オクラホマ・スティルウォーターから

2005年11月30日(水) 出国手続き@ダラス

 朝6時半に家を出る予定で、結局7時近くに。この前は出た時は真っ暗なうちに出たが、今回はすでに空が明るくなっていた。オクラホマシティに入ったのが8時前だったが、かなりの車があって心配に。でも空港には8時を少し回ったぐらいだった。

 空港の駐車場からターミナルまでの地下道の工事が終わっていたので、外に出ることなくターミナル内に入れた。カウンターで搭乗券をもらって10分後には搭乗手続きが始まると言われたので、ネジャーティとはすぐに別れ、ゲートに向かった。

 オクラホマシティからダラスまで順調。通路をはさんで隣には、これからイラクに行くという軍の人がいた。

 ダラスの空港ではこの前とは別のターミナルからの出発で、このターミナルは国際線出発に使われるらしく、今年試験的で来年からは義務になる出国手続きの「US-VISIT」の機械を初めて使う。係員が傍にいて手伝ってくれて、2,3分で終わる。

 出国手続きを終えてなかった人か観光で来ていた人は列に並んで係員が持っているポータブルの機械で手続きをしていた。

 ちなみに日本では出国スタンプが押されるが、アメリカの出国手続きはスタンプは押されず、機械から出てきた控えが出国証明になるらしい。



2005年11月29日(火) スティルウォーターの家事情

 朝、梨奈を送って言ったあと、近所のラオス人のお母さんが来て、近々引っ越すという家を案内したいと言った。この町に数年住む予定のようで、町で新しく開発された地域の家を買ったらしい。アメリカは家の売買が頻繁で、数年の予定でも、家を買った方が得だと思っている。

 見せてもらった家は4LDKでマスターベッドルーム横のバスルームにはジェットバスもついていた。おそらくこの辺の家の間取りはよく似たものだと思う。

 そのうち荷物を載せたトレーラーがやってきて、荷物の運び入れが始まったので忙しくならないうちにおいとました。

 昨日寒かったが、まだ風邪気味で、梨奈を迎えに行く時間までゆっくりした。

 夕方には箱に荷物を入れ終わり、昨日作ったカレーを食べて、後はゆっくりした。今回は荷物も重たくならずに済んだ。この前は何で重たかったんやろう。冬の服がかさばる割には荷物も少なく済んだ。



2005年11月28日(月) 寒かった〜

 寒かった〜。オクラホマのこの横殴りの風は冬の寒さを厳しくする。



2005年11月27日(日) サンクスギビングの休日終わり

 昨日、今日と20度ぐらいまであって暖かかった。金、土、日と長い休みは、朝はゆっくり、午後からネジャーティと梨奈が出かけるという日々。私は家でゆっくりしていた。体力が落ちている時は、チャイニーズのバッフェでいろんなものを食べると、わりと力が付くので、昨日もチャイニーズのところでテイクアウトをしてもらって、何も作らなかった。

 食後はすごく眠たくなるものの、今日は夕方ぐらいからちょっと元気が出て、日本に帰る用意を始めたり、餃子の作り置きを始めた。冷凍のジップロック2袋ぐらい作っておこうと思うが、今日できたのは1袋半。



2005年11月25日(金) ディナー続き

 昨日のディナーでは、食べる前に最初にジャネットの料理の説明から入ったが、腹を空かせた学生たちは早く食べたいという感じだった、というのをネジャーティも感じたらしい。

 それは仕方がないことだが、学生の中には初めてサンクスギビングのディナーを味わう学生もいたこともあり、ジャネットが説明していったというわけだ。家庭によって少しずつ異なるらしく、ジャネットの家では最初にパイナップルジュースから始まるという習慣らしい。

 ベジタリアンのインド人学生一人は、スライスされた七面鳥の肉を目の前にしながら(たまたま目の前の席になった)、肉がないものを食べる姿が面白かったが、最近中国から来たという学生の隣に座ったネジャーティは、帰った後でお国柄を実感したことを私に話した。

