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そんなことを考えました - 2001年06月30日(土)

今日でもう6月も終わりです。
この間、年を越したと思っていたら、もう半年が過ぎたことになります。
あれから、半年が経ったんです。
今ももちろんあの子のことは好きですが、落ち着いているのは、確かです。

今日は、映画の無料チケットをもらったので、友人と見に行きました。
「ホタル」という、高倉健主演の邦画です。
さすがに見に来ているお客は年齢層が高い(笑)。でも、見たかった映画なので、楽しみでした。

約2時間ほどの映画でしたが、「長さ」を感じることもなく、重厚な、そして完璧なストーリーだと見ながら感じました。

映画の最中、何度泣いたでしょうか。
最近、映画を見ながら泣くことが多くなりました。
少しずつ、少しずつ、感情を出せるようになってきた気がします。

映画のストーリーは、「戦争」が中心です。
特攻として戦時中を生きた主人公、そして、日本の特攻隊として、死んだ朝鮮人の許婚で、今は主人公の妻となっている夫婦の物語です。
そして、彼らに絡む、周囲の「戦争」という記憶。

今はもう、物語の、語り継がれるだけの戦争というものが、その時代に生き、それに関わった人たちにとって今も現実だということを上手くその映画は引き出していたのかもしれません。
もちろん、私は戦時中にはまだ生まれていなかったので、あくまで想像でしかありませんが。

「一緒に酒を呑んで、一緒に泣いてやればよかった。
人が、人にしてやれることはそれくらいしかないんだな」
「本当の母親なら、どうして子供に死ねといえるでしょうか。そんなこと、言える
はずがないんです。本当の母親なら、子供を死ぬために出すことなんて、できない
んです」

映画の中で、私が印象に残っているセリフです。
正確ではありませんが、意味は間違っていないと思います。

「生きる」ということが、難しかった時代があるのだと、今更ながら感じます。
難しかったからこそ、きっとその時代の人たちは真剣だったのかもしれません。

「戦争」は起こしてはいけないことだと、誰も「戦争」で勝つ人なんて、いないのだと思うけれど、確かにその時代に、死んで行った人もいるのだと、私たちは分かっておかなければいけないのだと思います。
「戦争」を否定するあまり、その時代に死んで行った人たちをないがしろにすることは、避けなければいけないのではないでしょうか。
「戦争」は国策で、それは間違っていたことだけれど、そのために死んで行った人たちまで否定することは、違うのだと私は思います。

人が、人として、その葬り方が仏教であれ、神道であれ、キリスト教であれ、「悲しい」と思うことを、その人たちがいたのだと、認識することは、いけないことなのでしょうか?
宗教がなんであれ、方法がなんであれ、亡くなった人を痛む気持ちは同じのはずです。自分の大切な人たちが亡くなれば、それが何教であれ、「悲しい」と思うのです。
それを、「参拝」という形で表すことが、いけないことなのでしょうか?

形式にこだわっているうちは、「戦争」を起こしてはいけないのだと、本当に感じる日は、来ない気がします。

映画を見ながら、そんなことを考えました。























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「懐かしい」という感情 - 2001年06月29日(金)

今月の仕事も、いよいよ今日で終わりです。
社会人3年目ですが、今月が今までの仕事の中で一番しんどかったかもしれません。
いい経験だとは思いますが。

帰ってから、古本屋に行きました。
何となく、昔自分が読んだマンガが読みたくなったからです。
高校生の時に、私がはまっていたマンガ。
全15巻のそのマンガは、セットで運良くありました。

帰って、早速読みました。
初めて、そのマンガを読んでいたときのように、ストーリーも、結末も、全て知っているのに、それでもやっぱり引き込まれてしまいます。

けれど、違っているのは、私。
あの頃、この本を読んでいたときには知らなかった感情を、私は知っている。
あの頃の私には、想像でしかなかった「気持ち」を今の私は自分のものとして、知っている。

今まで、私はあまり昔のマンガも、小説も読み返すことはなかったけれど。
読み返しながら、昔の自分も一緒に読んでいるような気がしました。
こういうのを、「懐かしさ」というのかもしれません。






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よかった - 2001年06月27日(水)

今日は、今週の山場とも言うべき、新人歓迎会でした。
会社の近くの焼き肉屋。
最初は焼き肉を食べながら、たわいない話をしていました。
しかーし、次第に論議は白熱し、かねてより話題に上っていた「マスコミ論」(正確には違うのかもしれないけれど)へ。

これに関しては、もうどれだけ話してもきっと折り合うことはない、と私は思っています。
どの立場の人の考えに自分が近いかによって、「人権」も「価値」も変わってくるから。
ただ、話すことが無駄だとは、思わないけれど。

話さないと、分からないこともありますから。
「話しても、どうせわからないから」
そういう人も、いるけれど、少なくとも、私の今いる課ではそれがない。
ああ、この課でよかったな、と今日は思いました。

そして、私は、まだまだ勉強しなきゃいけないことがあるのだと、感じた一日でした。




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いつもとちがうこと - 2001年06月26日(火)

今日は(まあ今日に限ったことではないのかもしれないけれど)気だるい一日でした。
それは、昨晩自分の部屋ではなくて下の部屋で眠ったからかもしれないし、いつもより1時間も早く起きてシャワーを浴びたからかもしれない。

とりあえず、今週末の責了のめどはついた。
何とか、自分ひとりでやり遂げた。
まだ、最後の山場が残ってはいるけれど。

昼間、仕事をしながらふととてつもない孤独感に襲われる。
何がきっかけだとか、原因だとか、そんなことお構いなしに。

あの子のことが原因ではない。
けれど、孤独感に襲われながら、考えている。
今までのこと、あの子のこと、これからのこと。

少し、会いたくなったのは、来月、またあの子のいる街に行くことになったから。



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会えて、良かった - 2001年06月24日(日)

