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2011年07月31日(日) |
遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 1/2 |
先週金曜日午後京都に帰って翌土曜夕、山ぼけ酒ぼけのまま河内国民文化研究会主催の尖閣ビデオをユーチュウブに公開した「何かのためにsengoku38の告白」の著者、一色正春元海上保安官、西村眞悟(前衆議院議員、現たちあがれ日本。)の両氏講演を聞いた後の懇親会、さらに場所を変へ、もう馴染みとなってしまった八尾にある日本一(にっぽんいち)のたこ焼き屋「たこ八」で昨日迄信州に共にいた西村さん夫婦、一色さん、小林よしのり女系天皇論完全破綻を宣言した「皇統は万世一系である」の著者谷田川惣(やたがわおさむ)さん、研究会主宰三宅博(前八尾市会議員・現たちあがれ日本)さん他が集い腹一杯たこ焼きビール焼酎を飲みかつ喋りし後、偶然にも一色、谷田川さん両人とも京都に住んでいたため、谷田川さんの車で家の近く迄送ってもらった(谷田川さんは酒が飲めない。念のため)。
帰りの車の中は憂国の士の集まりらしく話が絶えなかった。ここでは書けないかなり過激な話もした。二昔前なら、当然出て来るような話題だが、書かない。ちょっと山の疲れをひきずりながら帰宅したら、家人が西村さんがもう時事通信で山中記書いていて読んだところだという。ほとんど帰ったその日に書いたのではないか。そのエネルギーにあらためてびっくりしてしまった。 ちなみに土産にもらったまだ温かいたこ焼き、ちょっと目を離した隙に全部平らげられてしまった。
山行き等の話を書く場合は、少しおいて「何か」が頭の中でまとまる迄、時間がかかるたん譚には真似が出来ない。一週間位して書こうかと思っていたけれど触発されてすぐ書く事にした。 続く。
→遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 2/2
西村眞悟時事通信→涸沢の山中にて
→2002年の今日のたん譚
2011年07月06日(水) |
福島南相馬市他、子供の体内放射能検査結果 −1− |
六月の始め頃、高田先生とメールでやり取りした時に、この後、南相馬市を始めとして調査しにいく予定ですと書いてあった。七月に入って結果報告がビデオ映像でホームページに発表されたので、転載します。
2011年6月18-20日福島県南相馬市などでの放射線衛生調査を、高田(札幌医科大学教授専門放射線防護学)博士が子供達の健康調査。結果発表と講演のビデオ。
クリック→高田純博士のページ
→2010年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
いい歳になる迄、大理石はとても堅いものだと思っていた。イタリアバロック期の彫刻家(建築家でもあった)、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、通称ベルニーニの大理石の扱いについての言葉に、「わしは大理石をロウのように扱へたが、古代人の彫刻家達が出来んかったのはわしが天才やからや、それ位大理石の扱いは難しいんやぞ」とか何とか物の本に書かれていて、その呪縛にずっと囚われていた。絵画のカラバジオと並んでその彫刻にびっくり仰天したバロックの巨匠が遺した言葉だから頭から完全に信じ込んで、ん十年…。その呪縛が解けた。
ベルニーニ 「聖テレサの法悦」 コルナーロ礼拝堂
きっかけは、破産したのか税金を滞納したのかどうか、その経緯は不明だが、裏に「差し押さえ物件」とラベルが貼られた、直径120cm 厚みが2.5センチの馬鹿でっかい大理石の丸テーブル天板を手に入れたことからだった。 送られて来て、その重さはもとより、猫の額程の庭(以後、猫額庭)に置いてみるとあまりに存在感が有り過ぎて庭が埋まってしまう感じがし、猫額庭にはまったく不釣り合いな代物だった。これが置かれていた場所は一体どういう屋敷だったのかと思いを巡らしつつ、困ってしまった。
思案した末、円の中心を出してふた回り小さい丸テーブルにする事にした。直径80センチなら、猫額庭にうまく調和する。で、大理石切専用のダイアモンド丸刃を手に入れグラインダーで切る事にした。 生まれてこの方、石を切ることなど考えた事も無いし、ベルニーニが、一つの大理石の固まりから上の作品を彫り出すことが出来るのは天才だからで、そこ迄行かなくてもぶきっちょな工作音痴には自分で石を加工してどうにかしようという事等思いもしなかった。
もともと、運賃だけで手に入れたようなテーブル板だ、どうなってもええかと腹を決め凄まじい切断音のもと切り始めた。 庭中ものすごい切り粉が飛び散り、顔はアフリカのぴょんぴょん飛ぶマサイの戦士のようになり、髪の毛は今有る白髪の十倍くらいの真っ白に染まり、辺りは初夏なのに銀世界になった。 が、なんと!簡単に切れる!!
生まれて初めて石を切った。大小の大理石片が足下に転がった。 切り落とした大理石片を見ていると、その断面は白い粉砂糖の固まりのように見え、決して固そうな感じはしない。じっと見ていると何だか手刀で割れそうな気がしてきた。
昔取った杵柄、一般の空手大会用瓦なら十枚位、K会館仕様の瓦(他流派の使用する試し割り瓦はアーチを描いているが、K会館のは座布団状で二倍の厚みが有る)なら四、五枚位は割った。 そこで右手の甲を下にして置き(左利きのため)、適当な長さの大理石片の端を右手掌に置きかるく握り、もう片端は他の大理石の上において、一撃を軽く加えてみた。割れなかったがいけそうな感じがしたので、今度はかなりの速度をつけて、石に当てる瞬間に、右手で地に着いている方の片を少し浮かせてそれが落ちるのと同時に突き抜く感じで叩いてみたら、カチンと言う音とともに簡単に割れた。 割れなかった時は手はかなり痛いが、割れると力が突き抜けるので全然痛くない。 「え?」と言う感じだった。あまりにもあっけなく割れた。
大理石は本当は脆く柔らかいのではないかと思い硬度を調べたら、柔らかさとしては、砂岩の次に柔らかい。これは本当に意外だった。一番堅いのは花崗岩次に安山岩、そして大理石砂岩と続く。 これまで勝手に大理石はとても堅いと心から信じ込んでいた。 叩いて壊れ易いと言う事と硬度とは違うらしいが、思い当たる節はあった。 スペインに滞在していた頃の、中程度の下宿の階段は横二・五メートルくらいの大理石で出来ていて、真ん中辺りは角が取れて極端にすり減っていた。今から思えば柔らかいからそうなったと得心がいった。
そうか、天才ベルニーニのはったりはさておいても過去それに続く彫刻家達は柔らかいからこそ、精緻で優雅な指の動きや顔の表情を鑿一本で彫りだせたのだ。 脳は見たくないもの、興味の無いもの、固定観念を持ってしまったものについて壁を作るといったのは養老孟司言うところの馬鹿の壁だが、今回、この経験で大理石は堅くない事がわかった。 となると、ある興味が湧いた。現代美術彫刻家がこの柔軟性を逆手に取って何か作品を作っているのではないかと思い、ネットで大理石彫刻を調べた。現代彫刻家は扱いにくい大理石等使わないと勝手に思っていたが、イタリアのトリノで制作している彫刻家がいた!
以下のFabio Vialeの大理石彫刻、面白い。一見、発泡スチロールで出来た髑髏 (下写真)、巨大なタイヤ、巨大な紙飛行機、イタリアの国旗、水に浮かぶ一見折り紙の船、他。これら全て白や黒の大理石で出来ている。
大理石彫刻の驚くべき作品→Fabio Viale
の頁に飛んで、上段のworks をクリックすると一連の作品が見られる。
大理石は脆く柔らかかった!
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