2002年10月30日(水) |
三大欲求についての考察(面白くないのにやたら長い) |
財布を忘れてバイトに行った。
お昼が食べられなかった。
一日のうちでお昼休みの一時間が最も幸せなOLバイトにおいて、 これは致命的である。 本郷のスタバに意気揚々と入り、 残り少なかったソファ席を奪取し、 「松尾スズキをよみながらカフェモカっ。」と 鞄をいくら探しても財布がなかった時の悲しみと言ったらないわよ。
それでも会社を出てきた手前 どこかで時間を潰さないといけない。 近くの公園で一時間。 空腹でひとり読書。
向こうのベンチでは浮浪者の方がお昼寝。 私のベンチにはヌード写真面が表になったり裏になったりしながら 誰かの捨てたスポーツ新聞がはりついてくる。
辛かったー。
空腹は何よりも人を苛立たせる。 地震などの災害が起こったとき、 救助員がまずやらなけれないけない仕事は 炊出しだと聞いたことがある。
極限の空腹状態での”イライラ”は、 性欲が溜まり切った男の痴漢に走りたい”悶々”と極めて似通っていると思う。 「女を食った」と言うでしょ。 二つの欲求の基本的な出所は一緒なんじゃないかしら。 私は必死で何かを食べている姿を人目にに曝すのが結構恥ずかしい。 自分が動物のようで汚い存在に思えるから。
同じことを、友人Aがセックスについて言っていた。 「俺は何でこんな必死なことしてんだ」って あとから恥ずかしくなるのだそうだ。
人間は、「食欲」を随分とスノッブなところまで引き上げた。 「御飯食べに行こうよ」には「御飯を食べながら楽しいお話をする」とか 「御飯を食べる空間を共有して仲良くなる」とか 素敵な奥行きが加わっている。
私(こでぶちゃん)は勿論、楽しい御飯(の空間)(の時間)が大好きだ。 しかし、一文無しになった瞬間、私の食欲は 只、動物の食欲としてそこにあった。 いくら「スローフード」などと気取ってみても 足下が崩れた瞬間に、私たちの前には食うか食われるかの世界が広がる。
さて、三大欲求のうちの性欲と食欲が同じ類のものであろうと書いた。 睡欲も然りだ。 我々は疲れると何かをむさぼり食うように、眠る。 友人Bはいつもバイトで極限の疲労状態にあり、 暇があるとすべてをさておいて寝ていた。 ファミレスの机、 アパート上がってすぐのせまーい廊下。 そこらへんの床。(ファミレスの床に寝ようとしていた時は止めた)
「睡眠はすべての欲求に優越するのかしら」と感心さえした。
今日見た浮浪者の方も、明らかに人が一人腰掛けられる程度のスペース (ベンチ)に体を折り曲げて寝ていたわ。
しかし、他の二つ(の欲)と睡欲は決定的に異なると私は思っている。 眠る、というのは大変上品な行為だ。 それは死と似ている。その上夢までついてくる。 「ずっと食べていられたらいいのに」や 「ずっとセックスしていられたらいいのに」に含まれる醜い俗っぽさが 「ずっと眠っていられたらいいのに」にはない。 綺麗だ。グロくない。 モノクロ(は死の世界の暗示らしいけど)、静寂の世界。
だから私は眠りが好きだ。 本当に好きだ。 お薬やきのこや、踊りやお酒や、 その他あらゆる快楽を使わずして私が生き延びているのは 睡欲が強いからなのかもしれない。
という支離滅裂な文章の最後にまとめ。 私は添い寝愛好家です。(すみません。)
2002/10/29 --------------------------------------------------- 続 恋文食堂 - 久しぶりに恋をしました。
はじめはふざけた気持ちだったのだけれど、 今日一日彼のことが頭から離れないでようやく気づいたのです。 好きなんだ。というこの感覚に。
と、こんな大げさな前振りからしていかにも嘘くさいんだけど 気持ちだけはいたって純粋です。 恋した相手は、かの有名な松尾スズキ様です。
しかも好きになったきっかけは、 彼の演劇でも容姿でもなく、ただそのエッセイによってのみなのです。 彼の主催する「大人計画」の存在は勿論、 BUZZで連載しているのも知っていました。SPA!でも常連だし。 それが、ちゃんと読んでなかったの。
でも私の中でなんとなく 劇団をやっている人=才能が溢れすぎたために(私には)理解できない という構図があって、 リリーフランキーは○、松尾スズキは?と勝手に決めつけていました。
ごめんなさい。
昨日もちらっと書いたのだけれど 私と彼は20歳近く年が離れていて、松尾さんは、はげています。 でも、こんなにぴたりと自分の感覚にはまるリアリティをもつ人が いるものなんだなあと感慨に浸りました。
こういう生き方をしている人が、 それなりにお金を沢山儲けられる社会の場所が 芝居というところには残っているんだという感動を頂きました。 賞まで貰っているんだもの。