天橋立二日目です。
夜は遅くまで話していたにもかかわらず、結構すんなり起きれました。
といっても、最後のほうまで寝ていましたが。
起きて、朝食を食べた後、もう一度露天風呂へ行きました。夜のお風呂も気持ちいいけれど、朝の露天風呂も気持ちがいい。

日ごろの行いのよさか、今日は晴れそうです。
チェックアウト後、荷物を預けて駅でもらったパンフレット通りの観光コースを行ってみることになりました。
こういう時、地理感覚もあり、行動力もある友達がいるのっていいなあ。

まずは歩いて「天橋立ビューランド」という山の上にある小さい遊園地へ。
山の上まではリフトで行きました。
スキー場にあるようなリフト。天気も良かったし、かなり気持ち良かった。
頂上で、「股のぞき」をし(それをするときもうるさいの何の・・・笑)、「マッド・マウス」という小さいジェットコースターに二人一組で乗ることになりました。
それほど高低があるわけではなく、スピードも見た目ほどはないのだけれど、設備が古いもので、別の意味で怖かった(笑)。

上がってきたときと同じリフトで降りて、次に向かったのは文殊院。みなテキトーに(笑)お願いをして、モーターボートで向かいの島(?)へ。
このモーターボート、スピードは出るわ、かなり(わざと)ゆらすわで、結構みな「キャーキャー」言いながらも(うるさい・・・笑)楽しんだ。

向かいへ着いて、またリフトで上へ上がり(今度は最初のリフトよりも時間が長く、景色もかなり良い)またお寺(寺院?)を見た後展望台へ。
ここでも「股のぞき」をし、時間が時間ということで、お昼へ。
しかし、お昼を食べれるような、というよりもおいしそうな店が見つからなかったため、レンタサイクルで天橋立を渡ることに。
途中で浜辺(多分)のようなとこで止まって波を触ったり、「小女郎の道」と書いてあった横道にそれてはぬかるみにはまってみたり・・・笑。約30分かけてもとの島のほうへ戻ってお昼に。

すぐ近くにかなり感じのいい店が会ったのでそこで皆ランチ。そばがおいしかった。
帰りの電車は4時過ぎということもあり、そのとなりのはたまた感じのいい店で今度はお茶。
そこでも、昨晩の話の続きの恋愛話で盛り上がる(周囲の人には迷惑だったかも・・・笑)。

出発の1時間くらい前に店を出、荷物を預けた土産物やさんでお土産を買い、駅でしばし休憩。
少しつかれながらも、それでもまだいろいろと話す。
当然、帰りの電車は皆爆睡(笑)。

結構動いて、いつものゼミ旅行よりも全然「観光」らしい旅行でした。
次ぎ、また行けるのはいつになるのかな。
個別には会えるけれど、これだけの人数を揃えるのも、結構きついものがある。

でもきっとまた逢うんだろうね。
うん、彼女たちに会えて、良かった。




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これが、私たち - 2001年06月23日(土)

今日から、一泊二日で天橋立へ行きます。
メンバーは,大学のゼミのメンバー。
本当は、そのメンバーのうちの一人の結婚祝いのための旅行だったんだけれど、本人の都合が悪くなったので,結局彼女は不参加。残念。
それでも、大学のゼミは全員で13人。そのうちの7人が参加というのは、参加率はいい方ではないでしょうか。

個別にあう機会はあっても、大人数で会うのは久しぶり。卒業して2年と約3ヶ月が過ぎ、1年ぶりに会う友人もいます。
でも、会っても「久しぶり」なんて言葉は,言いません。
つい、昨日も会っていたように話し始めます。
きっと、この雰囲気は何年たっても変わらないのだと思います。

朝,10:40分に新大阪で待ち合わせ。
その後、電車に乗って、約3時間かけて天橋立へ。
残念ながら、梅雨の真っ最中と言うこともあり、絶好の天気、というわけではないけれど、それでも、このメンバーといると、天気のことなんて気にしません。
責を向かい合わせに座ると、さあ、おしゃべりの始まりです。
思い出話、仕事の話、卒業してからゼミで集まった過去の同窓会の話。恋愛話は夜においておいて、皆、好き勝手にそれぞれが話しています。
微妙に会話がずれているきもしますが、それが私たちの「テンポ」なのです。


昼過ぎに天橋立駅に到着した後は、駅前の食堂で昼食です。
昼食を終えた後、近くのコンビで「夜食」を仕入れてから送迎バスでチェックイン。
大部屋プランなため、かなり広い部屋(フロントのすぐ横)に案内されました。
部屋は一階なので、窓からは庭が見えますが、回収工事中とかで、人がいたります(そのおかげで夕食には飲み物(日本酒、ワイン、ジュースなど)飲み放題サービスになりました。ラッキ。

夕食は6時。夕食までしばし部屋でくつろぎます。
夕食は宴会場で。先週いった宿よりも、量、質的にも及びませんが、それでも気の置けない友達との食事はそんなこと気になりません。
ここでは芸能界の話で盛り上がります。

夕食後、温泉に入った後は、メイン・イベントの始まりです。
といっても、単にお菓子を食べながら話すだけなのですが(笑)。
しかし、今回は、結婚を控えた友人のための「お祝いテープ」を作ろうという計画が急遽持ち上がり、テープに彼女についての思い出話、何の関係もない話(これがまた、面白い)が吹き込まれて行きます。
一応最初の「結婚おめでとう」コールはきメタものの、その後はさすが、計画どうりには行きません。でもまあ、彼女にはそれが「私たち」らしく映り、きっと喜んでもらえるものになったと思います。

