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2001年12月24日(月) |
紐育〔ニューヨーク〕育ちの日本人青年 |
一昔前、週刊ポストの一番後ろ頁のギャラリーにも取り上げられた事もある、新聞やちょっとしたものを売る、紐育街角のキオスクをスーパーリアルな方法で描いて、人気があった日本人画家がいた。名前はもう忘れてしまったが、その人と家族がBSだったかで、テレビインタビューを受けていた。今度の紐育テロに関してである。 戦争が本格的になって来た場合どうするか?という質問に対して、母親は「戦争は反対、息子には絶対行って欲しくない」といっていた。母親としては正直な気持ちだと思う。 そこで息子にインタビューがされた。息子は 「大学の友人達も、戦争になんか絶対行かないと言っている。自分も戦争は絶対反対だ」と、ここまでは誰にでも受ける意見だろうけれど、ここからがすばらしい。 「戦争に、個人的には絶対反対だけれど、国を守るためになら僕は行きます」とはっきり言った。なんか感動してしまった。 紐育在住の日本人画家の息子は、昔の日本人が当たり前におもっていた、自分達の家族の集まりが地域、地域の集まりが国土としてなりたっている事を知っている。だからそれを守るために行くのだと、ごく当たり前に答えたのだ。 一方日本の若者は、自衛隊に入れば、その操縦する戦闘機で、国外へ自分だけ逃げられるからいいなぁと考える人がいる。 戦争をただ悪いものとしてだけ教えられてきた戦後の日本人は、戦争になったら「誰でも殺しても良い」と、どうやら思っているらしい人達がいるのだ。自衛隊を満期になって、民間企業に再就職した人に、勤める部下が「だれを一番に殺したいとおもっていますか?」と聞いたそうだ。
「戦争」は戦時国際法に基づいて、行(おこな)ってもよいと言うことを普通の日本人は知らない。国際的に否定はされていないのだ。戦争は人間が考え出した制度に近いもので、地球規模で、警察や法律がない以上、話し合いで解決出来ない場合どうしますか?ということから、それでは決闘いたしましょうというものだ。善悪の問題ではない。両方合意の上での決闘は許される。 付け加えて、 宣戦布告されれば、その国はうけてたつしかないのだ。
民間人が国のためにと愛国心を掻きたてられて、徴兵され、戦争に行くようになったのは、あのナポレオン・ポナパルトの発明で、それ以前は金で雇われた兵隊(傭兵)が戦っていた。何らかで影響力ある国の内、世界で軍事の学校がないのは日本だけだ。 が、なんにも自慢にならない。なくて済んでいるのは、背後にアメリカがいるからだ。アメリカが日米同盟を止めたらと思うとぞっとした。 自立しようにも、もう土壌がないように思えるからだ。
戦前は国家予算の半分(40数%)近くが酒の税金でまかなわれた。だからこれを味噌(今はつくらんけど)のように各家庭で作られると、ただでさえ貧乏な日本は大打撃を受ける。だからどぶろくのようなものも含め家庭で作ることは禁止されて今日に至っている。 このところ、ビールの一本あたりにかかる税金があまりに大きいので、業者は考えて、麦芽の%の少ないビールと銘打って、アルコール飲料をつくりだした。まぁ、これは日本人のお家芸で、昆布のグルタミン酸に対しての味の素、中華そばに対してインスタントラーメン、蟹に対して蟹かまぼこなどと同じ発想で、ビールとは別物でなおかつビールのようなものとして考え出した。したがってビールにかけられている税率は適用されない、その他の雑酒として扱われる。
ところが、これにも税金をかけるというので、酔えりゃなんでもいい酒飲みタイプの国民が騒いだ。あんなものビールじゃないと思っているので、ぜんぜん課税されても、買わないんだからなんとも無いが、今、酒税は国家予算の何%を占めているのか気になったので、財務省主税局にメールを書いて質問してみた。 結果、83兆7.133億円が国家の予算、その内酒税は8.810億円だそうで、割合としては、1.1%にすぎない。ううむ…つい最近まで3%だとばかり思っていたけれど、ほとんど無いに等しいなぁ!こりゃ、取りたくなるわな! ニューヨークなどで徴収しているホテル税をみならってか、石原東京都知事がやろうとしているホテル税にも田舎の知事が反対するし、どうなってるんだろう。 世界一の貯蓄率はいまだ変わらない。酒税やホテル税(100円)位何を惜しむことがあるんだろう。酒税がいやであれば、ちょっとの暇と手間をかければ、100%のビールワイン簡単に自家醸造出来る。上に書いたように、酒税が国家予算に占める割合は、1.1%。ほとんど影響ない。国が沈みかかっているんだから、そういう手間がいやな人達は、気持ちよく税金払ってもいいと思うゾ。
