橋本裕の日記
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2004年02月29日(日) 一番怖いのは自分

 先日の日記に、日本で発生している殺人事件の9割が顔見知りによる犯行で、親族による犯行が約5割のぼることを書いた。私たちが殺されるとしたら、家族による可能性が半分もあるということだ。

 テレビや新聞の報道でから、私たちは治安の悪化を肌で感じている。また、実際に「犯罪白書」の統計を見ても刑事犯がふえていることがわかる。そこで警察は取り締まりを強化し、私たちも戸締まりや警戒を怠らないように心がけるわけだが、殺人事件のほとんどが顔見知りだとなると、もう少し違った対応をしなければならなくなる。

 赤の他人による強盗殺人も怖いが、それより怖いのは知人であり、もっと怖いのが家族だということになる。家庭内暴力が話題になっているが、統計の語るところによれば、妻にとって一番恐ろしいのは夫で、夫にとって一番怖いのが妻だ。子供にとって、一番の脅威は両親で、とくに母親が父親よりも4倍も脅威だということになる。身近になればなるほど、密室性が高まり、社会の目のとどかないところで犯罪が行われる可能性が高くなる。

 殺人事件は、日本で平均して毎日4件ほど起こっている。40件以上起こっているアメリカとは比較にならない。家族が怖いといっても、それは比較の問題で、私たちが自分の家族に殺される確率は0.1パーセント未満である。つまり1000人に一人いるかいないかというレベルだ。だからあまり神経質になって、家族をうたがいの目でみるのはやめておこう。

 実は、他人や知人・家族よりもっと恐れなければならない存在がある。それは「自分」である。この数年間、失業率に比例するように自殺者は毎年3万人をこえている。一日あたり、85人以上の人が自殺している。これは交通事故による死の3倍、他殺と比べると20倍以上の数字だ。私たちは他者に殺されることよりも自分自身の手に掛かって死ぬ確率がはるかに高い。つまり一番怖いのは他ならぬ「自分自身」ということになる。

 人間以外で、用心した方がよいのは何か。「病気」を除けば、次は「車」ということになるが、もう一つあげれば、それは「浴槽」だ。2001年に溺死した人は5802人もいる。毎日16人以上が溺死しており、そのほとんどが入浴中の不慮の出来事だ。溺死者の割合は他国と比べて日本が圧倒的に高く、イギリスの10倍もある。これは日本人がお風呂好きのせいで、とくに高齢者の溺死が多い。私もよく風呂で居眠りするので注意しよう。


2004年02月28日(土) 検挙率と有罪率でみる犯罪

 日本の警察は優秀だといわれていた。その有力な証拠としてあげられていたのが、9割をこえる有罪率と、一般刑法犯の6割をこえる検挙率である。たとえば1950年の検挙率は7割りに近かった。これが1985年を境にして、急激に落ち込んだ。2002年はこれが20.8%と、ほぼ2割りに落ちてしまった。

 とくに強盗犯の検挙率の落ち込みが激しい。80%前後であった強盗罪の検挙率が2000年には56.9%にまで落ちた。最近では5割を切ってしまっている。つまり強盗犯の二人に一人はつかまらないわけだ。

 日本の刑事裁判の有罪率は99%、アメリカの陪審裁判による有罪率は78%だという。これは裁判官裁判と陪審員裁判の差もあるだろうが、もうひとつ、日本の検察は昔から有罪が確実だと思われるものしか起訴しないということがある。欧米の裁判所は有罪か無罪か判断するが、わが国の裁判所は有罪であることを確認する場所になっている。これは三権分立の立場からして、重大な問題をふくんでいる。検察が事実上の裁判権を行使していると考えられるからだ。外国人から見ればこれは恐るべき「裁判不在」である。

 ところで2002年の犯罪発生件数は369万件で、一日約1万件。人口10万あたり2240件で、これは戦後の混乱期の数字よりもはるかに悪い。ここ数年、戦後罪悪の記録が更新され続けている。グローバル化が進み、日本も次第にアメリカ並に犯罪の多い国になっていくのだろうか。

 ところで忘れていけないのは、8兆円から14兆円はあるだろうという巨額の脱税だ。脱税も立派な犯罪である。脱税の大口はパチンコ業界とサラ金、それに建設業だ。これらの脱税したカネが裏金として大量に裏社会に流れている可能性がある。ジョナサン・スイフトは「ガリバー旅行記」のなかで、「法とは蜘蛛の巣に似ている。小さなハエは捕まえられても、凶暴なスズメバチには破られすり抜けられてしまう」と書いているが、ガリバーが今日の日本にやってきたら、何というだろう。

 犯罪率の上昇の背景として、失業が考えられる。それは一般刑法犯罪者の半数が無職者でしめられていることからも分かる。つまり5%の人々が50%の犯罪を引き起こしているわけだ。パチンコ屋の近くには「電話一本で現金を出前しますという張り紙が目に付く。パチンコのお金をサラ金でかりる。そしてサラ金地獄に陥り、個人破産、もしくは犯罪というケースがふえているようだ。



2004年02月27日(金) 初秋

30.虫の声

「さと」を出て、家の前でタクシーを降りたときは、もう11時に近かった。あたりは静まり返っていて、遠ざかかっていく車の音だけがしばらくひびいていた。空には月が出ていたが、玄関の明かりも、家の中の明かりも消えていた。

 玄関の鍵を植え込みの中にさがしに行った。空の植木鉢の下に鍵がかくしてある。鍵を見つけたあと、しばらく庭のベンチに腰を下ろして、庭を眺めた。木立に月明かりがさしていて、足もとの草むらで虫の声がしていた。

 島田が演技をしているのではないかという、さと子の言葉が甦った。さと子も確信があるわけではない。ただ、ふと、そんなことをあるとき思った。それは本人を前にして感じたことではなくて、その帰りがけに、バスに乗っていて、そんなことを思ったのだという。それから島田を見るたびに、「演技ではないか」と疑うようになり、無心で世話ができなくなった。

「島田はずるいのよ。私が見つめると、寝たふりをするの」
「タヌキ寝入りだね」
「いつか、鼻をつまんでやったのよ」
「それは痛快だ」
「目を開けたわ。でも、すぐにまた目を閉じて、口をきかないの」 

 芸達者な島田は、医者や看護婦を欺くことくらいできるだろう。しかし、肌を合わせた女は騙せなかったのだろうか。修一は島田が演技をしていると考えたことがなかったが、言われてみて思い当たることがないでもない。さと子の言葉によって生じた波紋が、修一の心にさざ波のように広がっていた。

 風がふいて、木立が鳴った。修一は鍵を片手に立ち上がった。玄関を入ると、家の中は静かだった。妻も息子も帰ってきていないようだ。レストランで食事をしたあと、映画でも見に行ったのだろうか。修一は遅くまで飲んでいた弁解をしなくてよくなって、少しほっとした。

 上着を脱ぐと、ソファから葉子に電話をした。「さと」からもアパートに電話を入れていたが、そのときと同じ録音された葉子の声が再生されるだけだった。留守電にメッセージを残そうか迷ったが、そのまま受話器を置いた。

 葉子が病院から戻っていないのは、少女の容態が思わしくないのだろうか。修一は病室で耳垢をとってやったときの、可憐な蕾のような唇を思い出した。身よりのない少女のことを思うと、少ししんみりとして、熱いシャワーを浴びたくなった。


2004年02月26日(木) 保守とリベラル

 政治的立場には、「保守」と「リベラル」がある。そこで、この二つの政治思想や手法の違いを調べてみよう。また、どういう人々が、どいう動機で、保守になったり、リベラルになったりするのか、この点についても考えてみよう。

「保守」は「民衆は自立心がなく、愚かで利己的で、争いを好む」というところから出発する。そしてここから、「社会に平和と秩序をもたらすためには、強力な法と、その法に基づく権力の支配が欠かせない」という結論を導き出す。ここから出てくるのは法や秩序の強化であり、自国の文化や伝統を尊重する政策である。

これに対して、「リベラル」は「民衆はほんらい良識をそなえている。現状が悪いのは、社会のシステムが間違っているからだ」と考える。したがって、「社会に平和と秩序をもたらすには、社会のシステムを民主的で合理的なものに変えていかなければならない」という未来志向の社会変革的な立場から政策をつくる。

「保守」の代表的な思想家は「リバイアサン」を書いたホッブス(1588〜1679)だろう。彼は人間の自然状態は「人間が人間にたいして狼である」状態であり、「万人の万人の対する闘争」が支配する野蛮状態であるとした。これを克服するためには、人間はその自然状態で持っている自由をお互いに差し出して、権力と法の支配下におかれなければならない。

 同様の考え方を中国では荀子(BC340〜BC245)がとなえている。「人間は生まれながらに<欲>を持っている。これを野放しにしておくと<争>がおこり、世の中が乱れる。これを避けるために<礼>を制定して、<欲>を抑えねばならないと考えた。荀子にとって<礼>とは、人々の<欲>を制限し、社会の秩序を維持するための手段だった。荀子のこの思想は韓非子に受け継がれ、法家思想として完成する。

 これに対して孟子(BC390〜BC305)は「人間は本来善に向かう傾向がある」と考えた。たしかに人間は生きるために<欲>を持っているが、本来持っている「良能」(善性)を、「良知」によって磨いていけば、「仁、義、礼、智、信」の「五徳」をそなえた人間になることができる。こうした思想に基づいて平和的・教育的に社会に秩序をもたらす実践が王道であり、暴力と強制によって支配するのは覇道であるとしてこれを批判した。孟子のこの考え方は、「リベラル」に通じている。

 ジョン・ロック(1632〜1704)は「リベラル」を代表する思想家だが、彼はホッブスのように、「自然状態を闘争状態」だとは考えなかった。むしろ「自然状態は平和である」と考えた。ロックは「統治二論」(1690年)に次のように書いている。そのあとに、アメリカの独立宣言と日本国憲法の一節も引いておこう。

<人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の何物からも制約をうけることはない>(統治二論、1690年)

<すべての人間は平等に造られ、神によって一定の奪いがたい天賦の諸権利を与えられ、その中には生命、自由、および幸福の追求が含まれていることを、われわれは自明の真理であると信ずる>(アメリカ独立宣言、1776年)

<すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない>(日本国憲法14条、1946年)

 「保守」的な傾向を持つのは、現在の体制を肯定している人々であり、「リベラル」は現在の体制に批判的な人が多い。富裕階級や低所得層の人々が「保守」で、中産階級の人々はどちらかといえば「リベラル」が多いようだ。低所得のブルーカラーに「保守」が多いのは、彼らが現実の悲惨をシステムの問題だと受け止めることをしないからだ。

 したがってアメリカや日本のように社会の二極化が進む地域では、保守主義が台頭しつつあり、今後ますます社会が右傾化することが予想される。こうしたなかで私たちに必要なのは、社会の悪を「人間の悪」としてではなく、「社会システムの悪」としてとらえる社会認識力の養成だ。そのためには社会思想の原点であるジョン・ロックを理解するのがいちばんよい。彼の思想が出てきた背景を、中学や高校の授業でもう少しわかりやすく教えほしい。

 たとえば、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。性悪説に立てば、凶悪な犯罪を防ぐには、法律や罰則を強化するしかないということになる。しかし、人が犯罪を犯すには、それなりの内的・外的原因や矛盾が考えられる。犯罪の原因となっている社会的背景を考え、その解決について考えることは立派な政治教育である。

