☆怒濤の六月もなんとか乗り切り、まだ終わってない仕事がまだあるんですが(数日分くらいのスケジュールの遅れできてるのかな?)、一息ついているところです。 今日は、市内のホテルのレストランの割引券があったので、気分転換に、夕食に和食を食べに行きました。 疲れがたまったときは、てきめんに生のお魚を食べに行きたくなります。 早めに食事して、そのあとどこかカフェで仕事するかな、と、モバイル機かかえて家を出ました。児文協からご依頼のエッセイを書こうかな、と思ったので。
でまあ、のんびりおいしくお食事を済ませて、カフェに移動。 いつものように、お茶をたのんで、さて、とパソコンを立ち上げようとして… あれ^^;? 電源入らない^^;? うそ^^;?
落としたとかぶつけたとか、そういう物理的な原因では思いあたることはなかったので、心臓ばくばくしました。動きがおかしかったとかいうこともなかったし。 ただ、とっさに思ったのは、「浮気がばれたか」的感覚で。
というのは、まさに今朝、この工人舎のMPCの後継機についてのニュースをネットで読んで、「うわこれいい、ほしいかも」とか思ってたところだったからです^^; そういうのありますよね、新しい機械をほしいなあと思うと手持ちのが…っての。 それかなあ、と、どきっとしたのは、後ろめたさもあったんだと思います。
でもだけど、冷静にふりかえると、そういや、こないだフルに使ったあと、充電してなかったかもしれない、と記憶が蘇ってきました。 なら、充電すれば動くはずです。
でも、基本的に思考パターンが、「起こりうる状況の中で最悪のパターンを想定して、その上で対策を練っておく」というものなので、壊れてた場合の、修理に出す手順とか、お茶のみながら考えてました。 どっちにしろ、アダプターにつないでみないと壊れたかどうかわからない。それには早く家に帰らないととおもいながら飲んでいたので、せっかくのお茶を楽しめなかったなあ。
そんなこんなで、予定よりずいぶん早く、帰途についたのですが… そしたら、家のそばで、道に迷っている疲れたお年寄りを発見。 またこれがちょうどのところに、ちょうどのタイミングでたってるんだもん… 助けられてよかったと思いました。泣きそうな、いまにもおぼれそうなひとのような目でみつめられてしまいました。どうしようかと思った。 同時に、今夜は早く帰ってきて良かった、ここでこのひととであえて助けられて、よかったなあ、と思いました。
まあ、我が家の近所は繁華街で、基本的に長崎のひとは親切だから、私が通りかからなくても、誰かが助けただろうとは思うのですけどね。 でも、蒸し暑い日の夕方の、どんどん暗くなっていく時間に、道に迷ってる気持ちって、辛かったろうな、と思います。 助けてあげられて、ほんとよかった。
☆思えば、私は、道で、よく困ったひとに遭遇します。 道を教えて、手を貸して、感謝していただいて別れて、そういう巡り合わせに生まれてきてるような気がします。
もちろん、こういうのは心理的な錯覚で、「ひとを偶然助けた」記憶だけを、より「濃く」覚えているだけに過ぎないという考え方があるのも知ってるんですが。
でも、たまに、神さまは便利なNPCとして、私を配置してはいないかい、とおもわないこともなかったりします^^; 私視点では、私の人生なんですけどね。 でもね。
<追記> 書き漏らしていましたが、当然のように、モバイル機は、充電し忘れていただけ、というオチでありました。 やあ、でもほんと、びびりましたよ^^;
百六十枚で(笑)。
これから、六十枚分、削らなきゃいけません(笑)。 フォア文庫の規定の枚数は、四百字詰めで九十枚から百枚なので。
最初、百五十九枚で、夕方六時に書き上がって、「よかった。百六十枚いかなかったよ」と、喜んでいたんですが、原稿を編集部に送った直後に、これはかかなきゃでしょ、ということを書き漏らしていたことに気づき、その描写を足したので、ジャスト百六十枚。
