TALES OF ROSES

2011年03月29日(火) 咲きました




クロッカス やっと咲きました。
今年の庭のトップバッターです。


暗いニュースばかりで 滅入りますね。

北国の花一輪
どうぞ勇気を分けてください。








2011年03月23日(水) 間に合ったMくん

同い年のイトコのMくんは 母方の本家の跡取りです。

本家は宮古の老舗の酒屋さんで、母が9人兄弟だったので
お盆や正月に集まるイトコ、ハトコの数ははんぱではなく
小さい頃は本当に良く遊びました。

大きくなってからは、私の家も本家も運は傾き、倒産、引っ越しなど
相次ぎ、すっかり疎遠になってしまいました。

津波警報のなか、彼は車をとばして彼の母を迎えに行きました。
国道45線は海岸沿いを南北につなぐ道路、南下すれば
山田町、釜石、大船渡、陸前高田、
今回の被災地を全部結ぶ道路です。

「まだ波がひいてる、まだ間に合う!」と長男と
絶叫しながら全速力で45号線をかけぬけ、海沿いの低地に住む母親を
迎えに行ったそうです。

彼は間に合いました。彼の母親も無事でした。

「今から思えば、たぶん津波が俺たちのうしろを追いかけて
 きてたんだと思う。」
彼はガハハと笑いました。

鍬ヶ崎の彼の家は流され、2階だけが無事に残っていたそうです。

「濡れてないマットレスだけ持ってきたけど、めぼしいものは
 みんな盗られて、なにもないんだよ、
 ふと見たら、かもいにあっちゃん(私のこと)の書いてくれたサイン色紙が
 飾ってあったから記念に持ってきた!!」と彼はガハハと大笑い。


盛岡に着いてから
そんな色紙書いた記憶ははるか彼方
何十年も前の絵だったのでは・・・

がれきの中で、わたしの色紙を手にとってくれた彼の姿を
思い浮かべたら、道を歩きながら
涙がポロポロこぼれて仕方なかったです。














2011年03月20日(日) あんたたちには見てほしい

宮古市にバスで行ってきました。

親戚、同級生、知人の家を回ってきました。

ニュースの津波画像で皆さんご存じでしょうが
宮古の津波は真っ黒い津波でした。
閉伊川河口のヘドロを巻き込んで町になだれ込んだのです。
真っ黒なドロあとの粉塵もひどく、マスクが欲しいという
イトコの言葉がよくわかりました。

大通りには大きな船が、街灯をなぎ倒して転がっていました。

親戚のおじさんが、亡くなってました。
でも、母や義父母、イトコたち、みんな元気で明るく
それぞれの「危機一髪」の話に大笑いして、本当に笑い話になってよかったと
思いました。



帰りのバス停で、
中学生ぐらいの女の子2人を見送るおばあちゃんが
『今は、ごたごたしてて町を見せたくないと思ったけど
 せっかく来たいって言ってくれた
 あんたたちには 見てほしいと思ったの。
 (わたしたちが復興する姿が )いつかあんたたちの力になるかな、と思ってね。
  あんたたちには見て欲しいと思ったの」

と、わたしの後ろで話をするおばあちゃんの言葉がきこえ
胸に響きました。


遠い遠い未来を見据えて、自分たちの決意をこんなふうに
言葉にできるなんて。

なんて人としてすごい方だろう、と思いました。




2011年03月18日(金) 無情の雪

寒い一日でした。

灯油、ガソリンも切れて
沿岸部の方々が寒さに凍えているでしょう。

福島原発にヘリコプターが海の水を放水する姿に
手を合わせたくなります。

原発を今、批難することはたやすいことです。
大都会の夜景もクリスマスのイルミネーションもみんな
あの原発のおかげだったのではありませんか。

開発者も建物を作る人も誰もみんなの幸せを願って作り上げたはず。

それがこういう結果になったからといって
原発の存在を今、批難してそれでどうなるというのでしょう。

誰も見捨てたりしない。
誰もが助けたいと思っている。

その気持ちは伝わるのでしょうか。

正義のヒーロー、空を飛んで、
海へ行って、あの津波を止めて。
だれか あの津波を止めて、
時間を巻き戻して
あの美しかったわたしの海を返して。















2011年03月17日(木) 人の情け

ガソリンがないので
税務署まで歩いて申告書を提出に行きました。
結構な距離です。

帰りに税務署近くのスーパーに入ってみたら
キャベツが大放出だったので1個買いました。
あれこれ買って重くなって、それでも頑張って歩いたのだけれど・・・
北風の冷たい日で、途中でバスを待つことにしました。

バス停にはやはり買い出しのリュックのオバチャン数人。

さて、バスもなかなか来ない。

諦めてバス停を背に歩き出しました。
3分ぐらいして振り向くと バスが来てる!!!

