2004年10月31日(日) |
本文の漢字部分、すべてひらいて、ばかっぽい雰囲気にしてください(カナはママで)。 |
ひこちゃんへ
ひこちゃんにききたいことがたくさんたまったので でんわしたかったんだけど、 たぶんめいわくだろうとおもって メールにします。
(いつもそういうことにはきづいているのです。 でもバカだからないちゃったりするのです)
せんしゅうティルマンスのしゃしんてんにいってから、 いったいかれがなにをとっているのか、 なにをもってすばらしいフォトグラファーと いわれているのかについてかんがえていました。
とくしゅうされた『びじゅつてちょう』のきじが、 とっかかりにはわかりやすくてべんきょうになりました。
ウェブで、トークショーにいったひとのぶんしょうもみつけて やっぱりこうやってまじめに「しろうとすること」は たいせつだなとおもったよ。
もちろん、ほんよんだだけですんだとはおもっていないけれど、 「どうせおしゃれしゃしんでしょ」とあしをはこばなかったり、 また、みても「ふーん」とおもっていただけでは えられなかったさまざまなちしきをいれることができたし、 これからべんきょうをしていくかのうせいもひろがったとおもいます。
たとえば、かれがゲイだとこうげんしているひとだって、 それをしるだけでも しゃしんかのしせんについてかんがえるこちらがわのめは かわってくるきがします(いいいみでね)。
わたしはちょっかんのひとではないので、 なんのちしきもなしにながめて「ぴーん」と さくひんのちしきがわかるたいぷではないとおもっています。
ほんらいげいじゅつとはそうしてかんじるものなのだろうけれど わたしのようにぶきようなひとは べんきょうしたり、かんがえたりすることもたいせつなのだとおもう。
そうして、100まいのえをみたあとに 「すっげー」と とりはだのたついちまいにであえたらうれしいです。
ひこちゃんがいいといってたゲルハルト・リヒターさんも、 はじめはよくわからなかったけれど、 あなたがいいというのでいろいろよんでみて、 せんじつなでぃふにはいったときにぱらぱらとさくひんしゅうをひらいたら、 ぞくっとしたものがせすじにきました。
こうやって、あとから「わかった!」とおもえるしゅんかんは かんどうするね。
ひこちゃんは、ものにたいするかんどがつよいから、 あっとうてきなものにすぐはんのうできるのでうらやましいです。
でも、それだけでなく、いろいろなことを ほんとうにすみからすみまでべんきょうしているというのは なかよくなってからしりました。
かんせいだけのひとではないというてんで、 ひじょうにそんけいしています。
「しらないことははずかしいことだとおもう」 というひこちゃんのことばを、いつもきもにめいじていきています。
やっぱりはなしたいからでんわするね。 べるがなってきみがでて、 こえがして わたしはこんにちはという。
2004年10月30日(土) |
日曜日の夜に死にたくなったら手紙を書く。 |
共同体の隙間にいる ●●さんへ
こんにちは。 お元気でいらっしゃいますか。
本が一冊終わったので、また書いています。 今までやっていた本が終わり、 これからはパソコン雑誌以外のものをやることになるかもしれません。 それも気分転換になっていいなあと思っています。
今は一段落しているところで、 11月のあたまには連休がとれそう。 ちょっと休んで、 また次への糧にできたらと思います。
最近寒いよね。 風邪などひいていませんか? 私は実家からこたつを持ってきました。 はやくも火を入れて、ぬくぬくしています。
寒いのは苦手です。 行動力が落ちるし、行動力が落ちた自分を見て自己嫌悪になるし。
でも今年は万全な冬支度をして、 熱意に溢れた冬を送るつもりです。 おほほほほ。
■思っていることを行動に移すことについて
最近考えているのは、 (あまりにも当たり前のことだけれど) 「言うは易し、行うは難し」ということ。
