橋本裕の日記
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「経済学入門」を書いてから、5年がたった。続いて「政治学入門」を書くつもりだったが、なかなかこれが書けない。いちおう構想はできているのだが、書き始める踏ん切りがつかないうちに歳月がながれてしまった。
「経済学入門」のキーワードは「市場」だった。「いかに最大多数に最大利益をもたらしうる質の高い市場を実現するか」ということが経済活動の本質である。わたしの「経済学入門」はこうした見地から書かれている。
それでは、「政治学入門」の場合の中心概念は何か。それはいうまでもなく、「共同体」である。「いかに最大多数に最大幸福をもたらしうる質の高い共同体を実現するか」ということが本質である。こうした本質が押さえられれば、あとは技術的な問題だから、理論の構築それほどむつかしいわけではない。
しかし、次第に本格的なものをという欲がでてきた。アマゾンで政治学の専門書を注文したりして、ホッブスやロックにまでさかのぼって古典を渉猟しているうちに、次々と読みたい文献が出てきて、収拾がつかなくなった。まだ充分読み込んでない本が本棚に並んでいる。これらを研究してからと思っているうちに時間が過ぎていく・・・。
「共同体」は「市場」の上位概念である。だから、「経済学」をしっかり基礎付けるためには、「政治学=共同体論」を完成されなければならない。そうした気持が最近はとくに強くなってきた。このポテンシャルがあと少し高まれば、「経済学入門」のときのように、一気に書き上げることになるかも知れない。
経済学の市場は共同体を前提にしている。はやりの「自由競争」も実は、その前提に「共同体」の存在がある。共同体が成立していて、はじめてルールに基づいた自由な競争が可能になる。ところが経済学者の多くはこの前提を軽視している。
経済活動によって、その前提となる「共同体」を破壊するようなことが起こっても、これを視野にいれることをしない。ここからさまざまな思い違いや、不幸が起こってくる。
「共同体」はある意味で人生のセイフティネットである。これがあって人々は自由に、果敢に挑戦することができる。お互いを信頼しささえあう「共同体」があって、はじめて個人の自由な活動が可能であるということを、私は「橋本流政治学入門」のなかで強調したいと思っている。
2005年08月30日(火) |
小泉流国民だまし戦法 |
少し前までの日本は、企業で働く人々が銀行に貯金し、企業はその銀行から資金を調達するということがふつうだった。つまり、個人は銀行に貯金をすることで、間接的に企業に投資していた。
現在も、日本企業の資金は80パーセント以上が銀行からの借り入れだ。株式による資金は20パーセント以下で、これはヨーロッパの企業も同じである。
アメリカの場合は、銀行からの借り入れが20パーセント未満で、株式による資金が80パーセント以上だから、日本やヨーロッパとは逆転している。
だから会社がだれのものかといわれたら、日本やヨーロッパでは株主のものだとは言えない。資本金の持ち分はせいぜい20パーセントしかないからだ。
ところがアメリカの場合は8割だから、株主主権主義が現実味を帯びてくる。しかもこのスタンダードを、まるで企業環境がちがう日本にグローバル・スタンダードの名前で押しつけようとしている。
資金の二割に満たない株式の過半数を握って、会社は俺のものだといわれても困るわけだ。日本・ヨーロッパ流の資金調達法がよいのかどうか議論の余地はあるが、こうした企業環境の違いを認識しないで、アメリカの標準にあわせてばかりいてはいけない。まずは現状を見て、そこから出発すべきだろう。
ところで、バブルの頃から、企業は銀行からお金を借りなくなった。お金を借りなくても利益があがっていたので、それを使えばよかったからだ。こまった銀行は政府に貸し出しの規制を緩めるように働きかけた。
そこで政府は大幅に金融の自由化をした。銀行は企業だけではなく、不動産やサラリーマン金融、それから外国のデリバティブといったいわゆる<投機>に手を出せるようになったわけだ。政府はさらに年金までもこうした投機に使えるように法をあらためた。
1985年のころから銀行は私たちの預けたお金で、土地、株式、為替売買、デリバティブなどのマネーゲームにあけくれるようになった。ところがこれが大失敗だった。とくに自らが作りだした土地バブルがはじけ、貸し出した100兆円以上のお金が不良債権になってしまった。
それでも銀行は景気が回復するまで待とうとした。しかし、アメリカから早く不良債権を処理せよといわれた小泉さんは政策の3本柱の一つにこれをあげて、強力におしすすめた。
いま100億円だった土地が20億円に値下がりしているとする。これを20億円で処分すれば80億円の損益になる。銀行はこの損益を少なくするために、これまで企業に貸していた資金を回収しようとする。これが「貸しはがし」だ。とくに業績が悪化した中小企業からこれをおこなった。
1997年末から2002年6月までに銀行預金は452兆円から499兆円に47兆円ふえている。ところが貸し出しをみると、この期間に109兆円も減っている。預金が増えたのに企業への貸し出しが減っているのは、これだけ国内の企業から「貸し剥がし」をして、そのかわりに158兆円の大半を外国のファンドなどに投資(投機)したからだろう。
そして日本の銀行から資金を調達したハゲタカファンドが、日本の銀行が投げ出した不良債権という餌を安い値段で買いあさっている。こうした愚かな仕組みが小泉政権下でいまも続いている。その協力者である財務官僚が今度の選挙で代議士になろうとしている。まったく国民を馬鹿にした話だ。
郵政を民営化して、郵貯や保険の350兆円を民間で活用せよという人がいるが、これは日本経済がおかれている実態を見ないからできる議論だろう。バブルのころ、法的な制約があり投機市場に参加できなかった郵貯・簡保資金は不良債権にもならす、大切な国民の財産として生き残った。
郵政公社は赤字になったことはなく、法人税のかわりに国庫納付金を利益の50パーセントも払っている。そのほかに何兆というお金を国に拠出している。何十兆円という税金をすいとり、郵便局の2倍以上の高給を配給している銀行とは雲泥の差である。もちろん郵便局員の給料には一円の税金も使われていない。
博打をしてこけた銀行には莫大な公的資金をつぎこみ、真面目一筋の郵便局はほめられるどころか、民業圧迫だなどと自分の悪行を棚に上げてよくいえたものだ。これも小泉さん一流の「猫だまし戦法」いや「国民だまし戦法」だといえる。
GMが90万人ほどいる従業員から2万5千人ほどリストラしたいということで、労働組合と交渉にはいったという。トヨタなど日本勢の業績が好調な中で、GMの不調が目立つ。
GMはこれまで組合がしっかりしていて、経営者もリストラなどに消極的で従業員や退職者に対しても手厚い年金制度や医療保険を施してきた。このため日本車とくらべて、車一台につき16万円ほど価格が割高になっているという。このコストを削減するには、保険制度を見直し、さらに大幅な人員削減をするしかないということだろう。
かってアメリカのしにせの企業は、どこも高い企業倫理基準をもっていた。たとえば、IBMの場合は「経営理念」として冒頭にこう書いていた。(現在はどうか、確認してない)
<企業が成功するには、その基礎に健全な理念がなければならない。世界のIBM社員は意志決定や行動の際には、常にその理念に従うべきである>
その理念のなかで、<ビジネスを行ううえで、すべての人に公平かつ公正に接すること>をあげている。そして次のように「公正な取引」の条件を規定している。
(1)取引先の選定は、製品やサービスの質、相対的な信頼性、価格を考慮したうえで行う。 (2)取引契約交渉後は、取引先とIBM双方の正当な利益を考慮し、誠意をもって契約を履行する。 (3)取引先が過度にIBMに依存するのを避ける。
こうした企業倫理条項に忠実に企業活動をしてきたIBMには、日本企業のような系列とか下請けといった生産形態はゆるされない。IBMは倫理綱領でこうしたものはアン・フェアで、倫理上許されないものだとして自らに禁じたわけだ。
これは1980年代まではアメリカの大企業はどこも堅持していた倫理だった。こうした倫理にのっとって、公正な競争をするというのがおよそ1980年代までのアメリカだった。企業活動の前提に倫理が生きていたわけだ。こうしたアメリカの企業倫理を破壊したのが日本企業だった。内橋克人さんは「尊敬おく能わざる企業」(光文社)のなかで、こう書いている。
<コミュニティ・リレーション活動などによって、熱心に地域に貢献し、そのために費用と労力を割く企業と、それをやらずに、すべてを競争力一本に振り向ける企業との間には、当然、製品のコスト競争力をめぐって大きな格差が生まれるだろう、ということだ。
そして、このようにして成り立っている社会に、ある日、自社の「生産条件」強化一本槍で邁進する企業が出現し、従業員も経営者も、一致団結、脇目も振らず「勤勉の哲学」を発揮して生産に当たれば、その企業の市場競争力は抜群のものになり、やがてはその企業が市場を制覇するに至るかもしれない。
競争力を獲得するまでのプロセスをみて、社会にそのような企業活動を非難する声があがると、「いいものを安くつくり、安く売ってどこが悪い!」「消費者は喜んでいるではないか!」「いいものを安くつくれないそっちのほうが悪いんだ」などと叫んで開き直ったとしたらどうだろうか。率直にいってこれが、これまでの日本流をしめす姿の一つであった。・・・
日本のように採用に当たって学歴を問い、テストを施し、有名高校、著名ブランド大学のみを選んで新入社員を青田買いし、ときには軍隊式の教育・訓練を施せば、多少の努力と引き替えに目的はやすやすとかなえられよう。
アメリカがその道を選ばず、かくも厳しく差別を禁じるのは、一企業の生産性ではなく、他民族国家・アメリカ社会全体の「生存条件」を維持し、高めることに最重要課題をおいているからだ>
内橋克人のこの本は1991年の出版である。1980年代を通じてアメリカ企業は大きく変化した。GMの今回の大量リストラは、この変化を完成させ、古き良きアメリカの息の根を止めるものに違いない。
8/3の朝日新聞の社説は日タイFTA(自由貿易協定)について批判している。日本政府が農作物の自由化をみとめなかったので、工業製品の自由化が進まなかったと政府を批判する内容である。
<工業製品で高い生産性を誇るのに、農業の改革は一向にすすまない。日本はこの落差に足をとられ、得意の分野でも小粒の合意に甘んじている。・・・
日本は、世界に広がるFTAの潮流に乗り遅れている。内容もスピードも、ともに追求する自覚を持ちたい>
朝日新聞を読んでいると、ときどき日経新聞の顔負けのいさましい社説に出合って驚かされる。世論の右傾化にともない、最近は朝日新聞はずいぶん発行部数を落としてきていると聞く。朝日新聞もたぶん生き残りに必死なのだろう。そうしたとき、まっさきに切り捨てられるのが企業倫理である。戦争中の朝日新聞の醜態をみればよい。
もっとも8/2の朝日夕刊の「経済気象台」はすこぶるまともなことが書いてあった。
バブルころ、筆者のところにある大手銀行の支店長がやってきて、「何も言わずに黙っておカネを借りてくれ」と頭をさげたそうだ。こうしてばらまいたお金が結局不良債権になった。
また住宅ローンには「ゆとり保証」という制度があって、借りた当座は返済が少なくてすむ。しかし、このゆとり期間が終わってからが大変なわけだ。バブルがはじけて、大量にローンが焦げ付き、これも不良債権になった。
同様なことが、今空前の不動産ブームのアメリカで起きているという。しかも銀行にお金を借りにいかなくても、すぐに借金ができるクレジットカードが毎週のようにダイレクトメールで送られてくるという。
支店長が頭を下げて借り入れを迫る日本に比べて、米国はカードをばらまいているのだから、その無軌道・無責任ぶりは日本よりはるかに上手である。しかも、「ゆとり補償」の制度までついているそうだから恐ろしすぎる。世界経済をリードしているアメリカが、日本の轍をふまないように祈るばかりだ。
2005年08月28日(日) |
抽象化された貧しい世界 |
物理学を勉強していた大学生のころ、少し精神に異常をきたしたことがあった。世界が色や香りを失ったような気がした。数学や物理は分かるのだが、およそ人間的な感動が味わえず、自分がミュータントのような異常人間になったような気がした。
こうした状態がもう少し進めば、異常であるという自覚さえうしなわれ、私は本物のミュータント(デジタル人間)になっていたのではないかと思う。幸い私は万葉集に出合うなどして、またもとのアナログ的な豊饒な現実世界に回帰することができた。
大学時代のふしぎなデジタル体験を思い出したのは、朝日新聞に連載されている梅原猛さんの「反時代的蜜語」を読んだからだ。8/22に掲載されたのは「アニミズムと生物学」という題だった。
梅原さんはこのなかで、ユクスクユル著の「生物から見た世界」という本を紹介している。とくに私が面白いと思ったのは、ダニの話だ。梅原さんの文章を引用してみよう。
<雌のダニは交尾を終えると適当な灌木の枝先に登り、その枝の下を小動物が通るのを待つ。ダニには目がなく耳もないが、哺乳動物の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いを敏感に嗅ぎつけると、枝から落ち、動物の皮膚に密着して血を吸う。そして血を吸い終わると地面に落ち、産卵して死ぬ。
このような雌ダニは酪酸の匂いのみに敏感に反応する知覚器官と、その匂いを嗅ぐやたちまち行動を起こす作用器官をもっている。雌ダニにとって、この世界の一切のものは捨象され、酪酸の匂いだけが現実なのである。・・・
私はこのダニの話を興味深く読んだが、ふと、今の日本で活躍している短期間で何百億と金を儲けたような人たちは、酪酸の匂いにのみ敏感なダニのようにカネの匂いのみ敏感で、獲物とみるや飛びかかるような人間ではないかと思った。