 ちなみに2002年に日本で1396件の殺人事件が発生している。そのうち9割が顔見知りによる犯行だという。とくに親族による犯行が多く、約5割のぼる。私たちが殺されるとしたら、家族による可能性が半分もあるということだ。この中で、両親による児童虐待殺人は20件あり、父親の手で殺されたのが4人、母親の手で殺された子供が16人いる。母親の手で殺される子供の方が4倍も多い。こうした事実からも日本社会の母子依存的な背景があぶり出されてくる。

 アメリカでの殺人事件は毎年1万5千件に登っている。人口比でみても日本の5倍以上だ。これはアメリカ人は日本人より5倍も凶悪だということではない。アメリカの場合、銃器による殺人がほとんどで、この数字の背景にはアメリカが「銃依存社会」であるという現実が控えている。そしてアメリカは世界中に武器を売り、世界をアメリカ製武器の格納庫をもつ「武器依存社会」に変えようとしている。

 ところで、最近読んだケーガンの「ネオコンの論理」には、ホッブスについて何回も引用されているのに、ロックについての言及は皆無だった。政治学の教科書にはアメリカはロックの思想から生まれた国だと書かれているが、建国の父たちが「世界はホップス的な闘争社会である」というケーガンの本を読んだら、さぞかし驚き呆れ、悲しみと怒りを覚えるのではないだろうか。

(参考文献) 「数字のどこをみているんだ!」 監修・和田秀樹、宝島社2004年


2004年02月25日(水) 馬に乗り換え

 私がボンバーマンやマリオのファミコンゲームに熱中していたのは、もう十五年以上も前で、そのころは妻と喫茶店のケーキや紅茶をかけて勝負したこともあった。やがてそこに二人の娘が加わった。

 数年もすると、わが家のファミコンの実力順位は、トップが次女で、そのあとに長女と妻が並び、最後尾を私が追いかけるというぐあいになった。次第に水をあけられ、妻や二人の娘達に勝ち目がなくなった私は、やがてファミコンからはなれ、10年ほど前に完全に足を洗った。

 次女も去年大学の教育学部の英語科に進学してから、あまりファミコンに向かわなくなった。馬術部に入部したので、早朝練習に参加するため、毎朝6時に家を出る。そして馬の世話をしなければならないので帰りもおそい。勉強よりも馬術部がいそがしくて、あそぶ時間がなくなったようだ。

 土日も練習や世話がある。それから馬術部から課せられたバイトのノルマがある。このバイト代は馬術部に献納しなければならない。検定試験の監督をすれば1万円ほどになるが、馬術部の収入になる仕組みなので、手元には一銭も残らない。割に合わないことだが、馬術部の運営にはお金が必要なのだ。

 馬術の大会があると、試合に出ないときは運営員を務めるが、その報酬も没収される。役員席のおじさん達の指示を受けながら、放送係として一日マイクを握ったときには緊張してくたくたになったという。馬に乗るにはコスチュームなどいろいろと買うものがある。このために私的なアルバイトも必要だ。そして大学の試験期間中も、馬の世話を休むことはできない。

 こうして見ると、馬術部は大変で、今時の学生で馬術部を続けようというのは変わり者なのではないか。次女の大学の馬術部でも、10数人いた一年生の部員は半年で半分以下になったという。数人いた1年生の女性部員も今は次女だけ。馬に乗るだけでなく、世話をするのも好きでないとつとまらない。

 次女は運動神経はいいが、どうしたわけかよく落馬して怪我をする。妻が連絡を受けて、車で迎えに行き、病院に運んだこともあり、次女のからだには擦り傷や痣がたえない。私は骨を折って入院する前に馬をやめてほしいのだが、次女は続けるつもりらしい。外国の緑の草原を風を切って走る夢でも見ているのかも知れない。


2004年02月24日(火) ゲームの女王

 大学3年生の長女が昨日4泊5日の九州の旅から帰ってきた。なんでも長女のHPを訪れるメンバーのオフ会だという。北海道からはるばる来たという人もいて、オフ会は盛り上がり、とても楽しかったという。長女以外の4人はすべて男性だというから心配していたが、みんな親切で紳士的だったらしい。とりあえず無事に帰ってきて、父親としてはほっとした。

 別府温泉や小倉で泊まったらしいが、小倉の駅を降りたとき、ヤフーの人たちがチラシを配っていた。何でもヤフーの主宰で「ボンバーマン大会」があるらしい。優勝の景品は富士フイルム製の高性能デジカメ。さっそく長女達はこれに参加することにした。結果はメンバー全員が上位を独占し、長女がなんと優勝したのだという。

 地元の人は、いきなりなぐり込みをかけてきたこの得体の知れない軍団に驚いたことだろう。強いはずである。長女のHPは実はボンバーマン愛好者のために作ったもので、長女をはじめみんなセミプロ級の腕前。そこらの素人を相手に負けるわけがないという。それにしても、何という偶然があるものだろう。

 デジカメは光学3倍ズームつきで、音声付き動画も3分間ほどとれる。それでいて小型軽量で、デザインもよい。充電式だから電池もいらない。欲しくなって、2万円で譲ってくれないかと長女に持ちかけてみたが、「私も欲しかったの」とあっさり断られた。

 来月には再び広島で同じような大会があるらしい。長女はそこにも参加し、またデジカメをゲットして、それを私に2万円で売りつけようと考えている。楊の下にドジョウが二匹いるとは限らないが、それにしてもこのパワーには負ける。

 今回オフ会に参加したメンバーとは、毎晩インターネットを通じてボンバーマンのゲームを楽しんでいるのだという。メンバーの大学生の中にはゲームにのめり込んで、現在6年生(2年留年)だという人もいるらしい。長女が1年後に無事大学を卒業してくれることを祈らずにはいられない。


2004年02月23日(月) 初秋

29.女の手

 さと子は言葉をさがしているようだった。あるいは、心の中に何かつかえがあって、言葉を吐き出すのがむつかしのだろうか。しばらくして、さと子の唇が動いた。

「島田の記憶喪失はなおるのでしょうか」
「脳の写真では異常がないようだ。いずれ回復する希望はあるのだろうね。ある日突然、ということがあるかもしれない」

 修一は記憶回復のために、看護婦の葉子が島田を外に連れだそうとしていることを話した。島田をいろいろな人に会わせることも必要だろう。さしあたりできることは、島田をこの店に連れてきて、高橋文子という若い女性に会わせてみることだろうか。

 さと子は耳を傾けていたが、この計画について、とくに関心がある様子はうかがえなかった。何か他のことを考えていそうな気配があった。彼女の唇が動くまでに、またしばらく間があった。

「身体の障害も治るのでしょうか」
「医者は身体障害も精神的な要因が大きいのではないかと言っている。記憶が快復したら、身体障害もかなり改善されるかも知れない」

 記憶が快復し、身体障害が改善しても、島田はまたむかしの快活でバイタリティーのある人生をとりもどすとはかぎらない。しかし、世故に長けた島田のことだから、なんとか自分の人生を切り開いていくだろう。

 修一はカウンターに置かれたさと子の手を眺めた。たぶん、その手を島田は何度も愛撫したに違いない。島田の手がさと子にふれなくなって、もう半年近くになる。さと子は淋しくないのだろうか。修一は何気なく手を伸ばして、さと子の手に触れた。

「沢田さん、意外なことするのね」
「いやかい」
「どうぞ、私のような年増の手でよかったら」

 さと子は四十代にはなっていたが、まだ年増というほどではない。妻の芳子よりかなり若いし、もち肌で美しかった。私はしばらくのあいださと子の手を愛撫して、自分のなかに呼び覚まされてくるさまざまな感覚をたのしんだ。 

 修一はこれまで妻以外の女にふれたりしたことがなかった。妻にも手を愛撫したりしたことはない。さと子の手を愛撫することで、自分がまた少し違ったものに変容していくのがわかった。しかし、さと子はその間も、島田のことを考えていたようだ。

「私、彼のこと疑っているの」
「羽振りも良かったし、もてたからね」
「そういうことではないの。記憶喪失のことよ」

 さと子は島田の記憶喪失は嘘ではないかという。事故のあとしばらくはそうだったに違いないが、ある時を境に記憶は回復しているのではないか。しかし島田はそのあとも、何かの理由で記憶喪失を装い続けている。修一は驚いた。愛撫していた手の動きがとまった。


2004年02月22日(日) 利己的社会の経済学(7)

 私が首相になって、いつか5年の歳月が過ぎた。有能な二人の青年は大臣として私を補佐してくれた。福祉銀行に預けた国民の預金がどんどん目減りしていたが、その減り方が鈍化し始めた。教育福祉プログラムが、ようやく効果を上げ始めたからだ。

 この間、5000をこえる学校が創られ、その中には20の大学も含まれていた。新聞や雑誌の売り上げが3倍に増え、国民総生産が2倍になって、失業はほとんどなくなった。このまま経済が拡大すれば、あと5年もすれば隣国の生活水準に追い付きそうだった。

 そのとき、二つの国は一つになるかも知れない。歴史をさかのぼれば両国は一つの国だった。敵対と競争ではなく、信頼と友愛が国境の壁を崩すのも時間の問題だった。

 ちなみに、隣国はもうほとんど経済が成熟していて、実質的な経済成長を止めていた。人々は週2、3日ほどしか働かず、残りの時間はボランティア活動や文芸や学問、スポーツを楽しんでいた。物質的な繁栄よりも、精神的な価値を貴び、多くの人々は車さえ所有せず、自然の中でゆったりと、質素に優雅に暮らしていた。

 私は王宮の一室で暮らしていたが、ひんぱんに青年の家に出かけて、彼の母親の手料理をごちそうになった。そうするうちに、私は彼女に好意以上のものを覚えた。そして、ある夜、彼女にプロポーズした。彼女は二つ返事で、私の愛を受け入れてくれた。

 私たちは王宮の一室で、控えめな結婚式をあげた。王様を始め、二人の青年は国民行事として盛大に祝おうとしたが、私たちはそれを望まなかった。二人の新婚旅行は隣国だった。私は5年ぶりに、なつかしい生まれ故郷に帰った。

 私は新妻をかっての妻の墓に案内した。そこには木の墓標がひっそりと立っているだけだった。墓標には10年前に死んだ妻の名前だけが刻まれていた。私は手を合わせ、死んだ妻に結婚の報告をした。

 墓標は半世紀もすればあとかたもなくなる。妻の骨が灰になってあたりに散ったように、墓標も土に還る。そしてそれが自然だった。このこの国ではいつのころからか、石の墓はつくらなくなっていた。その素朴な木の墓標を、新しい妻がしみじみと見つめていた。

「何だか淋しいわ。他に奥様の形見はないのですか」
「子供が形見なんだろうが、いないしね。しかし、妻は病床でこんな素敵な詩を教えてくれたんだ。だれの詩かわからないのだがね」
 私は妻の墓標にやさしく手をふれて、「私は生きています」という詩をつぶやいた。

  墓標をひとつ作って下さい
  そこに私の名前を書いて下さい
  私が望むのはそれだけです

  なぜなら、私は生きているから
  あなたの中で
  そして、世界の中で

  ときには明るいひかりとなって
  あなたを温めます
  冷たい風になって
  あなたの髪にたわむれます

  そしていつか
  わたしたちは一つの風になって
  緑の草原を渡っていきます

  ひとつの息になって
  遠くの木立の上を
  吹いていくのです

(これで「利己的社会の経済学」を終わります)


2004年02月21日(土) 利己的社会の経済学(6)

