2007年03月13日(火)
 『Forget-me-not』 尾崎豊

3/10の日記はゆうべ書いたんですが、夜中でへろへろだったせいか
なんか年間違えてんじゃんね。98〜99だし、じゃあ9年ぶりだわな。

てことで、直した。


ゆうべのごたくは、ダービーを観に行くことを疑問に思った友達からの
あれだけ怒ってた横浜FCを許したのか、という問いへのひとつの返事を
書こうとしたのだけれど、へろへろなもんだからなんかうまく伝わらない
文章になっちゃってて、で、一夜明けて気が付いた。

私は、自分ではあまり自覚していなかったけれど、
どうもマリノスに怒っていたらしい。


なんてゆーかなー

Jリーグって、開幕戦前年度優勝チームと昇格チームぶつけるじゃない。
それは、一泡吹かせようとする昇格チームと、王者のプライドとか
差を思い知らせてやるみたいなね、こう貫禄をみせるべきチームの争いで
で、初戦で浦和はなんとか面子を保つ格好になりまして、私の中では
その役目はマリノスが担うんだと、どこかで勝手に思ってしまってたのね。

だって、Jの名手じゃないですか。
初年度から常に一部リーグで、経験抱負で、ひんぱんに優勝したり
優勝争いしたりしているクラブじゃないですか。

そこに更に、俺たちこそが横浜だという誇りや身内の移籍を加味したら
負ける訳にはいかないはずだったと思うのね。

それがちーっとも感じられなかったことに、私は怒っていたのだ。
もっとがんばれよマリノスぅって、どこかでムカムカしてたのだ(苦笑)


私は私のチームにもいつもそれを求めているし、多分技術やなんかと
同じくらい、気持ちをみせてくれることを求めているんだなぁ。


だから、横浜FCの選手たちに拍手をおくるし、
とても素敵だったと思うのです。


で、友人への解答はまたむずかしいところなんだが

えー…やっぱりあれだな
最初はモトさんが三ツ沢で『ただいま』って言っちゃったとこからだよな。

あれ?

みたいな。

んで、悩みに悩んで全日空にも乗っちゃったしね。
だって元々は好きなんだもん。とび丸ラブラブだもん。
極め付けはソシオ・フリエスタまでが、なんかもう和解しちゃってるし。

なんかさー傍観者なのにひとりで怒ってんのばかばかしいじゃない(苦笑)
だったらもっと、建設的な目で横浜FCをみた方が楽しい、
そう思えるようになったってことかなぁ。

フリューゲルスはもうない。
横浜の市民クラブって建て前も微妙だ。
でも、今の横浜FCって、悪くないんじゃない? そんな感じ。



許すといえば、最近…カエラちゃんのBEATで日記を書いた後くらいに
許すとか許さないとかで気付いたことがある。


私、許すっていうのは「忘れることなんだ」って
高校生の頃から、ずっとそんな風に思って生きてきた。

でも、許すってそういうことじゃないんだなーって

だって例えば私には『それでも好き』がたくさんあるんだもの。
それって忘れるとか忘れないじゃないじゃない?


自分が無意識に色々なものやことを(これでも)許していて
とても多くのひとに存在とか様々なことを許されて生きてきたんだって

私は自分でも知らない間に、しかももうずいぶん前から、
すでにとても大きなものを自分の内側に持っていたんだなぁと
そういうのに気付けてとてもうれしい気持ちになったんだ。

まぁ丸くなったとか年をとったとかいうことかもしんないけど(笑)


2007年03月10日(土)
 『瞳はダイアモンド』 松田聖子

9年ぶりの横浜ダービーにいく。

楽しかった〜〜〜。

横浜FCの試合の入り方は最高だった。
モチベーション高かったわー。
カズさんは本当に素敵だったぜ。

まぁ、試合の話は会ったら聞いてくださいな。
今書き残しておきたいのは、横浜ダービーへの思い。

かなり酷いこと書くので、マリノスを応援するひとは読まない方がいい。
私のことがちょっと嫌いになるから(苦笑)



私は多分、過去の横浜ダービーは全部みていると思う。
三ツ沢が大好きだし、マリノスは基本的にいつの時代もいい選手がいて
強くて、でも一番の理由は、フリューゲルスのサッカーが好きだったから。
おもしろければ喜んでなんでもみる、あの頃も今も私の基本は変わらない。

いやジーニョやサンパイオ、ゾノ、アツくんらの頃のサッカーは
めちゃめちゃおもしろかったもん。スタジアムにいく喜びがあったもの。


で、今回開幕戦だしダービーだし、かなりの入場者がみこめたと思うんだ。
でも横浜FCは同じ横浜にある大きなスタジアムを使わずに、
小さな三ツ沢球技場を選んだ。うん、ホームはあくまでも三ツ沢だもんね。