「やりたい!」と思った熱意を 長続きさせるのはなかなか大変。 それが自分のことだったら一生懸命やるんだけど(受験とか、就活とか) ひとごとだと、相当強い意志が必要だなあと感じます。 私がそういう性格だというのもあるけれど。
具体的な話をすると、 最近、先輩が作った単行本を見ていて、 環境問題に興味がわいたのね。 それで、本屋さんの棚に行って本や雑誌を 色々見て、「ほー」と面白がっていたのですが、 環境問題ってこんな風に頭で考えていてもだめだよなあと ふと気付いたのです。
今まで牛乳パックとか、発泡スチロールとか リサイクルできるものを捨てていたし、 生ゴミや燃えないごみも、 とにかく自分の家から出せればっていう気持ちばかりで 減らすことを考えていなかったなあと。
ってなんか、主婦みたいな話でごめんね。 まあこれは身近な例だが、 なんでも行動を起こすのは、 面倒くさいことだよね、 でも頑張ろうと思うよ、ということが言いたかったのです。
とりあえず、地震の募金はしました。 届いているのか分からないけど。
うちの母なんかはほんと凡人なんだけど 行動力には才能を発揮する人で、 今やれることを後回しにしないのが すごいなあと思います。 去年の健康診断で「膝に水がたまってますよ」と言われたら、 その帰りに膝の運動の本を買ってきて、 1年続けて痛いのが治っちゃった、と喜んでいました。
君は、自分が行動派(別に体育会系とかそういう事じゃなくて、 めんどうくさがらずにすぐ行動に移せる人)だと 思いますか?
■本
今は神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)を http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-8790355-3433921 読んでいます。
神谷美恵子については詳しく知らないのですが お医者さんだった人で、(キリスト教信者か何かなのかな?そこらへん詳しくない) ハンセン病の患者さんたちと 交流があったみたい。 本の中にも、しばしば「らい」の人たちを例にとった話が出てきます。
本は、とても面白いのでおすすめです。 「生きがい」なんて、タイトルはちょっと仰々しいけれど 内容は非常に客観的で、 考察部分は「ほー」とうなってしまうことが多い。
病気や死の近くにいた人の話は、やっぱり面白いですね。 何でも究極的にはそこにたどり着くからかなと思うけれど。
あとはまあ、 いい加減小説を読まないと 想像力を司る頭が腐るので カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』を並行して読んでる。
ヴォネガットでリハビリをしたら、 ゴンブロビッチというアメリカの作家に挑戦予定です。
あと、今買いたいなあと思っているのが 君の影響で(笑)高橋哲哉の『デリダ』かな。 面白かった? 高橋さんの本はたまに読みます。 彼はブッディストなんだよね、たしか。
デリダ本人の著作は気が遠くなるので 解説本でまわりをかためます。
ジャック・デリダ死にましたね、と言っても 生きてるときに何も読んでいないから悲しむ資格もありません。 先日のエドワード・サイードもしかり。 『オリエンタリズム』は、あらすじわかって読んだつもりなのに 難しすぎて眠くなっちゃったよ。(ゴメンばかで。)
■仕事のこと、日記のこと
耳にたこができたよ、もういいよ、と言われるかもしれないけど、 相変わらず書くのは楽しいです。 それこそ「生きがい」というか、 その行為単独で、「やってるだけで楽しい」と思えるのは 書くことくらいかもしれない。(ほかにも考えればあるんだろうけど)
先日、あるマンションに住んでいる人を 取材するというフリーペーパーの仕事があったのですが インタビュー原稿を書くときには、 普段日記で文章を書き慣れているのが結構役に立ったなと感じました。
