日々の泡・あるいは魚の寝言

2006年06月29日(木) 帰ってきました

☆東京滞在中、おつきあいいただいたみなさま、ありがとうございました^^
たくさん、みなさまからよいものをわけていただいて、復活しつつあるむらやまでございます。
(夢さん、お花、無事に長崎につれてきたよ^^ ニオイゼラニウムも入っていたので、あれはあとで、挿して増やすよ^^ ありがと☆)

佼成出版社、Fティ様v お仕事がんばりますので、まっててくださいね。
童心社H氏、「やっぱり村山さんはスゴイですねえ」の一言、ほんと、嬉しかったです。ううう(涙)。シェーラがんばってかくね。

ファン研のみなさま、またあいましょうねえ。
杏実さん、握手パワー、ありがとう^^

☆長崎に帰る飛行機が遅れて、帰宅が深夜になってしまったのが、年寄りな私には多少厳しかったですが、今回も、よい旅行でした。

☆<病院日記>
カウンセリングの日を木曜日に変えていただいて、今日がその日でした。
「がんばらない」「無理しない」「たのしく楽に生きる」ことのお勉強中。

今日の収穫。
「他人を傷つけてしまった、と、あなたが悩む必要はない。その人は、怒っているだけです。だからほうっておきなさい」
…うーん。この場で言葉だけ書くと、ニュアンスが伝わりにくいですね。
つまり、『他人の感情に、自分がそこまで責任を持つ必要はない』ということのようです。

もうひとつ、私の中で、長年耐え難く苦痛だったことがあって…
それはつまり、「目の前にいない」「小さないのち(子どもとか鳥とか動物とか)」が、苦しんだり死んでいったりするようすを想像したりおもいだしたりして、どうしようもなく悲しんだり憤ったりすることがたまにあるわけです。
でもそれは、現実に起きたことだったり、あるいはこれから起こりうることなのですが、その時点では、私の「想像」(イマジネーション)でしかないので、実際にはその「いのち」を救いようがなく、ただ苦しいばかりの時間を過ごすことがあるんですね。
なまじ想像なだけに、自分自身の苦痛や悲しみよりも、おそろしく心が揺り動かされて、どうしようもなくなるときがあるのです。

「そんなとき、先生、どうしたらいいんですか?」と、たずねたのですが、
先生は一言、「泣けばいいんです」と。
「悲しいときは、泣けばいいんですよ。泣いていいんです」
いわれたとたんに、ぽろぽろ泣いていました。
あれはちょっと不思議な時間だったなあ。
その涙はすぐに止まって、病院からの帰り道は、心が軽かったです。

☆「無理しない」「他人を大事にしない(自分を犠牲にしない)」練習中のため、ネット関係にもなかなかでてこなくなっていますが、もう少ししたら、よいあんばいをみいだせるときがくるような予感がします。
もすこしまっててくださいね。
メールも、いただいても、ほとんど返信ができなくなっています。申し訳ございません。でも、すべて、きちんと拝読していますので、ご安心を。

☆<香水日記>ユーフォリア・ブロッサム
おとなっぽい、辛口なお花の香り。梅雨時にも重たくならないです。
ラストにアーモンドっぽい香りが残るけど、これはなんだろう? アーモンドなのかな?

☆じんましんの方は、東京滞在中にリンパが腫れてひいたのを最後に、すうっとひいていきつつあります^^
心配していただいたみなさま、ありがとうございました。

円山夢嬢に、「病院に行け、点滴してもらえ」と叱られましたが、診察と点滴の時間に、どれだけ仕事ができるかと天秤にかけ、ホテルで仕事した私。
結果としては、腫れはひいたし、仕事は終わったので、よかったよかったv

…「がんばらない」「無理しない」という、病院で出された宿題は、まだ当分、できあがりそうにないですね^^;
いつまで続く、カウンセリング…。
(でも、取材にもなるから良いか、と、やはり思っていたりするし…)。