 青年の家は宮殿の近くにあった。それほど大きくはなかったが、品のよい家だった。すでに皇太子が来ていた。私は青年の母親に招待された礼を言った。彼女の微笑みは五年前に死んだ妻を私に思い出させた。

 その日の夕食は最高にすばらしかった。私は長い間、家庭料理を味わうことがなかった。私の口数が少なくなったのを、青年が心配して「どうかなさいましたか」と訊いてきた。私が感傷的に死んだ妻のことを語ったので、晩餐の席が少し湿っぽくなった。

「政治や経済の話題は避けようと思っていましたが、質問させて下さい」
 青年が訊いてきた。
「どうぞ、訊いてください」
 私はナプキンで口を拭きながら、笑顔を作った。

「福祉プロジェクトについて、父も生前によく<教育こそが最大の投資だ>と口にしていました。側近の役人たちを家に招いて、教育の大切さを説いていたものです。しかし、役人達は教育や福祉事業にたいする経済効果について疑問を持っていました。とくに教育については、それがどれほどの経済効果を生むか、首をかしげるのです。この点について、先生はどうお考えでしょうか」

「私も亡くなった父君どうよう、教育こそが最大の投資だと思っています。まず、学校を作らねばなりませんが、私ならば後世に残るような素晴らしい建築を作ります。そのためには建築家たちに腕を競わせねばなりません。学校には庭が必要ですし、そこには沢山の花を植えたいですね。それから、ブロンズ像などの芸術品を置いて、文化的な香りを醸したいものです。こうして、様々な分野の人々が職にありつき、その能力が開発されます」

「そうですね。それに教員も養成しなければなりません。そのために大学もたくさん作らなければならない。これによって、多くの学者達が職を得るし、事務員としてたくさんの人々が採用されます。ハード面ばかりではなく、ソフト面でもいろいろな需要が見込めますね。役人達はこの点を見逃していました。教育は見返りに比べてお金がかかると言うことで、父の政策に反対したのです」

「むしろ教育はとても生産的です。それはどんな工業製品をつくることより生産的です。教育によって国民の知的水準が上がれば、新聞や雑誌も大幅に発行部数を伸ばすでしょうし、書籍も需要がたかまるでしょう。これによって知的産業が多大な利益を得ます」

「国民の知的水準が上がれば、たくさんの独創的な発明や発見も産まれるでしょうね。先端技術が開発され、生産技術がたかまります。たくさんの工場が作られ、そこでもたくさんの人々が職を得ることが出来ます。たしかに死んだ父も、教育がいかに裾野の大きな、すばらしい投資であるか語ってくれたことがありました」

 青年は死んだ父親のことを思い出したらしく、少ししんみりした口調で言った。青年の母親が立ち上がり、紅茶を運んできた。たぶん私が座っている席に、彼女の夫が座り、妻の作る食事に舌づつみを打っていたのだろう。彼女は私の前に紅茶を置くと、また向かい側の席に戻り微笑んだ。右手に坐っていた皇太子が話し始めた。

「前首相の叔父さんから、私も教育の大切さを聞いていました。しかし、頭の固い大臣や役人は、その重要性を理解しませんでした。この点では父王も私も同じでした。国民の知的水準が上がれば、必然的に人々は政治の民主化を要求するでしょう。それは王権を脅かすかも知れません。私たちはこの国を豊かにしたいという願いを持ちながら、一方で自分や自分の家族の安泰を考えていたのです。そして父に仕える多くの役人達も同じでした。今も王宮を中心にして、強固な利権が出来上がっています」

「なるほど。その利権の壁をどう崩すかが問題ですね。この国では経済の問題は政治の問題なのですね。経済を変えるためには政治を変えなければならないわけだ。しかし、政治を変えるためにも、経済を変えねばなりません。経済の変革が次第に政治の変革を生み出すようにしたいですね。そのためにも教育や福祉をてこにして、経済の建て直しをはかることがベストだと思います」

 私は二人の青年と、美しい未亡人を前にして、いつになく熱していた。こんなにも熱意をこめて語ったことは、私の50数年の半生を振り返ってみてもないことだった。やがて10時を過ぎて、皇太子がいそいそと席を立った。私も一緒に王宮に戻ろうとすると、皇太子が押しとどめた。

「先生はここに泊まってください。王宮で今夜異変が起こります。私の得た情報では、先生を亡き者にしようという計画が動いています。そればかりではなく、大臣と軍人の一部はクーデターを起こして、王宮を軍事政権下におこうとしています。しかしすでに万全の手は打ってあります。ただ、この国の次期首相である先生にもしものことがあってはなりません」

 私は皇太子の言葉に驚いた。クーデター計画もそうだが、私が次期首相という何気ない一言に耳を疑ったのだ。しかし、皇太子の言葉は現実のものになった。翌日の新聞はクーデター計画が未遂に終わり、政府や軍部の要人たちの多くが夜中のうちに逮捕されたことを伝えていた。そして、夕刊では、王様が皇太子と前首相の息子の大臣就任と、私の首相就任を命じたことを報じていた。あくる日、皇太子が王宮から私を迎えにきた。


2004年02月20日(金) 利己的社会の経済学(5)

 明くる日、青年は皇太子を連れてきた。私はこれまで何度か皇太子と会っていたが、話をするのは初めてだった。やせぎすの神経質そうな感じの、プライドの高そうな青年だった。しかし、話しているうちに、彼がなかなか鋭利な頭脳の持ち主であることがわかった。

「あなたは講演の最後に宿題をだされましたね。どうしたらこの国の経済をよくすることができるかと。ヒントは資金と人材を活用することだと述べられました。そのことについて、私はこの一週間、いろいろと考えてみました」

 皇太子はお金が活用されないのは、需要がないからだと考えた。したがって、需要を作り出すために、国家的プロジェクトを立ち上げる必要がある。そうすれば人材も活用されるだろう。また、プロジェクトを通して、国民が生き甲斐を感じ、働くことの意義を感得できればなおさらよい。

「問題は、どんなプロジェクトがこの国を活性化させるかということです。私はこの数日間、このことにばかり考えていました。昨夜、従兄弟からあなたと会うように言われて、私は困ったと思いました。まだ、私は暗中模索の状態だったからです。しかし、一晩考えて、いくつかのアイデアが浮かびました」

 皇太子は一枚の紙を私に見せた。「国民のためのプロジェクト」と題されたそのペーパーに、彼のアイデアがいくつか箇条書きに記されていた。すべての国民に高等教育への道を開くこと。そのために学校を建て、国民に無償で教育サービスを供与すること。図書館やスポーツ施設や映画館などの文化施設を人々が自転車で移動できる範囲に必ずつくること。などなど、いづれも国民の福祉に貢献するプロジェクトだった。私はペーパーを皇太子に返しながら、

「たいへんすばらしいですね。ぜひ、このプロジェクトを立ち上げましょう。しかし、問題は費用です。国家の財政状態はかなり危機的だと聞いています。どうやってこの資金をつくりだすのですか。私の国から資金を援助して貰いますか」

「私はこのプロジェクトを自前でやり遂げたいのです。それに資金がないわけではありません。確かに王宮の金庫にはお金はありません。しかし、お金は国民が持っています。国民のお金を活用します」

 皇太子は「国民貯蓄銀行の設立について」と題された、もう一枚のペーパーを私に手渡した。今後一年間のうちにお札を新しいものに変える。その際、生活に必要なお金意外は一年間国民貯蓄銀行に預けさる。もちろんただではあずからない。3パーセントほどの金利を払うことにする。そうすれば、利己的な国民も喜んでお金を預けるだろう。そのお金を原資にして、国はプロジェクトを押し進めることができる。

「3パーセントの金利は毎年現金で払うことにします。そうすれば国民はお金が増えたことが実感できるでしょう。その利益を再び貯蓄銀行に預ける人もいれば、消費につかう人もいると思います。いずれにせよ、こうして経済は活性化し、国民の生活も改善されます。考えてみれば、これはとてもシンプルなアイデアです。どうしてこんな簡単なことが思いつかなかったのか、不思議なくらいです」

 皇太子は話し終わると、部屋に飾ってあった陶器の置物を取りあげ、それを床に落とした。そしてその破片の中から、黒い電子チップを見つけだして私に見せた。どうやらそれは盗聴器のようだった。

「盗聴器をつけたのは私です。私は皇太子としてこの国を守る責任があります。失礼とは思いましたが、あなたの部屋にもこれを取り付けました。しかし、もうその必要はないでしょう。私は人を信用することができません。しかし、従兄弟とあなただけは例外です。あなたたちは、私にこの世に奇跡がありうることを教えてくれました」

 私たち三人は握手をし、肩を抱き合った。青年は別れ際に、皇太子と私を彼の家の夕食に誘った。客人を迎えるのは、彼の父親が死んで初めてのことだという。「母の料理はきっとお口にあうと思います」という言葉に、私の胃袋が反応した。私の最大の欠点は、グルメに目がないことだった。そして、この宮殿の調理人の腕はひどすぎた。

(「初秋」はお休みさせていただきました)


2004年02月19日(木) 利己的社会の経済学(4)

 前首相の息子だというその青年が、国に帰るように忠告して、そのまま立ち去ろうとするのを、私はあわててひきとめた。向かい合ってしばらく顔を見合わせたあと、私はおもむろに訊ねた。

「私はあなたたちのお役に立つためにやってきたのです。その私をなぜ追い返そうとするのでしょうか。私の話のどこが気に入らないのか、おっしゃっていただけませんか」 

「私もお互いを信じあうことが社会の基本だと思っています。しかし、多くの人々はお互いを信用していません。あなたがおっしゃるように、信じあうにはあまりに過酷な環境で育ってきたせいかもしれません」

「あなたはどうですか。人を信用することができないのですか。たとえば、この私を信用することはできませんか」

「両親は私を愛してくれました。心を許しあえる友もいました。それゆえ、私は人を信じることができました。しかし、私のような恵まれた環境で育った人間は、この国では例外なのです。私の父も、例外の一人でした。人のために、自分を犠牲にすることを厭わない人でした。しかし、父はこの国の人々に理解されませんでした。そして、ある日、宮殿の屋上から身を投げて、死んだのです。その日以来、私はこの国で起こることが信じられなくなりました」

 私は青年の淋しい目を見た。「お父さんの死も疑っているのですか」という問に、青年は長い沈黙のあとでうなづいた。そして、声を落として、意外な事を打ち明けてくれた。

 この国では恐ろしい計画が進行していたのだという。それは軍事力を備えて、隣国、すなわち私の国を侵略することだった。しかし、そのための武器を作るが資金がなかった。そこで、隣国から援助の名目で軍資金をせしめようとしたが、青年の父親はこの計画に反対だった。だから殺されたのだという。

「王は軍事計画にあえて反対しませんでした。しかし、父の死は王にとっても衝撃でした。王もまた父の死を疑い、軍事計画に慎重になりました。父を死に追いやった大臣達も、王の不興を買って動揺しています。その上、彼らは計画を実行するための資金を得られませんでした。かわりにあなたが現れ、経済の基本は信用などと聞かされて、ますます混乱し、不安にかられているのです」

「この国へ来て、私は孤独でしたが、あなたのような青年がいることを知って、元気づけられました。私は国へ帰ろうとは思いません。この国にとどまり、この国を平和で豊かな国に変えて行きたいと思います。ところで、あなたには信頼できる友はいますか」

「いまとなって私が信頼できるのは母と、それから、私の従兄弟だけです。私はあした彼をあなたに紹介したいと思います。彼はきっと私たちの力になってくれます。彼は王の息子で、しかもこの国の皇太子です」