2001年12月16日(日) |
第九十六回京料理展示会 |
勧業館に名だたる京料理老舗の自慢料理盛りつけを見に行った。第九十六回というのは単純に考えてみると、年一回として、九十六年前から開催しているということで、1905年以来となる。途中戦争で中断したとするともっと前と言うことも考えられる。 1905年というと、日本は奉天会戦でロシア軍を破り、日本連合艦隊は日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、決定的な大勝利を収めた。日露戦争の最中である。 こんな時にも、料理界の人々は研鑽を積み、それを世に問うていたとすると、日本料理の体系だったものはすでにとっくに出来上がり、世に問おうとしていた事が興味深い。凄いの一言に尽きる。会場で実演していた、生間(いかま)流包丁式は平安時代に始まっている。 今日当たり前のように思っている、「ヨーロッパ」の概念がまだどっこにも存在しない時代だ。その時代に、「生間(いかま)流包丁式」が行われた。 平安時代に宮廷で祝いごとがあった際、食前の儀式として行われ、今に伝えられている。包丁と銀ばしだけで、手は一切触れずに魚をさばくものだ。 藤原家摂関政治の全盛の頃、西洋では、ようやく神聖ローマ帝国建国(962)している。その頃、包丁作法としてすでに完成している。 世界史の中の日本の文化熟成度を考えると、その文化程度の高さはただただ唖然とするばかり。 そんな事を思いながら、老舗の盛りつけを見て回る。瓢亭・たん熊・魚新・菊水・美濃幸・菊の井などなど名だたる名料理屋が腕によりをかけての展示。寿司組合の寿司店の出す変わり寿司も興味深かった。ただ、キティちゃんをいくら上手に寿司で再現しても、子供にこびる以外なんの事もない。 止めた方が良いと思った。 今回非常に印象に残ったのは木乃婦(きのぶ)の日本料理だった。大胆に、料理の最初からシャンパーニュではじまり、ワインで酒の変わりとし、本格的な新日本料理の体をなしていた。大皿にフカヒレ丸の儘を蒸して、葛でとろみをつけた、まるで支那料理のような大胆なものなど、とても印象に残った。ここには近い内に食べに行くつもりだ。 改めて、一に日本料理、二に支那料理、三にフランス料理となるなぁ、食べたい順番は。
2001年12月14日(金) |
謎が解けたぞ!?オサマの陰謀!? |
ビデオ見た。 オサマビンラディンは、飛行機が激突する場所から上の方、鉄が航空燃料の爆発で溶け、壊れると予測していた。航空機がぶつかった上は、モルガン系の金融会社がある。そしてそこの社員は前日に神風特攻があると、全社員自宅待機で助かっている。 そうすると、オサマはあらかじめ、関係社員に神風特攻をリークしておき、最小限に犠牲者を留め、脅しをかけるつもりだったのではないか? ところが、全壊してしまった。そこで、「これは予想外な出来事であった」と、思わずもらしたのではないだろうか?なぜモルガンを助けたのか?多分自分のマネーロンダリング(資金洗浄)にモルガン系を使っているのかも知れない。
大幅に予想外の結果となってしまったこと、多分天は彼に味方せず、アメリカの猛攻を招き、壊滅させられるだろう。アメリカがこうなったのは自業自得だとすると、オサマがこうなったのも自業自得、因果応報。
An ill life,an ill end.(悪い生活をすると悪い死に方をする)
「因果てきめん朝帰り湯が休み」(古川柳)
風呂屋に来たら風呂屋がやすみ、風呂ば休、英語でブローバック理論とこれいう??わっかるかなぁ?(^_^) しかしねぇ、こういう理論は消極的理解と言って、「だからどうなんや?」と言われてしまえば、はいそれまでよ。 原発事故にもあてはまる。公害にも当てはまる。ほら揺り戻し、天罰、万能理論。だからいったじゃないの理論。
今朝四時過ぎ、そろそろ寝ようと寝間着に着替えていたら、外で男の「火事やぁ!」の声。縁側に出て外を見ると、表通りの方がオレンジ色になっている。寝間着の上から外套を羽織って飛び出した。走って20歩位の場所。表に出たら、もう、門のすぐ後ろ、家の前中央から火の手があがっていた。 はす向かいの家の小母さんが呆然と立っていて、他に自分以外誰もいない。 こんな事経験したことありますか?
