☆「自分のために、自分の時間を使うこと」 これが、心療内科の先生にだされた宿題みたいな自習みたいなものだったりします。
いつだったかのカウンセリングの時、先生に、冗談交じりに、 「先生、生きるってすごく疲れることですね」と話したら、
「そりゃあなたはそうでしょう。それだけ他人のために、自分の力を使っていたんでは、自分のためのエネルギーが残っているはずがない」と、ちゃかすように返されました。「今まで人のために使ってきた力と時間を、自分のために使いなさい。そうしていいんです。だいじょうぶ、あなたのようにまじめな人は、それくらい他人を突き放しても、いいかげんなことにはならないから」
☆そうか。私はまじめなのか。じゃあ、よくわからないけど、大丈夫なのかあ、と、少しずつ、「むりないひとづきあい」を実行中です。 …なかなかに難しいですが。 でも、たしかに、ひとのために使う時間を減らしていると、体が楽になるのね、と発見。そりゃそうですよね、「物理的」にそうなるわな(笑) 人間みんな、二十四時間を生きているんですから。
☆しかしまだ、どうしても、他人と接していると、「このひとはなにを望んでいるんだろうか?」「このひとを笑わせるには、なんていったらいいのかなあ」「このひとをなんとか幸せにしてあげられないだろうか?」と、考えてしまう自分がいます。 もちろん、それはどちらかというと、私という人間の長所というか、客観的にいって、人にすかれるポイントの一つなんですが、まあそれも限度があるよね、と。 生きていくのに疲れを感じるほど、笑顔でひとの幸福のために生きなくてもいいというか、「そこまで無理しなくていいから!」と、本気で心配してくれる友人知人がたくさんいる、と、実に鬱病を自覚してから気づいたんで。 いつもまわりに感謝してはいたんだけど、そのつもりだったけど、ここまで、自分が人間関係に恵まれていたって、気づいてなかった。
鬱病はそりゃ大変ではあるんですけど、「私のことをそんなに大切に思ってくれているひとたちがいたんだ!」(リアルでネットで。それから、サイトの掲示板やゲストブックにかきこんでくださった読者の方々の言葉…みなさま、ありがとうございました)という今更のような発見ができたのは、この病のせいなので、それでおっけーと思っています。 私ったら、幸せ者〜♪
私は私で、ゆるゆると、自分が苦しくない範囲で、無理なくお節介人生を生きていこうと思っています。…いややはり、ほかのみんなの幸せのためにがんばる私、というセルフイメージは、たのしくてすきなんだもん(笑)。
あとやはりね。私はたくさんのひとから、愛情をいただいているので、それを返していきたい、誰かに、世界に、還元していきたいです。
☆ただ、依存共依存の関係におちこまないためにも、「他人の人生から手を引くべきポイント」「他者を突き放すべきタイミング」に、いつも気をつけていないといけないな、と、思っています。 「無理だと思う人間関係には、もう関わらない勇気」とかも。
西新宿の空を駆け上がっていった飛行機。 すごい早さでした。キャンパスに誰かが一気に線を描いたように、さあっと飛行機雲が生まれて、消えてゆきました。
…おかげさまで、無事に東京にきて、のんびりまったりしております。
今日は、神楽坂に遊びに行ってきました。 児童文学者協会の評論研におじゃましてきたのです。シェーラをとりあげていただけたので、緊張しつつ、どきどきしつつ、お手柔らかにの気持ちもこめて、お菓子を手みやげに参上いたしました。 豪華な顔ぶれのみなさまや、初々しいお嬢さん、若手の青年などにあの作品を論じていただけて、ただ感無量といいますかなんといいますか。
自分が昔、評論をよむことで、子どもの本の書き方を学んできたということもあって、生の評論家の方々の声、それも自分が書いた本についての言葉がきける感動というのはそれはもう。
もちろんですが、作家として、今後の作品をかいていく上での、いい勉強にもなりました。
みなさまにとりあげていただけるような本が、これからさきもまた、かけますように。感謝しつつ、がんばろうと誓う作家でありました。
それにしても。 今日はお客様の身分だから、発言を控えていたのですが、「児童文学の王道とはなにか」とか、積極的に発言してみたかった気もします(笑)。
三次会の喫茶店まで、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。ほんとたのしかったです!
