続・無気力童子の紙芝居
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真実は明かされないまま
そこに留まっていた思いや存在の証明、空気。 それら全ては時間の大河に流されて 最後には 小さな小石を残して 全て なくなってしまう。
私たちは 本当のことを 知りたいと願うけれど それは「安心をしたいから」ただそれだけのこと。
安心できない真実ならば、そっと 弔いましょう? だけれども 真実の甘さは 私たちをひきつけてやまないのです。
どうかどうか 優しい人が 一人で苦しむことの無いように。
2005年06月26日(日) |
Dilettante |
発売になりました。 ALI PROJECT、オリジナルアルバム「Dilettante」
キタ━━(━(━(-( ( (゚∀゚) ) )-)━)━) ━━ !!!!! これぞ真髄、片倉様とアリカ様の「やりたかったこと」が重なったのだなぁ、と感じる一枚。 印象が違う、とか アリプロらしくない と思う人もいるかもしれませんが あたしは こっちが本当のアリプロだと思います。
以下、自分なりの見解と こふろうとの会話の中から見つけた事柄。
全10曲、一つ一つが濃厚で、深く立体的な印象 バックの打ち込みがより厚く、浮き立つ旋律は煌びやかに そこへ男性コーラスが入ってなんともいえない肌触り。滑らかで光沢があるのだけれどどこか安心できない感じ。 コーラスが肉声としてガンと入ってくる その存在感はかなりのものだなあ。 ミスマッチかと思えばそうでもないんですよね。 決して音がザラザラしているわけではないのですが ドットが見える音、です。というか音の粒子一つずつの動きが見えるのかな。 こふろうはレゴブロックに例えていた。言い得て妙。
ここ最近アリプロが世間に認知されつつある「ヨーロピアン」だとか「ゴス(または世間一般がいう【ゴスロリ】のイメージ)」だとか、アリカ様の見た目のキャラ(言葉までを正確にとらえているファンは少ないように思う)といったイメージを 固められる前に崩しにかかる、そんなところが大好き。 カッコイイの一言。
「これだけやって、ついてこれる奴だけ来なさいよ わからないなら、それでいいわ。」 ここまで傲慢な音を作って許される土台が 漸く出来たのですね。
ライブが楽しみで仕方ない。 大阪はロリ、東京はチャイナ+ジャポネスでキメていきましょう
あっという間だった。 えっもう金曜日!? みたいな…
これは歳をとるはずだ。まえ山脇とも話してたけど 平日がどどどどどーーーっと通り過ぎていく。 休日も 結構な勢いで消費する。
なんていうか、一日一日を刻み付けるようにしていかなきゃなぁ。 積極的に死に向かって時間は流れていくから 峠を下りだす前に。 突然の崖に飛び込む前に。
掴めるものは掴んで、捨てるものははやめに手放して。 身軽にかつ慎重に生きていきたいな。
もう11冊目なんですね…季刊誌なのになぁ。 2002年年末の日記に第一号のことが書いてあります。 はやいもんだ。
サテ、迷走しているように見える<季刊エス>です。 編集者の趣味と時代のなんやかやで、不思議な立場の雑誌になってしまいました。
この違和感はなんだろう。 紹介しているものと、紹介されたい者に ズレがあるのかな。 絵を描く若い人間がなにかに惹かれて読んでいるのでしょうが、 その人たちの目指すものと、この雑誌が紹介しているものが違いすぎる。
例えば。 マンガやイラストレーター専門学校の広告がスパスパはいる雑誌に ドキッとするような、死の臭い。 わかりやすく言うならば、アニメージュと夜想の混在。 わたしはアニメや漫画を否定しない(むしろ肯定派)人間ですが それでも違和感を感じる。むしろ否定しないからこそ感じるのかもしれない。
何を言っているのかわかる人間とわからない人間がいると思いますから砕いて言おうかな。 本来ならば棲み分けができているはずの世界をかき混ぜてしまっていることが不快なのです。 自分自身の中でも趣味に優劣があるのかもしれません。イケナイことだね。 趣向的ヒエラルキー。マイノリティーにありがちな自尊心。 自分もヲタクですが、群れる腐女子だとかセンスのかけらもない自称絵描きなんかは大嫌いです。 そして自分はそうでないと言い切れます。 それは置いておき。