 青年の聡明な目にはいつかかすかな希望の光が輝いていた。私は青年に近づき、その肩を抱いた。青年はしっかりした体格をしていた。そして、とてもよい香りがした。


2004年02月18日(水) 利己的社会の経済学(3)

 私が語った「信頼というものがなければ経済が成り立たない」という話は、この国の人々の心に届かなかっただけではなく、大きな反発を与えたようだった。それはこの国の一番痛いところを突いていたからだ。人は誰しも自分の一番の弱点を突かれると反発する。それはむしろ自然な反応と言ってよかった。

 この国の人々は人を信じることができない。人間とはお互いに敵だと思っている。それは幼い頃から家庭でそう言い聞かされて育っているからだろう。そして、学校や社会へ出てからの競争を通して、ますますこの確信を深めることになる。世の中は善意からではなく、悪意で成り立っているということだけを信じるようになる。

 この国の人々が信じているのは自分自身か、自分の身内だけである。いや、正確に言うと、自分自身さえ信用していない。それは他者に対する信頼は、あるていど自分に対する信頼に基づいているからだ。他者への不信は、自分への不信の投影なのだ。

 この国の人々は、自分自身を含めて人間というものを信用していないので、「信用がなければ経済が成り立たない」などといわれると、途方に暮れてしまうのだ。そして反発し、その反発はやがて憎悪や攻撃に変わる。

 私は行動を常に監視されるようになった。どこへ出かけても、尾行がつくようになった。私は役人にこのことを尋ねると、「監視ではありません。あなたの身の安全のためです。近頃、物騒になりましたからね。命が惜しかったら、言動を慎んでください」とのことだった。

 役人は私を脅しているだけなのだろうか。それとも本当に、私の身に危険が迫っているのだろうか。たとえ身に危険が迫っているにせよ、私は自分の国に逃げて帰ろうとは思わなかった。実のところ、私はこの国に来て、自分が今までになく生き生きとしているのを感じていた。この国を変えたいという思いが、私のすべてになっていた。

 私は自分から進んで、大臣や、学者や、多くの経済人と個人的に話をした。私の話は依然として彼らの心に届かなかった。彼らは反発し、怒り、私を世間知らずのお人好しだと言って笑った。そして最後に、私にはやく国に帰るように忠告することを忘れなかった。

 私は宮殿のなかに一室をあてがわれていた。しかし、王様は私を近づけようとはしなかった。王様が私に不快感を持っていることは明らかだった。しかし、私は一目見たときから、この王様はそれほど馬鹿ではないと見抜いていた。

 この国の人々の視線には独特な棘があった。それは彼らの心の棘なのだろう。しかし、ほんのたまにだが、私は棘のない目に出会った。とくに私の注意を引いたのは、一人の青年だった。彼は最初の私の話の時は一番前で聴いていた。私は彼の聡明な目にやがて気付いた。

 その青年と次ぎに会ったのは、宮殿の廊下だった。彼は無言で私に礼をした。通り過ぎてから、私は近くの役人に彼の素性を訊いた。彼は王族の一人で、父親は王様の弟だったが、少し前に死んだのだという。生前は王様の片腕として首相を勤めていたらしい。私は今度その青年にあったら、自分から声を掛けてみようと思ったが、その必要はなかった。

 ある日、彼の方から私を訪ねてきた。私は喜んで彼を迎えた。
「あなたに忠告しようと思ってきました。今すぐ、国に帰られた方が身のためだと思います」
 彼もまた役人や学者たちと同じことを口にした。しかし、その静かな口調に敵愾心や憎悪はなかった。ほんとうに私の身を案じているらしいまごころの響きがあった。


2004年02月17日(火) 利己的社会の経済学(2)

 利他的な社会から利己的な国にやってきて、私が最初にしたことは、その国をよく観察することだった。私の育った利他的な国に比べて、この国の人々はあまり幸せそうではなかった。人を信じようとせず、心を開こうとしない。そうした人々を見るにつけ、私は何とかこの国の人々の心を明るくしてやりたいと思った。

 私は王様や政府の役人、学者達やこの国のおもだった経済人を前にして、「経済はなんのためにあるのか」という話をした。経済の目的は市場を通して、お互いに利益を与えあうことだ。自分が他者に与え、そして他者からも受け取る。そうした過程を通して、双方が満足を得、豊かになっていく。そのために必要な環境づくりをするのが政府の役目だ。そんな話の途中に、役人の一人が疑問をぶつけてきた。

 人間というものは、ほうっておけば争いになる。これを防ぐために、我々は強力な権力を持ち、監視体制を整えなければならない。国民は自分中心的で、何かというと他人を出し抜こうとする。あるいはこっそり怠ける。こうした自分勝手で怠け者の国民を働かせるには強制労働もやむをえないのではないか。そんな内容だった。

 この国では、労働は苦役でしかないようだ。子供は尻を叩かれ、いやいや勉強している。少しでもよい生活を得るために、そうした利己的な目的のために、必死に歯を食いしばって勉強する子供たちもいたが、そうした勉強がどれほど役に立っているか疑問だった。ただ、他人に優越するために、利己的な目標のためだけにがんばっている。質問をした役人もそんな勝利者の一人なのだろう。私は再び話し始めた。

「政府は国民を支配するためにあるのではありません。そうではなくて、国民にサービスするためにあるのです。国民の教育や医療や、老後の生活のための年金や、そうした福祉制度を整えて、国民が安心して生活できるようにすることが、政府の基本的な仕事なのです」

「福祉制度ができれば、生活が保障されて、みんな働かなくなるという説があります。これは人間は基本的に働くのがいやで、怠け者だという人間観です。教育についても、人間はだれしも勉強が嫌いで、怠けていたいものだという考え方があります。こうした考え方に立てば、不安と恐怖と強制をあたえて、競争原理によって働かせたり、勉強させるべきだということになります」

「これにたいして、人間は基本的に働くのが好きだ、勉強するのが好きだという労働観、教育観があります。労働はたしかに苦痛をともなうが、それは単に賃金を稼ぐためのものではない。それによって社会に関わり、世の中に貢献することは、しあわせでもあり、いきがいでもあるという考え方です」

「私は単純に性善説をとる者ではありませんが、人間はそのおかれた社会システムや教育によって根本的に影響されると思っています。何故、労働が忌むべきものになり、勉強嫌いがこの世界に蔓延しているのかと言えば、人間がもとよりそうであるとは考えないのです。社会を支配している非人間的システムがそうした人間や思想を大量生産しているからだと考えます」

「経済は単に個人の利己的な利潤追求のためにあるのではありません。それは国民のしあわせを作り出すためにあるのです。そしてその基本になるのは信用ということです。お互いに信じあうということがなければ経済はなりたたないのです。ところが、この国ではお互いに信じあうことがむつかしいのです。それはこの国のシステムに問題があるからです」

「したがって、私たちはこれからこうしたシステムを大胆に変えて行かねばなりません。しかし、おそらく、皆さんはこれに反発するでしょう。そこで、私はあえて現在のシステムの前提になっている人生観や哲学にまでさかのぼって、これを検証してみたのです。みなさんが現在考えていることは、みなさんが現在身を置いている社会によって半ば強制されていることであり、社会のシステムを変えていけば、その考え方もかわります。人生観まで変わってしまうのです。まずはこのことをみなさんに知っておいてほしいのです」

 私の話はほとんど彼らの心に届かなかった。ある役人は私に聞こえるように、「福祉なんて無理だ。お金があるわけがない」とつぶやいた。「これ以上、国民を甘やかしてどうする」という声や、「こいつはわが国を滅ぼすつもりだ」、「何が信用だ」という罵声も届いた。私は彼らの反応にそれほど驚かなかった。最初はこんなものだろうと思っていた。

「哲学的な話はこのくらいにしましょう。それでは皆さんはどうしたらこの国の経済がよくなるとお考えですか。私はいまあるお金や資源を有効につかうことだと思っています。この国ではお金が死蔵されています。人間も活用されていません。これでは経済や文化が停滞するのが当たり前です。どうしたら、資源・資金が有効に活かせるのか、次回までに皆さんも解決策を考えておいてください」

 私はしずかに演壇を降りた。拍手はひとつもなくて、ただ溜息と険しい視線だけが会場にあふれていた。王様は終始不機嫌そうに黙り込み、役人たちはそんな王様を心配そうに眺めていた。


2004年02月16日(月) 初秋

28.洋菓子屋の女

 二人の客が帰った後、さと子は店先の暖簾をしまった。店の女も帰して、修一と並んで坐ると、一枚の名刺を帯の間からだして、カウンターに置いた。「コスモス」という店の営業用の名刺らしい。「高橋文子」という名前が読みとれた。

「栄の洋菓子屋で営業をしてみえる女性の方よ。知っている?」
「いや」
「一週間ほど前にいらして、名刺を見せて、島田の入院した病院はどこか訊かれたの。でも、教えなかったわ」
「愛人じゃないのかな」
 修一は口にしてから、さと子に言うべき言葉ではなかったと思った。

 さと子は表情を変えるでもなく、
「5年ほど前に洋菓子屋をはじめるとき、資金面で島田に助けて貰ったらしいの。その恩返しがしたいって言うのよ。」
「ふうん」
 修一は「コスモス」という店も、「高橋文子」という名前にも記憶がなかった。女の言葉を額面通り信じてよいものかどうか。サラ金のまわしものとも限らない。

「その方が、今日のお昼に豪勢な欄を持ってきたの」
「君が買ってきたんじゃないんだね」
 修一は病室にあった蘭を思い出した。
「病室には、ちょっと派手でしょう」
「まあ、そうだな」

 修一は名刺を手に取った。何気なく裏返してみると、そこに別の電話番号が書いてあった。おそらく自宅の番号なのだろう。ふと、島田に娘がいるのではないかという、葉子の言葉を思い出した。

「その女性は島田に似ていたかい」
「似ているといえば、目の辺りが……」
 さと子も疑っているようだ。高橋文子が島田の娘だとしたら、母親はだれだろう。年齢から言えば、良子だろうか。
 
 名刺を返そうとすると、さと子は押し返した。
「あなたにお店の方を偵察してきて貰おうと思っているの」
「相談というのは、このことだね」
「そうね、それと……」
 修一は名刺を財布に入れて、さと子の言葉を待った。


2004年02月15日(日) 利己的社会の経済学

 贈与率の高い「利他的社会」では、他者への贈与(投資)がさかんに行われ、経済は自然に活性化する。こうした社会では、他者に贈与しないという利己的戦術は通用しない。なぜなら、自分だけが社会の発展から取り残されてしまうからだ。利他的社会では、利他的に振る舞うことが、最大の自己利益を生み出す。したがって、たとえ突然変異で利己的人間が産まれても、もおのずと利他的に振る舞うようになる。

 一方、贈与率の低い利己的社会では、利他的に振る舞うことは致命的である。なぜなら、他人に贈与しても、それは他人を益するだけで、自分への見返りはないからだ。こうした社会では利他的人間は生きては行けない。生き残ろうと思ったら、自分を利己的な人間へと変えて行くしかない。

 ところで、ここに利他的な国と利己的な国は隣り合っているとしよう。そうすると、利他的な国は投資が活発に行われ、富が急速に増大する。しかし、利己的な国はお金はそれぞれの家庭に死蔵されたままで活用されないから、とうぜん富は増えない。それどころか、隣の国がリッチになった分、相対的に「貧乏」になる。そして金持ちの国と貧乏な国の格差はどんどん広がらざるを得ない。

