+女 MEIKI 息+
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気付けばあなたの名前を呟いてしまう唇は、時が経つにつれてあの柔らかい感触を思い出し始めるくせに、目の前にあなたが居るときに呼びかけようと動き出す時には、まったく素っ気無い返事ばかりが零れていく。 「天邪鬼」声にだして自分に対して動いたときに、ばかみたいに涙が溢れた帰り道。
「どんなことでも思ったことを言っていいんだよ」と、相変らずわたしには到底真似の出来ないことを言ってくれる。 思ったことをそのまま言葉にして、筋道も順序だてもせずに話すことを、放り投げもせずに聴いてくれる。調子に乗って喋った内容が、わたしの思惑とは違った展開になって、もしかしたら悲しませてやしないかと、後になって確かめてしまうのも相変らずだけど、その問いにさえ必ず応えてくれるあなたは、やっぱりわたしよりもずっと大きい。
見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに 目さへあはでぞころも経にける
明日は逢える。
2006年10月17日(火) |
Confessions |
夕飯らしい時間に食事を取ることが出来た今日は、眠るまでの少しの時間に久々にネットに繋ぎました。 繋いだところで何をするでもなく、2年ぐらい前になるのかな、ちょっと古いUsherを聴きながらキミからの電話を待っていたりしました。 日付が変わろうとする頃になると「なあ、ベッドに移動して寝ようぜ」と、猫が足元に擦り寄ってきます。 そろそろ季節も秋から冬の匂いをさせる朝晩は、お互いの温もりが気持ちよくなってきているようです。猫の温かさと触れたときのフワフワとした気持ちよさが、肌寒くなった秋の夜長にキミからの電話を待っていたほんの少しの寂しい気持ちも、待つということが何か柔らかいものへ変えてくれそうな気がしました。 「今日はきっと疲れて眠ってしまったんだね」猫にそう話しかけて、それでも携帯はパーカーのポケットに突っ込んでマシンの電源を落としました。 おやすみなさい。
縄のれんをくぐって引き戸をガラガラと開けると、カウンターだけの店。 詰めて座っても7、8人の客で店内はいっぱいになってしまう店が浅草にある。 わたしが店に行く時間には、そんな小さな店だからいつも満席近い。 例え、カウンター席に空きがあったとしても、カウンター席には座らない。 客の背中に当たらないようにしなが蟹歩きをして、トイレに続く通路を通って店の裏と、まるでこれから店の手伝いをする身内のように進んでいく。 奥に進むと間仕切りに使用しているような床までの長いのれんを二度くぐる。その先に小さなタタキがあり靴を脱ぎ、持参したスーパーのビニール袋に靴を入れ、店の裏の蔵にお邪魔する。 それはそれは大きな蔵を改造したそこは、掘りごたつが4つあるだけで他には何も無い。もちろん冷暖房不完備、エアコンなんてものはない。 夏は全開の窓と扇風機で天然の風で涼を感じ、冬は脱いだコートを掛けるハンガーにすでに掛けてあるどてらを着込みこたつに足を突っ込むのだ。 田舎のバーチャン家に遊びに行ったような感覚で、そのまま眠ってしまいそうになるほどのお気楽な飲み屋である。 テーブル(掘りごたつ)が4つしかないので、他の客との距離も遠い。 ひとつのテーブルにに12人は座れるぐらいの大きな掘りごたつに、時間の待ち合わせ通りに着いてしまったりすると、ポツンと一人なわけだ。 「呑むぞ!」の一声で集まる連中ときたら、約束の時間はあって無いようなもの。それぞれが定刻の時間に終了しない仕事に就いているという理由もあるが、なんとなくゾロゾロと集まるというのがいつものパターン。
というその店にこのところ行っていないので、そろそろ行ってみようじゃないか?と、声がかかった。 ところが、だ。 集まる時間を遅めに設定してくれたところで「あらん、行くわよん」な状態でない今は、そんな飲み会があると教えられたところで、指を咥えてるだけしかない。 ぬぉーん、なんか溜まってる気がする。
携帯のアドレス帳、久しく連絡をとってなかった人たちが数人登録されている。 連絡を頻繁にとっているから仲良しとか、そういうわけでもないのが実情だけど。以前に使用していた携帯から機種交換の時に随分と(連絡をとらず消えていったアドレスたちを)削除した。その中でも「もしかしたら、また連絡をとることがあるかもしれない」で削除せずに残っていたアドレスたち。
(関係ないのだが、アドレスたちと書いていて「みんなたち」を思い出した)
MJでもそう。 最初からあまり話しをしない人を無闇に登録したりはしない。それは誰でもそうだとは思う。わたしは相手から折角の要求があっても流してしまうことのほうが多い。 例え暇つぶしの遊びとはいえ、人との繋がりを持ちたくて覗く場所なのに何を構えているんだかと思うこともある。が、関わる距離がどうも掴めない。 ああ、それはリアルでは尚のことだった。 そんな訳で、携帯のアドレス帳に登録されている数も少ないのである。 仕事関連、タクシー会社、病院に劇場、呑み屋、そんな登録が全登録の半数、そして残りの半数が友人・知人が数件。たしかに個人携帯のアドレス登録にしたらショボいのかもしれない。 友人ってのはもう腐れ縁もいいところのきのおけない連中で、知人となるとそこまでの付き合いはない。そして微妙なところでネットを介して知り合いになった人たちが交じる。 「そーいや、このアドレスは生きているんだろうか?」的な感じでときに気にしながらも、さしたる用も無いのに敢えて連絡を取るのは気が退けてと、登録されっぱなしの状態である。 『おかけになりました電話番号は現在使用されておりません』のメッセージが流れれば「あら、そうだったのね」で即削除ではあるが、その試す機会すらもなかなか持たないまま現在に至る。 ところが何のきっかけもなく、唐突にメールを打ってみたりコールしてみたりすることがある。イタ電のノリなのかもしれない。