棲み分けの出来ているはずの世界を混ぜ込んだ結果 それぞれのコアなファン層は敬遠、残るのはミーハーな、顔のない、少年少女。
ここ2,3年で世の中全体が、ゴスというか 死や精神世界 を重んじるようになっていると私は感じていて だからこそ、積極的にそういったものを取り上げているのでしょうけれど。 目新しさと奇抜さ。それで若い何も知らない人間を釣っているように思えてしまう。
個人的には 興味本位で簡単に手を出してほしくはない。 それなりの苦労または体験をして知ってほしい世界。 あたしが歳をとった証拠、ヘンな意地なのでしょうか。 老婆心?笑えますね。 読者側は、本来ならば積極的にそのようなものを見たがる層ではないような気さえするんです、 たとえ好きだと言っているとしてもそれは 自分と他者との区別のためのカードに過ぎない。
「ほらね私はつまらないあんたたちよりも優れている」 「今に見ていなさい私は普通の人間とは違うのよ」
権力争いに負けた弱気な 自称病気系 自称アート系 が蔓延する時代 そんな愚かな子どもたちに食われてしまわないでほしい。 そんなことを思う自分が一番哀れだね。
結局一番力を持っていないのは、あたしだなぁ。僻みなんでしょうか、忌々しい。
2005年06月20日(月) |
あぁ このまま2度と会えないとしたら |
最後の一週間 最後の一ヶ月
あたしの対応はあんなふうで というか疲れていて 日常がいつまでも続くと思っていた自分のなんと愚かしいことか
伝えたいことはたくさんある 楽しみにしていたこともある これからやろうとしていたこともある
お願い、無事でいて。
久々にもふに会う。だらだら。 疲れてるところ申し訳ないです。
時期のせいかなんなのかヘタレめぐろうですよ。 あぁ、いやだなぁ。
そういえば考えることをしなくなって久しい 自分の中から言葉が抜け落ちていく感覚は 決して快いものではないね ただ 目の前を時間とか熱が通り過ぎるだけで あたしはからっぽ。
頭がぼうっとして なにも記憶に残らず きがつくと 歳をとって
それが こわい。
いない
それだけのことだ
不安に思うな 余計な想像をするな
でも 生きていて。
とか… だるいわ〜 廃品回収。むむむ
久しぶりに大航海時代やったら おもしろかった。 人の縁ってすごいもんだなぁとか思ったりします。 ニンニン
黒色すみれ。 (http://www.kokusyokusumire.jp/) 大阪っす〜〜。 今日はロッタと一緒のはずだったんですが、 いい年しておたふくにかかっていたので、おいらソロです
お昼の公演ということで(深夜にコルセットPTが控えていたからかな) 11時半には会場前に。明るいアメ村、なんか久しぶりです。
運良く?一番前に座れました、全9曲+アンコール4曲 かわいかったなぁ。 ヴァイオリン+アコーディオン とか ヴァイオリン+シンセ なので 伴奏が薄くなりがちなんですが それすらもなんだか演出のような。 うん、よかった。また行きたい。
んで大阪いくとやっぱり服買っちゃうのよね。おほほ
フオン。不穏がきた。
何があったわけでもないから 意味のない文章 そして なにか捕まえたわけじゃないから 重みもない文章 フワフワ。
さぁ、何が気に入らないのか考えてみよう。 仕事ができないのは自分の努力不足。それはしかたない。
と、なると例によって例の如く人間関係かぁ。
でも今回ちょっとあったことはおいらには関係ない。 対岸の火事、馬鹿にして笑っていればすむの。 なのに、あたし なにしてる うずぐず。黒い固まりを吐き出して。
周囲が幸せならそれでいいじゃないか。 いま 自分のどこにも不満はない、対人関係において。 ただ、ただ なんなんだろう 誰かの不安が、流れ込んでくるんだろうな
彼らも生きたいんだ、って 今言ってる人がいるけれど。 生きたい、生きたい、生きたい それはうまれ落ちてしまった自身への償い、律するための何か。
そうではなくて
気に入らないのは 単なるあたしの我侭だ。 こんな狭い、退屈な、場所でもがいても 何も手に入らない。 でもそれを選んだ、安穏と、プカプカと、時間を費やすのがいい。
そして結局、 性別なんかなくなればいいんだ。 この一言が あたしの望み全て。
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