オクラホマ・スティルウォーターから

2004年11月30日(火) 60%オフにはひかれるけど

 今日はずっと雨が降っていた。歯の矯正があったので外出しないといけなかったが、そのついでにモールに行ったりした。サンクスギビング後に行った時にはすごい人だったが、平日とあって閑散としていた。

 いつも立体駐車場からDillardsに入り、かばんコーナーを通るが、60%オフになっているかばんもあったりして、値段的にはひかれる。でもまた日を改めるかな。



2004年11月29日(月) 似顔絵

 梨奈はぬり絵にしても自分で描く絵にしても、1枚の絵にいろんな色を使っているが、今年の初めごろか、それとも去年だったか、1枚のぬり絵には1色だけしか使っていなかった。サンクスギビングでお会いしたUCに来られている先生によると、1色だけをが〜っ、と使うことで子供が集中力を高めるらしい。そういうステップがあったのかぁ・・・。

 ところで梨奈が好きなのは家や人、空の絵なのだが、ネジャーティの似顔絵は特徴を得ていると思う。本人も苦笑いしていたが、髪の毛は立っていて、顔には点々がいっぱいあって、それはひげなのだが、この似顔絵はかわいそう、と思ってしまうぐらい、子供の目は正直なのかも。



2004年11月28日(日) 休み終わり

 ネジャーティの研究室に来ているオーストラリア人のダニーさんと遅い昼食をしてから、ダウンタウンのライトと、動物園のライトを見に行った。

 結局、セールでこれ買った〜、というものがないまま終わってしまった。サンクスギビングセールは終わっても、何だかんだいってセールは続くもので・・・。

 この休みは珍しくネジャーティがほとんど家にいたので不思議な気がした。



2004年11月27日(土) かなりの雨

 本当はお店に行きたかったが、ネジャーティが家の中をごそごそと始めたので手伝ったりして、一日中家にいた。夜に動物園のクリスマスライトを見に行こうということになっていたが、雨が降ってきたので明日にした。

 テレビで「Men in Black II」をやっていて、見ていなかった映画だったので見たりして今日が終わった。



2004年11月26日(金) すごい人だった

 昨日はびっくりするほど遅い時間に帰ってきて、朝何とか起きてセールに行ってみたが、頭がボーっとしていて、目をつけていたティーカップセット(5ドル安くなっていた)の値段をチェックして終わっただけだった。



2004年11月25日(木) 食べる専門

 この秋(冬?)初めて雪がちらつく。外の空気が冷たかった〜。

 サンクスギビング当日。Meijer(マイヤー)の5時開店には行かなかったが、夕方ちょっとジャングルジムズに行ってから、お呼ばれに行った。

 サンクスギビングを何回迎えたかわからないけど(そういえば最初のサンクスギビングどうしたか覚えてない)、一度もターキー(七面鳥)を焼いたことはなく、食べさせてもらう専門となっている。お声がかからなかった時には、自分で一度ぐらいターキーを焼いて誰かを呼んだら、と思うんだけど、なかなかそこまでいかない。



2004年11月24日(水) A型の性格

 「A型の人はこだわりがある」というのを聞いてそうかもしれないと思った。

 梨奈が生まれてからは、A型の他の性格をほっぽっている気がするけど、こだわりというのは今でもそうかもしれない。これだと思ったら、飽きずにずっとしていることがある、というのかな。

 あとは、物事を深く考えてしまうところとか。他の人から見ると、「そこまで考えんでもいいのに」と思われるようなことでも、ああなんだろうか、こうなんだろうか、と考えたり、気にしたりしていることとか。

 最近、A型の性格を捨ててるわぁ、と思うことが多かったけど、案外保っている部分もあるのかも。



2004年11月23日(火) 心はサンクスギビング後のセールへ

 サンクスギビングの週というのは何となく落ち着かない。やっぱり(11月の第4週)木曜日にあるというのがよくない。

 サンクスギビングというと、その始まりの舞台となったマサチューセッツ州のプリマスを訪ねたことがある。ニューハンプシャーを離れる少し前で、日本から来た友人と初めて訪れた。プリマスやケープコッドに行く機会がそれまでなかった。
ニューイングランドの典型的な静かな町で、海に浮かぶ再現された船や、かなり大きな踏み石、初めて作られた水車などを間近で見て、ついでに現地特産のクランベリー製品を見たり、ジュースを飲んだりして、プリマスを身近に感じた。