 デザートの時に、紅茶2種類とコーヒーが出されて、カップとソーサーはここにあるからとジャネットが言っていたにもかかわらず、その学生が熱い紅茶を、お水を飲んだ後のクリスタルグラスに注いでいたのをジャネットが見て、割れるからカップで飲んでね、と言っていたが、ネジャーティ曰く、その他にもいくつかあったらしい。

 どの国にも最低限の食事のマナーはあるやろう、とネジャーティは言うのだが、中国は大陸文化だから、あまり小さなことにとらわれないのかも、と思ったが、かの国で普段おそらく欧米文化に触れることのない人たちが、突然アメリカに飛び込んで、マナーなどと一日でできるものではないだろう、と思ったりもするのだった。

 フロリダにいた時、友人から聞いた話では、中国人クラスメートが、飛行機の中で出されたバターが生まれて初めて食べたものだと言ってたらしい。そういう人もいるから、しょうがないやろう。



2005年11月24日(木) サンクスギビングディナー

 アメリカに来て10年。自慢じゃないがサンクスギビングデーで七面鳥を焼いたことがない。研究室の人や教授宅でというのがほとんどで、予想通り、今年ももれなくネジャーティの教授宅に呼ばれた。

 最初の1時間は前菜をつまみながら歓談する、というのがアメリカのパーティーだが、典型的な前菜は、クラッカー、チーズ、セロリやベビーキャロット、生野菜(ピーマンやねぎ、ブロッコリーまであった)で、ドレッシングにつけて、カリコリ食べるというもの。

 ちょっと遅れて行ったので、歓談の時間は少なかったが、そのうち七面鳥も焼きあがって、教授と奥さん、アメリカ人の教授、外国人学生達とうちの12人がテーブルについて、典型的な料理をいただいた。



 どれが一番おいしかったか、どれが一番好きじゃなかったかの感想まで聞かれたが、ご飯類があると喜んでいたワイルドライスはもちろんだが、スモークされた七面鳥の肉がおいしかったというのが私の感想。後で聞くと、スモークのものはお隣さんからのおすそ分けだったらしい。

 食後はこれも典型的な、アメリカンフットボールの試合をテレビで見て、少ししてからデザートに移るのだが、アメリカ人教授や学生は満腹のためか、ソファでうたた寝し、私も風邪気味で、食後はちょっとソファに座ってうとうとしていた。それがよかったのか少し楽になった。

 そのうち試合も終わり、サンクスギビングのエピソードのスヌーピーの漫画(1973年のもの)が始まると、みんなが起き出して見るって、どないなってるねんと思ったが、それも終わった頃にデザートの時間。3つのパイのうち、アップルとピーカン(英語ではピカーンの方が近い)をいただいた。アメリカでは売られていないリプトンのイエローラベルの紅茶も用意され、ついついお代わり。

 持ち帰り用の七面鳥の肉ももらって帰宅。至れり尽くせりのディナーだった。



2005年11月23日(水) 2本目の歯が抜ける

 梨奈の幼稚園は今日から日曜まで、サンクスギビングの休み。このところ私は午後からしんどくなるというパターンで、横になっている時間が多かった。

 お風呂に入った後、テディグラームスのクッキーを食べていたら自然に取れたようで、「歯が取れた〜」とネジャーティに走って行った。今回は起きてる時に取れたが、怖くなかったと言ってたので、これからも大丈夫だろう。



2005年11月22日(火) 幼稚園でデザート

 幼稚園でお昼から、祝日に作る各家庭のデザートを持ち寄って食べる会があった。




 その後、園内のオフィスに寄って、退園手続きの用紙をもらおうと思ったら、10日後に自動的に退園になるので、帰って来た時に再登録をすればいいということだった。前に話した人とは違ったが、今日話した人はオフィスでもメインのような人なので、多分大丈夫だろう。人によって話が違うというのはアメリカのオフィスではよくある話だが、どうにでもなるというのがまたアメリカらしいところ。また帰ってくるし、何かあったらネジャーティに連絡してもらえばいいしと気楽に考える。



