月曜日は彼氏のいとこのシゲオくん(といっても多分35歳くらい)の誘いで、青梅に行った。
シゲオくんは大学時代に本を出して以来ずっとフリーライターをしていて、自分の著作を出版しながら生計を立てているすごい人だ。得意分野は旅行ルポで、ここ2年間は奥さんと2人で世界中をぶらぶら旅していたという。
どんなジャーナリストがくるのかとドキドキしながら青梅駅で待っていたら、コアラのイラストの入ったぐだぐだのTシャツを着た大人が近づいてきて、「こんにちは」と頭を下げる。足もとはなぜかビーチサンダル。私はひとめで、大好きになった。
なぜ青梅かといえば、みんなで河原にいってバーベキューをするのだという。メンバーは私たち以外に、シゲオくんの大学時代の同級生。なんとなく男の人が数人集まってくるのかと思っていたら、同級生はすでに家族持ちで(歳を考えたら、そりゃあそうなんだけど)私たちを入れると4世帯(?)―うち子どもが4人―総勢12人の大所帯になった。
シゲオくんの同級生だという人々がまた変わっていて、そのうちの一人は大手出版社勤務だというので襟を正しつつ対面してみると、今度は相手が「木村屋総本店」のパンの絵が描かれたTシャツを着ており(ヘンなTシャツの人、私好きなんです)、奥さんに「パパ! これ運んでよ!」などとことあるごとに怒られ、完全に尻にしかれている。その上子どもがどうしようもなくやんちゃで、特に末っ子の男子はお得意のち○こ出しをするわ、バーベキュー用の木を川に流して怒られるわで、現場はカオスだった。このカオスは私にとって本当に居心地がよく、その上河原で食べる焼き肉は、牛も豚もラムも、全部おいしかった。
そういえば。こうした幸せな家族の図を、私は久しぶりに見た気がする。子どもがたくさんいてにぎやかなせいもあるのかもしれない。特別おしゃれだったり変わったことをしたりするわけじゃないのに、家族が家族としてちゃんとまとまっていて、一人ひとりに存在意義がある。何年ぶりかで押入から引っ張り出してきたバーベキューセットをもって河原に来る、つまり私が育った家のような(失礼を承知でいえば)、平凡な、家庭。
帰りにシゲオくんに、「なぜ青梅に住むことにしたんですか?」と聞いたけど、「なんとなく」と言って教えてくれなかった。本当になんとなくなのかもしれない。だけど、「センスがいいよね」と彼と話しながら、窓の外が真っ暗な青梅線に揺られて帰った。
私のメイク道具腐蝕について、たくさんのご意見いただきありがとうございます。反省しました。嘘です。半分くらい、今のままでいいと思ってました。面白ければ。でも、あんまりみんなが腐ってるっていうから、やっぱり反省しました。ごめんちゃい。
仕方がないので、私の周りでは比較的まともに女子道を進んでいらっしゃるミキちゃんに相談してみました(久しぶりに会ったら、「グアムでロレックス買っちゃった☆ 三十路のご褒美っ」だそうです。バ○…)。彼女から出た意見は次の通り。
1)とにかくお店でサンプルをもらえ 2)マスカラとアイシャドウをせよ 3)毎日続けること!
だそうです。
ちなみに、みなさんからアドバイスのあったパウダー(お粉)ってものが何なのかよく分かってなくて、パウダーファンデと何がちがうのら?と思ってたんだけど、その違いもちゃんと教えてもろうたです。
オススメだというRMKのお店に行って、早速サンプルもらってきましたよ、これ↓。今、世のメインはリキッドファンデなんですね。
家に帰って半信半疑で塗ってみたらこれが凄いのよ。毛穴がみるみる消える。肌の中から光沢が沸き上がってくる。 AYUだよ、私。 嬉しくて鏡の前で何回か微笑んだよ。そうか、今までモテなかったの、化粧のせいだったのかと。私の彼氏おめでとう。ダイヤの原石を拾ったねっ、と。
ところが微笑んでるうち、3分くらいでなんか肌が疲れてきた。重いの。息してない感じ。仕方なく微笑みAYUを中断して顔を洗ったら、顔は軽くなったけど今度はいつもの顔に対面してゲンナリ。
そうだった、原宿におでかけしてた高校生の頃を思いだしたよ。高揚してこれだ!って思って自信満々で自分を見せびらかすんだけど、帰ってきて服を脱ぐと今までの自分が全部バカみたいに思える。萎える。だけどまた高揚したくて次の土日にはおめかしして出かける。こういう繰り返しに疲れて、私はこれまですっぴんでいたのではなかったか。ありのままの私。ラララ……。ありのままの魅力。ルルル……。