☆それにしても東京西新宿。そしていつものホテル。居心地がやっぱりよくて、こちらにきたばかりなのに、もう帰りたくなくて、しょぼんとしています。 長崎は長崎でたのしいんですけどね。
☆今夜は……って、前の夜の月曜日二十三日なんですが、長崎市で開催された、さだまさしコンサートにいってきたのです。
千秋楽だったこともあって、夕方六時〜夜の九時二十分まで、とても華やかで面白くて、笑えて泣ける豪華な夜だったのです。 生と死を見据えるような目で語るそのひとの歌声は、疲れていたのかかれていたのですが、神々しいくらいの響きがあって、鳥肌たちそうでした。 市長さん追悼の意味合いも濃い、一夜でした。
☆いのちがテーマのコンサートだったので、故市長の逸話の他にも、さださんのお友だちの、亡くなった方々の逸話がいくつも語られたのですが、どんなに悲惨な哀しい話でも、語っていくうちに、どこかで、上手に観客を笑わせ、ほろりとさせ、また泣かせる(でも絶望的な涙ではなく)語りの絶妙さは、ほんと凄かった…。 技術的に巧みだというのもあるんでしょうが、何より、このひとは人間をすきなんだなあ、いのちをいとおしむひとなんだなあ、と、その心が強く熱く伝わってきて、心揺さぶられました。 死を語ることで、いのちの輝きを語る人なんだな、と思いました。
あとやはり、励まされましたね。 ずばり、「我々は死んだ人の分までがんばらなきゃいけない」みたいなまっすぐな語りもあったんですが… ああいう魅力的なひとがこの地球に生きている、表現し続けているというだけで、人間という種全体を肯定したくなります。私も人間で良かった、みたいな。うまく説明できないですが。
「ありがとう」と、何回も、客席に向かってお礼をいってくださってたのが、印象的でした。「きてくれてありがとう」「長い時間つきあってくれて、ありがとう」と。 こちらこそ、「ありがとうございました」といいたかったです。 ほんとに素敵な夜でした。 大好きな「道化師のソネット」もきけてよかった^^
同じ時代に、さださんという、とにかく凄い方がいて、今年の今月の今夜、生で歌とお話が聞けたことは、とても幸運なことだったと思いました。
☆ところで、話変わって、アメリカの銃撃事件の犯人ですが。 昔いじめられていたことや、大学で友達がいなかったこととかが、事件の遠因(原因?)ということで落ち着いていきそうですが。
死者をむち打つようですが(いやどうせ相手は外国の人だし、幽霊になっても、日本語読めないだろうから書いちゃうけどさ)、そういう暗くて根に持つ性格のために、友だちができなかったんだな、とか、自分をふりかえることはなかったのかな、と。 (注…「いじめはいじめられる側に責任がある」という話ではないです。いじめはいけないことです。友だち関係の話のことです。他者に好かれるか嫌われるかの違いの話をしています)。
友だちができないのは自分がどこかしらいけないんだ、という「気づき」があって、そこから、「友だちができるような魅力的な人間になろう」とか、「人に優しくできる人間になろう」「もっと心を開いてみよう」
あるいは逆に、「よし、俺さまの価値がわからない友だちなんて、こちらからもうお断りだ。俺は研究に生きる」「ひとりでかっこよく生きてやるぜ」 でもなんでもいい、考え方を変えられたらよかったのになあ、と思います。
「この俺さまを愛さない奴らは死ね」「奴らはまちがっている、粛正だ」なんて考え方で、実は他者への屈折した甘え(依存)から、大量殺人して、自分も死ぬよりも、自分ひとりが生き方を変える方が、よほど楽で、幸せになれる道だったでしょうに…。
まだ二十歳でしたっけ。生きてさえいたら、少なくとも、不幸で孤独だったろう過去よりは、幸福な未来が来た日もあったろうに、と思います。
