橋に住んでて、習志野在住のかわいい彼女とラブラブ。
それを見て、よりによって美人の英語教師に惚れてしまった主人公は・・・なんてストーリーだったんですが、
田舎者の乏しい(所詮は地図仕込み、とも言う)知識のお陰で、
彼らはTDL、SSAWS、葛西臨海水族園、ららぽーとあたりに行かされてました(笑)
最初、東京近郊に設定しようとして千葉か埼玉かで迷った時、
埼玉は知ってるスポットがないなんて理由で却下したのを覚えてます(すみません>埼玉県民の皆様)
埼玉より千葉にまだ詳しかったのは、更にその前書いてたのでも使った経験があったせいで、
由来を突き詰めると一人のアスリートに還流します。

渡辺康幸さん(花園中−市立船橋高− 早稲田大−エスビー食品)
彼が高3の冬、なにげなく家族が見ていた高校駅伝で、
都大路を駆け抜ける姿に一目惚れして以来、私をいろいろと狂わせて下さった憧れの人です。
(私の人生をめちゃくちゃにした度合いでは、相馬・西ヶ谷に匹敵します(苦笑))
市船の青いユニフォームといえば、サッカーのそれではなく、ランニング・たすき・はちまきの3点セットなんです。

着る服の色が変わっても、この人の走りを見ないと年を越した気になれないのですが、
来年の元旦はまた上州路を走ってくださるかしら?

#この日記は鹿嶋へ向かう途中の電車にて、携帯メールで書いたものです(直接書ければ楽なのに)


 2000年12月20日(水)   はねけん は にっこり ほほえんだ。 

アジアユースでキャプテンがウイニング・スマイルをこぼしたのは、クウェート戦の後だけ?

昨日取り上げた鬱病の番組で、心から笑ったことがありますか、という話がありました。
最近あまりない気がします。特に、自分自身のことに関して、では。
(サッカーはあくまでも他人事…スポーツ観戦は、他人の人生に一喜一憂する不可思議な趣味なんです)

笑顔の重要性は、小学校の文集で出席番号1番違いの子―初恋の人の彼女―が語っていたのを
ものすごくよく覚えているのですが、分かっていても、難しいものです。
作り笑いや営業スマイルは、心の病との関連においては、意味をなさないですから。
(ただ、この世には、営業スマイルと分かっていても、見ると溶けてしまいそうな笑顔の人がいます(うっとり))

現ユース代表は前代との比較を宿命づけられた―運命はそれを知覚した瞬間から人を縛る―チームですが、
国際試合やJリーグでの経験不足と並びよく指摘される“欠点”に、感情の露出が乏しい、というのがあります。
それを言うなら、私が始めてリアルタイムで応援した前々代(柳沢・宮本・山口・俊輔etc.)の方が
ずっとクールだと思うのですが(ちなみにその前の代―松田・ヒデetc.には、特に思い入れがありません。
奥大介さんがブラジル戦で唯一のゴールを叩き出したのは覚えてるんですけど)思い起こすと
前々代のキャプテンが宮本さん、前代が小野さん、そして今が羽田さんというのは
乱暴な言い方ではありますが、それぞれのチームの特色を表しているように感じます。

羽田さんはああ見えて、激情を内に秘めてます。中国戦でのアフタータックル事件が、典型的な例。
もう少し感情表現が表面へ出やすいのは昇平さん、といった具合。
DFコントロールへの高い適性は、同時に“おとなしい”チームを率いるには不向きと思えますが、
福島から御殿場を経てイランで過ごした日々(この間に国立@アントラーズが二度も挟まっている)を見ると
彼なりに強い自覚を持って戦ったんだな、と見直してあげたい気持ちになったのでした。

…という文をナイジェリアワールドユースダイジェストのビデオを見ながら書くのはどうかな>自分


 2000年12月19日(火)   不安の埋め方 

空いた穴を埋めるには、抜けてしまった分よりも多くのものが必要みたいです。イナモト、サカイ、アオキ、ナガイ…。

ワールドユース・ナイジェリア大会直前に市川さんがオーバートレーニング症候群で戦線離脱を余儀なくされた際、
市川さんはどれだけ頑張ってもコンディションが上がらないのには「理由」があるのだと分かって、ほっとしたとか。
人間には「特別なものでありたい」という願望と同じぐらい根強く「特別なものではありたくない」という思いが強く、
(もちろん前者はいい意味で、後者は悪い意味で)不調に陥ると自らを責めてしまう性質があるようです。

