今日のプレイグループでは、お弁当の中身の話題も出たが、おもてなし料理を作られた方の話を聞きながら、本を見せてもらった。
料理はプロが紹介していて、見ただけでご馳走を食べた気分になったのだが、一つ、だし巻き卵の作り方に目が止まった。お砂糖のところにかっこして(和三盆)とあり、そうか、だし巻き卵に使えるのかと思ったのだった。
以前、いかさんと私は和三盆を目の前にして、何に使ったらいいだろうね~と話していたのだが、だし巻き卵とかでもいいことがわかったので、今度試してみよう。
外は涼しいのに車の中は暑くて、窓を開けて空気を通すも、今年はやはりクーラーを直してもらわないとと思うのだった。クーラーを直すのに700ドルかかると言われ、それだけ出して直す価値はないとネジャーティは言うのだが、今年は17年周期のセミの到来で、窓を開けて運転できそうにない・・・・。セミの到来、侮れない。
ところで、土曜日は初めて梨奈がお弁当を持っていく日で、おそらく明日のプレーグループもお弁当の内容の話題が持ち上がるだろうなあと思っている。4月はお弁当なしで12時で終わりだったのが、明日からは2時で終わりとなる。しかも土曜日はネジャーティの誕生日で、梨奈がいないのでせっかくだからデートしようかと思って、デートとは言わず、お昼ご飯をどこかで食べようということまでは取り付けたのだが(「取り付けた」を思い出せずに画面の前で少しうなっていた)、さて、どこで食べようかというのが目下の課題だ。トルコ料理屋さんも行ってみたいが、軽く済ませたいというかもしれないしなぁ。
それとお昼ご飯を食べても少しならまだ時間があるだろうが、その間どこに行ってみたいだろう? エデンパークに行ってみようかな? この前の温室はよかったし、そういえばエデンパークがある町を歩いたことがなかったし。それともハイドパークかなぁ・・・といろいろ考えたが、よく考えると、土曜日は授業参観と懇談会があって11時ぐらいまで学校にいるので、そうすると3時間しかない。この前の土曜日も3時間なんてあっという間に過ぎてしまった。あまり遠出はできなさそうなので、ダウンタウン近くかな。
今日の明け方はなぜか冷えたが、夕方頃には暖かくなっていた。
さて、ジャングルジムズで買い物を済ませ、車に乗り、Dixie Hwyという通りに出るために信号待ちをしていた。Dixie Hwy側の歩行者信号が点滅していたので、もうすぐこちらが青になるなあと思っていたら、右手の方から消防車のサイレンが聞こえてきた。消防車は優先なのでそのまま走り去って行ったが、Dixie Hwyの信号は青のまま、また歩行者信号も「歩く」の電気がついていた。
やっと今度はこちらの信号が青になったのだが、果たして消防署で信号の操作ができるのか、それとも消防車にリモコンみたいなのがついていて、信号を青のままにできるのか、聞いたことがあるような気もするが、何だか納得が行かない信号待ちだった。
昨日に引き続き、やや頭痛があったが、行かないといけないところがいくつかあって、外出した。
その一つは市役所で、ここForest Parkは市税があり、4期に分けて税金を納めるシステムになっている。今月中に年度末調整をして、1期分の税金と足らない分あるいは差額を払うようになっている。自分で計算して郵送してもいいのだが、いまいち合っているかどうか自信がないので直接行って計算してもらうことにした。
去年は人が待合室に座れないほどいたので、今年もそうかなと覚悟して行ったら、誰もいなかった。そして、来年からは連邦税や州税の締め切りと同じく市税の年度末調整の締め切りが4月15日になるとあった。最初、「今年?」と勘違いして焦って、それでもしかして誰も待っていないのかと思ったが、手元にある用紙には30日とあったし、よく見たら、2004年度のことで、来年からとあって、ホッとした。
調整は結果的には計算していたものと合っていたのだが、もし今年市外へ引っ越すことになったらどうしたらいいか、と聞いてみたら、年度末まで待たずに引っ越す前に来てくれれば精算をする、ということだった。
市役所を出た後、モールに寄ってネジャーティの誕生日カードを買ったが、それだけ買ってすぐ家に帰った。
夕方ごろには頭痛も治まってよかった。もしかしたらStomach Fluだったかも。
日本でも17年周期のセミの話があったみたいで、友人も知らせてくれた。ニュースにはわざわざシンシナティとかいてあったのだが、私が土曜日に行った温室からもらってきた紙にも同じセミの数が書いてあり、ネジャーティが「どうやってその数字を出すんだろうね」と言っていた。
飛び交うものなのか、それがどれだけなのかと思うとゆううつになる。
昨日の晩だったか、ネジャーティが、明日の朝はダンキンドーナツに行こう、と言うので、近くのダンキンドーナツに行ってきた。朝だとクロワッサンかイングリッシュマフィンにエッグ&チーズをはさんでくれるものがあって、梨奈はそれを一つ平らげた。
その後、ドライブして回り、ウィントンウッズで少し散策した。雲行きが怪しかったが、雲の流れが速く、雨にはならなかった。
穏やかな時間を過ごして満足したネジャーティは学校に行ったのだが、こんな珍しいことがあると、気候に例えると夏に雪が降りそうなのだが、晩に私は体調をくずしてしまった(ネジャーティのせい?)。
2004年04月24日(土) |
森林浴?&老人に会いに・・・。 |
