町田康の人生相談連載『人生を救え!』(毎日新聞社)の、「彼氏ができません」の項目を読んでいるところを友人に目撃され、笑われた。笑い事ではないので今日は現在の悩みを列挙してみる。真剣に解決法を模索してくださる方、お手紙お待ちしています。
『ゴスだと思われてしまう』
藁人形とか、蝋燭とか、タロットとかを持っている人だと勘違いされます。飛行機が止まったことや、片思いの相手が他の人とくっついてしまったこと、さらには背中の痛み、太りなど、すべて対象への私ののろいが引き起こしたものだと信じられてしまうのです。
最近ではその力(黒魔術)を使って協力して欲しい、という依頼も受けました。「あたしを振った彼を呪って欲しい」、「好きな子が僕の住んでいる駅で下車するように仕向けて欲しい」、など恋愛ものが主です。私にそんな力があるはずがないと思うのですが、人の役にはたちたいので、心は揺れています。モーツァルトの命日かつウォルトディズニーの誕生日である12月5日に生誕した私に、何か特別なパワーは宿っているのでしょうか。
『指示語が多くなってしまう』
人と話す時、こそあどことばを連発してしまいます。前出の名詞がない場合にも使用してしまうので、話が分かりづらいと良くいわれます。有効な改善法を教えてください。
『松尾さんと町田さんに・・・』
松尾スズキさんと町田康さんのことが頭から離れません。どうしたらよいですか。
『傲慢な自分が嫌です』
コンパに出席できるだけでも幸せなのに、つい内容を気にしてしまうきらいがあります。女子高でつちかった妄想が邪魔をするのです。以前アルバイト先で、「俺は内田恭子と合コンできたら死んでもいい」と言っていたストイックな男の子のことを思い出す度、自己嫌悪になります。無心で男性と向かい合う良い秘策はありますか。くだらない質問ですみません。
『ルノアールにはまってしまった』
一生縁がないと思っていたサラリーマン喫茶、ルノアールに入るのが癖のようになってしまいました。食後の緑茶のサービスに感動します。コーヒー500円は出費が大きいのですが、新しい、もっと経済的なカフェーがあったら教えてください。
『作家と結婚したい』
既婚の作家と結婚するにはどうしたら良いですか。
『気がききません』
焼肉を他の子の分まで裏返してあげるような気配り力を身につけたいのに、つい、自分の肉を裏返してしまいます。気配り上手への道を教えてください。
『友人が手相にはまった』
仲の良い友達が手相にはまってしまいました。自分の手相を変えようとしています。説得したいのですが、自分の手相をききたくて気が散ってしまいます。お互いの頭からてそう、の文字を消す方法を知りたいです。くだらなくてすみません。
再びアレルギー薬服用。列車にて昏睡。崖から落ちたようなぎくり、が数回。こうして拙者の体も蝕まれ、ホルモン剤による女体化が進行するものと思われる。甚だ不自然極まれり。
本日も松尾と町田についてばかり思いを巡らすMMディ。やはりホルモン剤の影響多。前者の真顔、後者の笑顔に癒しと高揚感を得たり。鼻血ブー。これぞまさにドラッグ顔といえよう。薬も酒も甘味も要らぬ。二人を撮ったカラー写真集さえどこかが出してくれさえすれば。言わずもがな、ここまで来たら拙者が出す。
白○書房と扶○社の問題が一言違わず同じであった。順番が違うたら、などとひとりごちてみようとも運命は変わらず。業に従いて生きる。白○から出す。
町田町蔵の演奏会は「死ねない自殺者の舞台」と言われるとか言われないとか。彼が演じたという「阿部薫」の名をインターネット上にて捜索するも、写真は雲隠れ。どれほどの生き写しなのであろうか。見んといてえな、と言われると見てしまうのが人情。刃傷松の廊下を人情松の廊下と思いて生きること十余年。キッチュをキャッチュと思いて人に語り伝えること二十年。何を隠そうそれは拙者のことじゃ。
やっぱりやめとこうかいな、とこうかいねえ、と悩んだ挙げ句に結局筒井康隆『小説のゆくえ』(中央公論社)を購入。その前に『カルチュラルスタディーズ入門』『実践カルチュラルスタディーズ』(ちくま新書)。筒井氏のに限らず、三島賞選考委員の過去の選評を遡って読むはいとおかし。筒井氏の文体は小生、と改まって始まったものをおれおれ、と言い出すパンキッシュさを含む。書くうちに変化する文体は気持ちが良く、こちらも加速してゆける。と、偉い先生に向けてなんだかんだ書いて非常に恐縮。
文学を理解するには社会を理解せねばならず、社会学を学ぶうちに教育学や政治学にも、哲学にまで手を伸ばす必要に迫られる。何処まで行ったらあの本やこの雑誌言っている意味が分かるようになるのだろう。「頭のいい振りをしたまえ」と仰る方あり。振りが愛嬌だけでできる時代は過ぎた。拙者ももはや二十一。「分からないから教えて欲しい」と頼むことは、恥ずかしきことであるのかもしれぬ。高校生のうら若き乙女時代に何を学ぶかなど決められるはずもなかったと今更感じて。知識を抽象化することが教育だ、という意味が最近少し分かる。
夕食はカリー。不味い菓子。固い煎餅をかじりてタイプ。明日こそはきちんと生き、きちんと書く。本日は垂れ流して尻切れとんぼ。きゃっほう。
さいたま市民と鴨 鴨とモスコ モスコとトロ トロとハーゲン 美しき人生に鴨のしこしこは欠かせない 愛想良き面接に落ち愛想悪き面接に通る 力を入れた紙が落ち、だらだら書いた紙が通る みつ目がとおる 結婚案内状来
町田康の『権現の踊子』が今更毎日新聞の書評欄にあり。サイン会も終わり、時既に遅しと見るが、まだミラクルヤング生音演奏会が残りしか。この人を褒めるのは簡単だがこの人になるのがいかに難しいことか。下降の美学を体現するにどれほどの精神的苦痛、非難、世間体の凌駕があるかと考える時、やはり彼にはなれず、彼の妻にも愛人にもプチ愛人にもなれないのだろうと諦観が心に沸き上がる。
「本当にありがとう」という一言に胸打たれ、白昼に泣く。
オオアワガエリという見たこともない草、あるいはあるにも関わらず以て是をストレンジャーとし見ていないことになっている草、のアレルギーに悩まされ、強い薬を服用したため女性ホルモン乱れる。食欲減退により2キログラムの減量に成功。特に痩身したという指摘なし。鏡面外見に変化なし。無為。
若きバンドの何回転んだっていいさをリピート。これではミスターチルドレンではないかと安き自分を嘲笑。何回転んだっていいのか。あるいは。
近日、再び集団見合い有。地獄の果てまで優しき彼は在りや。もはや美しき彼は要らず。鼻については例外。局部愛好。男子手玉計画は断念。断片のプラトニックな快楽で生きる拙者。