草木も眠る丑三(うしみ)つ時から二時間は経っていたけれど、ほんとに自分の目の前で家が燃えている。おばさんの立っている家の前に、常備消火用の赤いちいさなバケツが二つあったから、それを火に向けてかけた。焼け石に水とはこのことで、何の助けにもならない。
右隣の家の門戸をこじ開けて、玄関を力任せに拳でたたき、足で蹴って開けようとしたけど、開かない。こういう時、外敵から守るに適しているという丈夫さは、反対の環境になったとき、要塞化して救えるものも救えないと言うことがよくわかった。とにかく頑として開かない。 怒鳴り倒して、火事を知らせた後、また近所にあった常備用消化器で、もう燃えている家は無理なので、隣の家の隣接した壁に消化器をかけた。二本使ったが多分何の効果もなかった。
消防が来たのは10分後ぐらいで、もう、二階まで火の手があがった後だった。見つけたすぐに、太い消火栓が近くにあったら確実に消せてたと思った。燃えている家の横の家に飛び込んでいくとき、火よりも怖いと思ったのが、焼け落ちた電線のスパークで、何か鉄にでもふれたのか、青白い炎をだして、バシーンとショートして凄い音を出した。 明け方と言うこともあって、このとき、少し遅れて出てきた、隣の男の人とまだ二人きりであった。やがて消防が来て、人びとが起き始めて見には来ていたが、もう火は二階を焼き尽くしていてほぼ全焼だった。 かなり早くから起き出して来ていた人も、消火活動は手伝ってくれなかった。多分人には二通りあって、何かに直面すると勝手に体が動いてしまう人とそうでない人に別れるのだろう。これは資質みたいなもので仕様がないことかもしれない。
その、燃えた家というのは、長年の家庭内暴力で、荒れていて、七十過ぎた親に三十過ぎの息子が絶えず暴力を振るうらしいのだ。警察が出てきた事も度々あるらしく、今度も違う線で捜査しているようだ。よく生傷が絶えないお婆さんを見ると家人が言っていた。 昔、村八分と言って、そこの村でどんな嫌われても、後の二分、すなわち火事と葬式は協力してくれるというのがあったけれど、今は、そういう事が希薄になっていると思う。みんなそういう専門の所に任せて、頼りすぎて個人はまったく無気力無関心になっているように思える。 消防の消火で収まるような気配だったので、帰ってきた。 頭からずぶぬれになっていた。 何よりも禅林寺(永観堂)が近くなので、心配したが大事には至らなかった。
去年の今頃、何度か大阪のR・カールトンに出向いた。それ以来非常に気に入ってしまって、先日もちょっとした用があり訪れた。 ここのホテルは、他の一見、名が通っているホテルと全然趣を異にする。本当の高級感がある。ヒルトンであろうが、リーガロイヤルであろうが、比べものにならぬ。例えリーガロイアルのスイートが一泊100万円で、R・カールトンのそれが、45万円でも、確実に後者が高級感がある。
それは、部屋の広さだとかそういうものではないと言うことで、行ってみればわかるが、例えば、5階のジャズバーに続く廊下には、馬をテーマの絵画が掛かっている。何が良いかというと、決して一級の絵画ではないけれど、一つのテーマを元に、自分達の目で選んでいるということに尽きる。 それは、無難に印象派他、すでに知られすぎた絵を飾るのではなく、絵一枚にも、確固たる意志の現れが感じられて、まるで個人経営のプチホテルを思わせるのだ。
ジャズバーは週末は朝一時まで開いている。 ここには、ガキん子がいない、ちゃらちゃら茶髪もみかけない(暗かったので見えなかっただけかもしれない)。 カウンターに座って、ジャズに聞き入って、細巻きのハバナを燻らせている紳士はどこの国の人だろう。この余裕綽々のまはとてもまねが出来ない。しかし、多分日本紳士も着物を着て、床の間のある室で、晩酌をするとこのまはひとりでに現れてくると思うのだ。 やっぱり、まだ、西洋音楽が本格的に入ってきて60年くらい、服を着始めてようやく100年位では、本能にまだ組み込まれないのだろうか。 あんまり気持ちよく時を過ごしすぎて、ついに最終の電車がないのに気づき、タクシーで京都に帰ってきた。 ここの料理屋、支那料理は各皿事にワインを換えて出てくる。フランスの高級料理屋と同じ趣向。日本料理屋も、突然演奏者が入ってきて目の前で控えめに演奏したりする。まったく心憎い演出なのだ。 最高のホテルだと思う。
大東亜戦争
今日の日に関連したことなどの備忘録。
日米開戦前、
日本は戦争を避けるために最後の最後まで平和交渉を続けた。
それを拒否したのはルーズベルト。
ハルノート
こんなものつきつけられたら、我が国でも宣戦布告している(モナコ公国)
先制攻撃はアメリカであった
ルーズベルトの苦労(先に日本に攻撃させる画策-スティネット「パールハーバーの真実」)にもかかわらず、日本のハワイ襲撃1時間20分前に公海において米国は日本の潜水艦を攻撃して撃沈させている。
-米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類第75(1945年6月7日)による日本語訳は『現代史資料』35巻(みすず書房)-
日本軍国主義
一般にいわれているような、それだけのために国が軍国主義であったことはなく、そうと言われていた時期、軍事予算は削減されて、それをめぐって、陸海が予算争奪している。
原爆
終戦3ヶ月前、日ソ中立条約を結んでいるソ連を通じて米国に平和停戦、平和交渉を依頼している最中に米国は広島、長崎に原爆を落とした。
人々の言葉
毛沢東主席
社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶すると、「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利権をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか、皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」 (東大近代中国史研究会)
