橋本裕の日記
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徳島県に住んで見えるNさんから私の日記を「愛読」しているというメールをいただいた。Nさんは私の24日の日記について感想を述べられたなかで、最近の保守的な世論についてこう触れられている。
<規律というのはあくまで為政者にとって都合のいい管理そのものです。そして、いま国民の多くは自分が管理されてるとも知らず自分も為政者のひとりのような顔をして権力構造の一翼を担いつつある感じですね。これからもまっとうな発言を続けていただくよう期待してます>
Nさん自身管理職で、工場長をしてみえるという。文面から、有能で部下からも信頼されている様子がうかがえる。一昨夜はこんなメールもいただいた。
<曼珠沙華があぜ道を彩り、澄み切った青空がふるさとを包んでくれます。こんな景色や風景を、愛国心などというきな臭いスローガンでつぶされてはかないません>
ところで、いつも散歩道の土手に咲いている曼珠沙華がなぜか今年は見当たらなかった。そう言えば、琵琶が熟する頃にはいつもわが家の庭にメジロやヒヨドリがやってきたのに、今年はその姿がなかった。去年の堤防の大工事で、桜などの大木とともに大方の草花も根こそぎ切り捨てられたのかも知れない。
Nさんからいただいたメールが頭にあったので、昨日は曼珠沙華を求めて少し遠くまで歩いてみた。そうすると、少し離れた川原の土手に、赤々と咲いている一群を発見した。家に帰ると、さっそくNさんに、こんなメールをお返しした。
曼珠沙華が土手に咲いています。 さわやかな秋空に、 真っ赤な花があざやかです。 国を愛するのも結構だけど、 まずはこの野花を愛したい。
日本には美しいものがいっぱいあります。 世界にも美しいものがたくさんあることでしょう。 おたがいがおたがいを慈しみ、 尊敬できる世界にしたいものですね。
私たちの子供のためにも そして飢餓で苦しんでいる 世界の子供たちのためにも この世界を争いとにくしみではなく たすけあいとやすらぎに満ちた世界にしたい。
さわやかな秋の空、 風に揺れるコスモスや 土手の曼珠沙華をながめながら、 切実に感じたことです。
2006年09月29日(金) |
こころの専門家は必要か |
私たちが社会のなかで不適応に苦しみ、何らかの精神的不調に見舞われたとき、その解決法として2つの方向性が考えられる。
一つは社会の環境を変えることである。社会のありかたの中に大衆心理のメカニズムを探り、社会病理としてこれを捉えるフロムの「社会心理学」の立場はこれに近い。
これに対して、心ありかたを探り、心そのもののを変えることで、社会的不適応を正そうとする心理主義の立場もある。社会や環境はそう易々と変えられるものではない。そこで、そうした環境の中でも、その環境に押しつぶされない強くてしなやかな自己を育てようというわけだ。
コフートの「自己心理学」の立場はこれに近い。もっとも、コフートも社会変革の必要性を視野にいれていないわけではない。自己と他者の「関係」を重視しているからである。そして両者の関係は相互的なものだからだ。
しかし、今日流行している心理療法的な手法が、社会を捨象し、社会的関心から遠ざかる傾向があることも事実である。心の持ち方を変えて社会に適応するというのでは、麻薬や薬物依存とかわらない。
こうした心理療法の現状を告発する小沢牧子さんの「心の専門家はいらない」(洋泉社)は、なかなか刺激的な本である。小沢さんは専門教育を受けた臨床家であり、大学で教鞭を執る「心の専門家」であるだけに説得力がある。少し引用しよう。
<「心の専門家」待望の背景には、人間の関係に渇望しながら、それをおそれる人びとの心情が渦巻いている。そしてそれぞれが心の専門家に個別に依存することで、この風潮はいっそう強まり、悪循環を生じていく>
<カウンセリング願望の背景には、おたがいを値踏みしあう競争社会が広がっているが、「心の専門家」は基本的に没社会的・個人還元的で、問題を社会の問題としてではなく、個人の資質や家族のいたらなさ、つまり個人の問題へ閉じこめていく役割を担っている>
<カウンセラーになりたい人、「心の専門家」志望者がじつに多い。受けたい人よりなりたい人の方が多いのではないかとすら感じるほどの増え方である。そのなかの一人が正直に述べていた。「自分がひとりになるのではないかと怖い。でもカウンセラーになれば相談にくる人がいつもいて、ひとりになることはないだろう」。受けたい人もなりたい人も、その背景に臆病さと孤独への強い不安を抱えている。日常の関係に目を向けることを避けた「心の専門家」依存と救済願望は、ここでも悪循環を生みだしていく>
<個人主義を社会の基盤とするアメリカ社会の人々は、個人生活の充足感を高めるためにカウンセラーを「雇い」、かたやタテの位置関係のなかに相対的な自分を見いだす日本社会の人びとは、依存し甘え安らぎを得ることができる場をもとめて、カウンセラーに「頼る」>
<私たちの社会は、ほとんどのものの商品化・サービス化をすすめてきた。衣食住はもちろんのこと、身辺のトラブルは弁護士に、子どもの生活は教育産業に、介護・介助は福祉サービスに、人の誕生から死までを医療に依存するようになっている。臓器・生命まで売り買いが進む。ラクな生活を手にした代わりに、その事態からわたしたちはシッペ返しを受けている>
<金銭で買わない、または商品化をためらってきたものが、ほんの少しだけ残っていた。それはわたしたちの生活の核の部分、つまり自分たちの気持ち、感情、また身辺の人びととの関係の領域だった。性もそこに含まれる。足もとにほんの少し残る乾いた砂地、そこに波が及ぶことによって、わたしたちはまるごと運び去られ浮游することになるだろう>
<生き方を専門家や行政にまかせるということは、自分の足で歩かず、自分たちで工夫せず。権威を持つものによろしく生かしてもらうことにつながる。「正しい生き方を指導してもらう」という、受け身な心性である。この傾向がわたしたちの社会に強まっていることを感じている人は、少なくないに違いない>
<関係をどう引き受けていくかは、生き方の基盤であるが、それは手間ひまがかかり模索と工夫と辛抱が必要なものだ。だからこそ自分のもの自分たちのものと感じることができる>
<いま、人と人とが消費・情報化社会の波に呑まれてバラバラになり、それこそ「金の切れ目が縁の切れ目」の関係に持ち込まれている。その心もとなさのなかにあっても、縁という偶然に繋がれる人の関係と、その関係に束縛・拘束もされながら繋がりを切らないという智慧とモラルを、生活の中に育てたいと願う>
<「心の専門家」とクライエントの関係は、「深くして親しくない関係」(河合隼雄「カウンセリングと人間性」)だという。それは専門家の側が相手を「深く」わかったつもりになり、しかし治療者の「分別」と技法をもって近づかないようにする、不自然でまがいものの関係なのだと、私は思う。
日々生活するわたしたちは、そのような一方的な世界に巻き込まれたくはない。「深くして親しくない関係」ではなく、「深くはなくとも親しい関係」をそれぞれが周囲に広げていくことが大切なのだ。そのなかではじめてわたしたちは「相談という商品」を、「いっしょに考え合う日常の営み」へととりもどす道を見いだしていけるだろう。
そしていつのまにか、かけがいのない「深く親しい」関係になっていくかもしれない。「心の専門家」の氾濫と、それを喧伝するマスコミ、そしてそれに浸食されていく世の中への強い気がかりから、この書を著した>
コフートは「患者は自分の力で治癒する」ということを原則にしている。心理療法はクライエントが自己愛を確立するのを助ける存在でしかない。そのとき大切なのは、治療者の患者に対する深い理解と愛情だろう。「深くして親しくない関係」(河合隼雄)といったよそよそしいものではありえない。
自己愛は他者愛と一体の関係にある。自己愛が欠如し、他者愛に乏しい人間が、今日まさにその欠如ゆえにカウンセラーにあこがれ、これを職業にしているとしたら問題である。そもそもカウンセラーなどという「こころの専門家」がはびこるのは、それだけ社会が「共感力」を失っていることのあかしなのだろう。
最近、若者の親殺しのニュースがよく報道されている。警察庁の発表によると、今年上半期だけで親を殺害した事件は過去最高の21件も発生しているという。
たとえば、1月には岩手県盛岡市の高1男子が、「学校に行け」と無断欠席を注意された母親を殺害した。6月には奈良県小田原本町で、やはり高1男子が、成績不信を注意した医師の父親に反発して、自宅に放火し、母子3人が死んでいる。8月には北海道稚内市の高1男子が、母親の殺害を友人に30万円で依頼した事件が発覚している。
どうしてこうしたことが頻発するのだろうか。教育評論家の尾木直樹さんは「格差社会の中で、我が子を勝ち組にさせるため、プレッシャーをかけている」と述べ、元検事の大澤孝征弁護士は「殺害した少年は愛されている実感に乏しい」ことを上げている。
こうした事件の背景には色々な要因が重なっているのだろう。しかし、ひとつ言えることは、さまざまないきさつによって、いずれも「自己愛」の成長が阻害され、歪になっていたのではないかということだ。
こうした自己愛パーソナリティ障害などの精神障害の問題を、社会心理学の立場から考察したのがフロムである。彼の代表的な著作である「自由からの逃走」(現代社会学叢書、東京創元社)から、関連した部分を引用してみよう。
<人間性は歴史的進化の所産ではあるが、ある種の固有なメカニズムと法則をもっている。そしてそれを発見するのが心理学の課題である>
<利己主義と自愛は同一のものではなく、まさに逆のものである。利己主義は貪欲の一つである。(略)利己主義は、まさにこの自愛の欠如に根ざしている。自分自身を好まない人間や自分自身をよしとしない人間は、常に自分自身に関して不安を抱いている。かれは純粋な好意と肯定の基盤の上にのみ存在する内面的な安定をもっていない>
<彼らのナルシシズムは、利己主義者と同じように、自愛が根本的に欠けていることを、無理に償おうとする結果である。フロイトは、ナルシス的人間はかれの愛を他人から却けて、それを自分自身にさしむけていると指摘した。この説の前半は正しいが、後半は間違っている。ナルシス的人間は他人をも自分をも愛していないのである>
<個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一になった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代償は高価である。すなわち自己の喪失である>
<独創的とは、くりかえしていえば、ある考えが以前だれか他人によって考えられなかったということではなく、それがその個人のなかではじまっているということ、すなわちその考えが自分自身の活動の結果であり、その意味でかれの思想であるということを意味する>
<われわれの大部分は、少なくともある瞬間には、われわれ自身の自発性をみとめることができる。それは同時に純粋な幸福の瞬間である。一つの風景を、新鮮に自発的に知覚するとき、ものを考えているうちにある真理がひらめいてくるとき、型にはまらないある感覚的な快感を感じるとき、また他人にたいして愛情が湧きでるとき、このような瞬間に、われわれはみな、自発的な活動とはどのようなものであるかを知るであろう>
<他人や自分自身にたいしてにせの自我をあらわさなければならなかったりすることが、劣等感や弱小感の根源である。気がついていようといまいと、自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない>
<人間が社会を支配し、経済機構を人間の幸福の目的に従属させるときのみ、また人間が積極的に社会過程に参加するときのみ、人間は現在彼を絶望(孤独と無力感)にかりたてているものを克服することができる。人間がこんにち苦しんでいるのは、貧困よりも、むしろ彼が大きな機械の歯車、自動人形になってしまったという事実、かれの生活が空虚になりその意味を失ってしまったという事実である>
<デモクラシーは、人間精神のなしうる、一つの最強の信念、生命と真理とまた個人的自我の積極的な自発的な実現としての自由にたいする信念を、ひとびとにしみこませることができるときのみ、ニヒリズムの力に打ち勝つことができるだろう>
「自由からの逃走」は1941年にアメリカで出版されている。コフートの「自己心理学」が確立する30年以上も前に、自己愛の大切さを主張している。フロムの社会心理学は、コフートが自己心理学を打ち立てるための大きな助けになったに違いない。
一つの重大な犯罪の背後には数十倍の未遂や軽微な事件があるという。これをいかに防止するかについては、心理療法や大脳生理学からのアプローチが大切だが、フロムが主張するように、社会心理学的な視点も無視することはできない。
コフートは臨床心理学の立場から、自己愛のメカニズムをより深く検証している。そして心理療法による解決として、「共感」の重要性に気付いた。こうした成果やさらに近年発達した脳科学の成果を踏まえることで、もう一段と深い社会心理学的アプローチが可能になるのではないだろうか。
何らかの原因で脳に障害が生じて機能不全に陥ったり、心理的な要因で自己愛が著しく傷ついた人間は、やがて自己をまとめることができなくなる。これがコフートのいう自己崩壊だ。自己崩壊が始まると、自己憤怒が生じ、過度な攻撃性があらわれる。