☆銃撃事件の彼への目線が、心なしか優しくなってるのは、さださんの歌とこないだのカウンセリングと、友人知人とかわしたやりとりの影響かもしれないなあ。でもやはり、許せない事件だということ、自分が犯人の立場なら絶対にこんなことはしない、という思いはかわりないですが。 傷ついた人々、殺された人々のいのちをおしむ気持ちも。 怖かったでしょうね…。
ゆうべ長崎市長選の開票速報を、テレビでずっとみていました。 結果は、なるほど、と思うものだったのですが…
亡くなった前の市長のお嬢さんが、お婿さんの落選のあと泣かれていたようすが放映されたのですが、そのようすが、本当に痛ましくて、お気の毒でかわいそうで。
今回の長崎市民の選択はわかるのです。市長の死が選挙の当落に過剰に影響を与えることは望ましいとも思いません。
でも。だけど、なのです。 お嬢さんの気持ちを想像すると… どんなにか辛かったろうな、と。
長崎市の夜は、ひどい雨でした。 一晩たって、今朝は空がきれいに晴れていますけれど、いまも耳の奥に、テレビからきこえた、あのお嬢さんの泣き声と言葉が残っています。
今後の長崎市が、天国の市長さんが、認めてくださるような、美しい都市であり続けられますように。 市民のひとりとして、祈ります。
2007年04月19日(木) |
今日はカウンセリング |
☆今日はカウンセリングの日でした。 私の主治医の先生の場合は(どこでもそうなのかしら)、自由に雑談とか日々思うことを楽しく話しながら、「あなたはなぜそう思うんだろう?」という質問が入ったり、「もっと楽に生きていってもいいんじゃない?」という提案の言葉が、合いの手のように入るという、比較的気楽な三十分です。
今日のお題は、二つの銃撃事件について。 心理学に興味がある人間(患者であるワタクシ)にとって、犯人の心理について、プロの人の分析を生で聞けるというのは、知的に興味深いことです。また、自分の中の怒りと憤りに落としどころを発見していくための、杖というか、水先案内人にもなっていただけるので、ありがたいことです。
先生による犯人像の分析が、「なるほどなあ」だったんですが、さすがにいろいろ差し障りがありそうなので、ここには書けないので、ごめんなさい。 私の素人考えとは違っていたので、この道は深いなあ、と思いました。
☆今日の先生の名言。 「うつ病はほんとは仕事休んだ方が良いんだけど、人によっては休むことで自分を責めて、かえって悪い状態になるから、あなたの場合はがんばりなさい。ほんとは、もうちょっとね、楽しんで、自分のために書けるようになればいいんだけどね…」
わあい。主治医に、がんばって仕事して良いっていわれた(笑)。 #先生が本当におっしゃりたいのは、後半の方の台詞だと思いますが^^;
☆帰りにスタバに行って、持参のトールサイズのタンブラーでカフェミスト。レモンケーキにソーセージのパイもいただきました。カフェミストは、熱いのにお砂糖をいれないでいただくのが好きです^^ 疲れがとれて、頭がさえ渡る感じが良いなあ。
ああ肩が痛いなあ、と思いながら、原稿とこの日記を書いてます。 肩凝りがふだんより痛いのは無理ないというか、昨夜の長崎市長銃撃事件とアメリカの銃乱射事件で、犯人に対して腹が立って、その憤りでろくにねてないからです。
銃撃事件の犯人は、「自分が責任をとります」と某ニュース番組に、殺人予告めいた遺書のようなものを送っていたそうですが、他人を殺しておいて、「責任取ります」って、自殺でもするつもりだったんでしょうが、それで許されると思わないでいただきたいものです。
アメリカの銃乱射事件の方は、犯人が自殺して終わったようですが、なんていうのかなあ。「死ねばいいんでしょ」みたいな開き直りというか、「死ねば罪は追求されないだろう」みたいな逃げや、「人殺しは悪いことだけど、かわりに自分も死ぬので許してください」みたいなまちがったヒロイズムが、とにかく腹が立ちます。
特に最後の。 「かわりに自分も死ぬので」って、無辜なる(その後の報道によると、たいていそうである)被害者の生命と、「殺人犯」になりはてたところの自分のそれとが「等価値」だと思ってほしくないものです。