無意味に高田馬場(主に芳林堂)を徘徊。 ↓ 友を呼び出す。 ↓ ほとんど偶然に、知り合いの雑誌編集者に会う。と書くとちょっと格好いい。ガンダム好きアキバちゃん、兼ヒモに会う。と書くと興ざめだな。つまり、今日私はガンダム好きアキバちゃん兼ヒモの、雑誌編集者に会った。学生時代、もてもて栄光期の彼のような、見た目の輝きはすっかりなくなって、服はぼろぼろだしTシャツも縮んで髪の毛もぼさぼさ、太りとはげが進んでいたけれど、私は彼が本当に素敵だと思った。早く自立したい。人に会うたびに情けなくなる自分を辞めたい。 ↓ 3人で茶。ルノアールで小一時間ほど。松尾麗子(拙者)はゴス女である、という根拠のない批判を受ける。全くもって不本意だが貸した金が返ってきたので良しとする。拙者はヒモを抱えません、断じて。 ↓ 友宅。カーサブルータスが不愉快だから持って帰ってくれ、と言われ無償で頂く。ロッキングオンジャパンで鹿野編集長が六本木ヒルズだか汐留シオサイトだかの悪口を書いていた。nobodyというメジャーなミニコミ誌(語義矛盾)で、私のいっこ上のライターがMRの悪口を書いていた。悪口を書くのは簡単だというけれど、相手が相手なので両方とも格好良い。金を貸す。 ↓ ひとりで芳林堂再訪。都築響一『TOKYO STYLE』(ちくま文庫)を購入し、読んだら一人暮らしがしたくなった。色々な生き方があって、優等生じゃなきゃ死ぬって訳でもねえな、クリエイティブに見えたってみんな悩みはあるんだよな。そう考えてみたら少しからだが軽くなって、帰りの埼京線から眺める荒川が美しかった。このだらだらと過ぎてゆく、何者にもなっていないぬるい地獄の日々を、私はいつか思い出として振り返ることが出来たらいいのに。そうしたら君と、またおいしいお酒が飲めるかもしれないのに。地元の駅。外灯がない田舎道から月を眺めて、涙が出そうになるのをこらえる。(また北川恵吏子風)
一体何ヶ月振りだろう。
便箋に、万年筆で手紙を書いた。失敗する度に新しい紙を使う。メールよりも心がこもるというのは、(年寄りの屁理屈ではなく)本当にそうかもしれない。何枚も何枚も失敗して、まるでドラマの1シーンのように丸めては捨て、を繰り返した。
ラブレターでもないのに、最後の一行を書き終えたら、もう会えないかもしれないその人のことを思って涙が出た。こんなに誰かのことを、しっかりと考える時間を持てるというのは、何と贅沢なことだろうか。満たされた思いが胸に広がる。しかしやがて、恐ろしく一方通行で不毛な紙切れにも見えてきて心が揺れ、それに耐えられず私はすぐに封をした。
ああ、ちょっと気を抜くと、すぐにこういう感傷的な文を書いてしまうから嫌だよ。私のオハコはこっちなんだろうか。
2003年05月23日(金) |
「僕らの自由を 僕らの青春を 大袈裟に言うのならば きっとそういうことなんだろう」(奥田民生) |
『ばかのハコ船』(→公式サイト)という映画を見た。とてもいい映画だった。私のリアリティ(というのか、「世界観」といのかもやもやとした言葉しか出てこないが、とにかくそういうもの)とぴったり重なった。
うだつのあがらない若者たちが、悩んだり一輪車に乗ったり喧嘩したり、マンホールに落ちたり彼女以外の女とセックスしたりしながら、埒のあかない日常と非日常を繰り広げていく。全く作風は違うのに、『リリィシュシュのすべて』と同じ感覚(=強烈な共感)が胸に残った。格好わるい、何もない田んぼだらけのぬるい郊外、田舎が、日本には一体どれだけあるのだろう。
私はここ、埼玉北部で生まれてここで育った。そして思う。どうしたら、「北欧出身の新進ロックバンド」や「アメリカンドリームを夢見たエミネム少年」にシンパシーを抱くことができるのだろうと。
自分の代弁者のような作品に出会い、立ち位置を確認する。それは同時に、まわりとのコントラストが浮き彫りになることでもある。相手をよく理解もせずに、感覚だけを共有した気になっていた、そう、消費していただけであった他者の存在についてふと考えさせられるのだ。
これだから洋服は辞められない。これだから女の子は辞められない。心の雲はすっかり晴れた。
宣伝会議の面接があったので、帰りに原宿→渋谷をぶらりと歩く。最近大型百貨店の決まった階と無印良品しか見ていなかったので、あてのない買い物は久方ぶり。乙女心の熱狂、狂乱。特に興奮したのはアウトドアショップのAIGLE。「本気で」乗馬する人のための全身コーディネートが素敵すぎる。ブーツはたったの一万七千円。トゥモローランドで買ったら5,6万はしそうだ。
頭に血が上ったのでシップス勤務のおしゃれボーイに「やばい!可愛すぎる」ってんでメール通信したところ、きゃつも同じことを考えていた。やはり我々、業か何かで繋がってるんだわ、と勝手に推測をして狂喜乱舞(でもないか)。その直後、「俺のフレンチカジュアル熱もあそこから始まったのかもしれま千円」とおフランスからほど遠いコメントが。君はつっこみがない場面で話してはいけない。
さらにセント・ジェームスで贈答品を選ぶ。ああ、人の着るものを選ぶのがこんなに幸せだと思うのは、スタイリスト気質だろうか。拙者はもしや、スタイリスト君ならぬスタイリストちゃんなのでは?と思索は巡り巡るけれども特にどこにもたどり着かず拙者はぷーに戻る。
昨日の続きだが、願望を達成する第一歩として『ロック・クロニクル』(河出書房)を購入した。これはもしかしたら、橋本治の言う”てっとりばやい理解”、つまり安易な手段なのかもしれないが、なにもやらないよりはましだろう。活字というのは常に、理解するために何かを提供してくれるはずだ。この本は友達が、拙者がロッキングオンを受けるときに勧めてくれたもの。
これ読んで来年も受けるよ。(たぶん)待ってて、トム。(たぶん)
2003年05月21日(水) |
美しい目や鼻や、口がそこについている奇跡。 |
町田康詩集を買ったら巻頭にカラー写真が付してあり、その顔を見るたびに鼻血が出そうなほど興奮する自分を、もはや「面食いではない」と言い張ることが困難になった
将来が不安だ そんな弱音を吐いても将来がどうにもならないことを知っている だからこそ結局拙者はせめて形の上では、なるべく誰にも頼らずに生きていこうと決めたのではないか
レディオヘッドの新譜が出るのを楽しみに、また、彼らが来日するサマーソニックの頃には自分の将来への不安が少しは取り除かれていることを祈りながらスヌーザーを読んでみた しかしトム・ヨークの話になかなか付いてゆけない 帰りの電車、ウォークマンで「OK COMPUTER」を聞きながらこれは拙者が聴いて良いレヴェルの音楽ではないのかもしれない、と自信がなくなり停止ボタンを押してしまう
