2001年03月31日(土) |
1ドル返還&夜の運転 |
市役所などにメールを出したあと、次々と返事が来て、「担当者に転送します」(ちゃんと誰が担当かわかってるんやん!)とか、担当者から、私が車を停めたのが17日で(間違えて17日とかいてしまった)2週間たっているので、返せないという内容もあったが、その次の日には「1ドルを送ります」という内容だったり、この2、3日で内容がころころと展開していった。どうも私以外にもクレームが来ていたらしい。通りの名前とメーター番号をちゃんと書いておいたのがよかったらしい。 それで、今日市役所からの郵便が届いて、1ドル紙幣と市内を走るバスのチケット2ドル分が来た。たかが1ドル、されど1ドルである。不当に取られたお金を取り戻す権利には市民にはあるのだ(外国人だから市民ではないが)! 金額ではなく、不当性を訴えるところに意味があるのである(もういいって)。
ところで、アメリカのインターステート(州をまたいで走る)のハイウェイ(高速道路)は夜は真っ暗である。電灯がないので、車の明かりが頼りである。車がいない時は本当に何も見えない状態である。州内のハイウェイでもオレンジ色の暗い電灯しかないので、車の存在はわかるが、車体はよく見えない。
夜、州内のハイウェイを車で走っていたが、55マイル(88キロ)の制限速度の道を60か65(96か104キロ)で走っていた。2車線あって、私は右側を走っていて、突然左側をものすごいスピードで車が通り越していった。 「すごいスピードやなぁ」と思って車を見ると、車体には「POLICE」の文字が。「わぁっ、パトカーやぁ」とちょっとびっくり。でも私の車はターゲットじゃなさそう。きっと、その前に走っていった車を追いかけているに違いない、もうすぐつかまえるでぇ、と思っていたら、出口近くで、「ヒュ〜〜〜」と青いサイレン(アメリカでは青)がつき、その前を走っていた車は出口近くに止まった。サイレンがついたときは必ず道の脇に車を止めなければならない。そして、おまわりさんが来るまで車の中で待っていなくてはならない。 もう1台車がいて、自分が止められたと思ったらしくて脇に寄ったが、パトカーはその前の車をつかまえたので、自分ではないとわかって去っていった。
アメリカのように広い道路がたくさんあると、夜でもパトカーは巡回している。特に、夜は他の車のライトしか見えないので、制限速度はしっかり守らないと、どこかにパトカーが潜んでいたり、すぐ後ろを走っているかもしれず、すぐつかまってしまう。
また、深夜、車のとおりが少ない時、たまにパトカーがしばらく後ろをついて走ることがある。酔っ払い運転じゃないかどうかみるようである。その時は気にせず、普通に制限速度を守って走っていると、そのうちどこかに行ってしまうので、気にすることはない。 夜の運転は要注意である。
雨が雪に変わって、この天気でユキ子さんと日本食レストランに行った。今日はおすしを食べようと思い、注文。カリフォルニア巻きもついていたので、これは梨奈ちゃんが食べるな、と思ったら、6つのうち5つも手づかみで食べていった。 ユキ子さんに「いつもおすしを注文しますね」といって笑って、それは、自分のうちで用意できないものを食べるんですね、と付け加えていた。そうなのである。なぜ日本人はおすしがすきなんだろう?
帰り道では、道路が渋滞していて、どうしてだろう?と思ったら、この雪でどうもスリップしたらしく、車が反対方向に向いて、道路の脇にある芝生のところに滑っていたのだった。雪が積もってるので、自力では無理で、AAA(日本のJAFのようなもの)から呼ばれたトラックとパトカーが来ていた。また、違うところでも自力では戻れない車がトラックの助けを受けていた。今日の雪は水っぽいので、道路がびちゃびちゃになっていて、道路の状態がとても悪い。
おすしを食べて、お味噌汁もおいしかったので、まあまあ機嫌よく帰ってきた。
今日の郵便にはフロリダの大学の教授だったナム先生から手紙が来ていた。ナム先生は私が入った年に定年退職されて、そのパーティーでお会いしたのが初めてだった。とても教え子を大事にされる先生で、私は授業を受けたことがないし、面識がないのに、「パーティーに来てくれてありがとう」とお礼をいわれるぐらい、とても気さくな先生だ。ご夫人がタラハシーのコミュニティーカレッジ(2年制)で教えておられてて、他の日本人の学生がご夫人のクラスを受けたことがある、とわかって、一度、先生のお宅におすしとてんぷらを持ってお邪魔したことがあった。また、その学生が日本に帰るというので、先生とご夫人が市内のフランス料理のレストランで、一緒に食べようと言うので、私もご一緒したことがあった。 先生は夫人のことを「ミセス・ナム」と呼ばれていた。とても夫人のことを尊敬しているようだった。 しかし、その時にはご夫人は何かの病気で、具合が悪い時もあったようだった。