先輩に赤を入れてもらったときに言われたのが、 「インタビュアーの主観や(その場の)インタビュアーの存在が ちょっと入りすぎてるかな」ということ。 なるほど、と納得し、勉強になりました。
もちろんその場では私が聞いているんだけれど、読者が見たいのは インタビュイーの言葉や生活なわけで、 こちらは黒子に徹した方がいいのです。
私は普段自分が読む文章に関してもこれは感じていて、 インタビュー取材なのにインタビューアーが あまりにも全面に出てくる雑誌は結構むかつきます。 (ロッキング・オンとかは、それが売りだからいいんだろうが。) でも自分でやってみて、黒子に徹しきる文を書くことの難しさを感じました。
日記は、楽しく書いているのだけれど 「今日は精細を欠いているなあ」というのは 自分が一番分かるので嫌な日もあります。
王子さまへの手紙にしちゃえ、と思って 心から王子に向き合わずに(ってきもいけど)書くときは やっぱりうまくいきません。
書くものって、その人の 精神状態や性格や、雰囲気や考え方を 恐ろしいほど如実に表してしまうものだなあと感じます。 最近の芸能人のブログなんか見てても思う。
■牛腸茂雄展、ヴォルフガング・ティルマンス展
2つの写真展に行きました。 前者は普通に好きな写真家で、 後者はおしゃれっこが口をそろえて名前を言うので 「文句を言うなら自分の目で見てから」という 気持ちで行きました。
<牛腸> http://www.mitaka.jpn.org/calender/gallery/
図録を買ったときに一緒に付いてきた、未來社という出版社のPR誌、 『未來』に堀江敏幸が文章を書いていて 興味を引かれました。
『存在のいざりについて』というタイトルで、 「いざる」という言葉についてのべてあります。
君は「いざる(居去る)」という日本語を 知ってる? 私は知りませんでした。
昔から日常的に使われてきたことばで、 正座したまますすすすすーっと移動することをいうのだそうです。
【goo辞書 いざる】 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%B6%A4%EB&kind=jn&mode=0& base=1&row=1
お葬式の席などで正座している親族の元に 他の人が用件を耳打ちしに来る場面を考えてもらうと分かりやすいかな。 そういうときは、音を立てぬよう、ひざをついたまま動くよね。 あれです。
牛腸茂雄は被写体との間に「いざる」時のような 微妙な距離のとりかたをしている、と堀江氏は書いていました。 立ち上がり、顔をつきあわせて話すのでもなく、 かといって遠くから呼びかけるのでもなく。 座ったまま距離を縮めるような微妙な他者とのコミュニケーション。
これを読んで、はー、うまいこと言うなあと思って。 ただ、私は「いざる」を体の感覚として、実感としては 普段体験していないので 本当の意味で堀江氏の言っていることを理解できているのは 分からないけれど。
牛腸の写真集、本屋さんにもあるので 暇だったら見てみてください。 森山大道のような大胆さはないけれど、 すごくいい写真です。
<ティルマンス> http://www.operacity.jp/ag/
おしゃれ写真だからねー、どうせ、と 曲がった気持ちで見るのはやめようと思っていきました。 やっぱり認められている人というのは、 実物を見るとそれなりの感動はあります。
好きではないけれど、よかったと思います。
ちょっと驚いたのが、 私が持っている『snoozer』の表紙の写真があったこと。 エイフェックスツインの、リチャードの顔写真。 意外なところで活躍してるのね、と思いました。
いつも写真展に行くと、ださーい変なリュックしょったおじさんとか もてなそうな男の子が一人で来てて安心するんだけど この展覧会は お洋服に気を遣ったカップルが多かったよ。 私もお気に入りのブーツで出かけたわよ。 ほほほっほ。
……
自分の話ばかり書いてごめんよ。 今回はかなりがっつり書いたので、 読むのが疲れたら流してください。
