きまぐれがき
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書類に義父の名前を記入する段になって、ペンが止まった。 どうしても漢字を思い出せないのだ。 名前は言えるのだから、つぎつぎに思いつく漢字を傍にあった 新聞の折込広告の余白に書いてみた。 どれも違う。。違うということは分かる。
この間は従姉妹の苗字が思い出せなかった。 小豆に教えてもらっても、「へぇ〜あのうちそんな苗字だった?」 初めて知ったような気分となった。
昨日は、新しく開設した銀行口座の暗証番号を私の誕生日にし たつもりだったのが、帰宅して考えてみたらまったく係わりのな い数字4桁だった。 どこからこの数字は導き出されたのだというような。
林真理子のエッセイで、友人が婿入りしてきた夫の旧姓を忘れて しまって、そっと夫の実家の表札を見に行ったというエピソードを 読んだ時には、まさか自分の夫の旧姓なんぞを忘れるか!? 本当か?と疑わしく思ったものだ。
その時から10数年、私にも、物忘れがヒタヒタと忍び寄っていた。 愕然。
以前、ひょいと我が家の庭を覗き込んだお隣のお爺さんは 「ろくな木がない。。」とつぶやいて帰って行った。
子供の頃に住んでいた西荻には、雑木林が何箇所もあった。 道の両側に並ぶ地元の農家のけやきはどれも巨大で、覆い かぶさるように枝葉のトンネルをつくっていた。 そこは昼でも暗く、風に揺れてすれる葉の音が怖くて一人で は通ることができなかった。 一本杉の丘に登って周りを見渡すと、まだまだ武蔵野の面影 を色濃く残す景色が広がっていた。
雑木林の中に建つ三角屋根の家。 屋根裏部屋らしい窓の鎧戸が時々開いていて、オレンジ色の 灯りがぼんやりとともっていた。 あのガラスのランタンはアールヌーボー調だったと、今だから わかることだ。 秋、散り落ちた雑木の木の葉をガサゴソとふみしめて歩く門 からのアプローチ。 空にはジーキィジーキィと鳴く鳥が飛んでいた。 善福寺池の傍にこの家はたしかにあった。
場所は違っても、子供の頃に見たあの家を再現したい。 と思ったところで、あれは広い敷地があってこそなのだと諦め ざるを得なくて、家を建てた時に数本の雑木だけを植えたのだ。 雑木の庭なのだから、ろくな木はないのよ。お隣のおじいちゃま。
それでも、年に2回は植木屋さんに整えてもらう。 今日繁った枝葉の中からの見つけ物はまたまた鳥の巣、几帳面 に作られているので鳩の巣ではなさそうだ。それと蜂の巣。

鳥の巣を取り払うことに胸が痛まないではないけれど、いつの 間にか我が家の庭を繁殖場とした鳩たちには困ってしまったの で、卵を産まないうちにこの巣はなかったことにしてもらいたい。
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