出勤前に「鬱病を乗り越える」なんて番組を見てたんですが、鬱病は脳に変化が現れるれっきとした病気だそうです。
それも、どんな人にも起こりうる事態―最近は「心の風邪」と呼ばれるぐらいだとか(風邪は誰でもかかるので)
病気だから、治療法もあります。ただ、本人も周囲もなかなか発病に気づかず、どんどん悪化させてしまうという。

20世紀最後の、という“冠詞”が連発される時代ですが、100年前の人に比べたら、
さらされるストレスのレベルもストレスに対する耐性も、随分悪くなっているのではないでしょうか。
古来から多くの哲学者や宗教家が取り組んできた人類不変の命題―私を苛むもの―すら見失うぐらい、
現代社会の中で生きていくのは過酷です。実際、私も少し前まで仕事が最大のストレッサーでしたし。

サッカー選手の仕事は「試合に出るor出られない」とか、結果がハッキリしているから、
他の世にありふれた職業に比べると、“職務”に対する取り組みがものすごく真摯だと思います。
当たり前と言えばそれまでですが、プレーやインタビューから見えてくる生き方にも、ものすごく惹かれるんです。
ゲーム自体が秘めたスリリングな部分やエンターテイメント性よりも
プレーヤーのパーソナリティの発露に魅力を覚えるがゆえに、スポーツ観戦が好きとも言えます。
…本当は、そんな選手を魅了してやまないスポーツ自体が備える素晴らしさも知りたいのですが。

もし、目の前に高い壁がそびえていても、乗り越えようとする意思を向けられる対象―目標とできるなら、
それは見えない未来やおぼろげな夢よりも大切なのかもしれません、本当は。


 2000年12月18日(月)   ひとは、きっと、ひとりじゃない 

いっそタイトルも「ヤーチャイカ」にしようかと思いましたが、パクリにも程があるということで(Hさんごめんなさい!)
懐かしのコーナー名を復活させました。今でもL⇔Rは大好きです。
Web日記嫌いを公言する私が、こんなものを始めてしまったきっかけは…またその気になったら書きましょう。
…単純に言ってしまえば、胸に巣食う病を鎮めるための、一つの実験です。

さて、家がJRの駅近くなので、どこへ行くのもJRなんですが、JR東海の中吊り広告は自社ものが非常に多いです。
東京にいた頃は、中吊りで雑誌の内容を把握していたものですが、こちらでは不可能な話です。
そんな自社ものの中に、今年、数年ぶりに復活したクリスマス・エクスプレスがあります。
今までは「男が女に新幹線で会いに行く」だったのが、2000年は「女が男に会いに行く」になりました。
タイトルはそのキャッチコピーなんですけど、独りでないのを確かめるのに新幹線へ乗らなければならない恋なんて、
ものすごく辛いじゃん…などとぼやきながら見てしまうのです(遠距離恋愛は特にお金がかかる…(しみじみ))

変な話ですが、実家へ戻ってホームシック…とはちょっと違うんでしょうけど、よく東京が恋しくなりました。
東京自体は好きになれないんですけど、一人暮らしの自由、サッカーをたくさん見に行ける環境エトセトラ。
(ホームシックも経験あります。自分の近くに知っている人が誰一人いない恐怖は、実に凄まじいものでした。
引っ越しの手伝いをしてくれた母が帰宅した翌日、逃げる―すがる―ように向かった先は鹿島のクラブハウスでした。
練習前、高松緑地公園を仲睦まじく散歩する親子連れと孤独な自分とを見比べて覚えた絶望は忘れられません。
そして、東京から一人で来た私へ親切にして下さった地元の方がいたから、当時好きなチームが3つあって、
強いて順位をつければ1番サンフ・2番アントだった私が、今の私(苦笑)になったのです。
ある取材で答えた鹿島の魅力=「地元の人がチームを支えているのが好き」というのは、要はそういうことです。
…V6入団前の鹿島には、あまり女の子一人での見学というのはなかったような気がします)

