きまぐれがき
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2003年11月29日(土) クリスマスも近づいて

いつも遊びに行っているとあるサイトに、新しく「素材の頁」が
できているではないですか。
予期しない素材たちの出現に、不意打ちをくらった感じの衝撃で、
息もつかずにダウンロードしてしまった〜〜
管理人さんのセンスの一端がうかがわれる、どれも素敵な素材
ばかり。

それに!「アダルトサイトへの使用は禁止します」と利用規定に
明記している素材屋さんが多いなか、「ぜんぜん平気、アダルト
サイトでもどんどん使ってください」だって。
大らかで太っ腹な管理人さんに、おもわずシビれてしまう。

その素材を飾りたくて、TOP頁をあのように替えました。
今はクリスマスツリーですが、しばらくしたらお花のリースに
してみようかしら? それともキャンドルにしようかしら?


我が家周辺では、11月に入ると同時にイルミネーションで飾られ
てキラキラ輝きだすお宅が何件も。
お隣は数年前にケヤキに絡み付けた電飾のコードがショートした
のか、ケヤキの梢は炎につつまれ消防自動車が来るなどの大騒動
をひきおこしたことが....
それでも懲りませんね。

今年の飾りは目もくらむど派手さ。
キラキラは、屋根のてっぺんから壁を伝い、ベランダの手すりを
這い、一旦庭におりて家を囲む樹木に絡んで這い登る、これすべて
が線ではなく面で、なのだ。
その輝きたるやまさに光の大洪水。

我が家はというと、お隣のおこぼれに預かっているものの、ひっそ
りと暗く沈んで谷底深くに落っこちちゃっているよう。


2003年11月26日(水) 新しいもの古いもの



「須賀敦子のアッシジと山の町」発売されております。
新しい本の頁をパラパラめくると、あ〜ん なんていい匂い。


古い本のかび臭いにおいも好き。
掛け軸などを保管する際にいれる独特の防虫剤(これ自体が
江戸時代っぽい古さに見えて...和紙で小さく包まれた中身は
お香のような?)のにおいも好き。

でも悲しいかな、アレルギー体質がこれらのにおいに過敏に
反応するので、図書館や古物商(アンティークショップと言えって)
を覗く時には細心の注意(といってもマスクをかけて長居をしな
いぐらいだけれど。)を心がけないとクシャミがいつまでも止まら
ない。
それどころか、図書館で借りてきた本を読んでいただけで、呼吸が
苦しくなって過去に2回入院している(笑)

本の頁を繰ったがために体調急変だなんて、「王妃マルゴ」で
猛毒を塗りこめられた頁に触れて苦しむ国王シャルルのようでは
ないですか。なんて。





2003年11月24日(月) グルジア

Nステのオープニングに「グルジアで無血クーデター」との
テロップが流れる。
そういえば議会選挙の結果をめぐって、かなり混乱している
とかの記事をネットのニュースで見かけたばかりだ。

シュワルナゼ大統領は、グルジアの大統領としてよりも
旧ソ連の外相としての馴染みのほうが断然深かったような
気がする。彼はドイツへの亡命を拒否しているらしい。

グルジアというと.....
まず思い浮かぶのがプーシキンの詩「歌うな、美しい女(ひと)
よ」だ。
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/9392/poem.htm

この詩にラフマニノフが曲をつけた歌曲を、いい加減な
ロシア語でだったと思うけれど母がよく歌っていたので、
うんと子供だった私は、負けずに日本語訳を朗読していた。
お陰でーー異国の生活と遠い岸辺をーーのプーシキンの詩
そのままが私の頭に刷り込まれたのか、私にとって異国は
というと、真っ先に浮かぶのがグルジアだ。

それと武田百合子の『犬が星見た』で描かれたトビリシの町
や行き交う人たち。

いつかTVで見たグルジアの人形劇では、終幕に自ら身体に
火を放ち消えていってしまった人形がいた。
あれはどんな物語だったのだろう。

この国の行方は......ここにも米の軍隊が介在しているの
だよね。



2003年11月23日(日) 時の流れって

この間久々に「シアターガイド」の頁を繰っていて、デヴィッド・
ルヴォーがブロードウェイで「屋根の上のヴァイオリン弾き」を
演出する記事に目が留まり、らら〜私が観て来たルヴォーは何処へ
行ってしまったの?と、以外な感じをもったばかりだったのだが、
今度は蜷川演出「近松心中物語 〜それは恋〜」の出演者を見て
我が目を疑った。

寺島しのぶには納得するとしても、阿部寛だって。
下関のNさ〜ん!信じられた〜?
隔世の感をぬぐえないね〜(笑)