「日本人は、一体”分かる”ということをどのように考えているのだろうか?分かることに時間をかけてはいけないのだろうか?〜”分かる”ということはそのことによって全く新しい視野を切り開いて、恐れることなく未知の領域に進み込んでいくことなのに、どうしてこうも日本人は、自分の頭で考えて分かることを嫌がるのだろう?」 ウォークマンの停止ボタンを押した後に、先日読んだ橋本治『浮上せよと活字は言う』の言葉たちが浮かんできて、そうだ拙者は勉強すればいいのだ、それだけなのだと思い直す しかし勉強して、トム・ヨークの言葉が本当に分かるのか、理解できても実感できないことは沢山あるよなと一抹の不安
女性ホルモンの作用
上記のような理由で拙者は本日非常に気分が落ち込んでいる。解決法としてロイヤールミルクティを飲んでみるけれどもいつものように可愛いイメージになれぬ。結局こうしてパーソナルコンピュータに向かって誰にとも宛てず文字を打つというところに最大の癒しを求めてしまった。まったくどこかの掲示板と同じ精神病理であることだよ。
これでは華がないので以下、拙者の嬉しかったこともいくつか記しておく。
舞城王太郎氏が『阿修羅ガール』で三島由紀夫賞をお取りになった 拙者が昨日書いた、「ファンタジー、笑い、実験」この三つの要素がすべて盛り込まれた作品だったと筒井康隆氏が選評で絶賛していた 私も数ヶ月前に友人が強く勧めてくれたおかげで村上春樹以来の「好きな作家」を発掘することが出来た 感謝 新潮社ホームページ(今年の選評はまだ)
松尾さん(他、常磐響系セレブリティ)の台所を公開した本が、パチンコ必勝ガイドがメイン商品である白夜書房から出版されていた これから受験予定の会社と自分との接点は、大切にしなければと感じる 特に拙者はパチンコをしないのでな
はなまるうどんで初めて「かけ」ではなく「ぶっかけ」(冷)を食べてみたら大変美味い これで当分飽きずに通えそうだ
拙者はファン倶楽部の皆さんに生娘麗子ちゃんと呼ばれているくらい、日々デッドリーシリアスに生きているので、真面目でなさそうに、(なさそうに、ね)生きている人が本当に羨ましい。町田康、または町田康が演じているように見える町田康という人物のことが好きな理由はそこだ。
ところで先日、毎週貧乏人を紹介しているどうしようもなく生産性のないテレビ番組、『銭形金太郎』(テレビ朝日)に大変興味深い人物が出演しているのを目にした。49歳詩人貧乏さんである。お金がないので女性への贈答品はすべて愛の弾き語り(これがまたひどい歌だった)。貢ぎ癖があるのでいまだに貯金はゼロ、だという。拙者は彼を見て何を思ったか。「ああ、49歳になってこんなどうしようもない生活しててもどうにかなるんだねえー」という身も蓋もない感動に浸ってしまったのである。別に本人が楽しいのか知らないけれど、はは。そう、はは、と笑ってしまうのであるよ、こちらが。
ここまでいったら恐いものなしだ。恐いものなしといえば。友人が「家賃を3か月滞納してるしヒモになっちゃってるし、今ポケットに130円しかないからCD売って電車賃を出さないと仕事に行けない」と嘆いているのがあまりに可笑しく、「ははは」と笑っていたら、本気で怒られた。君のいいところは君がヒモになってる姿をまわりが想像して笑ってるところなんじゃないですか、と怒られながら拙者は思う。家賃を3か月滞納し、体を売りながらポケットに130円しかない時に、はは、と笑ってもらえる人に、拙者はなりたい。まあしかし生娘麗子嬢の場合、どうせ「首吊るなよ」とデッドリーシリアスな電話がかかってきてしまうのが落ちだろう。
なんてなことを考えていたら、筒井康隆が週刊ブックレビューで、今文学に必要なものはファンタジー、笑い、実験だとおっしゃる。そうだよ、笑っちゃいたいよね。はは。ははは。この人は町田康を押してくださっているから、大好きだ。ああ、引用がふたつともテレビジョン。
旧友から突然誘いがあったので新宿のドトール、フレッシュネスを梯子して語り倒した。役割として私が喋り続ける(彼女が聞く)のが慣例となっているため喉が枯れた。男と別れる、別れないの話になってようやく聞き役にまわる。別れない方がいいと思うよ。他人から見ると生産性ゼロの一日だが、それでも落ち着くのでこの人とは歳をとってもずっと一緒にいるのではないかと感じた。
雑誌を購入し、友人への贈答品を思案。人の物を買う時は本当に興奮する。100枚カタログもこんな時には便利だ。こんな時にしか便利でない。「あら、窪塚くん顔がちっちゃいわねえ」と母が語りかけてくる。
毎日書店に行く。もはや病理。文字起こしを怠っているのに新しい企画を思いついてしまった。思いついたというか完全模倣。100人のマイ・ベスト・ブックストア。個人的興味に過ぎないが、ここでやったらなかなか面白そう。
食後の茶が新茶に変わる。美味。狭山の茶畑まで足を運ぶ道楽な両親。
2003年05月17日(土) |
諸国浪人噺 「磨具編」 |
「不細工と話すのは慈善」。ああ拙者、久方ぶりに名言を聞いたぜよ。何のことかとおっしゃる前に、あまあまあ落ち着いて聞きなされ。
先日とある春の日に、貧乏浪人のうちに飯を食おうとるんるん遊びに行った。拙者、春風に誘われて油断したか、いやいやそんなはずもなく、いつもの通り苅る意味のこなしで、おおっと軽い身のこなしで、お銀のように、さささと上がり込んでは茶など飲んで帰ったつもりが大事件、流血流血の大惨事、とは言い過ぎか。
ことの始まりはつまるところ、拙者がこの長屋に、何故か歯磨具を忘れてきたのだという、そこからであった。だいたいそのような愛くるしくてモダーンなものを、歯磨き嫌いの拙者が携行していたのか、全く記憶にないのである。いや、断じて拙者の持ち物ではないのである。
が、しかし、その浪人宅ではその後、「ああた、ねえ、これはなあに?ねえああたったら、女を泊めたんじゃあないのかえ。ってこの二つの硝子製湯飲みで茶ぁを飲んだ形跡は。ぎゃあぎゃあぎゃあ。ながぁい髪もあるんでっしゃろ、ぎゃあああ」「断じてこれはそこもとの、いやいやわしの、磨具じゃろうて」「そちのであったら何故、このように宿泊用容れ物に入っておるのじゃ、それもこれもわらわが三十路過ぎの婆だからしたことか、許せぬ、何たる無礼じゃ。ひかえおろぉ、ぎゃああああ」「待ってあんた、それはお店のお金っ」
