本日のグチ。
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2003年06月30日(月) 保護室三日目?

先生が、4:00頃だろうか、回診にきて
「ごめんなさい、飲みます」と折れた
根気まけだ・・・。そのまま保護室に入れられた。
ただし、ちゃんと日中開放の許可付きだ。何日間はいっているかは分からないが、これはこれでいいのかとも思う。
・・・とはいえ、たった2日、縛り付けられ寝たきりだったので、すぐに立てなかった。回復するまで多少時間を要した。情けない。


2003年06月28日(土) 保護室二日目

先生に
 ストライキだ。ここは病院なんだ、いくらでも方法はあると
 鼻からチューブを入れられ、バイタル(尿カテーテル)を入れられる。

その状態で、鼻と、飲み込むとき(つばとか)の苦痛に苦しめられる。


2003年06月27日(金) 保護室一日目

日中開放がないので いらつく。

薬を拒否。


2003年06月26日(木) 保護室 姉のつぶやき日誌。

夜中、自殺行為をしたため保護室(Zel)に入れられた。
原因をいろいろ考えてみる。
・姉が物を食べられない程の、原因、負担に自分がなっていること
・先生に「あなたのせいで、こうやって人をまたせてる」といわれたこと
・自分で自分の行為の選択ができなかったこと
・また、依存性が再発しているかも知れないこと
・先生との約束を破ってしまったことで、怒られたこと

これらがひっくるめて、何かがきれてしまった。
保護室内で「うるせぇ」とどなりちらしたり、大声で歌を歌ったり。
自分で何しているのか、わからなくなった。
リスカしました。と言いに言ったり、変すぎた。
これを書いている自分は落ち着いているが、こわい。自分が自分でなくなったらと、考えてしまう。

姉。つぶやき日誌。
家庭裁判所に行ってきました。これで、法律上、あなたの保護者はおねえちゃんです。堂々と先生と向き合えます。

せっかく病院に行ったのに。
保護室に入ってるなんで、一言もこの日は教えてくださらなかった、先生の心中がわからない。。。
私の存在がそんなにあなたにとって負担なの???


2003年06月25日(水) くそばばぁ

昨日 「くそばばぁ」と大げんかを2回、とうとう礼子さんは、保護室に入った。
昨晩も2度は起きたが、良く眠れたとおもっているだけ?
気・・・じゃなくて記憶がさだかでない。そうだ、CDを夜中2回回したんだ。そしたら、起きたのは4回ということ?三回かな?

今朝から右腕が4、5指先にかけてしびれが発生。
一時間程続いている。くやしい。

しびれ、お昼の薬をのんだらおさまる。その前に検温で看護婦さんに異常を感じ取られた。脈が200くらいいってたみたい。
「あなた、どうしたの?」「聞こえるくらい、ドキドキしてます」
礼子さんを保護室にいれてしまったこと、うでのしびれ、骨肉腫とか、脳みそが悪いとか、考えてしまっていた。
午後にはピークだった。体の異常よりもわけがわからなく、こわくて、不安で、何におびえてるか、わからなくなった。先生は、午後外来なので、その時見てくれるらしい。会わなくてもいいのだが。

姉のことで、松田さんが来る。びっくりした。姉は病棟にこない?
実習先の病院に電話した。
姉は、ものが食べられず、看護婦さんたちにも会いたくないとのこと。それだけ悩ませてしまったのか・・・。
私のことを(病院に)話していないと・・・。偏見があるからか?
存在がじゃま?いや、非日常的が姉には辛すぎるんだ。誰にも頼れないから、そうなんだ・・・。
私がいることが、日常的だったことを、姉も気がついたのだ。きっと。でも、自力で対処出来ないことくらい、わかるだろうに・・・。
今日、先生に会ったら、姉の治療のことも聞いてみよう。


2003年06月24日(火) 避難。

今日も305に避難。礼子さんとうまくやっていけない。生きてる意味は・・・とまでかんがえてしまったが、めぐのリストバンドと看護婦さんのお陰で復活。
開き直って、移動しないことにした。

