2005年11月20日(日) |
12歳の私は他人ではない。 |
ミニバス時代の同志、コミヤから電話がかかってきた。何年ぶりだろう。男女混合の気軽なバスケットサークルをやっているから、今度おいでよ、と。
以前も書いたが、ミニバス時代は彼女と二人で毎日毎日体育館に残って練習した。通常の練習で他の人が帰った後に、パスとシュートを100本。終わった後は、近くの駄菓子屋でさくら大根かベビースターラーメンを買って、食べながら帰った。
振り返ると、あんなに毎日がんばれたのはただコミヤさんに会いたかったからだったのではないかとたまに思う。彼女が好きだ。性格も趣味も全く違うし、別々の中学に進んでからはお互いほとんど連絡もしないのに、小学校の頃と変わらず、やたらウマが合う。彼女は今、理系の大学の院にいるという。
正月に、「苦しい」と半分泣きながらドラクエをクリアした話、最近は『戦国無双』にはまっていた話(彼女は熱狂的なゲーマーで、そのおかげで私はドラクエ2つ、FF3つをクリアさせてもらった。一緒にゲームをすると必ずコントローラの操作が遅いと怒られる)、学校の論文で忙しく、寝袋で徹夜した話などを聞く。
「中学でバスケを続けてたら何か変わったかなあとよく思うの」と話してみた。コミヤさんは、小学校のバスケなんて、随分遠い話だと思うでしょう?でもね、私はよく考えるの。小学校のあんなに楽しかったバスケットを、「楽しい」という思いのまま、高校まで続けられたら、少し違った人生になったんじゃないかって。私は陸上部に入ったことで、レギュラーもとれたし試合で結果も残せたけれど、走ることがとても嫌いになってしまったんだ、と。
「でもさ、君の中学の女バス、怖そうだったから入らなくて良かったんじゃない?」と彼女は笑って言う。コミヤは高校まで、ずっとずっとバスケのことだけを考えて生きていたのだそうだ。他のこと全てを放って、ただただバスケだけにのめり込んでいた。「寝ている時の、夢の中にもバスケが出てくるんだよ。どうしたらうまくなれるのかとか、身体能力が上がるのかとか。そればっかり考えてた。大学に入って、さすがにそれだと他のことが何も出来なくてやばいって気付いたから、バスケはサークル程度でやめることにした」。
私は最近ずっと、小学校時代の自分のことを他人のようだと思っていた。成績はずっと一番で、運動もできて、6年間いじめを受け続けたけれど、まったくめげずにさくさくと学校に行っていた。「自分」があったし、頭もきれた。
それに比べて今の自分はなんてダメなんだろう。いつから平均よりも下の人間に成り下がったのだろうかと。しかし、コミヤと話をしていてそれ(小学校時代の完璧な自分)は記憶違いかもしれないと思うようになった。単に、最近の私が作り上げた物語に過ぎないと。
たぶんコミヤといた時の私が、本当の私だったと思う。当時コミヤの目に映った、ゲームができなくて心配性で、かわいい洋服や男の子のことよりも、バッシュのメーカーをやたら気にする、性格の根暗なタナカさん。
「高校の球技大会で、久しぶりにバスケをした時のことが忘れられない」と彼女に伝えた。もちろんまわり中がバスケの素人だし、作戦も何もない、ボールにわらわらと人が集まっていくような試合なんだけど。その時、やたらとシュートが入ったんだ。相手チームに「○番マーク!」と名指しされたくらい。ほら、私も君も入り出したら止まらないタイプでしょう? ジャンプシュートがフリースローラインくらいからボンボン入り出して(手首がゆるーくスナップしてくれる)、そうしたら普段は打たないスリーポイントまで打ってみようかという気になって、打てば打っただけ入ったの。丸3年くらいバスケの練習なんてまったくしていなかったしボールも触っていなかったのに、とても気持ちが良かった。その時に、ああ、バスケを続けていたら自分はどうなったんだろうかと思った。