今月も早いもので、すでに補習校が4回目となった。今月は12時がお迎えの時間となっているので、それまでは一人の自由時間(ネジャーティは遅寝@うち)。
①最初にまず腹ごしらえ。
シンシナティにあるパネラを制覇しようとするわけではないが、まだ行ってないところと思って、ハイドパークのところに行くことにした。そして、本屋も行きたいけど近くにあるかなと思って、インターネットで調べてみると、どうもショッピングセンターのあるらしい。
とりあえずパネラと思って行ってみると、何と↓のようになっていた。

パネラと本屋が隣同士・・・・・。ちなみに本屋に入っているスターバックスは本屋の右隣に。
試食に置いてあったベーグルがおいしかったので、2つ持ち帰りに。
②老人に会いに(?)エデンパークへ こういうときでないと写真が撮れないので(梨奈がいるとなかなか撮れない)、写真を撮りにエデンパークへ。前回行った時はカメラの調子がおかしくて撮れなかったので、撮りたかったというもの。
ここでどうしても老人を撮っておきたかったのだった。↓

老人ではないのかもしれないが、これはシンシナティの姉妹都市である岐阜から贈られた鵜飼の像。今日はそうでもないが、像の老人が動いて話し掛けそうな雰囲気なのである。
③クローン温室へ すぐ近くのクローン温室へ。一度行ってみようかなと思っていたところ。明日まで「Springtime in Paris」の展示があって、展示室を覗いてみた。 展示室の他には、盆栽の部屋や砂漠の部屋(サボテンがある)、熱帯の部屋があって、それぞれの部屋で温度調節がなされている。ちなみに盆栽の部屋はひやっと涼しかったが、熱帯の部屋はむっと蒸し暑く、息苦しかった。
温室はそんなに広いわけではないので、見て回るのに時間はかからないが、それでもいい時間で、梨奈を迎えに行った。途中ではこんな写真も。

でも、用事を済ませたり、写真を撮ったのもなんかネタ取りのような気がして、かえって疲れてしまった(帰ってきて昼寝)。
2004年04月23日(金) |
アボカドの種の取り方 |
久しぶりにマーサ・スチュアートのテレビを見ていたら(というよりテレビを見ていたらその番組が始まった)、食べ物のコーナーに、サラダの簡単な作り方というのがあった。ネジャーティはサラダが好きなのだが、どうも私はサラダを作るのが苦手だ。それでもトマトや、おそらくアメリカに来て食べ始めたアボカドを入れるのだが、アボカドの種の取り方には苦労をしていた。そのコーナーでは、アボカドを半分に切れ目を入れてねじり(そこまでは知っている)、真ん中にある種に包丁をぽんと切るようにすると、包丁が種に刺さる。それをそのまま引き上げるときれいに種が取れる、という仕掛けだった。種がそのままのアボカドが半分残っているので、試してみたが、包丁から種を取るのがちょっと怖かった。
ところで、以前からケーキでもご一緒しましょうとお誘いしていた方にお誘いを受けて、やはりご主人が大学にいらっしゃる方のお宅に一緒にお邪魔した。大学には病院もあるので、病院関係で日本から来られている方や、日本に滞在経験のある中国人の方にもお会いした。中国人の方はここに来る前に日本に3年住んでいらっしゃったそうで、少し大きいお子さんは日本の子供と変わりない日本語で話している。子供の言語の習得はすごいなあと驚いた。
木の花の季節はほとんど終わってしまったが、その代わり、雨とこの暖かさで(ちょっと今日は肌寒かったが)新緑がきれいな季節となってきた。
それにしてもお昼から雨足がひどくなったりしてびっくりした。それでも外出して、ちょっと用事が済んだのもあったのでよかったが、今日は外出時間が長すぎて、梨奈も私も少し疲れてしまった。夜には電話しようと思っていたところがあったり、留守電が入っていて、お電話をいただいたりしていたが、かけなおすには遅い時間だった。自分でもこれはあまりにひどいと反省。
時折地元のニュースや記事を見るのが好きで、インターネットで大手新聞の地元版を見ている。新聞に掲載されている各町の写真も面白かったが、今年になって始まった駅の紹介があったので見てみた。最新のものはちょうど神戸の地下鉄、海岸線のみなと元町駅だったのだが、海岸線が開通していたというのは聞いたような気もするが、うら覚えだった(というよりすっかり忘れていた)。
前回里帰りしたのが2年前だったので、その時はまだ海岸線は工事中だったが、すでに人の足となっているらしい。海岸線がどこからどこまでかはわからなかったので見てみたら、東は三宮かららしい。
便利なのかどうかわからないが、三宮に行った時にハーバーランドにも行ってみようかなと思うことがあって、そういう時にはJRの三宮か元町からで神戸駅まで行くのだが、ハーバーランドまではショッピング街を通って行くことになるが、海岸線の三宮から、記事に紹介された駅まで行くと、ポートタワーがあるメリケンパークを通って行くことになりそうなので、それもよさそうだ。メリケンパークはハーバーランドのすぐ目の前の波止場があるのに、以前は行き来ができず、ちょっと孤立した状態になっていた。それはこの前帰ったときに行き来ができるようになって、少し解消されたが、それでも、どの駅からもちょっと遠く、ハーバーランドを通らないといけなかった。でも、今度は駅からメリケンパークにも近いようで、少しは人が行くようになったかな。
写真には昔の建物の壁を使った駅舎が写っていたが、ボストンの地下鉄のState駅も駅を上がって外に出てふと建物を見上げると旧州会議事堂となっていて、それを思い出させた。