書き上がった報告と、枚数超過でごめんね、の電話を入れたのですが、いやもう笑うしかないというか、いつものことというか(笑)、 「あのね、枚数凄いけど、たぶん大丈夫だから。だって、旧シェーラの最終刊も、新シェーラの第一巻も、同じくらいの枚数だったけど、削れたから♪」
…自分でいった言葉ですが、笑うしかないけど、笑えないでしょう^^;
でも、書くだけは書いたので、気分はさっぱりです。 よくかけていると、思います。 見事な最終巻^^
あとはまあ、削るのは得意な作業なので、なんとかなるし、なんとかするさー。
☆今夜は、このあと児文協のお仕事、明日は、新日本さんのアンソロジーの再校ゲラ。そのあとはポプラのレミの手直し、同時進行で、児文協のエッセイ。 終わるころに、シェーラの作業にまた戻る感じになるかしら。
〆切の連続ですが、なんだかんだいって、忙しいのは好き。 がんばるさ♪
☆某有名アニメーターさんであるところの友人に、ノート用の冷却ファンを薦められ、必死の思いで取り寄せてみたら… 天国のようにパソコンが冷えたので、感涙(涙)。
存在は知ってはいましたが…毎年、いつかは買おうとは思っていましたが…こんなに劇的に執筆環境が良くなるものだとは思っていませんでした… キーボードが熱くならないんだもん。
すごいなあ、冷却ファン。 作っている会社のみなさま、ありがとう(涙)。
☆新シェーラ、第一稿、まもなく、かるがると百枚を越えそうです。 まだだいぶ先があるんだけどなあ。一体何枚で終わるんだろう?
いやたぶん百枚は超えるだろうとは思ってたけど…百三十枚くらいでかきあがって、それを削ることになるのだろうか。どうか百五十いきませんように。
考えていたエピソードをいくつかはしょらなきゃいけないかなあと考えると、もったいないし…なるべく、用意したエピソードをいかす方向だと、どういう方向で何をつめていこうか、とか、書きながら、脳の別のあたりで考えています。 エピソードを無理矢理詰め込んで、映画の総集編みたいになるのはかっこわるいし、最後の最後で、「枚数たりなかったんだなあ」と、読者の方たちにため息をつかせたくはないのです。
そんな二十五日月曜日早朝。 書き上がる予定の日は、このペースだと、火曜日の朝か夜? かな?
おなかすいた。モスのナンタコスが食べたい。
☆家にいると湿気と蒸し暑さに負けるので、業務用クーラーで思い切り冷えてやるんだ、と、小さなパソコンかかえて、ロイヤルホストにいってきました。 ついでに近くのホットスポットを使って、高速無線LANで、ノートン先生その他のアップデートもしたりとか。
ロイヤルホストの夏のカレーフェアって、毎年楽しみにしています。 今年も早速いただいて、血のめぐりを良くしてきました。
カレー定食「ミールス」の、三種類カレーが食べられる方をいただいたのですが、ケララ洲から直輸入だという謎のパン、パロタがふしぎな食感で面白かったです。クロワッサンを叩いて広げた感じといいますか。 このパン、単品で追加できるとは知らなくて、あとでサイトで知って、けっこう愕然としました。最後にカレーが余っちゃって、もったいないなあと思いながら残して帰ったので。 カレールウ三種類で注文する場合は、パロタ一枚とライスじゃあルウがあまります、要注意、と、自分のための覚え書きもかねて、かいておこう。 タンドールチキンが、ものすごーくおいしかった、というのも。
でもけっこうおなかがいっぱいになるので、次は、ルウが二種類でもいいかな。それか最愛のカシミールカレー単品でもいいかも。
カレーが良かったのか、クーラーで冷えたのが良かったのか、今日は帰ってきてからも引き続き仕事がすすみ、疲れもなく、いい一日でした。
毎日この速度でかければ、あれもこれも一気にすむんだけどなあ。
…夏の間は毎日、ロイヤルのカレーとクーラー…