そういう人はこのような世界のみが現実の世界であると思っているようであるが、それはカネ以外のものが捨象された大変貧しい世界なのではなかろうか>
自分が住んでいる抽象された貧しい現実だけが世界の全てではない。しかし、もっと豊饒な現実が他にあるということを知らなければ、そうならざるを得ない。
小さい頃から受験競争ににあけくれ、長じては経済戦士として冷暖房完備の高層ビルで働くビジネスマンや、二世、三世の政治家は、どれほどこの豊饒な現実を知っているのだろう。彼らが書いたり話したりしていることを聞くと、私は自分が大学時代に経験した異界に舞い戻ったような寒々とした気がする。
私にはそうした異界に住むミュータントの心理がいくらかわかる。私の目からはそうした人たちが住みやすいように、いま日本全体が作りかえられようとしている。しかし、この試みは恐らく失敗するだろう。なぜなら日本にはそうしたデジタル人間をも包み込む豊かな自然があるからだ。
昨日は友人の北さんの案内で、美濃市のうだつの古い街並を散歩し、その少し先にある片知渓谷に遊んだ。緑に包まれて、水の音、風の音を聞きながらおむすびを頬張っていると、心の底から感動がわき上がってきて、「生きているということはいいな」という思いにみたされた。昨日は自然からエネルギーをもらって、心身とも爽快だった。
渓流に素足をおけばよみがえる 少年の日のこと赤トンボの空 (裕)
「自己責任」というのは、さまざまな問題を自分の問題として引き受け、その責任を果たすとうことである。個人には個人の「自己責任」があり、国家には国家の「自己責任」(国家責任)がある。
民主党が選挙の争点にしている「年金問題」にしても、すべての国民に最低限度の生活を保障するのは国家責任である。これを果たすために、国は60歳以上の国民に最低生活保障年金を一律に支給することにしてはどうだろうか。
その額はこの社会で生活できる最低限で、現在の日本ならたとえば共産党が主張するように月額5万円でよい。これに必要な12兆円は国庫負担にする。財源は行政の合理化による経費節減に加えて、大量に発生している消費税や法人税などの脱税分をあてるのが妥当だろう。
これまで年金を払ってきた人は、60歳になったら一括してその分を本人に返却する。あとは自由加入の個人年金をつくり、将来に不安を覚える人はこれに加入すればよい。これは基本的に民間にまかせても構わない。
国はこのように自分の責任をしっかり果たしてから、国民にも「自己責任」を求めるべきだ。これなら国家責任と個人の責任の境界がはっきりして納得しやすいし、多くの人々が協力しようという気持になるだろう。
ところが最近、為政者が自己責任を棚上げにして国民の自己責任を強調することが多くなった。これに影響されてか、私たちの間でも、他者の行動を批判するために、相手に対して「自己責任」を問うことが多くなった。
これが行きすぎると、「それは俺の責任ではない。悪いのはお前だ」という責任逃れになってしまう。責任を自分で引き受ける「自己責任」と、責任を他者に押しつける「自己責任」(他者責任)では、言葉は同じでも働きは反対である。
他者を攻撃する「自己責任」は、実りあるものを残さない。なぜなら「彼らが悪い」ですべてが片づけられてしまうからだ。なぜそのようなことが起こったのか、その背景をさぐり、問題の本質に入っていくことがない。
本来の「自己責任」という言葉には、他者とひとつの世界を共有しようという希望があふれている。そこから許しが生まれ、理解が生まれる。しかし、今日本で流行している攻撃的な「自己責任」にはその美しさがない。
小泉政権の罪は、政治家が持つべき「言葉の重み」を破壊したことだ。責任逃れのために嘘を言い、質問をはぐらかす姿勢には、「自己責任」の誠実さが感じられない。国民の自己責任を問うためにも、首相はまず国家責任をはたしてほしい。
2005年08月26日(金) |
インドに見る食料危機 |
世界の農業大国といえば、アメリカと中国、インドである。今日は10億の人口をかかえるインドの場合をみてみよう。NHKの番組「涸れ果てる大地」では、インドの穀倉地帯のパンジャブ州を襲う危機が描かれていた。
この地方の年間降水量は日本の1/3以下の500mmである。本来なら農地として適さない乾燥地帯なのだが、2000万本の井戸にたえまなく電動ポンプが駆動して地下水を汲み上げ、これで大地を潤して小麦や米の栽培が行われている。インドはこうした近代農法で10億人の食料需用を満たし、食糧自給率100パーセントを誇ってきた。
ところがこの命の綱ともいうべき井戸が次々と涸れはじめた。原因はアメリカと同様で、地下水の過剰な汲み揚げである。このため農家が破産し、パンジャブ州のある地方では200人以上の自殺者をだし、新聞の一面を占領する社会問題になっている。
裕福な農民は井戸を深く掘ることで水を確保しようとしているが、50メートルを越すと地下水の塩分濃度が上がる。このため塩害で耕地は不毛の荒れ地になる。塩で干からびた白い荒涼とした土地に肩を落として佇む農夫たち。インドの穀倉地帯に起こりつつあることは思いのほか深刻である。
農民の大量自殺は、やがて国民の食糧危機による大量死を予想させる。そしてこれは世界の食糧危機に結びつきかねない。今世界的な規模で農地が涸れようとしている。それではどうしたらよいのか。この危機を克服する知恵はあるのだろうか。
NHKの番組では最後に、ラジャンスタン州の農民たちのとりくみを紹介していた。この地方は第二次大戦後急速に農地拡大と森の伐採が進んだ。しかし20年ほど前にはすっかり井戸が涸れて、農業が崩壊していた。
その頃この地方を訪れたラジンドラ・シンドラさんは、村々の惨状に心を痛めた。そしてある村の長老から、昔はジョハドと呼ばれる人造沼がいたるところにあったことを知らされた。そこで井戸水の枯渇がこの沼の消滅にあるのではないかと考えた。
このあたりも年間降水量が400mmの乾燥地帯である。しかしジョハドがあれば雨季に降った雨はそこに溜まり、やがて地底にしみこんで地下水源になる。これまではこうした地下水源で井戸が潤っていたのに違いない。
そこでシンドラさんはジョハドを復活するべく立ち上がった。村人の協力をえて、彼は次々とジョハドをつくった。この20年間に彼と彼の仲間の作ったジョハドは、1500村で8500にもなるという。
シンドラさんは「村人たちが池作りに参加することで、村の水は自分たちが力を合わせて守らなければならないと考えるようになった。住民と水との絆を大切にし、水の管理に住民の一人一人が係わることが大切だ」と述べていた。
池を作り始めてから、10年ほどして井戸に水が満ちるようになった。水位が20メートルもあがり、涸れていた井戸が次々に復活しはじめた。こうして緑の農地が村々に復活した。井戸端には、水とたわむれる子供たちの笑顔が戻った。このさわやかで明るい映像に、地球の将来への燭光と、希望を感じた。
私たち日本人は食料の6割を世界から輸入している。ところがその輸入先の農業大国であるアメリカや中国、あるいはインドでも、将来の食料生産を脅かすような深刻な事態が進行している。大地の水が涸れ果てようとしているのだ。8/21(日)に放送されたNHKスペシャル「ウオータークライシス、水は誰のものか」の第二回「涸れ果てる大地」はこの危機を描いていた。
1900年から2000年までに世界の人口は4倍になった。これだけの人口を養うために食料が増産された。そのために年間降水量が500mmに満たない乾燥地帯にも川から水が引かれたり、地下水が汲み上げられて農地が広がった。こうしてこの百年で農業用水の使用量は6倍になった。
ところがその川や地下水源がどんどん涸れてきている。川の水は都市と農村で奪い合いになり、結果として農村は高額の補償金とひきかえに都市に水を譲り、農地を放棄する動きが出てきた。
中国の黄河では川の水が途中でなくなる断流という現象が起こっている。アメリカのグランドキャニオンをつくったコロラド川も、いたるところで断流が起こっている。あの大河がなんと途中から小川のようなかぼそい流れになってしまうのだ。
カルフォルニア州の穀倉地帯であるインペリアルバレーも年間降水量が100mmという乾燥地帯である。コロラド川の水を利用して農業を行ってきたが、最近、この水の一部をカルフォルニア州第二の都市サンディエゴに20億ドルで売ることにした。保証金を得て耕さなくなった土地は荒廃し、害虫が発生して、付近の農地に被害を及ぼす恐れがあるという。
川の水には限りがある。そこで地下水源にたよることになる。たとえばアメリカ中部にはオガララ帯水層という巨大な地下水源がある。数千年におよぶ雨水4兆トンがここに貯えられていて、カンザス州の穀倉地帯ではこの地下水を汲み上げて大規模な灌漑農業をしている。
センターピポットと呼ばれる200メートルものアームがスプリンクラーで水を撒きながら回転する。しかし、こうした農法で使われる水の量はバカにならない。とくにトウモロコシは面積当たり小麦の3倍もの水を必要とする。このため地下水の水位が、毎年3メートルずつ下がってきているという。
ところによっては90パーセント以上の地下水を使い果たした地域も出てきた。カンザス西部地下水管理組合の代表を務めるキース・レビンさんは、NHKのインタビューにこう答えていた。
「私たちは孫や曾孫に残すべき大量の水を使ってしまったのです。この地域の農業に明るい未来を描くことはできません。トウモロコシの栽培を押えるには、法律で規制するしかありません」
しかし多くの農民は規制には反対である。耕地面積あたりトウモロコシは小麦の3倍の利益を生む。地下水は実質上タダだから、ビジネスの論理に従えば、利益率の高いトウモロコシになる。
農民の一人はNHKの番組の中で、「まだあと10年や20年は使えるでしょう。水があるかぎり、トウモロコシ栽培を続けます」と悪びれることなく発言していた。多くの農民にとって、20年先より現在の収入が問題なのだ。
しかし、おなじカンザス州の農夫でも、伝統的なドライランドという農法で小麦を栽培し続けている人もいる。この伝統的な農法では、天然の降水だけをあてにして、毎年土地の半分だけしか耕地として使わない。
半分の農地は一年間休耕地にして、翌年の作付けのために雑草を抜きながら、ただ雨をしみこませるだけにしておく。この農法だと、土地は半分ずつしか使わないから、収穫も半分になる。しかし、孫や曾孫の代までも末永く農業を続けることができる。
地球は水の惑星だといわれるが、そのほとんどは海水だ。降水によってもたらされる淡水は全体のほんの一部である。私たちは貴重な淡水を、1割を生活用水に、2割を工業用水に、残りの7割を農業用水として利用している。
世界の穀倉地帯の多くは乾燥地帯にある。そしてさんさんと降り注ぐ日差しと、大量の地下水を使って食料を生産している。そしてそうして生産された食料を、私たち日本人は大量に輸入している。雨に恵まれた湿潤な国に住む私たちが、実は食料のかたちで、降水量の少ない国の大量の「水」を輸入しているわけだ。
ちなみに小麦1キロを生産するために必要な水は2トン、牛肉1キロを生産するのに必要な水はその2万倍の20トンだという。地球の大地が涸れ果てようとしているとき、日本の食料消費や食料生産のありかたはこれでいいのか、反省してみる必要がある。
去年、森田実さんの講演で、「みなさん、いま世界の水がたいへんなのです。日本の水も狙われています」と聞かされて、少し調べたことがある。そして、世界には水という大切な公共資源を「商品」にして儲けている人たちがいることを知った。
このことは余り知られていない。これまでほとんど報道されることもなかったが、ようやくこれをNHKが取り上げてくれた。8/20(土)のNHKスペシャル「ウオータークライシス、水は誰のものか」「第一集 狙われる水道水」はみごたえがあった。
1990年代にはいり、「水道の民営化」が世界的なブームになった。財政赤字になやむ自治体がつぎつぎと水道設備を民間に売り渡し、水道事業から手を引いた。また、発展途上国では、民間企業の力で水道設備を敷設する動きが活発化した。
これを促進したのが世界銀行である。その理念は役所の無駄をなくし、住民に経済的に水を供給しようということだった。こうした流れの中で、1990年にまずイギリスのサッチャー首相が水道事業の民営化を断行した。
つまりイギリス中の水道施設を州ごとにすべて民間の会社に売り渡した。その後、15年がたっている。水道事業の民営化は成功したのだろうか。NHK番組では、ウエールズ州でおこったことがレポートされていた。
ウエルシュ・ウオーターという水企業が、水商売であげた利益を元手にホテル買収などの多角経営に乗りだし、結局は経営不振に陥り、アメリカの水企業に買収されてしまったのだ。これを契機に、ウエルシュ・ウオーターの元社員だったクリス・ジョーンズという人が、「グラス・カムリ」という水道事業のためのNPOを立ち上げ、基金をつのって3800億円で水道施設をアメリカ企業から買い取った。
NPOなので株の配当もなく、利益はすべて地元に還元している。さまざまな職業をもつ州の56人の住民がボランティアで経営に参加し、低価格で安全に水が供給されるよう目を光らせており、代表や役員の人事権もこれら地域住民が握っているとのことだ。
NPO代表のクリス・ジョーンズさんは、NHKのインタビューのなかで、「私たちの団体は水そのものを所有しているのではなく、ただインフラを所有しているのにすぎない。水道事業はビジネスではなく公共サービスだ」と述べていた。
アメリカのカルフォルニア州の人口3250人のフェルトンという村の出来事も興味深いものだった。村では昔から地元の民間会社が川から水を引いて村に水道水を供給していたのだが、この会社がニュージャージー州にある水企業に買収され、さらにその1年後にはこの会社がイギリスの水会企業に買収された。しかもこのイギリスの企業はドイツにある多国籍企業の子会社だというのだ。