浦島太郎ならぬ、浦島花子の私だが、海岸線を使って行動するのも楽しみだが、ちなみに東急ハンズ近くにあるトルコ料理店も行ってみたいので、それも含めると、また別の行動パターンができるので歩きがいがある。行動パターン分だけ神戸に行っているような気がするが、今度帰った時には何回行けるかな。
2004年04月20日(火) |
週末の写真@アパート |
週末、うちの裏庭ではこんなことになっていました。
 裏庭でチョークで遊ぶケイラとジャキア

 サディラと
うちはネジャーティがコーヒーに砂糖を入れるのだが、この前久しぶりに角砂糖を買ったら喜んでいた。トルコでは角砂糖を入れるのが一般的らしい。そういえば、ニューハンプシャーにいた時に、近所に住んでいたラマザンもそうだったが、小さいトルコチャイのグラスに大きい角砂糖を2つ入れて飲んでいた。クリスタルのガラスの容器に角砂糖を入れる、というのもトルコではよくあるらしく、この辺だったら、デパートにもあるだろうが、ミカサのお店に行ったらあるかもしれない。
トルコの東の方では、チャイに砂糖を入れず、角砂糖を口に含んで、チャイを飲む習慣があるらしい。トルコの首相が、ちょうど日本が人質問題で揺れている時に来日していて、大阪での茶会で飲んだ抹茶が苦くてびっくりした、とトルコのマスコミ人に漏らしたら、角砂糖を口に入れていたらよかったですね、というようなことを言われたらしい。日本人にとっては抹茶は苦いものと決まっていて、飲む側も心の準備ができているものだが、何も知らないで飲むとびっくりするだろう。でも大阪のどこだったんだろうなぁ。考えられるのは、大阪城の西ノ丸庭園とかだが、ご存知の方、教えてください。
この前の金曜日の時に、本当はトルコチャイを作ろうと思っていたのだが、人数分のチャイグラスがないのと、それでもいいかなと思っていたのだが、実はその場になってすっかり忘れてしまっていた。いつかトルコでかわいいチャイグラスがほしいなあと思っていて、せっかくだから、トルココーヒーの専用鍋とカップのセットもほしいなあと思うのだが(個人店でよくある値段の交渉はネジャーティにしてもらって)、早くトルコデビューを果たしたいものだ。
2004年04月18日(日) |
Ault Parkへ |
昨日早起きしたからか、梨奈は7時半に目が覚め、ちょうどテレビでブルースクルーズ流れていたので、それを見ていた。私も起きようかなと思ったが、二度寝をしてしまい、起きたらお昼近かった。
お昼ご飯を食べているとサディラが来た。ちなみにサディラともケイラたちとも裏庭で遊ぶので、裏庭で行き来がある。サディラのお母さんとも芝生で話すので、井戸端会議ならぬ、芝生会議になっている。そして、梨奈はご飯を食べ終えてサディラと遊び始め、隣の建物のヒスパニックの女の子たちもでてきた。その子は犬が怖くて、犬を飼っているケイラとジャキアが外に入ると犬も出てくると思って、外には出てこないのだが、ケイラとジャキアは今日はいないらしく、外に出てきた。
その子はグアダルペ(グアダルーペの方が近いのかな)という、英語とスペイン語を話す子で、妹はブレニーといってスペイン語だけを話す。グアラルペの名前が長くて覚えにくくて、綴りを書いてもらい、後でペンで書きなおして冷蔵庫に貼っておいた。
しばらく遊んでいたのだが、ケイラの犬がいつの間にか外に出て、それも何もつながれていなかったので、グアダルペは怖がって、うちのダイニングに入って、ガラスドアも閉めてしまって、外の様子を見ている。ケイラの犬は、私が犬好きだと言うことを知っているので、わ~っと走ってきてはじゃれている。今日なんかはごろんとなっておなかを見せるほどだった。そのうちケイラのお母さんが出てきたのでよかったが、どうもケイラたちは出かけていたらしい。ケイラのお母さんにはグアダルペが怖がっていたことを話したのだが、グアダルペが最近(といってもいつだったかな)引っ越してきた家の子供だということを初めて知ったようだった。ケイラのお母さんが家に連れ戻したので、グアダルペもホッとして外に出てきた。
遊びが一段楽した後、今日のうちのアクティビティーはというと、Ault Parkに行きたい、ということで行くことにした。初めにそうめんを買いたかったので、チャイニーズのお店に寄ってもらったのだが、お菓子を選ぶネジャーティはうれしそう。後で見たら、知らない飴とかも入っててびっくり(レジでは気が付かなかったが・・・・)。
さて、Ault Parkは大学からも程近いハイドパーク(Hyde Park)という、この辺ではおしゃれな町にあって、シンシナティでもこの町の評判はいい。一度ハイドパークにあるおいしいケーキ屋に行ったのだが、その時だけで、そこをゆっくりと歩くということもなかった。
Ault Parkに行く途中にある一角だけ、お店が立ち並び、人が歩いているところがあって、それが目につき、ちょっと行ってみよう、と立ち寄ってみた。今日はちょっと暑かったので、アイスクリーム屋があればいいなと言っていたら、そこにグレーターズというシンシナティのアイスクリーム屋がちょうどあったのだが、その隣の隣のレストランを見て、ここに来たことがある、とネジャーティ。研究室の人と来たらしい。なぜわかったかというと、レストランの右隣にAAAのオフィスがあったのを覚えていたかららしい。