この作品は平幹二郎と太地喜和子の印象が強烈だっただけに、
どうしても過去の舞台にこだわってしまう。
時の流れって惨い。
平幹にあの頃の若さを、そして喜和子の命を、返して欲しいと
「時」を恨みたいほどだ。


太地喜和子とは、帝劇の「シカゴ」を観に行った折、
休憩時間のトイレの鏡の前に偶然隣同士で立ったことがあった。
鏡の中でお互いの目と目が合うと、ニコリと微笑んだお顔が
いたずらっぽくて可愛いくて、グレーのスーツ姿のウエストが
折れそうなほど細かったことと共に忘れられない。


2003年11月21日(金) ナッチのようでナッチじゃないニャンコ



この画像には訳がある〜
ポストカードのニャンコなのだが...

あるサイトの管理人さんのご実家で飼っていらっしゃるナッチと
いうニャンコとうりふたつのように思えたので、わたしめったら
このカードに恋文をしたためてお送りしてしまう。
お優しい管理人さんは、今までに見たことのないようなズシリと
重たそうで、ウソのようなドデカ〜イ愛猫にそっくりな、その
カードのニャンコを早速ご自分のHPにUPして下さった。

私、その画像を右クリックで逆輸入して来てしまったよ。
それが、これなのです。
恋文のお返事までUPしていただいて.....身に余る光栄な
お言葉の数々、喜!喜!となっております。


「たわけたことをっ!」
ああまた訳のわからないことを綴ってますか(笑)


ニャンコの髭を見るたびに思い出すのは小学生の頃、
熱を出して2.3日学校をお休みしている時のことだ。
熱も下がって、明日あたりそろそろ学校へ行けるのではないか
という夕暮れ時になると、休み中のことが不安になるのを紛ら
わすためだったのか、決まってすることがあった。

マッチ棒を火であぶって熱をもたせては、飼っていた猫の髭
や眉毛を、1本1本クルックルッにカールさせていくという
けっこう根気の要る作業。
温かくて丸っこくて、適度の重さのニャンコを膝に乗せて、
この作業に没頭していると、気持ちもなごんで不安感も
どこかに吹っ飛んだのだろう。

私は年中熱を出して休んでいたので(親は気が付かなかった
ようだけど、あれは絶対に登校拒否だったのではと思っている)、
うちの猫は常にクルリンクルリンとしたカールたっぷりの髭と
眉毛となり、外に出て行っては、ご近所の猫たちから不気味がら
れて、いじめに遭っていたなぁ。
可哀想なことをしたものだ。

と、反省したところなのに。

この画像のニャンコの神々しいまでの立派なお髭や眉毛を
見ていたら、もう一度「マッチ棒をあぶりたい、クルクルしたい」と
いう思いがムラムラと込み上げてきたぞよ。
さぁどうする。



2003年11月15日(土) そこから青い闇がささやき

新聞記事の切り抜きを入れた額がある。



「悲しみを抱いてチトーは逝った」。
旧ユーゴスラビアのチトー大統領が亡くなった時の追悼記事で、
1980年5月6日毎日新聞に掲載されたものだ。

この記事の最後の方に「チトー死後の国内の複雑な民族問題、
そして一層きびしくなるであろうソ連の圧力は、ユーゴを多くの
苦境にたたしめることだろう」とあるが、民族間の混乱は予感し
たとおりとなって、そこには大国の利害も絡んで旧ユーゴは
解体してしまった。
またソ連も、ーーーこの当時、ソ連が地球上から消えてしまう
などということを誰が予想し得ただろうかーーーあっけなく崩壊し、
東西冷戦の時代が終幕を迎えたのは周知のこと。

その間にユーゴで起きたことは、民族浄化という悲劇の深層を
なかなか理解できないまでも、目を覆いたくなるような悲惨な
ものだった。



そして.......
ついこの間。

書店で、表紙の美しさに、それも謎を秘めたような眼差しに
惹かれて手にした一冊の本。

チトー時代のサラエボに留学して現地に住み続け、チトーの死を
見送り、その後のNATO軍の空爆を経験した詩人山崎佳代子氏の
エッセイ「そこから青い闇がささやき」には、日本にいて報じられる
ものを見たり読んだりしただけでは見えなかったことが、たくさん
溢れていて胸がつまってくる。


帯にある一文が悲しくて苦しい。

ーーー最初は、死者が名前で知らされる。
それから数になる。
最後には数もわからなくなる.......
この地上のどこに、
爆弾を落としてよい場所、焼いてよい村、
ころしてよい命があるのだろうか。ーーー