2005年11月20日(日) 1ヶ月早い誕生日会

 一時帰国もあと10日。梨奈の誕生日は日本にいる時なので、梨奈の希望で1ヶ月早くここですることにした。

 梨奈が今まで呼ばれた誕生日パーティーは、施設がほとんどで、この小さい町ではそういうところも限られている。結局家ですることにして、女の子だけ招待して、6人が来てくれた。

 予想していた通り、子供たちは好きなように遊び始めたので、ネジャーティが何か遊びを考えないといけないかもしれないという心配はなかった。

 来てくれた姉妹のお母さんと水曜だったかウォールマートでばったり会ったのだが、お母さんが明かすには、カートには梨奈へのプレゼントが入っていたらしく、カートの中を見られないようにと思っていたらしい。カートにはその子の妹といとこ(3歳ぐらい)が乗ってたし、何が入ってるかなんて見ないから、まさかお母さんがどきどきしながら話していたなんて思いもよらなかった。

 みんなが帰った後の梨奈の部屋は・・・プレイグループの時みたいな感じです。



2005年11月19日(土) 前歯が抜ける

 朝11時ごろまで寝ていた。微熱が続く。

 朝昼兼用でご飯の用意をしていて、ネジャーティと梨奈が寝室で何かやってるなあと思っていたら、台所に梨奈が来て、ネジャーティが用意していたすごく小さい容器(研究室から拝借)に入った歯を見せた。明け方に寝室にとことこっと来たが、その後、寝てる間に抜けたらしい。

 昨日の夜に、抜けそうな感じだったので、寝てる間に抜けるかもと思って、寝てる梨奈の口を開けて見ようと思ったが、開かなかったので見るのを止めた。

 抜けるのを怖がってたので、どうしたものかなと思っていた。もう一本の前歯もだいぶぐらついているが、これはいつ抜けるかな?



2005年11月18日(金) キム宅で

 今朝は幼稚園で1時間、「お父さんとドーナツを食べる」イベントがあって、8時前にネジャーティと梨奈が出かけて行った。

 今日の夜はプリKでのお友達だった、韓国から来ているジェニスのうちに晩ご飯を呼ばれた。5月に大学のアパートからDuplexの家(日本で言う二戸一)に引越し、校区も変わったので、なかなか会う機会がなかった。私がまた今月に日本に帰る、というので、その前にKさん家族も一緒に夕食の機会を作っていただいたという感じだ。

 韓国の銀(かね)のお箸とスプーンも、実際に使ったのは初めてだったのでそれも感動したが(ネジャーティはお箸が違うことを知らなかったらしい)ジェニスのお父さんが、「これはビビンパの具、これはプルコギ」と、日本人にも馴染みのあるおかずが並び、喜ぶ私の図。今までにも韓国人のお宅に呼ばれたことはあったが、ビビンパは意外に初めて。ジェニスのお父さんがネジャーティのを作ったのを見本に、ご飯に材料を載せて混ぜ、いただいた。う〜ん、おいしい。







 自家製の3種類のキムチも並ぶ。シンシナティにいる時に、韓国人学生から仕入れたネタで、「韓国ではキムチ用の冷蔵庫があると聞きました」というと、一定の温度を保つために専用冷蔵庫があるのが一般的らしく、よく見たら、ダイニングの一角に小さい冷蔵庫があった。

 アルコール度が高いスーチューというお酒の話にも及び、Kさんと、音が焼酎に似てるね、と話していたら、見せてもらったビンのラベルに漢字で「焼酎」とあった。Kさん曰く、地理的にも近い九州には韓国語に近い言葉がかなりあるらしい。

 デザートに手作りのマドレーヌ、柿や干し柿と、申し訳ないぐらいに次から次へと出された。韓国風自家製ビーフジャーキーも味見させてもらった。ジェニスのお母さんがお義母さんから教わったというもので、しょうゆなどにつけたものを室内に1日干しておくと、ジャーキーができるらしい。外では干さないのかなと誰もが思っていたら、外に干しておいたら、ハエがたかるとのことで、そうか、とみんなで大笑い。