さらに自己崩壊が進むと、現実に矛盾した空想や妄想が現れる。こうなるともはや精神病の領域に入ったといわなければならない。まぎれもなく精神分裂症や躁鬱症の兆候である。
柔軟で健康な自己(脳)をもつ人は、現実を客観的に把握することができる。しかし、自己の柔軟性が失われると、自分の欲望や願望にあわせて都合の良いように現実を解釈するようになる。
歪んだ主観的自己にあわせて現実の方を空想しても、現実は変わらないから、ここにさまざまな人生の上での齟齬がうまれてくる。たいていの人は、ここで自己の誤りに気付き、自己の考えを修正する。しかし、脳が機能不全に落ちいっていたり、自己愛パーソナリティに障害のある頭の固い人はこれができない。
自己と現実のと矛盾は修正されず、ますます拡大する。しかし、それでも自己は現実から背を向け続けていると、いよいよ本格的な自己崩壊がはじまるわけだ。
自己の願望にあわせて現実を空想し、空想を現実と思い込む。本人は正しいと思っていても、他人から見ればまさに妄想としか考えられない。しかし彼は妄想の中に逃げ込むことで、ようやく自己をささえている。だからこの段階まで進むと、妄想だと責めてもかえって事態はわるくなるだけだ。
しかし、多くの人は、こうした深刻な狂気の段階にはいたらないだろう。その手前でなんとか自己を修復し、現実世界に引き返す。そうしないと、この世界で生きていけないからだ。
ただ、どうしても引き返せない人がいる。人口の1パーセントほどの人が、こうした認知障害や妄想で苦しんでいるのだという。しかし、薬物治療などで、こうした症状もかなり軽減できる。
何はともあれ、病気は軽いうちに治療するのがよい。自分が怒りっぽくなったり、攻撃的になったら、脳に異常がないか、あるいはコフートのいう自己愛パーソナリティ障害の兆候でないか、少し警戒してみよう。
2006年09月26日(火) |
子猫殺しは許されるか |
日本経済新聞の8/18の夕刊に、直木賞作家の板東眞砂子さんが、「子猫殺し」という刺激的なエッセーを書いた。これがネットやマスメディアで議論を呼び起こしている。
板東さんはタヒチに住んでいる。自宅で3匹の雌ネコを飼っているが、避妊手術をしていないので子供を産む。彼女はその生まれたての子猫を崖の下に放り投げて殺すのだという。
何とも残酷で殺伐とした話である。これを読めば、だれしも不愉快になるだろう。そして怒りを覚える。その怒りは、これを実行し、しかも新聞にその行為を発表し、しかも報酬を得ている著者に向かう。あるいはこうしたエッセーを掲載したメディアにも向かう。
それにしても、何故、彼女は飼い猫に避妊手術を施さなかったのか。これについて、彼女はこう説明している。
<私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子猫殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである>
もし、自分が猫の立場なら、どうだろう。避妊手術を受けたいだろうか。そのようにして性を強制的に奪われてまで生きたいだろうか。こう考えた彼女は、「人に他の生物について避妊手術を行う権利などない」という結論にたどりついた。
また、猫を家に閉じこめておく権利もない。猫は自らの生の法則に従い、なるべく自然に生きることを望むのではないか。そうすると、必然的に子猫が生まれる。この子猫をどうするかという問題がうまれる。
これをすべて家で飼うことはできない。飼うことを始めればきりがないからだ。それこそ何十匹、何百匹という猫を飼うはめにおちいるだろう。それでは、生まれた子猫を捨てたらどうか。
子猫はやがて餓死するか、野良猫となって社会の厄介ものになるだろう。だから、猫を捨てるということは、買い主としての社会的責任を放棄するということだ。
猫の気持を考えれば猫の避妊もできない。社会の迷惑を考えれば生まれた子猫を捨てることもできない。しかももらい手もないとすれば、どんな選択肢が残されているのか。日本ならば保健所に引き取って貰うことも可能だろうが、タヒチではそうした行政サービスはないのだろう。かくして、彼女は必然的に自らの手で殺す道を選ぶしかなかった。
もちろん人間に子猫を殺す権利がないことは彼女も知っていて、「生まれた子を殺す権利もない」と書いている。罪を意識した上で、みずからその罪を被りながら殺すわけだ。
板東さんのエッセーを読んでみて、今ひとつわからないのは、どういう経緯で彼女が3匹の猫を飼うようになったのかということだ。彼女は書いていないが、たぶん捨て猫を拾ったのだろう。最初はかわいそうにということだったのかもしれない。しかし、捨て猫を飼うということがどういうことか、飼ってみてその重みがわかったのではないだろうか。
こういう世界に深入りしないためには、捨て猫など拾わなければよいのだが、これはこれで、つらいことではないだろうか。以前、私の家の庭に捨てられた子猫が住みついて、毎晩泣いていたことがあった。
幼い娘達は可哀想に思い、餌をやりたがったが、私も妻もこれを禁じた。飼う気がないのに餌をやるわけにはいかない。といって保健所に連絡する気もなかった。だれか哀れに思って引き取ってくれるかも知れないからだ。(そして、じっさい、その通りになった)
この問題については、作家の東野圭吾さんも週刊文春に文章を寄せている。東野さんも捨て猫を拾い、家で飼っているのだという。彼の場合は、避妊手術を施した。しかし、それは一般常識にしたがったもので、猫の「生」の問題を考え詰めてのことではなかった。彼は彼女の文章を読み返すことによって、この問題の根の深さに気付いたのだという。
<私は罪深い人間だ。猫を飼うという習慣を容認し、実際に自ら飼い、多くの捨て猫が保健所で処分されている現実をしっていながら何もしていない。そんな私に彼女を非難する視覚などない。自らの苦痛を引き受けながら、愛猫たちの「生」を守ろうとしている板東眞砂子に対する反論など、何ひとつ浮かばない。自分に罪がないと確信している人間だけが彼女を非難すればよい>
東野さんはこの問題を理解するキーワードは「もし猫が言葉を話せるならば」だという。人間の勝手な思いこみではなく、猫の立場に身を置いてこの問題を考えようというわけだ。さて、本当のところ、子供を殺された親猫はどう考えているのだろう。それから、殺された子猫の気持も聞いてみたいものだ。
この連休はほんとうに秋晴れのよいお天気だった。秋分の日の土曜日には妻と二人、各務原にある木曽川の近くのレストランでコーヒーとケーキがついた千円のランチを食べたあと、食後の運動のため「明王山」という近くの山に登った。
車で途中の駐車場まで行き、40分ほど山の坂道を歩いて、頂上の展望台に来た。展望台にはベンチがいくつか置いてあり、そこでおにぎりを食べているカップルもいた。
展望台から見える360度のパノラマがすばらしい。遠くに御岳や南アルプス、伊吹山や白山まで見える。名古屋駅のツインビルや、時には名古屋港もみえる。眼下には木曽川や犬山城が見える。妻も私もここからの眺めが好きで、年に何回か来る。紅葉の季節もよいし、初冬や春先には雪山のパノラマがすばらしい。
下りの帰りは30分ほどしかかからないが、途中休み休み、時間をかけて降りた。鳶が悠々と空を舞い、梢では小鳥やつくつくぼうしが鳴いている。メジロの姿も久しぶりに見た。日差しは強いが、風がさわやかだ。木陰に来ると汗ばんだ肌から汗が引いてい行く。こんな短歌ができた。
木洩れ日に妻の影まじっているよ つくつくぼうしにこおろぎの声
昨日の日曜日も快晴だった。散歩で木曽川の堤防を歩いていると、河川敷で地元の野球チームが練習をしていた。私と同じ年輩の人たちが、ユニホームに身を包んでさっそうとプレーをしている。近くに広大な芝生の河川敷があるので、お年寄りがゲートボールを楽しみ、子供たちの野球チームも試合をする。
私は堤防の上で、腕立て伏せを20回と、ストレッチ体操をした。50分ほどの散歩の途中、毎日これをすることにしている。そうすると、一気に体が軽くなる。気分も爽快である。ふたたび歩き出し、空に漂う白雲を眺めながら、ふと、「雲よ、悠々と行け」という言葉がうかんだ。散歩から帰り、ノートを開くと、こんな詩ができた。
雲よ 悠々と行け
旅にあこがれる 私の分身としてただよい いつくしみの雨を降らせよ
やがて消えていくのだ あとかたもなく
その時がくるまで 雲よ 悠々と行け
2006年09月24日(日) |
主権者であり続けるために |
9月21日、東京地裁は「入学式や卒業式で、日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だ」とする401人からなる教職員の訴訟に対して、「都教委の通達や職務命令は少数者の思想・良心の自由を侵害する」として違憲・違法との判決を下しました。
教育の現場における国旗を前にした起立や国歌斉唱の強要は、思想・良心の自由を保障する憲法19条や、「教育は不当な支配に服してはならない」との教育基本法第10条にも違反すると述べています。そして、国旗・国歌を自然に定着させることのが国旗・国家法の趣旨であると述べています。
この訴訟に参加した原告の一人は、「いつも行動を監視され、自分もどんな扱いを受けるのかと、息苦しい毎日だった」と証言していますが、その精神的労苦は想像するにあまりあります。そうした困難にもかかわらずよく闘ってくれたと、先ずは彼らの勇気をたたえたいと思います。
戦時中、教師は軍国主義の風潮に抗しきれず、あるいは迎合して、多くの教え子を戦場に送り出しました。もちろん、国の政策に反対して、職を辞した人もいますが、多くの教師はそうではありませんでした。教員にかぎらず、学者やジャーナリスト、政治家もまた、その多くは時代に迎合し、なかには軍国主義の先兵となりました。戦後、こうした権力に迎合的な日本人のありかたが反省されました。
なぜ、日本人はお上に弱く、個人の権利をやすやすと手放してしまうのでしょう。そして、人権意識が薄弱なのでしょう。丸山真男さんは、こうした問題を深く考えた代表的知識人ですが、岩波新書の『日本の思想』(1961年)に次のように書いています。
<日本国憲法第12条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。この規定を若干読み替えてみますと、「国民は今や主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけなのです。
自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう>
世界に古代王朝がそのまま現代まで続いている国家は日本くらいです。天皇家がはたして万世一系かどうか、歴史学上は疑問があるようですが、それはさておき、日本人はこれまで様々な権力闘争はしてきましたが、天皇を頂点とする権力構造そのものは温存され、下からの体制変革ということがありませんでした。戦争に負けて、憲法を変えるときにも、明治憲法の規定の中で合法的に行われ、あらたな憲法も天皇の承認を得て発布されています。ここにも権力の連続性があります。
これに対して、外国では王朝が交代したり、自らの国民が王制を倒すという市民革命がありました。中国にも「革命思想」があり、徳を失った権力は、これを力で打倒する権利を保障しています。そしてこういう人物が真の英雄とされました。市民革命を経験し、民主主義をみずから血を流して獲得した経験のある国民にとって、権力に従順であることが美徳ではなく、横暴な権力には反抗し、悪法には従わず、おのれの良心に従い行動することこそがもっともすぐれた徳なのです。
国家権力をふくめあらゆる権力は、これを手放しで礼賛したりしてはならない。むしろ権力の横暴や独裁化を警戒しなければならないというのは世界の常識ですが、日本人はにはこうした意識が薄弱なのです。それどころか、人間性悪説を主張しながら、「国家性善説」を素朴に信仰している人がいます。
残念ながら、日本人には市民革命の経験はなく、お上の決めたことに逆らうことはできない、という封建的な心情を多くの人々がいまだに脱し切れていません。戦後60年余が経ちましたが、日本人の精神年齢はマッカーサーが米議会で証言した「13歳」からまだほとんど成長していないのでしょうか。
丸山さんの、「自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる」という言葉をかみしめてみたいと思います。この点で、憲法と教育基本法を踏みにじり、国民の人権までも侵害した都教委の「不当な支配」(東京地裁判決)に、職をかけて抵抗した401人の先生方は立派だ思います。
判決文にもあるように、政治家は国民に「愛国心」を強要したり命令したりすべきではありません。国民が自然と国を愛せるような社会をつくりあげること、そのために国民の公僕となって汗を流すこと、これこれが政治家に課せられた本来の任務なのだと思います。
そしてこのことは、教育者にもあてはまると思います。愛国心を生徒に強制するのではなく、彼らが自然にこの日本という国に愛情を持てるようにしたいものです。そして彼らが他国の人々までがお手本にしたくなるような自由と人権が行き届いたすばらしい国に日本をしたいと考え、そのために何が必要であるか自ら考えることのできる人間を育てたいものです。
