二重スパイ - 2003年06月30日(月) という映画を観てきました。 今日までが期限の無料チケットをもらったので。 前評判的には悪くなかったのに、封切り後は「シュリ」ほどには人気が出なかった映画です。 私はおそらく、チケットをもらわなければ見に行かなかったかも。 全体的な感想としては「とにかく、暗い」。 この映画の軸は南北問題です。 つまり、「南北の情報合戦に翻弄されている人間」をテーマにした映画です。 実話かどうかはしらないけれど、「ありえる」話なだけに、なんだか重い。 ちなみにこの映画、東西冷戦中のドイツを舞台にすれば、同じような話が作れます。 おそらくこの映画は、私のような日本人よりも、やはり韓国人のほうが「現実問題」として受け止めやすいのだと思います。 中途半端に「南北問題」を知っている身としては、「たいへんだなあ」という程度の感想しか浮かばないのです。 この辺に、日本ではそれほどヒットしなかった要因があるのではないかと思います。 さて、この映画を見ていて、ラストのほうでふと気付いてしまったことがあります。 「ストーリー展開が『フェイク』に似ている」 ということです。 「フェイク」とは、7年程前にあったアル・パチーノが出演していた映画です。 こちらは、FBIの潜入捜査を軸にした男同士の友情が描かれていましたが、「身分を偽って相手を騙す」という性質上、ストーリー展開が似ているのです。 私はこの「フェイク」がとても好きでした。 ラストに、アル・パチーノが自分を裏切った友人に残す言葉。 このひと言で私はパチーノファンになってしまったくらいです。 話がそれてます。 「南北問題」と一言で言っても、非常にいろいろな要素が絡み合っていますが、 結局は「国」という「個」の「単位」を守るために、「国」が守るべき対象である「個」が犠牲になっている、という現状は「南北問題」だけにとどまらないものです。 「国」は「人」に依存しなければ存在できないけれど 「人」は「国」に依存しなくても存在できるはずなんです。 「アイデンティティー」とか「レーゾンデートル」とか そんなものを理由にしなくても 「生きること」それだけを理由にしてもいいはずなんです。 この映画にイマイチ入り込めなかったのは、主人公があまりにも上手く「フェイク」を演じるために、主人公の心情を推し測れないところにあったのかもしれません。 - 3つのキャンセル - 2003年06月29日(日) 一つめのキャンセルでは 布団が干せました 二つめのキャンセルで シャワーを浴びることができました 三つめのキャンセルで 「タイ風カレー」を作ることができました 「約束のキャンセル」はもちろんされるのは嫌だけど まあ今日は、そんなことができたから、いいか。 - なんとか、ね - 2003年06月28日(土) フリーペーパーは進行しています。一応。 まあいろいろともめてはいますが(笑)。 本日は、最終校正。 といっても、まだ印刷所に出してからの校正があるのですが。 1部と2部に分けて集まったため、私は2部に参加。 あらかた皆が目を通したものを読んでましたが、やはりぽろぽろと校正漏れが目に付きます。 まあ仕方ないんですけど。やりなれていないのだから。 それでも何とかすみました。 後は、印刷所か出力センターを決めるのみ、です。 - 喜怒哀楽 - 2003年06月27日(金) なんだか一日フワついた感じがしています。 たまに訪れる、この現実感のない日常。 私がもし、精神鑑定を受けたら、異常判定が出る気がします。 先日取材した学会で児童虐待の講演がありました。 虐待をする親は、同じく幼い頃、虐待を受けていたという 今ではもう当然のように語られるこの「親子連鎖」の話です。 その中で虐待で子どもを死なせた親の話がありました。 その親は、結局はみずからも幼い頃に虐待を受け、解離性障害だったのですが、 この症状(虐待ではなく、日常生活への認知度など)を聞いた時に愕然としました。 私も同じような感覚を持つからです。 果たしてそれが真正なのかどうかは、鑑定を受けた事がないので分かりません。 自己分析がどの辺りまで正しいかも、確認する術は持っていませんから。 自分の感情をもてあますことがあります。 