ここの町並みはニューハンプシャーのポーツマスみたいだねと、何だか懐かしい気持ちにかられたのだが、シンシナティにもこんなところがあったんだなあと、この約2年、損をした気持ちになった(そういえば、前にもそんなことを言っていた)。そして、その通りにはうちの近くのワイオミングという町にもある、フランス人が経営しているケーキ屋さんがあって、ハイドパークにあるというのは知っていたけど、ここのことだったんだぁと知った。そして、また後悔の念が(うちへのゲスト、亜里沙さん、いかさん、ごめんなさい。でもいかさん、ポーツマスのような感じです)。
近くにはこれまたポーツマスにありそうなコーヒー屋さんがあったので、そこに行ってみたいね、とネジャーティ。
そこからAult Parkへはすぐで、話しに聞いた桜はもう季節が終わってしまったようだったが、近くにあるリトルマイアミ川やLunken空港が見渡せて、これまた、これまで来た公園のようにいいところだった。写真はこちらから。
2004年04月17日(土) |
走行距離122マイル(195キロ)なり |
車のガソリンを満タンにした時は、メーターをゼロに戻すので、おとといの夜ガソリンを入れた時にゼロにした。今日はそのゼロから日本語補習校があるケンタッキーへ出発。
日記に書いた予定を少し変更し、最初にヤードセールに行った後、パネラに寄って、その後公園に行くことに。しかし公園には行けず、時間切れ。家に着いたら、122マイルも走ってた。
家に帰ると、近所のケイラとジャキア、隣のサディラが梨奈を待っていて、ケイラとジャキアは途中で帰ったものの、最近引っ越してきたヒスパニック系の女の子も加わり、場所をサディラの家に変え、軽い食事+遊びが続いたのだが、女の子がこんなに多いんだったら、先月のひなまつりを近所のみんなで開いたらよかったなと後悔。
サディラのおうちの裏では、昨日買った(と思う)BBQセットで早速何かを焼いていて、私もハンバーガーとサラダ、ごはんをお呼ばれし、サディラのお母さんと、そのお母さんと紅茶を飲みながら久しぶりにおしゃべり(セミの話題がやはり持ち上がり)をし、補習校の話やプレイグループも交えながら、その後は名前は忘れたが、4人までできるボール遊びで男2人+サディラのお母さんと私の女2人でチームを組んで遊び、私たちが勝って終わり、9時になったのでお開き、という運びに。
今日はきっとよく寝るね、と話してた通り、梨奈はぐっすり寝ている。
土曜日の午前中に行けるところ。サディラのお母さんやそのおかあさんにも、クローン温室が美術館もいいよ、との提案を受け、そういえば、クローン温室にはまだ行っていないので、来週はクローン温室に行ってみようかな。エデン公園も写真を撮るのにいい季節かな。明日はできれば天気が崩れないうちにAult Parkに行ってみたい。
2004年04月16日(金) |
プレイグループ@うち |
この2、3日暖かく、木の花も一気に咲きだして、暖かいけど爽やかで、申し分のない気候だった。
この気候だと裏庭でも遊びやすいし、家の中でもいいしと思っていたら、最後の方で隣の家のサディラも出てきたようで、女の子たちはサディラと一緒にお絵かきしたり、おままごとをしたりして遊んでいた。後でサディラのお母さんとたまたま話してたら、サディラも喜んでいたらしい。
これから外もいいなあと思うのだが、セミが5月末ごろから6~8週間ぐらいすごいらしいので、その期間は外は難しいかなあと思ったりするのだった。違う種類のようで、セミの時期が早いらしい。
2004年04月15日(木) |
税金の締め切り&人質解放 |
今日は連邦、州(オハイオ)の税金の書類提出の締切日となっている。今年も去年のを見ながら書きこみ、いくらか戻ってくるので、それが楽しみ・・・・。
イラクで日本人の人質が解放されたというニュースを聞き、同じ日本人としてホッとした。人質のニュースを最初に聞いた時には、もう少し様子を見たいと思っていたが、なかなか解放されなかったので(人質にとって、この一週間というのは一年ぐらい思えたのではないだろうか)、家族の方の心配も募るばかりだったと思う。今回のことで人質になっている人への一部の政治家からの批判や、家族への心ない批判があるようだが、批判してもことは始まらない、解放されるのを待つしかないと思っていた。
私は人質にされた人の行動をどうこう言うつもりはないが、現地で宿泊施設を出る前に、いつも死の文字がちらつきながら、それでも自分一人でも行かずにはいられない、と、そこまで思わせただろう状況というのはどういうものだったんだろう、と思う。戦争が終わっても苦しまないといけないのは、名もない一般市民だというのはいつまで経っても変わらない。
人質解放の条件として自衛隊の撤退が挙げられているそうだが、今回の自衛隊派遣について、個人的には反対だった。行ってしまった限りは大いに人道目的で貢献してほしいというのはあるのだが、派遣に関して気に入らないことがあったのだった。
何が気に入らないかというと、今回の派遣を決めたのは、アメリカからの要請によるものだったということ。国連決議で派遣が決まったとか、イラクからの要請が日本にあって、その要請を受けて、日本から行きましょう、ということなら納得行くことなのだが(といっても、現在の混乱のイラクがそんな要請ができるとは思わないが)、確かそうではなく(情勢をちゃんと追っていなかったのでわからないが)、アメリカがサダム政権をつぶして、より民主的な政府を作りたいから、復興に手を貸せ、というのは、五十数年前の日本の復興時と大して変わりないような気がする。半世紀経ってもアメリカっておんなじことをしているんだと、思ってしまうのだった。