先生から受け取った手紙にはこのように書かれていた。
「ボブ(司書だった人)から住所を聞いたところです。悲しいお知らせをしなければなりません。ミセス・ナムが2、3週間前に亡くなりました。具合が悪い時もありましたが、ここ数ヶ月で健康状態が悪くなりました。 彼女がいなくてとても寂しいです。TCC(コミュニティーカレッジの名前)にいた学生に伝えてください。 (略) チャールズ B. ナム 」
「点字」について書いてたら、日記の愛読者Yくん(いつもありがとう)から、次のような情報をもらいました。
--------------------------------- 日本では「点字プリンタ」というものがあります。 点字プリンタというのは、OCR(スキャナみたいなものと思ってください) で読みとったデータを紙で出力するものです。 ただ、このプリンタ、1台100万円します。大きさは通常の段ボールの一回り大きいくらい。高価で、置き場所も必要です。 先日盲学校の先生の講演を聞きにいったのですが、最近の盲学校ではインターネットのホームページを音声読み上げしてくれるソフトを使うのだそうです。 IBMのホームページ・リーダーが有名どころらしいです。 音声であれば点字を覚える必要がありませんから、完全なバリアフリーが実現します。しかし、全てのホームページが対応できるわけではありません。 日本語のホームページで音声読み上げソフトに対応しているところが少ないそうです。 有名どころでは社会民主党や明治学院大学のホームページでは対応していますが、 絶対数が足りません。 これからは点字だけでなく音声読み上げソフト対応ホームページにする必要がありますね。 http://www.ibm.com/jp/
----------------------------------- それで、個人のHPでもそういう対応ができるのか、また、ソフトがいるのかとYくんに聞いてみたら、次のような回答が帰ってきました。
点字話の続きですが、音声読み上げソフトへの対応は別にソフトがなくてもできます。 まぁ、ソフトがあれば確認できるという点で有利ですけど。 音声読み上げソフトへの対応を含めると、「アクセシビリティ」という言葉に帰結すると思いますが、ちゃんとガイドラインが存在します。 W3Cという団体で「ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン」が出ています。 W3C http://www.w3.org/
ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン(日本語訳) http://www.zspc.com/documents/wcag10-tech/ ------------------------------------ アメリカに住んでいて、障害者に対する配慮がなされているなぁと思ったのは、駐車場での障害者用のスペースの確保。許可がない車がとめると、高い罰金が課される。また、古い建物以外はスロープも設けられている。 学校で驚いたのは、聴覚障害者に手話の通訳者がつけられていたことだ。ある科目の最初の授業で、女性が2人、前に座ってて、何でかなぁと思っていたら、学生の一人が耳が不自由で、その通訳を通して授業を受けていた。その授業は時間が長かったので、交代で手話を行っていた。指をずっと動かしていないといけないので、交代後は手をもんでいたのを覚えている。それでも、毎時間、その人のために来ていた。
まだまだバリアフリーに関しては考えることがあると思います。
土曜日に道沿いのパーキングスペースのメーターに25セントを4枚入れたら、表示がいきなり「Out of Order, No Parking」と変わり、多分そのままいても大丈夫かもしれなかったが、チケットを切られたらいやなので、すぐ後ろのスペースに移った。 1ドル損をして、といっても、その時は一緒にいた女の子が払ったので、彼女が損をしたのである。1ドルと言えば120円ぐらいだが、それでも何か腑に落ちず、今日、ポーツマスの市役所に電話をしてみた。
市役所の受付の人が電話を受け取って部署につなげるのだが、事情を話すと「うちじゃない。何でうちにかけてくるの?」みたいなことを言うので、「直接かけたんじゃなくて、受付の人が回したんです」と言ったが、また受付のほうに電話が回され、今度は違う部署、とたらい回しだ。別の部署は留守電になって、変な操作をしてしまったので、切ってもう1回かけて、その部署につないでもらった。そしたら、また「うちじゃないから、この部署に回します」と言って、私が「その部署にはさっきつないでもらったんだけど」と言ってる間にもう呼び出し音がなっていた。 今度はそこも留守電になってて、一応メッセージを残しておいた。