それにブレーキをかける意味で、私は極力感情を表に出すことは避けていました。 かっこ悪いとか、そういう問題ではなく、それが私の精神的安定を図る術だったのでしょう。 人間には喜怒哀楽の感情があります。 私が本来一番持ちやすい感情が怒です。 反対に、一番持ちにくい感情が哀でしょう。 「哀」は自分を悲しむためだけの感情ではありません。 誰かのことを「悲しむ」という感情も含まれているのです。 私に一番足りないとすれば、この「哀」なのでしょう。 自分の精神的欠落を知りながらどうすることもできない苦しさをいつからか私は自覚していました。 その苦しさは、おそらく今後もずっと持っていかなければいけないものなのでしょう。 - 梅雨時期だから - 2003年06月26日(木) もう6月も終わりです。 夏に向けて、なんだか歯車が少し、ずれてきている気がします。 不定期に、でも確実に訪れるその時期は 私をギスギスさせます。 目の前の人に、怒っているわけではない それはわかっているのに、どことなくイライラ感を募らせる日々。 本当は、こういう時期には人に会うのは避けるべきなのです。 「梅雨時期だから」 そう、梅雨のわりには雨の降らない空を見上げて 笑えればいいのだけれど。 - さいたま最終日と、いつか治るクセ - 2003年06月23日(月) さいたま最終日です。 本日は、施設取材。約半年ぶりなもので、学会取材と違ってこちらからアプローチしなければいけない施設取材は、テンションを持っていくのがたいへんです。 結果として、今日の取材はとてもよかった。 いえ、私の取材がよかったわけではなく、お話を聞かせてくれた方たちのモチベーションが高くて。 「何かこの人たちの役に立ちたい」 そう帰り際には思いました。 やっぱり私は、取材がすきなんだなあ。 という確認もしましたが(笑)。 さて、東京も久しぶりです。 もう街中できょろきょろする子ともなくなったけれど それでもどうしても反応してしまう色があります。 会うわけないとわかっているのに どうしても、その「色」に反応してしまう。 これはもう、未練とかそういうもんではなく、クセなんだろうと思う。 治さなければいけないとまでは言わないけれど 街中できょろきょろするのもクセだったのと同じように きっとこのクセもそのうちに治っていくのでしょう。 私は、それほど焦らなくなりました。 - 対筋肉痛 - 2003年06月19日(木) 年に3回いけばいいほうだけれど、実はテニス部だったりします。 社会人になってから始めたテニス。「始めた」といっても、会社のテニス部だけでしかやらないので、上達しようなんて気はさらさらない(笑)。 かなり、体がなまってるのは実感済み。 思うように動かない足と、後半になるとラケットを握るのも厳しくなってくる握力が物語っています。 テニスの後は、恒例(?)の焼肉屋さんです。 せっかくカロリーを消費しても、あまり意味がない気がしますが…笑。 そういえば、明日の夕方から出張です。 今回の出張は筋肉痛との戦いかもしれません。 - 何にせよ - 2003年06月18日(水) 責了当日です。 案の定、間に合いませんでした。 原因は、印刷所に「明日の朝イチでもいいですよ」と言われた上司がペースダウンしたためです。 そりゃ、急いで事故ったら何にもならないけれど、それでも、できてるはずの仕事をできないことに対しての反省はないのか? まあないんだろうけど。 反省できれば、同じこと繰り返すことなんてしないよな、普通…。 まあ、何にせよ、できてない分は上司に押し付けて私はさっさと帰りました(笑)。 - ピークになる、イライラ - 2003年06月17日(火) 責了前日です。 「大丈夫なん?」と同僚に心配されます。 いえ、大丈夫ではないでしょう。 責了前日なのに、なぜか読み込みゲラが半分も回ってきません。 しかも、昨日もって帰ったはずのゲラも、読んでないらしい。 読まないならもって帰るな! イライラは、明日までにピークを迎えます。 本当に、この上司、どうにかして欲しい。 - ありえない上司 - 2003年06月16日(月) 責了を二日後に控えています。 驚くほど、進んでいません。いえ、マジで。 