2006年06月21日(水) あちあち

☆気温が急に上がったので、早速、暑さに負けています。
毛皮着た猫二匹が元気なのが信じられない。人間よりただでさえ体温高いのに、涼しい顔をしています。

☆土曜日から数日の間、東京に行くので、今日はその準備の荷造りをしながら、家の中を片づけたりしていました。
よく晴れた日だったのですが、さきほど、夕方に通り雨が。
あっという間にやんで、また晴れたのですが、ああいういかにもな夕立ってひさしぶりだな、と思いました。

それにしても、気温の変化についていけないなあ。
あいかわらず、じんましんはよせたりひいたり、という感じです^^;
もう写真を撮って残しておこうかしら。

☆メール関係など、遅れ気味ですが、すみません…。



2006年06月16日(金) 今日のカウンセリング

…カウンセリング日記になりそうだなあ^^;

「イヤなことはイヤだ」とはっきり発言する練習を、今日もする。
「ふてくされたひとに対する対処の仕方」を学ぶ。
どちらもロールプレイで、当事者のそれぞれの立場の気持ちになってみて、先生の指導の元、自分で「発見」する。

私はつい、「他者」を軸とした考え方をしてしまうので、そうではなくて、自分自身の快不快をちゃんと感じることや、「生きていたい」「幸せになりたい」という想いを、第一に考えるようにしなくてはいけない…らしいんですが、「身を捨てること」を美学だと考えるようにして生きてきたので、その「当たり前の生き方」が、私にはなかなか難しいです。

自分の感情優先で生きようとすると、私は強い罪悪感を感じて、いたたまれなくなってしまうのですが、先生にそれは、「あなたの心の中の『子ども』が、(そんなことをしたら)身の回りの人たちに見捨てられる、という不安に怯えているのです」と教えていただき、なんだかがーんと。

「周りの人たちはどうでもいいんです」と、先生はおっしゃいます。
「他人(の感情)を気にしてはいけません」と。
ふてくされているひとをみると、私は、「きずついているんだ、かわいそうに。なんとかしてあげなければ」と思ってしまう癖があるようなのですが、先生とのロールプレイでわかったこと。
「ふてくされているひとは、傷ついているわけじゃない。怒っているだけなので、ほっときなさい」

…うーん。まあそうですよねえ^^;
でも、ロールプレイの場では、目の前に、想像上のふてくされている人が出現すると、申し訳なさのような、同情のような、憐憫のような感情で、胸がいっぱいになってしまうんですよね。
「ああ、かわいそうに」という感情に近いかな?
自分がマイナスな感情を抑え込むたちなのに、他人のマイナスな感情には、過敏に反応して、癒してあげたくなってしまう。

共依存体質ですね。
いかんいかん。
ここで治さないと、私もだけど、まわりのひとみんなを不幸にしてしまう。
「私は私、あなたはあなた」という言葉を、心で唱えなければ。

☆今日、先生と一緒に唱えた言葉。
「私は、誰かに心をかえられることはありません」
「ほかの人も、私に、心を変えられることはありません」
それができるのは、自分自身だけですから。

☆と、ここまで書いて、今日のカウンセリングを追体験するだけで、疲れてしまったので、つづきは、機会と気力があったらまたかくかも…でも、時間がなかったら、かかないかも。

うん。「気が向いたら」、書きますね^^
…自分に負担にならないような発言をがんばってしてみた^^;

☆<香水日記>フルール・ド・オゥ。かろやかに甘い、水の香り。



2006年06月11日(日) 生きてますよー

☆はーいこんばんはー。
いきてまーす。
ただちょっと、熱とじんましんでだるいので、ネットにあまりいないだけですー。
メールその他、返事がなかなかかけなくて、すみません。
ほんとに、シンプルに、具合が悪いだけなんです^^;
それにこの「具合の悪さ」は、たぶん、よくなってゆくための、ひとつの過程なので。あまり心配はいらないとおもうのです。

…と書いておかないと、なんかあちこちに心配をおかけしているようなので^^;
いきてますよー。いきてまーすー(笑)。

☆あと、カウンセリングについての質問のメールが、何通か。
ええと、先生によると、私がいま受けているのは、交流分析+ゲシュタルト療法、だそうです。
じんましんその他のからだと心の症状があるので、カウンセリングと少しのお薬で、治療をはじめたところです。
当分は、毎週通院することになりました。