ああ腹立つ。
で、この怒りはたぶん、「同族を殺すことを是とする、壊れた本能をもつ異質な同族」に対する、群れの一員としての怒りもあるんじゃないかな、なんて思っていたりします。それ+ひととしての倫理観や、被害者への同情ですね。
人類は、たとえ誰かとどんなトラブルがあったとしても、殺人で解決しようとしてはいけないのです。 なんのための、これまでの進化であり、守り伝え、築いてきた文明、文化、なのだと思うのです。
いやしかし、自分の指を紙で切っても痛いのに、目の前の誰かがころぶところをみても身がすくむのに(たいていの人はそうだと思います)、銃で撃って平気ってなによ? どういう心理状態なのか、さっぱりわかりません…
2007年04月16日(月) |
あとひといきのがんばり |
☆こつこつと、「レミ」書いてます。 今週の頭に第一稿が書き上がる予定だったのが、話がのびるのびる。
雑誌掲載時に森友さんの絵で説明されていた「ト書き」や心理描写を、文字で打ち直して足していっているので、そのぶん広がるんですね。 当初、八十枚くらいで書き上がらないかな、と思っていたんだけど、これは二百枚近くまでいってしまうかも。 なるべくテンポ良く、あっさり短い話にしたいんだけどなあ。
☆今日は朝からマンションの工事があって、騒音がものすごく、仕事にならなかった上に、肩凝り襲来だったのですが、早く寝ちゃおうかな、とか思いつつ、寝る前にあと少し、とノートの前に座ると… これはこれでがんばれる。書けるもので。 よかった。かきあげるまではさすがにいかないけど、ちゃんと前に進んだ。
☆新人以前の、投稿をくり返していた時代からそうなんですが、「休む前に一がんばり」ができるかどうかで、仕事の進展具合がだいぶ違って来るものです。明日回しにしないですんだぶん、明日は先まで原稿が書けますし。 気持ち的にも、書けなかった挫折感を味わわないですむので、多少無理しても、少しでも前に進んでおく事って大切です。
まあこの、「がんばる」たちが、体によくなさそうだっていうのは、わかってるんですが、でも、スケジュールは自分でわりふる自由業。 昨日人形の髪を洗ってくつろいだぶん、今日は働くわけです。 肩凝りしようと騒音が凄かろうと、今日の分の仕事は、今日の仕事。
☆お友だちの濱野さんに、「調子がすごくいいときと、全然だめなときの2パターンしかないような気がするんですが、調子が良いときは、あえてペースを落として書く、というのがよいのではないでしょうか」という主旨の、あったかいひとことをいただいたのですが、もちろん、すごく嬉しかったのですけど、同時に「さすが駅伝応援が趣味の人は、たとえ方が違う」とマジにうなってしまいました(笑)。 人生ペース配分が大事。
なるほどそうかも。
なんてひとりうなずく、十七日早朝でした。 (でも気分は十六日の夜の日記なので、この日付でアップ)。
2007年04月15日(日) |
春はたのしく、でも気もそぞろ |
☆ポプラの原稿が順調に進行しているので(でも枚数が増えちゃったので、話がふくらんじゃったので、予定通りには終わらないことも判明)、今日は少し休憩を入れて、鼻歌歌いながら、お人形の髪を洗ったりしてました。
ヴィンテージブライスのすみれちゃん。 子ども読者のみなさまより年上の七十年代生まれ^^ 昔のお人形です。 湯上がりでさっぱり、に見えますね。
台所でお湯だして、ゆったり洗ってリンスしたりしてたんですが、この手ざわりとたのしさはなにかににてるな、と思ったら、昔いたペルシャ猫を洗ってるときの気分に似てるのでした。 猫はいやがるけど、人形はいやがらない、そういう違いはありますが。
☆で、まったりと紅茶でも入れつつ、お仕事の続きをしようとパソコンを立ち上げたら… 心臓が止まるかと思ったのは、週末金曜日の夕方に送ったと思った、仕事関係の大事なお礼のメールが未発送のままだった!