私は30年近い教師生活で一度も日の丸への起立や礼拝を拒否したり、君が代斉唱を妨害したことはありません。しかし、もし東京都のように教育委員会が憲法や教育基本法に違反するような不法行為を強制してきたら、私は憲法が宣言している「国民として当然の権利と義務」に従い、また公務員は憲法や教育基本法に忠実でなければならないという当然の義務と、公人としての良心に従って、これに抗議しなければならないと思っています。
しかし、正直に告白すると、今回の401人の先生のように自分の職をかけてまで権力の横暴と闘う勇気があるか、自信はありません。これは私や家族の将来の人生設計を狂わすことになるでしょう。家族や友人も「慎重に行動するように」と哀願、もしくは忠告することでしょう。
そうした私的な事情を乗り越え、公的な義務や責任を自覚して生きるということは、とても大変なことです。しかしそうした人たちがいなければ、社会が進歩しないし、それどころか「ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっている」という悪夢が、現実になるかもしれないのです。
今日は秋分の日である。土曜日と国民の祝日が重なって、私のような怠け者は少し損をした気分だが、これはいたしかたがない。お天気もそう悪くはないようだし、今日の一日を二日分の休日だと思って、大いに楽しもうと思う。川辺の散歩道に、まだ彼岸花は咲いていないが、萩やコスモスが風に揺られてとてもきれいだ。
さて、秋分の日は昼の長さと夜の長さが同じになる。なぜそうなるのか、世のお父さんやお母さんは子供に説明できるだろうか。むかし学校で習ったはずだが、もう忘れている人が多いのではないだろうか。案外、子供の方がよく知っているかも知れない。一家団欒のときに話題にして、家族で考えてみてはどうだろう。
ヒントだけ書いておこう。それは、地球の自転軸が公転面に対していくらか傾いているからである。もしこの傾きがなかったら、一年中昼の長さと夜の長さが等しくなる。そしてもちろん四季もなくなる。
逆に、90度傾いていて、北極点が太陽の方を向いていたらどうなるだろう。北半球では1日中お昼ということになる。太陽は真北の一点にあって、不動である。反対に南半球は永遠に夜ということになる。つまり一年中真冬だ。こんな世界にはだれも住みたくはないだろう。
秋分の日と、春分の日は太陽は真東から昇り、真西に沈む。なぜそうなるのか、これも家族団らんの席で話題にしてみてほしい。たまには子供と一緒に、知恵を絞り、頭の体操をやってはどうだろうか。身近なところに理科の話題はたくさんころがっている。とくに秋分の日は、子供を理科好きにし、ひいては勉強好きにする絶好のチャンスだ。
秋分の日と、春分の日を「お彼岸の日」と呼ぶが、これはこの日に太陽が真西に沈むからだ。仏教では人間が死後赴く極楽浄土は真西にあると考えられ、「西方浄土」と呼ばれた。だから、一年に2度訪れるこうした日は特別なのである。この日にかぎらず、私の祖母などは落日に手を合わせて拝んでいたものだ。私たちは手を合わせないまでも、先人の恩や、自然の恵みについて、あらためて思いをいたす時間を持ちたいものだ。
ところで、お彼岸の日に食べるのが「ぼたもち」や「おはぎ」である。これはtenseiさんの「TNSEI塵語」で教えられたのだが、「ぼたもち」は「牡丹餅」で春の彼岸用、「おはぎ」は「お萩」で秋の彼岸用だそうだ。「おはぎ」と「ぼたもち」は同じものだと思っていたので、彼の日記はいつもながら大いに参考になった。さっそく今日の朝食の席で妻と娘にこの話をして、私の大好物の「お萩」を買ってきてもらうことにしよう。
(参考) http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18221&pg=20060920
いつか、仏教王国ブータンへ行ってみたいと思っていた。そんな私にとって、五木寛之さんが週刊現代に連載している「新・風にふかれて」は必読である。9/30号から引用しよう。
<ブータンの国家経済の規模は小さく、国民総生産の額も高くはないが、税金が安く、教育費と医療費はただだと聞いた。
この国には死んだ人のために墓というものを作らない。輪廻転生を固く信じているブータンの人たちは、死者は49日たてば必ず転生して、この世に生まれ変わってくると考えるから。
ひよっとすると、道路に寝そべっている犬に生まれ変わっているかも知れないし、牛が伯母さんの転生した姿かも知れない。ハエや蚊になってもどってきている可能性もなきにしもあらずだから、うかつにピシャリとできないのである>
<彼らの考え方にしたがうと、この世の生きものは皆、自分の親戚ということになってしまう。気にくわない相手でも、ひょっとすると子供の頃可愛がってくれたおじさんの生まれ変わりかも知れないではないか>
子供の頃、田舎の祖父の家に遊びに行くと、囲炉裏があり、そこに坐りながら、いろいろな話を聞いたものだった。そのなかの一つに、「世の中の生き物はみんな生まれ変わりだ」というのがあった。話はもう少し具体的で、いま外で鳴いているあの鳥は彦左右衛門さんの生まれ変わりだとか、井戸端で鳴いている蟋蟀は世左右衛門さんの死んだ娘の生まれ変わりだとかいうものだった。
高校に入って「更級日記」を読んだが、そこにもお姫様の生まれ変わりらしい猫の話が出てきた。また、その頃読んだ「歎異抄」にも、「一切の有情は、世々生々の父母兄弟なり」とあって、私はこれなども輪廻転生と結びつけて考えていたものだ。後に道元を読んだとき、「他己」という言葉があることを学んだ。他人も結局はもう一人の自己というわけだ。
私はこうした物語を信じていたわけではない。しかし、こうした話は私をとても幸せにしてくれた。世の中に生きているすべての存在に対する親愛の気持をいだかせてくれた。こうした感性は今も私の心の奥深くに残っていて、ものの考え方に大きな影響を与えているのではないかと思っている。
なおブータンは、インドと中国にはさまれた高地にあり、チベット仏教を国教としているので、「天空の聖地」などとも呼ばれる。17世紀に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが、現在の国土をまとめたのだという。現国王は仏教への帰依があつく、国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念を提唱している。
2006年09月21日(木) |
命が担保の消費者金融(2) |
昨日の朝日新聞朝刊第一面のトップの見出しは<「借り手に保険」廃止検討>だった。<「命を担保」批判強く>との副題がついている。記事の一部を紹介しよう。
<消費者金融大手アイフル、プロミス、三洋信販の3社は19日、借り手の死亡時に備え生命保険をかける制度について、廃止も含め検討していることを明らかにした。制度をめぐって「命を担保にしている」との批判がたかまり、保険の引き受け手である生保業界が加入手続きの厳格化を求める方針を表明。消費者金融側にとっては事務コスト増が見込まれることもあり、見直しに動き始めた>
<加入への同意書が借金の申込書と一体となり、知らぬ間に命を担保にされている実情に批判が高まった。厳しい取り立てや借金苦による自殺を助長しているとの指摘も出ている。3社の他、アコムも「現時点ではやめることは検討していないが、今後はありうる」としている>
<生保協会によると、消費者団体生保は生保19社が、消費者金融を主体に27社向けに取り扱っている。3月末時点の被保険者数はのべ2200万人で、保有契約高は8兆4千億円>
<05年からはじまった上限金利見直しをめぐっては、今月に入って自民党内で議論が紛糾。同党は15日に改正案の骨子をまとめたが、利息制限法の上限(15〜20%)を上回る金利が公布後も約5年間続く「経過措置」をつけた。日弁連や消費者団体、一部国会議員らは経過措置の設定に反対していた>
いずれにせよ、20年近く前から始まったという「命が担保の借金」が、ここにきてようやく見直されようとしている。こうした非人間的な制度が廃止されることは是非必要なことだ。さらに現在30パーセント近い高金利も5年後を目途に、20パーセント近くに引き下げられることになりそうだ。
もちろんこれで消費者金融の問題がすべて解決するわけではない。貸し出し金利を法律で下げることに反対する人の中からは、これによって庶民がさらにあくどいヤミ金融の餌食になるのではないかという不安を指摘する声も上がっている。人々が高利のサラ金にすがりつき、ついには350万人もの多重債務者を生みだす社会の土壌そのものが変わらないかぎり、たしかにこの問題は解決しない。
2002年の日本の貧困率は年収238万円以下の所帯が15.3%だったが、2005年には年収200万円以下が20%を超えた。OECDの貧困率の調査を現時点で行えば、メキシコを超えて世界一になっているかもしれないという。こうした変化を歓迎する人もいるだろうが、それはほんの一部の人たちである。
昨日、阿倍官房長官が他の2候補に大差をつけて自民党の総裁に選ばれた。日本はもともと貧富の差がもっとも少なく、世界からうらやまれていた国である。それが小泉政権の5年間で、貧富の差がどんどん拡大し、日本社会は世界でもっとも大きい「格差社会」になった。どうじに自己破産者が劇的に増え、自殺率や犯罪率も上がった。
阿倍さんは小泉政権の「改革路線」を継承するだけではなく、その改革がもたらした「闇の部分」をぜひ自覚して欲しい。消費者金融の問題は、日本社会の実相を知る上で、絶好の手がかりになるだろう。
2006年09月20日(水) |
過去に目を閉ざすなかれ |
最近8月15日が太平洋戦争の終戦記念日だと知らない日本人が増えている。それでも、私くらいの世代の人間であれば、まず知らないことはないだろう。しかし、9月18日が何の日かと質問されると、答えられないのではないだろうか。
じつは、75年前の1931年9月18日、中国遼寧省奉天(現在の瀋陽)の柳条湖付近で、日本の国策会社南満州鉄道の線路が爆破された。そしてこれが引き金になって、旧日本軍による侵略(満州事変)がはじまった。いわゆる15年戦争と呼ばれる、日本とアジアの大悲劇がはじまったわけだ。
実は私もある人に教えられるまで、9月18日が柳条湖事件が起こった日だとは気が付かなかった。もし知っていたら、その日の日記の題も内容も違ったものになっていたに違いない。
日本人はこの日を忘れていても、侵略された中国の人たちはどうだろうか。新華社電などによると、瀋陽市など全国100都市以上でサイレンが鳴らされ、主催者側は「国の恥を忘れず、中華を復興させよう」などと強調したという。また、中国では極東軍事裁判を描いた中国映画「東京裁判」がこの日全国一律10元(約148円)の特別料金で上映された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060918-00000057-jij-int
この日の人民網日本語版によると、瀋陽市柳条湖近くの「九一八歴史博物館」には、開館から7年で日本人約8万人を含む計700万人以上が来館したという。人民網日本語版から一部を引用しよう。
<館内に置かれた来館帳は、何冊もが書き込みでいっぱいになっていた。大連国際楓葉学校初級中学部の花媛さんは6月28日、「わたしは歴史教師として、より多くの中国の青少年にこの歴史を理解させ、記憶させ、日本軍国主義の復活を警戒させることを強く提案する」と書き込んでいる。北海道から来た野村さん、清水さんなど5人の日本人は7月7日、「祈中日友好」と厳かに大書している>
http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/18/jp20060918_63128.html
私たち日本人は気楽に「日中友好」を口にするが、15年戦争で一方的に侵略され、2000万人以上の犠牲者をだした中国の人たちにとって、「中日友好」を口にするのはなかなか勇気がいることだろう。このことは立場を逆にして考えてみればよい。現にこの日、こんなことも起こっている。9月19日の朝日コムから引用しよう。
<満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の発生から75周年を迎えた18日夜、中国遼寧省瀋陽市の事件現場近くで記念式典が開かれた。式典周辺に集まった市民は1万人以上。警備当局は1000人規模の厳戒態勢を敷いたが、式典後、興奮した市民ら数百人が警察官らともみ合いになり、「日本製品を買うな」「打倒小日本」などと叫びながら、「日の丸」を焼いた。当局が解散を呼びかけ、約1時間後に収束した。負傷者は確認されていない。数人が連行された模様だ。>
http://www.asahi.com/special/050410/TKY200609180258.html
こうした中国の現実を私たち日本人は知るべきだろう。そしてこれは中国だけの現実ではない。韓国やフィイリピンなど、日本の軍国主義的な植民地政策で被害を受けた多くの東南アジアの国々がかかえる現実である。こうした現実は過去に目を閉ざしていては見えてこない。西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーの言葉を引用しよう。
<過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした過ちを繰り返す>