久しぶりに彼女と一緒にコートに立ったら、うまくなっているコミヤに嫉妬するだろうか。もう一度ジャンプシュートがしたい。柔らかく弧を描き、ボードに当たらずリングを貫く。あの音が聞きたい。
2005年11月19日(土) |
私のことが好きな人は読まない方がよい。 |
私はお風呂が嫌いです。
女の子として、「絶対にこれだけは言ってはいけない」という思いからネットでの発言を控えてきましたが、いよいよ書くことに決めました。
私はお風呂が、嫌いです。
夜寝る前の入浴が面倒くさくて、でもお風呂に入らずに会社に行くわけにはいかないので無理やり朝に入ります。次の日に出かける用事がない時には、ほぼ確実に入浴せずに2日を過ごします。3日間外出しないならば、同様に3日間お風呂に入りません。4日目ともなると(正月休みなど)さすがに体がかゆくなってくるのですが、特に注意されなければそのままいくこともあります。最長記録は2週間。中学2年で入院した時のことです。入院しているとお風呂に入れないのは当たり前ですが、お風呂嫌いな私は特に不快な思いもせず、面倒くさいことがない毎日を満喫していました。
そんな非常識な習慣を抱えた私が、社会との軋轢を生まないはずがありません。幼い頃から、母とのけんかのネタナンバーワンは、「風呂に入れ」「嫌だ」でした。仲良くなったり、おつき合いすることになった人々は、必ず「風呂に入れよ」とやんわり、しかししつこくメッセージを伝えてきます。他人の場合嫌だと言えず、「不快だなあ」と心の中でつぶやきながらしぶしぶ入ったり、笑ってごまかしたりしてきました。
一方、今の彼はとても寛容です。「バナナちゃんが入りたい時にはいればええんよ」と言って、無理強いをしません。「参考になれば」とヤフー「知恵袋」から、お風呂嫌いの女性の発言を見つけてきてくれたりもします。長い間一緒にいる人に、いつも「お風呂に入れ」と言われ続けるのはとても苦痛なので、とても感謝していました。
しかし、先日ついに事件が起こりました。
私が2日ほどお風呂に入らず、部屋に引きこもっていた日のこと。彼がうちにやってきて言うのです。
「バナナちゃん、今日うんこした?」 「ん?」 「今日。うんこした?」 「……」
確かに私はその日、排便を行っていましたので、正直にうんと答えました。その瞬間、彼は納得した、という顔になり
「バナナちゃん、うんこくさい! ぷーんてした!」
と発言したのです。
うんこ臭い。恋人に、うんこ臭いと言われる女の子は、世界にどのくらいの割合で存在するものなのでしょうか。うんこ臭い。
私はあまりのショックを隠せず、早急に自分の体から臭さを取り除く手段を探しました。しかし、いくら考えても答えはただ一つ。それは「お風呂にはいること」なのです。
彼はそこでも寛容さを発揮して言ってくれました。「誰でもうんこ臭いんだよ」と。みんなうんこをするんだから、誰だって臭いのだ。バナナちゃんは、お風呂にはいるだけでうんこ臭くない子になれるんだよ、と。しかし、彼の好意とは裏腹に、私の頭は「なんとかお風呂に入らずにうんこ臭くない子になるにはどうしたらよいのか」という方向にしか向きませんでした。結果、事件以来彼は私に会うとくんくんと鼻をならして私のお尻周辺の臭いをチェックするようになってしまったのです。恋人に、「うんこ臭い度チェック」を受ける女の子は、世界でどのくらいいるものなのでしょうか。
まあどうでも良い話でしたが、私のことを好きだったファンの方、ごめんなさい。おやすみ、ディア。
ボクはマヌエル・プイグのように小説を書くことはできない、でもね、プイグの小説が本になって残るように、ダンスが、彼女の、からだに残るんだ、小説は、しょせん紙じゃないか、紙ってのは虫にだって食われちゃうもんだぜ、セルヒオ、ボクの場合はあんなにきれいな女の子の、からだに残るんだ、どうだい、うらやましいと思わないか。