そして今日、その(イタ電の)白羽の矢が放たれた。 彼に最後に会ったのも、もう随分と前になる。
その頃は、ネットではなくパソ通の頃だ。あー逆算するのも恐ろしい。当時、わたしは大枚叩いてMacを購入したはいいが、使い道は今と変わらず遊びのみ。 その遊びを通して知り合いになった数人が、未だに携帯のアドレスに登録されている。 中森明夫が「おたく族」と命名したところで、ヲタの呼び名が一般的じゃなかった頃に、そのような称号をガッツリ付けてもらえるような人たちである。 その一人の人に、電話をかけてみた。
「あー、夜分にすいません」
「いえいえ、夜分OKです」
相手が誰だか不明なままの電話口に、そんな砕けた態度で出るヤツも珍しい。
ところが、ここで何と名乗れば分かってもらえるか。 相手を確かめるのに、何と呼びかければいいのかを考えずに電話をかけてしまったことに気付いた(そして、本名は知らない) やっぱり、当時のHNで訊くしかないのか。
「あのー、×××さんでしょうか?」
「うお?えーっと、そうですが」
「あのー、その、あのですね」
「その声は、まさか○○○?」
「はい、そのまさかの○○○です」
と、この後は暫し「生きてたのか?」「懐かしいな、誰々は今どうしてる」なんていう予想のつく会話を交わし、そしてお決まりのお互いの現状を話した。
文字で知り合ってから十ん年も経って住む環境も仕事も変わったのに、なんか相変らずな部分を見つけてはホノボノしたのだった。
と、そんなわけでして アフォな勢いの被害に遭われた方が居ましたら、一応は番号表示でコールしているので本人的にはイタ電話のツモリじゃありませんから、お許しください。
と、数日前を振り返って書いている最中に折り返しの連絡をくれたキミ。 嬉しかっただよ。
「書いてよ」と言ってもらえる。 そうだよね。 それがいつになるかわからないけど、後で読み返して「あの時、こう思ったんだったっけ」って思いだせるキッカケになるようなものがあるのも、またいいかもしれないね。 それがもう二度とサイトも開かなければ、七虹という言葉さけ聴きたくもない展開になったとしても、そんな時期もとっくに過ぎて感情さえ薄れてしまったとしても、どこかに証があるのもいいかもしれないね。
そうは言っても、自分では滅多に読み返すことなんて無いんだ。 それは書いている途中も、アップする段階になっても、アップした後でさえ殆ど無い。だからその時に思ったことの半分も、いやいやもしかすると思ったこととは全く違う方向の流れになっているのかさえも、確かめずに垂れ流し続けている。 それこそ初歩的なミスの誤字脱字だってそのまま晒してしまってる。 もしかするとそういうのは読んでくれている人に、とっても失礼な態度なのかもしれないけど、読むor読まないもサイトを開いた人が決めることだから「まっいいっか」で済ませてしまってる。 どうしても読んで欲しいんだよ!な文章だったら、もう少し真面目な構えで書き出すのかな。 ほら、社内報を書かなくちゃいけない状況みたいに、中らず障らずな文章でいながら最後のほうにチラッとだけその時の報告を書き出すみたいにさ。
この間、友だちがこんな話をしたよ。
喫茶店に毛の生えたようなカフェバーで。 サッカーの試合時は大画面でそれを流し、普段は洋画を流しているスクリーンに、その時はTV番組が流れていた。 進行役の女性キャスター、脇にはナンチャラ評論家が居て、インターネットについて語っている番組だった。
『インターネットに個人サイトを開設して、そのコンテンツのひとつに「日記」を置いている人の数の多いこと。最近では難しい知識も必要とせずに、無料でblogというものも作れる簡単さから、日々書き綴る「日記」をネットで公開している人口も凄い数でに増えている』なんていう話しだった。
それを観ていた友だちが「不特定多数の人に向かって個人の日記を晒すのって、どんな感情からなんだろう?昼間は真面目な人を装っているけれど、本心はこんなにもドロドロしているんだよ。そんな一面を誰か−それは身近な知人じゃなくて−に知って欲しいとか、理解されたいとか、その部分で共感を得たいからとか、対リアルとしてじゃない不明な部分で誰かと繋がっていたいからとか、そんな気持ちからなのかな?」って訊いてきた。 そう訊かれても、正直わたしには分からなかった。 そんな難しいことを考えてたら、ダラダラと7年も8年も続けてないよとは言えなかったよ。
でもね、友だちが言うようなことを思いながら、内容は別としても根っこにはそういう気持ちで日々書き綴っている人も居るかもしれない。きっとその人たちは、わたしとは比べ物にならないぐらいの思い入れが文にあるかもしれないって、ちょっとだけ想像してみた。
「わたしもね、ダラ作文をやってたりするよ」と友だちに言ったのだけど「あんたみたいな面倒臭がりが、そんなことをするわけが無いじゃない。興味で始めたからって三日も続かない」と流されたよ。
ぁ、ちょっと待った! こんなことを書いていてなんですが、こんなところでもわたしなりには思い入れがありますですよ、はい。
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