☆まだ二月なんだけど、と思いつつ、あたたかいのはうれしかったりする人の心の不思議。冬は好きですが、春は待ち遠しいですね。
長崎市は、いまランタンフェスティバル開催中で、人通りがとにかく多くって、華やかで、にぎやかなのが好きな私には、うれしいったらありません。
今日はカウンセリングの日だったのですが、病院の帰りに、ちょいと会場である小さな公園に足を運ぶと、昼下がりでランタンに灯も灯っていないのに、観光客のみなさんが詰めかけているではないですか。 ちょうど舞台で中国雑伎団の演技が始まるタイミングだったということもあったのですが、ちょっとびっくりしました。 毎年、人手が多くなっているという話は、本当のようです。 金魚のランタンがかわいかったので、夜にみにいかないとなー 蘇州林のマーラーカオとイカのちまき、ランタンフェスティバル限定キューピーなど買って帰りました。
2007長崎ランタンフェスティバル
*音が出ます。びっくりしないでくださいね。
☆旅の疲れの筋肉痛がようやくとれてきたので、そろそろするべきことをして、お仕事もしないと^^;
2007年02月23日(金) |
筋肉痛と帰ってきた街 |
☆毎度、旅行帰りは筋肉痛で、足腰がいててなのです^^; ふだんもたないような重い荷物もって(四輪のキャリーは使ってるんですが)、さっさか移動するからでしょうね。
昨日一日は、ぼけーっと休んでましたが、今日は午後から起き出して、明日結婚式のお友だちに祝電を打ったりしていました(^-^*) いまはパソコンから電報を打てるので、いいですねえ。 お祝い事は、こちらも嬉しいものです。祝電は短い文面ですが、考えて画面に打ち込んでいると、ほのぼのこちらも幸せな涙が少し^^ きっとよいお式になることでしょう。
☆東京長崎の移動も、何回もしていると、長崎に帰ってくるのが、むしろ里帰りで、あちらが自分の本拠地のような気がしてきたりして。 それはそれで、長崎という町のよさにも気づいたりします。 今回、空港から市内にバスで帰り着いたとき、ちょうど街はランタンフェスティバルのきれいな明かりに包まれていました。 市内の若い人たちも、旅人らしい人たちも、街中の明かりを、ほう、ほう、と、ため息をつきながらみあげていて、その中をバッグをかついで移動するのは、なんだかたのしかったなあ。 人の笑顔をみるのは好きです。
ランタンフェスティバル開催中に、毎年、屋台で中国カステラ?だったかな、蒸したカステラのようなものを買うことにしているのです。今年も買いに行かないといけません。
昨夜おそく、長崎にかえりつきました。 再度思う。四泊じゃたりない。東京は最低でも五泊はしないと、やりたいことが終わらない。
おととい、寒かった日は、夕方に童心社担当H氏とあの日記をかいたあと、またあの喫茶店に打ち合わせに戻りました。 美味しくて感じがいいうえに、窓からの眺めにインパクトがあるお店なので、自慢したくて(笑)、かれをつれていっちゃった(笑)
打ち合わせは、シェーラ新刊の原画をみせていただいたのですが… 佐竹さんの今回の絵は、奇想天外時代の絵のような、幻想文学調、レトロSF調な感じですごくきれいでした。読者のみなさまおたのしみに!
☆お店の方に笑顔で「いつもありがとうございます」と見送られ、担当氏と別れたあとは、ホテルにもどって、コーヒーハウスでお食事をいただきました。お店の方々は、当然こちらもみなさん顔なじみ。日に何回もうかがったりしますし。実は先日の新聞取材も、こちらでうけました。大好きなホテルの、いつものコーヒーハウスですから。
西新宿での日々は、空の彼方の地にあっても、やはり地つづきな私の日常、しみじみと愛着のある、穏やかな時間なのです。
とベッドに寝ながら書いていたら携帯をもつ手にりや猫が顔をのせ寝てしまった。手がしびれたんですが(笑)、この猫どうしよう?