やっぱりこの上司に任せていると一人で責了すらできないらしい。 台割を作らせると、記事は抜けてるし。 しかも、今日になって、自分が担当している記事一本が危ないという 1ページなんだけど…。 その言い訳として言ったせりふが 「これ、事務局の方に確認で記事みせなあかんねん」 分かってるなら先にやれ! きっと、私じゃなくても、誰でもそう叫んだだろう。 ありえない。この上司。 しかし、そうは言っても、この記事が入らないと、私が担当している記事がこの記事よりも日付が後なので、前後になってしまう。 本当に、いい加減にして欲しい。 - 異国の丘 - 2003年06月15日(日) 劇団四季の「異国の丘」という舞台を見に行きました。 娯楽色というよりも、社会派に近いミュージカル。 見に行きたくなったきっかけは、このミュージカルのチラシにあったコピーでした。 この国には、語り継がなければいけない歴史がある 舞台を見ながら、終始このコピーが頭を離れませんでした。 終幕が近づくにつれ、どんどんこのコピーの意味が重くのしかかる感じがします。 テーマは、第2次大戦開戦前のいわゆる「大東亜共栄圏」を築くために、日本が行った「侵略」と呼ばれる行為と、シベリア抑留についてです。 当時の総理大臣の息子と、中国の司法長官の娘の恋愛物語を軸に、戦場に行かなければならなかった人たちに焦点を当てたストーリーです。 史実を元にしていますが、一応フィクションです。 ミュージカルという性質上、登場人物の緻密な心理描写、というのも省かれている部分もあります。 それでも、あの時代があったことは本当で、シベリアで抑留されたまま、何人もの人がなくなったのも真実。 ミュージカル中ではなく、カーテンコールになったときに、その「事実」が一気に押し寄せてきた感じがしました。 何度も泣きそうになりました。 終幕が近づくにつれ、会場からはすすり泣きの声があちらこちらから聞こえてきました。 「歴史」の考え方はとても難しいと、ここ数年はつくづく思います。 「誰」もしくは「どの国」の立場にたつかによって、受け取り方が変わってきます。 それでも、全世界での歴史の考え方はいわゆる勝者からの考え方が主流になります。 「歴史」をどの視点からみるかを決めるのが「戦争」という行為であるなら 「戦争」は「歴史」の一部ではなく、「歴史」が「戦争」の一部ということになります。 世界のあらゆる方向は、この「戦争」が握っているんです。 今では、ほとんど忘れられているシベリア抑留時の捕虜の問題も、公に日本がロシア(旧ソ連)を責められないのは、「歴史」の中で日本が「悪」になっているから。 そして、何故「悪」になったかは、「第二次世界大戦に負けたから」となるのでしょう。 いえ、もちろん、侵略がいいというわけではありません。 ただ、「侵略」という行為を「国際法違反」(この場合人道的な問題は置いておいて)だと責めるのなら、その後の「捕虜の人権問題」が何故責められるべき問題にならないのか、何故被害を受けた日本がそれを問題視ではなく「タブー」視するのか それが、不思議なわけです。 - 文芸イベント - 2003年06月14日(土) あるイベントに行きました。 友人がかつて行っていた編プロがらみのイベント。 簡単にいってしまえば、書評する二人組みのトークイベント。 会場(というほど広くはないけれど)には、思った以上に人が集まっていました。 まあ、ある程度の予想はしていたけれど、はっきり言って、面白くなかった。 「文芸って面白いんだよ」というのを広げたくて始めた活動らしいけれど、活動状況自体がイマイチ定まっていなくて、話を聞いている限りは「サークルノリ」。 別に勝手にやる以上は構わないんだけれど、それで一応お金をとるならそれなりのものは残しておかないと、と思うのは厳しすぎるのだろうか。 私は、会社の元同僚と、その元同僚の友人で劇団を主宰している人と一緒に行きました。 この二人、かなりクセがあるため、最初は誘うのに迷いましたが(笑)、結果的に、やっぱり予想通りでした(笑)。 疑問に思ったことははっきりさせておきたい彼女は、なんだか昔の自分を見ているよう(笑)。