おそらく日本人も、アメリカに追従することに飽きてきたという人が多いのではないだろうか。アメリカの人たちもどの国が派遣されているのかなんてわかってない。
・・・と、最初は「アメリカが」、と、アメリカ一くくりにしていたが、何のことはない、湾岸戦争の時も、今のイラクの状況も、結局はブッシュ親子がしたことじゃないか・・・。日本はこんなブッシュに手を貸すことはない。そういえばブッシュ側の政党というのは強いアメリカを見せることばかり。アメリカでさえ、現在ブッシュの支持率が最低である。ブッシュが大統領になったのはやはり間違いだった・・・。
アメリカは、今は他国に呼びかけても応じる国があるが、そのうち呼びかけても誰も応じない、孤独な国になってしまうのではないかと思うのだった。私は個人的にはカーター、クリントンの路線が好きなのだが。
現在お借りしているビデオの中で、笑えるところもしっかりあるんだけどホッとさせる家族の出来事を描いたドラマがあって、ネジャーティにも心動かされるものがあったらしい。ドラマでは主人公が、家族が広がっていくことを人との出会いと言ったのだが、うなずけるものがあり、私は拡大解釈をした。
私の場合は、一つはネジャーティを通してトルコや人を知り、ネジャーティも私を通して日本や人を知る。フロリダには自分で行って、もちろんそこで人との出会いもあったが、ネジャーティがいるニューハンプシャーでも人との出会いがある。おそらく自分では行くことがなかったオハイオにも来て、人との出会いがあり、梨奈はお友達ができて、その親御さんとも知り合うことができた。
今でこそ交通手段が発達しているが、昔なら、人との出会いはまさに一期一会。人との出会いというのは不思議なものだなあとしみじみ思うのだった。
☆雨 昨日から雨が降っているが、雨脚も昨日より強い。気温も低い。
市内のAult Parkでは桜が満開だそうだが、この雨だと散ってしまったかな。一度この公園には行ってみたいと思っているが、土曜日にでも行ってみようかな。
☆パネラ パネラというのはベーカリー兼コーヒー屋さんで、シンシナティ近辺だけでも10軒はある。このうち、行ったことのあるところは4つだが、場所だけ知っていて行っていないところもある。土曜日に朝ご飯がてら、行っていないところに行って、Ault Parkに行ってみる、という計画はどうだろう。
2004年04月12日(月) |
この夏、セミの当たり年@シンシナティ |
昨日、今日と雨が降って寒くなっている。明日のお昼からは天気がよくなって気温も上がるようでよかった。
ところで、前々から日本人の方と話題になっていることがある。それはセミ。なぜセミかと言うと、この辺では17年周期で、セミが多い年があり、今年はその年のようだ。そういえば、この辺でセミというのはそんなに鳴いていないのだが、今年は日本の夏のようにセミの鳴き声があちこちから聞こえてくるらしい。そんな悠長なことを言ってすむのかわからないが・・・・。
シンシナティのダウンタウンの南、オハイオ川をはさんでケンタッキー側にあるニューポートに、トルコ料理のお店ができたのがわりと最近で、以前からシンシナティ的晩餐のHaruさんとこのレストランの話をしていたのだが、今日はついにHaruさんと行くことになった。ネジャーティが一緒に来られなかったので、ない知恵を絞っていくつか注文したのだが、結論から言うと、食べやすかったので、個人的にはまた来たいと思っている。Haruさん、ありがとうございました。
料理はこんな感じ↓

店内では上に取っ手が付いているトレーに紅茶やコーヒーを載せて運んでいたので、そのトレーは店内でも使われるのかなあと思っていたら、後で聞くとトルコでは店内で使われるないらしい。でも珍しいものだから、使っているだろうということだった。ちなみに、紅茶は家でも作れるので、食後にコーヒーを注文したが、運ばれたコーヒーにはスプーンがなく、果たして砂糖がすでに入っているのかどうか、と戸惑うこと数秒、Haruさんも注文したコーヒーを飲んで、甘いと言っておられたので、飲んでみると、すでに砂糖が入っていた。
最近はすっかりご無沙汰してしまったトルコ語の本には、レストランでの会話で、砂糖を入れますか、それとも砂糖なしにしますか、と聞かれるところがあるので、不思議に思っていたのだが、ネジャーティに後で聞くと、普通は聞いてくるらしい。
この本でウエイターを呼ぶ時の言葉、「バッカル、ムスヌズ!(Bakar mısınız)」という言葉が浮かんだのだが、使うにはあまりにもウエイターが遠くにいすぎた。手を挙げて呼んだのだが、それをネジャーティに言うと、そういう時は、手を挙げて指を鳴らし、口笛を鳴らすそうだ。男性ならできるが、そんなの女性にできるかい・・・。
やはりネジャーティを引っ張って来るべきだった・・・・。
ところでレストランのウエイターやウエイトレスは顔を見てトルコ人とわかったのだが、お客はというとアメリカ人も日本人らしき人もいたし、さまざまだった。
ここのレストランに興味のある方、ランチをご一緒したい方、是非ご一報ください。
2004年04月10日(土) |
日本語補習校の2回目 |
日本語補習校のクラスが2回目の今日、3人で頑張って起きて行く。