今まで、頭痛肩凝りに悩もうと、不眠症になろうと難聴になろうとめまいが起きようと、適当に薬を飲んで、だましだましやってきていたのですが、ここが正念場、というか、年貢の納め時、という感じのようで。
ちゃんと根本から、治してみることにしました。
それに、自分でも自分の心の奥底が見えてくるのは、いままでそばにありながら知らなかった、驚異の世界をのぞくようで面白いですし。
目には見えなくても、蓄積していた傷や疲れが癒されていくのを、たしかに感じるので、通院を続けてみようと思っています。

あとやっぱり、学問としての「心理学」って、おもしろすぎる…。
治療を受けながら、知識も臨床で(!)増えていくし、仕事にも役に立つので、これはかなり、よい経験だとおもっています。
ただ、カウンセリングというか…ロールプレイがかなりハードですけどね。終わったあと、やはり熱とじんましんがひどくなりますし^^;
過去の傷口のかさぶたをはぎとって、消毒して、薬を付け治して、治療し直し、みたいなことをしているわけなので。

☆そういうわけで、出版社の皆様。今後、金曜日の午後は連絡取れないこともあります^^;
担当さんたちは、あらかた、みなさんここを読んでくださってるのがわかっているので、すみません、ちょっとだるいので、ここで業務連絡させてください。
(他の曜日にかえてもらっていいものなのかどうかが…私にはちょっとわかりかねるところがあって。
かえられるなら、木曜日あたりの方がいいんだけどなあ…)。
ここをこえるとまた、新しい地平が見えてきそうで、それはきっと、お仕事にも生きてくるはずなので、少しだけ、見守っていてください。

☆しかし心理学。
「ゲシュタルト療法その他について、自分で本を読んで勉強して良いですか」、と、先生に問うたなら、「知識がまっさらなほうがいいんじゃないですか^^」と答えられ、でも、知りたい気持ちは抑えられず、検索エンジンで、<ゲシュタルトの祈り>などにたどりついて、「ああ」と思ったりしています。

人の心は、その人と、まわりの人々が作り出すもの。出逢いが作るもの。
けれど、ひとつひとつの心は、その人ひとりのもの。

☆今日は、何時間もかけて煮豚を作りながら、いろいろと横でお仕事をしていました。今日もちゃんと働けた^^ ありがたいことです。

<追記>
先週のカウンセリングで教えていただいた、大事なこと。
「怒りの感情は、否定しなくても良いし、自分の中で、押さえ込まなくても良い。それが他者への(やつあたりなどの不当な)攻撃にならなければ良いんですよ」
言外のニュアンスで、「不当でなければ、時として攻撃も可」と、先生がおっしゃりたそうな感じを受けたのも、記憶しています。

マイナスな感情をむき出しにするのは、みていて見苦しいとおもうたちなので、自分もなるべく、そうでないようにと思いがちなのですが。
まあ、不健康にならない程度に、無理なく、かっこよく生きていきたいもんです^^;



2006年06月08日(木) ころんでもただでは

…ていうか、自分の心との格闘をしている間に、バックグラウンドで、草炎社さんにお渡しする予定の原稿の、いちばん大事な部分の、まだできていなかった設定が、きちんとできあがっていました^^

ファンタジーって、心理学なんだなあ、とつくづく思う今宵。

夜九時少し前、細かく作り直した設定を、草炎社担当Y青年にメールで送ったところで、今夜の晩ご飯でもいただきましょうか。

明日は第二回目のカウンセリングですが、まんま作品の取材になるのが、とっても嬉しいです。カウンセリングがハードなんだから、せめてそれくらいはいいことないと辛いじゃないか(涙)。

先生にユング心理学とシンボルについて、うかがってこよう^^

病院にいったあと、近所の大きなスーパーで、夕食のおかずを買って帰る予定なのも、なんだかささやかに楽しみです。
おそうざいコーナーで、あげたてのコロッケや天ぷらを買うのも良いし、お刺身もいいなあ^^
猫たちにも、猫缶を買って帰ろう。