支那事変勃発
周恩来首相
「あのとき我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」
アムステルダム市長サンティン氏
「あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪しているがこれは間違いである。あなた方こそ自ら血を流して東亜民族を解放し救い出す人類最高の良いことをしたのだ。日本の人々は過去の歴史の真実を目かくしされて、今次、対戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて悪いことをしたと自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私ども白人が悪いのです。百年も二百年も前から、東亜を征服し自分の領土としてきた・・・・血を流して戦ってきたあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむ事を止め、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」
インドネシア大統領特使、アラムシャ陸軍中将
もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」
インドネシア、サンパス将軍(東欧大使歴任) 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った××首相演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。××さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」
マレーシアのガザリー・シャフェ外相 「日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。 「「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちをこうむった事を忘れたのか?」」と。
終戦後 マッカーサー元帥が「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に立ち上がったのは正当防衛であった」と証言した 最高司令官マッカーサー元帥は、昭和25年10月にウェーク島においてトルーマン大統領と会見して「東京裁判は誤りだった」と告白。 翌26年、米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のためであり、即ち侵略戦争ではなかった」と証言した
東京裁判ウェッブ裁判長の反省 「東京裁判は誤りであった」 東京裁判、日本糾弾の急先鋒であった首席検事キーナンの告白 裁判後数年にして「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だつた」
インドのパール判事 「日本は国際法に照らして無罪である」 「大東亜戦争は日本は無罪である。(田中正明著『パール博士の日本無罪論』慧文社)欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。 日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」
英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「私は全然疑わない」
英法曹界重鎮FJPビール氏
「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」
英国国際法で有名な W・フリードマン教授
国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付
アメリカのチャールス・ベアート博士歴史学政治 『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表し、パール博士の指摘した点を裏づけた。
米国、国際政治評論家ラティモア氏は「白人の侵略の終着点」 「日露戦争の勝利が有色民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
仏大統領ドゴール 「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する。」
プラモード元タイ首相 「日本は独立の母である」と感謝 「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母胎を損ねたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米、英と対等に話ができるのは一体誰のお陰であるか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」
ほとんどの日本人が以上を知らない。教科書で教えないからだ。
ジンジャーの発明が世界を変えるなんて言うことが、去年ぐらいから言われていて、それはスケートようなもので、宙に浮かんでいて滑っていく、とまことしやかに囁かれ噂され、そりゃ凄い!と大いに期待していたが、出来たものを見て、なーんだという思い。
あんなものが町中走り回ったら迷惑だ。一人一台持って走り回ったら、あちこちで事故が起こるだろう、静かだから出会い頭の人との接触、車との接触、頻繁に起こる。ブレーキは体の重心移動によるジャイロの働きで止まるそうだから、そう簡単に体重移動突然には出来ないと思う。 この場合、慣性の法則はどう働くのだろうか?
車道と歩道のどちらを走ればよいかも問題になってくる。二人乗りのちび車がついにひろまらなかったのは、他の迷惑になり、危険だったからと考えられる。
そういうことから、売れなくても、ジンジャーだけにしょうがない??