買収後、水道料金が一方的に値上がりした。しかもインフラの補修もいい加減になった。地元の民間会社なら、出かけていってファーストネームで呼び合う社長に苦情をぶつけて、即座に解決したものが、買収後は何千キロも離れたところにある会社と文書でやりとししなければならず、しかもその約束もほとんど守れない。これに業を煮やした住民が立ち上がり、水道設備をそのドイツにある多国籍企業から買い戻したということだ。
その費用は12億円にのぼり、一世帯が毎年6万円ずつ30年間かかって支払い続けるのだという。それでも買い戻したのは「水は商品ではなく、自分たちの水を自分たちでコントロールできないというのは命の危機だ」という主張が住民投票の結果74.8パーセントもの人々に支持されたからだ。
これと対照的なのが、民営化した企業が多額の負債を出して撤退したマニラのケースだ。約束に反して水道料金が4倍に跳ね上がったため、貧乏な人々は料金が払えなくなった。このため水が飲めない人や、水泥棒がはびこり、ついには集団コレラまで発生した。
この結果マニラではついに企業が匙を投げて民営化が破綻し、自治体がその尻拭いのために立ち往生している姿が克明にレポートされていた。コレラの流行などによる水道事業の破綻は、水道水を民営化した南アフリカでも起こっている。アフリカの別の国では暴動が起こり、民営化した事業を国営に戻した。
このように1990年代に全世界的規模で行われた水道水の民営化は、一部の企業に巨万の富を供給し続けている一方で、高くなった水の料金が払えず、命の危機に瀕している「水難民」を大勢つくりだした。民営化で水が「商品」となった時一体何が起きたか、民営化を善だと信じて疑わない人は、この現実をよく見て欲しいと思う。
水道事業にかぎらず、民営化にはいろいろな場合があるが、失敗する確率が多いのは、政府が財政難に陥って苦し紛れに行うときだ。政府が本来責任を持ってやらなければならないことを、責任逃れで民間にまかせてしまう場合である。
やはり生活に直結する社会インフラは自治体なり国が最後まで責任を持っ必要がある。自治体が散漫な経営をしておいて、身動きが出来なくなったあげくに最後は民間にまかせて逃げていこうというのは困る。
それからNHKの番組を見ていて怖いと思ったのは、民間企業が次々と買収されて、水道施設が遠く離れた大企業の所有となり、住民との絆を失って、結局料金を上げないという契約も容易に無視されてしまうことだ。住民がこれに異議を唱えようと思っても、何千キロも離れたところに会社があるので、交渉に時間がかかるし、意志の疎通がむつかしい。
カルフォルニア州フェルトンの水道を買収したドイツの水企業は20ヶ国7000万人に水を供給し、その売り上げは5兆円だという。こんな企業を相手に片田舎の住人が交渉するのは大変だ。たまたま精力的に運動を展開した住民意識の高い人たちがいたからよかったものの、普通は泣き寝入りするしかない。
フイリピンのマニラ市の水道を買収したのはフイリピンの財閥企業とフランスの世界三大水企業の合弁だが、こんな大企業でも経営がむつかしくなると、さっさと役員を引き上げて、事業をなげだしてしまう。利潤本位の私企業では、こうしたことが起こる。
しかし、こうした公共のサービスに係わる企業は社会的責任を自覚すべきだ。自動車工場やパソコン工場ならともかく、公共性の高い水道事業には何百万人という都市住民の健康がかかっている。結論として言えることは、私たちの大切な公共財である水を、安易に「商品」にしてはいけないということだ。
2005年08月23日(火) |
「文明病」にとりつかれた現代人 |
(今日の日記は、私が昨日、北さんの掲示板に書き込んだ文章のコピーです。ただし少しだけ、校正が施してあります)
北さんは今ごろ北海道のどのあたりでしょうか。登別温泉、美瑛・富良野、旭山動物園などを見学して札幌あたりでしょうか。奥さんと娘さんを連れた3人旅、さぞかし楽しいでしょうね。家族の親睦をふかめ、北海道の自然の幸を大いに楽しんできてください。
私の学校は今日から新学期です。まだまだ暑い盛りですが、定時制は全日制が文化祭をする9月に教室や施設が使えなくなるので、10日ほど早めに新学期がはじまります。そのかわり、9月に10日間ほど(実際は土日や休日があるので15日間ほど)秋休みがあります。今年はこれを利用して、フイリピンに英語の勉強に行きます。
さて、北さんが8/10に雑記帳に書かれた<恐ろしい現代の「文明」観>について、今日はコメントしたいと思います。コメントが遅れたのは、この問題に私の関心が薄かったからでも、北さんの文章に価値を認めなかったためでもありません。
そうではなく、この問題がとても重要に思われたからです。いつもながら北さんの本質的な問題提起には感心しています。これをしっかり論じるためには、それなりの心の準備が必要でした。いまだ思索が充分に熟したわけではないのですが、とりあえず現在私が考えているあたりを書いてみたいと思います。
<私は、文明を文化の下位概念としてとらえるべきではないかと考えているのだ。私の考えでは、文化が最大の価値なのである>
北さんのこの考え方に賛成です。一口で言えば、問題の本質はここにあるのだと考えます。現代のさまざまな問題は、本来下位概念であるべき文明が、上位概念である文化を浸食し、これを破壊しているところに発生しています。そうした意味で、北さんの次の結びの文章も、おおむね賛成です。
<風土性に根付いた民族の文化こそ第一に大切にされるべきものである。その異質性こそ第一に尊重されるべきものである。その中に、どうしても人類の共存を妨げるものがあったとすれば、それは「やむを得ず」文明化によって排除されなければならないと考えるべきなのである>
おおむねと書いたのは、私は文化というものは風土性や民族性に立脚しつつも、それだけではない普遍的なひろがりを持っていると考えるからです。同様に、文明が普遍であり、文化が特殊であるという考え方にもいささか疑問をもっています。
文明が下位概念だというのは、文明は人間が生きる基本である生活のインフラだという意味です。したがって文明が追い求めるのは、生産性や効率性ということです。石器文明、青銅器文明、稲作文明などさまざまな文明があり、その生産性の優劣によって興亡を繰り返してきました。
こうした生産性の基盤のうえに、その上位構造である文化がかたち作られます。文明がその優劣を「生産性」や「効率」に求めるのに対して、文化はその価値を「幸福」という精神的な価値のなかにもとめます。
生産性というものが、貨幣という一次元の物差しで測れるのに対して、文化のゆたかさは私たちの心がそうであるように、多くの次元をもち、多様性に富んでいます。そこにはさまざまな幸福の形があり、よろこびのかたちがあります。こうした多様性のなかに調和を求めるのが文化というものの本性なのだと思います。
こうした豊かで多様な文化の世界が、その下部構造である生産性という文明の尺度によって浸食され、やせ細りつつあるところに、「文明病」にとりつかれた現代人の、最大の不幸があるのではないかと思っています。
(参考サイト) http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/
5/16日に国税庁が発表した2004年度の高額納税者の全国一は約36億9000万円を納税した東京都内の外資系投資顧問会社部長の清原達郎さん(46)だった。
清原さんは、担当するファンドの運用が好調で、成功報酬など推計所得は約100億円だという。2位は宇都宮市の前消費者金融会社会長斎藤成さん(60)で、所得の大半は大手アイフルへの株譲渡益だったそうだ。
もっとも、これらの人のほかに、もっと高額の所得を得ている人がたくさんいるはずだ。当時の週刊誌の記事には、他の株取引仲間は、清原さんが所得隠をしないであまりに正直なのに驚いていると書かれていた。西武グループの堤会長のように法人をつくったりして税金のがれをする人もいるのだろう。
私は教師をしているが、同人誌に小説を書いたり、いろいろなサークルや学習会に顔を出していたので、これまでにいろいろな人とつきあってきた。会社を経営している人も何人かいたが、税金を納めているという話はあまりきかなかった。
貿易商社のオーナーだというAさんなど、毎年多くの利益を出し、海外生活をたのしみながら、「私は今まで税金を納めたことがありません」というのが自慢だった。彼の場合は日本政府のお金の使い方が気にくわないのであえて税金をおさめないということだ。Aさんは英語もフランス語も自由自在という国際派で、人生の達人という風貌だったが、税金を納めない話にはちょっと違和感を持った。
人は働いて収入を得たら、やはり税金をはらうべきだろう。なぜかと言えば、人は一人で生きているわけではなく、この社会に生活するに当たって、様々な公共サービスを受けているからだ。そして国民として法律の保護のもとに置かれ、さまざまな権利が保障される。したがって、その分、納税の義務が生じる。
事情は法人の場合も同じである。法律的にいうと法人とは特殊な「人」だ。人間ではないのだが、特別に法律のよって「人権」が与えられている。つまり企業は営業活動を行うに当たり、「法人」としてさまざまな保護を与えられている。社会的に教育された社員を雇用し、すでに整備された基本インフラを使って利潤を上げている以上、個人とどうように税を負担するのは当然ではないだろうか。
個人の収入(所得)というのは、自分の労働力の売り上げなわけだ。もちろんこの売り上げのはコストがかかっている。売り上げからどんどんコスト(生活費)を引いていけば、利益がなくなる場合もある。統計によれば250万の年収の世帯の個人消費は250万円である。
個人の場合も所得控除の制度はあるが、原則的に、税金は所得にかかる。黒字幅(利益=収入-生活費)にかかるわけではない。同じ論理を法人にあてはめれば、法人税は本来は利益にではなく売り上げにかかるものではないか。
もちろんこの場合、30パーセントは高すぎる。1パーセントでも充分だろう。Aさんには悪いが、こうすれはもっと多くの法人から税を公平に徴収できる。そうすれば企業の利益率もあがり、企業自身も健全化するのではないだろうか。
さて、国税庁の発表した高額納税者の上位100人のうち、半数は株の譲渡による高所得だという。なお、10億円以上の所得税を納めた「大長者」は前年の2人から6人に、3億円以上も85人から107人に増えたそうだ。国民の総所得は減少しているから、上位が多くなったと言いうことは、低所得者がふえたということだろう。ここからも所得格差が広がっていることがわかる。
そうした中で、自民党は財政の健全化を理由に、サラリーマン増税を打ち出した。政府税制調査会の石会長は「サラリーマンは就業者の8割、4千万人の納税者がいる。頑張ってもらうしかない」というが、取りやすいところから取るというのでは、ますます格差が広がっていく。すでに日本の貧困率はアメリカ以上だという数字がある。
若者雑誌「CIRCUS(サーカス)」(KKベストセラーズ社)最新号に、副島隆彦が「日本はすでに階級社会だ」と書いている。セルジオさんが掲示板で紹介してくれた文章を孫引きしておこう。
<いいか、日本には支配階級(天皇、旧華族、大資産家、政治家の上位層、大企業の創業者一族)が50万人ぐらいいて、その下に約500万人の中小企業経営者と上層自営業者(医者、弁護士など)がいる。これが上層国民で、日本の中心部分にして自民党の支持層だな。
その下が年収1000万円以上の上層サラリーマンで200~300万人いる。彼らは、資産はないが自分の力で闘える連中だ。私の本を買って読むのはこのクラスの連中までだな。
その下には5000万人の一般サラリーマンがいて、こいつらはテレビでバカな学者や評論家が言うことを丸々信じ込んでいる連中。本百姓(ほんびゃくしょう)だな。騙されているだけなのに自分では内心、頭がいいと思い込んでるアホたちだ。
さらにその下には5000万人の奴隷階級がいる。こいつらはサッカーと野球しか見ない水呑み百姓だ。だから、日本という国はな、テレビや新聞に騙されないでしっかり勝ち組を続けている上層国民プラス上層サラリーマンと、それ以外の大多数の負け組みの人間ででき上がっているんだよ。>
2005年08月21日(日) |
法人税を払わない企業 |
現在の法人税の基本税率は利益の30%になっている。これは国税の基本税率の水準としてはイギリスと並んで主要先進国の中でも最低の水準だ。それでも利益の30%払うのだから、企業はかなり社会貢献していると言えるのではないか。
ところが日本に250万以上ある会社のなかで、実際に法人税を支払っているのはわずかに1/3だけだという。たとえば世界一の資産を持つといわれた西武グループもほとんど法人税を払っていなかった。ソニーなど世界に名を知られた多くの大企業が税金対策をして法人税を払わずにすましていた。 政府の出した「平成14年分法人企業の実態」を見てみると、法人全体の営業収入(売上高相当)は1,438兆円だ。ところが法人税の総収入は9兆5千万円しかない。じつに0.66パーセントだ。5パーセントの消費税にくらべると、1/7でしかない。
これは法人税が売り上げとは関係なく、利益にかかるからだ。だから企業としてはさまざまな支出をこしらえて、利益控除を拡大し、利益を少なくする。実のところ、平成14年度の日本企業の総利益はたった32兆円しかない。
たしかに統計の数字の上では、9.5/32=29.7パーセントである。30パーセントの法人税というのも、実態はこうしたものだということを認識しておく必要がある。
これは日本の場合だが、アメリカではどうだろう。実態はほとんど日本と変わらないようだ。東洋経済新報社「週刊東洋経済」 2004年4月24日号の「田中直毅の日本経済の明日第30回」より抜粋しておこう。
<03年は法人税収は連邦政府の税収のわずか7.4%にまで低下した。83年以来の低比率である。1318億ドルという水準も10年前にまで戻るほど低調なものだ。企業の租税回避行動の広がりという指摘が相次ぐことになる。・・・
今回の報告書では、まず概観ということで外国系企業と米国系のそれとを分けた。外国系企業の71%、米国系企業の61%が法人税を支払っていないことがわかった。