病気がそうさせているのだから。礼子さんは悪くないのだ。
何かギャーギャーいってきたら、無視して、どうしようもなかったら看護婦さんを呼ぼう・・・
トラブルは今に始まったことじゃない。ここで逃げてもしょうがない。
・・・にしても、腹のそこからくそばばぁと言ったのは気持ちよかった。
305の人たちも乗りに乗ってたから、ちょっとやりすぎたけどね。
その点だけ見ていると、私が一方的にいっただけみたいになるけど、それまでのねちねちとしたものを 〜はダメ、(でも自分はいい)〜はダメー
にはさすがにキレる。うるさい、うざい、くそばばぁ。
・・・・今突然石井さんが泣き出した。菅原さんと組むようにクリスチャンなので、なんかすすめられたりして困る。


2003年06月23日(月) 外出日

9:30頃即効で風呂に。10:15には徳山先生に呼ばれる。
帰宅後自分の人との順応性のなさに愕然。
苦しい。
寂しいのに嫌われて生きている意味があるのか。
リスカもとまらない。
めぐにかわれといわれたけれど、はいそうですかとはできない。
どうすればいいか、もうわからない・・・

外出はせわしなく。、希望したものも大半は預かりになってしまった。
仕方あるまい。


2003年06月22日(日) 入院日誌。。。

昨日、礼子さん(60)に起床時間前に起きちゃダメよといわれたものの・・・5:30。起きてしまった。間違えた。4:30だ。

寝違えたのか、それとも毎日あゆみ棟(10:30)と三病棟内(14:00)のラジオ体操第一、第二のしすぎか???肩(首)が痛い。
 第二は全然知らなかったが、最初・・・というか今もヘルパーさんやOTさんを見てまねしている。
 OTの学生さん、まだ21歳らしくて、トリム体操のときは、輪の中に入ってなかった。患者は選択の自由があるけど、学生なのに、突っ立ってるのはよくないでよ。。やっぱ年齢的にも消極的だった。単位・・・もらえると言いね、あの子。
今日は仕方ないので、洗濯(色物)だけしておこう。初めての洗濯だ!
朝一番で無理かなー。すいてそうだもの。考えてみたら、手元にズボン2枚しかない。

そうだ・・・体がこんなに痛いの・・・昨日卓球やったからだ。久しぶりでおもしろかった。負けてばっかだけど。
朝いつも掃除当番なんだけど、カギ、カギ!!と礼子さんに言われたの・・・。押し入れのカギのことだったのね。
礼子さん、まくらだしてるとうるさい。しまえしまえって。
でも、どの部屋みても、まくら出してるよ。鈴木さんもそうだし、めぐみの部屋も三人くらいだしてるもん。
変なところ、頭堅くてこまる・・・

せっかく買ったドーナツ、なんとなくで3個もとられたかんじ・・・
あと4個はぜったいにやらんぞ。バームロールなかったら、こんなに心広くしないって。

礼子さんも気にしてくれたのか、一ヶ月以上飲んでなかった、紅茶を4つ分けてくれた。三浦礼子さんにも、鈴木朝子さんにもかまわれてしまうので、少々疲れてしまう・・・今日(笑)礼子さんと朝子さんは仲が悪いから・・・なんかやりずらい。

初めての洗濯。洗濯機も物干も案の定バトルだと言う事が判明。
150円もらう前に、洗濯機の中に洗濯物入れて『取りっぴ!!』とかしてないとだめで、干すハンガー(といっても洗濯ばさみ用しかないが)開放の10分前には行列。これからが大変だ(苦笑)物干の場所は開放、閉鎖時間が決まっているので、朝早くこれからも積極的にコツをつかむ必要性はあるな・・・
取り込むのは2日後くらいか。明日の夕方とりこむくらいかな。それとかその次の日朝早くとか・・・。月曜はともかく、火曜は下り坂らしい(天気)
風呂日の前日が穴場とみた・・・。普通なら脱いだものを一番洗いたいのが風呂日だろう。となると、日曜、水曜が最適。
それでも、混んでるけどな。

今日正式?に部屋の掃除当番が決まった。水曜が当たり日だ。
ただ、小学校のころや中学の頃使っているようなほうきで、畳をはいて、そこらの棚を部外者(当番にあたってない者)が何となく掃除をする。掃除をするといっても、バケツに水入れてきて、雑巾で拭くだけだ。