と、込み入った修羅場が繰り広げられたのだという報告が、今更拙者に入ったのである。これぞ、時効となった被害届(拙者が下手人[げしゅにん]らしい)である。まあしかし、こう事が大きくなってしまってはもはや、歯磨具がありやなしや、それは少しも問題ではなくなってしまう。これが世間の恐いところでありんす。
「携行用歯磨具がなければ連れ合いの発狂もなかったであろうことよ」、と血眼で迫る浪人土地持たず、に対し、拙者は断じて謝罪せず。「あいすまぬわ、ふがふが」「ふがが?」と適当な返答を繰り返していたところ、彼、ついに本性を露わにし、「おぬしが謝罪せぬとあらばわしも武士、義を尽くさねばおかみにも連れ合いにも面目が立たぬ」とついに刀と切腹用白装束を取り出した。それもその筈、この男の連れ合い、実は今回の一件で嫉妬深い本性、業ちゅもんが目覚めてしまい「一、おなごと口をきいてはならぬ。二、不細工と話すのは慈善行為に限る」等々、百以上にもわたる項目を定めた武家諸法度を作成してしもうた。やほほ。
尾張三河、摂津に美濃。武蔵に加賀、蝦夷・讃岐、大和・近江と、水戸光圀がまわるのにも1クールはかかる倭の国。なるほど世間は広し。拙者の想像を軽く超えるおなごがここにおったことよ。散らばった話をここにひとつ、くるっと風呂敷でまとめてみれば「磨具の携行には、細心の注意を払うべし」とでもなろうか。いやいや甘い。磨具などは、持ち歩くべからず。諸国巡りのこれ掟なり。ふががが。(続?)
「才能がないことを徹底的に信じられるか否か。才能がないって諦めたら、何でも出来るでしょう。その覚悟が、あるかないかですよ」。寝袋 雑魚寝 埼玉県朝霞市 プレハブ 弱さ 貧乏性。
村上隆。にんげんドキュメント。
またこいつかよ。何、奈良美智?六本木ヒルズ?ビトン?と思ってしぶしぶ見たら、凄かった。世界の村上は、「アートがなければ生きられない」と繰り返した。涙が出た。ただの秋葉ちゃんにしか見えないおじさんに、泣かされたんだ。ここでしか生きられないという若者がたくさん--といってもおそらくラッキーな30人--が、汚いプレハブで浮浪者のように眠っていた。怒鳴られていた。辞めろよ、おめえなんか、と。どうして続けてるの?とマイクを向けられた一人は、「わかんないっすね、まだ」と静かに言った。「最初の二年は、掃除しかしてなかったっすね」
芸大を出た人、成功している人、アートな人、スタイリッシュな人。彼らを「おしゃれあほうめ!」と目の敵にしていた。しかし、イメージしか見ていなかったのは、私のほうだった。そうだ、自身の心の深い闇なしには、人の心を動かすことは出来ないのだ。どんな芸術であれ。
明日テストだし、泣いてる場合じゃないけど。今日も勇気をもらって、私はまた頑張るのだと思う。ここでしか生きられないと、勘違いしている場所があるからかなあ、と思う。
町田康と結婚してえ町田康と結婚してえ町田康と結婚してえ。町田麗子になりてえんだよなりてえの、町田麗子さん、て病院で呼ばれてさ、「はあい。ほほほほほほ」「ひそひそひそ、あの方、あの町田町蔵さんの奥様じゃなくって?しっ、見てるわ、ひそひそ」ってな視線の嵐を浴びてえ。なあ、浴びてえの。なんなら百円あげてもいいよ。
まあいいです。いいんです。いいんです。いいの、ほっといてよ。
最近煩悩が多くていけない。日記が欲望と垂れ流す文句ばかりで埋まっている。もっと慎ましく生きよう。しかし毎日うちから外出しないというのは不健康だし履歴書しか書くものがないというのも芸がない、たまにはぴちぴちした男の子とお話くらいしたいけれど、もういいや、探すのは面倒臭いし法を犯すつもりもない。よくよく考えた末、そんなときには本屋が一番だろうといつものビルの2階に赴く。芳林堂へ。
書店にはまってしまったら、本当に抜け出せないことは抜け出せないでいる人には分かると思う。神保町の古書店街にいるもっさいおじさんは、自分がもっさいことを知っていてもっさいままでいる。何かの世界にどっぷり浸かってみると、そこはそこで実はとても気持ちがいい。白装束と変わらないと言えば、変わらないのかもしれない。町田康のエッセイ『へらへらぼっちゃん』、中原昌也『エーガ界に捧ぐ』、橋本治『浮上せよと活字は言う』、坪内祐三『三茶日記』。4冊買うのに3時間。ああ、もっとお金があったらなあ。高給取りになりたい。また煩悩だ。最近馬鹿になっているからドストエフスキーで自分に渇を入れよう。
また埒があかないことばかり。毎晩泣いてます、あなたを思って・・・なんたらと、書かないとな。こりゃ乙女度が足りねえ。ビートとグルーブがたりねえよ。
煩悩つながり。 「才能がないって気付いたらね、もうむなしいだけですよ」。瀬戸内寂聴が『わたしはあきらめない』で話していた。私小説を書く人の気持ちは少し分からないでもない、むしろ書けるものなら書いてみたいので、彼女のように分かりやすくドラマティックな人生を背負っている人が羨ましい。ネタには苦労しないのだろうな。最近は講話講話で、『生き方上手』か『大河の一滴』かという人になっているけれども、”流行作家になった後に死のうとして、出家した”、そのときの辛さは、きっと凡人には計り知れないものなのだったのだろう。今日の彼女の表情を見ながら想像した。こどもを捨てて夫を捨てて、それでも小説家になりたかったような人にとって一番辛いことと言ったら、小説がこれ以上うまく書けないと悟った時に決まっている。それは私にも、なんとなくだけれど分かる。男に一万回振られても、(彼女の場合は捨てても)まだ、自分の才能はどこかにあるんじゃないかと信じているからこそやっていけるのだ。そういう型の女の人なのだと思う。
父親が家にいると午前中から時代劇の再放送が流れる。ゴールデンにも時代劇かサスペンス、火曜日なら歌謡コンサート、たまにいい旅夢気分。こどもの文化レヴェルは、親のそれに大きく影響されると激しく主張して慰謝料を要求したい。うう。ビートルズをギターで弾くお父さんと、家族セッションがしたかった。昔、橋爪順(純?)という大江戸捕物帖に出ている俳優の大ファンで、新宿コマ劇場まで公演を見に行った。7歳頃の話。さらにさかのぼって幼稚園年長さん頃に好きだった芸能人は、細川たかしと森進一。絶対に友達には言えなくて、とんねるずだよ、と虚言を吐いていた覚えがある。今更だけど、何か質問があったら何でも聞いてね。ちなみに三日月傷は、旗本退屈男じゃぞ、助さん。
「せっかく飛行機にしたら、悪天候で新幹線より時間がかかった。最低の気分。もう黒魔術は解いてくれていいんだけど」。友達からメール。 「君の呪いのせいで彼女が嫉妬深くなった。美人と話せなくなった」。久しぶりに電話したら、前の彼に言われる。