☆今回、短めの滞在にしたので、明日は長崎に帰ってしまうのですが、残りわずかな時間、楽しんでます、東京の休日。 ほんとは今日は、お仕事関係かお友達関係か、誰かあおうかな、とか、打ち合わせしようかな、と、そのために用意していた日だったのですが、霧雨の降る寒い日でしたし、かたこりもひどいしで、無理せずに、ホテル近辺でのんびりしています。 いまは、お気に入りの高層階の喫茶店で、都庁のてっぺんのあたりと東京の地平線を見下ろしながら、まったりしています。
流れる音楽、かすかなたばこの煙、たのしそうにおしゃべりする人々の声。 ふわりと自分がつけているバナリパ・クラシックの香り。上等なおいしいお茶の舌をやく熱さと、香ばしい香り、白いカップに映える、きれいな水色。 ああ、すごい幸せ〜v
昨年仕事が進まなかった分、今年は収入がさがることが想像できるので、新宿にくるのは当分がまんしようかな、とか決意していたのですが(笑)、いすでまったり背伸びしたり、首を回したりしていると、これは私には、どんな秘湯での休日よりも、一級品のやすらぎの時間。 やっぱまたすぐにここにもどってこないとな。
☆あと、やはりこちらには友達がいるわけですよ。 私は基本的にはひとりで生きていけるし、誰かによりかかるのも好きではないのですが、ときどきは、好きなひとたちとわいわいきゃいきゃいしたり、文学や人生をかたらう時間が必要なので。 雑踏をみているのも好きなんですが、仲間と雑踏の中に混じっている時間、というのも、人間であるところの私、の幸せを感じる時間。生きている、その生の鼓動を感じる、きらきらした時間であるわけです。
…ああ、なんかいいたいことがうまくかけないなあ。つまり、日曜日にいっしょにいた、季節風ファンタジー研究会の、古いなじみのみなさん、ありがとう、ということなのです。
そして、月曜日に新しくであってくださった、お友達の皆さん、ありがとうございます。みなさんと、仲良しの研究家のくまま嬢、尊敬する児童文学者協会の先輩作家批評家のみなさまに、あんなに優しく迎えていただけて、とてもうれしかったです。 当日、神楽坂にいくまでは、どれだけいじめられるだろうと(笑)、どきどきしながら胃が痛かったのですが。 昨日も申し上げましたが、「自分の作品が児童文学を好きなみなさんの研究の場で話題になり、その研究会の場に、作家としておじゃまする」というのは、作家として、とても光栄な、夢のような時間です。昨日、研究会の場にいる間も、二次会の席でも、帰る途中、宿に帰ってから。何度も、「夢みたいだったな」と、思い返し、かみしめていました。 ファンタジー研究会の皆様、本当にありがとうございました。
☆も一つの方のファン研、こと(笑)、季節風ファンタジー研究会のお仲間の皆様も、ありがとうございました。 笑顔や優しい言葉、さしだされる甘いお菓子のおみやげは、なによりも心のエネルギーになります。 友達がいるということは、少しでも必要とされていると実感するということは、自分では忘れがちな、自分の生命の「価値」に気づかされるということでもあります。 「そうか。私は、このよい人たちからどうやらすかれていて、大切にされているんだから、幸せで健康でいなければいけないんだ」みたいなことに、やっと気づいてみたりする。
私が、みんなが幸福であることを祈り、喜ぶのと同じように、このひとたちは、私の幸せを祈ってくれるんだな、と。 それが、笑顔の意味なんだな、と。
少し照れくさいですし、べたかもだけど、でも、日記に記しておきます。ほんとの思いだから。自分で忘れないように。そしてみなさんに、心からの感謝を。 東京でであったみなさんが、みな幸福でありますように。
☆日にちが足りないなあ。もっと東京にいたかった。 がんばってお仕事して、次は長逗留にするぞ。
☆明日から東京です。荷造りも無事終えて、ただいま旅行前の最後の準備をいろいろとしているところです。 今回、首の調子がまたいまいちよくないので、なるべく軽めの荷物にしたつもりですが、どうかなあ^^;
