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突然の出来事。
2010年10月12日(火)

今、読み返してみると、その出来事は置いといて
書かれてました。まぁ、落ち着いてゆっくりと
書きたい気持ちもあったんだと思います。

先月半ば、父が倒れ、私が連絡を受けた時は
もう入院が決まり、手術も行われるという状況。
一番先に知らせを受けたのがおじ夫婦で、最低限の
手配をした上で、私達に知らせてくれた。
私自身は、休日のもうすぐ深夜という時間帯に
なる頃だった。
おじ夫婦は付き添いで病院に向かってくれ、
AM2:00前くらいだったと思うけど、経過を教えて
くれた。
幸いにも、私は翌日も休み。そして実はその2日後に
妹も2週間ほど、元々入院予定だった。
翌朝、隣のおばの家で、父の入院手続や必要な物を
届ける事とか、妹の入院についての打ち合わせをし、
昼間に私が集中治療室まで言った。
鼻などにも管が通され、腕もカバーなどで抑えられて
いて、横になっている父の姿を見て、初めて私は
事の重大さとか、父が大変な思いをしたのだろう&
しているのが解ったような気がして大泣きした。
しかし、父はその時は動けない状態だったけど
口だけは達者で、気持ちは取り敢えず元気なのは
わかった。
あれが欲しい、これが欲しい、ロッカーはないのか、
とか要望や愚痴を次々と伝えて来た。
家から持って来た物もあったが、物の位置が判らな
かったりして、持って来れなかった物等を院内の
コンビ二に買いに行く。
その後も、父が当時の様子とか、これまでの心情を
話したりして、集中治療室の面会は、ある程度の
制限時間があったみたいなんだけど、約1時間超
いてしまった(^^ゞ
大手術ではあったけど、入院期間はそんなに長く
ならないような話ではあった。
大丈夫なようなら、と私自身はまた来週の休みの
日に来るから、と言って病室を出ようとした。
すると、さっきまでまくしたてていた父が
「ありがとう」と弱気な感じで涙声になっていたのに
また泣けて来た。この時は、うるっときただけで
泣きはしなかったけど。

そして、妹の入院の付き添いや、仕事が休みの時は
おばが様子を見に行ってくれて、連絡を受けたり
した。
結局、ほとんどの手続などはおばが動き回ってくれた。
そして、4、5日、私は初めて誰もいない我が家で
1人過ごす事になる。2人とも家にいないという状況は
初めてだった。
そして、5日目の夜、父から電話が。
今日にでも退院出来ると言われたけど、服が無いから
持って来て欲しいとの事だった。
翌日はおじ夫婦が丁度様子を見にいく予定にして
いた。という事で、おじ夫婦に連絡し、着替えを
用意して、持って行ってもらう事にする。

そんな訳で、私が見舞いに行ったのは最初だけで、
かなり早く父は退院出来たのだった。
集中治療室も2日後くらいには普通の病室で、ご飯も
栄養食とかではなく、普通のご飯がすぐ出たらしい。
と、父は、退院してすぐ、普通の人のように過ごしたし、
先月末までは、父の勤める会社も、父のいないシフトで
組み直してくれたらしいのに、父はすぐ会社に復帰の
連絡をしたらしく、退院3日後には、知らぬ間に仕事も
始めていた。月末まで休めば良かったのに。
と、父はすっかり元気だし、あの入院が嘘のように
何事もなく、元通りの日々が過ぎていっているのだけど、
現在、父はずっと薬を飲まなければならない状況には
なっている。
これはもう一生の付き合いらしい。で、普通に過ごせて
いるので、父は「ついつい薬飲み忘れちゃうんだよなー」と
恐ろしい事を最初は言っていた。
薬を目に付く所に置いていいから、飲み忘れないでと
伝えた。今は応接間のテーブルに父の薬のケースが
置いてある。

そのうち、妹も退院して、今月を迎える前に一応
我が家は元の状況になった。
妹の方は、まだ仕事は復帰出来ず、今までより早めに
寝てくれるので、現在は深夜のTVとかが見易い状況(笑)



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