 こうした情況に、利己的な国の利己的な人々は、「なぜおれたちの国はいつまでもこんなに貧乏で、不況が続くのだ」と内心不満を覚える。利己的な国の王様は、「金持ちになりたかったら、他人にお金を贈与しなさい」と国民に迫り、国中に、「贈与が国をゆたかにする」というスローガンを掲げるのだが、効果はない。利己的社会において利他的に振る舞うことが致命的に不利であることは分かっているし、いまさらこの性格を変えろといわれても、利己的人間にはどうしようもないからだ。

 万策尽きた利己的な国の王様が考えついたのは、利他的な隣国から援助して貰うことである。そこで、さっそく特使をおくり、大金を援助して欲しいと申し出た。利他的な国の政府は援助を拒まなかった。ただし、「あなたがたに必要なのはお金ではありません。お金より大切なもの、それは知恵です。それをプレゼントしましょう」と言って、一人の経済学者を彼らに紹介した。

 利他的な国で利他的な人間として生きながら、利己的な隣国の不遇を気の毒に思い、ひそかに「利己的社会の経済学」を研究してきたというその奇特な経済学者とは、なにを隠そうこの橋本裕である。あさっての日記で、いかに橋本裕が利己的な国の経済を蘇生させるために悪戦苦闘したか、その様子を描いてみよう。


2004年02月14日(土) 日本の景気回復は本物か

 各種の統計によると、日本経済の景気が少し上向いてきたという。ちなみに昨年12月の失業率は総務省発表の労働力調査によると、4.9%と2年半ぶりに5%を割る水準まで低下した。2003年の年間平均の完全失業率は5.3%になり、2002年の5.4%から0.1%低下し、バブル崩壊後初めて前年対比で改善した。昨年12月時点のアメリカの失業率は5.7%である。

 しかし、失業率を世代別で見ると、15歳から24歳までの若年層の失業率は男子10.0%、女子6.3%と高くて、男性が0.7%悪化している。中高年層の雇用はいくらか改善したが、若年層で悪化しているのは問題だろう。
 
 完全失業者が約300万人と、前年同月比で31万人減っているが、単純に雇用環境が回復したとは言えない。主婦や若年層を中心に、働く場所がないため就業意欲を失い、労働力人口から脱落していく人が増えているからだ。非労働人口は5346万人で46万人増え、労働力人口が6607万人と、前年同月比15万人減っている。

 非労働人口増が労働力人口減を上回って、毎月増加していることの背景に、こうした情況がある。完全失業者の減少が就業者の増加ではなく、非労働力人口にシフトしていることが考えられる。

 さらに就業の実態に大きな質の変化が見られることも問題だろう。「家計からみる日本経済」(橘木俊詔著、岩波新書)によると、最近パート労働者が非常に増加しており、現在では全労働者の約3割、女性労働者のうち5割近くが非正規労働だという。

 経営の側からいえば、非正規労働者の労働コストは相当安くて済む。社会保険料の企業負担もなくなり、解雇もやりやすくメリットが多い。企業がリストラと称して正規労働者の首を切り、ふたたび非正規労働者として安い賃金で雇用するという手法が定着してきているようだ。

 これを労働の多様化、現代化として歓迎する見方もある。ケインズ理論によれば賃金の下方硬直性が大恐慌の原因だという(橋本裕、経済学入門参照)。しかし、正規労働者の非正規化で賃金の下方硬直性が破られるのが本当によいことなのだろうか。これで日本経済が再生し、国民が幸せになれるのだろうか。私は大いに疑問に思っている。

 1970年代に二度のオイルショックに見舞われ、日本は不況に陥った。このとき、私たちは選んだのは、こうした道ではなかった。このことについて、橘木俊詔さんの分析を、「家計からみる日本経済」から引用しておこう。

<当時は雇用の削減を避け長期雇用を保障することが社会のノルム(規範)だったので、雇用を守るために労働時間(特に超過勤務)を削減させることが、生産量の低下に対する政策として採用された>

<労働時間の削減によって雇用を守るという政策は、現代の言葉で言えば、「ワークシェアリング」の政策にほかならないことを指摘しておこう。オランダ、ドイツ、フランスなどの成功例によって、失業率を下げるために、わが国でも「ワークシェアリング」を導入すべきである、という主張が著者を含めてあるが、まだ本格的な導入までにいたっていない。・・・1970年代にわが国では既に労働時間短縮という「ワークシェアリング」を導入していたことを明記しておきたい>

 橘木俊詔さんのよると、バブル後の不況において、私たちが選択した道は、「ワークシェアリング」ではなく、「リストラ」を中心とする、「失業」と「労働強化」の道であった。雇用不安を背景に、サービス残業が強要され、とくに30代から40代前半の男性を中心にして、過酷な残業労働が発生している。

 非正規労働者の増加は、正規労働者をも含めた所得の低下をもたらし、家計の所得の減少につながる。勤労統計調査によると、雇用者の昨年12月の実収入は前年同月比0.7%減になっている。ちなみに公立学校の教員をしている私の昨年のボーナスを一昨年のものと比べると、17万円も少なかった。なんと2割り近くも落ち込んでいる。

 このように見てくると、雇用統計上では改善したものの、数字はあまりあてにならないことが分かるだろう。雇用は改善しているかのようで、所得面では悪化傾向は続き、しかもサービス残業が常態化するなど、労働強化がすすんでいる。雇用の改善が所得の改善、個人消費の回復につながり、内需が拡大しない限り、本物の景気回復にはならない。

 さらに問題なのは、たびかさなる財政支援で国や地方自治体の財政は極度に悪化していることだ。04年度政府予算でみると、82兆円の歳出を、36兆円もの国債でまかなっている。国債残高は483兆円になり、国と地方の長期債務は719兆円にもなり、GDP比で1.6倍に達した。イタリアでさえも1.2をこえてはいない。アメリカやドイツは0.7以下、イギリスは0.6以下の数字である。

<これらの数字を、いささか乱暴だが、年収650万の家計に例えた財務省の数字にそって考えてみよう。ローン残高が6800万円で、返済額は年間250万円に達している。使えるのは400万円だが、生活費に675万円かかる。親への仕送りもあるので、毎年520万円もの借金を重ねる暮らしだ。これでは、一家はいずれ破綻する>(2月12日、朝日新聞朝刊「財政危機率直に議論を」より)

 政府は10年後には基礎収支を黒字にするという。しかし、これは今後10年間名目成長率が上がり続け、税収が大幅にふえると見込んでの話だ。神野直彦東大教授(財政学)は、「特別会計を含む政府債務は1千兆円にのぼると見られる半面、政府資産の詳細が公表されておらず、国民への情報開示はきわめて不十分だ。こんな状態でプライマリーバランス回復を目標にしたり、消費税だけに焦点をしぼりこむような議論をしたりするのはおかしい」と述べている。

 論語に「民信なくば立たず」とあるが、いま、国の信用が大幅にゆらいでいる。経済は「信用」でなりたっている。そして「信用」の恐ろしいところは、これがほんの一日で瓦解することだ。為政者は国民の信用を失わないように、できるかぎりの努力をしなければならない。

 そのために必要なことは、政府が国民を信用することだろう。いますぐ、国民の前に、政府資産の詳細を明らかにし、財政危機の回避に向けて、国民の叡智を広く求め、その意見に耳を傾けて欲しい。こうして国民と率直に対話することで、国民の中に広がる「不信」を「信」へと変えて行くべきだ。


2004年02月13日(金) 初秋

27.いい表情

 鰺の開きを肴にしてビールを飲んでいる修一の耳に、二人の客の会話が自然に届いてきた。
「あんまり深入りしないほうがいいよ。若い女は怖いからな」
「わかっているよ。わかっていながら、やめられない」
「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ恋の道かな」
 まだ宵の口だが、二人ともかなり出来上がっていた。

 修一は葉子のことを思いだした。病院から電話に出たとき、あわてて着たワンピースの背中が割れて、白い背中の肌が覗いていた。そしてブラジャーの一部が見えた。そのときは何気なく眺めていたが、思い返してみると、それはかなり扇情的な光景だった。電話が終わって、頭に巻いたタオルを外した葉子の仕草も思い浮かんだ。

 葉子から喫茶店に誘われ、そのあと彼女の部屋を訪れたことが、修一には信じられない出来事だった。これまでの人生でそのようなことはなかった。いまのところ葉子にとって修一はあくまで島田の親友でしかないのだろうが、こうしたことが続くうちに、何か思いがけないことになるかもしれない。

「何かいいことでもおありになったの」
 さと子がビールを注ぎながら訊いてきた。
「いや、どうして」
「いい表情をしているからよ」
「いい表情かね」
「そうよ、いい表情」
 さと子はそう言って笑った。

 これまで女からこんな風に誉められたことがなかった。「いい表情」というさと子の言葉は、何やら曖昧だが、誉め言葉としては悪くはなかった。
「君も、いい表情をしているよ」
 修一はさと子にいつにない親しみを覚えた。

「まあ、びっくり」
「何を驚くことがあるのだ」
「沢田さんが冗談をいうなんて、びっくり。でも、うれしい」
「一杯やらやらないか」
 修一が差し出したビールを、さと子はグラスに半分だけ受けた。


2004年02月12日(木) 世界一安全な米国産牛肉

 アメリカで昨年12月に牛海綿状脳症(BSE)感染牛が発見されて以来、米農務省が感染牛と一緒にカナダの同じ牧場から輸入された80頭の行方を調べていたが、所在が確認できたのは28頭だけで、これを含め、カナダの同じ牧場で飼育された255頭を検査した結果、すべて陰性だったという。同省は「所在を特定できなかった残りの牛も、感染の恐れはほとんどないと確信している」として、調査をうち切った。

 これについて、江草乗さんが昨日の日記「江草 乗の言いたい放題」に「米国産牛肉は世界一安全です! 」と題して、なかなか痛快なコラムを書いているので一部紹介しよう。

<その行方もわからないものに対して「危険はほとんどない」と主張できるのだから恐れ入った。農務省の検査官の方々はまさに神である。そんな超能力者を備えたアメリカの危機管理態勢はまことにすばらしい。日本のようにいちいち全頭検査しなくても、全能の神にあらせられる検査官の方々が安全を保証してくださるわけである。>

<確かにあの広い国土のどこに行ったかもわからないBSEの牛を、1000頭に一頭のずさんな検査で発見できる可能性はほとんどないだろう。ここはいったんアメリカに譲歩して輸入を許可してやろうじゃないか。何か付帯条件でもつけてやれよ。例えば「もしも二頭目のBSEが発見されたら日本に輸出した牛肉の代金は全部タダ!」とか。アメリカのずさんな検査態勢では見つかりっこないから喜んで応じてくれるぞ>

<ただ、日本に牛肉をこんなにも輸出したがってるアメリカでは、実は日本産の牛肉は全面輸入禁止なんだ。何しろ日本ではもう9頭もBSEの牛が見つかっていて、そんな危険な国から肉は買えないということらしい。全頭検査していても、「日本のずさんな検査態勢はあてにならない」と禁輸の姿勢は変えてくれないので、それまで神戸牛や松阪牛を使っていたロスやニューヨークの日本料理店は、日本産の霜降り肉が手に入らなくて大弱りなんだぜ。輸出はしたいが輸入は拒否するというこのダブルスタンダードの態度は、戦争の巻き添えで他国民が何人死のうと全く気にしないが、自国の兵士に犠牲者が出ることを極端に恐れる点にも現れているなあ>