いくら私がカヒミカリィを目指した黒髪のせいで、手相の人に声をかけられまくるとはいえ、高橋まりこちゃんになろうとした結果高橋真理子になって美容院を後にしたとはいえ、ほんっとうに私はゴスではありません。タロットも持っていないし、ろうそくもたらしてません。いい加減にしなさい。
ちなみにゴスの起源は、「ゴシック」、もともとアンチキリスト教の人々がゴシック様式に過剰な思い入れ、装飾をしたところから始まっているのだそうです。という豆知識まで、彼は教えてくれました。どうでもいいです。どうでもいいですが、会社に受かったら髪をアッシュに染めます。
3時間も新幹線に揺られているのだから(新幹線は揺れないけどね!)『キャチャー・イン・ザ・ライ』を読み終えようと必死にホールデンくんの語りに耳を傾けたけど、これが退屈ったらないよ。まったく、『この世はもうファッキンだね』なんてことを始めから終わりまで文句垂れてるガキの話は、悪いけどそんなにわくわくするもんじゃないんだ。分かってくれるかな、ディア?僕(と君)はこどものおしゃべりなんかに付き合ってる暇がないほど大人になっちまったってことさ。最後、この少年が精神病院にいることが発覚した時、僕は「ああやっぱり」って思ったんだ。「ああやっぱり」!!なんてことだ。やっぱりなのは大人たちの方で、社会の方で、この少年に罪なんかひとつもないってのに、僕はもうそういう考え方はできないほど頭が固くなってしまったんだよ。急に泣き出したり喧嘩しだしたり、そういうのはもう新鮮じゃなかった、少なくとも今の僕にとってはね。
最近はだめだよ、もうこうやってへんてこな文章ばかり書いて、人に読んでもらおうって気が少しもないんだから。気?っていうより精神かな。サービス精神てやつ。そういう意味で中原昌也氏は尊敬に値するね。「書きたいことなんてない」ってほんとに思ってる(と、少なくとも僕には思いこませてしまう)、それだけであんなに面白いんだからね。”ほんとに”ってとこがポイントなんだ。世の中には「『書きたいことがない』ってことを書きたい」輩がごろつきまわってるんだからさ。君のまわりにだっているはずだよ。
退屈だから服の話でもするよ。そう、昔から退屈な時は服の話って決まっているんだよ。何も軽く見ている訳じゃないよ。時間をつぶせる話題は本当に、何に比しても貴重だし素晴らしいものだ、ねえ君もそう思うだろ?僕は最近チノパンにはまってる。しかも細身のがいいね。ラルフローレンのボタンダウンシャツなんかをさらっと羽織ってベルトを締める。ポパイ世代のスタイルアゲインてとこだね。人真似はよくないって?世の中のすべてのものはサンプリングで成り立っているんだよ。そこにオマージュがなかったらごみだけどさ。ああ、僕はまた眠たくなってきちゃったよ。中身がない話だなんて言わないでくれ。中身がないことを意図して書かれた文章だってあるんだよ。世の中にはいろんな種類のゴミがあるってことを、君は今日学べたじゃないか、ねえディア、許しておくれよ。
2003年05月13日(火) |
腐って壊れてアンナ見る。 |
ku:nelというマガジンハウスの雑誌が売れているというが、まったく人間食う寝るだけでは立ちゆかぬ。あたしだって何の根拠もなくこんなこと、口走ってる訳じゃないよそこで頭にバンダナ巻いて、畑に出かけてオーガニックに生きてるガールたちよ。これは実験だったのだ。食う寝る遊ぶ?一体人間はこのくそ田舎で、食う寝る排泄で、どれだけ生きてけるんじゃろうかという。三日。三日。三日。家にこもったれいこちゃん、何を見たのかって今日イタリア語講座で常にモデル立ちする胡散臭い土屋アンナ氏を目撃したくらいだよ。言わずもがなテレビジョン上で。がんばれアンナ!やる気ないのは分かるけど、3チャンネルはNHKだって、知ってるか?
悶々とするのは辞めて、チャンネルを切り替えてみれば美少年岡田准一。彼と結婚する手段として、今履歴書を書いていることは当たっているのかしばし悩む。最中を食べる。
こきおろしたい。こきおろしてこきおろしてこきこきおろしつくしてこきおろしつくし。たい。コレットのコンピレーションとかドレステリアの店員とか、筒井道隆を出さないテレビとか。カフェーののぬるいキャラメルラテとかデリデリの小さくて小さくて3分で食べ終わっちゃいそうな9点盛りとか。なんてうそさダーリン。君が好き。それだけさ。明日は大阪。
2003年05月12日(月) |
マッドチェスターですって!! |
「長期間旅に出ているバックパッカーが一番恐れていることってなんだと思いますか?お金やパスポートを取られることでも戦争や飢饉でもなく旅をしたいという『思い』がなくなること、だそうです」。
友達からもらったメールに、興味深いことが書いてあったわ。そもそもあの人たちは、何故旅に出るのかしら。こんなことを考えるのは、先日の面接で「君はなんでベトナムに行ったの?」と聞かれたから。ベトナムで何をしたの?ではなくて、何故行ったかを聞かれたのは初めてだったもの。そんなこと、考えたこともなかった。
「考えたこともなかった」。
ここで終わりにするつもりだったけれど、皮肉なことに面接の前の日に私、旅について書いちゃってるのよね。あら。「私が旅に出るのは、私の心の辺境にたどり着くためです」なんて言えばよかったのかしら。
24HOUR PARTY PEOPLEは本当に素敵な映画。生まれて初めて、イギリス(の田舎生まれの白)人になりたいと思った。「ハシエンダ」(マンチェスターにあった伝説のクラブ↑)でエクスタシー打って、ファッキン!とか言ってみてえ。そういう快楽が似合うもの、あのひとたち。
同じ「憂鬱な時代」に生きていても、私は顔色の悪い日本人で、ちょっと道で「手相を見させてください」とか言われちゃう陰気な娘さんだから、いいのよあんな派手なお薬ははいらないの。渋谷パルコの地下でね、ブックカヴァー選んだ帰りにyusoshiでお茶するのが気持ちいいから。
でもね、そんなフレンチに憧れてる純日本ガールも、うちに帰ったらNEW ORDERで踊り狂ったらしいわ。そういう映画なの。お薬みたいでしょう?凄いでしょ。
「あたしが真面目に生きていたられいこちゃんみたいになったのかも」。松尾的先輩に言われる。なるほど。昔友達に「君のいいところはセックスとか色々なことに真面目なところだから、これからもそこは変わらないでいてほしい」と言われたことを、突然思い出す。真面目真面目、まじまじめめ。まっじーめん。
うふ。これからは私のことを生真面目系ガールと読んで欲しいわ。そしたら三つ編みにプリーツスカートで、あなたの元へ駆けていくから!!