やはりニューハンプシャーもそうだったのか、このたらい回しは。フロリダでも学校内のオフィスや市役所も、よくたらい回しにされた。部署間の疎通がないのか、そういうことがよくおこるようで、日本人学生のいらいらの種になっていた。
結局電子メールを関係していると思われる部署に出したら、1通返事が来て、その人が、担当者だろうと思う人に転送したけど、もしその人から連絡がなかったら、ここに電話してください、と書いてきていた。親切なメールだったが、また電話することなく、対処してくれることを願う。
今日は、ユキ子さん、近所のIさんの来客があった。来客は嬉しいものである。
フロリダでは、何かと独り者の学生で集まり、私のアパートにも遊びに来ることがあった。夜遅く、12時ごろまで男女問わず(?)話し込むこともあった。ニューハンプシャーに移ってからは、家族とのお付き合いが多くなり、お呼ばれがあったり、お呼びしたりした。
違いは何かな?と思ったら、結婚前と後では付き合い方が変わっている。結婚前は独身学生が来ることがあっても、結婚しているカップルが来ることはほとんどなかった。逆に、カップルのところにお邪魔することの方が自然な形だった。 また、結婚前は自分も含めて、フットワークが軽く、集まりやすかったが、結婚後は家族とのお付き合いと言うことで、特に日本人家族に対しては遠慮気味になっている。お付き合いが所帯じみているのである。また、子供がいると大変である。以前住んでたトルコ人家族は家族構成も似てたし、年齢も同じようなものだし、「家族」という枠組みではなく、「友人」としてお付き合いをしていたように思う。
そんな違いはともかく、個人的には人に来てもらうのが好きである。未婚、既婚、老若男女を問わず、門戸を開放している。
昨日寝るのが遅かったが、それなりの時間に起きた。日本のニュースで広島、愛媛の地震の様子を見た。6年前の地震を思い出す。あの地震よりは被害は少ないようだったが、それでも被害は被害。断水地域もあって、普段の生活に支障が出ているようである。 -------------------------------
今日もショッピングモールに行って、用事を済ませた。昨日見たパープルのコートがまた目を引いて、サイズは大きそうだったが、ちょっと羽織ってみるとちょうどいいぐらいだった。着ていくところがあれば買ってもいいが、着ていくところもないし、それなりに値段もするので、買うには到らない。
夜に母から電話がかかってきて、昨日の日記でも書いた、このパープルのコートの話を持ち出して、「パープルは欲求不満の色やで」と言われたが、特に欲求不満でもない。最近は食後の紅茶でネジャーティも機嫌がよく、私自身は体力的には疲れ気味だが、春の到来と共に活発になり(冬眠してたんかい!)、精神的にはそんなに疲れていない。 何でパープルの色の服を着たいのかな?と自己分析してみた。パステルカラーの服を着るのが好きだし、パステルカラーが合うとも友人からも言われたことがあるが、なぜパープルか?
理由1 そのコートのパープルの色自体がとてもよかった。 理由2 長い冬で沈んでた気が晴れるような明るい色だった。
多分この2つの理由からだと思う。雪深い長い冬で、気持ちも沈みがちで、最近春らしい季節を感じるようになって、パーッと気持ちが晴れ渡る色として、パープルを選びたかったんだと思う。 実は先週、他のパステルカラーで、黄色と緑を買っている。フロリダ時代の友人は知っているが、特にこの色の服、小物を持っている。 来週には4月になる。急に訪れた春である。
先週の雨で雪もだいぶ解けて、同じ気温でも雪がない方が暖かい気がする。日中の気温も10℃はいくようになって、やはり暖かい。
証明写真を撮ってもらおうと、ショッピングモールに行ったが、日曜日とあって予約でいっぱいで、明日予約を入れてとってもらうことにした。 洋服のお店をのぞいてみると、春の色の服を売り出している。藤色がきれいな服や靴があって、着ていくところがあれば買うのになあというものもある。全体的に色とりどりの春らしい洋服で、春が来たんだなあと気分も陽気に。そして、あるお店をチェックしたら、以前から見ていたストレッチジーンズが半額になっていたので、買うことにした。
夏が長いフロリダにいたせいか、着る物としては夏物が多く、春といっても、Tシャツに何かを羽織るだけだったし、ちょっと暑くなればショーとパンツだったし、また全体的におしゃれをする土地柄でもなく、ラフな格好で1年を過ごせるところだったので、本当に服らしい服を持っていない。 フロリダで楽な格好をしていた当時、日本人の男の子達に、楽な格好をしちゃだめだよと叱咤されたが、その子たちの前でおしゃれをしてもねぇ、と聞く耳持たずで、ラフ&楽な格好をしていた当時の私。これだからいけないんだろうけど。
