2002年08月26日(月) |
ordinary,small,but happy |
明後日からシアトルに住んでいる友達のところに 遊びに行く。 向こうは涼しいらしいので母が羽織るものを買ってくれると言って、 今日は渋谷に出かけた。 母と二人で買い物するのはとても久しぶりだった。
マルジェラのカーディガンをねだったら手に入ったわ! ウールの黒いやつ。 大きさも「standard」のタイプでとても普通なのだけれど、 ”とても普通”な服を見つけるというのは 結構大変なことだと思う。
私は大柄なのでマルジェラの服のサイズが本当に体にぴたりとはまる。 こういうブランドに出会えて良かった。
代官山で赤ちゃん連れた黒沢優見たよ。 人違いかなあ。 でももう産まれてるよねえ、子供。 彼女はとても小柄で、お母さんというより少女でした。 赤ちゃん育てられるのかなあとか、勝手に心配しちゃった。
帰りは東急のレストラン街でうどんを食べた。 納豆おろしうどん。 美味。
デパートで外食するのは大好きだと思う。 きらきらしているデパ地下を見て回るのも同じくらい好き。 自分がとても幸せな家庭の子供に産まれたと思える瞬間だ。
最近買い物も何処へ出かけるのも ひとりだったので、 誰かが隣にいるというのは少し違和感があって、 それでいてこのうえなく幸せだった。
こんばんは。
世間ではエゾロックなるものが行われているようですね。 高校の頃に林檎ちゃんを見たいがため 友達にスペースシャワーTVを録画してもらっていたことを思い出します。
お元気ですか。 私はまだ実家に居ります。
実家というのはただでご飯が出てくるので 何もすることがなく、 従って昼寝と読書ばかりしています。
母は、 「れいちゃんはずっとこんな生活していたら 飽きて外に遊びに行きたくなるんでしょう」 と言います。 実際あまり退屈とは感じず、 ずっとこうしていたいと思ってしまうくらいで それが間違ったほうに進んでいるのかどうかということは 自分でも分かりません。
ここのところ難しい本は一休みという感じで 頭の疲れないものばかり読んでいます。
「虫眼とアニ眼」という宮崎駿と養老猛司(解剖学者)の対談 田口ランディ「もう消費すら快楽でない彼女へ」 本田勝一「アメリカ合州国」 宮台真治と香山リカ(精神科医)の対談など。
まったく統一感のない読書なのですけれど それなりに結びつくところはあって (全部小説でないせいかもしれない) 面白いなあと感じています。
養老猛司の言うことはなかなか的を得ていると個人的に思います。 確か何かの本で宮台に「駄目だ」と言われていたけど。
ニュース23に彼が出ていたとき、 「人間の体内の水は毎日半分入れ替わるんですよ、 私たちはどんどん変わっていってるんですよ」 と話していて、 「ふうんそんなものかなあ」 と単純な私は納得した覚えがあります。
この本のあとがき(?)というか、 「宮崎アニメ私論」に次のようなくだりがあります。
当たり前だが、一般に芸術では、 表現したいことが理屈ではない。 しかも芸術の方法は必ずしも言葉ではない。 ときに理屈になりやすい文学作品は楽である。 その作品について、ものがいいやすいからである。
しかし完全に理屈になるなら、文学作品を書く必要はない。 同様に、言葉や理屈になるなら、なにもアニメにする必要はない。 環境保護がいいたいなら、環境保護といえばいい。 懐かしいなら、懐かしいといえばいい。
(以下略)
彼は言葉(理屈)を添えなければ 素晴らしいと認められないなんておかしいという。 正論でしょうね。
そして私には、大変耳の痛い話でした。 レコ評を先にみてCDを買うような人だから。
何かに理屈を垂れたり 意味づけをしないと安心できないのは 悪い癖です。 でも逆に、素晴らしいものを どう素晴らしいかきちんと説明できる人も それはそれで才能なのだとも思うし。
この前「とても衝撃を受けた」と書いた 「リリィシュシュのすべて」で 女の子が「カイトになりたい」といって凧を飛ばしている場面で 涙が止まらなかったのだけれど どうしてなのかなんて全く言えないのです。 嬉し泣きだったことは確か、ということくらいしか。
