+女 MEIKI 息+
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マイケルジャクソンこわいわー。 昨日みた「ゴースト・シップ」の映画よりこわいわー。 何がこわいって、なんとなく理解しちゃうのかも?と思う自分がこわいわーと。
鯖味噌を作るのに生姜が無いのに気付く。 自転車に傘をさして日の暮れた小雪のちらつく暗い道をチリンチリン。 道路に工事用の白いインクで描かれた×印。 何故、骨に見えますか。 暗い道に濡れたマンホールの蓋。 何故、タージシールドに見えますか。 そして何故、どれも自転車で上を通らないと気がすまないのですか。
「ねぇねぇ、リチャード・ギアってどこが良いのかしら?」 「ええーっ!素敵じゃない。鼻血出ちゃうぐらい」 趣味は色々だと、また実感。
やっぱり、違う方向に飛び出てれば凄いんだと思うよ。 違う方向ってところが凄さにも繋がるんだろうね。
マーティン・バシール氏って、カルロス・ゴーン氏?
スッパマンうまぁ。
知ってる方は知っている。 知らない方には、何のことやら。 更新怠りサイトになっております。 そして、たまの更新とならうと相変わらずTOP頁を弄る癖は治っていません。文章(日々雑記)を更新すれやと、声がかかるだけ有難いとは思いつつ、料金を支払ってまでもゲームに現を抜かしております。 何かを書き出すことに向かわずにこうしてTOP頁を変えるのは、宿題を後回しにして遊びに出かける子どものようでもあり、要は現実逃避なんじゃないかと。でへへ。
読みやすい(見やすい)サイト作りとはなんぞや?ビルダー使用のわたしに渇を入れる気すらも、もう誰も持ち合わせていないようです。
こうして数年、自サイトを所有しながらも他サイトとの繋がりが相変わらず薄いと感じます。 物凄く仲良しになりたいとそういう風に思うのではなく、沢山のサイトがありながらソレを知らないということが、少し寂しい気がします。知ろうとしても、数ありすぎてムリとは思うのですが、そのほんの一部(自分の気持ちの震える場所)に辿り着けるのもまた至難の業なのでしょう。 みなさんは、自分のお気に入りサイトをどういう過程で見つけたのでしょうか。 いやその前に、それほどまで思い入れを持ってサイト閲覧はしてませんってなところでしょうか。
日々ダラダラと駄文を垂れ流すこのサイトの雑記は、その日の気分です。 必ずしも、その日にあった出来事でないのはもちろんのこと、妄想逞しく濡れ場たっぷりの文章もたまに晒してみたりもします。それも、その時のわたしの気持ちだったり、そういうものをアップしたいと思っただけに過ぎません。何か一定したものを随時アップし続けるサイトであれば、そこに行けばこんなものが読めると大体の予想が立ち、それを感じたいからサイト訪問をするとなるのでしょう。それを思うと、さて女息はどんなサイトなんだろう?と自問自答してみたり。
もちろん閲覧する人も、その時の気分によって感じ方が違うのでしょう。 それが噛みあった(ように思えたとき)に、お気に入り(ブックマーク)の登録をするのでしょうね。
アップしたからには見て欲しい。 見られたからには惚れこんで欲しい。 そんなふうに思えるようになりたい。
と、たまには思ってみたりもするのです。
そのためには、マズ文章ありきなのでしょうが、それが追い付いていません。
ああ、そんなんじゃダメだ!(髪をクシャクシャと掻きながら)気分転換にゲームでもしよっ。
2003年02月12日(水) |
ありがとう(で、いいんだよね?よね?) |
羨ましく思うことは、そこに自分を置いてみたいと思うこととはちょっと違う。 ここから見ているから「いいなあ」と思えるのだろう。
サイト散歩すると、サイトの移転やら受験のために縮小してたサイトが無事復活し始めたりで、なにやら活気付いております。気持ちが一足早く春めいて、ワクワク。
それと同じような気持ちで、見守れば良いのですよね?よね?
これとか 
これとか 
機械的な文字の並ぶこの箱から見る直筆ってところに、暖かみが…。 そして今、ポップアップ流行なのか?
