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2005年11月30日(水) 「myrte21」のmyrteの意味



お前のメールの、@の前の部分にある、myrte21というのは、どういう食いもんや(くいもんてあんた!)?と聞かれて、以前たん譚に書いたのを思い出して、探したらあったので、そっくり、も一度貼付ける。




酒(myrte)と薔薇をめぐって。(2001)



 最近、茨城に住む親しい友人の絵描きが、ワイン購入リストを送ってくれる。これがもう、どこの酒屋で買うのも嫌になるくらい安い。本来なら畑のちがう、世界ではけっこう名を馳せている工業関連の会社がなぜか、ワインを扱っている。6000円のカルボーニュが2800円という具合。何ケースか買うことにしてふと、リキュールの所に目をやると、ミルト・アイスとあった。フランスでミルトのリキュールの存在は知っていたけれど、向こうのマルシェでも見つけることが出来ないでいた。
南仏に可憐に咲く白い花でMyrte [mirt]と読む。それが、リストにあった。
この植物はその香りゆえに、ハーブの一種としても数えられている。
 南欧のような比較的温暖な場所に育つミルトの木は、1年を通して緑を保つ為、この木の原産地である南欧やギリシァなどでは「不死の象徴」ともされていた。
ミルト の「不死の象徴」という一面は、欧州でもボヘミア地方に伝えられているそうだ。
ボヘミアでは、「再生」や「永遠の生命」を願って、ミルトの葉や花を葬儀に使うそうだ
 この花の日本訳は、「銀梅花」「祝いの木」などとされている。

Myrteは以下のような場面に登場する。

クラシックでは、シューマン:歌曲集に、ミルトの花、2つのヴェネツィアの歌がある。

●献呈(「ミルトの花」より)Widmung
●月夜(「リーダークライス」より)Mondnacht
●ミルトとバラをもって(「リーダークライス」より)

また、
絵画では、モーリス・プリアンションの「ミルトのある静物(1940)」がある。

ゲーテの詩、ミニヨン中に

レモンの花の咲くあの国を知っている?
ほの暗い葉陰で金色のオレンジが燃え、真っ青な空からは風がやさしく吹く。
そしてミルトの木は音もなく月桂樹は高くそびえるあの国を。
その国にあなたと一緒に行きたい!
私の愛する人、あなたと一緒に行きたいのです。
…以下略

ヘルダーリン の詩にも、

プラタナスの樹かげ
花々のあいだを縫ってケピソスの流れはさざめき
若人たちは栄誉を夢み
ソクラテスは人の心をとりこにし
アスパシアはミルトの繁みをさまよい
友愛の朗らかな叫びは
かしましい広場のさなかからひびきわたり
わがプラトンはかずかずの楽園を作りなし

祝祭の歌は春をにぎわせ
霊感の奔流は
ミネルヴァの聖なる丘から
女神を讃えよとばかりに流れ落ち
百千の甘美な詩興の刻には
さながら神々の夢のように 
老いの影は消えうせた
             『ギリシャ』川村次郎訳 河出書房新社


最後に車では、BMWの328iセダンにミルト・ウッド・パネルが標準装備されている。









2005年11月11日(金) 仰天2題(下 -1- )仙人現る !    



 南フランスの田舎にしばらくいた。十月の初めに帰ってきた。南フランスというと、大抵海辺の風光明媚な、ニースだとかカンヌだとかを思い浮かべるのだろうが、85年に南仏に初めて訪れ今日まで海辺の都市や町は行った事がない。
偏に、興味がないの一語に尽きる。だから人から聞かれても答えようがない。

 でまたあきもせずに、いつもと同じ所の同じGite(貸別荘)と思って予約Faxを入れおいたのに、あら大変!去年、2棟続きのいつも借りている大きい方のジットには、静かで心地がいい(TV.ラジオ無)事を知ってか、ペコポン大学の教授(プロフェッスール)が長期滞在、住んでいた。この先生は今年、同敷地内の平屋一戸建てのジットに移って、その後に新たに、ボコペン大学のドクターが、いつもたん譚が逗留するジットを借りていた。
そのことが、フランスに向かう8日くらい前こちらからの確認電話でわかった。
多少泡食ったがなんの、インターネットの時代である。ジット協会につないで、星(epis)を選び、条件を選択してあっというまに、メネルブ(menerbe)村の農家のジットをきめた。

それはよかったのだが、行き方の欄に、
「ボーメッツで、メネルブの方に向かって行く、3キロ行きそれからボーニュウの方へ左に曲がり2キロ行き、ラコストの方へ左に曲がり、一キロで、左に糸杉の垣根の家」
なんて書いてあるきりで、こんな説明で目的の農家につけると思う方がどうかしている。大体方角が書かれていない。ミシュランの地図には、N100とか、小さい道にはD14とか丁寧に記されてあり、これが読みこなせると多少迷っても必ず目的地までたどり着けるようになっている。
一本道ならいいけれど、地図と照らし合わせてみるに、ぶどう畑の中の道は、多く枝分かれしてとてもこの説明文ではたどり着けそうもなかったが仕方ない、

向こうに着いて、飛行場からとりあえずボーメッツまで行って、そこから書かれてある通りに、だいたいの距離を測りながら行ってみた。
この辺は何度となく来てはいたが、多く点在する中の、特定の農家を捜すとなると話は別である。「糸杉」で囲まれた農家なんて珍しくもないし、あちこちにある。
これはメネルブの村(centre ville)へ一旦行って、カフェの親父にでも聞かないとたどり着けないと思いながら車を走らせた。
 ところがである。説明文のとおり、野を超え山超え、ほとんど勘で行ったら、ぶどう畑の向こうに,それも高さ10m,幅20m位の巨大な糸杉塀が、こつ然と現れた。
それでも、こことは限らないので車を止めて、庭をいじっているおばさんに聞いたら、はたしてここであった。なんと一発で到着してしまった。
迷う時間を考えての出発だったので、早く着き過ぎてホテルで言う所のチェックインは午後からで、いれてもらへなかった。
それを幸いに、イルシュールラソルギュ近くのスーパーマルシェに、滞在分のワイン・食料他を買いに行った。その日午後、無事契約を確かめ合って、日本の都会では経験出来ない、真の静けさの中で眠った。











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