☆ここ数日は、踏切の事故で亡くなった巡査さんや、その周辺の方々のことを考えていました。自殺したかった女性の方や、電車を運転していた運転手さん、事故を見てしまったひとびと。 どれほど多くの人の心に、深い傷を残したのかな、と想像すると… 巡査さん自身の最後の思いを想像すると… 巡査さんには、本当に助かっていただきたかった。いまも涙が出ます。
例によって、事件事故悲劇が「ひとごとでなく」ダイレクトに心にくる体質なので、かなり打撃でした。 心をそちらからそらそうとしても、すぐに地獄のふちをのぞきこむような、暗澹たる悲しい気持ちに沈み込んでいってしまう。
なんていうか、この、ハイパーに他者の「痛み」にシンクロしてしまう感情というのは、何ヶ月か前にも日記にも書きましたが、私自身の作家としての才能の源でもあるのですが(この「能力」があるから、作品が書けるのだと思う)、同時にやはり自分の心をさいなむ刃でもあります。 日常のニュースの中で、被害者やその周辺の人々の心に共感し、同情するのは、ひとならば大小みな持っている共感する力なのですが、私はその度合いが激しいらしく、それがひとなみはずれていることに、実はカウンセリングに通い出すまで気づいていませんでした(苦笑)。そりゃ、どこか変だな、とか、私ってわりと善人?とか考えてはいたのですが、どうも、「病的」レベルの共感をしているらしく。 たぶん私は、因幡の白ウサギの肌みたいな心で、日々のニュースに接しています。
そのあたり、病気と健全の境目って、ほんとあやふやだと思います。また、「病的」であるらしい私は、自分の共感能力(といっていいのか)が、そこまで過敏で激烈なものだとは思ってなかったので、治療の対象になるのだとも思っていなかったですし。 あるいは…私だけでなく、もっとたくさんの人たちが、私のような「他者のいたみ」に過敏な生きづらさを抱えて生きているのかもしれないな、と思います。
☆そういう私と同類の人たちのために、私がカウンセリングで先生に教わった(というかロールプレイングだから、自分で気づいたこと、というのかな?)考え方ですが… この話は、日記には書いていなかったですよね?
私が昨年の夏に、「事故で子どもを死なせた学生さん」や「死んだ子ども」「目の前で子どもに死なれたお母さん」「過去に戦争で死んだ人たち」の悲しみや苦しみに同調して、どうしようもなく、泣けていたころ。 先生にその話をしたら、診察室の椅子を指し示されました。 「いまあなたがかわいそうだと思っている人の気持ちになって、そこに座ってごらんなさい」 私が座ると、先生は、もう一つの椅子を、私に向かい合わせて、 「いまこの椅子に、あなたのことを思って、泣いている人がいます。あなたは、その人を見て、どう思いますか?」 「ええと…泣かなくても良いのにな、と思います」 「そうですね。では、なんて声をかけてあげますか?」 「ありがとう」
ありがとう、その言葉は、自然に口からでてきた言葉でした。同時に深い感謝と親愛の情がわいてきました。 その場でまた泣いてしまったのですが、それはとても暖かい涙でした。
他人の悲しみも喜びも、同調し、共感することは大事なことだと思います。そもそも、他者の感情に共感し、同調することによって、人類というひとつの大きな群れは、存続していくのだとも思います。 でも、ある一線を越えてまで、共感しすぎてはいけない。他者の悲しみにひきづられすぎて、自分が不幸になることを、その他者及び、「群れ」(人間社会、といいましょうか)の他のメンバーは望まないからです。泣いてくれたことに感謝はすれど、不幸までもはのぞまない。 むしろ、「あなたは幸せであってくれ」とのぞむだろうと。
私は、人間という生き物が好きだし、人の中で生きることも好きなので、今後も過敏な自分をもてあましつつ生きていくと思いますが、でも、昨年の夏のカウンセリングで、楽になったと思います。 そしてもし、私と同じ傾向にある人がここを見ていたら、この思考法がなんらかの参考になるといいなあと、思います。 うちの主治医の先生はネットはみない人だというので(笑)、ここはごらんになっていないと思いますが、感謝しています。ありがとです、先生。