夜は、今回のたびのテーマ「偶然って怖い」(提案、私)と言う話について話をします。もちろん、ギブ・アップで眠る友人も多々いましたが(笑)。
4時前くらいまで私は他の友人と話し、さて、いよいよ二日目です。






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「不思議」な会社 - 2001年06月22日(金)

本当は、今日ですべての特集原稿を著校に出した状態にしたかったのに、ウソツキな先生のお蔭で来週月曜日までお預けです。
図表はないって、言ったのに。ウソツキ。物腰の柔らかな先生なんだけどね。

今日は、いつもの同僚と呑みに行きました。
本当は、梅田に買い物に行きたいということでしたが、会社の近辺ですんでしまったので梅田へは行かず、(当然のように)呑みに行きました(笑)。

この会社の七不思議(私だけかもしれない)は、会社の体制や社内の状況を上司からではなく、他の同僚から聞くことが多いことです(笑)。
そんな時、「ああ、きっと上司もどこまでが報告に入るのか分かってないんだろうなあ」と考えてしまいます。
もちろん、自分も報告漏れがあるのですが。まあ確かに、「急ぐ用事」ではないのだけれど。

会社には、いろいろと「不思議」があります。
会社の体制自体は「不思議」なことがあるのだけれど、そのわりに、社内の雰囲気は、というか、人はいい人ばかりです。
もちろん、その中でも「あう人・あわない人」っているのだとは思いますが。

会社の体制はいいけれど、人間関係がサイアク、というパターンよりは、いいのかもしれません。










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格好悪い振られ方? - 2001年06月21日(木)

風邪をひいたみたいです。
ここ数日、何となくしんどい日が続いていたのは、風邪のせいかもしれません。

今日で、すべての原稿が揃いました。
まだ、写真が揃っていないものもあるけれど、責了には間に合います。
1人で7本もの特集をするのは初めてかも。
やりがいあるなあ。
毎月はちょっとゴメンだけれど(笑)。

最近、気付いたことがあった。
昔、あまり本気で恋愛をしていなかった頃、「フラレル」というのはカッコ悪いことだと思っていた。
でも、私が「ふられ」てから、というわけではありませんが、最近は「フラレル」というのはカッコ悪いことじゃないと思うようになった。

そう、感じたとき、自分があの恋愛に思い残している事がないのかもしれないと、思った。
本当は、面と向かって言うというステップは残しているのだけれど、今の私ができることは、きっとすべてやったのだと思った。
だから、カッコ悪いことじゃないと、思えるんだ。

ある一つの区切りがついても、そこから学ぶことはきっと沢山あるんだと、今は感じている。
きっと、私があの子を忘れることは一生ないと思うけれど、それでも、区切りをつけることは、できるんだ。




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ルール違反ではないけれど、すれすれの行為 - 2001年06月20日(水)

止まっていた、特集の進行がようやく進み始めました。
上司がイライラするのもわかるけれど、「今日までに本分をもらうように」と区切ったのは、上司なのに、朝イチに進行状況を聞いても、原稿が入っているわけないじゃん。第一、先週末〆切で、督促ファックスを送ったのは今週の月曜日なのに。

・・・いきなりグチで始めてしまいました。
心配なのはわかるけれどね。

今日は、早く帰らなきゃいけないのに、こういうときに限って、帰り際にファックスが来たりする。
こういうもんだよね。
早く帰った理由は、今週末の旅行のチケットを取りに行かなきゃいけないから。

チケットを取ってしまえば、後は別に用事がないので早く帰った今日はテレビで阪神巨人戦を見ました。
久々に、野球の中継を見ます。
新庄が阪神にいた頃は、いつも見ていたのに。甲子園にも何度もみに行ったのだけどね。最近は、全然行きません。
試合を見ていても、阪神はほとんど若手に変わっていて、全然知らない子が出ていたりする。
でもやっぱり、阪神が好きなんだなあ。

巨人は、嫌い。
特に清原と、元木が嫌い。
特に、元木のプレーは嫌い。
その人が、得意とするもの、いわゆる、その人の収入の元になっているものって、それが野球であれ、私たちのように記事であれ、その人の人柄って、出るものだと思う。
だから、元木の姑息なプレーが私は大嫌い。
姑息な手を使っても、アウトになったりすると見ていてすっとするけれど、それでも、そのプレーを見たという嫌な気分は残る。

プロ野球(サッカーもそうだけど)は、よく青少年育成の名目に使われることがあるけれど、彼のようなプレーを、子供たちが見て、それを子供たちが真似たら、どうするんだろうか。
もちろん、ルール違反ではないけれど、ルール違反すれすれではある。

ある意味それはきれいごとなのかもしれないけれど、いつから、プロ野球が面白くなくなったか。
それは、「ある球団」が、ルール違反ではないけれど、ルール違反すれすれの行為をするようになったから。

「プロ」は、試合に出ていくら、の世界だと思う。
「肩書き」にこだわるようになったら、スポーツって、面白くない。




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私だけじゃない - 2001年06月19日(火)

今日は何をしていたか・・・一日中記事を書いていました。
記事が行き詰まった合間に、他の仕事を片づけていた感じでしょうか(笑)。ある意味、本末転倒かもしれません。

やっぱり、やる気、というよりも、「疲れている」
体力的にも、精神的にも。
言い換えれば、「疲れやすくなっている」という感じでしょうか。
年齢のせいもあるのかもしれませんが、ここ1,2ヶ月、あまり家でゆっくり休んでいないからかもしれません。
今週も、家にはいませんが。

「片付けの年」だと、占い師に言われた今年。
確かにそうだと思うときもあります。
けれど、やっぱり私は「片付け」が苦手で、淋しいと感じます。

今日、読み終わった本にぴったりの言葉がありました。
「別れの辛さを悲しむより、出会えたことをよろこぼう」
作者は、ネパールに一年間NGOの派遣事業で向こうの貧困層の学校で美術を教えていた女性です。
彼女は、1年間のプログラムを終えて、帰国する寸前、交通事故に巻き込まれ、亡くなりました。享年、24歳でした。