この前言っていたお茶当番が早速回ってきたので、お茶を持って行ったのだが、お茶当番は同時に見まわり当番というのも兼ねていて、クラスがある間、見回りをする、というものだった。
普段ならお弁当の時間もあるので、クラスが済む2時以降も残っていないといけないようだったが、今月はお弁当がないので、結局見まわりはない、ということで、12時に梨奈を連れて帰れそうだった。
この時間だとモールも開いていなさそうだし、と待合室に行き、談話をすること3時間。クラス終了で、梨奈はさよならのあいさつもせずに一人でさっさとクラスを出てきたので、クラスに連れ戻し、さよならのあいさつをさせた。
それから、お昼ご飯をどこかで食べたかったので、ネジャーティがよく行く、大学近くで、Ludlow Rd.沿いにあるインド料理のお店に行った。インド料理というと、スパイスがよく効いていて辛いのだが、そこは辛さの度合いが選べる。店員が「1~6のどれがいいですか?」と聞こえたのだったが、よく来ているネジャーティは「0にしてください」と言って、一番辛くないものにしてくれた。
頼んだのはチキンのカレーとえびの○○というものだったが、えびの方もカレーだった。ご飯がついてくるのだが、ご飯の粒がとても長いものでびっくりした。日本のお米はショートグレイン(short grain)という、短いもので、スーパーでよく売られているロンググレイン(long grain)という長いものもあるが、それの2つ分の長さがあるお米だ。ジャングルジムズにもインドのお米が置いてあるが、ほんのり香りがするものの、カレーと食べるとほとんどわからない。
ちなみに、辛さを加えてないものだったので、日本でいう甘口カレーぐらいの辛さで、辛いのが苦手な私でも食べられたし、梨奈も最初は食べなかったが、そのうちぱくぱく食べていたので、食べられる辛さだった。
大学近くにはクリフトン(Clifton)という小さい町があって、Ludlow通りはちょっとしたお店が並ぶのだが、通りにはその町のレストランで使えるクーポンもあって、インド料理のお店のランチにも使えたことを後で知る・・・・。
その後、前から行こうと言っていた公園があって、そこに行ったのだが、枝垂桜がきれいに咲いていた。この辺では樹齢が長い桜の大木というのはあまり見かけないのだが、枝垂桜らしい、桜も大木もあって、それはほとんど終わっていた。
今日はこんな感じで過ごしたので、帰ってきた時にはネジャーティも梨奈も晩まで寝ていた。私は眠たかったものの、お借りしているビデオをこの時とばかり観たので、眠気もどこへやら。そのうち、ラベルを貼っていないビデオから、ニューハンプシャーで録画した、英語の字幕つきの日本のドラマが出てきて、ネジャーティもビデオ鑑賞に参加。ちなみにいつのだかわからないが、フランスから日本に自由の女神が来てた時(90年代?)。
2004年04月09日(金) |
タイヤがパンクしていた? |
午後から出かける時に車を走らせたら、どうも右側のタイヤがおかしい。パンクしたタイヤで走っているような気がして、車を止めて見たら、右側後ろのタイヤの空気が抜けていた。
近くのガソリンスタンドで空気を入れたら、空気が入ったが、タイヤの側面にぼこっと出っ張っているようなところがあり、Walmartで見てもらうことにした。車で10分もあれば行けるWalmartはオイル交換やタイヤ交換、タイヤのローテーションもしてくれるのだが、その間買い物もできるし、どこへ引っ越してもタイヤの補償が使えるので、Walmartを利用するのだが、Walmartの人も、一目で「ここがバブル(という表現を使っていた)になってるね」とすぐわかり、交換してもらうことにした。なぜそうなったかというのはわからない。昨日車を走らせている時は大丈夫だったのに不思議だ。でもわかったのが明日の朝じゃなくてよかった。
この春は、というよりこの春も? パステルカラーの春らしい色の服がよく見られる。 ところで、先週の週末だったか、隣のサディラのおかあさんが、「サディラが着られない服があるから、気に入ったのがあったら取って、あとは処分してもらっていいから」と枕カバーに2つ分入るぐらいの着るものを入れて持ってきた。
先週はバタバタしていてじっくり見る時間がなかったので、今週に入って見てみたら、 たくさん服があるのでびっくりしたが、洗濯してきれいになるものなのか、それともきれいにならないものなのか、というものもあって、その中で着られるものというと限られていた。冬のジャケットも、サディラのお母さん曰く、状態はいいから(good condition)と言っていたが、よく見ると、前の方が汚れていて、子供だから飲み物とか飲んで汚すのは仕方ないが、すぐ洗ったらたぶんきれいになっているのになあと思うのだった。日本人にだったら、汚れがなくて、おそらく着てもらえそうなものを渡すのだろうが、アメリカ人ってそうじゃなくて、いろんな物が入っているけど、その中で気に入ったものが取ってね、という感じで、それは、ヤードセールで、誰が買うねん、というものまで置いてあるのと一緒だ。
長年アメリカにいると、こういうことで少しはびっくりしても、驚き度というのも少なくなっていることに気が付く。
それはいいとして、前からも気になっていたのだが、サディラの服の色だった。ちなみにサディラはこの8月で5歳になるので、梨奈と半年は年が離れている女の子だ。それで、見覚えのあるものもあったのだが、全体的に青や暗い色が多いことだった。