最近はカジュアル系の衣料品店があるので、カジュアル系が好きな私はそういうところで買ってしまうが、値段も手ごろだし、それで十分である。十代でそういうお店が近くにあったらなぁ、と思った。
今日の昼、ポーツマスにある日本食レストランに行った。一緒に行ったのは、今週春休みでこっちに遊びに来ている日本人の女の子だ。昨日、アパートに遊びに来て、梨奈の寝顔しか見られなかったかのと、割と暇な一週間だったというので、じゃあもし今日時間が空いてたら行こうということで、食べに行った。
ポーツマスにはもう一軒日本食レストランがあって、普段はそこに行くのだが、土曜日の昼は開いていないので、もう一軒の方を選んだ。そこは広めで靴を脱いで上がる座敷スタイルの席もあって、その方が梨奈も動けるので、そこの席にした。それは正解だった。
おすしを食べたかったが、そうすると梨奈が食べられるものがないので、「ベントウ・デラックス」を注文した。いろいろ入っていて、お刺身、てんぷら、鮭の照り焼き、とんかつ、カリフォルニアロールがあり、ごはん、お味噌汁までついていて10ドル50セントの値段である。カリフォルニアロールというのは中にアボカド、きゅうり、かにかまが入っていて、ごはんとのりが逆に巻いてあるのである。
![](http://members.tripod.co.jp/sukiyanen/us/california.jpg)
最近梨奈はごはんにのりを巻いてやると手で食べるので、このカリフォルニアロールを手にもたせた。きゅうり以外は食べていた。鮭なども食べさせた。そのうち席をうろうろして女の子の方にも行っていたが、私のところに戻ってきて、カリフォルニアロールを自分で取って食べ始めた。
「貴重なおすしが〜!!」
3個しかないカリフォルニアロールのうち2つを食べられたのである。まいった。自分で迷いもなくカリフォルニアロールを手づかみで取った時にはまいった。追加注文してもよかったが、他のおかずでおなかがいっぱいなのと、そこまで頭が回らなかったこともあって注文には到らなかった。
レストランを出てコーヒーを飲もうと街の中心の方に歩いていると、前からアジア系男性2人が歩いていた。「韓国人かな、もしかして日本人かな?」と思ってよく見ると1人は同じアパート群に住んでる日本人だった。私たちに気がついていなかった様子だった。もう1人はその人の友達で、1週間の予定で日本から遊びに来て、明日にはもう日本に帰るという。コーヒーに誘ったら、今飲んできたところというのですぐに別れた。
アパートに帰ってきて荷物を降ろしていたら、その2人も帰ってきてて、今度は向こうの方が気が付いて、私は気が付かなかった。でもみんなの行くところは決まってるのね。
家に帰ったらネジャーティがいた。ネジャーティにはいつも尋問されるので、梨奈の出来事を報告。「よしよし」と笑われながら慰められた。私が食べたのもたくさんおかずの種類があってよかったよ、と言ったが、決してとんかつがあるとは言わなかった。豚肉はうちではネジャーティが食べないのである。豚肉はご法度なのである(私と梨奈を巻き込まないでほしい、、、)。
そんなのんきなことを書いていたら、広島で地震があったというニュースを聞き、NHKのHPで画像入りニュースをチェック。親戚が隣の山口にいるので、大丈夫かなと心配。6年前の震災の時のことが思い起こされた。
昨日の雨で雪もだいぶ解けて、雪の下に隠れていた芝生が見えてきて、懐かしく思えた。 今日はそんなに天気はよくなかったが、憂鬱になる気分ではなく、せっせと写真をスキャナーにかけていた。アルバムをもう一度見て、「これいいやん!」とそれなりにいいかなと思う写真を見つけて、スキャンしていた。HPに載せるのに保存方法を変えたり、小さくしないといけないので、それもせっせとすすめていた。
写真をHPに載せると、今まで文章だけだったフロリダの生活や旅行記がぐっと浮かび上がって、当時のことが脳裏に甦る、というよりは当時の自分に戻っている。またその時間は自己満足の世界に浸っている。 ふと我に返ると、部屋に梨奈といる自分がいた。
お昼ご飯に焼きそばを作ろうと思って、ある名の知られたお好み焼きソースを使っていたら、ソースの容器に点字がついているのに気が付いた。商品に点字がついているのを見たのは初めてのような気がした。 2ヶ所に点字がかかれていて、同じ点字じゃないことだけはわかったが、それが何を示すかはわからない。それでも商品の名前か、賞味期限か、何かだろうと思った。 そう考えているうちに、目の不自由な方はどのように買い物するのだろう、と不思議になった。誰かと一緒か、買ってきてくれる人がいるか、店員に聞くかしないと、どこにどんな商品があるかわからないし、牛乳の賞味期限も点字で書いてくれていないとわからない。肉、魚介類はどれがいいかと選定できない。