商店街にパン食べ放題の店があると、礼子さんから聞いた。余裕・・ないと思うが・・・それで昼食もいい。
先に雑貨を買ってから染色に入ろう・・・でないと時間がない。言い訳の理由にならない。

礼子さん、せっかくくれた紅茶、のんでいい?ってあまりにもしつこくて、一個返してしまった。
意味ねぇ・・・礼子さん、朝子さんがパーならばあんたもパーだよ、まけてない。
結局、昼食時の薬時に軟食、軟菜の届けを復活させてもらうように言ってみた。Drの許可がとれないとダメ・・・なはずだけど、大丈夫だろうか。
実際問題、食べられないものが多すぎる。辛いものを慣れるしかないだろ・・・なんていわれても、食えんものは食えんのだ、勘弁してほしい。
夜から軟食になるだろうか。

夜から軟食は無理だった。先生との面談で決めるそうだ。
今日は人疲れした。朝子さんの対応、礼子さんの紅茶飲まない?攻撃。菅原さんのカセットから音の質の悪い浜崎あゆみの音楽。305に替えてほしいと看護さんに願い出てみた。でも、これは私の社交性のなさを指摘されるだろう。結局自分が悪いのだ。結局、自分で自分を悪くする。
ホール(食堂)で思わず昼間の大音響でかけるモロイの百恵CDにいいかげんにきれそうで。想像した。

ラジカセを引っこ抜いて、殴りつけ、下顎に一発くらわせ、電話のコードでとどめを指す・・・

めぐがどなりこんでなかったら、と思うとゾッとする。また時計の金具でリスカを行った。自分への戒めだ。
社会に対する依存、姉に対する依存のある自分を責めるために。

精神なんとか辞典を読んだ。
 不安とは何か。だ。主体があって、その空間に欠如が生じると不安になる。フロイトとラーンとかいう人たちの分析論だ。主体の外に欠如があっても不安は生じない。だから、何に対しても不安なのだ。
満足しないからだ。リスカはとまらない。愕然とする。

看護婦さんに305への移動の件を止めてもらった。師長にいえば社交性がないと言われそうで。でも、理由を聞いてもらったり、305に避難したことこそ、みなさんに許可もらってやったことなんだから、私は社交性を行ったと言われた。
この病棟はうけわたし禁止なので、もらわないし、わたさないと毅然と断って良いといわれた。それで文句いうなら、看護婦さんをよべばいいと。
少し救われた・・・私は悪くなかった。それだけが無性に嬉しい。

夜、礼子さんとケンカ。6:30起床なんだから、それより前に起きるなと。夜中、もしトイレに起きたら私の睡眠薬つよいからと言い訳したのに。
もっとも危険な場所に布団をひいていた。
「気に入らないなら移動します」「ああ、そうしてください」
めぐ曰く、礼子さんは言っていることとやっていることが違うらしい。夜中の3:30に起きて、それこそ本人がガタガタ。
小松さんの布団をいきなり、かけ直したり、めちゃくちゃな一日だったらしい。・・・というのもさすがにキレて305に寝るのを引っ越ししたから、部屋のみんなに聞いたわけで。

本人は5:00前には、そして起きてました。(私が5:05に起きたから)
6:30前にロッカーをあけたら注意されるし、私だけ。菅原さんには言わない。しかも布団の引き場所まで、新人は本当はここなんだけどかわってやってるのよ、という始末。・・・もう嫌だ。
病気がそうさせているのは分かる。わかるけど腹が立ってしょうがない。
他人と大げんかなんて久しぶりだ。
強くなってきた証拠だろうか。あ。今日布団下に入れちゃった。


2003年06月21日(土) 入院日誌

今日は気持ちよく5:30に起床。薬の残性もない。
昨日はつらくて、頓服までだしてもらったり、昼を早めに飲ませてもらったりしたからなぁ・・・。
石井さんは本当に優しい人だ。優しい人には優しくしてあげたくなって、掃除を交代してあげた。すごい感謝された。人の笑顔が嬉しい。
何時に起きたと書いておくといいわよと、朝早くにおばあちゃんに指摘された。日記形式になってはダメだな・・・と実感。
面接用に来週から用意しておこう。