東西の冷戦が終わり、世界情勢が大きく変わろうとしている。アジアでは中国が力をつけ、すでにその経済的な影響力は日本をしのいでいるという分析もある。やがてGDPでも日本を凌駕し、アメリカと肩を並べる日がくるだろう。
また、韓国や他の東南アジアの国々も日本に対する経済的な依存度を下げている。これまでは日本もアメリカ依存とODAによる札束外交でどうにかなったが、これからの時代はそうしたことではどうにもならないだろう。
やはり、日本が本当に信頼される国にならないといけない。そのために、戦争責任もしっかり受け止める必要がある。本来なら、こうした問題で紛糾することはないずだが、これを認めることに異常に反発する人たちがいて、問題をこじらせている。
そのために、何度も追求され、何度も謝罪を繰り返すというお粗末な外交を繰り返している。そして足踏みばかりしていて、その先に進むことができない。こうした停滞、あるいは退行は、ほんとうに情けない。
日本が大きな目標にすべきは、国際社会で信頼を得て、責任ある地位を確立することではないだろうか。たとえば、国際連合の安保常任理事国にふたたび立候補して、世界の国々からその地位を承認してもらうことだ。そのためには、まずは近隣諸国の信頼を得なければならない。そしてこれこそが日本国憲法が日本政府と国民に求めていることである。
日本がそうした大きな志をもって努力すれば、日本は世界からの徳のある有為な国家として認められる。これからの日本は、経済力を生かしながら、政治的、文化的にも世界に貢献し、国際社会で信用力を高めていかなければならない。
おくればせながら、柳条湖事件に対する感想を書いてみた。中国の人々は「9.18を忘れるな」という。しかし、本当は私たち日本人こそがこの日にもう一度「9.18を忘れない」と肝に銘じ、アジアと世界に向かって平和のメッセージを発信すべきなのではないだろうか。
2006年09月19日(火) |
国民不在のサラ金改正案 |
今年1月、最高裁は貸金業者に関する裁判で画期的な判決を下した。利息制限法と出資法で上限利息がくいちがうことで生じていた「グレーゾーン金利帯」そのものを、ついに事実上、認めないと宣言したのだ。
利息制限法は上限金利を20パーセントまでに制限している。しかし、この法律には罰則規定がない。ところが「5年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金」という罰則規定のある出資法は上限金利を29.2パーセントと定めている。サラ金業者はこの出資法に基づいて貸し出し金利を決めていた。最高裁はこれを違法としたわけだ。
しかし、金融庁が今回自民党に提出した貸金規制法改正案は、28パーセントの高金利を特例で認めるとしている。さらに、上限金利も制限法で10万未満が20パーセント、100万円未満が18パーセント、それ以上は15パーセントだった貸出金の区切りを、それぞれ5倍の50万円と500万円にしている。
しかもこの改正案を施行するまでに1年、猶予期間が3年、そしてさらにその先5年間もこの特例金利を認めるのだという。つまり国民はこれから9年間も、こうした高金利状態に放置されるわけだ。すでに消費者金融で借金がふくらみ、自殺や家庭崩壊がおおきな社会問題になっているのに、この金融庁の悠長さは何としたことだろう。
これについて、市民団体や法曹界からも批判の声があがっている。そして内閣府でこの問題を担当した後藤田正純政務官(衆議院議員)が、9月8日に「改正案はとても承認できない」として政務官を辞職した。彼は週刊文春9/21号の記事の中でこう述べている。
<僕はグレーゾーン金利撤廃に関して、多重債務や高金利に苦しむ人たちのために、一貫して上限金利の引き下げを主張してきた。ところが金融庁は、引き下げ反対派の政治家や貸金業界に配慮した「特例案」を出してきた。今後は自民党の一議員として、金融庁の案を徹底的に叩くということで辞任した>
すでに貸金業界は大手の銀行によって系列化が進んでいる。岩崎弥太郎を創業者にもつ日本最強の財閥である三菱グループは、04年3月にアコムに約1000億円を出資して、実態としてこれをグループの傘下においた。また、三井住友グループもプロミスに資本参加し、共同して貸金業務を展開している。
こうした流れは、金融当局の思惑でもある。批判の多いサラ金業界を、自分たちのコントロールの利く大手の銀行業界に仕切らせて、これを「健全化」しようというわけだ。もちろんこの「健全化」は、霞ヶ関の役人や政治家ばかりではなく、大手の銀行にとっても願ってもないおいしいビジネスチャンスである。すでに米国の銀行はその利益の大半を個人向け金融ローンやカード業務で賄っているが、日本の銀行もこうした方向に動いているわけだ。
もちろん、外国の銀行も日本の消費者金融市場にそうとう深く関与している。今回の「グレーゾーン金利問題」についても、米金融機関は共同で与謝野馨金融相に「人為的な金利制限は経済にネガティブな影響をもたらす」という趣旨の陳情書を提出している。
こうした圧力を受けて、与謝野長官の言動も次第に腰砕けになってきた。当初「高金利」に不快感を表していたが、最近は「業者よりの人がいて、これに反対する若い議員がいる。自民党と金融庁で考えた案がちょうど真ん中でよい」などと無責任な発言をしている。(週刊文春9/21による)
自民党と金融庁の真ん中の案というのは、「特例」の猶予期間を5年から3年に短縮させることらしい。金融庁はこんな小細工で自民党の面子を立てるつもりかも知れないが、双方ともあまりにも国民を甘く見過ぎていはしないか。
2006年09月18日(月) |
命が担保の消費者金融 |
9月13日の朝日新聞朝刊によると、消費者金融大手5社(アイフル、アコム、プロミス、武富士、三洋信販)が05年に受け取った死亡保険金は3万9880件で、そのうちの1割にあたる3649件の死亡理由が「自殺」だったという。
お金を貸すとき、顧客の「命」を担保にして保険をかける。顧客は返すことができなくなると、自分の命を犠牲にしてお金を返す。こんな残酷なことが今、この国で行われている。
金融庁によると、保険加入から1〜2年以上たつと、保険金を受け取る際に死亡診断書の提出が省略できる。したがって自殺を理由とした支払いが、この調査結果よりも多い可能性もあるという。
こうした「命を担保」にした保険(消費者信用団体生命保険)は20年以上前からはじまり、原則として消費者金融の借り手全員に加入させている。しかし、実際は借金の申込書と一体化しているため、生保加入に気付かない加入者がほとんどらしい。
消費者金融の利用者数は、04年の一年間で2000万人の大台を越えている。平均の借入金も100万円を越えている。大手4社だけで営業収益は年間3500億円を超える。
消費者金融やクレジット各社が供与した金額は、住宅ローンをのぞいて、03年の段階ですでに73兆円になる。いわば国の予算にも匹敵する金が支払われているわけだ。とうぜん、それ以上のお金が消費者から金融各社に流れている。なお、消費者金融の顧客の4割以上が年収300万未満の低収入層である。そして8割以上が年収500万未満である。
米雑誌「フォーブス」によると、昨年05年の富豪リストの第二位がアイフルの社長、第三位が武富士前会長、第五位がアコムの会長で、いずれも5000億円を越えている。
貧者からさらに富を奪うこうした仕組みが、中・下層階級の貧困化に拍車を掛け、格差社会の現実をさらに厳しいものにしている。個人自己破産者の数はこの10年間で4倍にふくれあがり、05年には18万4千人をこえた。多重債務者は350万人もいる。
これらの消費者金融会社に資金を貸し付けているのが、大手の銀行や保険会社、外資である。銀行は0金利で資金を調達し、これを消費者金融をとおして、30パーセント近い高利貸しをしている。
しかし、新聞もテレビもこうした「悪魔のビジネス」を批判しようとしなかった。その理由はこれらの業界から莫大な宣伝費を受け取っているからだ。その額は年間800億円にもなるという。これだけお金を払い込んでくれる気前の良いスポンサーに対して、新聞もテレビも、マスメディアは批判は出来ない。
金融ジャーナリストの須田慎一郎さんの「下流喰い」(ちくま新書)にこんなエピソードが紹介されている。二、三年前に彼が新聞の夕刊に「メガバンクともあろう存在が、そもそもサラ金と組むとはいかがなものか」と持論を述べたところ、広告代理店がいきなり、新聞社の広告出稿を全面ストップすると圧力をかけてきたのだという。
<代理店の言い分は、いつも同じである。 「そんな記事を載せたら、広告を引き上げます」 「今後のお付き合いに支障がでますけど、いいんですか」 電通、博報堂といった大手の広告代理店は、寝技に長け、印刷所にまで手をまわして、出版社の許可なく早刷りのゲラなどを易々と入手してしまうこともあるという。私の記事の場合は通常のクレーム、警告などでなく、もっと露骨なものだった>
<格差社会の暗部で、弱者が借金漬けにされている。デフレ経済下、大手消費者金融会社は低所得者層を貪り、肥大化してきた。いま、その甘い蜜を求めて大手銀行と外資企業が争奪戦を演じている。その一方で、多重債務に陥った利用者は、ヤミ金に全てを奪われた挙句、深い闇に沈められる>
今年4月14日、アイフルは国内1900店全店の業務停止命令を受けた。不正が検察に摘発され、広告を自粛するようになって、ようやく批判が本格したという感じだ。ここにきて朝日新聞、毎日新聞、東京新聞はさかんにその罪状を書き立てているが、金の切れ目が縁の切れ目ということだろうか。これも遅きに失したという感じだ。
私の知る限り、消費者金融の問題を当初から詳細に報道し続けたのはNHKの「クローズアップ現代」くらいである。私がこの番組を大いに評価するゆえんだ。
ところで、小泉構造改革の大応援団になったトヨタの年間の宣伝費は810億円あまりで、消費者金融各社の合計をもしのいでいる。マスコミがトヨタや経団連の提灯記事を書きたくなるのも分からぬではない。なお、マスコミが次期首相確実と書きたてている阿倍官房長官の奥さんは、泣く子も黙る大手広告代理店「電通」の出身らしい。
2006年09月17日(日) |
「純情きらり」の美学 |
「NHK大河ドラマ」大嫌いの私だが、同じく韓国の大河ドラマ「チャングムの誓い」は大好きで、毎週楽しみに見ている。どうように、NHK朝の連続ドラマも好きだ。とくに「純情きらり」は私のお気に入りだ。
NHKの大河ドラマが嫌いな理由は権力者や支配者をいつも美化しているからだ。NHKよ、いいかげんにせよ。これに対して、朝の連ドラは名もない庶民の視点で丁寧にドラマが作られているので共感がもてる。
有森家の三女の桜子(宮崎あおい)は、音楽を愛するお転婆な少女だ。「好きなピアノで身を立てたい」という桜子の望みは戦争によって阻まれる。しかし、桜子は、様々な人々との出会いに励まされ、音楽への思いを燃やし続ける。とくに八丁味噌の老舗の一人息子の達彦(福士誠治)との出会いが彼女の運命を変える。彼に励まされ、桜子の音楽への思いがさらに高まる。
「純情キラリ」は愛知県の岡崎が舞台だ。活きのよい三河弁もでてくるので、よけいに親しみがわく。それに戦争で苦しんだ庶民の生活もよく描かれていた。戦争を知らない世代にぜひ見て貰いたかった。
戦争が終わり、桜子は婚約していた達彦が南方から復員してきて喜んだものの、多くの戦友を戦場で失った達彦は心に大きな傷を負っていた。そうした心の障害をどうにか乗り越えて、ようやく二人は結婚することができた。なんと長い道のりだったことだろう。「桜子ちゃん、よかったね」と、心から祝福して上げたい。
桜子は達彦が戦場で死んだらしいといううわさを聞いて、ひととき落ち込んで、自分を見失いかけたこともあった。そのとき、姉の笛子(寺島しのぶ)の夫の冬吾(西島秀俊)に励まされた。音楽の好きな桜子と画家の冬吾は、芸術を愛する者として心が通じ合う。そして桜子はいつか冬吾に特別な感情を抱いている自分に気付く。冬吾も気付いて、二人は意を決して離れた。
このことを笛子に追求されて、桜子は事実を隠さずに冬吾や達彦の前で告白する。そして、達彦に許しをこう。戦争の後遺症もあって、達彦は桜子からこれまで距離を置いていた。しかし、このときの達彦は違っていた。むしろ桜子に淋しい思いをさせたことを謝り、あらためて生涯をともにしたいという。この男らしさに、私はもらい泣きした。
一方、気持の収まらない笛子は、縁側でもの思いにふけっている冬吾に、「あなたは黙っているばかりで卑怯だ」と言う。そして、「他にも選べたでしょうに、何で私だったの。私にしかない、いいとこ言ってみんよ」とつめよる。これに対する冬吾の東北弁の木訥な言葉がよかった。
「おめえのいいとこか。おっちょこちょい、人の話をきかねえですぐ怒る、さむしがりやの焼き餅焼きだな。ごうじょっぱりなくせに、頼りねえしな」 「なによそれ、全部悪いとこばっかしじゃん。いいとこなんか、一つもないじゃん」 「だからいいんでねえか。おなごはな、でこぼこのあるほうがいいんだ。尖ったところや、足りねえところがいっぱいあるほうがな」
笛子は涙を浮かべながら冬吾に寄り添う。冬吾のセリフはじつに心にしみる。本当の愛情は、かくも陰翳のある、でこぼこしたおかしなものなのだ。縁側の日溜まりの中で、しずかに身を寄せ合っている笛子と冬吾にも拍手を送りたい。それにしても杉冬吾よ、おまえは大した男だ。