村上龍『KYOKO』(集英社文庫)
帰りの電車で少し、泣きそうになる。ある男が教えたダンスが一人の女の子を救い、その女の子がまわりの全ての人々を救う話。
「救う」「救われる」とは何だろう。
君が誰かを救おうと思っているだなんて、誰も思っていない。ただ、君の光に、まわりの皆は涙せずにはいられないだけだ。私も、あの人も。
君が一人で自分を責める時、誰もそこに近づけないことを知っている。私は「どうせ触れられないし」と諦めるつもりはない。「きっと触れるはず」と傲慢になることもやめた。ただ、触れたいと、願っている。
KYOKO、君の光をありがとう。光が眩しすぎて泣いた日に、私は変われたんだ。KYOKO、だから君の闇の1/100でもいいから、私が代わりにはき出せたらいいのに。
前略王子様
突然のお手紙失礼します。 ご無沙汰していますがお元気ですか。
仕事が忙しかったり、 色々あったりで、しばらく書けずにいました。 最近、あまり良い(気持ちを率直に表す)文章が書けません。 スランプなのかもしれませんね。 あなたへのお手紙が滞ったのも、それが理由です。
とはいえ、生活は相変わらずです。 ひとつ。おつき合いする人ができました。 あなたは人の色恋沙汰になんて興味がないだろうけれど、 一応お知らせしておきます(とても嬉しいので)。
一つ思うのは、誰かと話す、話を聞く、料理をする、料理を作ってもらう、 お茶を入れる、一緒にテレビを見る、テレビについて話す、 など、日常の場面場面で人と何かしら交わりを持つチャンスがあり、 それに対していつも真剣でいられるというのは 私にとってとても良いことです。
一人で会社から帰宅し、毎日ラジオ深夜便を聞いていた時は、 ラジオ深夜便を聞かなくなる生活が絶対に嫌だったけれど 夜に人が来れば話をするから自然とラジオを消すし、 相手の人が好きなテレビ版組や映画を見るチャンスに恵まれ それによって心が動いたり、涙を流したりする。 以前は予想しなかったことでした。
あなたは世界のどこにいますか。
こちらは紅葉の季節がやってきました。 息を吸うと、持久走大会の匂いがします。 先日新宿都庁のそばを通ったら、 黄色くなった銀杏並木に西日が当たって、 通りの風景全体がぼおっと浮き上がっていました。 冬は嫌いですが、大嫌いだとそっぽを向けないのは、 こうしてたまに恩恵を受けている負い目(?)があるからなのでしょうか。 来週は雑司ヶ谷霊園に行く予定です。
最後に。あなたの弱さについて、いつも考えています。 たまに、心配になります。 私にはあなたを救うことは出来ないけれど、ずっと味方です。 昔はあなたに何をしてあげるかについてばかり、考えていました。 傲慢でした。 人と人の関係は、そんなに単純ではないけれど それほど複雑でもない。
ユトレヒトが予約制書店になってとても残念。 昨日はゴダールで寝た。 仕事のことで泣いた私に彼は黙っていてくれた。 りかちゃんの部屋はフランスのようだ。 私もフランスのようにしたい。 J-CREWでカシミヤのセーターを買った。 薬を飲んでいる人は心配だ。
駄文でごめんなさい。 それではまた。
かしこ
2005年11月11日(金) |
レター・フロム・ベルリン |
ドイツからエアメールが届く。特に心当たりがなかったので、誰からだろうと思って封を切る。会社を辞めて留学した社カメの先輩の名前が書いてあった。ベルリンの夜の街を映した写真が1枚同封してある。濃紺の空に、タワーがそびえる。こたつでその写真を眺めていたら、なぜだかぽろぽろ涙が出てきた。写真を撮れるっていいなあと思った。
週末は彼の誕生日プレゼントを買いにいった。二人で行った。古着のジャケットが欲しいというので、渋谷から代官山までお店をいくつか教えながら歩く。