ちなみに02年の日本の法人およそ255万社のうち、欠損企業は68.9%となっている。92年は53.1%の欠損企業比率だったが、94年以後は60%を超える企業が欠損となっている。これだけを見ると日米間で大した差があるとは思われない。
米国の報告書では、資産2.5億ドル、あるいは売上高で5000万ドルという基準をつくり、どちらかでこれを上回る企業を大企業として分類したうえで、外国系大企業と米国系のそれとを比較している。収入の5%以下の法人所得しか申告していないのは2000年のデータによれば外国系で76%、米国系82%である。大企業については米国系の方に租税回避行動が根づいている可能性も考えられる結果だった。>
2005年08月20日(土) |
こうすれば財政赤字から脱却 |
財政をいかに健全化するか。そのためには、現にある700兆円の累積国債をとりあえず<借金とみなさない>で、早急に解消しようと考えないことだ。借金とみなさない理由は、国債を持っているのが日本人だからである。
その上で、これから発行する国債について、これを漸次削減することを考える。そのためには、思い切った「構造改革」を断行することだ。ただし、私のいう構造改革は小泉流とは随分違っている。
小泉首相の「痛みをともなう構造改革」は日本を市場原理優先のアメリカ型競争社会にすることである。そうすると、自由な競争の美名のもとに、弱肉強食や弱者切り捨てのリストラが横行し、所得格差は拡大し、一部の富めるものによる経済支配、政治支配がすすむことになる。持てるものと持たざる者の社会的分極化がすすむ。
しかし、競争によって社会が活性化し、進歩するというのまちがいだ。こうした弱肉強食のダーウイン主義がどういう結果をもたらしたか、その悲惨な例が20世紀の帝国主義戦争である。国内的にはモラルの退廃や、犯罪の増加が考えられる。
現在のアメリカを見てみればよい。最大の職種が160万人の軍人であり、二番目が100万人の弁護士である。さらにホームレスが800万人、刑務所にいる人が500万人、コカイン中毒者が400万人もいるという。日本をこうした痛みのあふれる国にしてはいけない。
私は今こそ「競争社会から共生社会へ」というパラダイムの転換が必要だと考えている。これからの日本は20世紀的な産業優先の競争社会ではなく、人間重視の共生社会であるべきである。そして、そうした社会へと扉を開く最初のステップとして「ワークシェアリング」がある。
現代の日本の失業率は、実質的には20パーセントほどある。つまり、人材が有効に活用されていないことが社会停滞の最大原因である。仕事をみんなで分かち合うことで、この最大の無駄を解消しようというわけだ。
失業率が20パーセントなら、労働者が20パーセントずつ仕事を減らせばよい。その分、給料は減るが、自由時間は増える。そして、日本のように貯蓄が進んだ先進国では、自由時間の増大は、むしろサービス・社会福祉型の産業を活性化する。
こうした生活重視のサービス型産業を中心に、内需の増大が生じ、その結果、就業人口が増加し、経済構造の変動が生じるにつれて労働人口の移動が生じるだろう。この段階でむしろ流通や建設、金融といった古い産業の解体や合理化をすすめるのである。
そうすれば、「痛みや混乱、出血を伴わない構造改革」がスムーズに実現する。つまり、最初に合理化ありではなく、新しい需要の喚起を優先させて、ワークシェアリングである程度産業構造の転換を促した上で、おもむろに旧来産業の合理化・効率化をはかるのである。
いずれにせよ、生産性の向上を量にもとめる発想をやめて、質にもとめることが大切だ。量的な拡大ではなく、質的な変革をもたらすのである。これによって新しい産業が生まれ、経済が活性化する。同時に税制を改革すれば、財政赤字はなくなる。
財政赤字は日本の場合は、国から国民への所得の移転だ。700兆円になる国の赤字は、700兆円の貯蓄とつりあっている。貯蓄のあるところ、国の赤字がある。これは経済学の基礎だ。
アメリカの場合はこれが通用しない。借金の大部分を外国から借りているからだ。したがって利息はそのまま国外への富の逃亡になり、国の貧困化につながる。アメリカはこれを解消しようとしてて、日本政府に郵政民営化を強要した。
統計では年収が250万円の家計では支出が250万円だ。つまり収入をすべて個人消費にまわしている。これに対して、年収1000万円の家計の場合、消費に回るのは半分の500万円に過ぎない。これでは必然的に需用と供給のミスマッチが生じる。
お金もちから所得税を取り、利益を上げている大企業から法人税を取り、これを社会消費という形で使って有効需要を創出すればよい。これは金持ちを優遇する小泉流税制改革と反対の流れだが、日本が甦るにはこれが必要である。
国債の発行を前提としなければ国家の予算が組めないというのは問題である。そこで増税をしたり、無駄使いをなくして財政削減をはかろうとするわけだが、これが国内の消費を冷え込ませ、景気の足をひっぱり、さらなる税収の減少を招いてきた。
デフレになれば、ますます銀行の不良債権がふくらむ。銀行の貸しはがしが横行し、中小企業が倒産する。失業が深刻化し、個人消費が冷え込むので、政府はふたたび巨額の財政出動しなければならない。こうした悪循環のなかで、国債の残高がますます膨らんできたわけだ。
こうした悪循環をどうやって脱したらよいのか。私は国債が<赤字国債>つまり<国の借金>であるという固定観念から自由になることが必要ではないかと思っている。つまり、株式が企業への投資であるように、国債もまた国民の国家への<投資>だと考えるのである。
国債とは国の借金には違いないが、見方を変えれば国の発行する株式だという捉え方もできる。企業が株を発行して資金をあつめ、事業をおこなうように、国という「企業」も国債という株式を発行して資金を調達し、経営をおこなう。
企業がさまざまな財やサービスを提供して売り上げを稼ぐように、国もさまざまな財やサービスを提供してその代価として税金をとる。そして国は必要に応じて国債という<株式>を発行して資本金増やしていくわけだ。
多くの国民がせっせと働いて貯金をした。これを郵便局に預けるということはつまり国に投資したということである。国はこのお金を使ってダムや道路を造り、学校や病院、老人施設など国の経済や福祉の基盤を作った。
日本が戦後世界の奇跡と言われるまでに大きく発展したのはこのカラクリによるところが大きい。国民は700兆円ほど国に投資した見返りにその倍の1400兆円もの個人金融資産を得た。この他に、企業の所有する資産が600兆ほどあり、さらに国の隠し財産もかなりあるらしい。
こう考えれば、国や地方の借金が多いからといって悲観的になることはない。それだけ国民が日本という国に投資したと考えればすむことだからだ。ものは考えようであるが、たとえ国債が投資だとしても、いやそれだからこそ、無駄な投資であっては困る。
私はこれまで何回も新聞に投書し、むだなダムや施設を作るなと訴えてきた。道路公団はつぶして高速道は無料化せよといい、天下りはけしからんとくりかえしてきた。政・官・業の癒着した政治を変えなければならないと訴えた。私は今でもこれが構造改革の王道だと思っている。
ただし私は財政投融資の制度には表だって異をとなえたことはなかった。アメリカは世界中の国に国債をかわせ、その資金で戦争をしている。これに比べて、憲法の平和主義に守られていた日本は、国債を自国の中でまかない、平和的な事業につかってきたからだ。
アメリカの軍需産業にあたるのが、日本のゼネコンである。政・財・官の癒着は両国とも深刻だが、ひたすら民需にのみ投資してきた日本の財政投融資の方が平和的であったことは事実だ。この点は評価すべきだが、本来は国民のこの貴重な財産を、もっと有効につかうべきあったことはたしかだ。
普通の会社であれば、株主総会がある。これによって、経営がきびしくチェックされるわけだ。このチェックがないと散漫経営になる恐れがある。
国債の場合はどうか。国民は自分たちが投資した資金が適正に使われているかチェックできるだろうか。ここが問題の急所である。たとえば郵便局なり銀行なりに貯金したとしよう。そのお金が自分たちの知らない間に国債購入にあてられている。こうした中で、チェックができるわけがないのではないか。
ところが、それが出来るのである。会社の株主総会にあたるのが、じつは国会である。財政投融資はここで審議され、国会で承認されなければならない。国会をとおして、私たち国民は自分たちが投資した資金が適正に運用されているか監視できる。
借金は資本金だと考えればよいし、しかも国権の最高機関である国会がチェック機構になっているのだから、本来ならば財政投融資は問題がないはずだが、そうでなかったのは国会が、つまり政治家がさぼっていたからだ。日本の会社の株式総会が形式的だったのと同じ事である。どんな立派な制度があっても、これではいけない。
じつは私も国債は借金である、悪であるとう立場で文章を書いてきた。この6年間、あるいはさらに20年さかのぼって自分の日記を読み返してみて、ほとんど訂正する必要を感じないのだが、ただひとつ例外が、国債に対する考え方だ。
たしかに国債が借金だが、見方を変えれば借金ではなくなる。その理由をもう一度くりかえせば、国が借金をしているのがほとんど国民から(93パーセント)だからだ。いわば親が子供からお金をかりているようなもので、外からみれば借金にみえないわけだ。
利息をはらっていても、これも国が国民に払っている限りは、自分で自分に払っているようなもので、国の損失ではない。こうした意味で、通常の借金とは性格が違っている。つまり国内経済で考えれば、富が国家から国民に移動しただけのことだ。しかも、国債を大量にもっているのが郵便局という国の機関だから、この理屈がますます通用する。
この点、アメリカの国債はその大半を外国に依存しているので、これは本物の負債だと言える。日本も郵政を民営化すれば、国債が外資や外資の資本が大半を占める日本の銀行の手に握られる可能性が大きくなる。つまり、潜在的な借金が顕在化するわけだ。
借金は資本金だと考えればよいと書いたが、これには前提がある。その資本金が国民の持ち物であり、しかも国民が国(会社)のことを思って今後も安定した株主でいてくれることである。
もしこの前提が崩れたら、これは大変なことになる。国債が株式と同じように市場で売買されている以上、そして市場が株主主権主義者にいいように支配されはじめると、国に対してもこの論理が働く。株式を通して企業を支配するように、国債をとおして国を支配しようということがこれからは普通に行われることだろう。
そうでなくても日本国の国債を大量に保有するファンドは、その本性上利益大一に考えるから、国債を売ってはるかに利益率の良い金融商品に投資することを考える。そうすれば国債は暴落するが、その前になんとか売り抜けようとするはずだ。
こうしたことが、郵政民営化によって起こりうる。郵政民営化に賛成すると言うことは、このおそろしいことに荷担するということだということを、ぜひとも肝に銘じて欲しい。
2005年08月18日(木) |
民営化で財政赤字は解消するか |
少し前から、週刊誌などで公務員バッシングがさかんに行われていた。いまや公務員のイメージは最低である。いまだに年功年功序列で高給を貰いながら、リストラの恐怖や競争もないのでろくな仕事をしない。税金の無駄使いをなくし、財政を立て直すには公務員をリストラするに限る。郵政民営化を多くの国民が支持しているのも、こうした公務員に対する負の感情がその底流にあるのだろう。
客観的にデーターを見てみよう。まず、公務員の数だが、これは日本が先進国で最低である。総務省の統計によると、人口千人あたりの公務員数は日本が35人なのに対して、アメリカ80人、フランスは95人などになっている。麻生総務大臣は経済諮問会議の席上、「諸外国と比較しても極めて小さな政府を人件費の上でも実現している」と発言していた。
誤解のないように付け加えておくが、ここでいう公務員には郵政公社のような公社や特殊法人の職員や政府系企業の従業員もすべてふくまれている。これをみても、日本の公務員は外国に比べて数が多いわけではない。これは社会消費が他の先進国の半分しかないことにもあらわれている。つまり、日本は教育や福祉といった公共サービスがとてもお粗末な発展途上国なのである。
それでは給料の面ではどうだろう。たしかに国家公務員の場合は、従業員数5人の小企業にくらべれば、平均で6万円ほど高い給料をもらっている。しかし、500人規模の中企業にくらべれば、10万円低いことになる。大企業に勤めるいわゆるエリートサラリーマンとはくらべようもない。これも誤解にないようにつけくわえておくが、ここで給料というのはさまざまな手当も含めた総収入である。
もちろん、私は公務員の仕事に無駄がないとは思わない。仕事が効率的かどうか、問題点はあるし、こうしたことは改革されなければならない。そのためにこれを監視する第三者の機関をもうけることも必要だろう。
感情的な公務員バッシングは困りものだが、公務員の側にも「公僕」という意識が薄れ、政治や業界と癒着して甘い汁を吸っていたのではないか。とくにキャリア官僚のモラルの低下が著しいように思われる。
なお、財政赤字の原因を公務員の多さや高給のためだと考えている人が少なくない。郵政を民営化し、公務員をリストラすれば財政が健全化すると信じ込んでいる人も多い。たしかに多少は減るかも知れないが、これで財政赤字が解消されると考えるのは間違っている。
それではなぜ、日本は700兆円を超える国債が累積し、毎年30兆円を超える国債を発行しないと予算が組めない国になったのだろうか。この疑問に答えるためには、少し歴史を振り返ってみる必要がある。
80年代、日本の輸出産業は好調だった。アメリカへの純輸出(輸出-輸入)は千億ドルを超えていた。これは勤勉さと生産性で上回る日本が国内需要をはるかに上回る製品を作り出し、そのはけ口をとくにアメリカを市場にもとめたためだ。