私はだめ人間好き(私にはだめに見えない) と、今回のことで改めて実感しました。
松尾さんはだめじゃないけど! 元ヒモだけど! (こういう日記も突っ込まれるんだろなあ)
2002年10月26日(土) |
「美人じゃない魔法じゃない ばかな君が好きさ」 |
高崎線で実家に帰ったのは良かったが、 大切な書類やら化粧道具やらの入った袋を網棚に忘れる。 どうしようもないわ。
地元の駅から先に出た電車を追いかけて、 高崎駅まで慌ててとりに行ったらあったよー。 命拾い。 こういうことがしょちゅうなんだ。 だから仕事の要領悪いのだ。 分析はできているのにな。 分析してる場合じゃないのよ、直さないとお金がもらえないのよ。 はあ。 (「はあ」、とか書くと、なんだかほんわかモードみたいだけど 社会人の仕事が出来る出来ないって、 学生の勉強が出来る出来ないと同じかそれ以上の重さだからね。 本人には大問題なのですよ。 いいなあさくさく前に進める人は。)
忘れ物をしてしまった理由は、それでもちゃんとある。 友達が前の駅で降りてから 松尾スズキ「大人失格」を読んでいて、それが面白すぎたからだ。
どれくらい面白かったかといえば、 高崎駅まで荷物をとりに行って、地元の駅に帰ってくるまでの往復で ほとんど読み終えてしまったの、といえば分かってもらえるかしら。 高崎までの往路など、この本が無ければ 「荷物あるかなー」とそわそわし通しの一時間だっただろう。
松尾氏は私より20歳も年上で、私の一億倍くらいの名声があるのに 私と極めて似通ったリアリティを生きている。(と勝手に断言。) こういうコラムが マガジンハウスのハナコに掲載されていたのだということに 私は社会の救いを見る。 少し、就職しようという気にもなる。
彼の舞台は見たことがないのだけれど、 本気で惚れてしまったので是非行きたいと思います。
読んだことの無い方、是非お勧めします。 私はこのような方と、結婚を希望します。 まだ未婚だよね?
2002年10月25日(金) |
いとうせいこうを見に行くことになった。 |
docomoショップで待ち時間に、 東京1週間のプチ整形特集を読んだ。 簡単なんだねえ。十万あればできる。 私も鼻に何か、注入してほしい。 面倒臭いから別にいいけど。
結局、顔が大切なのかしらねえと思う。 政治家をみても、竹中も小泉(個人的に二人とも好み)も男前よね。 同じことを小沢一郎が言って、同じように指示されたのか疑問。
昔、ある男子と付き合っていた時に、 別にあなたが不っ細工でも嫌いにならないわ、というような 綺麗な台詞を吐いたのだが、 「俺が宗男になっても?」と聞かれて結構ぎくっとしたものだ。
うーん。
2002年10月23日(水) |
「近づいても 遠くても 知っていた 何もないこと」 |
もうすぐ満月だそうです。 ああ、今は気分が落ちる時期なんだな、って自覚しているとだいぶ違う。
■幻想のままでいた方がよいもの 今月のオリーブには、少しがっかりした。 先月の「音楽とファッション」、 先々月の「イギリス」はさすが!と感心したのに。
オリーブ読者の生活大調査があって、 それが明らかにスプリングやSEDAと同じ結果になっている。
実際、純粋オリーブ少女というものが どれだけ生き残っているかは謎だけど (私はオリーブを買っているがオリーブ少女ではない) でも、やるなら嘘でもやらせでも 幻想のオリーブ少女像を作り上げてほしかったなあ。
間口を広げるのが俗っぽくなるって批判する気はないです。 売れないと仕方ないのは分かるし。 だからリニューアル後のオリーブも好きよ。 ただ「好きな髪型の女性はYOUさんです」は ほかの雑誌にまかせておけばいいのではないかなあと少し寂しくなった。
■スピッツのカバーアルバム、一期一会を購入。 林檎病だー。本当に復活してほしいの。 女神なの。
「cosmopolitan」で「私たちはなぜ林檎に惹かれるのか」と 香山リカ(精神科医)が書いていたから気になって買った。 「いい子を演じてきた女の子が、 型破りな人生を文学的に表現する林檎にあこがれる」 というのが彼女の書いている内容だったが、 私は違うと思った。
椎名林檎は別に型破りなどではなく、 優等生だと思う。 優等生過ぎて、男に媚びる「雌」である自分が見えるから、 罪を感じるのだ。
■慣れ バイト先の編集長が、 「私は喧嘩なんて慣れてるから いい紙面が作れれば言い争ってもそれでいいの」とおっしゃっていた。
私は喧嘩に慣れていない。 というか、生まれてからたぶん一度も (親以外の)他人と喧嘩をしたことがない。 これは絶対良くないわ。