買い物ばかりではない。テレビやラジオからは音声を通して情報を得られるかもしれないが、インターネットは読むことが主なので、ページを開くとそれを音声で伝えてくれる機械がないと、内容がわからないのではないだろうか。現在どのような機械が提供されているか知らないが、今後、インターネットを通しての利用がますます多くなると、そういった方もちゃんと利用できる状況が作られるべきだろうと思った。
火曜日は、日本語のクラスを取っていたユキ子さんが来る日だが、この先週と先々週はお休みだったので、久しぶりとなった。 ユキ子さんは昨日の夜、24時間開いているコンピューター室に12時過ぎまでいて、出てきたら、外に置いていた車にチケットを切られたらしい。なぜかというと、冬の間は夜12時から朝の6時まで学校の駐車場に置いてはいけないことになっている。ユキ子さんは12時過ぎに出てきて、チケットを切られた後だったらしい。オフィスに行って、叫びたいと言っていた。
午後は写真をスキャンしていった。前からどの写真をスキャンしたいか決めていたが、いざとなると、「あんまり面白くないか」とか「この方がいいかな」と考えて、ちがう写真をスキャンしてみたりした。
そういう、新しいことをしても、最近普段の生活がマンネリになっている。晩ご飯は急遽、てんぷらに変更。揚げながら、食べていった。揚げたてを食べたネジャーティ、また口の中をやけど。「また」というのは、日本でたこ焼きを食べた時に、やけどをしているからである。あつあつがおいしいと思う日本人、あつあつのものの食べ方を知っている。
ところで、日本の情報誌をインターネットで読んでいると、「釣りバカ日誌12」のロケが山口県の宇部市と萩市で行われているらしい。山口といえば母方の故郷、宇部には母のいとこが住んでいる。8月に上映されるらしい。私はいつ見られるかわからないが、絶対みたい! 祖母が生きていれば、この映画きっと見たかっただろうなぁ、とすぐに思ってしまった。
昨日の晩、おなかが痛くてごろんとなってたら、そのまま少し寝てしまってた。目が覚めて、喉が渇いていたが動く気力がなく、ネジャーティに紅茶をもってきてもらった。ネジャーティがトルコ風に濃く作ったのを薄めることもなく持ってきたので、なんだか濃いなとは思ったが、そのまま飲んだ。案の定、朝方まで眠れなかった。
かといって、今日は普通に起きたし、昼寝をするわけでもなく、午後には梨奈を連れて散歩をしたりと活動的。 アパートに帰ると、ネジャーティが戻ってきていて、スキャナーを買いに行くという。同じ学科の人が、ある店でスキャナーを買って、製造元にリベートを送ると、ほとんど戻ってきて、15ドルの支払いでいいというもの。CDロムも同じように、買った金額が戻ってくる(じゃ、タダだ!)らしい。
夕食の用意をしている間、ネジャーティはスキャナーの接続を無事終え、スキャンをし始めた。私も旅行の写真やフロリダの写真などスキャンした。
スキャンをしたはいいが、それを編集する方法がまだわからないので、それはこれからの課題である。
午前中、一人でちょっと見てみたいお店に行こうと思って用意してたら、免許証がないのに気が付いた。梨奈の仕業である。最近はかばんをその辺に置くと、梨奈がすぐかばんを開けて、財布や免許証入れの中からカードを取り出してしまうので、床の上にカードが散乱する。他のカードは見つけたのだが、免許証はどれだけ探してもないのである。梨奈に「どこにあるかなぁ?」と聞いてみても理解できるはずもなく、わからないままである。寝ているネジャーティも起きて一緒に探してくれたが見つからないのである。
結局、午前中には行けなくて、掃除機をかけながら探してみるが、ソファーやラグの下にはないようである。他のカードが置いてあった辺や暖房の吹き出し口の辺を探してみる。そして、やっと見つけたのである。どこで見つけたかというと、暖房の吹き出し口の下である。部屋の壁の下には壁に沿って暖房の吹き出し口がある。下の部分は隙間があって、何かその中に落ちても見えるので取り出せるのだが、内側はほんの少し曲がっていて、カードのような薄いものならひかかってしまうということがわかり、そこに免許証がひかかっていた。
そういえばもう1枚、梨奈のニューハンプシャーのヘルシーキッズという医療福祉カードもなくなっていることに気づいた。すぐには必要ないが、大事なカードなので、見つけなければならない。吹き出し口にはもうなかったようだし、思い当たる場所がなく、探す気力もなかったので、後日探すつもりである。
気分転換に外に出て、見たいお店に行ってみた。カジュアル系の服が売ってる店で、梨奈に何かいいのがあればと思ったが、特にというのはなく、結局安くなってるTシャツを自分用に買ってしまった。