主な出演者にはこの他、有森家の二女を演じた井川遙や父親役を演じた三浦友和、父の妹で桜子の叔母役の室井滋、祖父役の八名信夫、達彦の母の松井かね役の戸田恵子などがいる。劇団一人も下宿人役で登場し、味のあるキャラを好演していた。最後に脚本を書いた浅野妙子さんの言葉を紹介しよう。
<「純情きらり」は、さりげなく、優しく、静かに始まります。むかし見慣れた連続テレビ小説の、懐かしい雰囲気に包まれ、どこといって変わったところのない、ごく普通の物語の外観をまとって。でも、じっと見ていてください。いつもと違う何かが、少しずつ、たちあがっていくはずです。素晴らしい出演者たちが、心の奥深くに届く本当の物語の扉を、きっと開けてくれるはずです。私もそれを信じて、見守っていきたいと思います>
http://www3.nhk.or.jp/asadora/
昨日の金曜日、妻と二人で伊勢神宮にお参りした。妻は3回目だというが、私は初めてである。妻の案内で「外宮」「内宮」の順で見て回った。外宮は豊受大御神(とようけおおみかみ)を、内宮は天照坐皇大御神を祀る。いずれも広大な森の中にあり、すこぶる環境がよい。
とくに内宮は景観がよかった。大鳥居をくぐれば、宇治橋が五十鈴川をまたいでいる。橋の上から眺めた川辺の光景が美しい。橋を渡り、白砂利の敷き詰められた参道をしばらく行くと、鬱蒼とした森が広がる。その森の右手に五十鈴川の御手洗場へ下る道がある。
妻に誘われて、川の畔へと歩いた。大きな切石で造られた石段があり、川水が敷石の上を音を立てて流れている。妻が以前に来たときは、その清流に鯉がおよいでいたという。しかし、昨日は増水して魚の姿も見えなかった。しかし間近に見る五十鈴川の姿は格別だった。川の流れに悠久の時間を感じた。
吹く風の目にこそ見えね神々はこのあめつちに神づまります
これは私が敬愛する福井の歌人、人橘曙覧が詠んだ和歌である。彼は伊勢に憧れつづけた。そして、50歳の秋にようやく念願を果して伊勢に参詣し、彼はこの五十鈴川のほとりに立った。その感慨をこんな歌に託している。
五十鈴川先づすすぎてむ年まねくまゐでこざりし己が罪とか
「日本書紀」によると、垂仁天皇25年3月10日に、天皇は倭姫命に天照大神を祀らせた。倭姫命は天照大神が鎮座するべく所を探して諸国をまわった。倭姫命が伊勢国にたどり着いたとき、天照大神が「この神風の伊勢の国は常世之浪の重浪(しきなみ)よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもう。」と託宣し、倭姫は五十鈴川の近くに祠(やしろ)を建てて、磯宮と呼ぶようになったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/a??a?¢c\?aRR
「倭姫命世記」という書は、姫命がこの川で裳裾の汚れを濯いだとの伝承をつたえている。このことから、五十鈴川は御裳濯川(みもすそがわ)とも称されるようになった。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/ yamatouta/utamaku/isuzu_u.html
私にとって伊勢といえば、「万葉集」の大津皇子とその姉、大伯皇女(おおくのひめみこ)の物語である。686年9月9日に天武天皇が崩御すると、皇后(持統天皇)は姉の子で天武の長子であった大津皇子(24)を葬ろうとする。自らの子である草壁皇子を天皇にするには、文武に秀で、人々の覚えのめでたい大津皇子は邪魔者である。
大津皇子は、自分の不吉な将来を予感し、今生の別れを告げに、伊勢の斎宮であった姉のもとを訪れた。そして、姉と夜っぴて語り合った大津皇子は、夜が明け切らぬうちに出発した。そのとき、姉の大伯皇女が詠んだ歌が万葉集に残されている。
我が背子を大和へ遣ると小夜更けて 暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡れし (巻2 105)
ふたり行けど行き過ぎかたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ (巻2 106)
姉は弟が今生の別れを告げにきたことを知っていた。だから、弟の後ろ姿が見えなくなってからも、いつまでも夜露のなかに濡れて佇んでいた。姉の不吉な予感は現実のものとなった。10月3日に大津皇子は謀反人の汚名を着せられて自害させられた。
内宮の森の中を妻と歩きながら、この歌を思い出し、くちずさんでみた。おりしも梢で蝉が勢いよく鳴いていた。さすがは伊勢神宮の森に住む蝉たちである。「ほれぼれするようないい声だね」と妻と二人で感心した。神宮を出た後、「おかげ横町」のほうに足を向け、レストランで食事をしたあと、私の好物の「赤福」を買った。
伊勢にきて赤福うましありがたし 裕
1932年、国際連盟はアインシュタインに、「人間にとって最も大事だと思われる問題をとりあげ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」と依頼した。アインシュタインが往復書簡による対話の相手として選んだのは、フロイトだった。アインシュタインはフロイトを相手に、「なぜ、戦争はなくならないのか?」と問うている。
このアインシュタインの問題提議に対し、フロイトは心理学の専門家として、「人間から攻撃的な性質を取り除くことなど、できそうにもない」という悲観的な見解を示している。そして人間がそうした存在であればこそ、その攻撃性の発現を防止するために、私たちは出来うる限りの努力をすることが求められるわけだ。
人間の持つ攻撃性を生まれながらのものと考えるのか、後天的に形成された二次的なものと考えるのか、意見が分かれるところだろう。フロイトは一次的なものと考えていたようだ。コフートは第二次大戦を経験し、ユダヤ人として悲惨なホロコーストを身近に体験した。しかし、彼はそれでも人間の攻撃性を一次的と見る見解について異論を挟んでいる。
<子供の怒りと破壊性は、目標をめざして奮闘している、あるいははけ口を探している一次的本能の表現として考えられるべきではない。心理現象としての人間の破壊性は本質において二次的である>(修復)
人間が相手を攻撃するのは、自己の要求が阻害され、自己が痛めつけられたと感じたときだ。コフートによれば、自分の目標の障害になっているものに怒りを覚え、これを攻撃するのは何も異常なことではない。むしろそれは正常な反応である。こうした攻撃性はやがて自己が成熟することで、より客観的で健全な自己主張に発展する。
しかし、共感が欠如した環境で健全な自己形成ができなかったとき、攻撃性は発育不全に陥り、いびつで過激なものにならざるを得ない。コフートは未熟な自己愛が傷つけられたときに感じる激しい怒りを「自己愛憤怒」と呼んだ。和田秀樹さんは「自己愛の構造」のなかで次のように書いている。
<自己愛の傷つきやすい人は、この自己愛憤怒が激しいものになる。いかなる方法でも復讐しないと気がすまないし、相手にも容赦がない。この容赦のなさ、収まらなさ、残忍さが、他の種類の攻撃性と自己憤怒の区別のポイントなのである。(略)
そして、自己が崩壊することの産物であるから、自己がまとまるまでは収まらない。また自己がまとまっていないので、理性的な対応ができず、つい残忍なものとなる。
これは、現在の「キレる」といわれている子どもたちのやり場のない、また残忍な怒りや、ストーカーと呼ばれる人たちの執拗な攻撃性を説明するのにぴったりの概念のように思えてならない。
自己が脆弱な彼らは、教師のちょっとした「馬鹿にしたような」言動や、あるいは異性にふられるという自己愛の傷つきにたえられず、自己愛憤怒のために「キレて」しまったり、執拗な攻撃を止められないのだろう>
人を自己愛憤怒から救い出すためには、彼を再び「自己を愛せる人間」に戻してやらなければならない。しかし、自己の破壊が進んでいるとき、これを修復するのは容易なことではない。ここから人間の攻撃性が一次的なものだという信念がうまれる。そしてこうした信念のもとで、抑圧的な解決法が模索され、カリスマ的な強いリーダーが待望される。しかし、和田さんはこれは最終的な解決にならないだろうという。
<カリスマやメシアの出現だけでは、ブランド品とおなじで、自己の病理の束の間の慰めにしかならないだろう。それよりは、共感的なリーダーのもとで、人々が自己を立て直し、冷静な判断と創造性や活動性の復活をめざすことのほうが、日本の自己喪失の治療計画としては、長期的に有効なもののはずだ>(自己愛の構造)
人は共感され、愛されることで、自己を確立し、他者を愛することを学ぶ。私たちにできるのは、人間の自己破壊を防止すべく、できるかぎり愛情と共感にみちた家庭と社会を用意すること、そして協力して多くの健全な自己愛人間を育てることだ。これが地上から戦争をなくすもっとも合理的で望ましい道ではないだろうか。
ハインツ・コフートは1913年にウイーンの裕福な製糸業者の子として生まれた。19歳でウイーン大学の医学部に入学し、1938年に学位を受けている。この年の6月4日、シグムント・フロイトはウイーンを脱出したが、コフートはウエスト・バーンホフ駅に彼を見送っている。コフートが帽子をあげて挨拶すると、フロイトも帽子をふってお返ししたという。
翌1939年3月にコフートもウイーンを逃げ出した。この年、ナチスがオーストリアを併合した。ユダヤ人のコフートにとって、生きにくい時代になっていた。彼はイギリス経由でアメリカにわたり、シカゴ大学で神経学を学んだ。優秀だったコフートは1944年には助教授になり、シカゴ大学の神経学のリーダーになった。
しかし、やがてコフートは神経学から精神医学のほうに転換する。神経学から精神医学へという転換はフロイトと同じである。このあとコフートはフロイトの娘で、すぐれた精神分析学者でもあったアンナ・フロイトの信頼を得て、1964年にはアメリカ精神分析学会の会長に選ばれている。
しかし、コフートはやがて正統派精神分析理論を受け継いでいたアンナを離れ、フロイトとも一線を画す独自な「自己心理学」を創造していく。これはフロイトが否定した「自己愛」を肯定し、相互依存と共感性に支えられた健全な自己愛の発育が人間を幸せにするという考え方である。
フロイトは「意識下に抑圧された性欲」がさまざまな精神障害を生みだしていると考えた。しかし、戦争が終わり、社会がゆたかになり、より開放的になってくると、この考え方は説得力をうしない、色あせてきた。セックスはもはやタブーではなく、「性の解放」が著しく進んだからだ。にもかかわらず、精神障害はなくならなかった。
コフートはフロイトの頃と現代では患者の質が違っていることに気付いた。性的な罪悪感で悩む人はむしろ少なくなり、多くの現代人は野心や理想を求め、現実とのギャップに悩み、挫折体験に傷ついている。コフートはこうした進歩的で現代的なタイプの人間を「悲劇人間」とよび、フロイトが対象にした保守的なタイプの人間を「罪責人間」と呼んだ。
<精神装置心理学という概念は、罪責人間の精神障害と葛藤を説明するのに適切である。自己の心理学は悲劇人間の心的障害と苦闘を説明するのに必要とされる>(コフート、「修復」)
性的罪悪感を持ち、自ら典型的な罪責人間であったフロイトは、彼にふさわしい古典的な心理学理論を築いた。これに対して、コフートはどちらかというと、新時代を代表する悲劇的人間だった。彼はアメリカ精神分析学会の会長になれたが、悲願の国際精神分析学会会長のポストを得られなかった。こうした自らの挫折と自己喪失を深く分析することで、現代社会に生きる我々に光りを与える独自の理論が築かれた。和田秀樹さんは「自己愛の構造」の中で、こう書いている。
<このように(コフートの論文のなかに出てくる)Z氏の分析を自己分析として読み直してみると、コフート自身の病理とその生い立ちの関係がうまく説明されるのは確かである。そして、コフートは表面的な成功の裏で送っていた空虚な精神生活を自己分析を通して脱却し、自らが信じ、自らが打ち立てる新しい精神分析理論をもって、周囲の権威にたいし、反旗をひるがえす精神的基盤を整えていったと考えてもよいのではないだろうか>
フロイトは晩年10年間以上を上顎癌と闘い続けた。いっさい愚痴をこぼさず、鎮痛剤さえ拒んで、自らの理論と実践によって培った堅固な自我を武器に、病と老いに果敢に立ち向かった。それは禁欲的でまさに英雄的といってよいような意志の強さを示す雄々しい姿である。
一方、コフートも1971年に白血病を発症し、彼の晩年10年間の独創的で円熟した研究は白血病との闘いのなかで築かれている。しかし、彼はフロイトのように寡黙で孤独な戦いはしなかった。1974年に行われたセミナーでコフートは多くの聴衆をまえにこう語っている。
「自分の病気を押してまで、なお他人への思いやりに没頭していることは、確かに賞賛すべきことだと言う人もいるでしょうが、その人の心的経済論に何かまずいことが起こっているあらわれ、と私は思うわけです。確かに、年をとるにつれてわれわれの力は狭まっていきますから、われわれは必然的に力を倹約して、自分の面倒を優先します」
ここにもコフートの建前よりも本音を重視し、より自己に忠実に、より自然に生きようとする姿があらわれている。人間は孤独では生きられないし、自律しても生きられない。人間はひとりでは弱い存在だという認識は、60歳を過ぎて不治の病を得たコフートにとって、骨身にしみる真実だったのだろう。1981年10月8日、コフートはシカゴで亡くなった。この年にはコフートが一時期「心の母」として敬愛していたアンナ・フロイトも世を去っている。