手紙を、とても久しぶりに書く。 ペンを握るのも1ヶ月ぶりくらいだ。 君がいなくなった後も、世界は続いている。 何故だろうと思う。 君がいなくなったとも、世界が続いているのを、 僕は許せない。
「戦争はどうして起こるの?」 と悲しむ大人たちの気持ちが、少し分かった。 何故?という気持ちに込められた、烈しい怒りの強度について。
だからあらゆるものを置きっぱなしにして、僕は眠り続けたんだ。
僕を必要としてくれる友人や、 僕が昔キスをした恋人、台所に転がっているサランラップや、 前日に冷凍した一善分のごはん、 風呂場のぬめり、町田康の小説群(新作が出たと聞く)。 そうだ、あらゆるものを。
不思議なことに、自害しようだとか旅に出てしまおうだとか そういう具体的な行動にでようとは思わなかった。
そう思う力さえ、残っていなかった。 消えていた。いっさいがっさい。
今日、僕が目を覚まして、 (カレンダーで逆算すると3週間以上眠っていたことになる。そうだ、放り出していることさえ忘れて書かなかったけれど、工事現場の仕事はどうなっているのだろう。ああ、もう行けない) 最初にしたことは何だと思う? 君に電話をかけようとしたんだよ。 「映画に行こう、めちゃくちゃいって領収書を切るからたださ」と。 まったく、自分の愚かさに嫌気がさした。 僕が眠り始めたのは、 君がいない世界を、消すためだったというのに。
僕には昔、伝えたいことが山ほどあって、 それを分かってくれない君をだいぶ責めたこともあったけれど 今になってみると僕がいいたかったのはこういう愚痴だけ、 ごみだけだったのかという気もする。 しかしそれはあまりにも悲しい。ので反芻はせずにもう一度、 眠るしかないのかもしれない。
こういう堂々巡りの手紙を、それじゃあ何で書くのかといえば、 手紙を書いているあいだだけは このうすっぺらな便せんの上に君が生きている世界が 繰り広げられるからだ。
新型肺炎は、君を狙い撃ちにした後に、日本を去った。 村上春樹のいう「圧倒的暴力」の存在を、僕は感じずにはいられない。
気持ちが落ち着いたら、また書き直すよ。
敬具
新潮社落ちました。私のことをよく知る人々からいつも言われてきた自分の悪い癖、というか本質的な人間的欠陥が出てしまいました。出てしまった、うーん、ばれてしまったというのかな。自分がいいと思った本を自分の言葉できちんと説明できる力を付けないと、やはり新潮レベルの会社は辛い。雰囲気も聞いてくれることも私に合っていたと思うし、無理して繕ったこともありませんでした。ただ、さらけ出した「ありのままの自分」の力が、足りなかったのです。
やるべきことはあると思います。いくらでも。これでも生きていくしかないんだから頑張らないと。でも涙も出ないんだな、驚きました。振られた時は布団から起きられなかったのに。
とか自分で書いたけれど夜中にぼろんぼろん泣けてきた。BSの韓国ドラマで涙、BEGINの『島人ぬ宝』で鼻水。友達から「あいつらをみかえしてやりましょう」ってメール貰ってもうだめだ、ぐちゃぐちゃだ顔。
でもかんぱる。ここからだここから、ってもう腐るほど書いたけどまだ切れないよ私は。馬鹿と呼ぶがいい。
先日、成り上がるための手段としてあげた「職と手玉」計画。私が諦めたと思ったら大間違いなのよ。うふ。今度はオ・リ・ー・ブ・く・ん、な町田康、とコンパ!コンパ!!よ。昨日も今日もカツを食べたわ。全能感があるわ。負けないわ。そうよ、受かる受かる受かる受かる受かる。うかる。
ふとサークルの昔を思い出し、ああ、幹事長の家で幹事長が中村君の『ジュビリー』や奥田民生の『イージユーライダー』を弾いて、「へたくそ!」とか言われていたなあと、少し泣きそうになった。思い出について、記憶力がいいのもごくたまには得だと思う。「そこ」の空気やにおいや、笑い声なんかあんまりなくて「おめえんち狭いよばか」とかくだらないことばかり話した部屋の暖かさが、こうして、三年を経たある真夜中に私を救ってくれるだなんて、少しも考えなかった。だからってどうしようって訳じゃないんだけど。
「人生は旅である」という言葉がいかに重いか、旅をするように生きることがいかに難しいか、考えます。最近、特に感じます。と、今日送ったいくつかのメールに書いた。行き当たりばったりの生き方に憧れる。流れる時もまた旅人なり、って感じに過ごしたい。一方で、60歳までお給料がもらえる会社で知り合ったタートルネックにジャケットのかっこいいおじさんと並んで歩くのが夢だ。officeという外苑前の仕事用を名乗るカフェーに”仕事しに”入ってみたい。そんなことを本気で思う矛盾。
「心の中に辺境がある」旅を綴ったエッセイ、村上春樹『辺境・近況』のなかの素敵な言葉を以前も引用した。学生結婚してバーを始め、30を前にして突然小説を書き、デビューして売れる。好きだという理由だけで暇つぶしのようにこつこつこつと翻訳をしながら、さらにマイペースに大ヒット作を書き上げる彼の生き方。そこからは一切の自意識が感じられない。村上さんが「アメリカに住んでいて」と話しても少しも嫌らしくないから不思議だ。本人にそういう気持ちが少しもないからだろう。
ああ私は旅人のように、今を流れているだろうか。辺境を捜し求めているだろうか。ふと立ち止まって考えた。ニュース23を見ながらね。タートルネックを追いかけるのに落ち着いたら、旅に出ようと思った。きっとどこにも辺境などないけれど、私にしか見えないかけがえのない、同時にどうしようもなく不安定な世界はきっとどこまでも続いているはずなのだ。