 年間の食肉消費量が一人当たり日本人の42kgに対して、約120kgというアメリカ人はBSEをあまり気にしていられないのだろうか。しかし、それなら、アメリカよりも厳しい検査を実施している日本の牛肉の輸入を禁止するのはおかしい。江草さんの言うとおり、ダブルスタンダードだと批判されても仕方がない。

 05会計年度の予算教書に盛り込まれる米政府の牛海綿状脳症(BSE)の検査費用は、04年度と同じ1700万ドル(約18億円)で、対象頭数は4万頭に過ぎず、全米で処理される年間3500万頭のごく一部だ。輸入再開の圧力が強まる中、「全頭検査」を求める日本側とのギャップは大きい。吉野屋をはじめとする日本の外食産業も在庫がなくなり牛丼の販売を中止しはじめた。今後どのような政治的解決が図られるのか注視したい。


2004年02月11日(水) 利己的社会と利他的社会

 A君に100万円が元金として与えられたとしよう。A君はそのお金の中から好きなだけB君に贈与することができる。B君に贈与されたお金はたちまち利潤を産み、4倍に増殖することがわかっている。さて、そこで自分がA君の立場になったつもりで考えてみよう。自分ならB君にいくら贈与するだろうかと。

 A君には100万円すべてを贈与するという利他的な選択肢がある。そうすると、B君のもとでそのお金は400万円になる。もし、B君がA君にその半分の200万円を返してくれたら、A君のお金は倍増する。しかし、B君がお金を一銭も返してくれなかったらどうだろう。A君は元金をすべて失い、反対にB君は400万円をまるごと得る。

 A君には一銭も贈与しないという選択肢もある。この場合、100万円がまるごとA君の手に残る。B君は残念だが一銭も手にすることができない。A君の戦術としては、こうした贈与率0パーセントの完全に利己的な選択から、贈与率100パーセントの完全に利他的な選択まで、さまざまな段階が考えられる。

 そのどれを選ぶかというのは、A君がどれだけB君を信用しているかにかかっている。もしA君が完全にB君を信用していたら100パーセントの贈与率を選ぶだろう。もしB君が人の良い善人だったら、増殖した400万円を全額返してくれるかもしれない。その場合のA君の持ち金は4倍にもなる。反対に、B君が信用できない場合は、贈与を見送るだろう。利益はないが、100万円という元金は確保できる。

 文化人類学者の国際プロジェクトとしてこれに似た実験が行われている。その結果について、カルフォルニア工科大学教授の下条信輔さんが、2月9日の朝日新聞夕刊に掲載された「利己と利他」という文で紹介している。それによると、AのBへの贈与率はニューギニアの狩猟民族では1/5、ケニアの遊牧民で1/3、アメリカの農民の場合は1/2で、経済活動やマーケットの規模に比例して増加する傾向があり、Bからの返還額も経済先進国ほど大きかったという。

<経済が進むと人々はせちがらくなるという見方では、この結果は納得しにくい。しかし考えてみると、未開社会の人々は物々交換しか信じないが、社会が進むにつれて貨幣が流通し、やがてクレジットカードが通用するようになる。・・・・株や証券の持つ価値というものも、他人への信頼の上に成り立っている>

 経済活動の根底に「信用」がある。だからこの「信用」の崩壊は経済の崩壊につながり、ひいては政治や社会そのものの崩壊につながる。経済活動をたんなる「利潤の最大化」で割り切ることはできない。それはその社会を構成する人々の「お互いに約束を守り、信頼しあう」という倫理力にもっとも依存している。下条信輔さんの文章をもうすこし引用しておこう。

<相互の信頼が市場の拡大と成熟をもたらし、それがさらなる信頼をもたらす。経済社会はこの増幅回路で進化するらしい。事実、商取引だけではなく飛行機などの輸送機関、IT環境などの公共メカニズムは、本来「性善説」に基づく相互の信頼を前提としている。商店の店構えや通勤電車、情報が自由に流通するインターネットなどは、利用者の大多数が悪意を持つという前提に立ってはいない>

<ここで利他といっているのは無制限の自己犠牲とは違い、他人を信頼することで自分もより良く生きようという、平凡だが健康な発想だ。これはドーキンスの有名な「利己遺伝子」説とも矛盾しない。この説が受け入れられた理由は、逆説的だが、動物の「利他的行動」をもうまく説明するからだ>

<訴訟社会、権利主張社会といわれるように、現代の表層では利己主義が幅をきかせている。しかし深層では他者への信頼を糧に、マネー社会が成熟すると見ていいのだ。ただインターネット上の株取引やオークションに見られるように、ITとグローバリゼーションが「他者」をますます間接的、仮想的なものにする。直接会っているときに働いた身体的で暗黙的な信頼が、うまく作動しない場面もあるだろう>

<汚職やインサイダー取引、そしてテロのような内部矛盾を、先進社会は乗り越えてゆけるだろうか。経済と心の行く末は、仮想の他者を信頼できるか否かにかかっている>

 さきほどの贈与のゲームに戻ろう。A君やB君の立場を離れて、社会全体の立場に立つなら、A君の贈与率0という選択は、富の増加をなんら産まないわけで、彼が身を置く「利己的社会」は必然的に発展性のない社会になる。こうした社会に支配的な思想は、他者に敵対的な性悪説であり、人間不信にみちたペシミズムの哲学であろう。

 反対に、もしA君が完全に相手を信用し、すべてを贈与した場合、その社会的富は4倍にも増える。A君がこうした思い切った行動がとれる「利他的社会」は非常に発展性の高い社会である。利他的に振る舞うことが、その見返りを産み、同時に自己をもゆたかにするわけだから、そのような社会は最高度に倫理的であり、かつ個人的にも満足度の高い居心地のよい社会だ。そこでは利己的ということと利他的ということが矛盾せず、より高い次元で豊かな実りを結んでいる。

 経済現象を表層だけみれば、それはあくなき欲望と利潤追求の場のようにみえる。しかし、そのような現象の背後に、「信用」という文化的な価値が存在している。キリスト教が資本主義の精神的支柱として資本主義を育てたのもこのためである。

 どうように日本の近代化の背後に、儒教精神を背景にした精神世界の形成があったことも注目されてよいだろう。こうした「他者への信頼」を基盤とする文化を、どれだけ維持し、発展させていけるか、日本と世界の未来がここにかかっているわけだ。 


2004年02月10日(火) 家計からみる日本経済

 一昨日の朝日新聞の書評欄を読んでいて、「家計からみる日本経済」(橘木俊詔著、岩波新書)を知った。東大教授の松原隆一郎さんが、「一変する経済観、実感こもる政策提言」と題して、わかりやすく解説している。一部引用しておこう。

<エコノミストの話は理屈をいじるばかりで実感に乏しいと言われる。その理由のひとつに、家計を起点として景気対策や生産活動、一国のゆたかさなどを論じてこなかったことがある>

<いざ家計に焦点を当てると、金融システムや企業の劣化ばかりが伝えられた日本経済の光景は一変し、政策提言にも実感がこもる。これはそんな本だ>

<日本の最低賃金は国際比較でも下位にあり、それ以下しか支払われぬ人も10パーセント存在する。そればかりかその最低賃金は、生活保護支給額をも下回っている>

<年金・失業・医療・介護などの社会保障費は、税に比して再配分に与える効果が十数倍もあるのに世界最低水準で、福祉は企業と家庭が担ってきた。日本は「小さな政府」である。>

<一部大企業では、中年雇用者が過酷な長時間労働を強いられている。90年代からのデフレで企業は売り上げ不信に陥ったと言われるが、企業が関係する卸売物価は80年代半ばから下がり続けている>

<ここから、斬新な提言が出てくる。雇用不安や社会保障への不信から、家計は景気に与える影響がもっとも大きい消費を抑えている。それゆえ70年代と同様、労働時間を失業者と分かち合い雇用を増やして人心を安定させ、煩雑な社会保障制度は一本化して信頼を回復させよう。ビジネスの街・東京に機能を集中させるだけではなく、行政・文化・住みやすさなどで地方分権すべきだ、と。賛成だ>

<社会保障の主な財源を税にしようなど、議論を呼びそうな提言もあるが、そもそも成長率ばかり追い求めぬ経済を作ろうというビジョンが骨太だ。なぜ視点を移しただけで、主張が小泉内閣とこうも異なるのか。じっくり考えてみよう>

 ここに書かれていることは、私がこの5年間、この日記で書いてきた主張と完全に一致している。日本を変えて行くのは生産者中心ではなく、こうした生活者を起点にした経済学であろう。さいわいなことに、こうした視点で書かれた私の「経済学入門」や「共生論入門」を出版する話も進んでいる。橘木俊詔さんの原著もじっくり読んで見たい。


2004年02月09日(月) 初秋

26.鰺のひらき

 さと子の店は今池にあった。カウンターだけの狭い店だが、表通りから入った場末なので、そう客がたてこむということはない。店にくるのはたいてい常連客だ。今日も二人ほど、常連らしい客が座ってビールを飲んでいた。

 カウンターの中にさと子ともう一人、中年の女が和服姿で働いていた。二人とも修一を見てほほえんだが、声を掛けてくるわけではない。修一はカウンターに坐ると、ビールとおでんを注文した。

 さと子がグラスにビールを注ぎながら、
「沼津産の鰺のひらきがありますよ」
「そうか、それも貰うよ」
 鰺のひらきが修一の好物だった。

 さと子が鰺を焼いているあいだ、もう一人の女が修一の前にきた。島田と半年前にきたとき、彼女は店を休んでいた。何でも子宮に腫瘍が見つかって、それを手術するために入院したとのことだった。
 
「もう、いいの」
「おかげさまで、さっぱりしました」
 子宮をとってさっぱりしたということだろうが、返事のしようがないので、修一はがんもどきのおでんを口に含んだ。

 さと子から彼女の身の上を聞いている。失業中の夫が競馬や競艇に通いはじめ、サラ金に手を出して取り立て屋に追われるようになり、彼女は中学生の娘と二人で家を出て、世間から逃れるようにしてアパートで暮らしているのだという。さっぱりしたというのは、性悪な夫と別れたということかもしれない。

「おねえさん、もう一本くれないか」
 二人連れの客から声がかかり、彼女はそちらに行った。修一は革靴を脱いで、椅子の上にあぐらをかくと、さと子にささやいた。
「相談があるんだって」
「ええ、今夜はゆっくりしていってくださいね」
 さと子が鰺の焼いたのを皿に入れて、修一の前に置いた。あぶらの香ばしい匂いが食欲を誘い、修一は何だか急に幸せな気分になった。


2004年02月08日(日) 創造的虚無主義のすすめ

 野田俊作さんが日記「野田俊作の補正項」で、人生に対する考えとして神秘主義と虚無主義があるが、実はそのどちらも嘘であると述べている。そしてそれらを嘘と分かった上で受け入れる「利口」な生き方について説いている。文章を引いてみよう。

<世界は言語よりも大きいと思う。言語はたかだか人間の脳が作り出したものだし、世界は人間の脳より大きいから、したがって世界は言語より大きい。世界の「実相」は言葉で語れないと思う。さて、語れない「実相」は存在するのかしないのか。存在するとも存在しないとも言えない。「言う」のは言葉だから。もし「存在する」と言えば神秘主義だし、「存在しない」と言えば虚無主義だ。そのどちらも本当ではない>