人は感情や理性をもち、自己を他人の中に生きる一人として、客観的に自分を思い描くことができる。ところが、この自己体験が定かでなくなり、人間であるという感覚が失われることがある。コフートを引用しよう。
<人間がさらされる最も痛切な感情のうちあるものは、それはカフカの「変身」によって忘れがたく描写されており、また重い自己愛パーソナリティ障害の多くの人々の分析で観察可能なのだが、人間でないというあの感覚と関連している。パーソナリティにおけるこのような中心的歪みの自覚は、私が思うには、小さな子供のときの環境に人間的な人間がいなかったことから生じる>(治癒)
人間は他人の中で自己に目覚める。他人に認めて貰うことで、ようやく安定した自己の像を手に入れ、自分という存在を自分で確認する。子供は母親に求めてもらい、父親や周囲の親族に認めてもらうなかで、彼らの中で支えられて生きている自分を発見するのだ。
しかし、こうした受容的で共感的な環境がないと、子供は不安になり、自分をどこにむすびつけてよいのか分からなくなる。こうした「存在不安」のなかにおかれると、人間は安定した自己像を持つことができないわけだ。
自分が自分に対して曖昧になるのと同時に、世界も曖昧になる。自分が人間とかけ離れた存在になるということは、世界が人間のすむ世界ではなくなるということだ。
子ども時代から競争的な環境におかれ、共感的な存在にささえられずに過ごした人間は、彼自身、共感的な能力を発展させることもなく、まとまりのある自己という意識からも疎外される。そして、さまざまなパーソナリティ障害を発症するわけだ。
彼が自己を絶対化するのは、実際は彼が無能力だからである。また、彼が他者を攻撃するのは、彼が他者からの攻撃に脅えているからである。他者の彼に対する敵意は、実のところ彼の他者に対する敵意の鏡像である。彼は世界の中に彼自身の敵意を見ている。そしてその敵意に脅え、さらに攻撃をエスカレートさせる。
もちろんこうした戦いはいつまでも続くわけではない。自分自身とのこの不毛な戦いに疲れて、ついに彼は倒れるだろう。そのとき、彼はもはや自分は人間でないという感覚に襲われる。こうして彼は他者と同時に、自分自身をも見捨てるわけだ。
現代人の多くは、こうした自己喪失というカフカ的状況の中におかれている。それは彼の生い立ちや、彼をとりまく社会の状況がそうさせているわけだ。それではどうしたらこの自己喪失人間を、自己建設へと向かわせることができるのだろう。和田さんは「自己愛の構造」にこう書いている。
<コフートの治療観では、治療者や親はつねに共感的でないといけないし、それを通じて患者はまとまりのある自己と人に上手に依存する力を得るということなのだろう。そしてその逆の場合は、自己がいつもバラバラになりかけているのに、人に上手に頼れないという「悲劇」が生まれるのである>
コフートは人間には本来的に自己創出能力があると考えた。したがって、患者をそうした人間的な環境のなかにおけばよいのだ。具体的には共感能力の高い人間を彼の傍らに配置し、彼が人生を最初からやり直すのを温かくサポートするのである。
もちろんこの試みはむつかしい。そしてこれは精神科医だけの課題とはいえない。現代において、すべての親や教師が、こうした共感的なセラピー能力を養うことがもとめられている。それは社会がそれだけ競争的になり、非共感的な環境になってきているからだ。
人間は風にそよぐ弱い葦である。しかし賢い人間は、自分が風にそよぐかよわい存在であることを知っている。そしてこのかよわい存在が生きていくためには、おたがいが依存しあい支え合う必要があることも。
私たちは一人一人はかよわいが、心を通わせ、協力することで強くなれる。そしてそうした共同作業を通して、共感的に他人と関わり合う中で、健全な自己が育っていく。そして、健全な自己が私たちに、さわやかな風のような幸福の恵みをもたらす。
フロイトは自己愛を否定し、対象愛にいたるのが、すなわち心の健全な成長だとみた。またフロイトにとって幼児的な依存は悪でり、自立することが大切だった。これについても、コフートはまったく違った見解を出している。1965年に出版された「自己愛の形態と変形」という論文で、コフートは次のように書いている。
<私が強調したかったことは、自己愛にはさまざまの形態があること、それらは対象愛の前駆としてだけではなく、独立した心理的な布置としても考察されなければならないこと、そしてその発達と機能は別個の評価を受けるに値すること、これらのことである>
<健康な自己愛への変形が、ごくわずかでも達成されてくる。自己愛を対象愛に変えなさい、という要求に対して、患者が不安定に無理して迎合するよりも、より本物の、より妥当性をもった、治療の結果として、評価されなければならない>
人間はだれしも利己的な生き物である。この利己的な生き物に自己愛を捨て、他人のために生きなさいといっても無理がある。人間は自己愛を捨てることなど、そもそも不可能なのではないか。たしかにキリストは「隣人を愛せよ」というが、その前に、「自分を愛するように」と言った。自己愛を否定してはいない。
フロイトのいうように、自己愛から対象愛へという流れを肯定するにしても、それは自己愛を捨てることではない。自己を大切にしながら、同時に他者にも関心をもち、これを尊重する心性を育てていく、ほんとうに大切なのはこうした自己から他者へという道筋ではないのか。私もこうしたコフートの考えに賛成である。
コフートはすべての対象愛は自己にもとづくもので、純然とした対象愛なぞ存在しないと主張している。対象愛はすべて自己愛に基づく対象愛であり、こうした自己に関係した対象を、コフートは「自己対象」と呼んでいる。コフートにとっては対象愛もまた自己愛体験とわかちがたく結びついている。
大切なのは自己中心的な自己愛を、健全でよりゆたかな成熟した自己愛に成長させることだ。コフートが「ざまざまな自己愛のかたちがある」というのはこのことだろう。自己愛が悪いのではない。それを豊かな対象愛にむすびついたものに成熟させないことがいけないのだ。和田さんの言葉を「自己愛の構造」から引いてみよう。
<コフートにとって、自己愛パーソナリティも神経症もボーダーラインも、あるいは精神病までもが自己の病理とみなされることになる。人に情けをかけず、いつもナルシシスティックにふるまう傲慢な自己愛パーソナリティ障害の人も、それは自我愛リピドーが強すぎるのではなく、自己の成熟が小さすぎるからなのである。弱々しく、傷ついた自己を抱えて生きる彼らには、他人のことを考える余裕がないのだ>
<コフートにいわせると、この弱々しい自己が立ち直るかどうかは患者の病理がどの程度であるかという問題だけではない。治療者の共感能力次第で、その自己を立て直してやることができるものが自己愛パーソナリティ障害なのであって、それができなければボーダーラインなのだから、患者が自己愛パーソナリティ障害なのか、ボーダーライン障害なのかは治療者次第、あるいは治療者と患者の相性次第である。ある意味では、かれらにどうすれば共感し、治療できるかということを、後世の自己心理学者にたいする宿題として残して、コフートはこの世を去ったともいえるのだ>
コフートは精神分析学とは共感の科学だという。彼がたどりついた結論は、人間は他の存在と相互依存してしか生きられない弱い存在であり、つまり自立などできないということだ。そしてこのことを知り、謙虚に受け入れることができる自己こそが、ほんとうに強く健全な自己だということになる。
健全な自己は、自己が弱い存在であることを知り、相互依存と共生を尊重する。そうした共感的な生き方の中で、多くの存在を友とし、自己を愛するがゆえに、他者をも尊重し、愛するのである。そして心の底から「生きていてよかった」と実感されるほんとうの幸福を実現するわけだ。
2006年09月11日(月) |
共感によるトラウマの克服 |
幼児期に悪質なネグレクトや性的虐待などを受けると、心に強い傷を受ける。しかもこの辛い体験は心の底にしまいこまれる。こうした心理的外傷体験をトラウマとよび、これがパーソナリティ障害の大きな原因とされてきた。
フロイトは意識下に抑圧されたこうした記憶を呼びもどし、患者がこれと対峙することが必要だと考えた。意識化させ、真実をあきらかにすれば、人はそれと対決できる。そしてこれを克服する過程で心的解放感(カタルシス)を味わい、トラウマから自由になる。
こうしたフロイトの方法はその後の精神分析の専門家たちにうけつがれてきた。しかし和田秀樹さんの「自己愛の構造」によると、現在、記憶をよみがえらせる治療法の効果が疑問視されているのだという。
そもそもトラウマ体験は正確に再現されるのか。ピューリツア賞を受賞した社会心理学者リチャード・オフシーは、1994年に書いた「こころのなかにおばけを作り出すこと」という本で、精神分析によって偽りののトラウマ記憶がいかに生み出されるかを明らかにした。この本は一大センセーションまきおこし、ベストセラーになった。
実際、精神療法家が子供の側の偽りのトラウマ記憶をよみがえらせることで、親子関係が断絶したり、子供が親に暴力を振るうようになった例が多くあり、アメリカで裁判沙汰になっているのだという。
そこでワシントン大学のエリザベート・ロフタフ教授はランダムに選んだ30人の患者について、この治療法の効果を検証した。そうすると、治療前に自殺を試みたのは3人だったのに、記憶が回復後、20人者患者が自殺を企図していた。
そして治療前、入院患者は2人だったのに、治療後は11人が入院した。しかも、ほとんどすべてのケースで治療後に結婚が破綻していた。トラウマの記憶をよみがえらせても患者はよくならないどころか、むしろ悪化していた。
聖書に「真理は汝を自由にする」とあるが、フロイトも真実を知らしめることこそが大切だと考えた。とにかく外傷体験を意識化しないことには、その体験を克服することはできない。トラウマ記憶をよみがえらせて、患者を勇気づけ、孤独感をやわらげながら、クリアな意識で問題に向かわせれば、やがて患者は自らの力でこの問題を解決するだろう。
この理論はたいへん合理的で美しくみえる。しかし、現実の患者に施してみると、思ったほど効果があがっていないどころか、むしろネガティブな結果をもたらし、患者とその家族にさらなる深刻な外傷体験を与えていたわけだ。
イギリスのレスター大学名誉教授ブランドも、多くの治療例の文献をあたり、性的虐待治療グループを訪問したり、親たちに面接したりしてこの問題を検証したが、ほとんどの場合、治療者は自分たちの信念で治療の効果について書いているにすぎず、記憶快復がよい結果をもたらすと信じるに値する結果をだしているものはなかったという。和田さんはこうした例をあげて、次のように書いている。
<心理学者や精神医学者の科学的な調査でも、記憶をよみがえらせる治療法は、患者の症状を悪くするし、偽りの記憶が作り出されてしまうことが確認されたのである>
それではこうしたトラウマをもつ患者については、どのような治療がふさわしいのだろうか。これについてコフートは、治療者は患者の無意識の世界に無理な憶測を加えず、患者に共感的に心を寄せることが大切だとしている。そして、現在の自己がより親密に周囲と関係をとりむすべるよう助力することで、自己をより現実に適応可能な存在へともたらすことが大切だという
コフートの自己心理学の後継者であるストロフは「外傷体験そのものは人間を心の病にしない。問題はそこに共感的な環境があるかどうかである」と書いている。
少女がレイプをうけても、そこに家族のあたたかい愛があり、周囲に共感的な環境があれば、深刻なトラウマとはならない。そして少女の傷はやがて癒されるだろう。コフートはこうした共感的な手法が、精神分析の臨床において大切だと力説している。
「あなたが患者を治しているのではありません。患者が自分で治っていくのです」(コフート)
共感こそがトラウマを救うのであって、治療によって再現された真実の力が、患者を無意識の闇から救うというのは、多くの場合は分析医の思い上がりでしかないというわけだ。コフートの共感を媒体にした患者本位の臨床法が、増大しつつあるトラウマ体験患者の治療に、大いに貢献するのではないかと期待されている。
自己愛人間は自分の自我が傷つくことに過敏である。自我が傷つくと、防御的になり、さらには攻撃的になる。苛烈な他者への非難や攻撃は、見かけは勇ましく、自我の強固さを誇っているようにも見えるが、多くは弱さの裏返しである。
このことは本人もうすうす分かっている。そこで、自己愛人間は自己を強くすることに執心する。三島由紀夫のように武道に励んだり、仕事で出世をめざしたり、政界や経済界、学会で傑出した存在になろうと努力する。
そしてこれが成功して、他者から強者としてその存在が認められる場合もある。これによって、自己愛人間の自尊心は満たされるかもしれない。そうすると一時的には高揚感が得られて、劣等感からも解放される。
しかし、こうした外面的な成功は、自己愛パーソナリティ障害者の内面までは変えない。彼はさらなる賞賛を求め続けるだろうし、また他者への共感能力も持たないだろう。成功して見かけは意気揚々としていても、内実は貧寒としており、依然として葛藤を抱えている。現にアメリカではこうした成功者の多くが精神科医をやとい、精神安定剤を服用している。