2006年06月06日(火) 蝶とカウンセリング

☆実はカウンセリングの余波というか、揺り戻しのような症状で、気が滅入るので、ネット落ちしています。
こういうときに、無理に掲示板にかきこみをすると、暴走したりはずしちゃったりで、失敗することがわかっているので。

かもめ亭のお祝いレスのパート2もさせていただこうと脳内でたのしみにしているのですが、もう少し落ち着くまで、ちょいとまっていてくださいましね。

☆カウンセリングをはじめる前に、先生が、「かなり辛いですよ」とおっしゃったのは、カウンセリングやロールプレイの「そのとき」だけが辛いんじゃなくて、家に帰ってからの、このダメージのきつさのこともおっしゃっていたのでしょうね。
まいったなあ、もう。
いったんおさまっていたじんましんも、またふいてきちゃうし。

☆先生に指摘されたことをきっかけにして、自分の心の中で、勝手にプログラムが動いて、記憶や思考を洗い出していっている感じです。するとその多くは不快な記憶や、思考を想い出すのに連動して、体のあちこちが熱くなってきて、かゆくなる感じ。
じんましんというのは、まったくもって、「言葉にできない言葉」で、声にするかわりに、皮膚にあらわれる感情なのでしょう。
昔に読んだ森田療法の本にでてきた、ある患者さんの症状そのままなので、すごいなーと客観的かつ冷静に、ぶつぶつをながめています。
すごいのほんとに。あっちもこっちも、虫さされ状態。蚊もいないのに。

☆うちの弟が、「カウンセリングって、こころのデフラグって感じなのかな」とか、うまいことをいっていましたが、まさにそういう感じ。
このデフラグは、いつ終わるんだろう?

あまりに気が滅入るので、仕事のテンポがのろくてのろくて。
この二日は、ポプラ社さん偕成社さんと、電話で打ち合わせしたくらいしか、作家としては、ちゃんとしたことはできていないです。
あれもこれも、しめきりは迫ってきているわけですが。

…だけど、これで一作、リアリズムがかけるなあ、いい取材になった、とか思っている作家の自分もちゃんといたりするわけです。

そして、「仕事ができないなら、いまのうちに」と、加湿器をしまうかわりに扇風機をだしてきて羽を洗ったり、春物冬物のお洋服をかたづけて夏物を出したり、部屋を片づけたりしている私もいるのでした。あ、毛布も洗った。あとはクリーニングやさんにいけば一段落。

…仕事は遅れているけれど、住環境はよくなったなあ、我が家。

☆そうそう。カウンセリングを受けているときに限らないのですが、自分についての思考をはじめると、不思議と部屋を片づけたくなりますね。あれはきっと、心理学的な理由があるのでしょう。物理的な整理整頓と、脳内の整理整頓はやはり連動しているのかしら。

もうひとつ。ここのところ、春くらいからかな? モチーフとしての「蝶」に凝り出して、小物を集めているのですが、蝶というモチーフが持つ象徴性や暗示を考えると、いまカウンセリングを受けている自分にいたる流れがみえてきて、興味深いような感じがします。

#子どものみんなのために少し解説。
「蝶」は、古来より魂や心、愛の象徴であり、同時に、幼虫からさなぎ、蝶へと姿を変えることから、変身や成長を暗示する存在でもあります。
またはばたく姿から、自由や解放への憧れも暗示していたと思います。
不思議なことなのですが、人の心がかわってゆくときには、そのときの状態と関連したモチーフが人生に登場してきたり、そのモチーフをことさらに意識したりするのです。これはたしか、ユング心理学。

しかし、心理学とオカルトは、きわめて近いなあと今更ながら。

☆雨子さん、メールありがとう^^ カードの文字制限があったので(笑)、いっぱい書けなかったけれど、いいたかったことは書きました。幸せを目指して、前に進んでいってね。
私もがんばっているから^^

<追記>で。
☆ニムエ姫。日記拝読しました。
まあなんていうか、絞首台の笑いは、そういうことみたいですね。
めるりんさんがいて、よかったですね^^ 彼は本当にいいひとですねえv



2006年06月04日(日) いろいろ

☆<じんましん日記>
今日は、おでこにでました。ひじょーにかっこわるいです。
でも、一時期よりは軽くなってきたというか、カウンセリングを機会に、あきらかに体の具合が上向きになってきています。