私の位置的には、次のバス停までの中間あたり。走るにはキャベツが重い。
まあいいか・・・とマイペースで歩き続けると
バスは結構遅い。
乗り降りに時間がかかってる。

次のバス停まで10メートルぐらい。
バスは買い出しの人と
リュックでギュウギュウ詰めで
私を追い越しバス停に停まり、降りたオバチャンが手招きしてる。
さっきのバス停にいた方です。
『早く早く!!運転手さん、あの人も乗せて!!!」

急いでバスに乗りました。

諦めていたのでとても嬉しかった。助かった・・・
どうもありがとうございます。





2011年03月15日(火) 防潮堤

何度も書きますが
宮古市で生まれ育ったわたしです。

小さな頃から 津波の怖さはきかされ
防潮堤があるから大丈夫!と みんな信じて暮らしてきました。

ニュースで見た防潮堤をやすやすと乗り越える波の姿は
天地がひっくり返ったような衝撃です。


せめて雪が積もらないように。
もっと暖かくなるように。
一人でも多くのかたが助かりますように。



2011年03月14日(月) みなさまへ

ありがとうございます。

懐かしい方々からのコメント、メール、
たくさんの励ましをいただいております。

私自身と家族、盛岡の家にはほとんど被害はありません。

宮古の実家、実母、義父母、弟は無事でした。
ご心配をありがとうございます。


朝起きて、すべてが夢でなかったことに落胆します。
本当に起こってしまったことだと認めるのが、悲しい。

今日は スーパーに買い出しに行ったら
大変な行列で、赤ちゃんは泣き出すし、米に人々は殺到するし
街中ガソリンを求める車で大渋滞です。

確定申告がまだだったので、会場にでかけたら封鎖されていて
毛布をたくさんトラックに運ぶ人々。
被災地に届けられるのでしょう。
申告は延期されて、直接税務署に行って欲しいとのこと。

金曜日に申告を済ませるはずだったのに 印鑑を忘れて
自宅に取りに帰ったところ、自宅で地震にあいました。
家がつぶれるかと思いましたが、大丈夫でした。

新幹線で帰ったばかりの次女は
福島県の郡山で新幹線に閉じこめられ
丸一日車内でした。



さきほどのスーパーで、
大きな買い物袋を二つもち、ヨチヨチ歩きのお子さんを
一生懸命立たせているお母さんに
「奥さん、もってあげる!」と声をかけたけど
「いえ、大丈夫です、近くですから」と何度か押し問答してやんわり断られ
わかった頑張ってねと 帰ったけれど・・・

そうだよなあ、怪しいおばさんにしか見えないよなあ。。。

と、ちょっと落胆して帰宅しました。

せめて
誰かを助けたかったのですね。








2011年03月13日(日) 厭世観

大変な災害が起きてしまいました。

まるで映画でも見てるような、これが現実とは信じられない。
「壊滅」って そんな言葉 確かに何かの映画で見たような・・

小さな頃から慣れ親しんだ町が、あの防潮堤がなんの役にも立たない、
あれさえあれば大丈夫なのだと、みんな固く信じて過ごしてきたのに。

小さな頃から、津波警報のサイレンが恐ろしく、この世の終わりのような
気持ちにさせた。この世の終わり。
本当に「この世の終わり」を
見せられたような・・・

気仙沼の火災、陸前高田、知り合いの方々のあのお庭が。

宮古の人間の厭世観は ここにあったのかも知れない。
わたしは この絶望の中で育ったのかも知れない。

言葉もない。海は恐い。

義父母も実母も弟も 連絡が取れない。



2011年03月11日(金) 春の音

猫が押し入れに間違って閉じこめられて
カリカリとドアをツメでひっかくような・・


そんな物音がして

「猫がどこかに閉じこめられてない?」と 長女が言うので
廊下に出てみますと

音は雨だれの音。

屋根から下がったツララが急に暖かくなって溶けて
したたり落ちる水の音でした。

ツタタタタタ・・・・

夫が言いました。
「春の呼び水かな」

明け方は雪が降ってましたが 今日の日差しは明るい。




2011年03月10日(木) 100均とは



昨日、義父母と夫とうちのムスメ達が
宮古の某レストランで食事をしました。

(わたしと長女は多忙に付き欠席)

その建物には 「100均」ショップがあり、
めったに外に出ない義父と説明する義母の会話。

義母「おとうさん、あれは何でも100円で買えるお店だよ」
義父「?」

義母「おとうさん、売ってるものがみんな100円なの」
義父「?」

義母「おとうさん、お皿も何もかも、100円で買えるの。
  食べ物も、文房具も全部どれでも100円」
義父「はあ?なにが?なんで?何を売ってるって?」

義母「だから あのお店のものがどれもこれも100円なの!」
義父「はあ?意味がわかんねえ」

義母「だから、あのお店では売ってる物質が、すべて100円なの!!!!。
ブッシツが!!ブッシツが100円!!!!!!!。」


義父を納得させるのは、とても困難だったようです。


これはムスメ達から聞いた話。





2011年03月01日(火) 卒業式でした







大の字のコナです。
映っているのは三女の手。

今日は三女の卒業式でした。
娘三人の高校の卒業式をそのたびにブログに書き
ついに三女の時が来ました。

ワンコのチャチャもずいぶん弱っています。
16歳ですから。
家族として楽しかったこの16年間が
一つのピリオドを迎えるときが来たようです。

花々とムスメ達と夫とワンコとニャンコに囲まれ
友人達とはしゃいだ楽しい楽しい16年間でした。

いろいろなことを考えた一年間でした。
考えて考えて考えて、
本当の自分がやっとわかったような気がします。


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