今日は少し調子がいい(薬飲んでるから)。
午前中、撮影に行ったら、モデルで私の高校生時代のカリスマ、○きんこさんがいた。「ずっとファンでした! 『FRUiTS』の、細ーい三つ編みしてもこもこブーツ履いていらっしゃる表紙の号からずっと買ってました! 古着と新しい服を組み合わせてるとことか、すっごいお手本で、古着マニア、ってわけでもなく、ブランドにも頼らない感じの、ごちゃごちゃいろいろ付けてるんだけどまとまってるセンスをいつも研究してました!!!!」と思いのたけをぶつけた。なんというか、就職する前に「エディターさんになったら芸能人さんにも会いまくりで、展示会とか、行っちゃうんだろうな」という想像に、けっこう近い(といっても実は超遠いけど)仕事だった。好きなモデルさんに会えたのは感動した。だからといってそれ以上は何も感じなかった。不思議だ。
夕方、『ミリオンダラーベイビー』試写会。加賀○○こがいた。これも、「雑誌とか作ったらどんどん試写状が届いて、タダで見れるのよね! エンタメの享受はお仕事のうちなのよね!」と思っていたが、原稿がある以上そういうことはあんまり考えられない。
八時過ぎ、試写室から駅に向かって歩いたら、新橋の駅前で古本市をしていた。テレビでよく見る、噴水の広場。まあまあにぎわっている。背広の上にくたびれた「ジャンパー」をはおったおじさんたちが、会社帰りにぽつぽつのぞいているようだった。風は冷たいが、少しだけ春のゆるさが漂っている。人を優しくする空気。新潮社の日本文学全集『小島信夫』がたった315円だったので、少し迷っていたら、となりで見ていた背広じいが大量に買い占めていったのでなくなってしまった。悔しくなって、隅から隅まで棚を眺め、阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)100円を買って帰る。
つまり、私は今の仕事に満足しているけれど、それは、私が思い描いていたいわゆる「ギョーカイ」ってこんなところよね、という想像とは全く違う部分に対しての満足だったということです。凄い人の、ただそばにいるということは、何も凄いことではないということに、最近気付いてきている。私のリアリティは、新橋のジャンパーおやじと同じところにあるのであって、私の喜びは、ちまちまと原稿の字数を合わせたり、うんうんうなって書いたラフが、デザインとなって上がってきたりする瞬間に存在するのだと思う。
こうやって少しずつリハビリして、また書いていきたい。寒いよー。早く花粉が終わって、桜が咲いてほしい。
いつまで続くのか分かりませんが、かなり重症です。なにひとつする気が起きません(仕事はやってるが)。終わったら(終わる日が来ると信じたい)たくさん更新するのでまた遊びに来てください。つなぎ。
に角田光代が出ていた日、こんな文章を書いて、途中で寝てしまったらしい。
家から大学まで15分ほど歩いて、王子様と早稲田大学の学生食堂に入った。春休み中だというのに学食にはたくさんの学生がいた。王子様は学食のシステムが分からなくて戸惑っていたので、私が流れを説明してあげた。よく見ると、少しだけピンクに色づいたつぼみをつけて、大きく光のはいる窓の外に桜の木があった。快晴だった。 「トレーを持って好きなものが置いてある列に並ぶ。君は定食?」 「定食」 「じゃあここ。左側の列」。 王子様と日常的な会話を話すことが、私には不思議な(現実ではない)ことのように思える。何事もなく振る舞っているけれど、一挙手一投足についてのるかそるかの瀬戸際で、私は言葉を発する。必要に迫られて発する会話の一つひとつに、浮かされているのだ。
「好きという感情の出所はどこだ」と角田光代が書いていた。同じ疑問を繰り返している。
席が混み合っていたので、向かいに座れずに、隣り同士の席に座った。 「なんだか横並びの隣りって、レストランにいるバカップルみたいかな。恥ずかしい?」 私が言った言葉に、王子様は声を出して笑う。 「そういうこと気にするんだね。君らしいね」と。
君らしいね、なんて言われたら、まるで私のことを分かっていてくれている気になるじゃないか。そんな風に私を、把握したみたいに言われたら、もっと分かってもらおうと、努力してしまうじゃないか。
最近実(じつ)のないポエムばかり書いているのは、花粉症で何もやる気が起きないからだ。仕事でもここの日記を書く時でもつくづく思うのは、何かを言ってるようでよく見るとなにひとつ伝えていない空っぽの文章やポエムを書くことは、具体的にかみ砕いて事実のみを(そんなことはありえないのだが、せめて努力をして)並べることに比べ、なんと楽なことだろう。
たとえば、「人と接することがやりがいです」というアルバイトさんのセリフ。毎週毎週聞くこの言葉の奥にある、「人」「接する」の多様性に驚く。似たような仕事をしていても、同じようなぐうたら学生の、たかがバイトだとしても、それぞれが日々触れているディティールは、(恐ろしいほど当たり前のことだが)全員違う。
大学時代の先輩に会った。「俺は大学の頃、多分バナナのことが好きだったんだと思う。ずっと気が付かなかったけど」と言われた。でも友達でいたおかげで、こうして今でも楽しく話せるわけだし良かったよ、という大人な会話をして別れた。彼に言われた言葉が少し気になった。「結局君には壁がある。呼びかけてはいるけれど、結局それは自分の領域っていうか、世界の中から相手を呼んでいるだけなんだ。いざこっちが近づこうとすると『いえいえ、私なんていいんです』と言って離れていく。とぼけたふりをする」と。