 韓国式の温かいおもてなしを受けた夜だった。



2005年11月15日(火) 来月からは六甲おろしが待っている

 明け方から横殴りの強い風が吹いている。もしかして竜巻が近くまできてるとか、と思ったが、サイレンもなってないし、眠気まなこをこすりながらテレビをつけたが、注意報も警報も何も出ていなかった。曇り空で気温も低い。強風で幼稚園が休みにならないかなと思ったが、普段通りだった。

 アパートに帰ってきたら、駐車場で同じクラスの子とお母さんに会った。その子もおなかが痛いと昨日から休んでたと梨奈が言っていた。

 ところでオクラホマのような平地ではどこから風が吹くのだろう。年中無休で風が吹いているという感じだ。冬はどこも北風が吹くのだろう。私の地元は阪神タイガースの歌にもあるように、「六甲おろし」が吹く。歌通りなのは阪神は地元西宮にあるんだもん・・・。

 東西に連なる六甲連山の東端が西宮で終わっていて、南の浜に向けて本当に言葉通りの風が吹くが、横殴りということはない。でも小学校の体育の時間はよく体操服一枚で過ごしたものだと思うのだった。

 気がつけば一時帰国まであと2週間。六甲おろしが私を待っている?



2005年11月14日(月) 幼稚園で病気蔓延?

 梨奈が朝、またおなかが痛いというが、治ったら幼稚園に行きたいというので電話したら、10時半までにくれば問題ないというので、朝ごはんを食べてゆっくりした。それで10時前ぐらいに幼稚園に行った。

 この幼稚園は同じ建物に小学校も入っているが、登下校時以外は、玄関近くにある、ガラス張りのオフィスに立ち寄り、所定用紙にサインをすることになっている。後で来るかもと連絡したので、オフィスの人が梨奈の出席カードを先生からもらっていて、それを持って教室に行った。

 後で梨奈に聞くと、クラスにもおなかが痛いという子がいたり、アシスタントの先生もおなかが痛いといっていたそうで、流行ってるのかも(先週の火曜日の私のおすしのせいじゃないと思うけど)。別のクラスのシエラに梨奈が電話したら、体調がよくなくて幼稚園を休んでいたらしい。

 昨日は咳で一睡もしなかったらしいネジャーティ。今日は夕食後からずっと寝てた。



2005年11月13日(日) ピザ

 朝方まで咳で寝られなかったというネジャーティ、おなかが痛いと時々言う梨奈、何時間寝ても寝たりず、なんとなく熱っぽい私と、どうしようもない3人。おやつの時間にお昼ごはんを食べたネジャーティだったが、私もコーヒーを飲み、梨奈はピザを食べていた。食いちぎる梨奈の様子を見たネジャーティと私は目を見合わせて、同じことを考えていた。

 前歯が抜けるかも、と思ったが、抜けなかった。乳歯がだいぶ前に倒れている。

 夕方にはネジャーティも梨奈も大丈夫で、研究室に一緒に出かけて行った。



2005年11月12日(土) 動物には気をつけよう。

 夕方オクラホマの東部に竜巻警報と注意報が出ていた。その影響からかわからないが、夜は血圧が下がってるようで、起きてるのがしんどかった。

 ところで、最近は夜になると咳が辛そうなネジャーティ。

 ネジャーティからこの日記に投稿リクエスト。ここは広報部か・・・。

 『この前の日曜日。夜、研究室に出かけた僕は深夜に帰宅。途中、道路の脇からラクーンが出てきた。スピードを落とせなかったので、車線を変更したが、ラクーンもそのまま道路を突き切ろうとし、僕は避けきれず、そのまま轢いてしまった・・・。バックミラーを見ると、まだ動いていたが、かわいそうなことをした。道路で轢かれてしまった動物を見るたびに、何で轢いてしまうんだろうと思ったが、避けられないのがよくわかった。』

 今日も夜から研究室に出かけたが、最近「いってらっしゃい」の次に言う言葉。「ラクーンを轢かないようにね。」



2005年11月11日(金) 東南アジアの遠い国

 今日はベテランズデー(退役軍人の日)。でもここの幼稚園は休みじゃないんですよ〜。そして、ここの大学も・・・。

 毎週木曜日は先生からの保護者へのお便りや配布物があるが、昨日休んだので、朝先生から配布物をもらった。

 先生からのお便りでは、最初に火曜日にクラスで紹介したことが書かれてあって、またまたうれしかった。市のリクリエーション課のニュースレターでは、毎回いろんな国の言葉などの紹介があるが、今回は七五三の紹介があった(でも男女で祝う年齢が違うことまでは書かれてなかった)。