和田秀樹さんはこうした自己パーソナリティ障害を持つ人々に、従来のフロイト流の精神分析的治療は対応しにくくなっているという。なぜなら、彼らに本当に必要なのは、みせかけの「自我の強さ」ではなく、むしろそうした自我の弱さを認め、他者と共存して生きていくことだからだ。そうしたなかで、ほんとうに安定した強固で健全な社会的自我が築かれる。そして何よりも大切な他者への愛や、共感力が育ち始めるわけだ。
こうした立場から新たな精神分析の方向を打ち出したのが、当時アメリカ精神分析学会会長の要職にあったハインツ・コフート(1913〜1981)である。
コフートの「自己心理学」は自己愛パーソナリティ障害に悩むアメリカ社会とそこで呻吟する人々を治癒するための優れた理論だが、とおからず日本にも必要になりそうだ。和田さんの「自己愛の構造」は、その時代を到来を見越していて、コフート理論のもっともすぐれた解説書になっている。
(参考文献) 「自己愛の構造」 和田秀樹著、講談社選書メチエ
2006年09月09日(土) |
ナルシシズム国家の行方 |
アメリカは典型的な自己愛型社会だが、日本も最近はふたたび国家的ナルシシズムの傾向を帯びてきた。小泉首相など典型的な自己愛型人間だ。そしてこのタイプの政治家が国民に人気があるのは、それだけ日本社会全体が自己愛型社会の傾向を帯びてきたためだろう。
ちなみに、自己愛性人格障害(ナルシスト)の主な特徴は、ある医療機関のHPによれば次の通りである。
(1)自分の重要性は大変大きなものであると考えている。 (2)限りない成功、権力や才能といったものの空想にとらわれている。 (3)自分が特別な人間であるため、地位の高い人にしか自分は理解されないと思っている。 (4)過剰な賞賛を求める。 (4)自分だけに特別な計らい、特権があると思っている。 (5)自分自身の目的の達成の為なら、他人を利用する。 (6)他人に対する共感の欠如。 (7)他人に嫉妬する。 (8)尊大で傲慢な態度や行動をとる。
http://www.oct.zaq.ne.jp/shionomiya/kokoro/ peasonal/narcissist.html
次期首相の有力候補で、小泉首相の覚えがめでたい安部官房長官も、たぶんに自己愛的な傾向をもつシゾフレ人間(お調子人間)ではないかと見ている。「美しい国へ」などという本を書くこと自体、ナルシシズムの匂いがしている。
安部さんは過去の歴史認識についても口を濁している。そして「植民地支配と侵略」をどう考えるかという質問に対しても、「歴史家にまかせるべきだ」と繰り返すばかりだ。この点、小泉首相をはじめ、歴代の首相とも違っている。かなり札付きの愛国的ナルシストかもしれない。
1995年の終戦50年目の終戦記念日に、当時の村山首相は「日本の植民地支配と侵略」を認め、アジア諸国に謝罪した。この村山談話にしめされた歴史認識を、小泉首相をはじめ歴代の首相は公式に承認している。その内容を一部、紹介しよう。
<わわが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。>
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
こうした歴史認識を「自虐的」だと考える人たちがいる。靖国神社への参拝をかかさない安部さんも、その代表格の一人のようだ。過去の過ちを認めたくないのは、自己愛がそれだけ強く、傷つきやすいからだ。そして弱い人間ほど「強さ」にあこがれる。「美しい国」と「強い国」が結びついたとき、この国の将来が心配である。
高校の頃、フロイトの「精神分析入門」を夢中で読んだ記憶がある。フロイトは人間の心の成長を、「自己愛から対象愛へ」という形に定式化している。
劣等感に苦しみ、自意識の問題で悩んでいた私にとって、「対象愛」という考え方は人生の新しい指針だった。ラッセルの「幸福論」にも、「客観的関心」という言葉があった。自然や社会の問題に興味を抱くようになって、私の自己閉塞の青の時代は基本的に終わったように思う。
ナルシシズムは何も同性愛に限らない。異性愛であっても、その本質はナルシシズムであることがある。フロイトの「ナルシシズム入門」から引用しよう。
<(自己愛的な美人の女性は)男性が彼女を愛するのとおなじような強さでもって自分自身を愛しているにすぎない。彼女が求めているのは愛することではなくて、愛されることであり、このような条件をみたしてくれる男性を彼女は受け入れるのである>
人間はだれでも自己愛を持っている。しかし、やがて外の世界に関心を広げる。主観的な世界から、広々とした客観世界に関心を向けることで、健全な精神の成熟が可能になり、ほんとうの意味での心の安らぎと、幸福感を得る。これがフロイトやラッセルの考えた幸福の理念だ。
フロイトはナルシシズムを全否定してはいない。それもまた成長の過程だ。しかし、この段階にとどまっているべきではない。主観的で幼児的な自己愛の世界から、客観的な「対象愛」の世界へ、人は脱皮しなければならない。この脱皮に失敗すると、人は現実世界に適応できなくなり、さまざまな人生上の問題に直面する。そして自己愛神経症を発症する。
それではいかにして、人はこの幼児的な自己愛から脱却できるのか。ラッセルなら「自分以外に関心を向けなさい」と忠告するだろうが、そもそも外に関心が向かないから自己に執着するのである。
アメリカ精神医学界が1994年に発表した精神疾患の診断マニュアルによると、自己愛パーソナリティ障害の基本的特徴は「誇大性、賞賛されたいという欲求、共感の欠如」だという。
もっともアメリカや今日の日本では、おうおうにしてこうした自己愛パーソナリティ障害者が成功者となる。これは基本的に、社会そのものが病んでいるからだ。社会そのものが自己愛パーソナリティで汚染されると、パーソナリティ障害者が成功者になる確率が高くなるわけだ。
自己愛パーソナリティ障害者が社会的に成功するという社会病理現象が横行する中で、社会の風潮にあがらってこれを治癒することは容易ではない。したがって、パーソナリティ障害の克服は、個人の次元ばかりではなく、社会的な病理現象として捉える視点が重要になってくる。
作家の吉村昭(79)さんが、7月31日に末期癌との闘病のはてに、自宅で自ら点滴の針を外して自死した。「週刊ポスト」の記事によると、吉村さんが舌癌を宣告されたのは昨年の2月で、さらに今年2月には膵臓癌も発病し、全摘手術を受けた。
一時は快復して自宅の周りを散歩していたが、7月になって病状が悪化した。今日、8割の人が病院で死を迎えている。しかし、吉村さんは延命治療には否定的で、自宅での尊厳死を臨む気持が強かった。遺作となった「死顔」(新潮10月号に掲載予定)にこう書いている。
<幕末の蘭方医佐藤泰然は、自ら死期が近いことを知って、高額な医薬品の服用を拒み、食物をも絶って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけないように配慮したのだ。その死を理想と思いはする>
これを読んで、私は父の最後を思い出した。肝臓癌を患っていたが、父も高額な延命治療を拒み、自宅で寝ていた。かなり苦しく、つらかったようだが、母の手は借りずに最後まで用便も自分でしていた。断末魔の痙攣が襲いかかり、母が救急車を呼んだときも、自宅から出るときは姿勢を正し、集まってきた近所の人々に一礼したという。父は病院につくと昏睡状態に陥り、翌日死んだ。あざやかな死に際だと思う。
インドの聖人や中国の文人は、死期を悟ると断食をして静かに死を迎えたという。私自身、そうした死に憧れはするが、さて、自分にそれだけの覚悟があるかと聞かれれば、たじろがざるをえない。凡人には凡人にふさわしい死に方があるのだろう。
2006年09月06日(水) |
狂った資本主義の果実 |
9/4の朝日新聞朝刊に、「中国一の金持ちは元学者」として、太陽光発電で成功し、学者から会社経営者に転進して資産2400億円を築いた施正栄(シーチョンロン、43歳)さんのことが紹介されている。
施さんは1963年、江蘇省の農村の生まれ。中国の大学を卒業したあと、政府系の研究機関に勤務したあと、89年にオーストラリアのニューサウスウエールズ大学の博士課程に進学し、そこで太陽エネルギーの研究にとりくんだ。
95年に研究仲間と大学内にベンチャー企業を設立。01年に中国江蘇省にもどり、「無錫尚徳太陽能発電」を設立した。施さんの会社がニューヨーク証券取引所に上場したのは、2005年12月14日、06年には日本企業「MSK」を買収した。
資産2400億円で中国一(世界番付では350位前後)の金持ちになったのは、「無錫尚徳太陽能発電」保有株の含み益がふくらんだ結果だという。施さんはインタビューに次のように答えている。
「今の中国は金のない人が突然豊かになれる。成功しようと人一倍努力してきたし、チャンスにも恵まれた。富はあくまでまじめな努力の産物に過ぎない」
世界の資産家といえばビル・ゲイツ氏が有名だ。フォーブス誌の2006年世界長者番付によるとゲイツ氏の個人資産は約五百億ドル(約五兆九千億円)である。彼は慈善運動にも熱心で、ゲイツ財団はこれまでエイズ対策や教育支援を中心に50億ドル以上を支出している。
世界の富豪第二位は投資会社を経営するウォーレン・バフェット氏で、彼もまた300億ドル以上に相当する所有株式をゲイツ氏の慈善団体に寄付すると発表している。
これは世界的な美談として、新聞でも大きく報じられ、私もかって日記に書いたことがある。しかし、そもそも一個人が一代でこれほどの富を築くことを、単純に美談として受け止めてよいのかという疑問がないではない。
ビル・トッテンさんはこれを狂った資本主義として断罪している。8/8の「温故知新」から一部引用しよう。
<ゲイツ氏やバフェット氏を尊敬すべき立派な経営者だと賞賛する気にはとてもなれない。違法行為はしていないというが、クリントン政権時代にはマイクロソフトは米司法省から独禁法違反で訴えられている(ブッシュ政権になって和解)。
彼らがどんなに能力があり、長時間働いたとか、創造性があったと言っても、一人の人間が一生のうちに五兆円を稼ぎ出すことは不可能だ。少なくとも、正直でまっとうなことをしていたら。言い換えると、それが文字通り血のにじむ努力を払ったものであっても、その対価が五兆円になるべきではないと私は思う。
コンピューター・ソフトウエア業界の経営者として、また利用者として言えば、ゲイツ氏が五兆円もの富を築いたのは、すぐに陳腐化するバグのある製品を消費者に高い値で提供したか、社員に十分な給料を払わなかったからである。
十二年間、世界の富豪としてランクされる間に、製品価格を大幅に下げるか、社員を昇給するという経営判断もできたはずだし、インドから開発拠点を米国に戻すことで米国人の雇用を増やす決断もできたはずであろう。
バフェット氏も同様である。彼が株式を所有する企業ではバフェット氏のような「株主」の圧力によって企業がリストラを押し進め、何千人もの社員が職を失い、その過程で多くの中流米国人が生活を維持できずに貧困化した。これは米国の『株主至上主義』の記録をみれば明らかである。
ゲイツ財団が米国の低所得地域の公立図書館にコンピューターを寄付しなければならないのは、本来税金によって国が行うべきこのプロジェクトが、富裕者層に大幅減税をしたために税収が不足して予算が大幅に削減されたためなのだ。
そして富の大部分がゲイツ氏やバフェット氏といった、ごく少数の人々の手に独占されることなく、多くの勤労者が公正な所得を得ていれば、米国の教育予算がここまで削減されることもなかったのである。
フォーブス誌によると、米国人金持ちの上位四百人の所得は過去二十年間で三・五倍増え、八億ドルから二十八億ドルになったという。米国の一般国民はどうかといえば、真の所得はその間全く増加してはいない。バフェット氏ら富裕層の示す「寛大さ」は、美談ではなく米国の狂った資本主義から目をそらさせる事象の一つにすぎないと私は思う>
http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/tisin0608.html#17
事業で成功し巨万の富を築いた人は、才能やチャンスに恵まれたとはいえ、本人自身もたいへんな努力家だったのだろう。「富はあくまでまじめな努力の産物に過ぎない」(施正栄)といいたい気持も分かる。そして彼らがそのご褒美として億万長者になることに、私も異論はない。ただその常識を離れた天文額的なスケールが問題なのである。
2006年09月05日(火) |
お調子人間とメランコ人間 |
精神病の理論によると、現代人が直面する精神病には、二つのタイプがある。ひとつが「分裂症」であり、もう一つは「躁うつ病」である。
フロイトによれば「うつ病」は人間の内的な罪悪感が病的な形であらわれたものである。自分が他人を傷つけていないか、悪いことをして他人に迷惑をかけているのではないかとしきりに気にする。
また、自分がどこか悪いのではないかと心身のことが異様に気になる。つまり、うつ病患者は自分に関したことで不安を募らせ、様々な妄想をいだく。
これに対して、「分裂症患者」は周囲の世界のことで不安を募らせる。大地が崩壊するのではないかとか、宇宙人が攻めてくるのではないかという妄想で、いたたまれなくなる。
和田秀樹さんによると、正常人でも心の世界が、分裂病的であるか躁うつ病的かのどちらかに分かれるという。自分のことが気になり、罪悪感をいだくタイプの人は、うつ病タイプである。