○神秘主義・・・「神が存在する」「人生に意味がある」「世界は必然である」
○虚無主義・・・「神は存在しない」「人生に意味はない」「世界は偶然である」

 たしかに、神が存在するのかしないのか、私たちにはわからない。神の存在は私たちの論証能力を超えている。存在すると考えるのも、存在しないと考えるのも、それぞれの自由である。つまり私たちは有神論者にも無神論者にもなれる。野田さんの言葉を借りれば、神秘主義者にも、虚無主義者にもなれる。そして野田さんに言わせれば、神秘主義者にも虚無主義者にも、利口なのと馬鹿なのがいるらしい。

<利口なのは、それが嘘だと知りつつそうしている人々、馬鹿なのは、本当に信じ込んでいる人々。私は利口な神秘主義者になることにした。「世界におこる出来事はすべて必然だ」、「世界には目的がある」、「人生には意味がある」、「神は存在する」という嘘を選択することにしたが、これが嘘であることを忘れないようにする、ということだ>

<科学信仰は、馬鹿な虚無主義だ。ほんとうに神は存在しないと思い込んでいるし、ほんとうに人生は無意味だと信じ込んでいるし、ほんとうに世界は無目的だと決め込んでいる。それは恐ろしい思想で、まったくアナーキーだ。そのような世界で生きるのは、きわめてみじめなことだ。それが現代社会だ>

<私が利口な神秘主義を選択するのは、世界が馬鹿な虚無主義を選択しているからだ。もし世界が馬鹿な神秘主義を選択しておれば、利口な虚無主義を選択しただろうと思う。そこで私は、神は存在すると言うし、人生には意味があると考えるし、世界には目的があると主張する。ただし、それは嘘だと知っている。嘘だが、その選択をしないと、現代の不幸から抜け出せない>

 ここまで読んできたら、野田さんの主張する利口な神秘主義とはまさしく森鴎外のいう「かのように精神」と軌を一にするものだと気付くだろう。しかし実のところ、利口な神秘主義もまた、「虚無主義」に過ぎない。それは言ってみれば、利口な虚無主義の擬態であるにすぎないからだ。このことについてはすでに、1月15日の日記「かのようにの虚無」で述べたとおりだ。

 私の立場はたぶん野田さんの分類には入らない。なぜなら、人生や世界は無意味であると考える点で、虚無主義だろうが、私はそこにとどまろうとは思わないからだ。人生が無意味であり、世界が空であるとして、そこに意味を与え、価値を創造するのが私たち人間だと思っている。私は世界が空であり、無意味であることを恐れず、むしろ世界が無意味であることを自らの自由の証として喜ぶだろう。なぜなら、そこに私は自分の思想や詩を思いのまま書き付けることができるからだ。

 しかしこれは私が発明した思想ではない。ニーチェの超人思想がそうであるし、仏教の「空の思想」も立場としては「虚無からの創造」である。般若心経に「色即是空、空即是色」とあるが、前半は「一切は空である」という虚無思想である、しかし、仏教はそうした虚無思想にとどまることはない。そこから出発して、「空即是色」と前向きに人生を創造する。

 仏教は虚無主義でも神秘主義でもない。仏教の根底にあるのはこうした創造的虚無主義とでもいうべきものだ。私はこれを自分の人生の指標にして生きてきた。私はこうした知恵のある思想こそが現代の虚無から人々を救いだし、人と社会に豊かな未来をもたらす実践哲学だと思っている。

<世の中に神がいるわけでもなく、道徳や倫理や論理でさえも絶対的なものではないとすると、人生に意味はないことになる。こうした認識は人々をニヒリズムに導く。しかし、この問題を別の角度から眺めてみよう。そうすれば人生の意味や意義はそれぞれの人が自らの内部で作り上げるものだということに気づくはずである。人間だけがこの自由を手にしていて、創造的に生きることができるのである。人生に意味を与えるのは自分自身であり、大切なのは自分自身の決断や、生き方なのである>(橋本裕、「人生についての21章」より)。


2004年02月07日(土) 失われた日常

 最近、同僚のK先生の奥さんがなくなられて、お通夜に行って来た。死の原因はくも膜下出血で、倒れた後は意識が回復しないまま、一週間後に病院でなくなった。まだ40歳代の若さで、高校生と小学生の二人の娘さんがいる。お通夜の席で、奥さんを亡くされたK先生と二人のお子さんに会ったが、どう声を掛けて良いかわからなかった。

 おかあさんがおかあちゃんに変わってた死近き母に吾は叫びし

 故郷の電話番号押してみる亡き母の声聞きたく思ふ

 そんなとき、eichanのこの二首の歌を読んで、涙を誘われた。とても切ない歌だ。私の母は健在だが、この歌はよくわかる。心にジンジン響いてくる。普段はあたりまえのように思っている日常も、うしなわれてみると、実はとても貴重なのだということがよくわかる。

 日常を破壊するものの代表は、何と言っても戦争である。昨夜、名古屋ペシャワール会の集会に行ってきた。ペシャワール会はアフガニスタンで活躍する中村哲医師たちを支援する会で、ビデオやスライドを使って、現地の様子の報告があった。

 ペシャワール会はこの20年間、アフガニスタンで病院を経営し、毎年15万人もの患者に医療行為をしている。さらにこれまでに1000本以上の井戸を掘り、いまは大規模な灌漑利水工事をしている。昨年の五月以来、のべ5万人もの現地の人々を雇って、戦争で荒廃した土地を灌漑によって復旧し、人々に生活の糧を与えようとしている。

 岩盤のダイナマイト爆破回数が6千回にも及んだというこの工事が完成すれば、荒野のなかに1000ヘクタール以上の農地が生まれ、難民になっている人々が何万人も帰ってくることができる。現地の人々に生活の基盤を与えるこうした援助こそが本当に大切なのだろう。このたび現地を訪れた会員の人がこう語っていた。

「各国の政府の援助はカブールに集中している。しかしカブールの治安は日に日に悪くなっている。なぜかといえば、地方で食べていけない人々が難民になって都会に流れこんでいるからだ。カブールに行けば援助物資が手にはいると思っている。しかしこんな援助はあらたな難民を作り出すだけだ。彼らに必要なのは農地なのです。石油のないアフガニスタンは農業国なのですから」

 こうした地道な援助を、もう二十年間も現地で展開しているが、この活動も今これまでにない危機に直面しているという。去年の11月2日に、この工事現場をアメリカ軍のヘリが機銃攻撃した。アメリカ軍に抗議すると誤謝だと言うが、いやがらせとしか受けとれず、アメリカからの謝罪も一切ないという。

 さらに自衛隊のイラク派遣で、これまで日本人に対して友好的だった現地の人々の気持に変化が生じつつあるという。日本人だということで狙われない情勢のなかで、日章旗は消して活動しているという。現地で活動している柴田俊一医師は、「ペシャワール会報No78」にこう書いている。

<「日本は既にアメリカの一州になった」と言われて是非もなく、尊敬されるどころか、攻撃されるのは時間の問題でしょう。ひしひしと迫る破局の予感の中で、アフガニスタンの現状を見て、「この償いをどうしてくれる」と言いたいのが実感です。それでも悲憤を抑え、「だからこそ自分たちが此処にいるのだ」と言い聞かせ、砂漠化した大地が緑化する幻を見ては、わが身を励ますこの頃であります>

 その上、現在のような混沌とした政治状況が続けば、灌漑で生まれた畑に「阿片」が栽培される危惧もある。アフガンではタリバン政権が阿片の栽培を厳格に禁止していたが、アメリカの軍事行動で政権が崩壊した今、首都カブールを除けば、国の大部分で地方の軍閥が復活し、熾烈な勢力争いを始めた。彼らは武器を買うために阿片を栽培しようとしている。麦などの穀物に比べて、阿片は何十倍もの現金収入になるからだ。

「軍閥の力はあなどれないし、阿片を作るなともいえない。畑が阿片畑にならないことを祈るだけです」と報告者も語っていた。今、アフガニスタンはアメリカ軍のプレゼンスでどうにか平和を維持している。しかし、アメリカが撤退すれば、一日でカブールのカルザイ政権は崩れるだろうという。アフガンをこのように破壊し、生活の基盤をねこそぎ奪った大国の責任はたいへん重い。しかもアメリカはこのアフガニスタンの悲劇を、イラクで繰り返そうとしている。

 会場のビルを出ると、風は寒かったが、月が明るかった。月で思い出すのはアンデルセンの「絵のない絵本」だ。屋根裏部屋に棲む貧乏な絵描きに、毎晩、お月さんがその日に地球を旅して見た物語をひとつづつ語る。貧乏画家はその物語に慰められたり、涙したり、心が温められたりする。その多くは、悲しくて、切ない物語だ。アフガンの月はとても明るいという。お月さんはアフガンで、そしてイラクで、たくさんの物語を見ていることだろう。

(参考サイト)http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/


2004年02月06日(金) 初秋

25.病院からの電話

 修一が電話に出ると、少し早口の女の声で、
「失礼ですが、三田葉子さんのお宅でしょうか」
「はいそうです」
「私、S病院の者ですけど、葉子さんはいらっしゃいますか」
 相手は名前を告げなかったが、例の婦長だとわかった。

 修一は受話器の口をふさぐと、小声でガラス戸越しに、
「病院からだよ」
「今、出ます」
 葉子は頭にタオルをまいたまま現れた。服は白いワンピースだった。急いで着たせいで、後ろのジッパーが上がりきっていなかった。

 受話器を取った葉子の表情が、すぐに変わった。修一は島田に何かあったのかもしれないと、彼女の真剣な横顔を見つめた。
 電話を終えて、葉子は頭のタオルを取った。

「美智子ちゃんがよくないらしいの。私これから病院に行って様子を見てきます。今日はせっかくご馳走していただけそうだったのに、ごめんなさい」
「僕も病院へ一緒に行こうか?」
「いえ、私一人で大丈夫です」

 修一もこの眠ったきりの少女を身内のように感じていた。身寄りがなければ自分が引き取って育ててもよいなどと考えたのは、そのときの感傷からばかりとも言えなかった。
「そうか。それじゃ、美智子ちゃんのこと頼むよ」
 修一はソファから立ち上がった。

 葉子が玄関口まで送りながら、
「病院からの電話のことですけど、聞かなかったことにしていただけませんか」
「あの婦長さんからかい」
「はい。叔父が田舎から出てきたことにします」
「叔父さんか、それはいい」

 アパートを出た修一は、このまま家に帰ろうかと迷った。しかし、今頃は妻と息子はレストランに向かっているかもしれない。やはりさと子の店に行くことにした。


2004年02月05日(木) 明治維新と武士道

 北さんが日記に連載している「武士道のリニューアル」は面白い。北さんは武士道にも二通りあるのではないかという。たとえば黒沢明の「七人の侍」では、勘兵衛が子供を人質にして立てこもった盗賊退治をするとき、旅の出家に変装するために髷を切り落とし頭を丸める。これと対照的に、小林正樹の「切腹」では髷を切られたために病気と偽って登城しない体面にこり固まった武士の姿が描かれている。

「七人侍」に描かれた武士達は、農民から米を受け取り、その見返りとして苦境にある彼らを助ける。そしてそうした行為に中に、自らの誇りや存在意義を見出している。こうした武士道の根底にあるのは「ノーブレス・オブリージェ」の精神である。これをはっきり思想として打ち出したのが山鹿素行だ。北さんの日記から、「山鹿語類」の言葉を孫引きしておこう。

<農・工・商にたずさわる人々は、日々の仕事に忙しく、「人の倫」など尽くし得ない。だが、その民に食わせてもらっている武士には、そうした口実は許されず、義の実現に力を尽くし、農・工・商の三民の手本となって、彼らが平和に暮らせるように、この秩序を守り抜くことこそ本分なり>