これだけ仕事がはかどるのなら、それもいいかもな、とか、ちょっと真剣に思った、初夏のある夜でした。
☆執筆中です。
☆新シェーラ最終話を書いています。 書きながら、脳内の別の部分で思案するのは、この世界の数千年の歴史の流れというか、古の二つの大国のこれまでの人々の行動のまとめとか、別に文章でまとめて、掲げていた方が良いのかなあ、ということで。 その方が読者のみなさんに親切になるかなあ。 「読みたい人は読んでね」のつもりで小さいフォントで、とか。
これまで通り、中の話に混ぜ込むつもりでいましたが(「クラッシャー・ジョウ」方式^^ともいう)、それをやると、枚数が増えるのと、物語の流れがとまるのが、なんともなあ。先を読みたいひとたちには、難行苦行になってしまうだろうし。
あるいは、古の大国がらみの説明は、極力省いてしまうという方向もあったりして。 シェーラの読者さんは、いわゆる「読書能力」が優れている、本好きの子どものみなさんと、本好きのおとなのみなさんで構成されているので、むだな説明はむしろ邪魔かもしれないし。
そしてまた、愛読者カードを拝見するにつけ、シリーズを何回も熟読して読み返している読者さんが多い……ので、説明はいらないのかなあ。
とか、いろいろ悩みつつ、書いている作者でございます。
「錬金術の王国・泉の箱・地下をさすらう優しい魔神・永遠に生きる王子」 「魔法使いの王国・異世界の獣召喚・獣たちを未来に送る・罪の意識から人類に滅びの呪いをかける・月夜に踊る幽霊のシルファ」 「魔法使いの王国・異世界の獣召喚・獣たちを未来に送る・罪の意識から世界を救う方法を探すために旅立った魔法使いたち・その子孫のナルダ」
この関連って、熟読しているひとには難解ではない…はず。でも、軽く手に取った子どもたちには、わけわかんないだろうなあ^^; この流れに、通りすがりの、道を教えるひとだの、鳥の民だの、ルチア親子だのの物語が混じり合ってるわけで。
一番良いのは、別紙で折り込みであらすじ…とか、無茶なことをいってみたりする(笑)。冗談ですよ、冗談^^ >担当氏
☆しかしシェーラたちの物語も、薄い本とはいえ、二十冊も書いてくると、できあがりに、てのひらにころんと宝石が載るような、異世界がひとつできあがった感慨がありますね。
毎度、私は、物語を順番に書かないで、エピソードをばらばらに書いてつないでいく書き方をしているので、現時点で、イントロとラストシーンとクライマックスの台詞を同時進行で書く、ときどき後書きになにをかこうかな、と楽しむ、みたいな感じなんですが… でも頭の中では、お話はもう完成している。 現状の、見通しがいいこの感じは、快感ですね。丘の上に立って、地平線をみているような感じ。
これから、書き上げるまでの体力勝負があって、字数を削る苦悩が続くとわかっているのが、毎度のことなんですが。 でもいまはしばらくはそのことは忘れて、いまの気分を楽しんでいましょう。
☆新シェーラ最終巻。いい話ですよ。 あらすじを読んでくださった担当氏が、「読んでいて、何度も目がうるんで」と、いってくださったくらいには^^ もうひとり、先にあらすじと原稿を読んでくださる方、画家の佐竹さんの感想がたのしみです。
…目が潤むといえば、なにをかくそう作者自身も、終わり近くのあるキャラクターの台詞とか書きながら、ついほろりと泣いていたりします。生来、涙もろくはあるんだけど、自分が書いたキャラクターの台詞になくってどうよ、とはちょっと思う。
新シェーラはある意味、ゲームのシナリオにたとえるなら裏シェーラというか、ここまで読むと真のエンディングみたいな物語ではあります。でもその分、旧シェーラまでであえてとどめておくという選択をする読者さんもいていいというか、そういうお話だと思っています。 新シェーラが完結してはじめて、「新旧シェーラのどちらが好き?」という、読者さんたちの会話を拝聴するようになるんだろうなあ^^ さてどちらに軍配は上がるのでしょう?