まぁ何らかの理由で借りれなかったのかも知れないけど、
でも私はそこに、彼らのプライドを感じたんだよ。


『三ツ沢は俺たちのモンだ』ってね。


実際、横浜FCのホームスタジアムは横浜市三ツ沢公園球技場、
マリノスも並記はしてるけど、あくまでもメインは日産スタジアム。

大きなスタジアムを作るってんで市とのやりとりがあったからあれけれど、
あの時マリノスはお客さんがたくさん入る横浜国際競技場を選んだじゃない。


ただのサッカー好きなりに思うところがたくさんある。
あれ以来、チームが消滅する様はもうみたくないと強く思っているし
特に、企業の論理に踊らされるのは本当に真っぴらごめんだ。
全日空のあの時の態度は未だに許せない。

頑固な私は横浜F・マリノスのFにものすごい抵抗があって言えないし、
更に言うなら、横浜FCをフリエと呼ぶこともやっぱりできない。


フリューゲルスはもうない。
Fの字付けたってマリノスはマリノスだし、
横浜FCは会社名はフリエでも新しいクラブだ。


でもね、マリノスのサポーターの声の多くが、排他的で悲しくなるのよ。
奪ったものに、奪われたものの悲しさはわからないんだな。

横浜にクラブはひとつでいい、一緒になろう、あれはそういう合併じゃない。
そしてなまじっか吸収合併だったばっかりに彼らはフリューゲルスとも
フリエとも名乗れなかった。拠り所は『横浜』しかなかったんだ。
あぁ、あの時のことは思い出すたび腹が立つ。

消滅に怒り悲しみながら諦めきれなかった者たちは
大企業の論理に振り回されないチームを横浜に作ろうとして
その道は本当に険しく、はっきりいって失敗しながら
…それもアイデンティティを失うような失敗で、
経営って大変だけどそりゃねぇだろう、みたいな事態に陥りながら
(この頃私は頑に横浜FCにお金を払うのは嫌だ!と強く思っていた)

なんとか軌道修正して、よく数年でここまで来たなぁと思う。
98年から99年にかけて、水色のリボンを付けていた私は、
なんだかんだで横浜FCに対して、よくがんばったなぁって今は思える。

※ただのサッカー好きとして、甲府や鳥栖や湘南の存続危機の時も
 署名とか微力ながら協力してます。東京を応援しているけれど
 どっちかっていうと日本サッカーのサポーターなんだろうなぁ私…。


まぁなんだ。
元々、横浜にクラブはひとつじゃねぇんだよ。
東京にだっていっぱいあるしさ。

Jスタート時に東京にクラブはいらねぇって言ってたJリーグだけど
私たちは私たちの、東京のクラブが欲しかったのさ。
あれはそういう意思も含んだチームなんですよ。

で、読売さんだって犠牲者的要素があるワケさ。
元々東京都下のチームなのになんでか川崎をホームタウンにしなきゃで、
あっちにはあっちの、オレたち元々は東京だもんって意思があろうよ。

だからダービーなんですよ。
だから負けたくないのさ。

どっちがより「東京」と名乗るに相応しいか
仲良く共存しましょうなんて思わない。
横河でも佐川急便東京でも、そっちがその気で同じ土俵に上がってきた
のなら、もちろん「俺たちこそが東京だ」ってプライド持って戦うぜ。


で、横浜FCは、大企業に左右されない横浜のチームが欲しい、
そういうひとたちの意思を含んだチームなんですよ。
大袈裟にいえば、それがあのチームの唯一のアイデンティティなのよ。


あの狭いスタジアム、どっちのサポーターでもないただのサッカー好きは
二分されたスタンドに久々に疎外感を感じたよ!
それはとっても素敵なことだ。


んで、やっぱり意地がみえる試合はおもしろいのさ。
今回は横浜FC側からしか感じられなかったけれど
(だからマツとかいたら結果違ってたかもなんだけどねー)

相手にしてなかった相手に負けたら、次は意地になるわな。
選手はもちろん、サポーターも選手たちに伝えられなかったんだもの、
いつも通りで勝てると思ってて負けたんだもの。
次は負けたくないって強く思うハズよね〜?