話は変わりますが、中村一義君の新曲、 「新世界」を買いました。 最近急に仲良くなった女の子(といってもたまに会うだけ) からメールが入って、 「久しぶりに邦楽買ったけどほんとよかった!」 と書いてあったのでつられて。
中村君の最近のシングルは本当にど真ん中!という感じ。 評判どおりでした。
ところで彼女はメールで「元気?」と言ってくるときにいつも 大丈夫病気じゃない?へこんでない?本当に元気? というニュアンスが入っていて面白いなあと思う。
私別に鬱々している人じゃないよ。 というかとても普通の女の子で、 普通の女の子というのがどういうのかはさておき 「可愛くしてたいわ。」と オリーブを研究している健康少女なのよ。
明日明後日とまたバイト。 土曜日に前のバイトに最後の挨拶に行ったら すごく優しくされて。 どうしていつもこうやって いいところだけ共有してやっていけなくなっちゃうのだろう、と 少し悲しくなりました。
恋人同士だって、そんなにつらいこととか何から何まで 共有する必要あるのかなあ。 負の感情を出さずに 穏やかにやっていける人間関係というのは どこかに転がっていないのかしら。
手紙形式にしたら北川恵吏子だか江国香織だか 少女漫画だか、おかしな文章になってしまいましたが これはこれで笑えるからいいでしょう。
ではまた。 夏休みに一回くらい遊んでくださいね。
追伸 読もうか迷っていた吉本ばななの「虹」、 NHKの週刊ブックレビューという番組で 絶賛されていたのでやはり買おうと思います。
「癒し系」という傲慢な言葉が腹立たしい、という 高木美保(女優)が「本当に”治療される感じ、いいんだと思える感じ”」 と話していて。
ばななは高校以来ですけれど。
物事が急展開をみせ、 (というか単に先のことを考えていないだけ) いきなり明後日から新しいバイトを始めることになりました。
前のバイトを辞める日と新しいバイトを始める日がかぶった! ああどうしよう。 学校始まったらもっとどうするんだろう。 また生活が破綻するのかなあ。
結局私ってこういう人なのかなあ。 テンパったり愚痴ったりせずに仕事してたことがない。 ああ、本当に本当にどうしよう。 みんな、これから暫くごめんね。 どうしよううう。
現実逃避で別の話題。 1.作家、島田雅彦がとてもかっこいいと思います。 対談や批評文は良く見るのですが、 作品は読んだことがないので夏休み中に、と考え中。
2.ドレステリアでローファーを買いました。 スーツを着る機会があったのですが、 合わせる靴が無かったので母がお金を出してくれて。
それにしてもこの秋冬はドレステリアでばかり服を買ってしまいそう。 ど真ん中のトラッドでいきたい。
3.今日は神宮の花火大会だったようで、 音だけがどんどん聞こえました。 この前東京湾の花火に行ったのですが、 人が多くて疲れただけだったなー。 そういう年寄り臭いこと言いたくなかったんだけどなー。
夏休みになってからバイトの人以外と会ってない。 視野が狭くなるなあ、ほんと。 新しいこと話したいです。
高校の友達と飲んだ。 久しぶりに会ったら浪人して 看護学校に行ったのに休学している子がいて驚いた。
私の友人には世間でいう「普通の」人生を 敢えて選んでいない人が多くて、 こういうことを言うのは失礼なのかもしれないけれど とても尊敬する。
「じゃあそうすればいいじゃん」て あなたたちは言うのでしょうけれどね。
いつの間にか何日も過ぎているのが なんだか恐いので(受験の時みたいだ) 毎日目標をもって過ごそう。
暇な時に漠然と考えたことを。
”どうして手紙を書くのが好きなのだろう”
その人の書いているものを読んで、活字から想像していた感じと 直接会った時(有名人だとテレビで話しているのを見た時)の 印象が異なる人というのがいる。 というかぴったりの人というのはあまりいないのかな。
この人活字の時のほうが好きだなあと思ったり、 その逆だったりもするのだけれど 世間一般の価値観として『対面』重視の傾向はあるのだろう。
だから面接がある、ネットにも「オフ会」が存在する。 ミュージシャンのライブはファンにとっては大切なものだ。
