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2013年02月11日(月) 建国記念日



   制作の合間に、ちょっと運動不足なので哲学の道を銀閣寺まで散歩した。野良猫に遠くから餌をやりに来る人が何人もいて、見ていて中々良い光景だ。多分野生の猫の寿命は飼い猫より遙かに短い。世代交代が早く、あれだけいた三毛猫がいなくなって、今はシャム猫に薄く三毛が入ったような,なかなかええ感じの猫が二匹、幅をきかせていた。餌をやっている風景を見ていると、通りすがりの観光客が気まぐれで餌を与えているわけではない事が、猫用の餌を与えているところから分かる。
 桜の木々のつぼみは小さくまだ固いが、春の気配は木をざわつかせている風からも感じ取ることが出来る。銀閣寺までの道をゆるゆる歩いていると、ばっと派手な、スキー場に置いたら似合いそうな場違いの恰好した二人とすれ違った。朝鮮語を喋っていた。その後すれ違う人の着ている服を観察しながら歩いた。意外にも日本人はとても地味だった。主に黒、焦げ茶、灰色などの外套着、ダウンジャケットなどで、原色を付けている人はいなかった。

 着物を着た若い娘二人がいたので、最近増え始めた和服姿に気をよくして見ていたら、これも韓国人だった。どこかで着せて貰って観光しているのだろう。白人系は、ラフな恰好の人が多く、観光客だと一目で分かる。ニ三年前は、フランス語を喋っている人が多かった。

住んでいる界隈で、公的機関を除いて祝日に日の丸を揚げているのは、うちと、哲学の道途中にある、日本家屋に住んでいる弁護士の家一軒だけであった。ところが、道途中に西に入る袋小路に三軒ほど小さな長屋が並んでいる、その内の一軒が日の丸を揚げていた。これは嬉しかった。

あ、覚醒したなという思いがした。日の丸を個人の家、商店やタクシーで揚げる人は間違いなく、気がついた人だと思う。安倍さんの言う戦後レジウム。パラダイムの何とかとか、ややこしいこと言わず価値基準の転換、元に戻す。

それにしてもこの界隈、この十年で民家で新しく国旗を揚げた人は一軒だけだ。ちょっと寂しいなぁ。東京を中心としたデモは国旗はためくのが当たり前の景色になっているが、マスコミは殆ど放映しない。

 1985年からの十年位の間、外国を歩いている時、一番、目だったのはカナダ人だった。背負ったリュックザックには、大きな国旗のシンボル、サトウカエデ(名物メープルシロップが取れる)をあしらったワッペンが貼られていた。アメリカ人は個人旅行をする連中は目を付けられているから、そう言うことはしないし、見たことがなかった。にもかかわらず危険地域ではないフランススペイン国境の鉄道駅でさへ、取調室に連れて行かれたり足止めされる光景をよく目にした。
日本人と言えば、一時過激派がテロで無差別に人を殺したが、歴史を通しての日本人をヨーロッパ人は理解しているので、大抵はパスポートの色と顔を見るだけで、パスポートを開くことなく通してくれた。
一時、カナダ人のまねして、リュックザックに日の丸を貼り付けた時期があったが、どこにいっても盗人の標的になることが解りやめた。

銀閣寺まで歩いて、有名ラーメン屋ますたにの近くにその子供が開いているラーメン屋に行ってみようと思い,行ったら店の名前が変わっていて、白川という店になっていた。聞けばますたにで長いこと勤めていた人が独立して後を受け継ぎやっていた、ますたに(通称 まずたに)が潰れた後引き継いだようだった。
ここは東京のますたにと銀閣寺ますたにの間の味で中々行ける。
東京の店(直接関係はないらしい)も一回だけ西村眞悟さんに教えて貰って行った。東京人向けで、塩味が少しきつく感じたが、背脂がこってりしていて美味い。普通の日だったが店内満員で少し並んでいた。

ここの所 安倍内閣の参与になった「TPP反対」「救国のレジリエンス(しなやかな国土強靱化)」などを主張して覇気がある京大大学院教授の藤井聡さんから、何年もこのラーメン屋の近くに住んでいたのに、その存在を知らないと聞いて教えて差し上げた。縁とは不思議な物で、隣に何があっても縁がなければ自分の世界には無いに等しいということがよく分かる。人間界は不思議や。
家族で行ったらしいが元祖が休みで、どうも息子のやっているまずたにのほうに行ったらしい。感想は聞いていない。

 学校に来ていたヌードモデルのおねーさんから聞いて行ったのが最初でもう四十年前になる。ぎょうざもからあげも焼きめしもなく、ラーメン一筋。
たいしたもんだ。













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