ということを書いていたら、毎日新聞文化面の村上龍のインタビューにぶつかる。『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』―なんだか宮台先生の著作ようなタイトルだが、主題がちょうど私が考えていた辺境にある希望云々ということにつながっている気がした。読みたい本がこうしてどんどん増えてゆく。出版不況なんて、俺の購買意欲でぶっつぶしてやるよ!と窪塚風に叫んで今日はおやすみ。結婚おめでとう。
2003年05月07日(水) |
坪内さんで手に取った |
私はこう見えても結構けちだし、貸したお金は返して欲しいし初任給30万の会社に勤めたいし、もし勤めてもそれを男に貢ぎたくないし、着ない服はラグタグに売ってすぐさま使えるお札にしたいしスイカのチャージが無くなったら凄く寂しい気持ちになるような人だ。だから雑誌や単行本や文庫、コミックを毎日本屋に行っては買ってしまうだめな性分であるとはいえ、一応自分として、価値のあるものにしか投資しない厳しい心をもって平積みの棚を眺めている。
そんな私が2800円もする写真集をぽんと買った。
友達とレッドピーマン(村上春樹『ノルウェーの森』でワタナベくんと緑が初めて出会ったレストランのモデルと言われている、とまた聞きした)で勝つぞ!と言いながらチキンカツをたいらげ、さて埼玉へ、レポートやりに帰るべか、と早稲田駅に向かう帰り道。通りにあるあゆみブックスという12時まで営業しているなかなかどうして気の利いた書店に入ったのが間違いだった。ずっと知っていたけれど中身を見たことが無くて、売れていることも知っていたけれど自分には縁がない、江國香織のような立ち位置に属していたはずのその一冊を、何故か今日私は開いた。運命的に。
神蔵美子『たまもの』、である。
坪内祐三が映っていた。私が受けている授業で、数メートルのところで見た、それでもとてもとても遠いと感じた坪内先生であった。
帰りの電車で一気に読んだ。どれだけ切ない写真と文字が並んでいるのだろう。もしかしたら泣くかもな、痛くてひりひりするかな。少しわくわくしながら読んだけれど、中には涙の素もきゅんとなる気持ちも詰まっていなくて、代わりにそこにあったのは「ああ、私がここにいる」という激しい共感と恐怖だった。一緒にあゆみブックスにいた友達からメールが入った。「そもそも、何故出版するのか、という動機は理解不能ですが」。返信。「私にはこういう写真集を出してしまう人の気持ちが痛いほど分かります」
ひどく私的で、スキャンダル以外の何ものでもないような作品が、「作品」として出版されることの、意味を考えてしまう。そして私のように、この写真集からスキャンダル以外の部分―非常に強く、全体を貫く力強さ、はかなさ―に深く癒される読者が日本中にどれだけいるのだろうと恐ろしくなる。
もしあなたが心を持っていて、しっかりと人を愛し嫉妬できるのなら、この一冊できっと泣ける。しかし、心を持っていなくてしっかりとは人を愛せず嫉妬することもない生き方に、今の私は憧れているらしい。
2003年05月06日(火) |
じゃあみんな、一体何を買ってるんだ? |
全身の力が抜ける。やっちゃいけないよそれは。どう考えてもいけない。オリーブ休刊。
出版社は厳しいだとか色々聞くけれど、あの雑誌をなくしたら日本は悲しい国になってしまう。なんて大げさかな。雑誌なんて人の人生を変えるものではないし、週か月に一回、流れ流れて旅人のように、忘れ去られて束ねられて、年一回くらいある大掃除のときに廃品回収に出されるのだろう。最近は、ブックオフで物好きが買うのを待つのかな。それは分かる。でも置いておく。私は涙を流す、この大きな「文化」の悲しい末路に。(ってやっぱり大げさだよね)復活を願ってやまない。
気を紛らわすために思い出話をする。語っておきたい年頃らしい。私にはいくつかの転機があった。生きてきて21年。転機と言ってもたいしたものではなかったけれど、私がただいま生きながら作成中の「私物語」の中ではクライマックスを形成している部分だ(と勘違いしている)ことは確かだと思う。それらのひとつが本の世界との出会いだった。
小学校まで、私はシャーロックホームズとポワロ、それからX、Y、Zの悲劇シリーズを読みあさるこどもだった。何故そうしたのかは知らない。一冊目の記憶は全くない。しかし読むことは本当に快感で、同時に書くことも自然な行為になった。何かを読み、吸収して自分の言葉としてはき出すという繰り返しを、当たり前のように続けることは、少しも苦痛ではなかった。それを人に見せるのは快感だった。読書感想文を嫌がらなかった。(感想文はミステリーでは書けないことは知っていたけれど)
しかし、中学・高校と私はほとんど読書をしなくなった。ぱたりと。優等生な自分のイメージををなるべく消し、馬鹿になりたかった。「読書を教室でしちゃう子」は敵だった。ああいう真面目ぶった人たちに、私はあらゆる場面で勝たないといけない。証明しなくてはいけない、私の実力を。外側で真面目なことはしたくなかった。書く時に出てくるプロットは、すべて小学校までの読書から引き出してきたものだった。考えてみれば大したものだ。どんなくだらない文章であれ、読まなかったら絶対に書きつづけられないからな、今は。それでも感想文を書けば、私は「読書を教室でしちゃう子」よりいい賞を取った。ファッキンな15歳だ。なんて書くとかっちょええな、ってのは勘違い。ファッキンファッキンファッキンオン!