☆今日はそれから、新日本出版社さんの、七月にでる予定の戦争童話アンソロジーのゲラの関係のやりとりが、電話で少しありました。担当の怜悧で丁寧なTさん、お世話になりました。ありがとうございます。 これは来週、再校をみたら、それで私の手を離れます。 私は四十枚ほどの短編をひとつ、書かせていただいています。 近未来SFです。アンドロイドとかでてくるような話です。ある意味、昭和の時代の雰囲気の短編かもしれません。
挿絵がね、すごく素敵な方で嬉しい^^
シェーラ最終巻、書いてます。
ノートが熱い。 手元を照らす電気スタンドも熱い。
で、クリップ式の扇風機で手元を冷やすと、 最初は良いんだけど、やがてこれが寒い。
クーラーで外の空気を入れているんですが、 背中から感じるその冷たさと、 手元から立ち上る熱気のはさみうちが ぐあいわるい〜
それにしても、なにか頭が朦朧とするなあと 思ったら、 晩ご飯食べてないかもしれない。
お湯でもあびて、なにか作ろう。
>夢さん メールありがたう^^ いやほんと、私が通り過ぎて、よかったと思います。
>黒川くん がんばってくれたまえ^^ ネット越しに応援しています。
☆通信講座のお原稿に手紙をつけてお返しして、反戦童話のアンソロジーのための短編の初校ゲラを終わらせました。 今夜から、シェーラ最終刊を書きます。
☆児文協の出版企画部のお仕事で、私企画の本が、いよいよ動き出したので、これがけっこう大きな企画なので、がんばらないとなーという感じです。 でも、子どもたちに熟読される、愛される本として、世に残したいな、と、がんばって立派な本にしたいな、と、決意を新たにしています。
☆うちの近所のコンビニの駐車場で、先日、なんだかなあ、なことがありました。 私が駐車場のそばを、歩いていた昼下がりのこと。 駐車場から道路に出ようとしていた一台の車が、工事現場なんかにおいてある、赤くて尖った帽子みたいな…あれなんていうのかな、あれを車の前の方にひっかけたまま、ずるずるのろのろ走ってきたんですよね。 最近、そのコンビニでは、駐車場の工事かなにかがあっていて、あちこちにこの赤いのが置いてありました。この車は、あのどれかをひっかけてきちゃったんだな、と私は思いました。気づいてないのかしら、と。
赤い帽子を、押し出すようにしながら、車は外に向かいます。 その車の進行方向の道路には、ちょうど赤信号でとまりつつあった車がいたんですが、のっていた助手席のおじいさんが、びっくりしたような怒ったような顔をして、窓をあけて、親指で、道路を指しました。なにかいいながら、 たぶん、「下、下」と叫んでいたんじゃないかな。
帽子をひきずっていた車の運転手さんは、眼鏡をかけたおじさんだったのですが、それに気づくと、のろのろバックしていきました。 私は、「駐車場でいったん車を止めて、あの赤いのをもとのところに戻しに行くのかな」と思ったのですが…
その眼鏡のおじさん、自分の車の前から帽子がはずれると、そのまま前進し直して、車道にでて、なにくわぬ顔で、流れに乗っていっちまってました^^;
コンビニの前、道路に飛び出すようにして、工事現場にある赤い「あれ」。 走ってくる車もオートバイも、「何事?」というように、そのそばにくると速度をゆるめます。 なんかみていて危ないし、そのうち道路に倒れ込んだりしたら事故のもとのような気がして、近くにいたし、私が道路にそれをとりにいきましたよ。 そのままずるずるひっぱって、コンビニにもっていきました。駐車場のどこからひっぱられてきたものかわからなかったので。店員さんたちに事情を話して、腰が低い店員さんたちに感謝されつつ、渡してきましたよ。
で、なんかねえ。ここ数日、その眼鏡のおじさんのことをおもいだすたびに、いやーな気分になるんです。理解できない魔物かなんかに遭遇したような、気味の悪い気持ちになるんです。