今日はアイルランドで祝うセント・パトリックスデーをアメリカでも特にアイルランド出身の人が祝うのだが、よくわからずにいたら、400年代にセント・パトリックスという人がいて、アイルランドをキリスト教化に努めた人だそうだ。その人の命日らしい。アメリカではボストンで最初にその日を祝ったそうだ。
そういうことには縁のないネジャーティと私、近所のIさんとはマンチェスターにあるショッピングモールまで行ってみた。この前通りかかったときに大きそうなモールだなと思っていたが、寄る時間がなかったので、今回行ってみたというわけである。
結局私は何も買わずじまいだったが、いい気分転換にはなったと思う。
春の陽気といえるかどうかわからないが、昨日、今日と気温が10度ぐらいまで上がって、天気もいいし、とてもさわやかである。雪に閉ざされるというのはただ積雪があるというだけでなく、天気も悪いわけで、晴れ間が見えないのである。
フロリダの晴れの日が多い天気に慣れると、ここアメリカ北東部は一年通して天気が悪い日が多いように思える。また長い冬では気持ちも気候に左右され、沈みがちである。ちょっと晴れ間が見えると、何となく気分も晴れるような気がするのである。
日本の季節の節目では確かに気分が沈みがちというのもあったかもしれないが、それほど気にしたことがなかったような気がする。また、日本は何かと季節の行事が多いので、それなりにそれぞれの季節を楽しんでいたような気がする。 意外かもしれないが、晴れの日が多いフロリダで気分が急激に落ち込む季節がある。それは冬ではなく、秋である。晴れているにもかかわらず、日光も弱まり、夏の強い日光の勢いがなくなるのに比例して、気分が急激に落ち込むのである。それを何とか乗り切って冬休みに帰省して、何とか元気を取り戻すのだが、あれはとても不思議な気分である。そして私だけでなく、他の日本人も気分がとても落ち込むのである。 また、日本なら、秋といえば何かと行事が多いし、「○○の秋」といって、いろんなことに挑戦しようということになっているが、アメリカでそういう気にもなれず、また行事といえばハロウィンとサンクスギビングぐらいで、あまり面白くない。 要するに、季節の楽しみ方、感じ方が違うだけであるが、私には何か物足りないものがある。
今日、散歩の帰りに静かなキャンパスの中を通って、桜のつぼみの具合を見てみた。まだ硬いつぼみに見える。咲いてもあまり存在感のない桜だが、それでも楽しみにしてみようと思う。日本でいう札幌と同じ緯度だから、咲くのは4月の終わりぐらいになる思う。
これは少し前に起きた出来事です。登場人物の名前は全てハンドルネームを使っています。
この日記を始めた時、他にはどんな人が書いているんだろう、と新着の日記を見てみると、日本語を教えている方、Kさんの日記がありました。以前、日本語を教えていたこともあって、とても興味深く、またそのKさんのところには他にも日本語を教えている人たちがいて、その人たちのHPにもお邪魔したりしました。
さて、私の友人Iさんはアジア圏を中心に旅行している旅の達人で、特に中国ネタは豊富。KさんのHPの方もIさんのHPに行き来するようになり、またIさんも日本語を教えている人のHPにいくようになりました。 そうこうしているうちに、その中で関西で日本語を教えているというKさんが台湾に旅行することになりました。Iさんは中国語の会話の本をKさんに貸してあげることになりました。Iさんは以前、友人のAさんと旅行した時に使ったものです。
Aさんは私の友人でもあり、去年の夏、うちの実家に遊びに来てくれた人です。Aさんも日本語を教えているので、日本語の話で盛り上がりました。
さて、Kさんは無事台湾に着き、ホテルでその会話の本を開いて、見ていました。中国語でどのように自己紹介するかというところを見たときに、事件は起こりました。自己紹介のところではIさん、Aさんが自分の名前を書いていましたが、Aさんの名前がKさんの同僚の名前と同じだったのです。 帰国後、同僚に確認、同一人物でした。
インターネットで毎週聴いている大阪のラジオ番組で、好きな番組が月曜日と火曜日に更新される。このアパートはインターネットが大学経由でつながっていて、接続料金も払わなくていいので、約30分にまとめてある番組を気軽に聴くことができる。 その番組は上沼恵美子とアナウンサー、今日はキダタローの奥さんが入っていて、アナウンサーの家庭の話になっていた。家族構成がうちと似ていて、1歳になる女の子がいるらしいが、アナウンサーが2人に、家庭のことで相談していた。子育ての話、奥さんの話になって、上沼恵美子とキダタローの奥さん、さすが経験者。おっしゃるとおり。そうそう、とうなずきながら聴いていた。アナウンサーも「奥さんに同じこと言われましたわ」といっていた。最近では、子育てのストレスはあまりないが、それでも自分が思ったことのある気持ちを代弁してくれるようで、聴いた後は気持ちがすっきりした。
2001年03月12日(月) |