 サンクスギビングのお祭りもいいけど、やっぱりその後のセールに心を奪われるのだった・・・・(Meijerの当日朝5時からのセールはちょっと行けないと思うけど・・・・)。



2004年11月22日(月) 今週はサンクスギビング

 サンクスギビング(感謝祭の日)の後の金、土、日と1年で最大のセールがあるのだが、今年はその前からセールが始まっているところもあるところもある。今日ちょっと覗いてみたデパートは今週は10時まで開いているようだ。サンクスギビングの次の日は何と朝6時開店。

 いつもは行かない階に行ってみたら、とてもかわいいサイズのティーとコーヒーセットを見かけた。いくらかが書かれていなかったので、声を掛けてきた店員さんに聞いたら、69ドル99セントという。

 やっぱりそんなにするのかぁ、と、箱の裏を見たら、「うそつきぃ。勝手なこと言うて、半額以下やんかぁ〜」という値段だった。その値段ならと、とても惹かれるのだった。買うとしたらティーセットの方かな。

 ティーカップに入る量がトルコチャイのグラス分しかないかな。いつもマグカップで紅茶をが〜っ、と飲んでる私としては、そのカップだと2杯は飲みたいかも。でもがぶ飲みするようなカップではなくて、もっと上品にお茶をする、という感じで、それよりか、オブジェとしてもかわいいかも。

 オブジェ・・・・いい響きだなあ(この前の金曜日に耳に残った言葉@プレイグループ)。

 サンクスギビングセールで狙っている一品でした(→でもお店をうろうろしていると怪しまれるかも)。



2004年11月21日(日) ボジョレヌーボ情報@シンシナティ

 シンシナティのお店でもいくつかのボジョレヌーボを見かけた。

 ジャングルジムズのとワイルドオーツでは違うラベルのものだったから、蔵元が違うのかな?でも日本のサイトで見かけたのともちょっと違うようだったし・・・・。

 というわけで、調査続行中。



2004年11月20日(土) 学習発表会

 補習校で学習発表会があった。

 先週もらったプログラムには聞いていなかった演目が載っていてびっくりした。今日のプログラムでもわかったのだが、クラスで違う演目をするらしく、事前に作るように言われていたとんがり帽子も、隣のクラスのお母さんたちがもらっていない、ということだったのだが、今日のプログラムを見てその謎が解けた。

 幼稚部の発表会はほほ笑ましく、(多分)1ヶ月以上前から練習していた、手話を交えた歌も歌ってたし、聞いていなかった演目も、いつの間に練習していたんだろう、とびっくりするほどよかった。

 ネジャーティは写真をいくつか撮り、演目の後だったか梨奈に手を振ったら梨奈が気づいたらしく、手を振り返していた。梨奈を親の立場から見ると、ほほ笑ましさもあったのだが、照れくささもあったというのが正直なところかな。

 来週の補習校はお休み。



2004年11月19日(金) 来週はサンクスギビング

 「近くだけど送ってもらいたいところがある」とネジャーティに言われて、金曜日はプレイグループもあるし、その前にも行くところがあるから無理だろうと思っていたら、朝だったから時間があった。

 その日に予定があると、あとの時間は全部だめと思い込んでいるところがあって、一度ちょっと失敗したことがあったので、これからはちゃんと時間を聞こうと思う。

 というわけで今日は充実した楽しい一日を過ごした。

 ところで来週サンクスギビングがあって、それが過ぎれば慌ただしい師走を迎えるのだが、一時帰国や国内旅行、転勤がほぼ決まっているというご家族もいて、ここも例外でない。