ひょっとしたら、その人には急ぐ用事があったのかもしれない。家族が病院にかつぎ込まれたとか、葬式とか結婚式とか、飛行機の時間に間に合わない、とか。 でも、でもですよ。 車をちょっと止めて、赤い帽子を、駐車場にひきもどすくらいの、わずかな時間もなかったんでしょうか? その時間、駐車場はすいていて、どこにでもとめ放題だったのに。とめることも、またでることも、楽にできたはずなのに。
あの人は、自分が置き去りにした、あの赤いののせいで、事故が起きたらどうしようとか、想像できなかったんでしょうか。 もしかしてその事故で、運悪く、誰かがケガしたり、死んじゃったりしたら、とか。 少なくとも、私だったら、車を止めて片付けます。それどころか、流れでいったん車道に出ちゃっても、気がかりで、戻ってくるかもしれないです。
「あの赤いのは、誰かひまな人が片付けるだろう」とか、考えたのかなあ。 まあ結局は、通りすがりの近所の暇人が、片付けましたけどね。なにごともなくて、よかったですよ、ほんとうに。
しかしさあ。あのおじさん。
自分や家族が、もし逆の立場で、道路であの赤い帽子に遭遇して、それで万が一、事故にあっちゃったりしたとしても…
怒ったり怨んだりしない、自信があるのかなあ。
ちょっとだけ、きいてみたいような気がしました。
☆電話とメールでうちあわせして、外で通信講座の生徒さんの原稿を拝読して、カウンセリングにいって、自分の原稿の手直しをして。
あいまに、見城徹「編集者という病い」を読了。 弟がおいていった、「ひぐらしのなく頃に」の漫画版、最初の四冊まで読了。 おもしろかった^^
六月の梅雨前のいまの時期は、なんとも空が青く高くすきとおって、風が心地よくて、いい季節だと思います。
そういえば、今年は、あじさいはもうみたけれど、五月に薔薇をみそこねてしまった。口惜しい。 梅雨になる前に、どこかにみにいく時間があれば。
☆前述の青い目の人形展ですが。 展示を見たあと、会場の一角の壁にはられていた、みにきたひとびとの感想の文を拝読していたのですね。いろんな年令のひとびとの、平和を祈念する思いや、人形たちをいとおしむ思い、人形を贈ったひとびとの心に思いを寄せる文章、などに、目がうるむ思いだったのですが…
中にひとり、小学五年生の女の子の、ひとこと。 「お人形たちは、戦争の時、壊されたりしてかわいそうだったけど、がんばって生きてきたんだなあと思いました」
うん。そうだね。「がんばって生きてきた」んだね^^ ほほがほころんで、明るい気分で、博物館を出たのでした。
…この話は、日記には書いたことあったかなあ? たぶんまだ書いてなかったと思うので書きます。もしかして再読になった人がいたら、「年寄りはしょうがないなあ」と笑って許して下さい。 ちょっとだけ、自慢話みたいなお話^^
忘れられがちなことですが、私は希死念慮が強い、立派なうつ病患者です。自慢じゃないけど、診断済みで、病院にも通ってます。 この希死念慮、というのは、面白いもので、私自身の表層に感じている意識とは別のところで、伏流水のように、「死にたい想い」というものが、いつも重低音のように、心の底の方を、流れています。で、気が滅入ると、それがふわっとあがってくるわけですね。 ふだん、表側に見えている意識では、私は生きていることが楽しいし、人間も世界も好きだし、一日でも長生きしてやる、と思ってるんですけどね。 こればかりは病気なので、どうにもなりません。
だけど、だけどですね。私は何があっても死んではいけないし、幸せにならないといけないんだなあと、いつも思い返す、ある人の言葉があります。
少し前に、ある年上の友だちに、いろいろとリアルで愚痴ったときに、数日後の夜、彼女から、携帯にメールが来ました。 「もしかして、死にたいと思うときがあったら、それがどんなに真夜中でも良いから、私に電話をください。もし私がその時、寝ていたとしても、すぐに目をさますから。だから、何時でも良いから、電話をください」