不本意でも注目されるんですよ、ダービーって。
次は、もっとおもしろい試合がみれるよね。ニヤニヤ。

だから、次もまた行くわ。
それぞれのサポーターにはちょっと悪いけど、これからも観に行くよ。
まぁ、空いてる時にもお金落とす客なワケだから許してよ(笑)





お互い悪態ついたりつかなかったりしながら切磋琢磨してください。
歴史はこれから作られていきます。


フットボールは、相手がいなくちゃできないんだから。
相手を尊重(できれば尊敬)しなくちゃできないスポーツなんだから。


だって、倒す敵がいなきゃつまんないもの。


2007年03月05日(月)
 『誰かの願いが叶うころ』宇多田ヒカル

※日付けいつにするか決めたら直す





目をそらし続けていた現実を、一晩中じっと見続ける。

違和感には最初から気付いていたんだね。
直感は、割といつも正しい。
でも、自分に都合よく解釈してた。

突き付けられてからも、ほとんどの時間見ないフリしてたみたい。
だって動き出しちゃってたんだもの。

覗き見みたいで私っぽくないとか自分への言い訳で
見ないフリするのに必要だったんだなー。

あーやっぱりね、みたいな気持ちになったり
あーそりゃ「なんで?」って訊いたら
おかあさんに新婚さんいらっしゃいのイエスノー枕の意味をきいた時
みたいな、実に微妙な顔をするワケだ、とか納得したり
あやふやな返事だったりするワケだ。


まぁでもやっぱり基本的には私のみてきた姿とのブレはなく、
愛すべき無神経さもそのままで。


とうとう最後まで話して貰えなかったな。
それはやっぱり、まだ終わってなんていないから。
たぶん私はかなわない。


問題がどっちかひとつだけだったら
もっとがんばることができた?

…どうかなぁ。


まぁ、なんにしてもこの項目は、かきかけのアレ以外にはもう書かない。


2007年03月03日(土)
 『スタジアムへいこう』 東京スカパラダイスオーケストラ

開幕戦。

いいお天気で、スタジアムへ向かう道はやっぱりわくわく☆
なんか色々あっても、やっぱりこうでなくっちゃ、と思います。
スカパラの『スタジアムへいこう』まんまな感じ。
♪ここに来れば大丈夫〜。

えてして根拠はない。でもそんなもんさ。


かつての東京戦の相棒(?)とみる。
一緒にサッカーみんのすげー久々じゃねぇ?
なんかでも、違和感なかったなぁ。
ヒロミ同様、一瞬何も変わってない気がしちゃったよ。
おかげさまで、楽しく試合みれたわ。


変わってないのか?
んー…いや変わってるよなぁ。


でも変わっても、変わらないものってあるよね。
それはなんだ、多分共有してるサッカーが好きって気持ちとか。
まぁなんにしても、今年はもうちょっと一緒に観戦しよーぜぇ。


昨日から変わるとか変わらないとかで私の心は揺れるんだけど
変わっても、その時確かにその気持ちだったのは、真実だもんね。



試合はねぇ、ぶっちゃけ采配ミスだわ。

練習試合でよかった若手を抜擢起用したものの、
彼と徳ちゃんのセンターじゃなぁ。
徳といのはくんとどっちがサイドでどっちが中なのかも曖昧だし
若者がへこまない性格のコだといいな。


3失点してから慌ててフジを投入。みるみる修正。
おれはここ、お前はそっち、あぁ、的確な指示で仕事はっきり。
見事な読み、ボールカットに惚れ惚れ。

最終的には4-2。

私がみていると、佐藤寿人は本当に点を取る。
やっぱりかっこいい〜。はぇぇ。すごい決定率。


そら惚れるわ(きっぱり)。


柏木もよかったー。
また近くに来たら広島みにいきたいな。


でも、楽しかったよ、負けたけどみんな最後まで戦ってくれたし。

去年散々腹たてて、あたしゃああいうのが一番嫌いだと怒っていたけれど
平山くんは、やらされりゃあできるこなのね。すっかりやせちゃって。
相当しごかれたんだろうなぁ。原さんもああいうの嫌いだろうしな。
やりゃできるからやらないのが腹立つのよね〜。

うん。私は今日、平山を怒りませんでした。
自発的にはがんばれないけど、ヒロミの元でなら大丈夫だと思う(苦笑)


2007年03月02日(金)
 『レトロメモリー』 capsule

先週、チェコ絵本をみに目黒美術館にいった時に目黒シネマを通ったら
一週間だけ『カモメ食堂』の上映をしていると知りまして

お友達たちが大絶賛だったから、
ずぅっと映画館でみる機会を探してたんだ〜。
高井戸シネマん時も行けなかったし!と今週も目黒へ。


お天気の日におもちゃのカメラで遊ぶのが最近一番の楽しみなんですが
その110フィルムで撮影した写真みたいな光と色彩の映像、
少し懐かしい感じ。こういうの、大好き。美味しそうで暖かくて
でてくるひとも、お話やらインテリアやら服飾やらもとっても好き。


つい先日居酒屋でベルばらのエンディングが思い出せないと
大騒ぎしていたオーバー30の女子はガッチャマンに大爆笑です。

高校の同級生の栄ちゃんの持ちうた(?)で、
まだ酔いがまわってないのに景気付け(?)にうたい始めて、


飛べ!