あ、そうだ。まずは大事なお知らせですが…
現在(日曜日深夜)、サーバの関係で、かもめ亭に、アクセスできなくなっているみなさんがいらっしゃいます。
具体的に書くと、海外の方や、プロキシ経由でいらっしゃっている方の一部か全部かの方(大手プロバイダのプロキシでも、です)には、日曜日夜の現在、かもめ亭はごらんになれないです。
明日月曜日くらいまでには、たぶん、もとどおりになるとおもいますので、少しのあいだ、まっていてくださいね^^
(しかし、ミルクカフェさんのサポートが早くて誠実なのは、毎度驚かされます…)。

<追記>日曜日深夜、月曜日の早朝よりは早い午前二時過ぎには、無事、元通り、CGIにアクセスできるようになりました。ご心配をおかけしたみなさま、すみませんでした。そして、CGI騎士団のお兄様方、ありがとうでした☆

☆moraでレベッカの曲を大量に買ってきて、どんどこかけて、ひとりでハイになっています。二十代で、一番未来がわけわかんなかった時代にきいていた曲なんですが、あの頃の曲を聴くと、なんでこう元気になるのかなあ。
むやみやたらと元気とやる気だけがあって、前を向いて進んでいた、あのころの自分が、少しだけ体内によみがえるのかしら?

☆交流分析。
私はどちらかというと、森田療法に興味があったんですが、担当のお医者様の、「あれは誰にでも(患者を選ぶという意味)できるってものじゃないですよ」の一言とともに、交流分析のロールプレイにまきこまれていましたね^^;
でもいつか受けたいな、森田療法も。

交流分析は、実は、大学に通っていた頃、心理学の講義の時間にふれる機会があったのですが、そのときはぴんときていなくて、あまりまじめにきいていませんでした。ひとごと、という感じがしていたような気がします。
あれがいまなら、と思います。
でも、「いまだから」こそ、自分の気持ちや記憶を冷静に分析できるのかもしれないし、これもまた巡り合わせ、必然だったのでしょうね。
こうやって、学習の機会がまわってきたのは、幸福なことです。
金曜日はまた、カウンセリング。



2006年06月03日(土) ちょこっとお知らせ

現在、ミルクカフェのサーバが不安定になっているようです。サイトが表示されないときもあるかと思いますが、心配しないで下さいね^^
たぶん、月曜日くらいまでには、落ち着くんじゃないかと思います。



2006年06月02日(金) 交流分析

☆じんましんがいっこうに引かない上に、首に出て顔に出て、咳も出てきた上に熱が出てきたので、予約しておいた心療内科にいきました。
皮膚科よりそちらに直行したのは、元もとのじんましんもち(という言葉があるのだろうか?)で、経験上、ストレスや疲労が重なったときにでるとわかっていたから、です。
(あ、もちろん、これで治らなかったら、ちゃんと皮膚科や内科にも行きますよ。それとこれは、大事なことですが、私は自己責任で直感で心療内科に直行し、今回は皮膚科にいかなかったのですが、ほかの方にはこのやり方はおすすめしません。じんましんって、死ぬ可能性もなくはない病気です)。

昔、父が死んだ数年後に、急にものが食べられなくなった時期に通っていた病院があって、そこにひさしぶりに通うことも考えたのですが…
その病院は、当時、待合室がいつも混んでいて、他の患者さんに気を使う(私が)のが辛かった記憶があり、新しいところを開拓しようかな、と、思いました。ネットで探して、とある病院を選びました。

きれいな病院で、雰囲気が優しげでよかったですね。
で。
簡単なロールプレイとかしたのですが…
うーん。なかなか、病気の根が深いかも。
これから、たまに通院して、カウンセリングを続けることになったのですが、子どもの頃の辛い経験とか、掘り起こされてゆくことになりそうです。
私の場合、感情を抑えずに、面に出す訓練をしていかなければいけないらしく。
(つまり、言葉にしない、自分で押さえこんでいる感情が、じんましんという現象になって表出するわけですね。ちなみに、森田療法の本あたりを読むと、症例としてでてきたりします>じんましん)。