 うちもどうなることやら・・・。



2004年11月18日(木) みかんの中身は・・・・

 今日は暖かかった。お天気はよくないものの、せっかく暖かいから出かけたかったのだが、梨奈がそんな気分でなかったらしい。というわけでどこへも行かず。

 ところで昨日の晩ご飯の後、ネジャーティが台所で何かしていて、梨奈が何をしているか聞いたら、オレンジをむいてるという。冷蔵庫にオレンジが入っているし、むいて持ってきてくれるのを待っていた。ネジャーティは梨奈にオレンジって日本語で何?と聞き、梨奈が「オ・レ・ン・ジ」と答えた。

 台所に行くと、ネジャーティがせっせと切っていた。オレンジは日本語でもオレンジだ、というと、「でも他に何か言い方があったでしょ。これは何?」と指差した先にみかんがあったので、「これはみかん、それはオレンジ」と言った。

 そしたら真顔で「むいていないものはみかんで、むいたものをオレンジと呼ぶの?」と言うので、面白いこと言うね、と笑って、リビングルームに戻り、ネジャーティが持ってきたものを食べたら何とみかんだった。

 何のことはない。ネジャーティは最初からみかんをむいていたのだった。私はてっきりオレンジをむいているものだ勘違いしていた。だって包丁使ってたんだもん・・・・(←白い筋がついている背の部分を切っていたらしい←細かい・・・・)。

 ネジャーティが真顔で言ったのを思い出しては笑ってしまった。



2004年11月17日(水) 巻き寿司1

 今月も気が付いたら半分終わってて(先週は風邪で何もしてなかったからというのもあるけど)、来週は早くもサンクスギビング。

 サンクスギビング前日にネジャーティの研究室で、誰かがターキーを焼いてきて、他の人たちが持ち寄りをするらしい。今回に限らず、研究室で何か持ち寄りするときは、ホワイトボードに書き出すことになっているが、今回何を持ってくるか、と言うのを今日書かないといけないので、ネジャーティに何がいいか聞かれた。

 前にも困ったなあと日記に書いたような気がするけど、うちからはほぼ日本食を作ることになっていて、簡単なもの→巻きずし、となるのだが、それしか食べないのかと思われることと、日本食=寿司と思われるのも気が引けてしまう。

 といっても、作るのも食べるのも手軽なのはやっぱり巻き寿司かな、と思うのだが、よく考えると、日本人が思うほど、作るのは手軽ではないかも(ご飯を炊いたり、酢飯を作るのが大変かも)。

 ・・・と思うことにした。というわけで、巻き寿司を作る予定。



2004年11月16日(火) メールアカウント

 メールアカウントの中で一番古く持っていたものが、この秋容量が125倍になると聞いて喜んでいた。が、待てど暮らせどそうならないので、気長に待っていたら、今夜になって容量が突然大きくなっていた。

 いつも容量ぎりぎりなので、今は別のメールアドレスも主なやり取りに使っているが、とりあえず容量をを気にしなくて使える、とホッとした。これがほんとのホットメール・・・・。

 メールを使い始めて、かれこれ9年近くなるが、最初に開いたのは当時住んでいたフロリダの市の図書館だったかのサービスのもので、ネジャーティがアカウントを開くのを手伝ってくれた。

 その後、学生にあてがわれるメールアドレスを使うようになり、その他に、サービスが始まった無料のメールアカウントも開いて、休みでフロリダに不在の時に使うようにしたり、それがすぐいっぱいになると、(多分)その後サービスが始まった他のサーバーの無料のメールアドレスを持ったり、同じ系列の日本版のメールサービスができたと同時にアカウントを開いたりして、現在に至っている。

 振り返ると、アメリカのパソコンの日本語環境もよくなったし、便利になったなあと思う。たまにネジャーティとタラハシーの市のメールアカウントの話になって、当時の自分たちのこともついでに思い起こすのだが、それはいいとして、パソコンが多言語適応になった今と比べると、日本語環境は劣悪だった。

 当時、日本でも友人たちがメールアドレスを持つようになって、今までの手紙やFAXといったやり取りがメールに替わったのだが、日本語で読み書きできない環境だと、日本にいる友人とはローマ字読みで、学内の日本人学生やアメリカ国内に留学している友人間ではローマ字読みがかえって読みにくいということがあって、英語でメールがやり取りされていた。