でも私にとっては、結構その人の書く、『活字』が重要だったりする。 うまいこと書ける人が好きとかそういうことじゃなくて、 書く文章に、その人の本質が凄く表れる気がするから。
例えば活字と実際に話す言葉が、分裂病みたいに 全く違う人というのがいたとして、 私達がどちらの人格を信じるべきなのかって、 簡単に答えの出せる問題なのかしら。
「好きな人と一生文通できるなら結婚しなくてもいいや」 と友達に言ったら 「嘘−会えないなんて嫌だよ−」と いう答えが返って来たのだけれど、 別に冗談で言ったわけじゃなくて、そういうコミュニケーションを 本気で求めてしまう時もあるのだ。
活字というのはぶつかりあうことをしない。
そのことがはらむ両義性を否定するつもりはないし、 私の場合、混乱して支離滅裂に話す話題は、 結局書いても支離滅裂だったりする。
しかしそれでも私は手紙を書くのが好きだ。 手紙で暖かい文章を書ける人も好きだ。 ふだんは強いのに 手紙では突然弱くなる人も好きだ。 メールで絵文字を使う人を見ると、なんとなく可笑しくなってしまう。
そしてこの文章も支離滅裂ね。 ごめんなさいね。
「リィリィシュシュのすべて」を見た。 衝撃的だった。 感動した映画は沢山見たけれど、 こんなにショックを受けたのは初めてだった。 自分が正確に何を感じたのか、言い表わすのはとても難しいのだけれど。 (etc.に何か書くつもりです。)
途中からもうずっと、涙が止まらなくて、 悲しいのか嬉しいのか、それとも美しい自然の風景を見た故なのか、 とにかく酷かった。
恋愛のようだった。
出会わなくても良かった作品なのかもしれないけれど、 出会わなかったら私はいくつの感情を通り過ぎて今ここにいたろう。 プラス、マイナス、どちらも受け取ったし 正負の二項に括れないもっと絶対的な感覚を確かに感じた。
こうして感想を書いてもただの抽象論になってしまうので、 やっぱりちゃんと考えて書き直すね。
兎に角お薦めです。 中学生の頃、今よりも遥かに狭い世界にいて、 それは閉じていたかもしれないけれど 私は確かに何かを考えていた筈だ。
2002年08月04日(日) |
キーボード、眼鏡、ピンポン |
今日は久しぶりにどん底に落ちていて (という人に限って大したことないから大丈夫なんだけどね) 誰にも会いたくなかったので 夕方の四時までずっと眠っていた。 だけど目が覚めて、 「私はいつまでこんなことを繰り返すんだ、馬鹿」と 思い直し、 やらなきゃいけないのに溜まっていたことを片付けることにした。
眼鏡をなくしたので新しいものを作る。 キーボードを買う。 洗濯して部屋を掃除する。
とても簡単なことなのに出来ない時は本当にできない。
眼鏡は5000円で作れる店で買ったから 30分で手に入った。 ごめんね、アラン・ミクリじゃなくてー。 キーボードは新宿のヨドバシで。
帰りにテアトルの前を通ったら丁度 「ピンポン」の上映時間が近かったので見てから帰ることにした。 一人で映画見たの初めて。
期待通り良かった。 映画でも泣いた。 何度も漫画を読んでいたせいか、今回は違う視点から見えた。
私は、ペコでもスマイルでもない。 アクマだ、と思った。
「それはアクマに卓球の才能がないからだよ 単純にそれだけの話だよ 大声で騒ぐ程のことじゃない」
「飛べねえ鳥もいる」
「凡人にしかみえねえ景色もあんだよ」
スマイルは幸福だ、と私は思う。 その上かっこいいとも思う。 憧れる。 でもスマイルはそんなこと言われるのを望んでるんじゃないし、 才能を持つ幸福やかっこいいって誉められることに価値があるなんて 思っていないのだろうけど。
でもやっぱり、一番の救いはペコかしら。 「I can fly!」 「飛べる!」
何もかも私の期待であり、過剰な思い入れに過ぎないと 笑う人がいても、 私は絶対に飛べると信じたい。 飛べない鳥ならペコの背中に乗ってでも。
帰宅してからスーパーカーの「highvision」で踊った。
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