朝ののどにもちがつまる話のせいなのか、モノが飲み込めなくなった。
水分不足かと思い、水一杯、コーヒー、お茶ニ杯のんでも乾きは治らない。少しだけお茶とか使って、飲み込ませた。

外出の件。留守電にこちらの要望のモノを言い残し、持ってきてもらうことに。結局商店街内のみで、父と散策することにした。
私も一人はまだ分からない。でも金髪だけにはしたい。
飲み込めない一件で、依存性で外出ダメになったらどうしよう・・・
なんでこんなことに・・・

思い出したかのように映画雑誌の注文。家にいた時は毎月買ってたのに。
錠剤2錠、カマ、アローゼ、で三回下した。少し強いのかも・・・まだ・・・
このあたりは、Drと相談なのか・看護婦に毎回調整してもらうのか・・・
今日はアローゼ飲むのを止めておこう。
土曜はDrが一人しかいないので、まだ上がってこないと言われた。
実際に会って面接となると、このノートを見せないといけないだろうか?
許可のみで月曜の当日を迎えたいが・・・一応看護婦には念押し士ておいたが。
 面接。会うつもりはないからいいと言ったが、会えるんだから会っとけということで会った。しかしノートは見せず。
 ソラナックスの増量、頓服のほぼ禁止と、姉との関係にいちいち反応するなといわれる。ただ飲み込めないことに対してのみだったのだが・・
この件は寝る前に一応つけて(追加で)くれることで終わった。
あと、正式に外出許可証の発行だろうか。
書いてたな・・・


2003年06月20日(金) 入院日誌続編2

夜中、12:30頃トイレに起きた。でもフラフラ・・・
その後も決まった時間に起きたが、まだボーッとした感じ。
それでも5:30には一応起床した。
お腹は・・・出そうでマだでないなあー・・・。
でも唯一の苦痛が改善されたのでよかった。

昨日、私があゆみに言っていることを知らない看護婦にぶち当たる。
師長に確認をとったら、夜勤とか週何回しか入ってないと、申し送りで知らない人もでてくるらしい。

また今日も快便。アローゼの1mgは良い感じ。
あゆみに午前中行ったが、昨日の薬変更のせいか、ボーッとしている。
倒れそうな感じ。ラジオ体操しても倒れなかったが・・・。
帰って来て横になっても寝れない。悔しいので頓服もらいにいったら、昼の薬を出してくれた。食事頃には眠気が薄らいだが、結局ムリやり12:30スギから2:30くらいまで寝た。

その後は買い物。はぐれそうなおばあさんを、はいはいと先導(うしろで)してたら、しまくらさんが、「おそい」といった。
だったら、後ろにも目をつけとけよ。・・・プリン食えたから忘れよう・・。
その後は二時間くらい友人につかまった。ファッションに積極的なので、いい勉強になる。朝子さんとうまく行かない理由がわかった。
躁鬱は、上昇的に興奮するが、私はそれについていこうとすると、気分が下降する。まった!!疲れた!をかけると、逆ギレされる。
重度な分、覚えていないこと、ありもしないことを言うのもわかった。少しは対応できるようになってきた。下降しないように、話を流して聞くのだ。相手に対しては失礼かも知れないが、それが、今出来る限界だ。それともこれは、社交性の無さなのか?

姉に対してのイライラは、未だにおさまらない。でもリスカする程ではなくなった。ヒリヒリする腕を見たら、新しい傷が3〜4つあった。
これも依存性なものなのだろう。姉が自分に対して希望する対応をとらないとキレているだけなのだ。
理性ではわかるが、やはり体と心はまだ一致してくれない。唯一の救いは人に対して攻撃的でない所か・・・。

この頃よく声をかけられる。「ピアノうまいわね」決まり文句だ。
初見で、いたずら弾きしている程度で、まちがってばかりなのに、みんなやさしい。名前も分からないし、たまにボケちゃってる人とかもいるけれど、アネキが音楽療法を重要視する意味、必要性を主観的にひしひしと感じる。
自分がそうだ。一日一回はさわらないと気にかかる。
いえにいてもあんなにさわらなかったピアノなのに。母親に、ただ感謝したい。
「譜めくり、今度させてね」おばあちゃんにはさすがに困ったが・・・。
ツェルニー程度までやったが、やめてしまったらしい。だからうらやましいと言われた。時代もきっと・・・左右したのだろうと思う・・・私はなんてめぐまれてることか。