あなたの近況も、よかったら聞かせてね。 優しい文章で、 いつも読むのを楽しみにしています。 個人的には、あなたの専門分野のことなど、色々教えてもらえたら嬉しいです。
それではまた。 長々と失礼いたしました。
2004年10月24日(日) |
何度も書き直していたら泥沼にはまったのでとりあえず1回アップ。 |
仕事が一番できる、尊敬していた先輩が辞めた。私と同じようにアルバイトから社員になったたたき上げの人で、6年勤めたそうだ。誰が見ても、もったいないとしか言いようのない退職だったが、本人は「もう体力的に辛いからね」とさらっとしていた。しばらく休む、次の仕事のことは考えていないし、編集の仕事はもうしないかも、という。
彼女が最後に担当した仕事(単行本)の報告をミーティングで聞き、とても勉強になった。作りたいものがかちっと具体的で、それを最初のラフにすべて原寸で書き込んである。「ライターさんに発注するのが手間なので、自分で100ページくらい書いちゃった」と笑う。私もひとりで1冊やってみたいな。力作を見ながら考えた。具体的な目標、自分のしたいことが、少し分かった気がした。
「あのラフ、コピーさせて頂いてもいいですか? あんまり完璧だから参考にしたいんです」。ミーティングの後に聞きに行くと、「じゃあこれあげるよ。どうせ捨てるところだったしね」と原本をくれた。毎日寝る前に見ている。
「人生は夢の大きさ次第」
そんな折りに見つけたのが、毎日新聞の見出しだった。プロスキーヤー三浦雄一郎の、「毎日スポーツ人賞」受賞を記念したインタビュー。シンプルなひとことに、はっとさせられる。私は就職活動時代に掲げた沢山の夢や企画を、忘れてはいなかっただろうか、と。
70歳でエベレスト登頂を成し遂げた彼の次なる目標は、75歳でこんどはチベット側から、再度聖世界一の山にチャレンジすることだという。目標を成し遂げるためのどん欲さと、実現するまでの努力に驚かされた。いつでも背中に20キロの荷物を背負い、片足に5キロずつのおもりをつけた靴を履いているという。70歳で、寒い日も暑い日もそれを続けることの過酷さについては、山にはまったくの素人である私でも、想像に難くない。
働き始めて、やりたいことが少しずつ見えてきつつある。書くことが本当に楽しいだとかディレクションは苦手だとか、自分の特徴もつかめてきた。
納得いくものを、決められたスケジュールでどれだけ妥協せずに作れるか。夢をどれだけ持ち続けられるか。
テキストに本質が隠れている記事を作りたい。
食欲の秋なので、 秋鮭のホイル焼きとスイートポテトを作った。 うちにはオーブンがないので トースターで作れるお菓子しか焼けないのが不便。 オーブンレンジが欲しい。
高田馬場をぶらぶらした。 ビッグボックス前の古本市を眺める。 お気に入りのブーツで出かけた。 これを買ってしまったので しばらくは散財せず、積んであった本を読もうと思う。 こういうとき、昔の浪費が役に立つ。
■最近(?)友人に教えてもらった本
長谷正人『映像という神秘と快楽―”世界”と触れ合うためのレッスン』(以文社)
レオ・レオーニ『平行植物』(ちくま文庫)
多和田葉子『球形時間』(新潮社)
ゴンブロビッチという作家
■最近読んだ本
雑誌『Coyote』(スイッチ・パブリッシング) 阿刀田高『海外短編のテクニック』(集英社新書) 斎藤美奈子『文学的商品学』
柳宗民『雑草ノオト』(毎日新聞社) 対馬ルリ子;吉川千明『女性ホルモン塾』(小学館) 阿部絢子『「やさしくて小さな暮らし」を自分でつくる』(家の光協会)
下の三つは実用書。あるいは実用書として読んだもの。 ああ、小説読まないとばかになりそうだ。
■最近買ったブーツ
DEUXIEME CLASSEで黒のロング。
■最近興味のあること
環境問題と自分の生活の関係について。
■最近感銘を受けたこと