 そして梨奈を迎えに行った時に、ちょうど同じアパートの人に会った。今日はどこの国の人か聞けた。両親ともラオスの人だった。私の推測ではインドネシアかタイだったので、隣国のタイというのは近かった。そのお父さんは、ここの大学にあるアメリカ政府の農務省のオフィスに転勤となったらしい。ちなみにここの大学は農学部に力を入れていて、確かにそのオフィスがあるというのを聞いたことがある。

 それにしてもラオスかあ・・・。多分初めてラオスの人に会ったなあ。

 ラオスのことって知らないなあと思った。古いアトラスを見て、そういえば社会主義の国だったなあというぐらいだ。細長い国というのは頭にあったが、地図を見ると、東にはベトナム、南にはカンボジア、西にタイ、ミャンマー、北に中国と囲まれている。

 ラオスの基本データはこちら

 日本からは遠くに見える国がまだまだ残っている。



2005年11月10日(木) 珍しく3人でお昼ご飯

 まだ夏時間モードで1時間早く目が覚めてしまう。

 ネジャーティが咳でなかなか寝付けない日が続いているからか、今日は昼までゆっくりしていた。梨奈もおなかが痛いと言って幼稚園を休み(結局は大丈夫だったが)、不思議な平日だった。

 20日には1ヶ月早い誕生日会をする予定だが、少人数だけ読んで、うちでしようかなと思っている。



2005年11月09日(水) 進む土地開発

 梨奈の帰宅後、クラスメート一人一人がくれたという手紙を見せてくれた。昨日の紹介に対して、ありがとう、というもので、紙に名前と、「Thank you」という字と絵が描いてあった。いやぁ〜、なんかうれしいなあ。

 ところで、街中を走っていると、あちこちに土地開発をしているところが目に付く。今日もアパートの近くを走っていたら、整地しているところもあったり、新しく建ったような家もあったりする。Lowe’sというホームセンターの横も、かなり広い空き地があったが、今整地をしていて、Bed Bath & Beyondのお店などが入るらしい。

 へぇ〜、この町にBed Bath & Beyondね〜、と驚いたが、なんせこの町にはショッピングモールもなく、シンシナティで言う、Tri-County Mallのそばのショッピングエリアみたいなものがいくつかあるぐらいで、この町に似合わないなあと思ってしまうのだった。

 今は小さい町で、治安がいいとか悪いとかそういう区別もないような町だが、10年ぐらいしたらかなり大きな町になってるのかも。



2005年11月08日(火) 午後の一騒動・・・梨奈のクラスと車のドア

 今日も暑かったぐらいの気候だった。

 今日はお昼過ぎに梨奈のクラスに日本の紹介をするのに、近所のKさんと行った。うちのアパートに来てもらってから行ったのだが、車のドアが閉まらない。仕方がないので、Kさんに乗せてもらって行った。

 クラスでは30分ほど時間をもらってたので、最初の15分は日本の紹介。今回は、

1.浴衣と着物の説明(浴衣を着て行った)。着物は昔は毎日着てたけど、今は特別な時だけとか。

2.地図を見せる。近くにある国、南北に細長いこと、雪が降る寒い地域と暖かい地域、日本はオクラホマの2倍あることを説明。今回も先生に、飛行機でどれぐらいかかるかと聞かれた。

3.私とKさんの出身地の簡単な紹介。私は日本から持ってきていた、地域の写真が載っているマンションの広告と神戸のポストカードを見せた。Kさんも雑誌(パンフレット)から説明。

4.日本語の絵本を見せる。「三びきのこぶた」「おおかみと七ひきのこやぎ」「ピノキオ」「ハム太郎」と日本の昔話。右からの見開きで縦書きというのがポイント。先生もすぐに気づき、みんなに本の表紙が違うのがわかったか確認していた。