 どんどん改善されるのはうれしい。



2004年11月15日(月) 鶏肉とタクシーの謎

 あるスープ会社のコマーシャルで、夫婦がスープを食べながら日本語を勉強しているというのがある。コマーシャルの最後で、日本の風景をバックに、「トリニク、トリニク」と叫んで、結局タクシーを呼び止められなかったのだが、日本の風景がなければ、練習している外国語はロシア語かなと思った。

 まさか日本語の練習をしている場面とは思わなかったので、他の言語だろうという思い込みがあったが、英語のアクセントがついて日本語らしく聞こえず、がつがつに聞こえたのだった。

 会話の練習でなぜタクシーととりにくを間違えたのかという部分が以前も聞き取れなくてわからないのだが、もしご存知の方いらっしゃいましたら教えてくださいませ・・・。



2004年11月14日(日) 家作り つづき

 今月はサンクスギビングがまだ残っているにもかかわらず、今月に入ってクリスマスソングが流れている。気が早い・・・といってもあと1ヶ月足らずでクリスマス。

 昨日はネジャーティがお昼ご飯を食べてから、自主的に片付けに協力してくれたが(見るに見かねてとも言える)、二人で片付ける方がやはり早い。これからも時々よろしく。

 昨日読んだ本では、床下収納はいろんな点でよくないということが意外だったのだが、多くのご主人方がほしい書斎も案外物置になってしまうことがよくあるというのも意外だった。でも、うちも一部屋の一角を書斎にしたかったのだが、中途半端に終わってしまい、机の上は物置になっているかも・・・。



2004年11月13日(土) 家作り←本から

 補習校で家づくりについての本を借りて読んだ。借りる時にその本を手にしていた私に、その本は参考になった、という方もいて、読んでみて参考になることが多かった。

 といっても、家に住むなんていつの話やら、という状況なのだが、ちょっと興味があったし、ネジャーティにも、読んだら感想を聞かせてね、と言われて、へぇ、ネジャーティも興味あるんだなあと思った。

 タイトルの下に小さく書かれていたのが、「子ども部屋のために家を建てるな」というもので、それを言うと、「子供はいつか家を出るからだろうね」という、本の内容にもまさにその通りのことが書かれていたのだが、それ以外にもうなずくことがたくさんあり、なかなか面白かった。

 今は梨奈用の部屋というのを作っていなくて、近所の子に「りなの部屋で遊びたい」と言われて、梨奈には部屋がない、というと驚かれたが、梨奈の物も増えてくるし、近い将来は梨奈の部屋は自然にできるとしても、きっとダイニングテーブルで宿題をしたりするのかなぁ。それか部屋にゆとりがあったら、一つをみんなの勉強部屋にするというのはどうかな→というより書斎+作業スペースがほしい。



2004年11月12日(金) アメリカ人はどう読むか?

 トム・ハンクスが「ポーラー・エクスプレス」のPRのために、前回の来日から約2週間足らずで来日したそうで、「実はずっと日本にいたんです。日本を愛しているから!」というジョークに、笑ってしまった。そうそう、あなたはついこの前、デイビッド・レターマンのショーに出てたばかりやもんね。でもいいなあ、日本に行ってるのか・・・。

 最近見た携帯電話のコマーシャルから。会社の名前の最初の「Kyo」が「キヨ」と読まれるのを聞いて、日本人の私としては、「違うやろう」と突っ込みたくなった。「K→キ」「yo→ヨ」と離されるからで、それは「トウキョウ」が「トキヨ」になるのと同じなのかな。

 英語には「きゃ」「きゅ」の音があっても、「きょ」がないから、英語を話す人には「きょ」は難しいかも。頑張ってくれれば多分「きょ」と読んでくれるかな。

 こんなことはよくあって、日本語の言葉を英語の発音に合わせるのは自然なことかもしれないのだが、アメリカでも何年か前にはやった「たまごっち」は「タマチ」だったし、車も「トラ」になるし、日本語だけでなくて、韓国の車「現代(日本語で書くとヒュンダイ←これも正しいんだか)」も「ンデイ」になっている。

