日々の泡

2001年06月26日(火) ボーナスって何様?

ちょっと前のTVを見ていたら、父の日にかこつけて
「お父さんの権威が落ちた」ことを話題にしていた。
何十年も繰り返し使われてるネタだけど、
年中行事のように変わりばえしない企画が苦手な人にとってはつらいだろうな
(私は苦手です)。
「権威が落ちたのは三億円事件のせい」
ああはいはい、三億円のせいでボーナスが銀行振込になったのね。
このネタも二十年前と変わらないなあ。既に日本史の一部だからか。
会社の規模にもよるだろうけど、ボーナスだけは現金手渡しを続けてたところも
多いんじゃないかしら。それこそ社員に対する権威を大切にして。
「会社→社員」すなわち「お父さん→家族」て図式なのかあ。
(そういえば夏のボーナスってお中元・夏のレジャー合わせだと思ってたけど
父の日も意識してるんだろうか?)

いずれにしても、TVや雑誌や広告を見ていて、
ボーナス中心に世界が回ってるような今の時期はいつもピンとこない。
売る立場の人にとっては大事な勝負どきなんだろうから仕方ないけど。
ボーナス出ない職業の人っていっぱいいると思うのに、
この時期ばかりは蚊帳の外なのだろうか?(痒くなってきた)。
親の仕事にボーナスはなかったし、自分もボーナス貰う仕事についた年数は短いので、
かつては「クレジットはボーナス払いで」とか「ボーナスはぜひ当行の定期預金へ」
なんて言葉を聞くとうんざりして、この時期にはなるべく
銀行の窓口時間には行かないようにしていた(向こうも私みたいなのに用はないわけだし)。
景気が悪くなってから、昔ほど派手なボーナス商戦が目の前で展開されてないのだけが
気分がいい。
いや、もちろん景気はいいに越したことはないんだけど。
銀行は、今ぐらい静かで落ちついてる(笑)方がいいなあ。



2001年06月15日(金) とりあえず締め。

ここしばらく、何を書きかけても気持ちが乗らず、自分の好きなことや
目先の面白いことについて語ろうとしてもすぐに気力が萎えてしまっていたのは、
やはり事件のせいで意気消沈していたせいだと認めることにした。
身近な人との間でも、自分を含めて誰もあえてその話を持ち出さないし
(勤めをしていないので、限られた人としか接触していないせいもあり)
迂闊にそういう話題を耳にしても気分が悪くなるだろうから
その方がいいと思っていたのだけど。
やっぱり何も言わないでいるのもまたイライラするので、
Web日記に書きたい話題ではなかったけど、少し呟いてみた。

あれをやった人は、どっちかというと
「カルトリーダー向けの嫌な性格」の持ち主かも、と漠然と思っていたことに、
この一週間ぐらいでかなり確信をもってしまって気持ちがわるい。詳しくいうと、
誇大妄想的で自分も人も騙すのが得意で、
人の幸せを絶対に許せない激しい嫉妬心と被害妄想を持っていて、
自分の力でどれだけたくさん人を壊せるかということに情熱を集められる人。
「たくさんの人の心が壊された」と感じたのは、地下鉄サリン事件のときもそうだったけれど、あの時はまだ怒りを感じる余裕があったのに、今回は無力感しかない。
サリンのときはあれだけ組織的な犯罪で日本人の心を存分に傷つけて、
首謀者はさぞ得意だったろうと腹立たしかったけれど、
個人の力でいとも簡単に同じことができると今更のように気づかされてホントにがっくりきた。
くどいようだけど、壊すのは笑えるくらい簡単だ。たった一人の力で、
無数の人の心に傷をつけることができる。直すのはとても難しいのに。

第三者の私が怒る余裕もないくらい腰が抜けてるのだから、
事件の当事者はどうなってしまうのだろう。
きのう、犯罪者の精神的治療について日本は遅れてるらしいと書いたけど、当然
被害者の精神的ケアについてもすごく遅れてるんだろうなあ。
サポートにあたる側だって、前向きな意欲をもって行動するのって難しいと思う。
相手の傷が深いから。
心細い話になってしまったけど、手がかりがほしいなあ。



2001年06月14日(木) 続けてみた

すぐ続けるつもりで、一旦やめてしまった前回の続き。

自分はそんなにユニークな感性や思考の人ではない、というか
自分が考える程度のことは他の人、とりわけ「有識者」みたいな人が書いたり言ったり
してるもんだと、おおむねそう思って生きてきたものでしたが。
オウム事件あたりから、マスコミを見てて自分の思ったことを簡潔に代弁してくれるような
コメンテイターを見つけにくくなってしまったのね。
それだけ、難しい出来事が多くなってきていると言えるのでしょうか。

たとえば「死刑」について、私はこれを
「いいとか悪いとかいう以前に、『無理』だろう」
と思っている者だけれど(詳細は略)。
その理由について、自分が思ったのと同じことを書いている人を見たことがない。
恥ずかしながら関連書を探して読んだりはしてないが、新聞の社説やコラム読んでる
レベルでは目に入ってこなかったと思う。

‐‐
先週の事件のすぐあと、テレビで聞いたうちでいちばん納得できたのは
「精神病と診断された人でも、犯罪傾向の人と普通の人は分けて考えなければいけない。
施設も医者もルールも、一緒くたでは間に合わない」という話だった。
犯罪者タイプの精神病者はすごく危険で、ふつうの精神科医の手には負えない。
他の患者や医師や職員に危害を与えそうな者を普通に扱ったり、
「責任能力がない+普通に生活はできる=野放しにする」ってのはいけないことだ。
当たり前のことだと思うんだけど。日本ではこの辺をちゃんと分けてないし、
専門家も育っていないらしい。