「まだまだ若いな」と懐かしくなりこともあり、まだまだ上手く折り目はつけられなくても、いつの間にか「納得する」術を覚えた自分を寂しく思ってしまいます。 おそらく、彼女はずいぶんと「生きにくい」と思うことが多いでしょう。 ちなみに、そのイベント終了後、結果的にその主賓を責めた(笑)形になる私たちの元に、何人かが「私もそう思ってました」と声をかけてくれました。 間違ったことをしたとは思わないけれど、それでもどこか「場」を壊したかな、と思っていた私たちにとって、その声はとても嬉しいものでした。 帰り際、壊されたその主賓から声をかけられました。 「わざわざ来てもらったのに、スミマセン」 話し方からなんとなく感じてはいたけれど、彼らは実はとても素直なんだろうと思います。それは、そのイベントでもらった、彼らが書いたという小説を読んで思いました。 そのイベント自体は面白くなかったけれど、彼ら自身を憎めないのは、それがきっとでていたからでしょう。 - 実はしっかりとしている、友人 - 2003年06月13日(金) 今日は、大学時代に同じクラブだった友人と久しぶりに会いました。 4月から、大阪の裁判所に移動になったその友人とは、学生時代に一緒にインドに行きました。「また来たいね」そういいながら、もう7年になります。 一見、気楽そうに見えるこの友人が、実はものすごく複雑なんだということは、年を負うごとに判明してきます。 それでも、救いなのは、彼女が素直だということ。 社会人になってからは、ずいぶんと彼女と私の「常識」がずれてきた気がします。公務員特有の、選民意識、みたいなものを知らず知らずに身に付けている彼女を見ていると、おそらく、公務員の内部での雰囲気というのは推して知るべし、という感じです。 それがいいか悪いかはともかく、そういう意識が、逆に自分を苦しめることもあるんだと、彼女を見ていて思います。 公務員にならなくてよかった つくづく、そう思うわけです。いえ、もちろんなりたくてもなれない可能性のほうが高いんですけどね(笑)。 かなり長い間話していました。 しまいには、終電ぎりぎりになって彼女は彼氏の部屋に泊まることにしたくらいです。(表向きは私のところにとまることになった) 彼女との関係は、ふとしたときに「私」を考えさせられます。 割と正直に、言いにくいことも話すためでもあるのでしょう。 もうすぐ、結婚するかもしれない話も聞きました。 迷いながらも、きちんと自分の道を選んでいる彼女は、羨ましくもあり、憧れでもあります。 どこか放っておけない雰囲気を持ちつつも、実はしっかりと自分で動ける彼女。 今までたくさん泣いたことも知っている私としては、彼女にはいつも笑っていて欲しいなあと思うわけです。 - キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン - 2003年06月11日(水) を観てきました. 2日続けて映画です. 内容は,笑いあり,ドキドキあり,泣き所あり,さすがスピルバーグ,上手いエンターテイメント作品になっていました. 久しぶりにディカプリオが見れたし. 少し痩せていて(なんだがギャング・オブ・ニューヨークのときの姿を引きずってるとこもありましたけど),私が一番好きな頃のディカプリオに少し戻ったみたいなところもありましたし. パイロット姿も堪能できたし(やっぱり,かっこいい人は制服姿が一番似合うと思う). でも,やっぱり,17歳の役は無理があると思うなあ. 顔は確かに童顔だし,顔だけのショットなら見えなくもないけど,全身が映ると…ちょっと,ね. 多分,森光子の女子学生役よりはぜんぜん大丈夫でしょうけど. でもこの映画,評判では娯楽映画色が強そうだったけれど,実際にみるとなんとも重いテーマを扱っていたました. 軸にあるのは華麗な詐欺の手口というよりも,家族,とりわけ親子の関係. どれだけ詐欺を繰り返し,FBIに終われていると知っていても,父親に会いに行き,母親とよりを戻すことを薦める息子の姿. 息子が自分をどう診ているかを十分知りながら,その「理想」を崩さずにいようと限界まで努める父親. そして捕まってからさえ,護送される飛行機から抜け出し,母親が住んでいる家に向かい,そこで自分が欲しくて,どれだけ望んでも手に入れられなかった父がいて,母がいる幸せな「家族」の姿をみる.