いい天気・クンピール |
お昼頃に近くの町に住むK子さんから電話がかかってきた。K子さんも春休みで、それも2週間あるらしい。話しているうち、急遽うちに遊びに来てもらうことになった。 K子さんも8ヶ月の男の子がいて、梨奈のいい遊び相手になってくれた。梨奈は誰か他の人がいるとご機嫌だ。 ブラウニーとトルコチャイでお茶をして、トルコチャイの話から「トルコのアイスクリームって伸びるんだよね」とか「パムッカレに行きたい」という話にもなった。
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夜、そのままその辺に置いていたトルコのガイドブックをネジャーティが見つけ、めくっていたら、土曜日にネジャーティが作ってくれたジャガイモ料理が載っていて、「これこれ」と見せてくれた。 それはクンピール(kumpir)という、いわゆるベイクドポテトで、ジャガイモをアルミホイルで包んで丸ごとオーブンに入れて焼くという簡単なものだが、買ってきたジャガイモが大きくて、なかなか焼けないのである。クンピールに使うジャガイモはとても大きいそうである。 火が通った後に、本当はジャガイモに切れ目を入れて割って、少し広げたところをフォークなどでぐちゃぐちゃにしてポテトサラダやソーセージなど乗せるそうだが、今回は1つのジャガイモを2人で分けたので、半分に切ってチーズ、ケチャップを乗せて食べた。 なかなかおいしかったが、他のものを食べた後に食べたので、食べきれなかった。
−−−−−−−−−−−−− 最近、トルコチャイに凝っているので、ネジャーティも「最近、毎日作ってるよね」と機嫌がいい。そのせいかどうかわからないが、食後、何にも言わないでお皿を下げてくれたりする。昨日下げてくれた時には「梨奈ちゃんが触るかもしれないから」。今日の理由は知らない。 明日はどうだか。
2001年03月11日(日) |
ネジャーティ夕食作る |
週末になると、夕食を作りたくない病にかかっているような気がする。この雪ばかりの天候にも飽きたのと、天候のせいか何となく眠たくなって、なぜか夕寝をしてしまった。その間にネジャーティが何かをオーブンで焼いている。何を作っているのかな、と思ったら買ってきたラムを焼いていた。
うちでラム料理なんて考えたことがなかった私。しかしトルコでは牛肉同様ラムはよく食卓に並ぶらしい。買ったときはネジャーティに「作ったことがないから、ネジャーティ、作ってね」と言うと、「ただ焼くだけだよ」というので、とりあえず買ったのだが、どうやって食べようかと思案していた。
出来上がったものを見ると、本当に焼いただけだった。そしてジャガイモをきったものを一緒に入れていたので、脂っこくなっていた(ネジャーティに作ってもらうといつもといっていいほど、脂っこくなってしまう)。 ラムは少しくさかったが、焼肉のたれで食べたらまあまあいけた。でも多分もうラムは買わないと思う。
雪も止んでいて、木に積もった雪が解け始めていた。
気候のせいもあるのか、昨日の夜、ネジャーティが「何か体がだるいし、退屈だし」というので、「じゃ、マッサージをしてあげる」、とソファーに横になってもらい、肩や首もマッサージをした。気持ちよかったらしく、しばらく横になっていて、楽になった後、私もしてもらった。肩、首、手(案外こってる)をマッサージをしてもらい、気持ちよくてそのまま動けなかった私。梨奈が来るのもお構いなしに、そのまま睡眠モードに。
今日2人とも、体がほぐれた次の日ということもあって、ゆっくりしていたが、ネジャーティは昼の3時ごろまでうとうとしてた。私も梨奈と一緒に夕寝をしたし、
夕方、雪が降っているのに買い物に出かけてしまった私達。ついでにネジャーティが床屋に寄りたいからといって、その間は道路をはさんだコーヒーショップでまっていることにした。ちょっとしたらネジャーティがコーヒーショップに戻ってきて、床屋は片付けを始めていて、もう終わってたらしいので、コーヒーを飲んでからスーパーに。
スーパーから出ると車にはすでに雪が積もって、雪を払わないと走れない状態になっていた。木という木、枝という枝、小枝にまで雪が積もっていってて、幻想的な光景を見ながら帰宅した。
買い物から帰って食事の支度をしている時に、小さい頃にあるミルクにアレルギーがあった、と話したら、「どんな種類のミルク?」というので、「ミルクに数字がついてて、3.2とか3.4とか、、、」といったのだが、まだ「どんな種類のミルク?」と聞くので「どういう意味?」と聞くと、「ミルクの種類。例えば、牛のミルクとか、羊のミルクとか、ヤギのミルクとか、、、」。 あぁ、そういうことだったのか。ミルクといえば牛乳しか思い浮かばない私。日本は乳製品自体、歴史が浅いから、乳製品の歴史が古いトルコのようにそんなに種類はないよ〜!