とりあえず、週末のメイクアップレッスンを予約してきました。本気です。とにかく初めての経験なので、ひとまずひげでもそって準備しようと思うよ。と、めがねにすっぴんでこれ書いてます。寝ます。
化粧するのが嫌いです。オーガニックなポリシーがあるとかそういうことではなく、肌が特別きれいだというわけでもなく、ただ、面倒で時間がかかる上にどう見ても肌に悪く、その上落とすのがくそ面倒なものをわざわざしなければならない理由が見あたらないからです。
毛穴とかクマとかシミとかそばかすのある肌を、ちょっと人様にさらして「恥ずかしいワン」と思うリスクと、上記のリスクをはかりにかけた結果、私はすっぴんで過ごすことを選んできました。25歳になった今も、打ち合わせなどで社外(特に初対面)の人に会う場合以外は、すっぴんで出社しています。合コンとか友人の結婚式とかはメイクするわよもちろん。TPOはわきまえてるからいいじゃん。
どうしていきなりこんなことを書いたかというと、先日鹿児島から上京してきた自称「化粧をせずには外に出られない」友人、とうごうちゃんと話していて、私ってやっぱりちょっとまずいかな、と思ったのがきっかけなのでした。
私:そろそろ化粧しなきゃやばいかな〜と思うんだよね。お肌の曲がり角の25歳だし。
と:私は化粧しなきゃ外出られないよ。 注)とうごうちゃんのすっぴんを見ましたが、全然私よりきれいなぷるぷる肌で、私からしたらよゆーで外に出られるどころかすっぴんで合コンしたらモテるだろ、レベルなのですよ。
私:でもな〜毎月化粧に使う予算ゼロ円だからさ〜。金を捻出するのが面倒。
と:ゼロ円って、すごいね。ファンデとか、2カ月くらいでなくなるから、それだけで金かかるよ〜。
私:ファンデか。私のプラウディア、大学時代から使ってるやつだよ。チークもハイライトも、下地も全部そう。5年モノだわ。
と:腐ってるよ……それ(物理的に)。
ほいで、おいらの腐ってるポーチの中身はコレ↓
(奥左から) ●コンシーラー(資生堂「ff」)……クマを隠してます。資生堂のこのブランド、観月ありさがCMしてたんだよな。もうないです多分。
●ファンデーション(資生堂「プラウディア」)……薄づきなのにとっても優秀。これもマキアージュに飲み込まれてすでにないブランド。
●チーク(ブランド不明)……一時流行った「クリームチーク」の安いやつ。血色悪いと言われるのでぐりぐりつけます。
●眉毛パウダー(セザンヌ)……何はなくとも眉毛だけは毎日描いてます。ドラッグストアで買ったお気に入り。でも眉毛がヘンてよく言われる。
●下地(資生堂「クレ・ド・ポー ボーテ」)……お母さんにもらった高〜いやつを大切に大切に大切に使って今に至る。これもポーチ内で最年長かも。
●ハイライト(マリー・クワント)……ほんとはアイシャドウの下地らしいんだが、鼻筋にべちょっと塗っている。大学時代のバイトに元マリクワのお姉さんがいて、もらった。
なんだかなあ。でも共感してくれる人けっこういると思うんだけどなあ、お風呂が面倒くさい同盟と一緒で。……週末にデパートで一式買ってこようと思います。めんどくせえ。
先週は、心が渇いていた。というと大げさだが、一週間に一度も、料理が作れなかった。外食を一週間続けると、確実に体がおかしくなる。よく考えてみれば、食べ物が体を作るのであり、私のほぼ全部は体によりできているのであり、ということは、食べ物がおかしくなれば、私がおかしくなるに決まっている。
今日は昼過ぎに起きだして、徹底的に家事をした。毎週思うことだが、家事をすると、心が潤う。家のほこりを払い、机や本棚、台所の床を水ぶきをして、畳に掃除機をかける。1週間分の洗濯物を洗う、干す。いくら美術館や映画館で立派な芸術を鑑賞したところで、これをやらなければ絶対に満たされない。きれいになった部屋で読書をして、その後書評を読むのが好きだ。
今週は松岡セイゴオセンセイの本を読んでいた。本の中で、「お釈迦様」という言葉が出てきて、なぜかふっと、おばあちゃんちの仏壇を思いだした。
私にとって最初に頭に浮かぶ「おばあちゃんち」は、母方の、大宮にある家のことだ。おじいちゃんは私が幼い頃になくなったから、そこを「おじいちゃんち」とは呼ばなかった。お盆とお彼岸には、母に連れられて必ずおばあちゃんちに行った。大宮のルミネでフルーツを買って、母はそれを仏壇に供えた。私にとっていとこがいる日は“あたり”で、そうでない日は退屈だった。だらだらとお菓子を食べたりお茶を飲んだりして母が「帰るよ」というのを待った。