ただし,そこにいるのは自分と自分の父親ではない家族の姿. 悲しくて,切なくて,何ともいいようのない寂しさが募る映画でした. それでも観た後に,さわやかな感じが残るのはさすがスピルバーグってとこでしょうが. 映画を見て,友人と別れた後は,久しぶりに会う元同僚と飲みに行きました. 本当は,もう夕食を済ませていたのだけれど でもなんだかとても飲みたそうだったので,こういうときは多少無理をしても付き合うようにしています.誰が相手でも. それが,私がしんどいときに,たくさんたくさん助けてくれた人たちへの恩返しのような気がするので. でも,今日会った人には,また,逆に私の話をたくさん聞いてもらったので,あまり意味がなかったのかも(笑). ありがとうございました. - ボーリング・フォー・コロンバイン - 2003年06月10日(火) 「ボウリング・フォー・コロンバイン」という映画を観て来ました. ドキュメンタリー映画としては異色のロング・ラン上映していた映画です. ずっと観たい,観たいと思っていたのですが,ようやく観ることができました. 一安心. さて,内容はまあ取り立てて映画にするほどのものでもない気がしなくもないけれど,やっぱり面白かった. アメリカの銃社会をいろんな角度から検証しているのですが,なかなか発想が楽しかった. アメリカの現状を知っていなければイマイチ分かりにくい部分もあったけれど. 同じように中が広まっているにも関わらず,アメリカよりも断然銃による射殺事件が少ないカナダとの違いを検証している中で,印象深いセリフがありました. 鍵をかけ,充分過ぎるくらいのセキュリティシステムを施していてもまだ不安で銃を常備するアメリカ人と,鍵をかけずにいるカナダ人. その違いをあるカナダ人がこう言っていました. 「アメリカ人は誰かを締め出すために,鍵をかける.でも,それは,カナダでは自分を閉じ込めることに繋がる.そんなのは真っ平だ」 ああ,そうか. そのセリフを聞いてなんとなく納得しました. 「不安」を少しでも減らすために持つ銃がさらに「不安」を引き起こすと言う悪循環. これをどうすれば解決できるかまではムーア監督は踏み込んでいませんでしたが, 銃を無くすこと,それは銃を持つことが身を守ると信じている人たちに「自分以外の人」を信じられるようにさせることなのかもしれません - 「書きたい」という欲求 - 2003年06月09日(月) 「自由な時間」を喜んでいると あっという間に予定がつまってしまいました. 眠る前に溜まっている本を読んでいます. いつの頃からか,私は読む専門になりました. 高校生の頃は,自分で書いていたほうが多かったのに. あの頃は,書きたいことがたくさん会った気がします. 「世の中」というのをほとんど知らなかったくせに ちょっとした,社会のことを書くのさえも一苦労していたのに それでも,書きたくて,書きたくて仕方なかった. 友人たちにせがまれては続きを書いたり ネタ帖を作っては授業中にストーリーを考えたり. 雑誌に投稿しては掲載されて図書券なんかをもらったり. あれほど書きたかった物語をいつから私は書かなくなったんだろう? 「書きたい」という欲求はあってもずいぶんと,書くことから遠ざかっていた. 最近,ずっと本を読んでいると,また「書きたい」欲求が出てきた. 今度は,多分高校生の頃よりも,ずっと楽に社会と言うものを書けるはずなのに. それなのに今度はきっと「気持ち」で迷うんだ - のんびり - 2003年06月08日(日) 今日は久しぶりに大学時代の友人と会いました. 1ヵ月に何度も会っていたので,1ヶ月半ほど会わなかっただけでかなり長いこと会わなかった気がします. 何ヵ月も会わない友人なんて,珍しくないんですけどね(笑). さて,本来は,大学のゼミの友人の出産祝いを買いに行く予定でしたが,これは別の友人に頼むことになったんで,特に用事もなく.ただふらふらとうろつきました. なんだかずいぶんと芸能ネタばかり話していた木がします(笑). 今週末は,久久に土日とも休みなので,ずいぶんとのんびりしました. 