トルコはヨーグルト発祥の地でもあって、食卓にプレーンヨーグルトがのる事が多い。私に出来ないのは、ごはんにプレーンヨーグルトをのせること。ご飯といっても油でお米を炒めて、水を加えて炊く作り方で、ピラフに近いので、日本のごはんとは少し違うが、それでもごはんとプレーンヨーグルトは合わない。 でも、トルコ人の教授のうちで、トマトベースの肉の煮込みにプレーンヨーグルトを乗せて食べた時には味がマイルドになっておいしかったけど、私に出来る芸当はそこまでと思う。
チャイの話の前に雪かきの話を。アパートのオフィスから、夜、除雪車が来るので、駐車場の車を移動しておいてください、という通知がきたので、ネジャーティは夕方、車を動かせるように最低限の雪だけを除けて、やっと移動させた。 駐車場は特に仕切りも何もないので、大きい除雪車が来て除雪するだけである。
ところで最近、晩ご飯の後にトルコチャイを飲んでいる。トルコでは紅茶をチャイと呼び、作り方(ここをクリック)も普通の紅茶とは違う。大、小の2つのポットを使って作り、10センチぐらいのグラスで飲む。取っ手はないので、お湯飲みのように持たないと熱い。 本来なら紅茶の葉を煎じて作るのだが、ネジャーティがトルコで買ってきた簡易用ティーバッグがあるので、それを使って普通の紅茶の作り方で作っている。それでも専用グラスで飲むので、ネジャーティも「トルコにいるみたい」と少し喜んでいる。
伝い歩きもほとんど手を触れる程度に歩いていて、最近では一人で立つことも出来るようになった梨奈。今日は2、3歩ほど歩いた! ソファーに座っているネジャーティの近くに立っていた梨奈が、「おいで」の言葉と手を広げているネジャーティに駆け込むようにいった。ほとんど走っている状態だ。 その他にも立っている状態から、片足を前方向に出して「移動」していた。
先週には風邪も治って食欲旺盛で、食べた後はおなかがすごく出ている。病院で量った時には体重はそんなに増えていなかったが、それでもそれなりの体重がないと支えられないらしい。
遊びいっぱい、甘えん坊の梨奈だが、成長ぶりを見てうれしい一方、生まれたばかりのころも懐かしく、でもその時期からどんどん離れていくのがちょっと寂しかったりするのである。
またアメリカ北東部に吹雪が来るらしい。3月になるというのに、この気候は何だろう。気圧が低くなっているからか、血圧が下がり、長い昼寝をしてしまった。
ネジャーティは今日、ポーツマスに住んでいるトルコ人のナジレの引っ越しの手伝いをしないといけないので、夜6時には出て行った。ナジレはイギリスの市民権を持っていて、ここにいるトルコの教授などを何度か訪ねていたが、去年ぐらいにここに来てポーツマスのあるお宅に間借りしていた。 そのお宅の住人は女性が1人だけなのだが、ちょっとかわっているらしく、どうも折り合いが悪かったらしい。ナジレもまた、アメリカには来たものの先が見えないので、来月イギリスに戻ることに決めて、それまでトルコ人の教授のお宅に泊まることになった。
ネジャーティが1回戻ってきて、足りないからといって、うちにあるダンボールを持っていった。日曜日なので、今の時間スーパーも開いていないので戻ってきたのだが、引っ越しを始めたのが6時半だったので、ナジレも晩ご飯を食べていないだろうから、もしよかったらうちで食べたら、ということで、引っ越しが無事終わってからうちで晩ご飯を食べた。ナジレからは、誰かからもらったという絵をもらった。一目でポーツマスにあるプレスコットパークとわかった。
10時半にはナジレは帰っていって、今日、フジテレビのドラマで最終回の「バスストップ」を見た。去年日本に帰ったときにこのドラマをやっていたのは知ってたが、とくに見ていたわけではなかった。しかし、こっちでこのドラマが現代版武蔵対小次郎の対決と知って、これは見ないと、と楽しみにしていた。最後にはシナリオどおり、武蔵が勝ったが、勝ってよかったと一安心。
日本のように雛人形を飾るわけでもないが、梨奈にとって2回目の節句なので、お祝いをしようと、近所のIさんをお呼びしてうちで晩ご飯を食べた。
ひな祭りケーキがよく売れたと、ある人がHPの掲示板に書き込みしていたのを見て、日本のおいしいケーキが頭をよぎった。またある人はケーキがひし形だという話をしていたので、そこまで記憶がなかったが、いつか日本でひな祭りを祝いたい(子供というよりも自分たちが楽しむ方が強かったりして)。
梨奈は1歳2ヶ月だが、まだ1人ではスプーンをよう持たないので、ネジャーティか私がスプーンで口まで持っていってたが、どうも飽きたようで、最近では手で食べている。おにぎりまでいかなくても、ご飯にのりを簡単に撒いて、食べられるようにする。今日は、ハンバーグを作ったので、左手にごはん、右手にハンバーグと両刀使いだ。それを交互に食べていて、野菜も食べないと、と野菜を置いてやると、野菜を右手で持とうとする。でもハンバーグを持っているので、それじゃ、左手で持とうとする。すると左手にはごはんを持っているので、野菜を持つことができないのである。手に持っているのを放り投げて他のを持つこともあるが、今日はハンバーグもごはんも離したくなかったので、持ったままだった。まだ、置くということがわかってないらしい。 少しすると、喉が渇いたらしく、機嫌が悪くなったので、飲み物をやる。今日は無事に食事ができた。自分で食べると割と長く椅子に座って食べられる。
梨奈は元気になったが、今度はネジャーティが調子が悪くなっていた。ということでネジャーティは今日一日中家にいた。 午後には私の1年健診があるので、クリニックに行った。クリニックでは、体重測定、血液中の鉄分の測定と内診があった。1年ぶりとはいえ、内診はやはりいやなものである。だれもがいやなものである。 4月にもう一度検査してもらうことがあるので行かないといけない。
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梨奈は食欲が戻り、クリニックの帰りに寄って買ってきたものなど手に持ってパクパク食べていた。あまり食べるので、大丈夫かなとかえって心配した。
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