もちろんTシャツは白いものもあったし、ジーンズだと青だが、他の服で女の子らしい色というか明るい色がないことだった。ネジャーティもそれに気づいたらしい。梨奈に服を買うときは、ピンクや赤、黄色といったものが多いし、女の子の服というとそういうのしか気にしなかったので、こういう色の女の子の服ってあるのかな、と驚いたし、よくこれだけこういう色の服があったなあと思ったのだった。売ってあるから買えるわけだが、アメリカの色彩感覚というのはお世辞でもいいとは言えず、日本だったらこの年の女の子にこういう色はないやろう、とか、もともとそういう色は・・・・と思う色だった。
それをサディラが好んで着ているのか、それとも親の趣味で買っているのかはわからないが、一見元気がよさそうなサディラがよく寂しそうな顔に見えるのは、服の色からそう見えるのか、服の色からサディラの心境がそうなるのか、と思ったりするのだった。
・・・・と日記の表題から、関西人らしくないことをしてしまった・・・・。そう、関西人のお笑いはボケと突っ込み。ダジャレに走ってはいけないのですが・・・。
シンシナティには日本食レストランはあるが、レストランの数はそう多いわけでもなく、居酒屋はない。レストランではアペタイザー(前菜)の中に、冷奴や揚げだし豆腐などがあって、それだけを食べることもできるが、それだけを出す居酒屋があったらいいのにね、と、話で盛り上がった(誰と?→日本人のお母さんたちで)。
そんな話をして家に帰って、ネジャーティと話をしたら、トルコにもそういうところがあるらしい。トルコ語でもそうだったか、「タベルナ(taverna)」というところがあって、アメリカでも「Tavern」といって、レストランの一角に、バーがあって、そこでアメリカらしくテレビを見ながら、一杯飲めるところがある。でも、アメリカ人は会社帰りに飲み食いするということはなく、さっさと家に帰って一杯傾けるので、スーパーでもワインやビールをどっかと買っている人が目立つ。
日本人としては、どっかり腰をおろして、お酒の「あて」(酒の肴を関西ではこう言う)を楽しみたいところ。
ここでそのようなお店ができるのを待つのは無理そうなので、一品ずつもちよって一度ヘンズ(hen's=女性だけの)パーティーを開くというのはどうでしょう?(誰と→お母さんたち)。
2004年04月06日(火) |
チューリップはいつ? |
昨日近所のケイラとジャキアがいて、平日なのになんでいるんだろう、学校が休みなのかなと思っていたら、どうやら1週間の春休みに入っているらしい。
今日は昨日と違って暖かく、半そでに何かをはおるぐらいだった。
今は桜や水仙の花がきれいに咲いている。時期が来ると、申し合わせているわけでもないのに一斉に咲くというのは、よく考えたら面白い。
ところで玄関先のチューリップは葉っぱのまま、何も変化がなく、本当にチューリップは咲くのだろうかと思っている。といっても町でもまだ咲いていないので、うちだけということはないが、去年は茎らしきものが見えていたのに、それもないのだった。
去年はいつぐらいに咲いたんだろう、と思って日記を見てみると、4月16日となっている。あと10日で変化があるのかなぁ。
おとといの土曜日のこと、梨奈は入園式と、その後にシャロンウッズというハミルトン群の森林公園に行ったので、すっかり疲れたらしい。晩の7時ごろから途中、のどが渇いて目が覚めたものの、次の朝遅くまで寝ていた。やっぱり梨奈ぐらいの年だと、このぐらいは遊ばないといけないのかもしれない。夜は久しぶりに静かな夜になった。
ネジャーティが一日中頭が痛かったり、夕飯後もおなかがよくなかったりして、結局この日は学校に行くことはなく、ネジャーティの地元を紹介した番組やドリフの長さんの追悼番組のビデオを見ていたのだが、夕飯が終わった頃、一回電気が一瞬消えたなと思ったら、本格的な停電になった。ろうそくを灯して、明かりをとったのだが、ろうそくの火というのは案外暗く、昔の人は夜はこんな暗い生活をしていたのかなあと思った。ネジャーティは、1985年まで実家に電気が来ていなかったので、夜に電気の明かりがつくことはなかったらしいが、ガスランプか何かでもう少し明るい部屋だったらしい。
夜は風も強かったので、おそらくそれで停電になったんだと思うが、停電は5分ぐらいだったので、それで済んでよかった。ネジャーティ曰く「トルコだったらこんなにすぐにはつかない・・・」。
その後は、全員集合のコントの部分を見ていたら、ネジャーティがおなかを抱えて笑ってた。ネジャーティって人前では冗談をよく言う(言っていた)が、普段のくそ真面目な顔をしているネジャーティに慣れてしまったので、吉本新喜劇だけでなく、全員集合のコントでもつぼにはまって大笑いしているネジャーティを見ると、ちょっと意外。
全員集合は毎週見ていたが、今から考えると、毎週生放送で、大掛かりなセットがあって、リハーサルも何回かしていたそうだし、あれが15年近く続いていたってすごいなあと思う。それからそういえばドリフの孫悟空の人形劇もあったなあとビデオを見て思い出した。
長さんが亡くなったのはショックだったが、このところ俳優さんや女優さんも亡くなってて、こういうニュースを聞くと寂しくなるなあ。
そう、今日は水戸黄門の風車の弥七役の中谷一郎さんのお葬式だった。