…自分でいうのもなんですが、メール関係のドジって、ほぼしない人間なので、心臓がおどりまくるばくばく具合でした。 あわてて、今更ですが、先方にメールを発送し、追伸で、お詫びの言葉を書いておきましたが…週末だから、メールに気づくのは早くて明日の朝(涙)。
なんていうか、こういう、「お礼の」メールを送っていなかったというのは、気持ち的にものすごく、辛いですね。胸に来ますね。 時間は取り戻せないとわかっていますが、伝えたつもりの感謝の言葉だけは、ほんとはその時点に戻って、伝え直したい。 担当編集者Sさま、ごめんなさい。あなたからのメール、本当に本当に、嬉しかったんです。
☆前後して、児文協の出版企画部の連絡メールも、ごたごたしちゃって、なんかもう、情けないやら申し訳ないやら。 せめて…せめて、慎重で誠実な自分になるためのいい機会を神さまが与えてくださったのだ、と感謝して、忘れないようにします。
ああ(涙)。 いまもまだ、心臓ばくばくいってる。 心臓おどり食い状態。<違
なんとなく、うたいたい気分です。 嬉しかったり、切なかったり。 舞い散る桜をみあげているような気分の昨日今日。
お仕事の関係のことで、来し方を思い、これからのことを思って、物思いにふけっていました。
自分はこれまで、人との出逢いに恵まれてきたのだということ、いまもこれからも、謙虚にそれぞれのひとびとに感謝していなくてはということ、そんなことを考えていました。
ひとりでは、本を書いてくることができなかった。 作家でいることも、できなかった。
ま、とにかく、良い仕事をしなくてはですね^^ それが歴代担当編集者のみなさまへの、なによりのご恩返しですね、きっと。 がんばろう。
☆遅れていたポプラさんあての原稿書きつつ。
お夜食で、天かすというのか揚げたまというのか、それをご飯にさっくり混ぜて、梅干しうめて塩で握ったらおいしかった(涙)。 いつもはおにぎりは、ごま油+塩なんですが、今日は中味があぶらっこいので、シンプルに久しぶりに塩。 ルピシアのさくらほうじ茶の熱いのを、こぽこぽついでいただきました。
夜中のお仕事は、夜食の喜びがあります。
…お肉はついてしまいますが^^;
☆忙しかったり、仕事が順調にいかないときは、気持ちが焦って、食事をとらなくなってしまうので、夜食をとろうとおもえているときは、いい感じで書けているときだったりします。
なによりなにより^^
☆春ですねえ。クリスマス時期もすきでしたが、気づけば、月としては一番好きな五月がすぐそこじゃないかと思い出して、ほんわか幸せなわたしであります。
無事に、飛行機もホテルも予約が取れて、もうひとつの我が家のようなホテルに旅立つことになり、洋服は何を着ていこうかと、脳内でコーディネイトする喜び。 贅沢な服はもっていないし、にあいもしないのですが、いまの季節らしい、きれいなふわりとした色目の取り合わせを楽しみたいなあ。
近所の商店街のお店のわんちゃん。 手が…手が可愛すぎる(笑)。 目があっている間、始終犬の笑顔いっぱいでこちらをみあげていてくれました。 私は猫飼いですが、犬の柔和な笑顔もとても好きです。
☆旅行に備えて、いきつけの美容院でひさしぶりに髪を巻きました。 昨年末から去年初めにかけて、頸椎をいためていて、長いことまともにパーマをかけられなかったのですが、もう大丈夫だろうと。 毛先を軽く切って、巻いていただきました。春めいてさっぱり。
で、実はその美容院には、一人娘さんがいてですね。よくお店の机で宿題をしていたり、学校帰りや、習い事にいく前にお店でふらふらしていたり、お店にいる家族のひとたちと会話していたりしたのですよ。私はその子がかわいくてよく話しかけたりしていました。 その子は、私が最初にそのお店に行き始めたころ、小学校の低学年だったのが、どんどん大きくなっていって、中学生になり、ついに今日が、高校の入学式だったのだそうで。 制服姿を見て、幸せそうなご両親のようすを見ていたら、胸がいっぱいになってしまいました。 小さかったころが、私には、ほんとに最近みたいなんですけどね。
お店を出てから、お花屋さんにいき、きれいな薄桃色のミニバラの鉢を買って、プレゼントしに戻りました。 家族ですごく喜んでいただけて、恐縮されて、お店の外まで見送っていただけたんですが、ほんと、私もね、幸せでした。
春っていいですね。
☆一仕事、事務的な作業が終わって、お仕事に邁進できる状態に戻れました。ああ、めんどくさかった。我ながら、事務には向いていないと思います。
☆やりかけの原稿の、あれもこれも前に進めて、ささっとゴールデンウィークには、都内にうちあわせとお仕事にいくつもり。その予定ですが… 問題は飛行機とホテルがとれるかどうかにあります^^;
今回、体調のこともあって、旅行にでるかどうするか、ぎりぎりまで迷ってしまったので、スタートが遅れてしまったのが悔やまれるところ。
首尾良く東京に行ければ、今回は、はじめてお会いする担当の方とのうちあわせもあります。ちょっとどきどき。
☆新しいFAXを、今夜とりつけました。 昨年冬にできたばかりの、新しいお品だということもあって、小さいのと多機能なのにびっくり。着信音がきれいなのにも感動。 177の時報を聴いて、はい大丈夫と、受話器を置いて、これからよろしく、と、FAXに話しかけました。
古い方のFAXは、大事に台からおろして、気づかないうちに汚れていた部分を発見して、しんみりしたりしています。 壊れちゃったけど、ここまでよくがんばってくれた機械でした。
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