結局、外出時は南町田駅前の散策で終わらせることにした。たぶん、往復する体力が自分に無いのがひしひし感じるからだ。
そのぶん、髪を染めるのに時間を費やしてもらおうと思う。
金にするには4時間かかるのだと・・・・・・一大行事だ。
その間に申し訳ないが、遅々には往復してもらおう・・・。
月曜がまちどうしい。


2003年06月19日(木) 入院日誌続編

アローゼはきくー。
4:30にホールに行ったが5:30くらいには快調だった。
今日は友人に黒のマニキュアを貸してもらった。
気分的に調子は良いが、何かを常に考えているような感じ。
生きる意味とか・・・不安は体の調子が良い時はない。
でもたまに、突然眠くなったり(一日中とか)するのは在宅時と変わらない。今はとにかくセンスのない姉と、こちらの希望する洋服とが食い違うので困る。

外出で髪を染めて、オーパで買い物できるヒマあるかなー。
オヤジなら、会ってもこっちが気使うから、姉キよりはましだから、それでこっそり外出たのめないかなぁ。
メガネもかえたいー。フチ無しがいいな。

・・・でも今後のこと考えるとやっぱバイトすべきだよな・・・
社交性がかけていると言われて、カチンときたが図星。
見た目で判断する時もあるし。でも、社交性を直すにはそれこそ何年もかかるよ?それで20年過ごして来たんだし。

いじめに対抗するには閉鎖的に守備をかためて、外部からの刺激に反応しないよう、未内容にするしかなかったもの・・・。
直せ。はいそうですかじゃないよ、まったく。

父親と連絡取るために姉のケータイに一緒では・・・と電話。
怒っている様子。荷物を12:00頃持っていったと父から連絡とったのに「会わないんだから、こっちの勝手。」と私と先生でとりきめた治療は姉の頭に来たらしい。不快。入院してるのも、リスカを止められないと、困ってるんですといいながら、協力的でない。
どうしても困った時(荷物とか)しか事務的会話のせいなのか。
それでも気に入らないのか。理解出来ない。

またリスカをムキになってしていた。くやしくてたまらない。当てどころのない不安、怒り。

明日、あみと洗剤を買おう。自分で気兼ねなく、心配事やいらいらを増やしたくない。荷物の受け渡しは極力さけよう。

ここに来てから、外部との接触が(姉)うざい。

心配しているのは分かるが、かまってほしくない時が度々ある。父親はこちらが要求しなければ動かないので、その点は楽だ。
早く外出にならないだろうか?

午後六時
 外出のOKがでた。多忙なスケジュールがこなせるだろうか?
 ともかく、髪だけは染めてきたいーーー!!!
 服もとってこなきゃー!買い物はムリかなぁ?
 やれるだけ、頑張ろうー。

姉の態度。
 さすがに辛くて、看護婦も話を聞いてくれないので、松田さんに相談。
 聞いてくれて本当に嬉しかった。たしかに、あてつけにしか聞こえないと 
 同調してくれた。
 私の依存性だけがもんだいなのかと、半ばイライラしすぎていて、本当に
 救いだった。今後は自分のみに専念したい。というか、できるから、すっ
 と重いものがとれた気がした。
 姉は・・・またショックなのだろうか・・・すまない。


2003年06月18日(水) たのまれ書き込み

 気分は良い。
 あゆみ満足。
 ただ便が二日でないので 追加で漢方(アローゼ)をつけてもらうことに。主治医に眠剤の件でトラブル。会わせられないと。
師長は連絡取る度に、またかと言われると迷惑していた。
看護婦さんのはからいで、不安薬の方を夜中に出してもらうようにすれば?といわれた。(実際は却下された)
物事を先に先に考えてしまうので、開放に移されるが不安。
早く退院したい反面、室内の鈴木朝子とのトラブルも考えてしまい、ここでもやっていけないのかと、とたんにショックをうけた。
二時間くらい自分が情けなくて泣けて来た。(6/13)リスカも数回。
でも、躁うつのお陰で今はもう覚えてないのが救い。
今は出来れば、自分のことを自分で考えないようになりたい。