昨日の入園式の写真。下は機嫌を直した梨奈がお遊びの時間に遊んでいるところ。

外にちょうど咲いていた枝垂桜の前で。↓

2004年04月03日(土) |
入園式@日本語補習校 |
10時からシンシナティの日本語補習校で入園式があった。ネジャーティはこの前の日本語の説明会に懲りて、家で留守番しているということで、梨奈と私の2人で学校に向かう(協調性のない奴め・・・)。後で、頭も痛かったことがわかった。夜もおなかの調子があまりよくなかったらしい・・・。
入園式は幼稚部のクラスの一つで行われて、幼児はいすに座るのだが、梨奈は座りたがらず、私の足に抱き付き、「座りなさい」ときつく言って座らせた。でも終始うつむき加減。
親はいったん出た後、写真撮影があって、その後親も写真を撮らせてもらったが、梨奈は私を見て泣き出す始末。前にいた子も泣いていて、どちらが先に泣き出したかわからないが、こういうのは連鎖反応があるわけで・・・・。そうそう、そうやって少しずつ強くなるんだよ、りな・・・・。校長先生が、親は子供と離れないといけない時期がある、そうでないと子供がいつまでも親を頼ってしまう、という言葉に頷いたが、本当にそうだ。他のお子さんはちゃんと椅子に座って平気だったが、年長組担当の先生が、最初の入園式では誰も泣いていないね~、とおっしゃっていたので、もしかしたら、最初から泣き出してしまう子もいるのかな。
その後は、おやつを食べたり、外で遊んだりしていたようで、外では梨奈は大丈夫だった。またクラスにはプレイグループなどですでに知っているお友達もいるので、全く知らないというよりはいい。今月は12時で終わるらしく、今日もクラスが終わるまで廊下で待っていたが、全く知らない人たちばかりでなく、プレイグループの方やお知り合いの方もいて、私自身もとても心強い。
そして、何かと集まるたびに懸念となっていたお茶当番(麦茶を用意する当番が順番に回ってくる)+見回り当番?が出席番号順で、そういえば、梨奈のクラスの出席番号を見ていなかった、とドアのリストを見ると・・・・・最初でした。そう、いきなりお茶当番になってしまったが、来週はまだ12時までだし、最初でよかったかも。そして、隣のクラスのお茶当番の方は知っている方だったのでよかった。
外には枝垂桜が咲いていて、そこで写真を撮る。写真はまたあとで。
2004年04月02日(金) |
エッグハント&明日は入園式 |
今日はイースター前のプレイグループで、お邪魔するおうちの方がエッグハント用の卵を用意してくださって、裏庭でエッグハントができて、梨奈もプラスチックの卵を開けて、中のお菓子を楽しんだ。最近は雨が多かったので、今日の天候は心配だったが、うまい具合に雨が降っておらず、無事にエッグハントができた。
今日もいろいろと話がはずんで楽しかったが、やはり明日の日本語補習校の入園式はみんなが気になるところで、何を着ていくか、誰とクラスが一緒になるかなど、初めてのことには不安に感じるところも多々あり。
次回のプレイグループはうちの家で、約4ヶ月ぶりだ。
それから、明日出産予定日の方が、昨日出産されたそうで、おめでとうございます。
昨日の続き。銀行でバスカードを買い、Walmartでオイル交換をしてもらった後、おとといジャングルジムズ(Jungle Jim's)で新しくオープンしたセクションを見に行った。
これまでも行くたびに、いろんな変化が見られて面白いのだが、今回は大きな変化で(自分の目で確かめたい、という方はこの後を飛ばしてください)、今までは入り口を入って真正面がワインコーナーだったのが、入り口を入ると右に行くようになっていて、すぐのところには、もうすぐ開くFifth Thirdの銀行の支店とお寿司コーナー(ケーキ売り場の横から移った)があり、広いスペースにハム売り場、チーズ売り場、そしてワインコーナーと続いている。またスターバックスも開く予定で、すでにパラソルが置かれていた。今までは化粧室はレジ近くにしかなかったが、ワインコーナーのすぐ近くにユニークな化粧室ができていた。これは扉を開けてみてのお楽しみである(お客は恐る恐る開けて、びっくりしていた)。
ジャングルジムズには遠くて行けないけど、化粧室の仕掛けを知りたい方、ご一報ください。
梨奈がトイレに行きたいと言い出したので、そこに行こうと思ったのだが、すでに女の子が入ってしまい、入る余地がないと思ったので(この辺がヒント)、レジ近くのところに行って、また見終わっていないワインコーナー(日本のお酒コーナーがどこに移ったか探していた)に戻った。そのコーナーにはまだ作業をしているお店の人がいたのだが、女性のお客が、その化粧室がどうなっているかを恐る恐る見ようとしていて、作業員の一人が、「いいから開けてごらん」と勧め、開けた本人は開けてびっくり、笑っていて、話をしていたのだが、その作業員、顔に見覚えが。
そうだ、きっとジムだ!!!
広告で見る限り、ジムはもう少し老けた、おじいさんと思っていたのだが、おそらく本人であろうこの人物は、白髪は多いものの、すらっとした若々しいおじさんなのだった。後でHPで確かめると1949年生まれというから、今年でまだ55歳なんやぁ。おじいさんと思っていてすみません。
シンシナティに来て1年半余り、お店のオーナーであるジムを見たことがなかったが、ついにジム本人(であろう)に遭遇。
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