これに対して、子供が交通事故にあうのではないかとか、テロが起こったらどうしようと考え、見知らぬ人が近づくと不安になり、飛行機に乗ることも気が進まないというのは、分裂症タイプである。和田さんの「自己愛の構造」から引用しよう。
<正常レベルの分裂病型人間であるシゾフレ人間は、自分の意志よりみんなにどう思われているかのほうを気にする。自分の好みより周囲に合わせるし、自分だけ頑張って目立つより、みんなとおなじだと安心なのだ。こういう人たちは、自力本願というより他力本願の傾向が強いし、悪いことがあると、人のせいにしたり、運や出会いのなさをなげく。逆にメランコ人間は、自分が頑張って、駄目なら自分が悪いと落ち込む。
私がみるところ、メランコ人間は、自己の欲動で動き、それにたいする罪悪感と自己の内的葛藤に苦しむ罪責人間に、シゾフレ人間は周囲の反応性にふりまわされ、それが思わしいものでないときに悲劇の世界に入り込む、悲劇人間に対応するものである。(略)
現代の若者たちの広く浅く、また自分の世界に引きこもりがちな対人関係パターンがシゾフレの特徴である。彼らは不特定多数の出席するパーティなどを好むが、特定の他者と飲み交わす二次会、三次会は好まない。二次会があっても騒がしいカラオケで歌いまくるだろうが、自分たちの本音をみせようとはしないのである。
それにたいしてメランコ人間であれば、親分子分のようなしがらみを作ったり、本音丸出しで飲み明かすというのが人間関係の基本である>
シゾフレ人間は、相手の言葉を被害的に受け取ったり、逆に他者を崇拝して神を求め、小室哲也やビートたけしのようなカリスマに惹きつけられる。思想が飛躍しやすく、神懸かりな神秘世界にやすやすと入っていく。私はシゾレフ人間を「お調子人間」と呼んでいる。
お調子人間(シゾフレ人間)は、テレビやマスコミの意見に容易に染まってしまい、自分の意見や趣向をもたない。またたとえ持ったにしても、それは「借り物」である。周囲の状況が変われば、自分の主張も容易に変える。つまり、「自分がない」のである。
メランコ人間は神を求めない。何事も自分にひきつけて論理的にこつこつと考える。カリスマ的存在にはむしろ嫌悪感をさえ抱く。神秘的で空想的な世界には興味を持たず、現実的なものにしか多く目を向けようとしない。
そして自己のアイデンティティを重視し、頑固に主張を変えない。自分で作った自分に対する秩序にしばられて身動きができなることさえある。お調子人間(シゾフレ人間)のように環境にあわせて容易に自分をかえることができず、時代に取り残されやすい。
メランコ人間は過去にしばられ、自己にしばられる。これに対して、お調子人間(シゾフレ人間)は過去に縛られない。彼にとって意味があるのは、<今>でしかないからだ。過去との一貫性を気にし、くよくよ思い悩んだりはしない。
さて、ここまで書いてきて、自分はどちらのタイプかなと考えてみた。多少シゾフレ人間的な要素もないではないが、おそらく典型的なメランコ人間だろうと思われる。
変化の多い現代は必然的にシゾフレ人間をつくりだす。自己を捨て、身軽になったほうが生きやすいからだ。彼らはフリーターとしても生きることができる。メランコ人間のようにリストラに合った途端、自分を見失い、落ち込んで自殺をすることもないだろう。
しかし、自己を捨てた代償もまた大きい。生きているという実感や、生の喜びさえも何か借り物のように感じられる。そればかりではなく、シゾフレ人間は自分をもたない分、他者に支配されやすい。
やがて他者によって自己が断片化し、自己を持たない廃人として、悲劇的人生を終えることになるかも知れない。いずれにせよ、この世は自己を持ち続けても苦しく、その重々しい自己を捨てても淋しい。とかくこの世は生きにくい。
2006年09月04日(月) |
「自己愛人間」増殖中 |
最近、「自己愛の構造」(和田秀樹、講談社選書メチエ)という本を読んだ。副題は「他者を失った若者たち」となっている。現代人の心のありようを理解する上で、参考になる本だと思った。
著者の和田さんはコフート派自己心理学の日本におけるパイオニアである。東大医学部を卒業したあとアメリカの医学校で専門的な精神分析の訓練を受けたすぐれた臨床医で、「わがまま老後のすすめ」」(ちくま新書)など、たくさんの著書がある。彼によると、最近はアメリカでも日本でも、他者を失い、自己のなかに閉じこもる人たちが増えてきているという。
つまり<自己愛人間>が増殖している。彼らは、自分が幸せであれば、他人はどうでもよい。世界で何億人餓えて、毎日何万人餓死しようが、それは自分にはかかわりのないことだ。そんな話題はできることなら避けたいという心理傾向を強く持っている。こうした自己愛人間が増えてきた社会背景を、和田さんは次のように分析している。
<たとえば、アメリカでは国全体の富の4割以上が上位1パーセントの者で占められ、経営者の年収の平均は社員の200倍にもおよんでいる。各々が自立している以上、他人に遠慮する必要もなければ同情する必要もない。勝者は自分の力で手にした勝利であり、敗者が貧しいのは自己責任というわけだろう。富めるものが富める反面、能力がないと見なされた人間はリストラという名で整理の対象となる。能力がないのに給料をもらおうとしたり、会社に居残ろうとするのは、甘えた人間、依存的な人間、自立のできていない人間として断罪される>
<さて、このように自分の利益を求め、自分がしたいようにし、そして他者への同情がとぼしい状態は、一般的には自己愛的、あるいはナルシスティックと呼ばれる。アメリカでは1970年代にはクリストファー・ラッシュという社会学者が、このようなアメリカ社会の姿を「自己愛の文化」と呼んでいたのだ>
<つまり、現在多くの識者が求める日本人の心の改革というのは、依存した日本人を自立した日本人に変えることであると同時に、日本人を自己愛の文化にかえていこうというものなのだろう>
自己愛人間はこの自己愛が傷つくことが堪えられず、意気消沈したり、攻撃的になる。ナチスドイツの台頭もこうした集団的自己愛が損傷をうけたためではないかという。
<集団自己は、個人の自己にも大きな影響をおよぼす。集団的自己が自己愛的にダメージを受けているならば、個人も自己愛的にダメージを受けているような主観的な体験をするものである>
愛国心というのは一見、自己愛とは矛盾するようだが、これもまた民族的ナルシシズムという肥大化した自己愛の一種に違いない。そうした自己愛の時代に受け入れられるのは、ヒトラーのような典型的な自己愛型人間である。こうした自己愛リーダーの出現に用心するにこしたことはない。
「サラ金の帝王」という異名をとった武富士前会長の武井靖雄氏が8月10日、76歳で死去した。93年には納税者番付で全国トップになり、06年には米フォーブス誌も日本長者番付ランキング」の第2位にランキングしている。そのときの資産が56億ドル(6500億円)というからたいしたものだ。
週刊現代9/9号の記事によると、彼は杉並区の1400坪の敷地に550坪もある白亜の豪邸を建てて住んでいたという。大浴場やプール、スポーツジムまで完備した「お城」も、じつは武富士の「研修所」という名目で、彼が家賃を払って住んでいた。会社の保有にしておけば、節税になるし、相続税もまぬがれる。こうした手法は西武鉄道の堤前会長も愛用していたものだ。
武井氏は埼玉県の生まれで、若いころは「不良グループ」に属し、ヒロポンや博打に狂っていた。東京に出て、闇米の販売をして貯めた金で高利貸しを始めたのだという。会社は順調に伸びて、86年には株式を公開し、東証一部に上場し、02年には経団連に加盟して、ついに財界の名士にまでのぼりつめた。
彼は巨額の資産を得る中で、一方ではずいぶん厳しい取り立てを社員に強要し、会社は違法行為をエスカレートさせていた。しかもこれを批判した記事を書いたライターの電話まで盗聴させた。このことが明るみに出て、武井は03年に逮捕・起訴されている。暴力団との交際も明るみに出て批判されたが、武富士の会長を退いたあとも、実質的なオーナーとして会社に君臨していた。
それにしても、サラ金で6500億円も資産を稼ぐというのは驚きである。彼の有能さに驚いているのではない。サラ金の経営者がトップクラスの収入を得て、莫大な財を築くことが可能な日本という社会のあり方に驚いているのだ。武井のこの天文学的な蓄財の陰に、いったいどれほどの人々の悲しみの人生があったことだろう。自殺者の山が築かれ、多くの家族が離散しているに違いない。
アリストテレスは「政治学」のなかで、「憎まれて当然なのは高利貸しである」と書いている。そもそも貨幣は市場で商品を売買するための手段として生まれた。ところが高利貸しはこれを自分の蓄財のために利用する。お金がお金を生むという仕組みは本来の貨幣の目的ではない。アリストテレスは「これは最も自然に反したものである」と断罪している。
しかし、現代はまさにアリストテレスが不自然だと断罪した「お金がお金を生む社会」になってしまっている。物の値打ちだけではなく、人の値打ちまでもがお金で測られる。しかし、こうした社会がおかしいと感じる人もいないわけではない。お金は大切だが、他にまだ大切なものがたくさんある。お金に振り回される人生だけは送りたくないものだ。
2006年09月02日(土) |
飽食と飢餓が同居する社会 |
日本の食料自給率は40%で世界最低、 対して世界最大の食料生産国のアメリカは自給率130%を誇っている。アメリカ政府は過剰生産に頭を痛め、農家に援助金を出して輸出に力を入れている。
しかし、そのアメリカで3000万人が充分な食糧を確保できずにいる。アメリカの子供達の8.5%がお腹を空かせているという統計があり、飢餓に面している子どもや餓死者も多い。サンフランシスコ市だけで年間600人が餓死しているという。
このアメリカの現状は、世界全体の縮図でもある。今日の世界では小麦や米などの穀類だけで全人口に毎日3,500カロリーを提供できる量が生産されている。まさに「過剰生産」の時代だ。そして肥満からくる成人病を大量に生みだしている。
ところが、食料過剰生産されているにも限らず、世界は飢餓に直面している。国連食糧農業機関(FAO)の年次報告によると、世界で食料不足に直面する人口は8億5200万人に達し、毎年600万人の5歳以下の子どもが、栄養不足と飢えに関連する病が原因で亡くなっている。そして私ちがすむこの世界で、毎日2万5千人以上が餓死している。
http://www.jawfp.org/hunger.html
日本でも小泉構造改革によって、格差社会が到来したという論調があるが、私は格差社会への移行はこれからが本番でないかと思っている。小泉内閣は格差社会へ移行するための地ならしをしたわけだ。日本国憲法は国民に最低限の文化的生活を保障している。日本をアメリカのような飽食と飢餓の同居する社会にしてはならない。
そのために私たちは何をすべきだろうか。こうした世界の現状をまずはしっかり認識することだろう。そしてできるだけ多くの人に、この情報を伝え、この世界の真の姿を知ってもらうことだ。私たちに出来ることは限られているが、全く無力というわけではない。
今日から9月である。日本の学校の多くは、今日から新学期だ。私の学校はすでに一週間前から始まっているが、やはり9月1日になると格別気持がひきしまる。同時に長い夏休みが終わったのだという感慨がわく。今年の夏は、セブで3週間過ごし、2泊3日の演劇部の合宿をした。福井に帰省し、妻と二人で神戸にも行った。内容の濃い夏だった。
先週の土曜日は、青春切符を使って、若狭小浜にひとり旅をした。7:44に木曽川駅を出て、大垣、米原、敦賀で乗り換えて、小浜には11:44に着いた。さっそく駅前通りを真っ直ぐ海の方に歩いた。20分も歩かないうちに海岸道路にでる。さらに10分もあるけば小浜港である。
港に面した「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」というところでお昼を食べた。1300円ほど出して「季節御前」を注文すると、海の幸を満載したかなり豪華な食事が出てきた。窓ぎわの席にすわり、港と海岸線にそって湾曲した小浜の町を眺めながら、ゆっくり食事をした。このひとときが幸せだった。
食事のあとは、反対側の古くからある小浜港に行った。私が小学生の頃、いつも遊びに来ていた港である。その頃の面影は半世紀近くたった今も残っている。岸壁に古い倉庫が残り、並んだ漁船の白いマストや船体に晩夏の日差しが降り注いでいた。蝉時雨の木陰に立って、しばらくその光景を眺め、短歌をつぶやいた。
ふるさとの小浜港のそよかぜに 法師蝉きくひとり旅たのし
ひとり旅に出て、風景の中に身を置きながら、無為に過ごす時間が好きだ。あわただしい日常の時間ではなく、ほんとうに何にも煩わされない自由な時間をしずかに味わっていると、心身がやわらかく解放される。これは一人旅でしかあじわえない醍醐味ではなかろうか。
夜は自転車に乗り、妻と二人で花火を見に行った。JRの線路沿いの草むらにビニールを敷き、虫の声に耳を澄ませながら、恋人同士のように肩を寄せ合って、田んぼの向こうに打ち上がる花火を眺めた。
大花火小花火あがりいつしかや 妻と肩よせ恋人のごと
一宮市の花火大会は木曽川の河原でこの時期に行われるが、尾西市との合併で、この地での花火大会は今年が最後だと聞いた。妻とこうして花火を見るのも、今年で最後かと思うと淋しくなった。
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