そこでアメリカ政府は「構造改革協議」でこのアンバランスを是正するように求めてきた。アメリカの製品(農産物)をもっと買うこと、日本国内の需要(内需)を拡大して、輸出にたよらない経済体質になること、そして生産過剰にならないように、日本人のけたはずれた長時間労働をあたため、閑暇をふやすことが日本に強く要求された。
日本人のライフスタイルを変えることは、内需の拡大にもなり、アメリカとの貿易摩擦を緩和する上でも一石二鳥、三鳥だと思われた。アメリカからの要望だったが、これはとても合理的な要望で、アメリカ国民にとって幸福であるばかりでなく、日本国民にとっても幸福な解決法だと考えられた。
だから国民もこれを歓迎した。週休二日制が実施され、休日を増やして他の先進国並の労働時間に近づけるよう、つぎつぎと法案がつくられ、政策が実行された。「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」という標語が人気を呼び、日本社会に「ゆっくりズム」がうけいれられるかにみえた。
このとき、アメリカが内需拡大として数百兆円規模の公共事業を日本に求め、日本もこれを受け入れた。アメリカはこれで貿易格差がちじまると考えたのだ。またこれにアメリカの建設業界を参入させたと思っていた。
日本の大規模な公共事業はこうした経緯ではじまりまった。アメリカとの約束を果たすため、リゾート法がつくられ、全国各地に大規模な国民的なレジャー宿泊施設が大量につくられ、空港や道路やホテル、ゴルフ場がおびただしくつくられた。
ところがこうした自然開発型の公共事業が田中角栄の「日本改造計画」の再来となり、不動産を中心にしたバブルを誘起した。そして、さまざまな経緯でバブルがはじけたあと、たくさんの不良債権の山が築かれることになったわけだ。
不況により、国家財政は縮小した。さらに税制改革によって、さらにこれに拍車がかかり、こうしてみるみるうちに財政赤字がふくらんだ。それでも政府はデフレ脱却のため、景気回復のために公共事業をさらに続行した。
こうした歴史を知れば、公務員が無駄使いをしているからというのは問題の矮小化以外のなにものでもないことがわかるだろう。ただ、念のためにもう一度書くが、公務員の無駄使いは現実に存在するし、これを改めるのは大切なことだと考えている。
どうしたら、日本の巨大な財政赤字の累積を解消できるか。「民でできることは民で」という「民営化」はその一つの解答であろう。しかし、以上に見てきたように、財政赤字を生みだしてきたシステムがあるかぎり、「民営化」は根本的な解決にはならない。大切なのはこの国債依存型のシステムを変えることである。これについては、また改めて書いてみよう。
いま世界には二つの流れがある。ひとつはEUが志向してきた社会民主主義的な国造りの方向である。これは国は国民の大多数を幸せにするために存在しなければならないという考え方に立ち、社会福祉や教育など公的な部分にたくさんお金をかける。
こうした社会では国民の経済格差はすくなくなり、貧困率は低くなる。市場が万能だとは考えず、経済は国民の福祉向上のためになければならないと考えられ、企業の社会的責任が重んじられる。そのため、犯罪も押さえられ、社会が安定する。
あくせくした競争よりも共生の精神が重んじられるので、人々はゆったりとした時間のなかで文化や伝統を重んじながら満ち足りて暮らすことができる。余暇を楽しみ、多くの人々は非営利的団体に所属し、海外協力のボランティア活動もさかんである。多くの市民が政治に参加し、マスメディアも政府をきびしくチェックする。
また、必然的に軍事支出が少なくなり、戦争志向性もほとんどない。自然保護や地球環境問題を重視し、そのための政策を実行する。こうしたことのため、税金が使われるのはやむをえないと考え、政府や公的組織の活動も容認する。そのため個人消費が押さえられ、社会消費が大きくなる傾向がある。
もうひとつは、アメリカを代表とする新自由主義的な国造りを目差す方向である。なによりも国民の自由な経済活動を重視し、さまざまな社会的な規制を撤廃し、国民を経済的に競わせることで、国家としても経済的に強者になろうとする。
共生よりも競争を重視するので、労働時間は長くなり、人々はゆったりとした時間の中で生きることができない。また生まれた環境や育った環境によって生じる経済的能力的な格差が、その後の人生を通してますます拡大する。
貧富の格差は大きく、経済的弱者が大量生産されるなか、莫大な富が一部の人たちに集中し、貧困率が異常に高くなる。政府はこれを是正するために特別の政策を実施することはすべきでないと考えられている。経済的に恵まれないのは、基本的に努力が足りないからであり、自己責任だとみなされる。
連帯や友愛といった社会的な価値よりも、経済的な利潤や効率が優先し、やさしさよりも強者であることが尊ばれる。世界と協調するよりも世界を支配し、利益を最大化するために市場を拡大したいと考え、そのために強力な軍隊を持ち、国家は常に臨戦体制におかれる。
そのための支出が多いので、「小さな政府」を標榜しながら、国家予算の規模は厖大なものになり、環境問題を放置し、社会福祉を切りつめても、財政赤字は解消しない。そのため国債を多量に発行し、これを他国の政府や企業・団体に買わせてつじつまをあわせている。
さて、こうした世界の二つの流れについて、皆さんはどちらが優れていると考えるだろうか。私は社会民主主義的な国家を志向したいと考えるのだが、残念ながら、政治家の多くも、官僚も経済界も、新自由主義的な国造りこそ理想だと考えている。
能力もあり経済力もある日本のエリートにとって、自己責任に立脚した市場万能の新自由主義国家は、とても魅力的に見えるのだろう。しかし、アメリカのエリートたちが、それほど幸せかどうか、大いに疑問がある。日本のエリートの中にも、ほんとうのエリートの名にふさわしい人たちは、このことに気付いている。
ましてや、エリートでもない多くの庶民が、新自由主義的な弱肉強食の社会を望む理由はなにもない。小泉政権の掲げる「構造改革」がどういうものか、これによってもたらされる社会がどんなに殺伐なものかを理解したら、真っ青になるに違いない。日本の庶民がこうした自らを不幸にする政策を支持する理由はどこにもない。日本のマスコミはこの真実をいつまで国民に隠し通すつもりだろうか。
2005年08月16日(火) |
母から聞いた福井大空襲 |
福井空襲は昭和20年7月19日の夜10時頃はじまりました。B29爆撃機120機の編隊がまず市外周部に照明弾を投下し、徐々に中心に向って半径を狭めて行きました。
これによって市民は逃げ場をうしないました。約9,500発の焼夷弾が投下され、全市が猛火に襲われました。防空壕に避難していた人々は熱気で蒸焼きとなり、水を求め福井城の堀や足羽川に飛び込んだ人々は折り重なって死んだそうです。
私の母は当時15歳の女学生でした。妹と母親と祖母の4人で福井市の花月町というところに住んでいました。警報がなったときいち早く防火頭巾を被り、妹や母、祖母を起こしましたが、母親はこのまま死んでもいいと言って押入に閉じこもってしまったそうです。
いくら説得しても出てこないので、母親を除く3人で家を出ましたが、やはり思い直して一人だけ家にもどり、無理やり母親の手を引いて外に飛び出しました。その時はもうあちこちから火の手があがっていたといいます。
雑踏なかで母親の姿を見失いましたが。とにかく降りかかる火の粉を払いながら、足羽川を目差して無我夢中で走ったといいます。すでに川には夥しい死体が浮いていましたが、その間に身を沈め、敵機と炎に責められながら、生きた心地もしなかったと言っていました。
幸い母親も祖母も妹も無事でしたが、家はあとかたもなく燃え尽きていました。この空襲で市内は一面の焼け野原となり、95%の市街が焼失したそうです。これは全国最大の被災率だといわれています。死者は約1,600人だそうです。母の一家4人全員が無事だったのは、奇跡的なことでした。
それから母は家族と別れて、郊外の親戚の家に寝泊まりし、そこから長い道のりを歩いて、動員された仕事先に通いました。通勤途中、B29に襲われて機銃照射を受けたこともあったと言います。
敗戦の日を迎えてほっとしたということでした。母の話を聞きながら、せめてもう一ヶ月早く戦争が早く終わっていたら、多くの人たちの命が救われ、母達もこんな恐ろしい体験をすることはなかったのにと残念でした。
日中戦争から終戦までの8年間で、日本人の戦没者は310万人だといわれています。ところが最後の1年間で、200万人もの人命が失われているのです。もう1年早く終わっていれば、東京、大阪、名古屋や、60以上の地方都市も焼け野原にならなくてすみました。沖縄、広島や長崎の惨劇もなかったのです。
これだけ犠牲者が増えたのは、政府が国民の幸せを第一に考えていなかったからだと思います。天皇家の安泰や国体維持のため、あるいは戦争責任者の保身、そうした一部の人々の利益のために、多くの国民の血がとめどなく流されました。また外国の人々にも夥しい死と、耐え難い痛苦を与えたのです。
戦争が終わって60年。私は戦後世代ですが、戦争のことは両親から聞きましたし、破壊された防空壕など、戦争の爪痕を実際に見てそだちました。今後、物質的に繁栄した日本のなかで、戦争のことは何も教えられないまま育ってきた世代が、どんな国や世界をつくっていくのか、将来に一抹の不安を感じます。
どうしたら平和が維持できるのか。戦争は避けられるのか。それは政治が大多数の国民のしあわせを実現するように努力することによってだと思います。何度もいうようですが、この原点を、政治家も私たちも見失っていけないと思います。
60年前の今日、天皇の玉音放送があり、日本は終戦をむかえた。東京、大阪、名古屋、広島、長崎をはじめ全国の60以上の主要都市が焼け野原となり、庶民の暮らしはどん底に墜ちた。それから60年間、現在の日本は世界で羨まれる平和で豊かな国になっている。どのくらい日本が豊かであるか、データーを見ておこう。
日本人一人当たりの日給は平均して12000円あまりである。ところが世界の87パーセントの国の日給平均はこの半分に満たない。さらに世界の77パーセントの人たちは、なんと日本人の1/10の収入しかない。そして7割の人々は日本なら新聞を買い、コーヒーを飲めばなくなる収入で一日を過ごしている。
日本ではペットボトルのお茶が120円もする。ところが一日の収入が120円に満たない人々が世界には7億人もいる。もちろんこれらの人々は、いつも飢えと直面しているわけだ。これからはペットボトルを買うとき、こんなことも考えてみてはどうだろう。
世界でトップレベルの所得をもち、世界一の長寿国であり、しかも犯罪もすくなく、都会の路地裏を女性が夜中に一人で歩いていて安全な国が他にあるだろうか。そして、この60年間、一度も戦争や内乱を体験したことのない国が世界にどれほどあることだろう。
こうした世界の国々の人から見たら夢のような暮らしをしている日本人が、信じられないことに国の中では「憲法をかえよ」とか、「構造改革だ、痛みを伴った改革だ」と大騒ぎしている。もっとも大騒ぎしているのは、一部の政治家とマスメディアなのだが、こんなにうまくいっている国をどうして変えなければいけないのか、外国の人々には不思議なことだろう。
日本がいまやるべきことは「郵政改革」などではない。世界第二位の経済大国として、他にやるべきことがたくさんある。持っている経済力を生かして、もっと国際貢献しなければならないときに、視野狭窄に陥った日本人はつまらないことでいがみ合っている。なんとも愚かなことだというしかない。
しかし、世界中からうらやまれる日本人が、実際にそれほど幸せを実感できているかというとそうではない。実は多くの日本人が、子供から老人にいたるまで、自分の人生をそれほど恵まれいるとは考えていない。意識調査をすると、日本人は世界中の人間のだれよりも、自分のことを不幸せだと感じているらしい。たしかに日本人の自殺率は世界一である。
この謎をどう解いたらよいのか。物質的な豊かさのなかで、心の豊かさがいつか蝕まれたのだといえば一般論としてはその通りかもしれないが、それではどうしたらよいのかと問われれば答えに窮するだろう。
そこで、もう少し、現実に即したところから見てみよう。私が注目してしているのは、日本の社会消費の低さである。日本の場合、社会消費はGDPのわずか10パーセントしかない。日本はOECDの平均の19パーセントをはるかに及ばない。EU諸国では20パーセントを超えているし、軍事大国のアメリカでさえも15パーセントを維持している。
社会消費が少ないということは、教育や福祉、医療といった生活のインフラを日本人は個人で負担しているということだ。本来は国の公共サービスで提供されるべきものが、日本では個人の自己責任になっている。そのため日本の個人消費はOECDの平均の2.08倍にもなっている。
社会消費の割合はその国の「住み易さ」の目安でもある。これが異常に低いということは、日本を庶民にとって住み難い国だということだ。こうしたところに、日本人の幸福度の低さの原因があるのだと考えてみてはどうだろうか。1.24という異常に低い出生率を改善するにも、こうした社会消費の充実を他にしては不可能だろう。
公共事業と言えば、日本ではあまり評判がよくない。それはだれも利用しないところに道路や空港を作り、無駄な施設を作ってきたからだ。そしてこれが政・官・財の癒着にもなってきた。ただでさえも少ない社会消費を、こうした無駄なことに消費してきたのだから、よけいに困るのである。そのせいで、日本ではいまだに少人数学級も実現されていない。
老後の不安から、人々は貯蓄にはげみ、これが個人消費をあっぱくしてきた。技術革新で生産性が飛躍的にのびたのに、需用がのびず供給過剰から、日本は長いデフレに苦しんでいる。
これを解消しようと国は国債を発行して借金を重ね、銀行は自己収益のみを考えていよいよ国際金融市場でのマネーゲームに深入りし、国民の生活からも、企業の活動からも遊離した存在になってきた。