高校時代に好きだったモデルの学(がく)や王子ミッチー、加瀬亮などに全く興味がなくなって、すっかり外人萌えになってしまった。昔は濃い人がもう何が何でもダメだったのに。人間食べ物みたいに萌えポイントも変わるのね、と思ったらなんかこれから先もどうなるかわかんないぜ、という気がして未来に希望が持てた。おほほほ。
■最近友人と話し合っていること
リュックってさあ、前にだっこするみたいにしょった方が都合がいいのではないかしらね?ということ。私は大半の時間だっこで過ごしている。
それから「コバンザメ」のアイデンティティについて。「サメに小判のようにくっついているやつ」ということは、この人は固有名詞全体が形容詞になってしまっているわけで、じゃあこの人の基本になるのはどの部分なのかがよく分からない。
■もやもやっと言葉にはせずに思ったこと、起こったこと
ビョークはなんかもう、人間じゃないみたいに見える。『ベルセルク』の絵もしかり。 ヴォルフガング・ティルマンスに行く予定。 いいかげんTOEIC受け直さないといけない。 みんな私を転がすのがうまい。 先輩のラフをもらった。 たまに会うんだからタガを外してくれたっていいのに。 中原昌也は彼女がいるっぽい。あーあ。 私はきっと、顔が好みならそれでいいんだな。
2004年10月16日(土) |
「夜は強い光を見なければコントラストが少ないから落ち着くんだ。色も」 |
前略 王子様
急に寒くなりましたね。 秋冬の「きゅん」とする空気は好きですが、 冷え性なので寒いのは苦手です。 行動力が落ちるのです。
一人暮らしの部屋も、そろそろ冬じたくを始めなければなりません。 お布団はさっそく厚いのに替えましたが、 おこたはまだ出してないの。 たたみにスリッパはおかしいので、 毛糸の靴下が欲しい。 本当は自分で編みたいなあと考えています。 それからひざかけも必要。 大判の、タータンチェックの。
おこたがあればストーブはいらないかなあ? 実家には石油ストーブがあって、朝起きて台所に行くと 「さむいさむい」と言いながら火をつけて、 その上に干しいもやおもちをのせて焼いた。
あなたはお元気ですか?
冬じたく、ちゃんとしなきゃだめですよ(お母さんみたいだ)。 マフラーとか手袋とか、連絡先を教えてくれたら送ります。 マフラーは、きっとあなたに似合うシックなのを見つけました。 大判なのでマントにもなります。
今日は、とてもいい日でした。 よく笑いました。 素敵な人に会ったからです。
この人に会うと、 いつもファンタジーの中にいるような気分になります。 いつもの風景が変わって見えます。
「向こうに丹下健三の東京カテドラルがあるよ」というので 目白駅からまっすぐ歩きました。
私のまわりには 橋の上から眺める美しい夕焼けや、 鳥肌が立つような坂の下の家並みや 古ぼけていい白になった団地の壁がありました。
見つけるたびに「あ」と言って足を止めるその人の 目の先に、びっくりするような色や構図が展開します。
逃げ出さなくても、叫ばなくても、 日常のちょっとした裂け目にこうして 「世界」は立ち現れてくれる。
こんなに普通のことに、この人に会うまで ずっと気が付かずにいました。
私は話したかったことをとりあえずすべて消化しようと 早口で、落ち着きがなくて、 みっともなかったと思います。 何度もブーツで転びそうになって、 あはは、と笑われました。 何を早口で話したのか、忘れてしまいました。 もうすぐ23だというのにね、だめですね、ドキドキして。
教えてもらった小さな洋服屋さんは とても上品なのに気張っていなくて、 着るほどに(つまり汚くなるほど)良くなりそうな服がたくさんありました。 店長さんが素材や色について詳しく説明してくれるのを、 ほくほく聞きました。 「使い込むとこうなるんですよ。もう私なんてまる2年こればっかり」 と見せてくれた鞄が本当に素敵で お金が入ったら欲しいなあ、と想像をふくらませています。
人が着た時、(かばんなら)ものを入れた時に 本当の美しさが見えてくる服が好きです。 どんなにデザインが個性的でも、コンセプトが魅力的でも 見かけ倒しのものにはひかれません。 文章だってそうです。 からっぽのネームはすぐに見破られます。