ヤマネの写真集を出している、西村豊の展覧会と講演を聴きに行った。子供は、大人の小指第一関節程の大きさしかない。大人は親指くらい。背中には縦に一筋黒い線がある。これがヤマネの特徴。 (昔、北八が岳を一週間彷徨してさがしたが、ついに見つけることができなかった。) 著者は富士見市に住んでヤマネを撮り続けている。展覧会の写真も、とても愛らしく撮れている。文句無し。 …が、講演の内容はこの手の、環境を大切にする人達にありがちな内容があり、絵描きは絵で、写真家は写真でものを言うべきで、それ以上でも以下でもないと改めて思った。 「みなさん、命に差は?ないのです。ありんこも人の命も…等しく同じなのです」 「小さな生物は滅びかかっています」 てな事を子供達に言うのはまだ良いのだけれど、本当に大の大人(なぜか会場には白髪の老人が目立った)に面と向かってよく言えるなぁと思った。命がみんな等しく価値あるのだったら、ガン細胞もゴキブリも、狂牛病のウィルスもみな、慈しむべき命である。が、それを取捨選択せねばならんのが人間の世界というものだ。 こんなことも言った。「大人が子供の目の前で、ありんこを潰すから子供はそれを見て、潰す」のだそうだ。 はっきり言えるが、そんなことはない。
これは本能に近いものです。カエルに2B(昔売っていた、プリッツェルの半分くらいの長さの爆竹)を突っ込んで爆破したり、ざりがにの両腕もぎってしまったり、これは、男の子の通って来る道です。 山で、鳥を撃ち落とし、首をひねって取り去り、羽を抜き、携帯燃料で、あぶって焼いて食べる。そう言うことをしてきたので、やわな環境保護の戯言を聞くと、しらけてしまう。 逆に言うと、今ほど人に守られている環境や生物はないだろう。これは、余剰のたまものである。金持ちの婦人がすることがなくて、手を出す、慈善事業のようなものだ。
絶滅しようと奮闘しても、アルカーイダや、どぶネズミ、ごきぶりはいなくならない。一方、あっさりとその種が絶滅してしまうものもある。人も、うかとしていられないのだ また、「人に危害を加えるものは別」と言うようなことも言った。これを言い出すと、アメリカやヨーロッパの馬鹿団体のグリンピースのように、自分達の文化尺度を世界基準にしてしまい、「危害を人には加えない上に知能の高い鯨を、なぜ殺して食うか?」という事になって、環境団体が押し寄せる。 展示されている、ヤマネの愛らしい写真を見て、こんな小さな動物はすぐ死んでしまいそうだから、大切にしようと思えば、それで良いのだし、唐揚げにして食ったら美味そうだと思えば、食えばいい。 ある一つの意見をキャンペーンをやって、考えを一つにする必要は全然ない。 極端な結論を言えば、この世は、人が牛耳っているのだ。よかれあしかれそうだ。だとすれば、人が存亡の危機に立たされたとき、その愛すべきものをどうするかによるのだ。わたしゃ食べる! ペットの存在は、本来そうした備蓄食糧の発想から出てきたことがわかっている。食料が安定し、純粋のペットになった。では世界的に、食料が枯渇したらどうする??
今年の南座、『當る午歳 吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎 十代目坂東三津五郎襲名披露』の二万数千円の席がなんと一万円で出ていた。行くつもりで、問い合わせたら、午前の部、十時からの席しかなかった。 十時と言えば起きたすぐだ。頭もぼんやりしている。頭がさえ出すのはどう見積もっても、十一時を過ぎないと無理だ。半日考えてからやっぱり年一回のことだし早起きして見に行こうと、チケットの手配をたのんだけれど、ああ、すでに売り切れ御免であった。
そうだろうなぁ、約三万円の席が一万円だもの。みなさん放って置くわけはない。今年の十二月は、狂言のチケットも手に入らなかった。今年は最初、買いに行ったのがあまりに早すぎて、まだ発売しておりませんといわれ、少し日がたって買いに行ったら、なんと全て売り切れていた。んな、馬鹿な!!しかし完売なのだった。
ううむ…。日本の庶民の底力。まだまだ、不景気ではないぞ! 悔しいが今年はどちらも見られない…。
とがっかりしていたら、友人の音楽家から、法然院で読経のあと、リュートの演奏会、その後、忘年会?をやりますのメールが来た。いつもなら、京都の吉田山荘で、フランス料理を食った後、演奏会が恒例のようで、昨年は聞きに行ったが、今年は法然院でやるようだ。
なんにしても、いつも招待状をもらっているのに、最近は大阪千里丘まで行くのは良いけど、帰りがつらく、つい足が遠のいていた。だから、京都に来る演奏会は出来るだけ全部聞きに行くようにしている。最近またCDを出したようなので、宣伝しておく。
2001年10月20日発売 AEO-518 イングリッシュ・リュート・ソング集 ¥3058 『クロリスはため息をつき』 平井満美子/ソプラノ 佐野健二/ルネサンスリュート in G & F、リウトアテオルバート 森よ、岩よ、山よ/語れ 真実の涙/ファンシー/流れよわが涙/ついため息を 他全21曲
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