更新はせずとも、他サイトの巡回だけは怠らずに良かった。 ああ、更新しちゃったけど。もし、これで更新をしなかったら、もっと色々な作品を見ることができたのかも?それを思うと、少し残念です。 (案外、その後には放置されるのが目に見えているので、寂しん坊のわたしはこうして出てくるわけで)
ところで、ごく一部界隈で「雑文祭」なるものが催されております。 いえ、参加するのではなく閲覧側に徹してブツブツと口ごもりながら読ませていただいております。それは、TV相手に喋るオババのように。 そういう意味でも楽しませてもらっております。
自サイトはさておいて、読むのは相変わらず好きです。
2003年02月04日(火) |
わたしがオバサンになっても |
『おいしそうだったから』な、理由でサイトの名前を付けた管理人さんへ
今回、リンクを表す部分を『 + 』表示にしたのは、女子高校生を気取ってみたかったからです。 ご安心ください、飽きも早いのでサクッと無くなる日も近いです。
「バババーババ…出ない(バーババ)一週間、溜まってたんが出ない(バーババ)」と、いう歌を知っているからって、歳の話はやめてください。昨日の節分に歳の数だけ豆を食べたら、腹をこわすだなんてことはありません。おなかがいっぱいになるだけです。 第一、そんな歌を知っているほうが、マニアックだと思います。
みなさん、豆まきのあとに歳の数だけ豆を召し上がりましたか? それとも、黙ったまま太巻きの一本食いでしたか?(今年は、南南東を向いて食すのだそう)
小学生の頃、学校への通いなれた道すがらで、ヒイラギの小枝に鰯の頭を刺したもの(「やいかがし」って言うのだっけ?)を、玄関先や門に飾っていた家を多く見かけました。 最近は、近所の花屋では扱ってはいるものの、あまり見かけなくなったなあ。
そういう風習も段々と見かけなくなるのかな。
風習というのではないのだけれど、夜に新品の靴をおろして履いたらダメだとか、そんなことを言われたことは無いですか?何がどうだからダメという理由はさておいて、「それは、良くないことなのよ」で片付けて強制させられた習慣というものは、この歳になっても、未だになんとなく引っかかっています。 どうしても、夜に新品の靴を履くかなくてはいけないときには、靴底(地面に当たる部分)にマジックで小さく×印をつけなさいと、そんな小さなどうでも良いことだけは、覚えていたりします。
この歳になっても。
午前中は、正月に旅行先で撮った写真を、コメント付きで見やすく整理されているサイトを見て過ごした。 そのコメントの中にも「Riven(リブン)のようだ」とあったのだけど、まさにその雰囲気。 写真ほどの臨場感は味わえないけれど、思わずもう一度懐かしい「Riven」が見たく(やりたく)なった。
たしか本棚に仕舞っておいたはず。 ガサゴソと探してはみたものの、見つからない。
「あ、こんなところに懐かしい本が…」と、本屋で購入したときにかけてもらえる紙のカバーも色褪せてしまった本を手に取り、パラパラと捲り数行読んでしまうと、いつしか逸れた方向になる。 そんな一度には読みきらないだろうと分かっていても数冊、手にとって日の差し込む部屋にに移動する。
座布団を二つ折りにしたものを胸の下に敷いて、畳の上で腹ばいになると背中がポカポカ気持ち良い。 読んでいる本をまたぐようにして、かまってくれと顔に猫が擦り寄る。本から目を離さないまま、猫の背中を撫で移動してくれるように促すのだけれど、本に鼻先を付けたり腕に押し付けるような頭突きをして邪魔を繰り返す。それでも日差しの暖かさと、のんびりした時間の流れに諦めたのか、気付くと脇に寄り添うようにして、体を丸くしながら寝てしまった。
猫は柔らかくて暖かい。
気付くと、猫のおなかに顔をうずめるようにして眠ってしまっていた。
そっと起き上がると、薄目を開けただけで様子を伺い、まどろみから覚めきらない声で「もう少し寝ていれば?」と鳴いた。 「そうだね」と、答える代わりに背中を撫でて、また本を開いた。
『Riven』の、壁紙(?)サイト
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