いずれにせよ、この流れを変えるために、政府はいまこそ第一の任務である「国民のしあわせを実現すること」に政策力を集中しなければならない。政治がこの原点を忘れたとき何が起こるか、身近では現在の日本を覆う満たされぬ不満であり、また歴史を繙けば、先の戦争の悲惨であろう。
とくに日露戦争後、政府と軍部は、国民の幸せを顧慮せず、むしろ国民に犠牲をしいる政策を実行して、日本を戦争の悲劇へと導き、さらに先の大戦で敗北して国民に塗炭の苦しみをなめさせることになった。この恐ろしい教訓を決して忘れてはいけない。
戦争をするのはいずれも不幸な国民たちである。自分たちの幸せをでなく、また他国民のしあわせをでなく、空虚な国家主義の宣伝にまどわされ、自分たちの国が神国だとか、世界の強国にならなければならないなどというたわごとにつきあっていると、日本人はいずれまた身を滅ぼすことになるだろう。
政府が一部のひとびとの利益や幸福ではなく、最大多数の国民がしあわせになることを真剣に考え、そうした政策を常に実行していれば、国の平和は保たれ、戦争は決して産まれることはない。私たちもこのことを肝に銘じて、ほんとうに私たちを幸せにしてくれる政策を掲げる政党を支援し、大きく育てていくべきだろう。
小泉首相の衆議院解散はとても強権的で、恐ろしいものを感じた。おもわず、「もはや戦後ではない。戦前である」というキャッチフレーズを思い出したくらいだ。
小泉首相は国民の圧倒的な支持のもとに自民党の「造反組」をねじふせ、民主党を踏みつぶして勝利するつもりでいるのだろう。現在の国民の意識状況やマスコミの煽り方からすれば、これは非現実的な話ではないと思う。
小泉首相は「造反」した議員を公認しないだけでなく、彼らを潰すために対立候補をぶつけるのだという。これをマスコミは面白おかしく時代劇仕立てで「刺客」だの「くのいち」だのと呼んでいる。そしてその刺客として財務省や通産省の官僚を小泉首相じきじきに一本釣りしている。官僚の国会議員への天上がりはこれからラッシュを迎えるのだろう。
自分に逆らう人たちを抵抗勢力、反動だと決めつけ、改革、改革、と叫ぶ姿は、昔の国粋的な青年将校とそっくりだ。あるいは国民に熱狂して迎えられたヒトラーをも彷彿とさせる。またあのいやな時代に逆戻りしなければよいのだが・・・。
当時の日本の様子が描かれている昭和7年2月11日の永井荷風『断腸亭日乗』を、森田実さんの「時代を斬る」から孫引きさせてもらおう。 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
<二月十一日。雪もよひの空暗く風寒し。早朝より花火の響きこえ、ラデオの唱歌騒然たるは紀元節なればなるべし。・・・
去秋満洲事変起りてより世間の風潮再び軍国主義の臭味を帯ぶること益ゝ甚しくなれるが如し。道路の言を聞くに去秋満蒙事件世界の問題となりし時東京朝日新聞社の報道に関して先鞭を『日々新聞』につけられしを憤り営業上の対抗策として軍国主義の鼓吹に甚冷淡なる態度を示しゐたりし処陸軍省にては大いにこれを悪(にく)み全国在郷軍人に命じて『朝日新聞』の購読を禁止しまた資本家と相謀り暗に同社の財源をおびやかしたり。
これがため同社は陸軍部内の有力者を星ヶ丘の旗亭に招飲して謝罪をなし出征軍人慰問義捐金として金拾万円を寄附し翌日より記事を一変して軍閥謳歌をなすに至りし事ありしといふ。
この事もし真なりとせば言論の自由は存在せざるなり。かつまた陸軍省の行動は正に脅嚇取材の罪を犯すものといふべし>
昨日の朝日新聞朝刊の特集「戦後60年」で、半藤一利氏もまた永井荷風の日記を引用している。昭和16年6月15日の分を、同様に孫引きしよう。
<(日中戦争の原因は)日本軍の張作霖暗殺および満州侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲と称して支那(中国)の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て、にわかに名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出したり>
<欧州戦乱以後、英軍振るわざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し、南洋進出を企図するに至れるなり。しかれどもこれは無智の軍人らおよび猛悪なる壮士らの企てるところにして、(略)国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰いて不平を言わざるは恐怖の結果なり。麻布連隊叛乱(二・二六事件)の状を見て恐怖せし結果なり・・・>
戦前、戦中を通じて、多くの知識人や言論人が国粋的になり、戦争賛美に傾く中で、永井荷風はいささかも動じていない。そして状況認識もすこぶる正確である。これは永井荷風が本当の意味の国際人であり、また日本の伝統をこよなく愛した文化人であったからだろう。
6年前の8月13日に橋本裕HPを立ち上げた。ちょうど今日が6周年記念日である。この間2000日あまり、日記を一日も休まず書き続けた。 なかば惰性で書いた部分もあるが、これは多くの人のはげましや応援があったからだと思う。
HPは始めた頃はほんの数人の訪問だったが、去年あたりからはカウンターが毎日100を超えている。他に日記を登録してある「エンピツ」というサイトの方にも毎日50人以上の人が来てくれている。両方合わせれば延べにして150人から200人ほどの人に訪問していただいているわけで、ありがたいことである。
毎日日記を書き、掲示板で多くの人々とディベイトするなかで、私の考えも次第に精密になり、文章構成にもそれなりの進歩がみられたように思う。 「継続は力なり」というありふれた言葉があるが、これからもこの言葉を大切にしていきたい。
なお、私はこの日記を10年前に買ったNECのpc-9821Xa7で書いている。各駅停車なみの速度だが、このゆったりしたレトロの世界を私は愛している。もっとも、音楽や大量の画像のついたHPは訪問できない。訪れても、マシンが止まってしまうのである。そんなわけで訪問いただきながら、私の方で不義理をしているHPも多い。この場を借りておわびしたい。
-----1999年8月13日(金)の日記----- 今日からホームページを始めた。そこでついでに日記も公開することにした。日記を付け初めて20年以上になるが、まさかこんな日がこようなどとは思いにもよらなかった。それにしてもここ数年のインターネットの発達ぶりは目を見張らせるものがある。
考えてみれば私たちの世代は恵まれていると思う。まず第一に戦争がなかった。世界のどの国を見回してみても、日本ほど平和な国は見あたらない。アメリカはベトナム戦争をはじめ世界の至る所に軍隊を出しているし、イギリスやフランスやロシアもそうである。戦争に負けた日本は平和憲法のもとで戦争放棄を世界に誓った。平和憲法は尊い犠牲の上にようやく我々が手にしたのである。その精神を忘れてはいけないと思う。
去年の今頃はO氏と東京へ行き、靖国神社に参拝してきた。O氏は国語科の先生である。記念館に展示してある従軍看護婦の遺品の前で、私はなんだか涙がこぼれそうになった。平和の尊さをしみじみとかみしめたものである。
東京への旅は青春切符JRの青春切符を利用したため、名古屋からの往復の運賃はわずかに4300円。浅草のカプセルホテルの宿泊代が3300円、実に安上がりの旅行である。これに味を占めて今年は8/9~8/10にかけてT氏を誘って同じように出かけた。T氏は英語の先生なので、道中英語の勉強法なども教えてもらい、片道6時間の汽車の旅もそう苦痛ではなかった。また来年の夏休みも、誰かを誘ってでかけようとおもう。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/nikki1.htm
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旅の道連れに東京大学経済学部教授の岩井克人さんの「ヴェニスの商人の資本論」をよんだ。とても面白い本だった。この本の中心テーマは、利潤はどこから産まれるのかということである。
お金を余分に儲けるにはどうしたらよいか。これはだれしも興味があるのではないだろうか。それでは、実際にどうしたら余分なお金、つまり利潤はつくりだせるのだろう。
ここで誤解のないように言っておくが、働いて給料をもらう賃労働は利潤を生み出さない。そこには労働量にみあった賃金しか得られないわけだから、これは正当な報酬であり、利潤とはいわない。
利潤を生み出すには、一つの方法しかない。つまり<安い物を高く売ること>である。もちろんこれは不正な取引によって金儲けすることであってはならない。
騙すかだまされるかの競争世界では、一方の得は一方の損失だから、双方を合わせれば、利潤の合計は0になる。だからこれでは社会全体としては利潤を産みだしたとは言えない。
そこで、安い物を高く売りつけて、しかもそれが全体の富の拡大、つまり利潤を生み出すようなまっとうな商売があるのか、疑問に思うだろう。
もちろんこれが可能だから、アダム・スミスは「国富論」を書いたわけだ。またこの世の中が経済的に発展しているのである。それではいかにして利潤の創造は可能なのか。岩井さんの本から、その答えを抜き出すことにしよう。
<利潤は資本が二つの価値体系の間の差異を仲介することからつくり出される>
<差異が利潤を産む>という岩井さんの説を、ここで解説しておこう。これは重商資本主義でも産業資本主義でも、欧米流の金融資本主義でも成り立つ普遍的な法則だからだ。
たとえば、金に価値をおく金国と、銀に価値をおく銀国があったとしよう。さて、ここにあるのは、<二つの価値体系の間の差異>である。利潤の法則に従えば、ここから利潤が得られるはずだ。頭の良い商人はすぐにその答えを見いだすだろう。
つまり、金国にある銀を安く買い占め、それを銀国へ行って高く売るのである。さらに、銀国にある金を安く買い占め、金国へ行って高く売る。これで利ざやがかせげるわけだ。
もちろん、この商売はいつまでも続くわけではない。金国の銀がなくらり、銀国の金がなくなればおしまいである。あるいは、金国に金が多量にもたらされば、それだけ金の値打ちがさがる。同様なことは銀についても言える。金国で金が下落し、銀の値段が上昇したら、銀を買う値打ちがなくなる。同様なことは銀国でも起こる。
このような商売の仕方を重商資本主義という。たとえば日本から銀を輸出し、明から銅貨を輸入した勘合貿易がその例だ。銀の相場が高い中国と、銅の相場が高い日本という二つの遠隔地を仲介することで利潤が産まれる。
遠隔地はなにも二つとは限らない。イギリスの商人達はアメリカから綿花を購入し、綿製品をアフリカに売りつけ、そのお金でアフリカ人の奴隷を買い、これをアメリカに売り付けた。いわゆる三角貿易である。
これも一つには人間の値段がただのように安いアフリカと、労働力不足で人間の値段が相対的に高いアメリカの両者の<差異>を仲介して利潤が産まれている。
重商主義からさらに進んだ産業資本主義の場合も、基本的な差異構造はかわらない。労働生産性が低い都会に住む人々を、安いお金で雇い、労働生産性の高い生産施設である工場の中で働かせる。そうすることで、資本家は利潤を生み出すわけだ。
つまりアフリカが国内の貧民街になり、アメリカの綿花畑が紡績工場になったわけだ。同じ人間が工場の外と内側で価値に差がでてくる。この差が大きければ大きいほど利潤が産まれる。
このように、産業資本主義はひとつの国のなかに<差異>を見いだすことになる。<資本>が発見したのは、生産手段をもたない<労働者階級>という貧しい人たちの群だった。ここから産業資本主義が生まれてきた。産業資本主義はその他様々な差異を内在的に再生産し、拡大することによって発展する。
しかし、社会が成熟してくると、労働者の生活が向上し、内外での差がなくなってくる。そこで企業は技術革新を継続させて工場内の生産性を高めようとする。そして、これにも限界を感じると、自らを多国籍企業と化して、安い労働力市場をもとめて国外に工場を移転させるわけだ。だから、岩井さんはこう書いている。
<差異が利潤から生まれるものならば、差異は利潤によって死んでいく>
<資本主義とは、それゆえ、つねに新たな差異、新たな利潤の源泉としての差異を探し求めて行かなければならない>
<現代の資本主義においては、だれもが差異化への欲望をもち、それを満たしたがっている>
<資本主義とは、かってはそれぞれ孤立し、閉鎖されていた価値体系と価値体系を相互に対立させ、相互に関連させ、それらを新たな価値体系の中へと再編成してしまう社会的な力にほかならない>
物理学の熱力学の法則によると、二つの物体があり、そこに温度差があるとき、これを利用して仕事を生み出すことができる。この法則を現実化したのがガソリンエンジンなどの内燃機関だ。
また、風車による風力発電の場合でも、温度差が風を生みだし、これが風車をまわし仕事をする。温度差を創りだすために原子核の崩壊させるのが原子力発電だ。
ちなみに温度差がなくなった状態を、物理学では「熱的な死」と表現する。エントロピー増大の法則に従えば、この宇宙もやがて温度が均一になり、「熱的な死」を迎えることになる。温度差がなくなれば、宇宙はもはや「無風地帯」となり、どんな仕事もしなくなる。
温度差が仕事を生み出すというのは、差異が利潤を生み出すという利潤の法則と同じ構造をしている。ここで大切なのは、いかに差異を創りだし、その差異を有効に利用するかということだ。つまり法則をいかに現実化するかである。技術革新の本質がここにある。技術革新については、岩井さんはこう書いている。
<シュムぺーターの企業家たちは、お互いどうしの技術革新競争を通じて絶えず一時的な「遠隔地」を創り続けている。いわば「未来」という遠隔地を。この「未来という遠隔地」で成立している価値体系と直接接触できるのは、未来の技術条件を先取りできた、すなわちいち早く技術革新に成功した企業家だけである。そして、この未来の価値体系と現存の価値体系との間の差異が、企業家の利潤あるいはマルクスの言う特別剰余価値にほかならない>