ゴスセリの本めぐにゆずってもらった。
外出できるなら金髪にしたい。


2003年06月17日(火) 姉のつぶやき日誌。運命の日

日中、自分のいる場所に、ソーシャルワーカーさんから電話。
昨日の面接での決定事項を伝えられる。

ついに、きたか。

姉は多少の医学の心得がある。
入院をすすめたのも、私。
頭では、はるとちゃんにとって、私の存在そのものがまずいこと、とっくに知ってました。
少し、離れた方がいいと思って、入院すすめたところもあるし。。。

けど、日中に電話もらってしまったので、周囲に動揺を隠すのが、しんどかった。
泣くに泣けないし。相談もできなかったし。
電話の内容を聞かれたらどうしようかと、ヒヤヒヤ。。。
(結局、ほっといていただけて、助かりました)

家族の存在の仕方が本人を傷つける。教科書にしっかり書いてある。

けど、けど。
無理だよ。ほっとけなかったよ。
だからって、みんなで私を責めないでほしいと思うのは、私のわがままだろうか。

入力している今日はもう7月20日
この日は、まじに壊れそうでした。
一番苦しいのは、はるとちゃんなのにね。
どこかで、弱味をみせたら、悟られてしまう・・・と思って、
心の蓋を閉じて、周囲に攻撃を開始しました。
御迷惑をかけた皆様。ごめんなさい。

恐かったから。
泣きたかったから。
そして、罪意識を自分の心から取り去りたかったから。

今ふり返って思うこと。
もっと早く、頼ればよかったと。

はるとちゃん、おねえはもう大丈夫。
また、強くなりました。
あなたにあえる日までに、おねえも変わります。
ううん、もう変わってるかも知れない。

いつまでも、そばにいさせてね。はるとちゃん。


2003年06月16日(月) 面接、そして・・

今日は先生との面接日
午前中眠くて、あゆみにいった後爆睡して、起きてから腹の調子が悪い。
今日は下剤はナシといわれた。

リスカした理由を話した。
ぶん殴りたい所をじぶんにあてるのだと。

姉との連絡はソーシャルワーカーをとおすことに決定。
外出については、フォークを自分に刺しそうな気分なので延期してもらった。

どうやら昨日の朝子さんとの喧嘩を姉に話したら、ナースステーションに電話をかけたらしい。困ったものだ・・・
それで、HCに入れたのか・・・(ちょっとした個室です。保護室ではありません。)

昨日は切った自分と、ここでもうまく行かない自分が余りにも情けなくて泣いた。二時間くらいだろうか。

でも入院時よりしっかりしてきたと、先生や看護師さんにもいわれて、リスカも許してくれたし、あゆみも行っていいし、まあ、一件落着か。
姉の変化の方が心配だ。
私のキツイ言葉に耐える努力をしてほしい。


2003年06月14日(土) 曜日感覚。ないなぁ

だんだん、曜日の感覚がなくなってくる。
部屋の人と仲良くなってきたのはいいが、やっぱり一人になりたい時がある。
わがままをいってはいけないと思いつつ、一人でもいられないし、集団にも疲れてしまう。

これが社交性のなさか・・・
社交性は絶対必須だろうか。疑問に思う。

少なくとも精神科で任意で入ってくる人々は必須と医者に宣告を受けた人もいるはずだ。
だからこそ、集団生活になじめなかったり、問題がある人を監禁するために保護室があるんだ。
それを考えたら、私はまだましなほうだ。

今日一応、先生との面接を頼んでみたら、師長に断られた。
(姉面会時に偶然先生と会えました。質問できてよかったです)
師長は決定権があまりないらしい。先生の方が強い。
先生の方がきにしてくれても師長でとめられることもあり。
その反対も、もちろんありきだ。
くやしいなぁ・・・いい病院なんだか、悪い病院なんだか。

・・・っていうか、朝子さん・・・私のCD返してくれー・・・・


2003年06月13日(金) お初、あゆみ棟。

今日、初めてあゆみ棟という所へ行った。
すんごい緊張したのにたいしたことなかった。
OTの学生が実習をしていた。そろそろ初期評価?
姉の世界をほんの少し垣間見た。
職業としてはなんてことないっと思ってしまうのか。
・・・ていうか、今日一時間も作業させてもらえなかったしなぁ。
明日はビデオを観るらしいが・・・

まあ、第一印象としては、この程度なら大歓迎だ。
一応・・・私は久しぶりに写真デッサンおば・・・

・・・っていうか、時間短すぎ。完成しなかった。

今日は買い物いけるはずなんだが、コーヒーと・・クリープ・・テレカ・・・プリン・・・おかし・・・かなぁ。2000〜3000円上限なので厳しいが、一回でそんな高い金額で買い物しないよ、食料で。
服は別だけど(笑

ラグ○ェアのCD・・・アルバム・・・ほしいでよ!!


