2004年07月25日(日) |
僕のしゃべることの半分には意味がない。 |
拝啓王子さま
暑中お見舞い申し上げます。 暑い日が続きますがお元気でしょうか。
ずいぶんご無沙汰してしまいましたがお元気でしたか? あなたに向けて書きたいことや、話したいことがたくさんあったけれど、 そういう瞬間は見たり聞いたりするそばからふっと消えて、 家に帰ってパソコンをつけたときには、 私には何も書く力が残っていませんでした。
たとえばそれは、 帰りの山手線から見える 新宿東口のネオンだったり、 あるいは帰って苔玉に水をやる時の、 じゅわっと水がしみこんでいく感じだったり、 あるいは深夜のスーパーで 切り花を買う恥ずかしさだったりしました。
たとえば、”All you I need is you, 's all right”と歌う 桑田佳祐の声だったり、 深夜便から流れるボブ・マーリーだったり、 夏休み限定の「子ども科学電話相談」だったりもする。
市ヶ谷のお堀の緑とオレンジの総武線のコントラストや 深夜の、夏のもわっとした風もそうだ。
最近はしばしば、 電車の一番前の車両の、運転手さんのすぐうしろに陣取ります。
先日取材で立川の先まで行った時も、 ずっとガラスに張り付いて、線路が延びては駅に着く様子を 眺めていました。 夏の光と線路と一番前の「席」と、中央線高尾行きは、 とてもよく似合うなあと私は勝手に思いました。
こんなことを掘り返したら嫌がるのだろうけれど、 あなたが自分のことについてとてもよく書いてくれた手紙を、 私は今でも大切にとってあります。
僕はこんなことにびくびくしていて、 僕はこんなことに迷っている。 僕はここができていなかった。
信じられないかもしれないけれど(私も驚きました) 結びには次のような言葉がありました。 「あとね、あなたといると僕も言葉にしてちゃんと考えることを しなくちゃな、と見習いたくなります」。
今読んだらあなたは笑ったり 知らないふりをしたり、 怒ったりするのでしょうね。
(手紙や日記なんて、 あとから何の責任もとらないのが前提だから それでいいのよ。 そのほうが瞬間瞬間の気持ちが切り取れて とても面白いものになる。)
だけど、私にはなんだか大きな励みになりました。 どうもありがとう。 あなたが私と「話す」のを放棄してから随分経つけれど、 こうして手紙を書くことだけは だからこそ続けるのだと思います。
そうそう、「銭湯に行きたい」と書いてから まだ実現していないのです。 大学のそばの、コインランドリー付きのお風呂にいくつもり。 帰りに「あゆみブックス」で1冊買って帰ろう。 あそこは1時まで開いているし、 棚づくりも優秀だし、 なくなったらちょっと本気で困る本屋さんです。 本気で困るっていえば、 今週の「本のメルマガ」の 青山ブックセンター倒産についての総特集はとても面白かったわよ。 ぜひ読んでみてね。
昨日は日曜日だったので、 渋谷に足を伸ばした帰りにNadiffに寄りました。 個人的にはBookなんとかより こっちのほうが好きだな、と思います。 PAPER SKYのバックナンバーを立ち読みしていたら、 村上春樹のインタビューが載っている号でした。
あなたはどこの本屋さんが好きなの? そういえばそういう質問を したことがなかった気がするので書いておくね。
春樹から無理矢理続けるけれど、 『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の再読が、 そろそろ終わりそうです。
手紙なんてただでさえつらつらしたものなのに、 こんなにながくちゃたまらないだろうから 下巻の終わり頃に出てきた素晴らしい文章を引用して 今日はもう寝ます。
しかしもう一度私が私の人生をやり直せるとしても、 わたしはやはり同じような人生を たどるだろうという気がした。 なぜならそれが−その失いつづける人生が−私自身だからだ。
(中略)
ひとはそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか? 私にはわからなかった。 絶望なのかもしれない。 ツルゲーネフなら幻滅と呼ぶかもしれない。 ドストエフスキーなら地獄と呼ぶかもしれない。 サマセット・モームなら現実と呼ぶかもしれない。 しかし誰がどんな名前で呼ぼうと、それは私自身なのだ。
(『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』)
かしこ
2004年07月21日(水) |
手紙のための覚え書き |