ちょっと話がそれる。人をグループ分けしては
「○○(←たいていはマイノリティ集団)は性格がいい」「いや、悪い」というようなことを
真顔で議論する人たちがいる。
というか、身近にいて、すごく嫌だったことがある。
本当は「美人じゃない女性のグループ」も
「心身にハンディキャップがある人のグループ」も
「田舎者(自称他称を問わず)のグループ」も
それぞれ、イイ人も嫌な人もいるんですけど。
って。いや、そういう当たり前のことをわざわざ真顔で言いたくなるくらい、
「○○は〜」って決めつけた言い方を好む人が多すぎるのよ。ぷんぷん。

まあ、そういう感じで。
「頭の具合が悪い奴はみんな危険だ」というぞんざいな考え方が習い性になってると、
人に危害を加えないほとんどの精神病患者を牢屋みたいなとこに閉じ込めて
本当に危険な人はいつまでも野放しのまんまで平気ってことに、なりやすいんじゃないかと。

「責任能力のあるなし」にかかわらず、人を殺しそうな人は外に出さないってことには、
どーーしてもできないんでしょうか?
既に殺人や傷害をやってしまった人にしか適用できないかもしれないけど、せめて、
精神鑑定で赦された奴やお礼参りに来た奴に殺される話ってのは、二度と聞きたくない。
さきに言ったように死刑は考慮に入れないので、終身禁固ってことで。
だけど何かの間違いで赦されたり、脱走されたり、誰かの悪意で逃がされたりしたら
大変だから、動けない状態にしておいてほしい。薬漬けでもいいし。
…そこまで考えたら、すごく哀しくなることを思い出しました。
普通の(悪いことをしていない)精神病患者が、そのくらいひどい扱いを受けてることって、
珍しくないわけですよね。

今更なんだけど、凶悪犯罪を犯した人って、
自分には何の咎もないのに精神病になった人とか、ハンセン病を患った人とか
(以下たくさんありそうだが略)に比べて
格段に!いい待遇を受けられるわけですよね。
心は壊れてるけど頭のいい人が、わざと悪いことをするのも無理はないよね。
ああ、世の中って不公平でできてる。
というオチになっていいのか。いや、不公平はなくせない。でも酷すぎるのはちょっと。
そんな「不公平の実例」を、いくつもいくつも思い出させられて、
そういう意味でも、いやな出来事でした。



2001年06月09日(土) 今日は特別…

あまり生活感のあること(笑)とか、時事的なネタは書かないことにしている日記ですが。
どうせ見る人もほとんどいないのをいいことにちょっとだけ外れてみます。

‐‐
ものを壊すのは簡単だけど、つくるのは楽なことではないし、
ましてや酷い力で壊されかけているものを(けれど壊されたら取り返しのつかないものを)
必死で支えて修復しようとする仕事の、なんと大変なことか。
どうやったら確実に救えるかなんてことはわからないし、
努力したわりに成功率は少ないかもしれないし、
失敗した場合、結果だけを見て気軽に批判をする人たちから
壊した人よりも直そうとして失敗した人が悪いかのように糾されるかもしれないけど。
面白い絵になりにくいので、マスコミで効果的に取り上げられることもないだろうけど。
でも、そういう仕事をしている人たちがいる。
少数だけどそれを気にかけている人たちがいて、
だけどあまりに地味でつらい仕事なので、やろうという人はきっと少なくて。
もっと簡単にカタルシスの得られること、たとえば
「凶悪犯罪者には死刑を!」と叫ぶことなどよりも、やる人はずっとずっと少なくて。
……
慣れないことを書いたら、やはりまどろっこしくなってしまいました。

壊されかけていて、壊されたら天下の一大事で、しかも
本気で直そうと思ってる人は少ないという代物は、「子供の心」です。
災害とか犯罪被害(虐待も含む)でトラウマを負った子供を放っておいて、
その子が深刻に人を傷つけるような者にもしも育ったら、
放っておいた私たちは何か言う資格があるんでしょうか。
ちょっと前まで「しつけ」「愛の鞭」だと認められていたものの一部が(一部ですよ)、
実は虐待であり、一見なんの害もないように見えて実は
「孫子(マゴコと読んでください)の代まで祟る」伝染性の病だとわかったとき、
とても怖いものが見えてきました。

私は、とんでもなく酷いことをする人を見たとき、必ず
「この人も、無辜の赤ん坊だったときがあったんだ。
かわいい盛りの子供だったときがあったんだ」ついでに
「この人も子供のころに事故か事件か災害でキレイなまま死んでいたら、
涙で送られて天国へ行けたはずだ」
と反射的に思ってしまう、とても嫌な人です(天国を信じていないくせに)。
その上、「教育」なんていう、労多くして結果の見えにくい分野、
報われなさそうな分野には絶対近づきたくないという怠け者でもあります。
(中学のとき社会の先生が、
「教育はすぐに結果が出ない。良い結果も悪い結果も出るよりさきに、公務員はみんな
異動になる。カネにもならない。だから行政が教育に力を入れることは少ない」
と教えてくれたことを、何度も実感しました。)

その怠慢をつくづく思い知らされる昨今ですので、
壊されかけてる心を修復しようとしている人たちについて少しでも学ぼうと思ったけれど、
教育アレルギーの影響か、なかなか勉強が進みません。
……あー、恥ずかしいなあ。


 < 往  一覧  来 >


蟻塔

My追加