彼女のエッセイは、とても正直に彼女の気持ちがつづられていました。生きていて、もし知り合うことがあっても、きっと私の苦手なタイプだったと思います。
けれど、彼女のような生き方にある種憧れます。
彼女の物語を見ていると「できるかできないか」ではなく自分が「やろうとするかしないか」だと思えます。

そう、考えながら、あの子の写真を眺めました。
新年会の時の写真です。
一つ、気付いたことがあります。

あの子といて、私は楽しかった。傷つくこともたくさんあったけれど。あの子が私にしたことは、大多数の人は「ひどいね」というようなものだけれど。
でも、あの子は、傷つかなかっただろうか、苦しまなかっただろうか。
本人に聞いたことはないけれど。これから、聞くことも決してないだろうけれど。あの子も、きっと傷ついたことがあったと思う。苦しんだこともあったと思う。

私が好きになったのは「人間」だから。
彼にも、感情はあるのだから。
傷ついたのは、しんどかったのは、きっと私だけじゃない。





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あくまで「予定」 - 2001年06月18日(月)

今日は、案の定、先週末〆切の原稿がまだ来ていませんでした。
特集7本のうちの3本しか入っていないというけっこうピンチな状況かもしれません。私の頭の中では大丈夫なのですが(笑)。

今日、だけじゃなくて、ここ一週間ほど、何となくだるい日が続いています。
何にもする気がしない、というかはかどらない日です。
週末に遊びすぎ、という声もありますが・・・笑。

本当は、記事を書こうと思いましたが、リードの部分だけで、案の定行き詰まってしまいました(笑)。特集の原稿が来たら記事を中断してそっちをしなきゃいけないのがわかっているのでノッて一気に記事を書き上げるタイプの私には苦痛な状況です。ま、しかたありません。

会社で、私は雑誌の編集部全体の図書係りをしています。
共有の書評用の本を管理するものです。
他者から贈呈された本なんかを整理するのですが、時間のあるときに送られてきた本の書評を書ければいいな、なんてことを考えていたりします。
面倒くさい、という思いもあるけれど、やっぱり文章を書くのは好きだから。
そして、何よりやっぱり練習になるから。
ま、あくまで「予定」です。





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三重に行きました(一日目) - 2001年06月16日(土)

今日は会社の同僚が持つホームページのオフ会で三重まで行く日です。
朝、ちょっとしたトラブルで遅刻してしまいましたが、何とか間に合って(待っててもらったんですが)どうにか行きました。

三重は、あまり言ったことがありません。
小学校の修学旅行以来です。多分。
1日目は、伊賀忍者の故郷、上のまで行ってきました。
忍者屋敷とか、上野城、忍者資料館なんかを見ました。
なかなか楽しい一日でした。

夜は例のごとく、飲み会です。
今回の宿は、一つの建物の中の部屋ではなく、部屋が個別に離れになっているので、暴れても大丈夫。って、暴れませんが(笑)。

温泉も、食事も、宿も良かった。
特に食事は「これでもか」というくらい多い・・・。
鮎うどんとかおいしかったなー。

ま、いろいろありましたが、楽しい一日目でした。



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距離感 - 2001年06月15日(金)

今日は午前中、かなりしんどかった。
体力的に、というのではなくて、精神的に。

しんどくて、しんどくて、誰とも話したくないと思って、溜まっている新聞の切り抜きを別室でひとりでしました。
どうしてこんなにしんどいのか、今はあえて考えたくありません。
以前から、私は人との距離のとりかたが下手です。
その距離感の無さが、いい方向に行く場合もあるのだけれど。
相手との「距離」を感じてしまうと、いったん感じてしまうと、なかなか軌道修正は難しいのです。

たいがいは、相手の機嫌が直るのを待つのだけれど。
今回は、相手に振り回される自分が嫌でした。
だから、自分から距離を縮めようとすることは、やめました。
それに、いろいろな反動が重なって、きっと今がしんどいのだと思う。

午後からは、ちょっと回復しました。
何とか、人と話せるようにもなりました。

以前から約束していた友人と会社が終わって地元で遊んでいても、途中まではあまり気分が乗っていませんでした。
きっと、それは友人にも伝わっていたかもしれません。
でも、そういうのも見逃してくれる。

彼女との、程よい距離感が、帰る頃には心地よくなっていました。





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「無理」が「自然」に変わるとき - 2001年06月14日(木)

今日はようやく、梅雨らしい雨が降りました。
そう言えば、依然雨が降った夜は、なかなか寝つけないことがありました。
でも、多分今はだいじょうぶだと思います。

今週は、「しなければならないこと」はわかっているのに、「しなければならないもとのもの」がなくて、妙に時間のあった週でした。きっと、来週はその分忙しいのでしょう。

本当は、記事を書き上げなきゃならない。
それはわかっているんだけど、習慣というか、クセというか・・・「ぎりぎりにならないとやらない」。
明日、集中してしてみようか・・・。

疲れているなあ、と最近思う。
それは、無理に前を向こうとしているツケがきているのかもしれない。
けれど、やっぱり無理にでも、前を向こうとしなければ今は進めない気がする。
「無理」がいつか「自然」に変わるときが、きっと来ると思う。




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東京マリーゴールド - 2001年06月13日(水)

今日はほぼ5時ダッシュをして「東京マリーゴールド」という映画を見に行きました。
この映画があるということを知ってから、ずっと見に行ってみたかった映画でした。
同じく見てみたいという会社の同僚と二人で行ってきました。