私は、私のリアリティを生きています。 たったひとりで。 早稲田通りを歩く時、私の目に映る思い出を、 誰も知りません。
しかし、今日一日を反芻しながら思うのです。 誰かのリアルを、少しとらえ方は違っても共有できるって 本当に素敵なことだなあと。 昔は、「私が○○を考えている時、 他の誰かは私のことを考えているだろうか?」と しばしば考えました。 今、それはどうでも良いことのように思えます。
マンションの敷地のへいによじ登って見た夕焼けを、 ピンクと紫とオレンジとグレーと…… 無限の色が重なり合った繊細な空を、 私は一生忘れないと思います。 といって、涙が出てきました。 ミスチルみたくなって嫌です。
……なんだか話が抽象的になってしまってごめんなさい。 癖のようなものなんです。
こんな風に人と会ったことを、 あなたに話してもあなたはその人のことを知らないのだから 意味がないと言えばないのかもしれない。
それでもまあだらだらと、 私はこれからもお手紙を綴るでしょう。 書いて伝えたいとわざわざ思えることだから、 あなたに向けて書くのです。 ひくひく部屋で泣きながら、 キーボードを打つ私はどうでしょうか。
書けば書くほど、どうしたらいいかわからなくなる。 でもしょうこりもなく、書いている。
朝日新聞書評欄に見つけた、川上弘美の言葉。
かしこ
日曜日に渋谷のHMVの3階に行ったらとても好みの音楽が流れていて、「これ何?」と一緒にいた友達に聞いたら「R.E.Mだよ」と言う。たぶん買うと思う。HMVの3階にいる人が、私はとても好き。(ちなみに単館映画にひとりで来ている人も好き。)
ベビーカーを引いたお父さんが、うれしそうに赤ちゃんにヘッドフォンで音楽を聴かせているのを見た。「バカだなあ」と思いながら涙が出そうになった。
こういう「主夫」のためなら私は頑張ってお給料を稼いできたいと思う。今の給料じゃ二人、三人は暮らせないから、どうにかいい会社に転職する。夜遊びしても浮気してもうるさい音楽を部屋でかけても許しちゃうんだろうと思う。愛人が何人いても、ヤク中でもいいんだと思う。その人にとって何が幸せかなんて、普通の基準では絶対に分からないんだ。
あ、あとどうでもいいことだけど、私の前の彼はリバーティーンズのボーカル(流行通信の美少年特集に出ていた!)に似てると思う。それをHMVで友達に話したら、「え〜」と不満そうで、「ペナルティのワッキーには似てるよね」と反論していた。
N.E.R.DのCD2枚と、ズボンズを1500円で売ってもらった。
中村玉緒がテレビで、「生まれ変わっても勝さんと同じように出会って、同じような生活をしたい」と言っていたそうだ。これも泣きそうになった。
台風の日に一人で家にいるのは本当に気持ちが良かった。不可抗力というか、世の中のみんながこうして孤独な夜を過ごすしかないんだ。雨の音がずっと聞こえて、絶対に外には出られないんだ、と思ったら少しも寂しくなかった。私はいつでも寂しくないけれど。一人暮らしをしていると、よく「寂しくない?」という質問をされるが、あれは間違っていると思う。「そんなこと言い出したら実家にいたってどこにいたっていつだって寂しいよ」と答えている。現代文の教科書で教えられた「人間の絶対の孤独」とはそういうことでしょ?と思う。
2004年10月03日(日) |
SELF AND OTHERS |
前略 王子様
私は目標がある場合には全力で頑張るほうだし諦めも悪いし、執念深いし望んだことは強く望めば必ず手に入るのだと固く信じているし、今までそうした努力の末に勝ち取ってきたものもたくさんあるから、ある理想や夢についてはかなうというある程度の自信と楽観的観測のもとに動く人だけれど、いいかげん全く現れそうにないあなたについては少し怒っています。「望めば必ず」という私の強い信念は、あなたのあまりに長い不在により時折崩れ落ちそうになります。そしてそうした時に立ち現れる弱い心は、ひとつ下の段に私を誘ってきます。そしてそれが下降だということを決して悟らせないようにひたひたと私に迫り、あがっちゃえよ、と言ってきます。