技術革新が<差異>を創りだし、企業はここから利潤をあげる。つまり、この場合も、<二つの価値体系の差異が利潤を産みだし、利潤はこの差異をやがて食いつぶす>という法則は成り立っている。
現代は金融資本主義の時代だといわれる。もちろん金融資本主義についても利潤の法則はなりたっている。しかしもはやそこには、生身の人間は介在しない。金利や公定歩合といった利潤率の<差異>だけが問題になるからだ。
たとえばヘッジファンドで有名なソロスは日本の円の低金利に目を付けた。金利の安い円を大量に買って、これをドルにかえ、これを金利のべらぼうに高いほかの外貨に投資して、巨万の利益を稼ぎ出した。その結果、イギリスのポンドが暴落したり、東南アジアの国々の経済が破綻したわけだ。
郵政民営化法案が8月8日に参議院で否決された。小泉首相は即日衆議院の解散に踏み切った。これについて、8月9日の朝日新聞に「解散をこう読む」に、内橋克人、田原総一郎、松原隆一郎の3人の識者が意見を寄せている。
なかでも、内橋さんの文章がよく問題の本質をとらえていた。内橋さんは私がもっとも尊敬し信頼している評論家のひとりである。この人はいつも視点がしっかりしていて、主張にぶれがない。根底にある哲学がすばらしいからだろう。
<今、東証1部の上場企業に限っても、82兆円が現金として眠っている。今年度も16兆円増える見込みで、企業は過剰マネーの投資先に頭を抱えている。民営化で郵貯・簡保資金が民間市場に流れ込んでも設備投資には回らず、利回りの有利な運用先を求めて米政府証券など海外に流れるだけ。国民の資産は不安定な投機マネー市場におびきだされ、高い海外リスクにさらされる。利回りの悪い日本国債の引き受けてもなくなり、将来の不安を増すばかりだ>
郵政を民営化して、郵貯や保険の350兆円を民間で活用せよという人がいるが、これは日本経済がおかれている実態を見れば、そうやすやすとは受け容れられるものではない。
バブルの頃も、企業も銀行も過剰過剰マネーの扱いに困り、土地投機に走った。日本だけではなく外国の不動産まで買いあさった。しかし、投機マネーはその後、どうなったか。
バブルのころ、投機市場に参加出来なかった郵貯・簡保資金はおかげで不良債権にもならす、大切な国民の財産として生き残ったが、この教訓がもうすっかり忘れられている。
しかも、現在の投機市場は、「ファンド資本主義」という名前のとおり、当時よりもさらに加熱し、格段にレベルが上がっている。土地や建物を買うのではなく、何兆円もの資本金をもつ企業をも買いあさることが平気で行われている。
現在も銀行は国債を大量に買っている。しかし、同時に海外の投機市場にも巨額の投資をしている。この投資マネーが企業の買収資金として世界中で猛威を振るっているわけだ。
一昨日もフィンランドの世界ナンバーワンの携帯電話会社ノアキ(資本金7.9兆円)がアメリカのネットワーク機器大手のシスコ・システム(資本金13.7兆円)に買収されそうだという話が新聞に出ていた。
しかし、「郵政民営化」に賛成か反対かを迫られている多くの国民は、こうした国際的な経済情勢につてはほとんど知らない。国民の多くはただ、郵政を民営化すれば公務員の数が減るのでよいと考えているのではないだろうか。
実際、郵政民営化というのは、公務員のリストラだと捕らえている人が多い。公務員は高い給料をもらい、失業もしないで、のうのうと暮らしている。リストラして人件費を減らすべきだという気持が強いようだ。
民間企業にリストラがあるのに、公務員がリストラされないのは不平等だという感情は理解できるが、だからといって「民営化ですべてが解決」ということではいけない。
内橋さんも、郵政民営化に限らず、「民営化すればすべてがうまくいく」という民営化万能論が広がることはとても危険だと書いている。なぜならこうした感情論は冷静な判断のさまたげになるからだ。
私たちはもう少し冷静になって、国民の財産である350兆円を、今後の日本と世界のためにどう有効に活用したらいいのか、国民的課題として考えてみる必要がある。その議論や研究を尽くした結果、民営化したほうがよいという合意が形成されれば、それはそれでよいことだと思う。
旅の面白さは、いろいろな出会いがあるということだろう。風景と出会い、歴史と出会い、人と出会う。今回の青春切符の旅でも、いろいろな出会いがあった。その中から一つ書いておこう。
帰りの福島から黒磯の列車でのことだ。二人掛けの座席だったが、隣りに坐った青年がかなりの巨体で窮屈で仕方がない。その上、その青年が途中から居眠りをしはじめた。そして私に体を横倒しにしてくる。
これがかわいい少女か妙齢の婦人なら満更でもないのだろうが、汗の匂いのするむさくるしい旅の青年だからたまらない。何度か跳ね返してやったが、それでもまた体を密着させてくる。
そこで、肩を叩いてやった。最初はやさしく、そして最後は拳で叩いた。目を覚ました青年は一瞬キョトンとして、それからすぐに「申し訳ありません」と頭を下げた。咄嗟の表情が純朴な人の良い表情だった。それからは恐縮したように身を縮めていた。私の方から声を掛けた。
「仙台からですか」 「はい、お祭りを見に行きました」 「青春切符ですか」 「ええ、そうです」
青年は東京の目黒に住んでいるという。青春切符でよく旅をするらしい。今回は仙台に泊まって、花巻にも行ったのだという。
「私も花巻に行きましたよ」 「えっ、そうですか。やはり宮沢賢治がお好きですか」 「ええ、大好きです」
それからしばらく、賢治の話題が続いた。青年は「イギリス海岸」には時間の都合でいけなかったらしい。私の話を聞いて、こんどぜひ行ってみたいと言っていた。私が去年山口に行った話をすると、「私も行きました」という。
山口市湯田温泉に中原中也記念館がある。そこに行ったのだという。私が仙崎の金子みすず記念館に行った話をすると、「いいですね。私も行きたかった」と言っていた。金子みすずのことも知っていた。
万葉集の話をすると、土屋文明が好きで、やはり群馬にある記念館を訪れたことがあるのだという。私は奈良の大和路を歩いたり、富山の国府跡へ行った話をした。福井県の生まれだというと、「東尋坊へ行ってみたい」という。
愛知県へはたびたび来ているようだった。「みそかつ」や「ういろう」の大ファンだという。一宮の「たなばた祭り」にも参加したことがあり、今年も行こうか迷ったらしい。津島の祭りのことなど、愛知県人の私のしらないことまで知っていた。岐阜城にも登ったことがあるという。
こうして、一時間余り話をしているうちに、あっというまに次の乗り換え地の黒磯に着いた。3分間で隣のホームに行かなければならない。「それではまたどこかでお会いしましょう」というのが、別れの挨拶だった。
東京の目黒に住んでいるということ以外は、名前も職業も、年齢も知らない。しかし、そんなことはどうでもよいのである。おたがいにひととき、一期一会の出会いを楽しめたことがうれしい。
昨日は朝の10時頃、渋谷さんに横手の駅まで送ってもらった。会うのが楽しいぶん、別れはつらいものだ。「たのしかったよ。またきてくれよ」と別れぎわに先に言われてしまった。
「十年後、二十年後、元気だったらまたくるからね。渋谷さんも元気でいるんだよ」というと、「十年後と言わずに・・・」と、あとは言葉にならなかった。
生憎の雨だった。横手が始発の列車に乗って、しばらくして反対側の窓によると、まだ改札口に渋谷さんがぽつんと立っていた。「もういいよ」といわんばかりに、大きく手をふった。
帰りは、北上、一ノ関、小牛田、仙台、福島、黒磯、宇都宮、上野、東京で乗り換えた。東京からは「ムーンライトながら」である。木曽川駅についたのが朝の6時半頃だった。東京から乗り換えなしに木曽川までくるのだからすばらしい。
自宅に帰り、妻と二人で5日ぶりに朝食をとり、それから、NHKの朝の連続ドラマ「ファイト」の4日分の録画を見た。それから新聞を読んだ。郵政民営化法案が参議院で大差で否決された。小泉首相は衆議院を解散し、9月に総選挙を実施するのだという。
私は新聞を遠ざけた。まだしばらく、旅の余韻を楽しみたい。そのうち頭はいやでも現実に汚染されるだろう。まだしばらく、空想の中で啄木の小学校の古ぼけたオルガンの鍵盤の感触をいとおしみ、そして賢治とともにイギリス海岸を散策し、そしてあの天然の温泉につかっていたいのである。
<刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌というものは滅びない> (石川啄木「歌のいろいろ」)
昨日は宮城県境に近い秋田県湯沢市の山中にある川原毛地獄に行った。ここには一本の草も見られず、雪景色の様な白い岩肌から、硫黄や水蒸気が吹きだしている。賽の河原もかくやと思われるような死の世界である。
山肌を歩いていくと、血の池地獄や賽の河原や三途の川などという名前がついていて、ますます不気味になる。青森県の恐山、富山県の立山とともに日本三大霊地の一つに数えられているのだという。
この地獄の中を30分も降りていくと、やがて緑の渓流にぶつかり、生き返ったような心持ちになる。その美しい渓流にそって15分も歩くと、露天風呂として有名な川原毛大湯滝が見えてきた。
約20mの高さからお湯が落下していて、これは日本一の湯滝だそうだ。滝は大小三つに別れていてそれぞれの滝つぼが天然の露天風呂になっている。そして湯壷から流れ出した渓流も温泉である。
すでに二十名ほどの男女が水着姿で三つの滝壺や渓流につかっていた。私と渋谷さんはあいにく水着がないので、岩場ですっぽんぽんになって一番大きな湯壷に入った。湯加減はちょうどよい。滝の湯しぶきがかからぬところに移動して、しばらく旅の疲れを癒した。
渋谷さんはさらにすっぽんぽんのまま湯壷を這いだして、岩場を登り、さらに上の湯壷にまでつかりに行った。そのあとも渓流に降りて身を沈めたり、すっかり有頂天になって楽しんでいる。もうすぐ還暦だというのに、子供のようである。
私は中年の熟女はさておき、中学生や高校生の乙女たちの前で、とてもそこまで無邪気になれない。そうでなくても、私たち二人は、もうずいぶん恥知らずのへんなおじさんだと思われている。私は頃合いを見て衣服を身につけ、あとは澄ました顔をして、あたりの風景を眺めていた。
大湯滝友と我のみ裸にて 子供にかえる自然はたのし
昨日は花巻を出てから、岩手県の南西の山間部にある夏油温泉(げとうおんせん)に行った。ここは江戸時代には全国温泉番付では西の紀州本宮温泉に対して東の大関(横綱)とまで言われた、数々の霊妙な名薬を含む南部藩随一の名湯だそうである。
入浴料を400円はらい、さっそく美しい夏油川の渓流づたいにあるいくつかの露天風呂を、川のせせらぎと鳥の声を聞きながら、はしごすることにした。ここは混浴らしい。ただ、露天風呂にはそれぞれに女性専用の時間帯が設けられていて、その間は男性はそこに入ることができない。
男性専用時間帯は少ないので、女性はたいていどこにでも入ることができる。しかし、ほとんどの女性は女性専用時間帯の方へ行く。これでは「混浴」とは名前ばかりで、がっかりして怒り出す男性客もいるかも知れない。
それでも、中には無鉄砲な若い娘たちがいないとも限らない。こういう場所では人の心はときに常軌を外れて開放的になるものだ。そんな期待をいだきながら、私たち男性ばかりが渓流沿いの湯壷に使っていると、浴衣掛けの若い女性が二人、ものおじもせずこちらにやってきた。一人が私の隣の男に声を掛けた。
「先生、私たちはあちらの方にはいりますから」 「あっちはあついよ。こっちはぬるいよ」 「でも、あっちにはいりますから」
どうやら大学のゼミの研修会らしい。声を掛けられた年輩の男は、女学生たちの指導教官なのだろう。若い女性と一つ湯舟につかって楽しい会話ができれば、今生のよき思い出になるかもしれない。
そんなおじさん連中の期待もむなしく、二人の女性はしっかり私たちを観察したあげく、勝ち誇った瞳に含みわらいを浮かべながら、浴衣の裾を翻して向こうに行ってしまった。
露天風呂あだな姉御に冷やかされ
昨夜は11時まで二人で歓談した。今日の起床は4:50分だった。ぐっすり寝たので、今朝の気分は爽快である。バナナと牛乳というシンプルな朝食を食べたあと、さっそく渋谷さんの車で出発した。
渋谷さんの愛車はホンダのアコードである。運転を交代できるように免許書を持ってきたが、見るとミッション車だった。オートマチックに慣れている私にはむりである。彼ひとりで運転をがんばってもらうしかない。
まず、石川啄木(1886~1912)の故郷である渋民村(岩手郡玉山村渋民)を目差した。のどかな山や田んぼの道をあちこち寄り道したりして3時間半ほどかかった。
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川 (啄木)
啄木が母校である渋民高等小学校で代用教員をしていたのは、1906年の4月から約1年間だ。その小学校がそのまま、啄木記念館の隣りに残っていた。小説「雲は天才である」のなかに描かれたとおり、一階に職員室があり、そこに古びた四つの机と椅子が並んでいる。啄木が座った椅子に腰を下ろし、机に頬杖をついて、しばらく感慨にふけった。
その昔 小学校の柾屋根に我が投げし鞠 いかにかなりけむ (啄木)
二階に教室が二つ並び、生徒の小さな机と椅子が黒光りしていた。教室の窓の障子戸を開けて屋根を見ると、たしかに柾屋根だった。小学校には啄木が愛用したという古ぼけたリードオルガンも残っていた。その鍵盤にそっと指をおいて感触をたのしんだ。
啄木記念館には、啄木が在職中の小学校の学校日誌が展示されていた。4人の教員が輪番制で書いていたらしく、石川啄木の書いた署名入りの墨跡も残っている。啄木にかぎらず、むかしの人は達筆である。
記念館には啄木ゆかりの品がたくさん残っていた。手紙や原稿などだけではなく、盛岡中学校時代の国語の答案だとか、成績表まであった。啄木は盛岡中学時代に二度カンニングをしてついに退学になっている。その証拠になる盛岡中学校の職員会議録まで展示してあるのだからおそれいる。