「最近、ダメな男とつき合っていませんか」
というキャッチコピーに惹かれたんです(笑)。
感想は、期待以上でもなく、期待以下でもなく、といった感じでしょうか。
映画を見ながら、いろいろ、ぐるぐる考えていたはずなのに、共感できる場面もいくつかはあったのに、気付くと「映画を見ている」という感じでした。

「だめな男」というよりは、「ズルイ男」という表現のほうが合うのかもしれない。
映画の中ではキャッチボールの場面が結構出てくる。
これが、映画の中では「象徴」的に扱われているのが面白い。
監督が、あるHPの中でこの映画にかんして「キャッチボール」を人生に例えていて、監督はこの映画の中の主人公が好きになる〝ダメな男〟に対して、「田村は投げたのに返さなくて、投げたら返せよ」といっているのが、とても笑えた。

元同期の子も、同じ事を言っていたから。
あの子のことに関して、彼は私がなかなか吹っ切れない、ストレスを感じるのは概してあの子の「ストローク不足」だと表現した。
私が投げたのに、あの子からは帰ってこない。それが、私のストレスになり、なんというか、消化不良のような気分にさせるのだと。

「映画」という「非日常的なもの」を想像する人にとっては、この映画はしごくつまらないものに映るのかもしれない。
けれど、一度でも同じような思いを味わったことが、一瞬でも「吹っ切れない恋愛」を経験したことがある人なら、きっとこの映画は魅力的に映るはず。

もし、また迷いが出たなら、迷い始めるようなら、もう一度この映画を見たいと思う。

私には、それくらい身近に感じた映画だった。
私は、徐々に強くなっている。



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コトバノカラクリ - 2001年06月12日(火)

伝えるための仕事をしているはずなのに、上手く伝えられない。
「人それぞれ」というものを、知っているから、そして、自分の意見が絶対ではないということを知っているから。

伝えるための仕事をしている人が、実は一番コトバのカラクリに捕まりやすいのかもしれない。

言葉は、十分な武器になりうるのだと、いつも同じ場面で気付かされる。



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精神障害者、はたまた償えない罪について - 2001年06月11日(月)

先日起こった大教大附属小学校での事件について、盛り上がった一日でした。
「精神障害者」が事件を起こすたびに、同じような反応をする人に会います。
同じような議論が繰り返されます。
そして、何も変わらずに、次の事件が起こるまでの間、忘れ去られます。

「精神障害者」を免罪符にしている、という意見を聞くこともあります。
では、どこからどこまでが「精神障害者」なのでしょうか。
病院で、認識されてから?
心理テストで判断されてから?
では、病院に行かない人や、心理テストを受けたことのない人には、「精神障害者」はいないのでしょうか?
しかし、その心理テストも、所詮人が作ったものです。
心理テストを作った人が狂っていないと、誰が言えるのでしょうか。
「大多数の人」がそうだからという鑑定の下に行われる「精神鑑定」。それを基準にしているのに、「精神障害者だからではなく、個人の資質だ」というふうに降ろしてくるのにどこか矛盾を感じるのは、私だけでしょうか。

「精神障害者」も「少年犯罪」にも、私は同じ事を感じます。
どれだけのことをすれば、罪は償ったことになるのでしょうか?
一生その罪は償われることは、ないのでしょうか。

私は、犯罪を犯した人へ罪を償えと、一生背負って行けと、そう言えるのは被害者だけだと思います。
世間で、ただ「可哀相だったね」としか言っていない者が、「自分でなくて良かった」と思っている人が、その犯人に後ろ指を差すことができるのでしょうか。

犯人の人権ばかり叫ばれ、被害者の人権が疎かにされている、そういう意見も、今までどれくらい聞いたでしょうか。
確かに、それも一理ありますが、犯人の人権の正反対の位置に、被害者の人権があるのでしょうか?どちらの人権も守ることはできないのでしょうか。
先にも言ったように、犯人を憎むことができるのも、犯人に訴えることができるのも、被害者だと私は思っています。ですが、昨今、犯人の名前が起訴前に「容疑者」として公表され、顔写真が出た時点で犯人は多少の「ハンデ」はあるわけです。そのハンデを使うのが被害者側ではなく、関係のない、その事件の輪の外にいる「世間」だということに、私は矛盾を感じます。

マスコミの過剰な報道に腹を立てている人もいるでしょう。
けれど、その「過剰な報道」が世論を動かすきっかけになることもあるんです。
「泣き叫んでいる遺族を映さなくてもいい」
それは、正当な良心であり、感覚です。
けれど、それを望む声があるからこそ、テレビ報道はここまで進み、技術が進んだのです。
「あなた個人」は望まないかもしれない。
けれど、それを望む「不特定多数の人」がいるのです。
そして、それが「世論」として通ってしまうのが、民主主義なのではないでしょうか。


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サッカーは、やっぱり嫌いです - 2001年06月10日(日)

今日は、本当に「何もしない一日」でした。
外出もせず、一日家で眠っていました。
今週は、心身ともに、疲れた一週間でした。これで、明日からまた働けるでしょう。

今日は、ワールドカップの前哨戦、コンフェデ杯の決勝戦をやっていました。
サッカーは、嫌いではないけれど、今はまだ、あまり見たくありません。
どうしても、それがつながってしまうから。あの子へ。
特にサッカーは、南港に設置された大型スクリーンでオリンピックの試合を見にあの子といっているので、よけい繋がります。

日本の攻撃や、シュート、PK・・・一場面一場面に一喜一憂していたあの子を、覚えているから。
つまり、私はサッカーではなく、あの子を見ていたということです(笑)。
あの頃が、ひょっとしたら一番幸せなときだったかもしれません。

サッカーは、やっぱり嫌いです。



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背伸びしなくてもいい相手 - 2001年06月09日(土)