何でも慣れというのは大事だと思うんだ。 「ああ、こんなものか」って知っていくから。 21歳の目標は、(まだなっていないけど。と強調) 喧嘩することにしよう。 たぶんしないけど。
■「ちいさいことでくよくよするな」のような 自己啓発書の類が大嫌いで、絶対読まない方だったんだけど、 最近哲学者の書いた本(たぶん自己啓発書ではない)に 偶然啓発されてしまった。 ふうん。と思えた。 ひっかかりやすいのう。 気をつけよう。
働きたくなくて、仕事に毎日行くのが辛いなら 「ああ今日も地獄に行くんだ」と思えばいいと。 「どうせ人生地獄なんだから」だって。
ふうん。そうか。と思わない?少し。
まあ私も年がら年中哲学しているわけにもいかないので どうしたら鼻筋美人になれるか考えようと思います。
これは一応日記だからこういうこと書いてもいいかな。ああまた「これ」とか「それ」が多いって怒られる。 - 思い出がどうのこうのって、 言っても仕方ないけど 只あの瞬間に戻ってそれでもう、終わらせてください、と 誰かに頼みたいよ。
でも誰に頼むんだろう。
2002年10月18日(金) |
EUREKA-I have got it! |
宇多田ヒカルがアルバムを出した時に、 「あなたの本音に一番近い歌はどれですか?」ときかれ、 「お客の欲しいものを出すのがエンターテイナーで、 そこに本音も何もない」と怒ったという。
何かで読んだ話。
私はこの記事以来、宇多田ヒカルという女の子は どこまで果てしなく賢いのだろうと畏敬の念を抱いている。
私はこの、「相手が欲しいものを出す」っていうのが物凄く苦手だ。 だから何度も振られるんだろうな。 理由は簡単で、相手の欲しいものが分からないからだ。 お付き合いの場合だと、途中から分からなくなる。 または分かっても、絶対に出せないものだったりする。(美しい顔とか)
就職活動は全て、この原理で成り立っている。 こんなことなら商学部に行って、マーケティングを習えばよかったと たまに思う。
上がりも下がりもしない日常が続く。 映画「ユリイカ」を見た。 静かすぎる程静かな映画。嗚咽を垂れて泣く自分の声がうるさい。
バイトで、 「あなたは若い割に言葉が綺麗よね」と褒められた。 嬉しい。
■家族のこと。 実家に帰って、いつも感心するのは 食卓に並ぶ野菜のほとんどが 母のやっている家庭菜園からとれるものだということである。
母は私が生まれてからずっと専業主婦で、 とくにインテリなわけでも面白いわけでもなく 掃除が好きで、 毎日のウォーキングを10年続けている。 健康的すぎる普通の人だ。
「前の田んぼが借りられたらお米も作ろうかな」というので 本当に自給自足だねえ、と驚いた。
別に農家出身でもない人が、たとえ趣味でも そこまでやるのは色々面倒臭いこともあるんだろう。 何だって、きちんとやろうとしたらそれなりに力がいる。
「白菜がね、腐りそうーどうしよう」と 本気で落ち込んでいる。
私は母のような「お母さん」にはなれないだろう。 多分目指してもいないと思う。 ただ、 彼女のような生き方を心底尊敬する。
私が理想だとする母親像--気張らない気取らないキャリアウーマンで、 そこそこ綺麗にしていて、家事もそれなりにこなして、 だんなを名字で呼ぶような--を実現出来たとしても 絶対に母にはかなわないと思うのだ。
お母さんというのは、娘にとってそういう存在だ、 と一般論をいうと怒る人もいるかしら。
あと一ヶ月半ほどで今のアパートの契約が切れるので すこしづつ実家に荷物を持って帰っていて、 今日も埼玉にいます。
とにかく運ぶのに一番苦労するのが 雑誌と本の類。 実家に持って帰った雑誌の山から昔のを掘り起こして読んだ。 こういう作業は引っ越しとか大掃除のたびにはまる。
高校生の頃の「H」が出てきて。 初めて買った頃のじゃないかなあ。 クラスのおしゃれな女の子に、 「H」読みな、と言われてなんか綺麗な雑誌、 と思いながら訳も分からず買ったのを覚えている。 (今でも分かってないけど)
高校生の私に衝撃だったのが、 巻末の「個人情報」コーナー。
”女性求む!(女性編)”、 ”夕焼けが好きです、人が嫌いです、誰かと繋がりたい” この人たちは真面目なんだろうか、ふざけているんだろうか、 この意味の分からない固有名詞たち(今思えばアーティストとか、漫画の名前とかだった) は何なのだろうって、本当に理解不能な世界だったなあ。
■「メメント」のDVDを借りた。(遅いわね) 謎解きのようで面白い。 主人公の時間は 映画が進むにつれて後退していき、 最後に事件の「事実(真実?)」が暴かれる。
記憶とは何か?世界とは何か?真実とは何か?