5.家でみんなの名前をカタカナで書いてきたので、その紙をあげた。




 という流れで、ポストカードも絵本もみんなに回して見てもらった。

 最後にちらし寿司をお箸で食べてもらっておしまい。



 クラスでの紹介は無事住んでアパートに戻り、車のドアをチェック。ドア側にある、かませるものが閉じてしまって、開かないので、ドアが閉まらない状態になっていた。Kさんも行かないといけないところがあるので、進展があったら連絡することにして、いろいろやっていたが、ドアのレバーを引いて、何となく触っていたら、簡単に開いて、ドアが閉まった(知らなかった〜)。よかった、よかった。



2005年11月07日(月) 記憶をたどって行き着くのは

 今日は暖かいを通り越して暑かった。

 昨日のこと。シンシナティに住んで1年経った夏に、アーカンソー州に引っ越した研究室のフィリピン人の女子学生の話になった。

 オクラホマ州にいる今ではアーカンソーといえば隣の州だが、シンシナティにいた時はアーカンソーはかなり遠くに思えた。

 さて、女子学生が住んでいたアパートに研究室のみんなで行って、引越の手伝いをした、梨奈も私もそこにいたとネジャーティが言うのだが、私は全く覚えがない。梨奈がいたことと、うちの車でアパートに行ったことをはっきりと覚えているらしい。

 引越のような特別なこととか、誰かのお宅にお邪魔しても、詳細は覚えていなくても、だいたいどういう感じで走ったかぐらいはわかるが、そのアパートの近辺には行ったことがない。

 ・・・と、ここで私の日記を引っ張り出す。2003年ならワードに入れてるので、7月を見ると、あった、あった。その日は私が4本の抜歯をして家で安静にしていた日だった。ちょうど研究室でアイスクリームを作るというので、ネジャーティは梨奈を連れて行き、その後、引越の手伝いをしたと書いていた。

 日記は我が家のいい記録となっている。



2005年11月06日(日) 梨奈の乳歯がぐらつく

 このところ、梨奈の下の前歯が1本ぐらついている。どうもその歯が気になって仕方がないらしい。触って動くので、もう取れそうなぐらい。プリKの時も、今の幼稚園でも歯が抜けているお友達がいるので、抜けることはわかっているようだが、抜けるのが怖いらしい。

 一番早く生えてくる乳歯なので、抜ける順序もそうなってるようだが、よく見たら乳歯の奥に、新しい永久歯が見えてきている。乳歯が抜けてから生えてくるのかと思ってたので、ちょっと心配に。

 ネジャーティも私も、梨奈が大きくなっていくのがうれしい反面、幼児の部分がだんだんなくなっていくのが何となく寂しいと思っているところに、最初に生えてきた歯も抜けていくんだと思うと、余計に寂しく感じるのだった。

 日本に帰るまでに抜けるかな。



2005年11月05日(土) ラマダン終わる。ハスキー声のネジャーティ

 ネジャーティも風邪っぽく、かすれ声を通り越して、夜には声がだんだんなくなっていた。こんなことは7年前の冬にトルコに行って以来らしい。

 昨日のお昼、お義姉さんから電話があったが、ネジャーティが学校に行っている間に電話があることが多く、「ネジャーティは学校にいます」というトルコ語だけ完璧だ(苦笑)。

 午後になってお兄さん宅から電話があった。トルコは断食のラマダンが終わって、3日間の休みに入ったところで、お兄さん家族は朝、お父さんのお墓参りをして、それから親戚回りをして帰宅したらしい。

 お兄さんは梨奈の声が聞きたいといって、ネジャーティが言ったことを梨奈に言わせようとしていたが、難しかったらしく、はっきり言えないまま恥ずかしくなって逃げてしまった。



2005年11月04日(金) 新しいクラスメートは

 最近梨奈のクラスに新しい女の子が入ったが、今朝アパートの駐車場でその女の子を見かけた。教室に着くとご両親がいて、英語が流暢なお父さんと話したら、アパートの同じ建物に住んでいることがわかった。今一軒家を探しているところで、アパートは仮住まいらしい。