私はお礼をいうのが下手な人間で、かっこつけも激しいし、すぐうろたえるから、このときも、彼女へのメールの返信は、素っ気なくしかできませんでした。 でも、ほんとにこのメールは嬉しかった。 何回も思い返しています。ありがとう^^ ていうか、いま日記にこう書いていて、泣けてきてるし(笑)。
彼女がもしかして、自分が私にそんなメールを送ったことがあると、いつか、未来に忘れてしまっても、私はずっと憶えていて、ずっと密かに、彼女のためになることをできたらいいな、と思っています。 もしなにか、私にもできることがあれば。 …とか、面と向かっては言いづらいので、こんなところに書いておいたりする^^ このメールは、私の宝物で、大事なお守り。
☆この話には後日談があります。 こないだ、都内西新宿方面、私の定宿のシティホテルのコーヒーハウスで、先輩作家のダンディなおじさまと飲んでいたとき(注…私はジャスミンティーで、先輩のおじさまは、日本酒のお湯割り…あれ、芋焼酎だったかな?)、上記の彼女は共通の知人なので、上のことを話題にしたんですよね。 彼女に感謝する、だからこそ、私は生きていくし、もしこの先、万が一、死にたいなあと思うことがあったとしたら、彼女には電話はしません、と^^
「だって彼女は真人間で、明日も仕事がありますからね。夜中に起こしちゃ悪いでしょ?」と私がいったら、おじさまは、「ちょっと待て」と身を乗り出して、 「そういう生き方って、ちょっときついんじゃないの? もっと他人によりかかってもいいんじゃない?」と、映画俳優のような言い回しと表情でおっしゃるわけですよ(笑)。いい人だから、この先輩作家さんは。 「だってそれが私の美学ですもの」 「わかった。じゃあ、むらやまさんは、ぼくに電話をかけなさい。そしたらすぐに、長崎にかけつけてあげるから、そのまま待ってなさい!」 「先生が都内から長崎まで移動するのを待っている間に、電話代がどれだけかかると思ってるんですか? ヤです♪」
なんて話をしたのでしたが、考えてみたら、そんなに長時間、携帯の電池がもたないっすよ、先生(笑)。
まあどっちにしろ。 こうやって、日々、日記に書くネタにはことかかないほど、私の周りには素敵な出来事が多いので、当分は楽しく生きていくと思いますけどね^^
…だって、そのときには電話かけないと、ふたりに文句いわれそうだし^^; しょうがないなあ、もう。
☆今回の日記のふたりの言葉の他にも、友人知人ネットにリアルに、お仕事関係、たくさんのみなさんのひとことひとことで、嬉しくなったり、幸せになったりしている私です。 なにしろ照れ屋で、素直ではないので、なかなかお礼がいえませんが。いつもみなさま、ありがとうございます。
郵便物をだしにいくついでがあったので、街にでて、まったりお茶してます。 なじみのカフェは居心地がいいなあやはり。 ここはお紅茶、最初の一杯は丁寧についでくださるから好きです。 優しい指の動きとか、みているのが好き。
常連の楽なところは、お願いせずとも自然に差し湯をもってきていただけるところでしょうか? ここだと自然に柔らかな笑顔でいられます。
昨日は博物館に、青い目の人形展をみにいってきました。昭和の時代に日本とアメリカのこどもたちの心を結びつけるために、海を渡ったたくさんのお人形たちに関する展示です。 いま出先で携帯から書いているので、詳しい説明と感想は省きますが、よい展示でした。できればもう一度いって、お人形たちにあってきたいなあと思います。
早朝にレミが一段落して、今日はまったりおうちで休んでいました。 夜からは雨が降り出して、湿った夜風がいい感じ。通りをゆく車の車輪が水をはじく音をきくのも、近所の家々の屋根や雨どいをつたい流れる水音をきくのも、かなり癒されるもので。 ああ、いい夜。
徹夜で働くのも締め切りと格闘するのも好きですが、たまにはこんな夜もいいものです。
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