☆連休中のとある1日。真夜中です。 長時間、机の前に座って仕事していると、腰が痛いので、ベッドに寝たり起きたりしながらゲラをみていますが、そうすると首と肩がこるしなあ… どういう姿勢がいいのやら。
再校ゲラも不思議なもので、これだけ何度も読み返しているのに、まだ不備があって赤をいれたくなる。 あ〜もう。
でも、また今回も名作だと自画自賛♪
☆最近、さだまさしがマイブームになっています。 思い切り時期はずれなんですが、「つゆのあとさき」とか。きいてるときれいな気持ちになる透明感。 「happy birthday」とかも好きだ。「happy birthday」は、人生の応援歌ですね。詩が泣けます。あとやはり「道化師のソネット」は詩も曲もアレンジも素晴らしいと思う。「風に立つライオン」は、詩が長編小説みたいな密度の濃さと感動が。なんであんな凄い言葉がでてくるんだろう。
なんていうか、長崎市に住んでいると、あまりにもあまりにもベタすぎて、さだまさしの方から目をそらしてたあまのじゃくだったんですが、いいですよ、もう負けた(笑)。いいものはいい。 今夜も着うたフルで入手した、「道化師のソネット」きいてるのでした。
この日記よんでくださってる若いひとやこどもたちも、気が向いたら、どこかでさださんの歌をさがしてみてね。好きになるかもよ。
☆ここのところひきこんだ風邪が、いまいち治らないので、あったかいお風呂に入ろうと、真夜中思い立ちました。 で、そういえば今日の新聞をまだよんでいなかった、と思い出したので、お風呂で半身浴しながら、読んでいました。
忙しいと、どうしても、新聞を読む時間をすっとばしてしまう。でも、新聞を読まないと、頭が退化するのがわかっているので、新聞を読む時間は確保したい。それには、「真夜中にお風呂で新聞」っていい考えじゃん!
とか、その時は思ったんですが、どう器用に読んでも、新聞がぬれてふわふわになってしまうので。すると、この新聞を古新聞のごみの日にだすのには、美的に抵抗があるので…かといって、燃えるゴミの日にはもったいなくてだしたくないしなあ、で。 真夜中に半身浴しながら新聞プランは、ちょっと毎日は無理そうです。
☆いろいろ日常ネタはあるんですが、いまいそがしいので、また今度^^
☆図書館版ハードカバーの新シェーラがでました。 とりあえず、一巻から五巻がでています。残りは来年初めくらいの予定。 図書館さんのために作られている本ですが、ネット書店では一般のご家庭でも購入することができます。 ハードカバーでそろえたいと思われていた読者の方は、ネット書店さんでさがしてみてください^^
☆細かなお仕事いくつかすませたら、なぜか筋肉痛が襲来です。 今日あたり本当は、小さなパソコンもって、お外で「レミ」をかくつもりだったのに、ばりばりに痛いので、無理せずお休みの日にすることにしました。 こんなときくらい、自由業の利点、いつでも休めること、をいかさないと(笑)。
いまは六日の午後三時近く。 ひざの上に充電中のSA1Fをのせて、ベッドに腰掛けてます。ゆたんぽをそばにおいて、布団の上には、アメックスとJCBのインプレッションゴールドとザ・ゴールド何冊か。枕元にブルックスの魔法瓶みたいなさめないマグカップにいっぱいれたコーヒーを飲みつつ、これから癒しの時間を過ごすつもりです。 カード会社の会員さんのための本って、飛行機の機内誌みたいで、きれいな写真と記事がたくさんで、よんでいて心が穏やかになったり陶然としたりで好きなのです。
明日には、シェーラの再校ゲラが到着するので、お休みの時間はいまのうちにゆっくりとっておかないと。
そうそう。盛り塩にこりだしたというはなしは、書きましたっけ? 少しずつ家をかたづけながら、ぽつぽつと塩をおいていってるんですが、気のせいか、家の中の空気が違う? 特に夜中とか顕著なんですが、神社のような清浄な空気がはりつめるような?