今日は、大学時代の友人に会いに、神戸まで行きました。
彼女に会うのは、約3ヶ月ぶりくらいでしょうか。
そして、神戸に行くのは、昨年、ルミナリエに行って以来かもしれません。

神戸は、嫌いです。
あの子と神戸で会ったことは、少ないのだけれど、それでも、どうしても思い出してしまうからです。
最初、彼女とは三宮で会う予定でした。
でも、三ノ宮は、私が最後にあの子と二人で会った場所です。
そこに、まだ私は行く勇気はありませんでした。
ということで、神戸にしてもらいました。

別に、神戸のどこに行くというわけではないけれど、二人で会って話すのが目的です。それだけです。
昼に待ち合わせをして、モザイクにあるスペイン料理の店へ。
彼女に、彼氏ができたことも聞きました。
彼女はあの子の話を聞いてくれていたひとりですが、片思いをしているときの行動が、私と似ています。

恋愛に関して、いつも苦しんでいました。
でも、今彼女はすごく幸せそうでした。新しい彼氏は、高校時代の同級生なのだそうです。
どちらかといえば、相手のバックグラウンドなんかを気にする彼女ですが、今回も、まあその部類に入りますが、それでも彼女が幸せなら、そんな事はどうでもいいのだと思います。それに関していろいろ言っていた友人もいましたが、要は、本人が幸せなら関係ないのだと、彼女を見ていると思います。

恋愛に関して、たくさん泣いたし、たくさん傷ついた彼女だから、幸せそうな彼女を見るのは嬉しいです。
ノロケ話を聞くのは、まだちょっと痛いですが(笑)。

彼女が言いました。
「もし、縁があるなら、いずれきっと収まるところに収まるよ。今、動く気がないなら、動かなくていいんじゃないの。動きたいなら、動けばいい。でも、どっちにするにしても、自分で区切りをつけないと、ずるずる行ってしまうよ」
経験者が言うだけあって、言葉に重みがあります(笑)。
「今の人といると幸せだと思う。今まで、自分がすごく背伸びしてきたな、と思うよ。だから、きっと自分に合う人っていると思うし、その人に会うとわかると思うよ」

そうかもしれません。
私は、あの子に対して背伸びをしていた部分がありました。「物分かりがいい」人をしすぎたのかも知れません。
自分で「無理をしているな」と感じることは、何度かありました。
分かっていても、やっぱり「好き」だという気持ちに負けてしまうのですが。

今度は、背伸びしない相手を好きになりたいと思います。






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ボーリング大会 - 2001年06月08日(金)

今日は会社の人たちとボーリング大会でした。
開始は8時なので、その前に元同僚(彼も参加したのです)とご飯を食べに行きました。

7時に待ち合わせをして、駅近くのビール・バーへ。
彼といると、安心します。
恋愛感情から来る安心ではなくて、「大丈夫」だと思える、安心感。
考え方が似ているわけではないし、経験してきたことも、全然違うのに、それでも何故か安心ができます。
会っても、お互い愚痴を言うのが多いのですが(笑)。
今日は、何を話していたかな。
あの子の話も、相変わらず聞いてもらいます。
この間、会った話も。

さて、本日のメイン・イベントのボーリング大会です。
それほどボーリングは得意、というわけではないけれど、昔ソフトボールでピッチャーをしていたからでしょうか。なんとなく、コツのようなものは、分かっています。
今日は、ちょっとお酒が入っているのもあって、最初はあまりスコアが伸びませんでした。
1ゲーム目の第5投目くらいから、ちょっとずつ、ピッチが上がってきました。ストライクか、スペアが続き、終わってみると135点。女性は一律50点のハンデがあるので、185点でした。
自分でも、驚きです(笑)。
2ゲーム目は、終始、調子が出ませんでした。というわけで、98。ハンデの50を足して148です。

ということで、結果、全員で23名ほどの参加者のなかで、ハンデ付きのポイントでは、私は堂々の1位でした・・・いやーすごいな。
2ゲーム合計で、ハンデ付きだと3位・・・だったかな。
これで年末の親睦会ボーリング大会ではハンデがそれほどもらえなくなってしまった・・・。

楽しい、大会でした。こういう事でもなければ、他のフロアの人たちと話すこともあまりないし。
年齢が近い人たちが多いということもあるのだろうけれど、楽しかった。








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今日は、こんなに元気です - 2001年06月07日(木)

もう、木曜日です。今週は何故か一週間が早く過ぎた気がしました。
一生懸命、仕事をしたからだということに、しておこう。

今の仕事が好きかと聞かれると、もちろん好きです。
自分の作っている雑誌がすきかと聞かれると、少し、考えます。
嫌いではない。もちろん。
でも、来る原稿に満足しないときもあります。
時間の関係と、力の関係で、ちゃんと発言できないのが、悔しいと思う。
この「悔しい」という感情がある間は、大丈夫なのだと思うけれど。

以前、私は記者ではなく編集者向きだといわれたことがありました。
それは、単なる社交辞令のようなものだったのかもしれませんが。
まだ、私は「編集者」というものがどういうものなのかはよく分かりません。
ただ、言えるのは、マックで他人の原稿を組むよりも、記事を書いているときのほうが楽しいということ。
それが果たして「編集」というものなのかは分からないけれど。

いろいろ考える。仕事のことも、恋愛のことも、友達のことも。

今日は、こんなに元気。








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何かをするための決意 - 2001年06月06日(水)

昨夜は、夜中、雨が降っていた。
雨は嫌いじゃないけれど、寝ながら聞く雨の音は、思考を閉鎖的なほうへ導こうとする。

雨の音を聞きながら、あの子のことを考えた。
土曜日に、少し、見かけただけで、時間にして、5分ほど、見かけただけで、言葉も交わさなかったのに、これほどぶり返すものだとは思わなかった。