母はいつも、おばあちゃんと世間話をした。あそこの娘さんはまだ結婚しないだとか、あそこのじいさんが競輪で財産すべてうっぱらっただとか、あそこのばあさんが亡くなっただとか。中学を超えたくらいから、2人が話す内容が私にも分かるようになってきた。おばあちゃんは気が強い人だったから曲がったことが嫌いで、言うことはとても保守的だった。家ではどちらかというとヒステリックに見える私の母が、たいていは聞き役に回って、中立的な返事をしていた。私は、女2人のゴシップを聞くのがだんだん好きになった。母の姉妹(母は4姉妹の3番目)が来ていると、そのおしゃべりの輪はさらに大きくなった。
おばあちゃんちに一番最近行ったのは、おばあちゃんのお葬式の日だった。おばあちゃんが亡くなってから、私はあのお仏壇を見ていない。おばあちゃんがおじいちゃんのように、あのお仏壇に当たり前のようにおさまっていると思うと、とても不思議な気持ちになる。おばあちゃんが死んでしまったことが、私はまだあまり信じられない。おばあちゃんはおばあちゃんのまま、心の中に、なんとなく生きている。いつもいつも思いだして涙が出るわけではなく、でも全く忘れる訳でもなく、ふっと、記憶に甦って、また消えていく。
おばあちゃんが施設に入った時、なぜ私はもっと、会いに行かなかったのだろうか。確かに私は、それを避けていた。恥ずかしかった。それに、あの毛布が幾重にも重なっている病院のベッドが、なんだか嫌だったのだ。
今日、NHKスペシャルを見ていて、そんな自分の心にあったずるい気持ちの周りをばらばらと暴かれたようで、恥ずかしくて恥ずかしくて泣いてしまった。本当に、いい番組だった。途中で辛くてチャンネルを変えたけれど、やっぱり戻してもう一度見た。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070916.html
家族の暮らしは、別に毛布が重なったベッドの上だってちゃんとできるんだと思う。私はこれから何があっても、それを忘れてはいけないんだと思う。
ブックファーストの閉店間際、買うかどうか悩んでさえいなかった魚喃キリコのマンガを買ってしまう。こんな帰りの電車でサクッと読める恋愛依存症マンガを、私はすぐにブックオフに売るだろう。そんなことを思いながらページを繰ったはずが、結局愛だ恋だしか描いていないはずのものにけっこう引き込まれて、あっという間に読了する。
不思議な作家だ。結局何を訴えたいのかよく分からない。自分でも好きなのか、嫌いなのかをよく分からない。
鹿児島から友人が来て、一緒に根津に行く。
七つ森。
さてここはどこでしょう。
土曜の夜に『となりのトトロ』をビデオで見て、今さらだがさつきとメイの家に住みたくなる。本気で東京から離れることについて考えた。「働く」「暮らす」。2つのことが、また頭の中でこんがらがった。
働いていると、うまく暮らせない。それでも仕事に不満があるわけではない。むしろ強く望んで就いた職だ。けっこうな労力を使って転職までした。それでもぐったりして自炊する時間もなく、彼とろくに顔も会わせずに眠る生活を、正しいとは思わない。眠ったり料理をつくったり、掃除をしたりじっくり思索をして暮らす方が、自分には向いていると思う。
そう思う日も、ある。
だからというわけではないが、(だからというわけでもある)自休自足のCDとカフェの本を買った。ライブにも行く予定。
ところで東京から離れるなら、どこに行くのが良いのだろう。そのイメージが、まだできない。尾道や江ノ島は大好きだけれど、きっと仕事がない。鎌倉・葉山が乙女の基本だが、土地勘もないし海がそこまで愛せるのか分からない。北海道は寒い。沖縄はなんだか大げさな気がする。だからといって埼玉に出戻りでは灰色の人生だし、千葉ではライバル(埼玉のね)の地に足を踏み入れる気がしてなんだか納得がいかない。
路地と川のある、さびれた小さな街が好きだ。夕方になったら周りが暗くなって、「ああ、帰らなきゃ」と思う感覚を、もう一度取り戻せたら。
一泊旅行をするたびに思う。日本では多くの人が、食べるものにも困らずコンポとパソコンと冷蔵庫と掃除機がある家庭に当たり前のように暮らしている。にも関わらず、仮に私が地方に行ってできる仕事といったら農家見習いか地方のタウン誌編集部か自称フリーライターくらいしかない。それらだって危ない。つくづく不思議な国だと思う。
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