時間軸が前に進む映画を見ることになれているので (当たり前だ、私たちの時間は前に進むのだから) 結構筋を追うのが疲れるけれど、 辻褄が合っていく快感は 村上春樹の「海辺のカフカ」や「世界の終わり〜」の パラレルワールドが 一つの世界に結びついていくときのそれに似ていると 個人的には思った。
瞬間ごとにすべてを忘れていくことは、 どんなに辛いことだろう。 しかし、それは同時にどんなに楽なことだろうと思う。
さっき起こったことが、 今の瞬間と何の脈絡も持たずに存在する。 ひたすら瞬間瞬間の、痛い、気持ちいい、美味しい、 ソファの感触、君の顔、それだけ。
そんな世界で生きたいと言って、実現しても困るのだけれど そんな世界で生きたいと思うほどに 色々なことが複雑に絡みすぎてぐしょぐしょだ。 (と書くほどぐしょぐしょなのか本当は知らない。 時間の感覚さえ分からない映画の中の彼の方が、 よほど複雑な世界を生きているんでしょう、贅沢言ってごめん)
■お笑いオンエアバトル 「なんでなろう〜なんでだろう〜なんでだなんでだろう〜」 の人たちが好き。 ジャージ着てきびきび動くだけで笑っちゃう。 今週は、あと二丁拳銃がよかった。
インタビュー、してもいいよと言う人をひとり見つけた。 ああよかった。 潰れないよ、このページ。
十月になって学校が始まる。 あと二ヶ月程で誕生日か。
■斉藤美奈子「文壇アイドル論」(岩波書店)という本が面白い。 アイドル作家は何故売れたか、についての本。 村上春樹、吉本ばなな、林真理子など、 まさに大衆相手に数字をとり、一時代を築いた人たちをとりあげている。
まだ読んでいる途中なのだが、林真理子編は鳥肌がたった。 論文でこんなに興奮するなんて。 そしてこうして謎解きをされてみてはっきり自覚したのは、 私は林真理子に激しく共感する女の子だということ。
男を踏み台にしてのし上がるマドンナでもない。 可愛い顔で媚び続けていつの間にか人気も手に入れるさとう珠緒でもない。
林真理子が「美しくない」ということはさすがに書けないのか 直接は触れられていなかったけれど 彼女のすべてはそこから始まっていると思う。
■渋谷西武のビルにある古着の階が好きになった。 VIA BUS STOPヴィンテージや突撃洋品店などが入っている。 ヴィンテージというものの良さを、改めて実感。 奇妙に値段が高いものをコレクションする気はないけれど。
少し前に友達と電話した時の話。 「ずーっと汚い同じ服を着ているんだけど それが体に馴染んでいる人というのは素敵だと思う」 と話したら、 きっとそれは その人の生き方が洋服に出るということだろうねと言われて なるほどと思った。
TOGAの記事をみた時も感じたことなのだが、 洋服に内面を投影する力があるかもしれない、という希望がある。 ヴィンテ−ジが似合うのには、 それなりの人間的「味」が必要なように思う。 私は表層だけを飾る媚びのファッションから、いつ抜けだせるのだろう。
2002年10月01日(火) |
ページを救う新企画誕生 |
知り合いの人から電話がかかってきて、 電話をするような仲の人ではなかったから何だろうと思ったら アルバイトを紹介してくれるという。
「本を作る仕事の手伝いだから いいんじゃなかな」と。
とても嬉しかったのですぐにでもお受けしたかったけれど いろんなことで手が一杯だから 手が一杯のあいまでいいなら、ということを伝えたら、 とりあえずできるかどうかは保留となった。
たなれい(私)は就職といっても、 全然どん欲な感じがしない。 大丈夫か?と心配される。
女の子はこういう時になると凄い力を出す子が多いけど 君からはそういうある意味「きつい感じ」が伝わってこない。
髪の毛を伸ばしてからなのか、 太ったからなのか おっとりしてそう、とかふんわりしてるねとか そういう第一印象を抱かれることが多くなった。
私は自分の黒いグロい欲や嫉妬や情念、 ナルシズムに振り回されて それらを憎悪し さらには逃げ出したいと思って戦ってきたというのに。
面白い。
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