あの子に彼女ができていた時の話だとか、もう一度あの子に会って、今度はちゃんと顔を見て「好きだ」ということだとかを考えていた。
考えながら、いつもはすぐに眠りに落ちるのに、雨の音がずっと聞こえて、なかなか眠りに落ちることができなかった。
朝は、案の定起きれなくて、会社を午前中お休みしました。

午後からの仕事は、する仕事はあるのだけれど、何故か少しも現実味がなくて、笑っているのも、話しているのも、どれも本やテレビの中の出来事のような気がしていました。

そんな時、ふと今日が「映画デー」だったということを思い出し、いきなり友人に声をかけ、映画を見に行きました。

見た映画は「ハンニバル」。
「羊たちの沈黙」の続編で、公開当時はかなり評判にもなった。私は「羊たちの沈黙」はそれほど好きではないけれど、レクター博士役のアンソニー・ホプキンスが好きです。

サスペンス・ホラーに、スプラッタが少し混じったような映画です。教訓も、何もない映画なのに、見終わって私に足りないのは「決意」だと思いました。
「何かをするための決意」
そう、今なら、「あの子を忘れるための決意」。
私に決定的に欠けているのは、これでしょう。
だからこそ、いつまでも考えている。だからこそ、どっかに「希望」を探そうとしている。
それでは、いつまでたっても前に進まないことを分かっていながら。

「無理にそう思う必要はない」という人もいると思う。
けれど、時には、無理にでもそう思い込むことも、必要なんだ。
もし、あの子が、本当に私との「縁」を持っているのなら、きっといつかまた逢うんだろう。
だから、大丈夫。

私は、こんなに弱かったはずはない。



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「助けを求められる」存在 - 2001年06月05日(火)

今日は、朝、友人に会いました。
朝から爽やかな奴でした(笑)。でも、彼のおかげで朝からブルーな気持ちは避けられた。

引き続いているけれど、私は今までどれだけの人に、助けられたのだろうかと思う。
それだけのことを、私は私を助けてくれている人たちに返せているだろうか。
同僚、同期、友達・・・。

「助けを求められる」存在がいることが、どれだけ救いになっていて、それがどれだけ幸せなことか、私は分かっていたようで、本当は分かっていなかったのかもしれない。

それでも、どれだけ大勢の人に「大丈夫だよ」って言われても、たったひとりの人の言葉で、幸せにも、不安にもなってしまう。
それだけの価値が、その人にあるのかは分からないけれど。
その人のためなら、きっと私はどんなにも優しくなれる。
その人のためなら、きっと私はどんなことにも耐えられる。
その人が、私を見てくれるなら、私の方を向いてくれるなら、私を必要だとしてくれるなら。

ホントウニ、ダイスキダッタンダヨ



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ワカラナイ - 2001年06月04日(月)

ブルーな一日、というよりも、ボーッとした一日でした。
忙しいような、忙しくないような・・・。
「考えたくない」と思いながら、結局一日中考えていたような気がします。

昼休みに、元同期の子と話してました。
昨日、彼からえらくバイオレンスなメールが来ていたので(笑)。
私も、彼も、本当は自分のことで手いっぱいなはず(笑)なんだけどね・・・。

とりあえず、今月は私は運命の人に会う月らしい(梅田の占い師談)。
一つ上の「運命の人」
・・・ひょっとして、あの子だったりして(笑)。今月、もう会ったしなあ。ひょっとして、あれは会ったではなく「見ただけ」となるのかもしれないけれど。

できれば・・・私はどうあってほしいんだろう。




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それが、悲しい - 2001年06月03日(日)

一晩たって、少し、落ち着いた気がします。
昨日の夜、本当は伝えなくても、よかったのだとは思うけれど、メールがしたくて、メールをしてしまいました。
あの子は携帯メール、私は家のパソコンです。

私:電車の中で本を読みながら笑っていたら変な人だと思われるよ
あの子:確かに・・・あなたは何してたの?
私:なにも。
あの子:なにもしてなかったの?どうして声かけなかったのさ?
私:楽しそうに本を読んでいたから
あの子:あなたと話ししたかったな
私:私はしたくなかった(笑)
あの子:チェッ(苦笑)

私と話しをしたかったと、「どうしてそんなことを言うんだろう」と思うけれど、私があの子なら、同じ事を言ったかもしれない。
いや、「声かけてくれればよかったのに」ってので終わるかな(笑)。

その言葉に、私はまた、意味を見つけ出そうとしている。
今まで、何度も何度も繰り返してきては、落ち込んできたはずなのに。
それでも、私はまだ懲りてないのか(笑)。

正直言って、分からない。
まだ好きなんだとは、思うけれど。
去年のように、「顔を見たら、やっぱり好きだと思った」とは、言えないのも、本当。
昨日は、気が動転していた(この時点で好きなんだとは思うけれど)。
立っているのがやっとで、体中が震えていた。
声をかけたくてもかけられなかったと思う。

昨日、「声かけたらあかんよ」と私を止めた同僚は、私と昨日別れた後、私が彼に声をかけるだろうと思っていたのだそう。
私も、そう思われているだろうとは思っていたけれど(笑)。

「会える距離」にいた昨日は、話したかった。
時間が経って今日は、「会いたい」気持ちに「会わないほうがいい」もしくは「会いたくない」気持ちが、混じってきた。

あんな人込みの中でも、あの子だと分かるのに。
なのに、それが、悲しい。





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必要性も必然性もない、「偶然」 - 2001年06月02日(土)

今日で取材は終了です。
今回の学会は、見ていて気の毒なほど、盛り上がりに欠けるものだった気がします。来年に、期待しましょう。

夕方の新幹線で、帰ってきました。
5時21分東京発。
乗る前に、ちらっと、「一緒の新幹線に乗ってたりして」なーんて考えてしまいました。ありえるわけないんですけど。