これが自己暗示なのかどうかはわからないんですが、大事なのは、根拠があろうとなかろうと、盛り塩をすると気持ちがいい、と、私の脳は感じるとわかたので、当分、こってみようと思います♪
☆まだ「レミ」にはとりかかれず、児文協関係のお仕事続行中です。 でもこれはこれで、ひとづきあいが楽しいから良いのです^^ 「ひとといっしょに仕事する」って、ほんと、経験ないことだったので、こころあたたまる〜。
☆出遅れたのはですね。 リーノ …世界観といい服といい、まるきりツボなお人形じゃないですか。 予約しそこねちゃったい(涙)。 いつかどこかでご縁があれば、と思います。
☆働く日々であります^^ いまも、児文協広報部さんからご依頼のあった、短い文章をメールで事務局に送った直後。 この日記を書いて、ミクシィをのぞいたら、あったかい金柑茶でもいただいて、寝ようと思います。ただいまもうすぐ朝の五時。
長崎市内、夕方には雪が舞っていました。 いまはどうなのかな? 通り過ぎる車の車輪の音は、ぬれた地面の上を走るおとなのですが。みぞれみたいに積もっているのかな。
今日は、おうちでのんびり、これも児文協の関係のお仕事をするつもりです。それがすんだら、いよいよ「レミ」第一巻の原稿を書かないと。 杏実さんから、かわいい小さなお稲荷さんをいただいたのですが、この子はのちのちレミにだしてしまおうかと、イメージがあふれてきました。 ありがとうでした、杏実さん^^
☆そうそう。三十日の、シェーラの初稿ゲラを郵便局にだしにいったときのこと。例によって、夜更かしして、朝までの仕事になり、そのあと仮眠をとって、またしあげてからだしたのですが… 毎度、ゲラのあとは、頭がへんに偏った感じに集中していて、どこかぼーっとしていたりもするのです。それが寝不足とあいまった感じで、童心社担当H氏からいただいたファックスとか修正液とかいれた、童心社さんの封筒を、郵便局のカウンターにおいてきてしまったのでした。 前にも日記でふれましたが、わたしは粗忽者なわりに、落とし物忘れ物は、まずしません(いつだったか、日記でなくしたかもと嘆いていた、古いオレンジ色のチェックのポーチも、結局はその後、荷物から出てきたくらいで^^;)。
あのときは、本当に、ぼーっとしていて、長崎中央局からの東京行き翌朝便のタイムリミットの午後三時にまにあわせなきゃと焦ってもいたしで、すこーんと抜けたんでしょうねえ。
郵便局を出て、担当氏に送りましたのメールを入れて、そのまま、しばらく歩いて、はっと気づいて郵便局に戻ったのですが、郵便局の方々に、あたたかく迎えられてしまいました。 そうです、「市内在住童話作家」として、いつのまにか、市内の郵便局で名前と顔を知られているワタシ^^; 「ああお忘れになったんだなあ、と思いましたので、ご自宅にお送りしようかと思っていたところだったんですよ」 忘れ物が、自宅宛の封筒だったこともあって、そのまま、大きな封筒に入れられて、きれいな字で、宛名書きされて。我が家に送っていただけそうになっていたできたての封筒。 「お仕事がんばってくださいね」という、暖かいエールが、言葉にせずともつたわるきらきらのまなざし数人分にみつめられて、ありがたく受け取って帰りつつ、なんとなくかっこもわるいしで(笑)、翌朝便の封筒と送り状をいただいて帰った私であったのでした。
…今度は、時間に余裕を持って行動しよう^^; でも、嬉しかったんですけどね。 ありがとうございました、中央局のみなさま。
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