 逆のことも日本では言えるのだから仕方がないけど、やっぱり「違う〜!」と思ってしまうのだった。



2004年11月11日(木) パレスチナ

 UCは今日のベテランズデー(退役軍人の日)で休みだが、ネジャーティはお昼前に出かけて行った・・・・。

 さて、アメリカ時間では昨日、パレスチナ解放機構のリーダーだったアラファトの死去のニュースが伝えられた。パレスチナというと、フロリダ時代にパレスチナから来ていた留学生モハメッドを思い出す。

 以前にも何かの折に日記に書いたのでダブってしまうのだが、社会学部(4大・院)の中でも一番難しいとして知られていた都市計画学を専攻していた彼は、その中でも優秀だったと聞いたことがある。

 彼と直接話す機会というのはほとんどなかったが、彼と親しい日本人学生がいて、一度他の日本人たちも一緒に本屋のカフェでお茶をしたことがあった。それが、彼がパレスチナに帰るだか何かでお茶をしたような気もするのだが、今となっては定かではない(しかも、5、6人の日本人の中に彼一人)。

 当時も安全面でパレスチナに戻っても大丈夫なのかといった言葉を誰ともなく彼にかけていたが、自治政府であってもなくても、不安定な地域での都市計画にきっと携わるであろう彼にとっては、都市計画の研究は決して机上のものではなく、自国をどうすればいいか、という現実に差し迫ったものだったんだろうと思う。

 ちょっと気になって彼の名で検索したら、2002年の4月にジェニンという町近くにある難民キャンプについて、あるサイトにニュースレターを送っていることがわかった。2年半経つ今、彼の無事を祈るのみ。



2004年11月10日(水) ポーラーエクスプレス

 月曜から風邪で寝てました・・・。

 今週に入って公開が始まった映画、「ポーラーエクスプレス」に先だって、月曜日にトム・ハンクスがデービッド・レターマンのLate Showに出ていた。トム・ハンクスのような映画俳優はテレビではこのようなトーク番組でしかお目にかかれないので貴重だ。テレビのドラマには決して出てこない。

 名前と顔が一致しないアメリカ人俳優の中で、トム・ハンクスは顔と声と名前がちゃんと一致している数少ない俳優の一人なのだが、トム・ハンクスの声は特徴があるんだよなぁ。今のところ一番好きな俳優の一人だ(とこれを読む友人たちはきっと私の傾向からわかるはず・・・)。

 でも、トム・ハンクス、あごに肉がついてだぶついてるぅ・・・・。

 トークショーでは映画の紹介の他に、トム・ハンクスが家族でスコットランドのエディンバラやロンドンを旅行した話をしたのだが、エディンバラで食べたメキシコ料理が合わなかったらしく、車で移動中や、列車でロンドンに向かう間に大変だった話を、これまた面白おかしく話す。こういうリップサービスもちゃんとするんだなあ、これが。



2004年11月07日(日) ぎんなん続き

 昨日拾ったぎんなんは、どうも回りの実がすでになくなって、中身の種だけの殻付ぎんなんの状態になっているらしい。いろんなサイトを見ると、実を取るために土に埋めたりという方法もあるようで、それならあとは種をきれいにして乾燥させたらいいようだ。

 ぎんなんはやっぱり茶わん蒸しかな。ネジャーティ、初のぎんなんとなるか(でも日本で食べたことないかなあ)・・・。



2004年11月06日(土) ぎんなん

 補習校の帰り、エデンパークのTwin Lakesに寄った。そこの遊び場で梨奈が遊んだのだが、池の周りを歩いた時に、イチョウの木があるのに気が付いた。

 こんなところにイチョウの木があるんだなあと思いながら、ぎんなんが落ちているか見て回ったのだが、落ちている気配がないので、雄の木だったのか、すでに誰かに拾われたかだったのかもしれない。

 駐車場近くにもイチョウの木があって、そこには木の下にぎんなんらしきものが落ちていた。日本人ならイチョウの木は馴染みがあるのだが、ネジャーティには馴染みがないらしく、ぎんなんは食べられる、といったらびっくりしていた。

 とりあえず拾ってみたのだが、実の表は乾燥していて、どちらかというと平べったい実だったので、ぎんなんじゃないのかな? まだ中身は見てないが、明日にでも中身を見てみよう。