2003年06月10日(火) 面談

先生との面談のはねつけは無理だった (死
駄々をこねる子供と言われた。
最低限の生活の保証を要求して何が悪い。
意地でもここからでるもんか。
普通ならでたいというのに、おかしいと言われた。
閉じ込められるのには慣れている。
三食昼寝つきのこの場で、多少不自由はあるが、外部との接触を避けたい私としては十分な場所と思えてきた。

ここには、私を傷つけた人はいない。
社会にもまれて生きるより、ここで過ごしている方が幸せなこともある。
・・・リローデット・・・見ておいてよかった。
今のままでは私はまだリスカするだろう。
なんか切りたくてたまらない時もある。

私も十分気違いの仲間入りだ。。

病気は私と同じだけど、一年7ヶ月入院している重度の人だ。
昨日の面接では、ヒステリーをあくまで直すためで、彼等のように長くいることもないらしい。
でも、隔離されて安心している。
一番時間の事が気になるのは、午前3〜5時くらい。
なんか・・・もがいている・・・いやな時間だ。


2003年06月09日(月) 姉つぶやき日誌。喧嘩。 ニ度目の風呂日

なんか納得行かなくて、医師と喧嘩。
けど、先生ちゃんと説明してくれた。

おねえちゃんが動揺しちゃだめなのにね。ばかだわ。
先生にあなたを預けてみます。

けど。見てるよ。

安心して、あなたは私が守るから。


はると日記
入院してからニ度目の風呂日。今月の十何日かに退院という、キクチさんとマトモに会話した。考えてみたらこの前の土曜から、一週間電話、外出禁止だ。
シャンプーをけちくさく使ってみたが・・・。月、木、と耐えられないだろう。金曜日に買いにいけないわけだし。。。
困ったなぁーーー。
キクチさんのお陰で、お湯の使い方から、お風呂の順番の事まで教えてもらったし、ウォークマン電池の消費が少ないのも救いだ。

リローテッドのCD出てるかなぁ・・・。
外に見えるのは、鉄格子と、木の葉と天気の悪そうな空だ。

先生に面接といわれたが、はねつけた。
はねつければはねつけるほど、入院は長くなる。
入院が長引けば、外のことが気にならなくなっていく気がする・・・。


2003年06月08日(日) 入院一週間目

入ってから、明日で一週間目
でたいとは思うが、先生や、姉や、父ともどう接したらいいか分からない。
この際、Kさんみたく13年ぐらい入ってやろうとも(笑)思う。

監獄だ。
映画で監獄をいくつも見てきたが、まさに体験しないとわからない世界だ。

6/18に母の元へ逝きたいと思ったのは本当だ。
方法はいくらでもあるのだから。
まだ、監視の甘いこの時を狙うという手もあるが、万が一失敗した時の後の事を考えてしまう。母の死のあとの仕打ちが、まさか、ここだとは。
一年前の自分が想像しただろうか。

今一番嫌なことと言えば、浣腸くらいだな・・・。
とにかくつらい。
しょっぱなで吐いて、下も出して、もうゲロゲロだった・・・。
それ以外は、トイレでケツが丸見えだろうが、紙がなかろうが、だんだんなじんできた。

・・・馴染んできた自分もじぶんだが、今度の金曜こそシャンプーと電池を買わねば・・・。


2003年06月07日(土) 姉つぶやき日誌。戦い。

いつもの調子で会いにいったら。
法律適用します。。と先生。

退院させてあげられなくてごめんね。

おねえちゃんも戦うから。


2003年06月02日(月) 姉つぶやき日記。

入院。

納得して入院。でも、大変そう。

お母さんのように守ってあげられなくてごめんね。
待ってるからね。


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