「有名人になったりしたら怖いね」といいながら、近くの宝徳寺に足を伸ばしたが、境内は工事中で、寺も改装されてむかしの面影は残っていなかった。わずかに啄木をしのぶののといえば、境内の大きな木と、そこから展望される山々のすがただろうか。二十七歳で死んだ啄木が最後にまぶたに思い浮かべたのも、このふるさとの山だったのだろう。
啄木のふるさとの山青々と ゆかりの寺に蝉時雨なく
渋民をあとにして、盛岡に車を走らせた。城跡公園近くの山屋という蕎麦屋に入った。さっそく「わんこそばを下さい」というと、「うちではやっていません」と言われた。しかたがないので、ふつうのざるそばを二人で三枚食べた。(三枚で1000円をこえ、300円の駐車代が無料になるため)
腹ごしらえをしたあと、城跡の石垣に登り、本丸から市内を展望した。しかし、周囲にビルが立ち並び、往時の面影はない。せめてのなぐさめは、ビルの彼方に啄木と賢治がこよなく愛した岩手山が眺められたことだ。二の丸跡に「不来方のお城の草に寝ころびて・・・」という啄木の歌碑が建っていた。
啄木は授業をさぼってここで不良をしていたわけだ。私も草むらに腰を下ろし、膝を抱いてぼんやりと空を眺めた。この日、盛岡は35度をこえるこの夏一番の猛暑だった。それでも高台の木陰はかすかに涼しかった。
盛岡のお城の草はうすみどり 膝をかかえて青き空見る
盛岡を出て、いよいよ宮沢賢治のふるさと、花巻に行った。花巻農林高校の敷地の一角に羅須地人教会が移築されていた。賢治愛用のオルガンやマントがある。建物からはどこかハイカラな賢治の童話の世界が匂ってきた。
そこから車で10分ほどのところにイギリス海岸がある。賢治が生徒を連れてたびたび訪れた北上川の岸辺である。なんの変哲もない風景だが、ここは私にとってはとても大切な「聖地」である。私は敬虔な気持で頭を垂れ、合掌した。
川岸の歩道に「どうぞお気軽にお寄り下さい」という標識がひっそりと出ていた。石段を登っていくと「お休み処」があった。二人の婦人に迎えられ、縁側で冷たいお茶をいただきながら、眼下にイギリス海岸を眺め、賢治の話を聞いた。
北上の岸辺を行けば賢治らが 水あびをせしイギリス海岸
岸見ゆる茶屋に休みてお茶をのむ 北上川はうつくしきかな
昨日の11時頃に木曽川駅を出て、秋田県の横手市に着いたのが、今日の夕方の17:34だった。この18時間のあいだに、名古屋、東京、浦和、宇都宮、黒磯、福島、仙台、一ノ関、北上の9駅で乗り換えた。
福島で昼食をとった。駅ビルの食堂で880円の天ぷら蕎麦をたべた。青春切符の旅は乗り降りが自由なので、途中こうして適当に休みを取る。これがまたたのしい。
車中も私は退屈しない。車窓から風景を眺め、読書をしたり、いろいろと考え事をする。今回の車中の友は、岩井克人さんの「ヴェニスの商人の資本論」(ちくま学芸文庫)である。これはなかなか刺激的な本だった。いずれまた、感想を書いてみよう。
横手駅から渋谷さんに電話を入れると、10分ほどで現れた。彼の車で、とりあえす近くの温泉に行って汗を流した。20数年ぶりの再会だったが、まるで昨日別れたような感じで、おたがいのあいさつも「やあ、元気か」で終わりである。汗を流したあと、早速彼の家に行って、マグロの刺身をつまに、ビールを飲んだ。
渋谷さんは名大の大学院を出たあと、東京のコンピュータ関連の会社でプログラマーをしていた。10数年前に横手の実家に帰り、父親と暮らしていたが、父親も10年ほど前になくなり、今は一人暮らしだという。
「3泊ほど泊めてもらうよ」というと、「何日でもとまっていけよ」という。リンゴ園の消毒もおわり、彼もしばらく暇のようだ。私ももうすこしのんびりしたかったが、学校があるので、何日もというわけにはいかない。ビールをのみながら、とりあえず、明日の計画をふたりで考えた。
青春切符が4枚残っている。さて、どこへ行こうかなと楽しい思案をしていると、秋田県横手市に住んでいる友人の渋谷さんから突然電話がかかってきた。渋谷さんは大学院時代の先輩で、もう20年以上もあっていない。
「げんきでやっているかね。どうや、遊びにこんかね」 「なつかしいなあ。それじゃあ、お言葉にあまえて・・・」
というわけで、今日から急遽、東北地方へ4泊5日ほどの旅することになった。4泊といっても二泊は車中である。今日の夜23:47名古屋発の快速ムーンライトしなの号に乗れば、明日の朝4:42に東京に着ける。東京から普通や快速列車を乗り継いで、友人の住む秋田県の横手市に17:34に着く予定だ。帰りも東京から快速ムーンライトにのる。
去年の夏には、やはり青春切符を使って一気に下関まで行った。今回は秋田県まで行くわけだ。かなり強行軍だが、これがまた楽しい。交通費も片道二千数百円ですむ。今回は友人の家に泊まるわけだから、宿泊代もいらない。4泊5日の旅が1万円でおつりがくるわけだからありがたい。
「行きたいところがあるか」と訊かれたので、真っ先に「花巻」と応えた。花巻は宮沢賢治のふるさとである。北上川の河畔を散歩し、イギリス海岸や宮沢賢治記念館を訪れてみたい。 また、石川啄木のふるさとである森岡や渋民村にも足をのばしてみたい。
不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心 (啄木)
旅に先立って啄木の短歌を読み直してみた。啄木の短歌の特徴は、読み手である自分を小説の主人公のようにドラマチックに歌い上げることだろう。啄木の自己愛で濃厚に演出された世界だが、そこに読み手は自然に導かれる。天才だなとしみじみ思う。
賢治の「イギリス海岸」も読んでみたが、これも面白かった。なぜ、北上川の河畔がイギリス海岸なのかよく理解できた。どうじに賢治の知識量の大きさと深さには脱帽した。賢治はすぐれた科学者の資質をゆたかに持っている。これは科学エッセイとしても一級品だ。
というわけで、明日からしばらく日記をお留守にする。旅から帰ったら、「旅日記」を一気に公開することにしよう。
(参考サイト) http://why.kenji.ne.jp/
友人の北さんが雑記帳に「梅原猛に学ぶ」というエッセイを連載している。7月27日のエッセイは「デカンショ体験の重要性」だ。北さんの雑記帳から梅原猛さんの文章を孫引きさせていただく。 <旧制高校生は弊衣破帽で、朴歯の下駄を履いて、デカンショを歌っている姿で表されるが、デカンショというのはデカルトとカントとショーペンハウエルで、歌は、このように哲学を論じて半年暮らし、あとの半年は寝て暮らすという意味だとまことしやかに語られたのである。私はこういう旧制高校生のモットーにきわめて忠実で、哲学書を読み耽り、ついに哲学を一生の仕事としてしまったわけであるが、このようなモットーに表れているのは、実利を否定し、真理を追求し、教養を尊重する精神なのである。
当時、旧制高校生の必読書は西田幾多郎の『善の研究』や阿部次郎の『三太郎の日記』、それに夏目漱石や芥川龍之介などの日本の小説、及びゲーテやロマン・ロランなどの外国の小説であった。そしてモーツアルトやベートーベンの音楽を語り、ピカソやシャガールなどの絵も論じられないようでは旧制高校では尊敬されなかったのである。高等学校の寮歌には、このように栄耀栄華を蔑視し、ひたすら夢と理想を追い求める旧制高校の生徒の心情がよく表れている。・・・
かつての日本の指導者は、ひとときにせよそのように教養とか真理とか理想とかいう言葉を何よりも大切にし、あるいは大切であるように見せかけねばならない時を過ごしたのである。戦後の教育には、幻想にせよこのような時が失われてしまった。青年は、受験戦争によってたくましく養成された実利精神を否定される時期をまったくもたない。こういう教育からの脱落者が恐るべき犯罪を起こし、そしてその成功者もまた金銭や地位の誘惑にまことにもろいことは幾多の事件によって明らかになった。
旧制高校の消失は教養の喪失をもたらした。もちろん旧制高校の教育を復興することは大変難しいことであるが、あの西洋においても東洋においても長いすぐれた伝統をもつ教養というものをどういう形で青年の身につけさせるか、大変重要な問題であるように思われる>
北さんもインド哲学に耽溺し、中村元とドストエフスキーとヘルマン・ヘッセと親鸞と埴谷雄高と安部公房と深沢七郎とニーチェばかり読んでいた時期があるという。このゆたかな読書体験がその後就職して実利的な社会で生きていく上でとてもためになったという。そして、こうも書いている。
<実利的な現実世界に完全に埋没して、抽象的、本質的にものごとを考える習慣を持たない人をよく見かける。いくら珍しい体験をしていても、多くの情報をもたらしてくれても、事務的な仕事の能力が高くても、そういう人の話は深みがなくて、つまらない。>
「真・善・美」のイデア世界からこころがはなれ、「利」のみの世界に生きるのはたしかにつまらない。仏教でいう迷いの世界を輪廻するだけだ。利害打算ばかりに頭を占領されていると、美しいものが見えなくなる。人間が薄っぺらで、つまらなくなる。
(参考サイト)
http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm
2005年08月02日(火) |
深刻さ増す日本の貧困 |
昨日の朝日新聞の夕刊に京大教授の橘木俊詔さんが「深刻さ増す日本の貧困」という題で書いていたが、それによると、日本の貧困率はいまや先進国ではワースト3だそうだ。
OECDが定義する貧困率というのは、国民の何パーセントが平均所得の半分以下かというものだが、これでみると、ワースト5は次のようになる。
①メキシコ(20.3パーセント) ②アメリカ(17パーセント) ③トルコ ④アイルランド ⑤日本(15.3パーセント)
ちなみにデンマークは4.3パーセントである。日本も10年前には8パーセント台だったから、この10年間で急速に貧富の差が拡大したことがわかる。このまま推移すれば、アメリカさえ抜いて、先進国で一番不平等な国という烙印を国際社会で押されかねない。
この数字を裏付けるように、この10年間で生活保護の家庭も60万所帯から100万所帯を超えるレベルにまでになっている。
橘木さんによれば、失業率の悪化にくわえ、フリーターや派遣社員などの非正規社員の増加が貧困率増大の主な原因だそうだ。彼は次のように結んでいる。
<日本の貧困問題は想像を超えて深刻さを増してきている。一見豊かさを成就したわが国だが、新しい姿で出現している貧困を解明し、かつ撲滅を図る政策の必要性は高まっている>
自助努力は勿論大切である。しかし、自助努力をしてもなおかつ貧乏になる場合がある。貧困率でみるかぎり、そうした仕組みがこの社会にできあがってしまったようにみえる。これは政治の貧困というしかない。
たとえば、富士火災海上保険に23年間勤務している男性(52)が、先月15日に会社を相手に東京地裁に訴訟をおこした。6月の手取りがなんと2万2千円しかなかったそうだ。病み上がりの妻を持ち、5人家族で月2~3万円では生活していけない。
富士火災海上保険は平成12年から、成果主義の「増加精算金制度」を導入している。彼はとくに無能というわけではなく、むしろ過去には年収1000万を超えていた。ところが過去に契約した会社が倒産したりして契約を解除すると、過去にまでさかのぼっって手当を没収される。過去に実績がある人ほど辛い制度だ。
会社の本音は「いやなら辞めろ」というとだろうが、これでは労働者はたまらない。こうした従業員切り捨ての背景には、業界の利潤優先主義がある。この会社では月収が10万円台の正社員がかなりいて、結果的に辞職に追い込まれているそうだ。
私が教えている定時制高校のクラスにも、両親が自己破産した生徒や経済的な理由で別居中だという生徒がいる。経済的な理由で学校を辞めていく生徒も多い。
ある母子家庭の女生徒は母親が腎臓病で入院し、生活をするためには学校を辞めて水商売で働くしかないと涙を流していた。底辺に身を置いて社会を見ていると、日本の貧困化の深刻さが実感としてよくわかる。
儒教は長い間、日本人の精神を支えてきた。私はいわゆる武士道といわれるものの正体は儒教だと思っている。明治時代の政治家も実業家も思想家も、そして庶民にいたるまで、この儒教精神の余沢をゆたかに受けていた。
西洋の思想や技術も、この儒教という教養の上に接ぎ木され、花を開き、実を結んだのである。儒教によって培われた「学問を愛する心」とその高潔な「道徳性」は、日本人の大きな財産だった。
江戸幕府は朱子学を官学にしたが、やがて陽明学が移入され、儒教はたんに為政者のものではなく、すべての人々にとって生きる糧になった。「民は貴し」という孟子の精神がそこで確認され、万人が持っている「良知」のすばらしさが強調された。
しかし、やがて日本人は富国強兵というスローガンの奴隷になることで、儒教という精神の培地を失った。天皇制がはばをきかせ、その高潔な道徳性もうしなった。日本人はそれまで先哲のふるさととして尊んできた中国に西欧列強の真似をして兵を送り、これを蹂躙した。
戦後、日本は平和憲法のもとで民主国家に生まれ変わったが、あいかわらずその精神の基盤は脆弱なままである。政治家は汚職を繰り返し、官僚もまた同じである。企業の倫理は地に落ち、毎日のようにその不祥事が報道されている。
経済優先、効率優先が、まるで錦の御旗のようにまかりとおり、会社は株主の利益だけを考えて行動するようになった。リストラが横行し、貧富の差が拡大し、年間3万人以上の自殺者を出していても、「自己責任」ということばで簡単に片づける。しかもそうした社会に仕組みに、ほとんどの人が異常を感じない。現代はほんとうに恐ろしい時代である。
私はやはり現代人の多くが、自分のよってたつ原点をみうしなっているのだと思う。そこで、かっての日本人を支えていた精神構造をさぐってみた。吉田松陰にはじまった私の旅は、中江藤樹や熊沢蕃山にいたり、やがて王陽明、朱子に至った。そしてその先に聳えたっている孔子と孟子という大きな山のふもとにたどり着いた。私の旅はこれからまだまだ先がながい。
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