2004年11月05日(金) 梨奈の夢

 昨日かおとといだったか、梨奈が起きて泣いていた。夢を見た、というのでびっくりした。どんな夢を見たの、ともしかしたら聞いたことはあったかもしれないが、具体的にどんな夢というのは聞いたことがなかった。

 それで、どんな夢だったかと言うと、近所の子供たちと一緒に遊んでいて、ヒスパニックの小さい女の子にたたかれた、というものだったらしい。

 梨奈も夢を見る、というのがどういうものかわかってきたらしい。



2004年11月04日(木) 移動好きの日本人は何民族?

 近所の70代の日本人の方と話していたら、意外だったことがあった。それは自分で車を運転してどこか行こうという楽しみがない、ということだった。

 誰かに運転してもらってどこかに行くのはもちろん楽しいらしいが、車はあくまでも用事があるから使うだけで、自分で運転してここにも行ける、あそこにも行けるという楽しさがなく、誰かに連れて行ってもらわない限りは家にいる方が好き、ということだった。

 連れて行ってもらっても外の景色にはさほど関心がないのか、この前デートンに一緒に行ったというのを聞いた人が、「紅葉がきれいだったでしょう」と聞くと、全然見てなかったと言っていた、というのを聞いて、ちょっとびっくりした。そういえば、旅行らしい旅行をした、と言う話も聞かない。

 そういう人が身近にいなかったので、そういう人もいるんだなあという意外があったというわけだ。だから私が生まれる前からこの町に住んでいても、近くの道路の名前は知らないし、それがどこに通じているのかもわからないし、その人にとっては平面の地図ではなく、ただの直線で、方角の感覚もないんだろうなあ。

 それで道路が工事でふさがっている時には困ったこともあるらしいが、だからといって、別の道を覚えようとかそういうのもないらしい。

 それが悪いとかというのではなくて、私や亡くなった祖母はまったくの正反対で、旅行大好き、どこに行くのも大好き、自分でちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、と動かないと気が済まなかったらしい。

 新幹線がまだない時代でも関西に出てきていた母を夜行でちょくちょく訪ねたほどのつわものだったらしいので、旅行でどこどこに行ったというのは自慢だったし、晩年足が悪くてどこにも出かけられず、母と私が大阪や神戸に出かけて帰ってきた時には機嫌が悪いほどだった。

 日本人は農耕民族というけれど、うちも含めた移動好きの日本人は昔は騎馬民族だったのかも。



2004年11月03日(水) 大統領選続き

 う〜ん、残念。ケリーを応援してたのになあ。2時過ぎにテレビをつけるとボストンでケリーの敗北宣言のスピーチをしていた。

 ブッシュは4年間の大統領としての自信と、ブッシュ家の選挙戦の経験をうまく利用した、という感があって、ブッシュ再選を十分に妨げる要素がケリー側に少し足りなかったかなあと思う。

 それから、何日か前に、あまりにもタイミングよく報道されたビンラディンのテロの警告も、どれだけの票が強いアメリカを打ち出してきたブッシュに動いたかは謎にしても、その報道で逆にビンラディンとブッシュの間に何かしらの関係があるのではと疑問を持った人もいるのではと思うのだった。

 どちらにしても情報操作がなされたかなと思うのだった。そんなことをネジャーティに話したら、ネジャーティもあれは仕組んだ報道だろうと言っていた。

 ところで昨日の開票の途中経過が地図で色分けされていたが(ブッシュ:赤、ケリー:青)、大都市を抱えるイリノイやニューヨーク、カリフォルニアなどの西海岸、ケリーの地元のマサチューセッツとその近辺のニューイングランド地域は青一色だったが、赤で早々と示されたところはテキサスから北一直線の州だった。

 ニューイングランド地域で唯一まだ結果が出ていないのが、ニューハンプシャーだったのだが、あの州もよく分からないのは、ケネディーファミリーやケリー出身のマサチューセッツの北隣の州なのに、以前の女性州知事はブッシュ側だったし、張り合うような州ではないと思うんだけど・・・。