友人と食事をして別れてからも,一人でツタヤをうろついていたり…笑. 帰っても,借りている本をひとしきり読んだり. やっぱりこんな休日も必要なんですね - シャラシャラ - 2003年06月07日(土) 実家でごろごろしていました. 時折,起きては犬と遊んだり,母親と買い物に行ったり燃したけれど ほとんどごろごろしながら過ごしました. 今回実家に帰ってきたのは衣更えのため. 先月は忙しくて,実家にも中々帰れず,部屋も掃除できないので当然衣更えなど無理でした. 段々暑くなっていく気温にたんすの中を見ながら,なるべく薄手の服を選ぶのに一苦労でした(笑). これで,明日からは夏服. 衣更えはいつもわくわくします. 1シーズン見なかっただけなのに,なんだか「懐かしい」気がします. 思い出のある服もあるからですが. 冬はコートが好き. 夏は服よりも,バングルなんかが合わせられるのが好き. 特に,バングルを何本か付けて「シャラシャラ」と音がするバングルが好きです. 私が持っているバングルのほとんどは,インドか,中国へ行った時に買ったものです.皆,道端で売っているものですが,細工が細かく,とてもいい音がします. 一番気に入っていたインドで買った,赤い涼し気な音色を出すバングルは,残念ながら,どこかへ行ってしまいました.実家を探せば出てくるはずですが. バングルは,もちろん会社にはしていきません. オフの日に,ちょっと出かける時に付けていきます. 「シャラシャラ」と音がするのを聞きながら それを買った時のことを思い出します. - この時期 - 2003年06月05日(木) 「早く帰ろう」 毎日のようにそう思っているのに,なかなか思うように行かないのは何故でしょう. 「明日こそ」 といつも帰り際は思うのだけれど(笑). まだ,忙しかった頃の「クセ」が抜けないのでしょうか. それでも,今日はいつもよりは全然早く帰りました. 料理は,しばらく前にもらったカレーの冷凍を解凍して,にんじんを油でいためるだけのホットサラダを作りました. 撮り溜めしているビデオと,好調な阪神の野球の試合を見て,しばらくうとうと. それでも,目が覚めてもまだ日付は変わっていませんでした. 体の疲れが徐々に取れかかっている時期が,本当は一番しんどいのかもしれない そんなことを思いながら,それでもやっぱり,ゆっくりできるこの時間が嬉しいんです. - 経験値 - 2003年06月04日(水) 肩の荷が下りた日の翌日. 増刊作業中に溜まっている雑用を片付けつつ,それでもちょっとのんびり. 本当は,月刊があるのでそれほどのんびりはできないのだけれど. 本来なら,増刊に集中して作業する期間は2ヶ月というのが標準らしい. つまり,増刊に一人が関わっている間,もう一人が2冊分の月刊作業をするということ. でも私,結局増刊作業をしつつも月刊作業もしてましたけど(笑). 「仕方ないよ.やらないと月刊終わらないから」 とは,私の前任者の話(笑). つまり,「スタッフ」が,「チーフ」の実務作業をサポートしないといけない と言うわけです(笑). 逆の話は,いくらでも聞いたことありますけど…. まあ,それも経験値アップ,ってことで. - ハレルヤ! - 2003年06月03日(火) ここ最近の肩の荷が一気に下りました. いやあ.今までの責了で一番嬉しかった瞬間かもしれない. まるまる一冊を自分ひとりで編集したのは初めての経験. 月刊は,ある程度ルーチンだけれど,増刊はいえば単行本のようなもの. 月間とはまた違った編集の面白さを経験できました. 索引を作ったのも初めてだし. 周りの人に聞きまわりながら(笑) 「あーでもない・こーでもない」 と悩みつつ,それでも何とか形になった本. まだ,青焼きと言う最終工程が残っているのだけれど これほど見本誌が上がってくるのが楽しみだったことはないかも(笑). こうなると,気になるのが売上. まだまだ自分の力不足を痛感した本だけれど 売れればいいなあ というより たくさんの人がその本を手にとってくれればいいなあ というのが,今のところのささやかな(?)希望です. -
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