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』。大学二年の夏。私はこの小説から、読むという麻薬に再び取り憑かれた。村上春樹を読み続け、読み踏み、読み倒して、彼の作品に関しては新作が出るまで読むものがなくなった。(『海辺のカフカ』読了後の現在も)まわりの世界との違和感。自分が、どこともつながっていない感覚。無欲。心がない男。何かを失った人が新しい何かを見つける物語。誰も求めない主人公。私の味わったことのない感覚だった。本当に綺麗で空っぽで、しかし非常に精巧な世界がそこにはあって、私は私が好きになる人の心の中を覗いたような気分になった。
私はつまらないアルバイトをしていた。コーヒーを売ってはたまにこぼして怒られる。繰り返し。それでも地下鉄のシートに座っている時も、仕事が終わった後に寄るスターバックスの椅子にもたれながらも、一人暮らしのひとりの部屋に戻ってスウェットで寝ころんでいても、私にはもう一つの世界が待っていてくれた。「デタッチメント」。春樹作品と共に、私は自分の内へ内へと降りていった。脳の中にはもう一つの世界があって、そこには私がもう一人住んでいた。ああ、何と素敵な経験だったのだろうと今思い出してもため息が出る。
一冊の本との出会いが、今の私の進むべき道を決めているといっても過言ではない。村上春樹さんに感謝している。(あんなに有名な方なのに、何故か遠く感じないことが不思議だ)大学に入って、春樹作品を勧めてくれた友達にも感謝している。「でも愛というものがなければ、世界は存在しないのと同じよ」そのくだりを思い出すだけで、私には希望が見えるのだ。
2003年05月05日(月) |
ぽろりとイエローキャブ、舞城王太郎。 |
家からでなかった。昨日は地元の友達とボーリングで球を投げた。「すごーい、やっぱ地元だよねー」「最後にはここに戻ってくるんだもんねー」「倉木麻衣の歌詞ちょーいいよねー」。そういう町だ。田んぼがあって、ヤンキーがコンビニに溜まってて、気付いたらそれが友達だったりして、「れーこちゃあん」とか声をかけてくるような、どぶ川河岸にエロ本が落ちてるような、よくある田舎の町だ。
この間JUNONを立ち読んでみたら「好きな男」ランキングの上位の若者がほとんど分からなかった。ああ、そういえばオリーブのニューフェイスを紹介するコーナーに載っていたかも・・・ってそのくらいの感じ。成宮なにがしくん、それからwindsの個人名。ビジュアル系の雅?それは亡くなった方?「やばいよー、歳とったよ」と形ばかりのトークを繰り広げるのはもう辞めよう。本当にやばい時は口に出せない。そういうものです。
「それと、ちょっと前に久しぶりにちらっと見たオンエアバトルに、長井秀和で出ていて、その中の、『甲本ヒロト、世間はお前思ってるほど、お前に厳しくないぞ。むしろ優しい。お前は結構愛されているぞ』という科白が可笑しくて、思い出すと、笑える」。 内緒でちょこちょこ見ているサイトがあって、その女の子の書くことが本当に面白くてやめられない。片乳出しても小説書きてえ、とか。書きてえな、確かに。片乳出してもな。MEGUMIがテレビでぽろりについて話す。へえ、ぽろっとなる乳ね。ああ、私どうなるんだろう。将来が不安だぜ。
久しぶりだ。昔、誕生日の深夜12時に男から電話がかかってくるという、もう漫画みたい!なことがあったとき以来かなあ。ひたすら涙が出続けた。嬉し泣きといったらおかしいだろうか、欲しくて欲しくて仕方なくて、でもずっと(無意識に)我慢していたけれどほんとはしんどかった、くれって言えなかったんだよというものがそこにあったという、溢れてくる涙だった。
『ぼくんち』(シネスイッチで何故か900円)。
「普通の幸せが欲しかっただけやのになあ」 「なあ二太、普通ってなんやろ」 「それはきっと、たきたての御飯の中にあると思う」
あーあ。今日の3次面接は電話がこなかったけれど、それでも私は生きてゆくのである、たぶん。それでも生きてゆく人に、是非見て欲しい。
少し前まで社会人になることが嫌で嫌で仕方なかったのだが、最近は独り立ちしたいという思いが日増しに強くなる。一緒に大学生活を送った人々が、社会人として愚痴ひとつこぼさずに、素敵に活躍しているのを見るからだと思う。「素敵に」というのはあくまで傍観者でモラトリアムの中にいる私の評価であり、本人たちは毎日生きるか死ぬかでやっているのだと想像するが。ずっと社会の外に出ていける何かを探していて、それが本だったり音楽だったり、セックス(しないけど)だったりしたのかもしれない。就職活動をしていると、自分が今までそうして貯えてきた逃避の手段までもが、社会人になるためになかなか役にたつことを知って少しだけ嬉しい。
ちょっと、rinちゃんのサイトが面白すぎるので紹介しておきます。「珍名さんいらっしゃい」と「ペンキジーンズ」が傑作。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/97742/
2003年05月02日(金) |
表紙がシャネルの広告! |
本棚に大切に並べてもらえる雑誌が作りたいと思う。読み返す度に高揚感を与えられるような雑誌を。記憶にとどめてもらえる人になりたいと思う。会う度に何かが残るのだと、言ってもらえるような人に。
ああ、今月の流行通信には、ちょっとすごい、ため息が出た。「映画×ファッション」という、私でもエントリーシートに書きそうなよくある企画を、何処にもないような一つの「世界」として完成させている。単なる紙の束は、編集者の手によって私のブックシェルフで決して色褪せずに光を放ち続ける宝箱に変化した。40、50年代の、むせかえるような銀幕女優たちの色気と、現在進行形で進むコレクションとのしっかりとした結びつき。問題意識はイラク戦争に揺れる私たちにまで到達する。
ブリジット・バルドーやヘップバーン、マリリン・モンローら、”永遠のミューズ”を手本にするという方法は、実は手垢のついたものだ。それならノンノだってもてるために必死で真似るし、シュプールもヴァンサンカンも繰り返し繰り返し特集を組んでいる。
でもさ、格が違うのよ。映画作品自体の立ち位置を、しっかり説明している点、私たちの生きる時代に、なぜ女優スタイルなのかをしっかり問う姿勢。毎号驚かされる美しい写真やデザイン、斬新なレイアウトは、「世界」をつくり出すための道具に過ぎない。
見かけ倒しの雑誌が多い、と以前偉そうに書いた。おしゃれっぽい、のがそんなにいいかな。本当のおしゃれって、知性でしょう。なんてまた偉そうにいってみるのは心底この雑誌を体現した女性になりたいという憧れゆえだ。今日の新潮社の面接は、私という人間の小ささを酷く露呈する結果となってしまった。自分のうまい見せ方より、どこを見せても素敵な女性になることが私の急務だと改めて感じ、気を引き締める。
そう、で、今日の面接で私は本当にこの会社に惚れ込んだ。面接官が全員もろ好み。かっこよすぎる。少しもスノッブなところがなくて、それでも仕事への静かなプライドが滲み出て、本当にいい本だけを作っている伝統が全員からばしばし感じられるわけです。髭なんかおはやしになったおじさまがずらりなわけです。
私の好みのパターン(従来) 1闇を抱えた無臭王子系 ex. 田中紘邦 加瀬亮 七尾旅人 小沢健二
2アウトロークリエイティブ系 ex. 松尾スズキ 町田康 宮藤官九郎
3優しいホスト系 ex. 特に芸能人ではあげられませんが、中学時代からこういう人をよく好きになっていました。ZIGGYとか、ヒムロックとかバンドでやっちゃうような人を。
私の好みのパターン(新) 4文学系編集者 ex. 某社社員様 坪内祐三先生
「タナカ、今月のユリイカに出ていたブロンテ姉妹の記事を見たかい?」 「ええツボウチさん、小さな世界であれだけの物語を構築するって、やはり圧倒的な才能よね」
ちょっとちょっと!!夫婦なのに名字で呼び合うのって夢。 どうでもいいことを書いて憂さ晴らしをしてごめんなさい。 おやすみね。
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