 その他、激戦地区となっていたオハイオも面白いことになっていた。結局オハイオはブッシュ側の支持が多かったことで、オハイオの結果でケリーが敗北宣言をした。

 途中経過をカウンティ(郡)別に見ると、デイトン、コロンバス、クリーブランドを抱えるカウンティとクリーブランド周辺のカウンティはケリー支持票が多く、それ以外はブッシュ支持が大半を占めていた。カウンティの数で言うとブッシュがリードを占めているのだが、クリーブランドのカウンティの票が多いため、投票結果が確定するまで何とも言えないというところが本当のところだった。

 なので、オハイオもSwing Stateになっている理由がわかる。シンシナティはブッシュ側がリードしていたのだが、シンシナティが属しているハミルトンカウンティには他にも多くの小さい町があり、その結果がまだ出ていない、ということだった。

 シンシナティはすぐ南にケンタッキーがあるので、ケンタッキーを抑えているブッシュとしてはシンシナティも抑えておきたいところだろうが、南部出身のブッシュにとって、昔の北部だったオハイオをどれだけ抑えられるかというのも鍵となっているのだろう。

 次は4年後。ブッシュが8年の任務を負えた後、誰が選挙戦に立つことやら。



2004年11月02日(火) 大統領選挙

 日曜日のハロウィンで隣人のお母さんの家を訪ねた帰り道、車の中で、雪すべりの話からニューハンプシャーを思い出します、というと、隣人も生まれ育ったマサチューセッツが懐かしいという話になった。

 遅い春や涼しい夏、ビーチ、紅葉、雪と季節に関してお互い分かっていることなので、共有できる話がある、というのも話題に困る私としては助かるのだが、お母さんが友達とオハイオの州都のコロンバスで20年ぶりに会って喜んでたという話から、明日の選挙戦の話に及んだ。

 お母さんの友達というのが同じマサチューセッツの出身であるケリー氏の選挙戦のお手伝いをしているらしい。お手伝いというよりは各遊説地での手配やマネジメントやら、お手伝い以上のことをしている人らしく、それで遊説地のコロンバスで再会を果たしたらしい。

 「うちは家族あげて同郷のケリー氏の方だから」というのだが、親戚だったかブッシュの方にしてほしいと電話がかかって来るらしく、その話をしてもしょうがないから、と言っているらしい。

 そういえば面白かったのは、梨奈や隣人と一緒に回った18歳ぐらいの女の子も、芝生に建てられたブッシュの名前の看板を見て「ブッシュの名前があるから、行かんとこかな(何で関西弁やねん)」と言っていた(でも、結局行ってた)。

 昨日も最後の選挙のお願いだか録音された電話がかかってきたけど、選挙権はないからねえ・・・。



2004年11月01日(月) ハロウィン続き

 昨日のハロウィンで隣人のお母さんの家の近辺では、家の前に椅子を出したり、火を焚いて暖を取ったりして子供たちが来るのを待っている人もいた。いちいちドアをノックされて出て行かなくてもいいので、いいアイデアだ。時間が遅くなると、キャンディーが入ったバスケットごと外に置かれていて自由に取れるようになっているところもあった。


あるお宅で


 家によっては仕掛けもしているところもあったりして面白かった。木の枝に骸骨の花嫁をぶら下げているところもあって、子供たちが来るたびに、外に座っているそこの家人がそれを引っ張ったり下げたりしていた。



 そして、2時間かかってもらったお菓子が↓。



 私は隣人について行っただけだったのが、もうそこまで行かんでも、というのが正直なところだった。帰ってネジャーティに見せたらびっくりしていた。お菓子袋に入らなくなったので、途中で合流した親戚の人に枕カバーを持ってきたもらったのだが(枕カバーを持ち歩く子供もいる)、よいしょっと肩に掛けて、大黒かサンタクロースかといった出で立ちで歩いていた(今日は手が痛いです)。

 そんな出で立ちをネジャーティに言ったら、研究室の人にもそういう経験の人がいるらしい。それで中にはガムもあったので、種分けして少し研究室に持って行ってもらった。他は梨奈の手の届かないところ、そして見えないところに隠してある。


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