青山ブックセンター倒産 11時過ぎに開いている本屋 中央線で立川の先まで 先頭車両から景色を眺めた 久保憲司『ロックの神様』 クウネル 銭湯に行きたい その場にいない時にも話に出る人って、幸福だなあと思う 芥川賞 山形浩生の勧めていた新書を買う もっとわがままをやめよう
Half of what I say is meaningless But I say it just to reach you, Julia
(Julia)
先日無断引用した文章の冒頭にある本当に素敵な言葉は、ビートルズのホワイトアルバムの一番最後の曲にあったらしい。ずっと聞き流していた。
2004年07月08日(木) |
書けないので無断引用です。 |
『ノルウェイの森』を再読している。村上春樹の小説やRADIOHEADの音楽の不思議さは、最後の最後、行き場を失った人に「ここにいようよ」、と思わせてくれる何かがあることだ。
「ノルウェイの森」で思い出して3年くらい放置してある友人(ワタナベくんみたいな人)のホームページを見た。無断引用で怒られるかな、でも、本当にいい文章。今日は書けないので、人の才能をコピペしてもうねます。
「僕のしゃべることの半分には意味がない。それでも口にするのは、君に届きたいからだ」って、このレノンの詩は、以前レヴューページの頭のところにも引用していたのだけど、ここ一年間ぐらいぐるぐる回って、1コも文章を書けなくなって結局行き着いたところはここだったという気がすごくしている。
今にして思うと、多分以前は、「繋がり合えるわけないよなー/届くわけないんだよなー」という「ずらし」を繰り返し繰り返し挟みこむことで、逆に「「ずらし」によってずらせない部分の存在」を感じようとしてたのだろう。
別に基本的なところが変わったわけではまったくないのだけれど(というかまったく変わってない気もするけど)、今は、ずらしていく必要を感じない。それは「ずらすことのできない部分」をはっきり感じ取れるようになったからだろうし、それを笑い飛ばして見せるくらいの余裕も身についてきたからだろう。んー、でもどうだろう?はたから見てれば今でもいっぱいいっぱいに見えるのかな?でも多分、ちょっと余裕無い位のほうが、個人的にはぴったりくる自然なリズムなんだと思う。
今でも大好きな、ウィーザーの(少し遅くなったけど、祝復活!)「アクロス・ザ・シー」の「どうしても触れられないし、触れちゃいけないんだろうな/でも君には僕の歌があるし、僕には君の手紙があるんだ」と歌われるライン。
あるいは、ペイヴメント(なんと解散してしまうらしい!涙)の「スピット・オン・ア・ストレンジャー」の「僕は他人に唾することができる/君は冷酷な他人/君の瞳に太陽の輝きを見た」というフレーズ。
そしてプライマルの「キル・オール・ヒッピーズ」の「オマエは金を手にした/オレは心を手に入れる」という「声明」。
今は、どれも手にとるようにはっきりと感じられる。それはすごく素晴らしい事だと思う。
…というわけで、再開することにしました。これからぼちぼちとアップしていこうと思ってるので、よろしくお願いします。 (2000.12.02)
2004年07月04日(日) |
「草稿」にこんな文章が残っていた。 |
昨日も今日も会社に行って、ずっと体がだるくてなんだかなあと思っていたのが、夜に好きな人に会えたのでとてもすっきりする。
この人の目はどうしてここについていて、この人の鼻はどうしてこういう形なんだろう。この人の腕の骨はなぜこういう出っ張り方をしていて、この人はどうしてこんなにきれいな緑が似合うのかしら、そんなことを考えた。彼の話す言葉はこの世の人じゃないみたいだな、と思う。
2004年07月01日(木) |
暇は潰せなかったらどうしたらいい? |
文章を書くことをきちんと、真面目に、これから一生やっていきたいと思うようになっている。別に小説家になりたいとか、田口某のようにネットアイドルから始めたいわけでもない、そんな大げさな話じゃないよ。ただ、書くことに触れていたいのだ。
面白いって何だろう、と思う。「デイリーポータルZ」のように、毎日毎日面白いことを発信するって、すっげえな。「すっげえな」って私の語彙じゃないから、少しも実感がわかないでしょう。言葉って不思議だ。
『編集会議』の花田編集長が辞めるらしい。新しい本を作るそうだからまあ良いけれど。あーあ、これ以上私の暇つぶしを奪わないで。
ラジオからはパティ・ペイジの『テネシー・ワルツ』が流れる。深夜便は解説がつくからいい。
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