今日、覚えたのが、「絞首台の笑い」という言葉。
「あなたはなぜ、過去の辛い話をするときに笑うんですか?」
いわれて、どきっとしました。
そのとき、自分ではあまり、自分の表情を、意識していなかったので。
普通に、仕事の打ち合わせをするときのように、「相手にわかりやすく、上手に構成しながら」とだけ考えて話していたら、かなりヘビーな話も、明るく話していました。…無意識に、このネタは明るく、と思っていたかもしれない。でないと「話せるものじゃない」から。
「カウンセリングの間は、笑わないという約束ができますか?」と、先生が、おっしゃいました。「それは、『絞首台の笑い』ですよ」と。

☆心理学関係の本は一時期、よく読んでいたのですが、その言葉は勉強がたりていなかったのか知りませんでした。帰ってからネットで調べてみたのですが、交流分析の方の言葉なんですね。
自分を守るために、自分をごまかすために笑う笑顔だと、先生はおっしゃいました。
悲しい話は、悲しい顔で話さないといけないんですよ、と。

「辛いカウンセリングになると思いますよ。治ったら、小説かけなくなるかもしれないし」と、先生はおっしゃったけれど、いまの状態がよいとも思えないので、しばらく通院してみようと思っています。

取材もかねて(笑)<というふうに笑うのはよくないのね^^;<これもだ!

☆今夜は、右のひじのうちがわが、劇的にかゆいです。ああもう。
今週は、自重して働いていかなきゃみたいだけど、週末は、草炎社さんご依頼の原稿のおおまかなあらすじをまとめるつもり。どんな物語にするかは、先日、東京で、担当Y氏ともりあがって話し合いながら、作り上げているので、あとはまとめるだけです。ていうか、自分で楽しみ。
話していただけの物語が、目の前に、文になってあらわれていく瞬間って、これはもう、作家やっていてよかった、と思う時のひとつだと思う。

それがすんだら、東京行きで中断していた、「ミラクル」のつづきも書かないとだし。
あ、あと、偕成社の「砂漠の歌姫」の、巻末の年表の再チェックもあるんだった!

☆結局は、仕事休むより、働く方が気が楽なんだよなあ。休むとかえって休むことにならない。それに大体、休んでもかわりに働く人はいない(パーマンのコピーロボットでもいれば違うんだろうけど)ので、休んだら自分にしわ寄せが来るだけだとわかっていたりするし。
でも、この「休めない」のも病気らしいので、困ったものです。

勤勉に働くことは、やはり「美徳」のひとつだと思います。社会人としてなによりそうであるべきだろうと思うし、そもそも私のような自由業の専業作家は、働かないと職をなくすわけで。
でも、自分が幸福であることができる程度に、どこかで「折り合う」ことが必要なのでしょうね。
そのちょうどいいバランスを、カウンセリングでみつけられるかな。

☆<香水日記>ディオールのミス・ディオール・シェリー。今の時期につけると、本当にあまーい、キャラメルポップコーンの香り^^
病院から帰ってきてつけて、しばしなごみました。甘い香りも癒されるものです。

☆かもめ亭へのお祝いカキコ、みなさまありがとうございます^^
私には何よりの贈り物です。本当にありがとう。





〜長崎市内 茂里町あたりに咲いていた白詰草〜



2006年06月01日(木) 再確認の朝

六月一日明け方。
鳥の声をききながら。
多少ねぼけながら。

私が都会の雑踏が好きで、たくさんの人がゆきかう景色を眺めているのが好きな理由。
その中にいると、特に誰と会話しなくても、視線を交わさなくても、心がみたされていく理由。

そこに、世界に、自分と共感できる可能性をもつひとびとがたくさんいるということを、リアルに実感できるからなんだな、たぶん。
概念ではなく想像でもなく、同じ時代に生きているひとびとの存在を、たしかに視認できるから。
いまは言葉も交わさず、通り過ぎていくだけのひとたち。でもなにかのきっかけがあれば、友達になったかもしれない、これからなるかもしれないひとたち。

街は、まだであっていない友人達であふれている。


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