 私に「韓国人ですか?」と聞いてきたので、日本人ですといったら、本当はそうかなと思っていた、という。私もお父さんに何人か聞けばよかった。直感ではインドネシア人か、タイ人という感じだが、お母さんは中国人っぽい。



2005年11月03日(木) シエラの家で

 風邪気味が治ったかなと思ったが、午後から何となく熱っぽい。熱はないのにどういうことやろう・・・。

 この前のハロウィンでシエラを送っていった時に、梨奈がシエラのゲームを見つけて、次の日に遊びに来たいと言っていたら、今度の木曜日ぐらいに、とお母さんが言っていた。夕方電話してみたが、いなかったので、今日夕方ある学校のイベントに行ったのかも、と思っていたら、電話がかかってきて、遊びに行くことになった。

 シエラのうちで7時まで夕食も兼ねて2時間ほど梨奈はやっかいになった。



2005年11月02日(水) 大学新聞から

 ネジャーティが利用している大学のバスには、毎日発行している大学新聞が置いてあるらしい。大学新聞といっても10ページぐらいのものだ。

 目を引く記事があったといって、見てみたら、学生が住む貸家の火事の話だった。アメリカでは学生が何人かで貸家に住むということもよくあるが、この貸家には日本人学生が2人、アメリカ人学生が1人住んでいて、火事はまだ寝ている朝方に起こったらしい。怪我がなかったそうでよかったが、火事でパソコンを失ったそうで、かなりの痛手だろう。パスポートは無事持ち出したそうで幸いだ。パスポート・・・ビザスタンプやI-94が貼り付けてあるから、これがなくなったらまた手続きが面倒だ。

 別の記事から。Yahooニュースにも載っていたが、アメリカの公共テレビ局PBSの特集番組「RX for Survival: A Global Health Challenge」 でブラッド・ピットがナレーターを務めるというのがあった。オクラホマ生まれ、ミズーリ育ちのプラッド・ピットだが、アフリカの貧困に関心を寄せているらしい。

 アメリカのセレブの中には、ブラッド・ピットのように、国際情勢に関心を寄せる人も少なくない。最も、ブラッド・ピットはミズーリ大学でジャーナリズム&広告の専攻で、卒業まであと2単位を残して、カリフォルニアのハリウッドに車を走らせたという経歴の持ち主なので、関心を寄せる要素は持ち合わせていたのかも。



2005年11月01日(火) お宅拝見

 今朝のこと。梨奈を幼稚園に送りに行った帰り、曲がり角でちょうどバスが曲がっていったので、ネジャーティ、乗っていったんだなあと思って走っていたら、ネジャーティがバス停近くで立っていた。バスに乗り遅れたらしい・・・。

 バスは他のアパートにも寄るので、ウォールマートのバス停から乗れるだろうというので、走っていたら、交差点の赤信号でちょうどバスが待っていた。ウォールマートから無事バスに乗れたのでよかった、よかった。

 先日IKEAのカタログが届いたが、今日はCrate &Barrelからカタログが届いていた。そういえばオハイオはコロンバスに新しいお店ができたらしいし、今月にはインディアナポリスにもオープンするらしい。

 ニューハンプシャーにいる時は、車で15〜20分ほど走るとメイン州のキタリーにあるCrate &Barrelのアウトレットに行けたし、ボストンにも何軒かあったのでボストンに出たついでに行くこともあったけど、まぁオクラホマにはそういうお店はありません・・・。オクラホマはPier 1 Importsとか Bed Bath & Beyondで十分という感じです。

 昨日アパートを回った時に、ドア越しにリビングルームが見えて、さりげなく、でもしっかりとリビングルームを拝見したのだが(やらしぃな〜)、ほぼ同じの間取りでも、様相が住む人によって変わるのが面白い。あまり家具を持っていない学生のアパートはちょっと殺風景という感じだったが、センスのいい家族のアパートもあって、うちと同じアパートかなと思ってしまった。

 IKEAのカタログには欲しい物に印をつけて、いつかわからない引越&住居に備えるのだった。


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