大阪まで同僚と今回の仕事の話や、会社のこと、恋愛のことなど、ほんとよく話しました。
普段はそれほど良く飲みに行ったりはしないんだけれど。同じ体験をしていることが、話しやすくなっているのかもしれません。

新大阪に着きました。
ホームへ降り、エスカレーターを降りて、改札を出る前に、かばんから切符を出し、ふと、顔を上げたとき。

横顔だけで、分かりました。
ごった返す人の中で、ほんの一瞬、見えただけで、すぐにあの子だと分かってしまいました。
あの子はもちろん私には気付きません。
オレンジ色のブラウスも、オフホワイトのパンツも、薄汚れたスポーツバッグも、どれも何度か見たものでした。

「あの子がいる」
一緒にいた、同僚に言っても、最初は信じませんでした。
「見間違いちゃうん」
そう、いいました。でも、私は確信してました。顔を見たのは一瞬ですが、あの子だと、「わかって」いました。
一瞬でも。

大阪へ向かうためホームへ降りて、オレンジ色のブラウスを着たあの子を見ました。
「声かけたらあかんよ。せっかく忘れかけてるやん。今話したら元にもどるで」
そう、同僚に言われました。
その同僚がいなければ、話しかけていたかも知れません。

近くで見たい、気付いて欲しい

多分、その時はそう思っていたんだと思います。
でも、隣の車両に乗りました。あの子がどこにいるのか、その車両からは見えませんでしたが。
大阪駅に着いて、同僚に「声かけへんかったのは、えらかったと思うわ」といわれました。
その同僚と別れてから、しばらく、あの子を眺めていました。
私たちが乗ってきた電車は普通電車で、5分ほど、快速待ちのために停車していたからです。ホームの柱に寄りかかってあの子が、楽しそうに本を読んでいるのを見てました。

「声をかけようか」
そういう思いもあったけれど、体中が震えて、柱に寄りかかって立っているのが精一杯でした。
「声をかけたい」そう思っても、きっとその時は歩くことも、声を出すこともできなかったと思います。

ドアが閉まりました。
あの子は本に夢中で、顔を上げることはしませんでした。顔を上げたとしても、私に気付くことはなかったかもしれないけれど。
本を読みながら、笑っているあの子を見て、「かわってないな」と思いました。
笑い方も。
そして、それを何故か淋しく思いました。
ああ、あの子は私がいなくても、やっていってるんだ。
当たり前なんだけれど。それが、悲しくなりました。

どうして、会うんだろう。
会う必要もないときに。
学会が早く終わって、もし、指定よりも早い新幹線で帰ってきていたら、会うことはなかった。
もし、新幹線から降りるタイミングがずれたら、改札であの子を見ることもなかった。
もし、私があの時顔を上げなければ、あの子を見つけることはなかった。
「あの時」「あの場所で」会う必然性も、必要性もなくて、それはすべて「偶然」の一言で片付いてしまう。
一瞬、横顔を見ただけで私はあの子だと気付くのに。

このまま、忘れていくと思っていた。
忘れるまで、会うことはないと思っていた。
何が、楽しくて私をあの子に会わせるんだろうか。
私があの子を忘れるのを邪魔するように。

今回、初めて「あの子に会わない東京出張」になるはずだったのに・・・。










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嫌いな、東京 - 2001年06月01日(金)

今日から東京出張です。
あれ以来、初めての東京です。そして、東京に行ってあの子に会わないのも、東京に行くことをあの子に知らせないのも、初めてのことです。

久しぶりに、始発の電車に乗りました。
前日出張の準備をしていて眠るのが遅かったので、新幹線の中では熟睡でした。おかげでよけいなことを考えずにすんだのかもしれません。

10時からの発表を聞くと、2時前まで仕事がありません。
今回は学会取材ですが、「なんだこのプログラム」と正直、思ったくらいでした・・・。
どこかで寝ようかとも思ったけれど、そんな場所はないし、漫画喫茶にでも行こうかと思ったけれど、場所が銀座のほうだったために、オシャレなカフェや店はあっても目的のものがありません。
そうこうしているうちに、映画館を見つけました。
「初恋がきた道」という中国映画がやっていました。見たかったけれど、大阪ではいつのまにか終わってしまった映画です。

ちょうど始まる時間で、しかも、2時前に終わるので、見ることにしました。
1時間ちょっとの短い話ですが、とても純粋な恋愛映画でした。ひねりも、気のきいた台詞も、どきどきするようなシーンもない。
田舎村に来た若い先生と、村一番の綺麗な娘の恋愛もの。自由恋愛は難しかっただろう頃の恋愛という設定だからこそ、そういうふうに見れるのかもしれません。
女の子のほうが、ちょっとストーカーチックでしたが、でも、ひたむきな想いと、好きな人に一目でも会いたい、声が聞きたい、という「想い」はとてもよく分かるから。

見終わって、学会場に戻り、今回一緒に取材に来た会社の同僚と合流。
今日の分が終わってからは、その同僚が見たいという、吉本新喜劇とコントを見に、新宿へ。・・・まさか、地元の関西じゃなくて仕事に来た東京でみるとは思わなかったなあ。
ココリコと2丁拳銃、新喜劇では藤井隆なんかが出てました。
それ程吉本が好きなわけじゃないけれど、でもなかなか楽しめました。
終わって新宿でその同僚と呑みながらご飯を食べ、いろんな話をしました。

一日、東京にいて、目の端々で、あの子を探しています。
「会うわけない」
そう分かっているのに、オレンジ色の服や、めがねなんかを見ると、目が追っていました。
見てもすぐに「違う」って分かるんですけどね。

それでも、東京にいながらあまり落ち込まずにすんだのは、一緒に行った同僚のおかげ。
ありがとうございます。












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