しかし悪いけれど私は、そんな誘惑には乗りません。なぜなら私はあなたがいないとかいるとかそんなこととは全く別のところであなたに手紙を書いているのであり、私が信じている、気持ち悪いほど具体的な、世間の人たちは「妄想」と言うかもしれない素晴らしい夢は、こうして書き続ける行為によりある程度の充足を持てるものなのであり、たまに充足があるならば長い不在など問題にはならないほどに、私の気持ちは強く正しいものだからです。
「○○ってこういうもんだよ」と語っちゃうような大人には絶対になりたくありません。毎日同じ場所に行くことに歓びを感じてしまうような保守的な細胞の固まりであるところの私は、常にそういうことを意識していないときっとだめになるでしょう。何かを言い切る人が嫌いです。常に迷っていたい。ださいけど、そうだよロックンロールだぜ、と思う。転がっていたい。保坂和志が(もう随分前に)ジュンク堂のトークショーで言っていた、「人生に直面する」という言葉が私は今でも印象に残っています。「直面する」ということが、就職活動中の私には強烈な実感を持って迫ってきたのを覚えています。生きるか死ぬかのところで、やっていたい。
強気なことを書きすぎたでしょうか。 勢いで綴ったら、なんだか改行も少なくて よみづらいですね。 冷静にこの先を書きます。
お手紙頂いていたのに、 ご無沙汰してしまってすみません。
相変わらずあなたは 日本にはいないみたいで、 その気儘さが本当に羨ましくなる日もありますよ。
今日は雨の中、牛腸茂雄展に行ってきました。 三鷹市アートギャラリーというところに行くために、 初めて三鷹駅を降りました。
中央線から見下ろす「杉並区の住宅街」が好きです。 私は東京の西のほうに縁がないから、 あれは見るたびに「非日常」を感じます。 フィッシュマンズを聞きながら毎日暗い気持ちで中央線に乗っていたという、 ある友人の学生時代を想像し、 不思議な気持ちになりました。 雨はそういう、浮遊した気持ちには、 いい演出効果がありますね。
それからね、駅前の 何気なく入った喫茶店のハヤシライスが非常においしく、 今日は良い日だと思いました。
写真については、詳しいあなたに わざわざ私が語ることもないけれど 非常に素晴らしいものでした。
牛腸茂雄の写真や生い立ちには たくさんの人がたくさんの事を書いていて、 図録や今回の写真展に寄せられた様々な 文があるので、 ここで繰り返すまでもないと思います。 (例えば、彼の写真には 死が近くにあったもの特有の 他者との距離感があるとか、そういった類のことです)
ひとつ、非常に感覚的な、ぱっと思いついた 感想がひとつあったのであなたに向けてだけ書きます。 間違っていたら恥ずかしいから ふーんと思ってください。
牛腸氏はたくさんの子どもを撮っているのですが、 子どもの写った写真を見ていて共通して 感じたことがありました。
彼らのまわりの世界は、 写真の外に無限大に続いているように見え、 そして、彼らがいるその場所は、 どこでもない(具体的な名称の浮かんでこない)場所に 思えるのです。
うまく説明できないのでどうにもこうにもね。
最近子どもに興味があります。 帰りにちょこっと寄った新宿伊勢丹の前に可愛い女の子がいたので じーっと見つめて笑って手を振ったら、 最初はけげんそうにじーっと見つめ返すだけだったのが 最後には小さく手を振り返してくれました。
子どもは本当のこと(なんてないけど)だけで 真っ向勝負してくるので、 きっと接していて楽だと思います。
なんてこれも妄想だけれど。
まだ雨の音がします。水の音は落ち着く。 あなたに会いたいですよ、本当は。
かしこ
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