久しぶりに椎名林檎の『勝訴ストリップ』を聞いた。圧倒的なボーカリゼーション。ウォークマンで聞いた時、まわりの景色を一変させる感情の強さ。これほど伝える欲求の強い音楽を私は知らない。そして、歌われる気持ちは決して重くも暗くもないことに気付く。
私の見た王子様は、一言では言い表せない魅力を持っていた。
少年のようであり同時にとても大人でもあり、 おおかた女性的(中性的)でありながら たまにどきっとするほど男の人の顔をした。 襟元から鎖骨が見えた。
私は王子様が目の前にいるとうまく話せない。 彼が私の横でフライパンをにぎって、 油をしいて肉を炒めている時など、 彼の顔を少しも見られなかった。
王子様は私がいても、いなくてもあまり変わらないみたいに 料理を作り、 食べ、 音楽を聴いて、 眠った。
私にはそれが、少し救いに思えた。
私の声を聞いても、私の手が体に触れても、 私の目の中を覗いても、 何も感じない人がいることが、 なぜか救いだったのである。
私が眠った後、 王子様は私の耳に触れた。
私の耳は、恋をするたびにとれてしまう。
王子様が触れると、 耳がぽろっと落ちて、 彼の胸のくぼみにおさまった。
彼の胸の穴は、 私の耳でふさがったのだ。 王子様はもう、心のない人ではない。
王子様はもう、心のない人ではない。 私は明け方に泣いた。
会社早退
■日記
「お疲れさまです。お忙しいそうだけど、参ってませんか? 花粉も酷いし。サイトを見てちょっと心配になりました。余計なお世話でしょうけど」。
昨日の日記を見て、友人がメールをくれた。あまりに妄想が爆発しているので、どうかしてしまったのではないかと思ったそうだ。何かを書いて、こうして反応があるとこれからも頑張って書こうという嬉しくなる。王子様にはめったに会えないので、これからも手紙を書き続けようと考えている。
■書店
エディトリアルデザイナーをしている友人と、神保町の三省堂に行った。女性誌の山の前で、彼が立ち止まって言う。「この3冊、(『25ans』と『Domani』と『STORY』だったかな?)表紙の構成が全部一緒だね。ロゴが違うだけだ」。私は何を言っているか分からずに、「え? これ(『Grazia』)は?」と聞きかえした。「これは写真の扱いが違うじゃん。ここまでみんな一緒だとこの、違うのだけが気になるよね」そう言って彼はGraziaをぱらぱらめくっていた。
確かにそういわれれば、前者の3冊はすべて白地・切り抜きのバストアップ写真・ロゴで構成されていて、テキストに使われているフォントも、ほぼ似通っている。後者は、写真が全面にしいてある。
私はまず、書店でこういう見方をすることはない。DomaniとGrazia、今月はどっちががおもしろいかなー、川原亜矢子が辞めてどんなモデルが後釜になるのかなー、あら30ansでたのねー、Domaniのライバルかしら、それともPreciousかしらー。とうすぼんやりとは考えるけど、平積みの本を視覚的にとらえるという発想がゼロだった。
人と本屋に行くと、こういうところでハッとさせられるからいいと思う。
■relax「楽器はトモダチ」特集より
BECKに子どもが生まれたらしい。時代の異端児も、こうしておっさんになってくんだなー。あーあ。
■前から思っていたことメモ
講談社現代新書は、中島英樹さんのデザインになってから本屋さんで見づらくなってしまったと思う。横着な私は、買わなくなった。誰が悪いわけではないけれど、本って本屋さんに並べてみないと分からないから難しいなあ。
比較して、という訳ではないが、松田哲夫さんがやっているというちくまプリマー文庫は、1冊1冊の色味、デザインはばらばらなのに統一感があって題名も目に飛び込んでくる。デザイナーはクラフト・エヴィング商會。
王子さまに会った。 ご飯を作ってくれた。 鶏の胸肉を焼いたのと、ウィンナーを食べた。 ケチャップをつけたら、とてもおいしかった。 王子さまが持ってきたCDをかけた。 ジョナサン・リッチマンという人の 『That summer feeling(あの夏の感じ)』という歌。 あんまりいい声なので、泣いた。 ご飯粒を飲み込みながら、ぽろぽろぽろぽろ泣いた。 鼻水が出てきた。 ずっと泣いていたらばれて、笑われた。 生きていてよかったと思った。
王子さまは私のことを「タマちゃん」と呼んだ。 私がアザラシのタマちゃんみたいに太っているかららしい。 かわいいので気に入っている。 それならずっとアザラシがいいと思う。
port of notesの曲に、 "When I see your eyes, I feel There's a hidden meaning in this life." という歌詞が出てくる。 王子さまを見るたび、私はそのことを思う。 王子さまといるとき、自分が 現実と違うところにいる気がする。
王子さまには心がない。 だから、心臓の下の骨がへこんで、 背中に突き抜けそうな穴が空いている。 そんなことは知らなかったので、うれしかった。 うれしくて、その、胸のくぼみに触れてみた。 怒られると思ったのに、黙って見ていてくれた。
文章はものごとをきれいに整頓し、装飾する。 だから嘘だ。 音楽が流れた瞬間のあの幸せな沈黙だけを、私は信じる。 会社に行く前の朝、パソコンに向かいながら思う。
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