娘をしっかりとその腕で抱きしめる母。
この油絵のタイトルをそのまま本のタイトルにされたそうだ。


2003年11月06日(木) 老兵なんて言わせない

「あのギャラリーは賑やかなおばあちゃんたちで圧倒
されるんだから」と、看護婦さんに訊いたからには
遊びに行ってみたい。

入り口に立って室内を覗いている私に気がついた、
一番奥のベッドで寝ているおばあちゃんが「おいでおいで」
と手招きしている。
そばに行くと「退院が決まったので嬉しくて」と初対面の
私におっしゃる。ベッドにかかっている札を見ると、入院は
2ヶ月前の日付が記されている。
「それはおめでとうございます。2ヶ月ぶりにお家に帰れるの
ですね」「そやねん。年寄り仲間がみんな待つてくれてるねん」
お布団を跳ね除けてガバッと起きるや、両手を胸の前で合わせて、
恋人に抱かれるかのように、うっとりとした表情をされたので
私も嬉しくなった。
このおばあちゃん82歳。

そのお隣では、たまにトイレでお会いするスキンヘッドの
おばあちゃんが、ゴソゴソとベッドの上で着替えをして
いらっしゃる。仕切りのカーテンを開け放しているので
一部始終を見させていただく。
サササ〜としなやかに着替え終えたおばあちゃんは、墨染めの
お着物姿となってベッドの下からゾウリを探し当てスルリと
履かれる。尼さんだったのだ。

「よいお天気でございますね。これから出かけてまいります」
檀家にでも行かれるのか一時外出なのだそうだ。
杖をつかれてはいるが、お迎えの方にもたれかかるように
出て行かれた。
このおばあちゃんは83歳。

あちら側では「子供も孫も、だれも来てくれない」と、やおら
ベッドから降り不自由な足で靴を履きだしたおばあちゃんに、
こちら側のベッドから、昨日手術をしたばかりで「痛い痛い」と
唸っていたおばあちゃんが「廊下にでたらあかん!転んだら
危ないやろ」とすごい勢いで怒鳴っている。
あちらのおばあちゃんも、こちらのおばあちゃんも86歳。

怒鳴ったおばあちゃんに付き添っている初老の娘さんは、
「うちは痴呆がすすんでもいるんやけど、口は達者やねんよ」と
本人に聴こえるように言ったのでハラハラする。

空いているベッドを指して「このベッドにいたおばあちゃんは
96歳やったけど、リハビリ頑張って老人ホームに帰りはった」
と教えてくれたおばあちゃんのお顔をよく見ると、この間、杖を
つかずに廊下を歩いているところをドクターに見つかって叱られ
ていたおばあちゃんだった。
「ちょうどおこられているところを目撃しちゃった」
「そや。さっきはスリッパで歩いていて、また見つかってん」
大腿骨を折って、まだしっかり歩くことができないのに、
リハビリ用の靴ではなく、子供が大人のスリッパを履いている
みたいに、自分の足よりもたっぷりとかかとが余っているスリ
ッパでトイレに行ったり、電話を掛けに行ってしまうらしい。
「いちいち靴はくの、めんどうやしな」
このおばあちゃん87歳。

「付き添って面倒みているのは、どこも実の娘でんな」と、
お隣のおばあちゃんに話しかけているおばあちゃんは88歳で
入院5ヶ月目だそうだ。
嫁との間に何かあるのかと思わせるような発言だ。
オールバックがりりしくて、一瞬おじいちゃんが混ざっている
のかとドキッとしたが、女だった。
長い入院生活で髪の手入れだって大変なのだろう。
ならいっそうのこと、という訳だ。

「あのお方は耳が遠いさかい一方的に話しよりますねん。
話終わると同時にコトッと眠りはるよって羨ましいです」と、
話しかけられた方のおばあちゃんはクスクス笑っておっしゃる。
83歳、そのお顔のあるベッド周りは、ぐるりとぬいぐるみの
お人形で埋まっていて、どれがおばあちゃんのお顔なのか、
まじまじ見ないことには判断がつかなかった。


なんだって私、年齢ばっかり訊くのだ。
こんな不躾な変な女の出現にもお気を悪くされることなく、
おやつまで下さり、帰り際には「また遊びにおいで」と
手を振って見送ってくださった80代のおばあちゃん達。
骨折して、手術をして、入院当初は付きっ切りだった家族も、
日が経つにつれてたまにしか顔を見せなくなったりして
さみしい思いをされることもあるだろうに。
それでも数ヶ月の入院生活に耐えて、逞しいんだな。





2003年11月04日(火) それぞれのつぶやき

遊び道具のテニスボールを、落ち葉の塊のなかから
探し出してくるのもおつなもんです。
秋の匂いというおまけがついてきますからね。





はらはらと散った落ち葉も、風がひとたび吹いただけで
いつのまにか掃き清められたようになってしまうのなら、
今年の落ち葉は 風まかせ。





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