と、叫んだ時に無言でいたらすごい勢いで怒られて


行け!


の後には強制的に♪いけいけガッチャマーンとうたわされた
ことも思い出しました。ええ、いい思い出です。

夏にはドイツ人に漢字をあててあげたしね。
いや悩んできれいな名前付けましたよ。
とっても喜んでましたよ。私はあんな酷いことしません(笑)


フランスでは炊飯器持参だったので、おにぎりを持って出掛けた。
何週間も寝袋生活の日本のおにーちゃんたちががうらめしそうに
みるから、こら売れるなぁと思ったのも思い出した。


きみちゃん(もちろん私のことではない)きれいになったなぁ。
凛とした、一本芯が通っていてしっかり自分があるのに
やわらかな空気、とっても素敵でした。

走ってないと倒れちゃうスタンドのない自転車のような私なので
ひじょーに憧れる、あの力の入ってなさ。
まぁ、マイペースはマイペースなんですけどねぇ。。。

あんなひとになりたい理想像がまた増えた。憧れるのは私の勝手さ。
原田知世ちゃんやナウシカよりはよっぽど近い気がするし(笑)



そう、どうしても時はどうしてもだし
大事に抱えてた重たい荷物が、降ろしてみたら
そんなにたいしたモンじゃなかったりするのよね〜。
理由なんてなんだっていいしね〜。


「しょうがないですよ。人間は変わっていくものですから。
できれば、いい方向に変わっていったらいいですね。」


のじりんも、前日人と話しててすごく悲しくなっていた時で
この台詞がしみたと言っていたっけ。


高校生の頃読んだ詩をぼんやり思い出していた。

変わることは悪いことじゃないと思う
(多分真実だか本当の姿だったか…このへん曖昧)〜に近付くことだから
だけど 変わるのは悲しいね
だから ずっと という言葉に憧れるのかもしれないね

みたいな感じ。多分銀色夏生(いかにもですね)


出会って、別れて
私を通過していったひとたちのことを、思う。
今、通過途中の、多分もうすぐ通り過ぎるひとのことを、思う。
そのひとが決めたことだし、悪いことではないんだし、
さみしいけど仕方ないことだと、私は最初から知っている。

先へ進むのか、本来の場所へ帰るのか、なんにしても通過されちゃうんだな
…そのへんは、さちえさんもそんなヒトな気がしますが。

みんな元気で幸せでいてくれたらいいなぁと思います。
温かい食事をして、素直に笑っていてくれたらいいなぁと思います。




私にとってのフィンランドはリトマネン(サッカー選手)と
ハノイロックス(大好きなロックバンド)
ヘルシンキでのライブのビデオは何回もみたよ!
あんなとこだったんだなー。ハノイのメンバーが産まれ育ったまち。
意外に日本語と音が似てるとか共通点も多いってマイケルが言ってたっけ。
いつか行ってみたいな。


あの食堂、昔の自分の部屋にいるみたいでとっても好き。
この頃の私の部屋、白い壁に木の丸テーブルに水色のカーテンでさ
自分の部屋でお茶を飲むのが本当に大好きだったからね〜。

あの部屋にいる頃の私ってちょっといい感じだった気がする。
今も基本的には変わってないけれど、テーブルのない部屋はいや(笑)

好きなひとをあの部屋に招待したかったなぁ。



人見知りだし正直だから、接客向いてねぇ、やってらんねぇって
思っていたけれど、ぴあのカウンターに居た頃、当時の友人や仲間が
(常連さんから友人になったひと含む)発券のついでとか
ただ喋りにとか集まって、私以外の店員3名もおもしろいメンバー
だったから、なんかよく盛り上がってたっけなぁ。

楽しかったな、あぁいうの。
実は意外におもてなし好きだしな。
向いていたのかも知れないね。


店でも持とうかな(爆)


レトロメモリー capsule


あぁ、そうだ。
目黒で平日の夜で一年前の作品だってのにほぼ満員だった。
そして何故か、ひげりーがいた!!!
しかも「もう3回目」と、笑う。
びっくりー。
あーこのゆるゆるした感じ、美味しそうな感じ、確かに好きそう。

てか私のまわりのひとって、こういうの、みーんな好きな(笑)



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