大学時代、洋服で無駄遣いばかりしていた頃に飽きるほど通った道だ。橋の上からJRの線路が見える場所がある。夕暮れ時に電車が通り抜ける姿が、美しいけれど寂しくて寂しくて、よく泣きそうになっていた。思い出すのは冬の風景。ブーツやコートなど、分不相応な大きな買い物をした帰り道、その橋を渡る瞬間に突然今までの買い物の高揚感が冷める。殺伐とした気分で歩き続けた。
彼と二人でその橋を通る時「あ、ここ、よく通ったなあ、大学時代に」と言った。相手はふうん、とうなづきながら、その橋を通り過ぎる。どうってことない感じに。
2005年11月04日(金) |
マイナスのことはあまり書きたくない |
友人と楽しくご飯を食べて、yusoshiを出る時に会社からの着信に気付いた。折り返すと、むすっとした声で上司が出た。印刷所から問い合わせがあったという。
私がデータと一緒につけた出力見本にミスがあった。
気持ちが急降下し、一瞬何もかもが嫌になってしまった。今の上司は、良い仕事をきちんと評価してくれ、間違いを厳しく注意してくれる。間違ったことや不条理なことは何もない。代休もいただいた。悪いのは、私だ。
私はここでしか働けないし、私はここで働きたい。悩む。
2005年11月01日(火) |
内田樹『街場のアメリカ論』 |
先日川村さんに借りた、内田樹『街場のアメリカ論』が面白い。内田さんの本は、深いテーマを扱っていながら本当に分かりやすいのだ。学生時代に読んだ新書『寝ながら学べる構造主義』も目から鱗だった。彼の文章を読むと、物事を分かりづらくしか書けずに「先生」などとのたまっている学者はやはりダメだと感じる。ダメではないかもしれないけれど、人気作家にはなれないよ、と思う。まあ人気作家になる気もないのだろうが、そういう人は本を出してはいけないと思う。
仕事で「図版を作る」作業をしているとき、この「分かりやすさ」を作り出す難しさ(なんだかごちゃごちゃしているけれど)にいつも気づかされる。学生時代、私は世の中に出ている雑誌は多くがつまらない、魅力がないとくだを巻いていた。しかし、社会人2年目の現在「図版の参考にしてみようかな」と数冊近くにあった情報誌、経済誌などを開くと、そこには大変優秀な作りの「かんたん、明快」なそれが載っている(たとえば改行がとっても多いとバカにされがちな中○○宏センセイの本などはかなり参考になった)。「かんたん、明快」へのプロセスは決して簡単ではない。情報をけずってけずって単純化し、読者がひと目見ただけで分かるように図版を完成させた先輩編集者の努力に、「すごいなあ」と感服されられるのだ。
今日は版元と次号の打ち合わせだった。年末までのスケジュールが決まる。12/22に責了。終わったらクリスマスだ。頑張ろう。ところで4日(金)は代休がとれた。お金のかからない程度に、小さなお出かけをしようと思う。少し暇な時間ができたので、仕事で殺伐としていた期間、やりとりがご無沙汰になってしまった人々にぽつぽつメールを出す。以前就職活動の相談でメールをくれた学生さんに今更「どうなりましたか」と聞く。私など箸にも棒にもかからない大企業に決まっただろうか、それとも就職浪人が決まって鬱だろうか、などと想像しながら。大企業に決まっても自殺する人もいれば、小さな会社で良い本を作り、増刷を重ねる人もいる。人生は分からない。
追記 そういえば先日、洋服は古着屋かネット通販でしかかったことがないつきあうことになった人に「誕生日にはマフラーとかストールとか、巻物をください」とお願いしたら「まるたんまるじぇらのがいいのかね?」と返された。自分が普段ちくちくと批判している「青山にいそうな、おしゃれさんに見られたくてたまらない人」と同じマインドで生きているかもしれない、少なくとも高円寺在住のみなさまには私の言動は知らず知らずのうちにそのように映るものかと思い、ぞっとしました。
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