東京へ行く、と言うと、親は諦めたような顔をします。今月はじめの練習見学+チャンピオンシップ、
先月の清水戦、その前はU-19合宿に筑波大リーグV、五輪壮行試合+ナビスコ杯準々決勝にFC東京戦と
月に1〜2回のペースでなんだかんだと上京(時には東京経由でもっと遠くへ)しています。
これだけ書いたうち、新幹線で行ったのは数えるほど。ほとんどが夜行(電車よりはバスの方が楽)です。
Express ならぬ Rapid Service (「ムーンライトながら」は快速列車です)というわけで…こうして並べてみると、
いざなった人が一度をのぞき全て同じ選手―言わずと知れたU-19のキャプテン―というのがよーく分かります。

性懲りもなく、木曜も朝4:42には東京駅にいます。今回は喫煙席(それもボックスシート)という悪条件。
そうまでして行った先で、おそらく彼がイチフナという“もの”に色濃く染まっているのを見るんでしょうけど、
7月、新潟へ行く夜行バスで見せていただいた博多土産の写真―麗しき“ヒガシの10番”を止めに行く
“市船のキャプテン”をハネダケンジだと認識することを無意識で拒んだ過去を持つ私が、
今、一番恐れているのは「イチフナのユニフォームを着たナカザワソウタ」を見て、どんな感情を抱くか、です。
…もう78回選手権の雑誌も普通に読めますし、枯れ芝舞う千葉の記憶に彼はいないので…。
(新潟でも選手権でも永井・本橋は市船の一員という印象を残しているのですが、聡太くんだけ、なぜかないんです)

…そんなわけで、こんなことをいまだゴチャゴチャ言っている私に「市船ギャル」になる資格はないのです(苦笑)
(市船への想い以前に、年齢的にギャルというのはアウトな気が(自爆))


 2000年12月17日(日)   START of "L.R." 

自分を「物書きの端くれ」だと思っている。
書くことを禁じられたら、きっと生きていけない(…という者であってほしいと信じて?―願って?―いる)

しかし、それをなりわいにすれば、と勧められても、すぐにはうなずけない。
そうしたいという気持ちは小さな頃から持っていた。昔の文集に書いてある。小説家になりたい、と。
だが、強制されて書くのは嫌い―書きたいと感じる対象がなければ書けない。

人生3回目の“心の発作”に襲われ、病んだ精神を抱えての生活に限界を覚えている今、
実情を誰かに理解してもらいたいと切望しながら、実像の描写を拒否する自分がいる。
常に他者=読者の存在を意識し、なんらかの意図を持ち対象の見せたい部分のみを書こうとする。
この“拒絶反応”は自尊心といえるのか? 書くという行為はおのれのための自己表現ではないのか?

わずかこれだけの文章を書くのに長い長い葛藤を必要とする自分にとって、
書くことは喋ることと違って、非常に不自然なものであるらしい。それでもあえて書き続けるか。
…これは一つの実験なのか? プライドを犠牲にしてまでやることか?

自身を描写対象にできない―伝えたいという意欲を覚えないのは、自身を矮小評価しているからだろうか。
これまで私小説をたいしたものとは思わなかったが、自らの内面を告白できるとは偉大かもしれない。
何かを創作する際、自己の体験を元に描くことがある―おそらくそれしかできない―が、
その際は想像力という名の誇張力で、なんらかの美化を加えてしまう。理想的な人のあり方…私が望む人生。

この文章を公開したら、と想像すると、時間が経ったら我慢できず削除する自分が思い浮かぶ。
私にとって私自身はそんなに恥ずべきものなのか。その自分愛しさのあまり苦しんでいるというのに。
日記とは、毎日の出来事や感想の記録。自身を描けない私が拒むのは、当然という結論になるのだろうか。

いっそ、他人の目を思う存分意識した「日記」をつけたらどうだろうか。
それで満たされるのか、空しくなるのか…やってみたら面白いかもしれない。

頭の中で文の組み立てを考えている時点では、また話し言葉に近いのかもしれない。
すらすら出てくる。だが、いざ書き出すと言葉が出てこない。
単に語彙数が不足しているのかと思っていたが、違う理由がありそうな気がする。

言語は他者への伝達手段であって、自分一人なら言葉など必要ではない。
組み立てている時点での媒体は、自分の中で完結している“思い”であり、
それが外へ吐き出され他人へ飛んでいくものへ変化したらスムーズにいかなくなるのは自然だろう。

2000.12.18 wrote.


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