 私が武士道に近づき、新渡戸稲造の「武士道」を読んだりしたのは、吉田松陰について研究を始めてからだが、松陰は山鹿流の兵学を継いでいて、萩藩の藩校で藩主を前にその講義をしたりしている。彼の一生を貫いているのはいうまでもなく、「ノーブレス・オブリージェ」の精神だ。そしてこの精神はどこから来ているかと言えば、儒教で、とくに「孟子」の「民本思想」である。

 松陰は獄中で「孟子」の講義をしている。獄から出て、松下村塾を開くわけだが、そこでも「孟子」を講義した。高杉晋作や伊藤博文、山県有朋などの逸材がここから綺羅星のように生まれていく。そして明治維新という偉業をやり遂げる。明治維新を実行したのは武士たちだが、しかし、それは武士の身分を守るためでも、その権力を強化することでもなかった。むしろ武士の身分を捨て、家禄を捨て、髷を切り、刀を捨てた。こうした自己犠牲的な革命は世界に類を見ない。

 明治維新は武士道精神から生まれた、というのが私の持論だ。そして私がいう「武士道」はいうまでも「葉隠」の武士道ではない。私が評価するのは、「七人の侍」で髷を切った勘兵衛の民を助けるために体面を捨てる武士道であり、孟子や山鹿素行に学んだ吉田松陰によって体現されている、ノーブレス・オブリージェの武士道である。

 武士道の本義は「公のために尽くす。そのために自己を最大限に活かす」ということにある。「公」とは何も小さな藩の世界ではない。それは日本であり、世界である。松陰は武士道をこのような大きな世界から捕らえ、実践的で戦闘的な理論に高めた。彼の思想を現代に生かすということは、つまり私たち一人一人が日本と世界に対して、こうした武士道的な独立自尊と博愛の精神を発揚することに他ならない。

(参考サイト)http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm


2004年02月04日(水) 春立ちぬ

 昨日は節分だった。夕食後、豆を食べた。子供がちいさいうちは「福はうち」とまいていたが、今は食べるだけである。ただ、心の中では「福はうち」と祈っている。なぜ、節分に豆をまくのか、よくわからない。こうしたことにくわしそうなtenseiさんと今日会うので、訊いてみよう。

 節分というのは「季節を分ける」という意味だ。従って節分の翌日から季節が変わって、暦の上では春である。つまり、今日が「立春」ということになる。つまり今日から次の節分の5月4日までは春ということになる。5月5日が立夏。少しまとめておこう。

○春(立春2/4〜節分5/4)
○夏(立夏5/5〜節分8/6)
○秋(立秋8/7〜節分11/6)
○冬(立冬11/7〜節分2/3)

 なお昼と夜の長さが等しくなる日が、春分の日(3/20)と秋分の日(9/23)である。その日を中日にして前後7日間を、春彼岸、秋彼岸という。tenseiさんが日記で書いているように、このくらいは日本人の常識として知っておいてもよい。ただし、上に書いた季節の区分は陽暦によった。陰暦では次のようになる。

○春(立春1/1〜節分3月末日)
○夏(立夏4/1〜節分6月末日)
○秋(立秋7/1〜節分9月末日)
○冬(立冬10/1〜節分12月末日)

 なお、「節分」と似たものに「節句」がある。日本人は昔から季節の折節には必ず自然の恵みに感謝してお供え物をしてきた。これが節句である。現在でも次の五節句が残っている。

  1月7日、七草粥で新年を祝う
  3月3日、ひなまつり
  5月5日、男の子の成長を祝う、端午の節句
  7月7日、七夕節句
  9月9日、重陽の節句

 俳句の歳時記では今日から春なので、日記の題も「春立ちぬ」とした。しかし、一般には春分の日(3/20)から立夏の前日(5/4)あたりまでを春としている。こちらのほうが、季節の実感にあっている。こうしたことがあるので、私たちはますます混乱する。

 春立ちぬ歳時記片手に句をひねり   裕


2004年02月03日(火) 自衛隊派遣はいつかきた道

 朝日新聞「かたえくぼ」に、「もはや戦後ではない。戦前だ」という投書が載っていた。隊旗授与式をテレビで見て、その感を深くした。ロボットのように整列して、小泉首相や石波防衛庁長官の訓辞を聞く派遣隊員の顔はどれも緊張でひきしまっていた。

 いったい彼らはどんな感想を持っているのだろう。フイルムで見た、軍国日本の出兵兵士の映像が甦る。それから、ふと、栗木京子さんの短歌「絵馬」の中の一首を思い出した。

 指さしてカシオペア座を教へくるる彼も整列が苦手なるらむ

 利権と金権支配の田中派・経世会の支配の一角は崩れたが、これに変わって、日本の政治を動かしているのは、保守本流の伝統をうけつぐ「神の国」の一派だ。その総帥である小泉首相のもとで、自衛隊派遣命令が出揃い、自衛隊の本隊520人がイラクに送り込まれることになったわけだ。

 これについて、自民党重鎮の野中広務氏や後藤田正晴氏、亀井静香氏が、「戦争への道」に導くものだとして警鐘を鳴らした。加藤紘一、古賀誠などの実力者が事態を憂慮し、「自衛隊派遣法」に反対した。そして野党をはじめ、多くの国民が反対した。国際社会の反応も冷ややかである。

 こうした世論にも耳を貸さずに、派遣を強行した小泉首相の責任は重い。どれだけの見識がこの首相に備わっているのだろう。ただブッシュ大統領のアメリカに尻尾を振るだけでは、日本と世界の将来が心配である。最後にもう一首、これは玉城輝さんの歌である。

 「勉強をみてあげたいのに」学徒兵従兄の別れの言葉忘れず

 イラクには厳しい現実が待っている。まさに戦場である。派遣された自衛隊員の皆さんの無事を心から祈念したい。


2004年02月02日(月) 初秋

24.女の部屋

 長いこと、呼び出し音が続いた。その間に葉子が洗濯物を抱えて後ろを通った。受話器を置こうとしたとき、息子の泰夫が出た。
「父さんだ。遅くなる。食事はいらない」
「母さんはシャワーを浴びているんだ。伝えておくよ」
「たのむ」

 修一が切ろうとすると、泰夫の声が続いた。
「僕たちはこれから外食するよ。今日は母さんの誕生日だから」
「ああ、そうか」

 修一は言われて初めて気がついた。妻の芳子の誕生日など、これまでも気にかけたことはない。それはおたがいさまで、修一も自分の誕生日に何かしてもらったことはなかった。何日か経って、ああ俺も一つ歳をとったのかと思い当たる。

「それじゃ、母さんにご馳走してやってくれ。レストランの費用は俺が出すから」
「いや、お金は僕が出すよ。バイト代が入ったからね。あまりご馳走はできないけど、新栄にアットホームなフランス料理店があるんだ」
「そうか、それじゃ、母さんによろしくな」

 電話を切って、修一はソファに腰を下ろした。葉子と「さと」に行くのを止めて家に帰ろうかと思った。今なら、電話をすれば間に合う。もっとも妻は泰夫と二人での外食のほうを喜ぶかも知れない。修一は葉子のいれてくれたお茶を飲みながら、ベランダを眺めた。いつの間にか暮色が深くなっていた。

 葉子がキッチンから戻ってきて、
「シャワー、おつかいになりますか」
「いいや、いいよ」
 汗を流したかったが、下着の替えがあるわけではない。
「それでは、私……。よかったらテレビでもごらんください」
 葉子はコントローラーを修一の前に置くと、キッチンと居間のガラス戸を閉めた。

 2DKの質素なアパートだったから、脱衣室はなくて、キッチンの片隅で着替えなくてはいけない。キッチンの隣りが浴室のようだった。シャワーを浴びている葉子を想像して、修一は落ち着かなかった。テレビのコントローラーに手を伸ばしたとき、ステレオの上の電話が鳴って、修一はどきりとした。

 立ち上がったが、受話器を取っていいものか迷った。葉子の声がガラス戸越しにした。
「すみません。ちょっと出ていただけますか」
 葉子の声に促されて、受話器を取った。


2004年02月01日(日) 宴のなかの食糧危機

 20世紀の後半50年間をみると、世界の人口は25億人から60億人へと2.4倍になっている。この間、穀物の生産量は3倍に、食肉生産量は5倍に増加した。科学技術が発達し、品種改良がすすみ、化学肥料が大量につかわれて、稲、麦、トウモロコシの世界三大穀物の生産量が飛躍的に伸びたためだ。

 こうした「緑の革命」のおかげで、穀物は量的には足りているが、世界には一日1ドル以下の生活を強いられて飢えている8億もの人々がいて、しかもその数は増え続けている。それは大量の穀物が飼料として、牛や豚や鶏に大量に与えられ、その肉や卵を私たちが大量に食べているからだ。1kgの牛肉を生産するには、7kgもの穀物が必要だという。

 世界の穀物生産量は年間約20億トンで、日本人の穀物消費量は1石(150kg)と言われていたが、今は60kgぐらいしか消費していない。その分、肉などを食べているわけで、それも含めて穀物に換算すると、一人当たり年間約300kg以上になる。しかしさらに上を行くのがアメリカ人で、彼らは約900kgも食べている。

 先日放映されたNHK教育テレビの番組によると、もしアメリカ人と日本人が5回に1回だけ牛肉を食べるのをやめれば、この地上から飢えがなくなる計算になるそうだ。トウモロコシ6億トンの内、4億トンが家畜の飼料となっているが、この一割あまりをこうした人々への食料にまわせば、世界の飢餓は解決できる。

 同じNHKの番組で、アメリカとインドの荒廃した農地が紹介されていた。「緑の革命」で大量に収穫する必要から大量の地下水を汲み上げた結果、地下水が枯渇し土壌が砂漠化し、塩分が浮き出して真っ白になっていた。インドのパンジャブ地方に住む老農夫が、その荒涼とした白い土地にたたずみ、「ここにはかって豊かな穀物がみのっていました。私が年老いたように、土地も又年をとってしまいました」と悲しそうに語っていたのが印象的だった。

 ウイリアム・コスグローブ博士は、「川に集まる水よりも多くの水を使い、数千年かかって蓄えられた地下水を穀物生産のために数年で使い切ってしまっている」という。実際にアメリカの中西部にあるオガララ滞水層の水位は15年間で12mも低下してしまった。このため灌漑農業に頼ってきた農地が次々と放置されているという。

 人間が1日に飲む水は2リットルに過ぎない。しかしそれ以外に、散水やトイレなど、生活用水として多量の水を使っている、日本人の場合その量は322リットルにもなる。これはアメリカの425リットルよりは少ないが、ヨーロッパの280リットル、アジアの132リットル、アフリカの63リットルよりは多い。

 緑の革命によって飛躍的に増大した人口を養うだけの穀物生産が今後可能かどうか、自然破壊がすすむなかで疑問視されている。現に穀物生産高は1983年をピークにして減産気味だが、これは水不足や土壌砂漠化がおもな原因と見られている。

 狂牛病や鳥インフルエンザの流行も人為的な環境破壊の影響が大きい。人類の文明はいま、大きな曲がり角にさしかかっている。自然の発している警告に私たちはもっと注意深く耳を傾ける必要がある。アメリカと並んで大量消費文明の最先端を走り続け、しかも穀物の70%以上を輸入に頼っているっている日本には、世界の将来に対する責任と義務がある。


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