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素直 - 2000年11月30日(木)

出すつもりのないメールをあの人に出しました。
いつもより、ずっと・・・今まで送ったメールのなかで一番、素直なメール。

本当は、ずっとだそうかどうかは迷ってた。
今も、出しても良かったのかどうかは分からない。

それでも、出そうと思ったのは、本当に、ケリを着けたかったのかもしれない。
少しの期待があるから、ずっとケリを着けることができなくて、ずっと迷っていた。
「好きだよ」そう、メールで送ったのは初めて。

どんな返事が来るだろう?
きっと、今日は徹夜明けで、帰るのが遅くなるから、メールを見ても、返事は来ない。
メールで返事が来るだろうか?
それとも、電話?

でもね、多分、私が一番確率が高いと思うのは
「きっと、何も返事をしない」




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メール - 2000年11月29日(水)

今日は,今までで一番,しんどかったかも.
仕事で,しんどくて,しんどくて,すごく,つらかったよ.

あの人なら,分かってくれるだろうか?
そう,思ったのが間違いだった.

久しぶりに,私からメールを送ったのに.
しんどいよ,それを分かって欲しかった.
別に,何を期待したわけでもない.
ただ,「だいじょうぶ?」とか,
「がんばれ」とか,そういうのでよかったの.
その,一言で良かったのに.

あの,メールは何?

私がしんどいのは,どうでもいい?
君には,私がしんどいかどうかは,関係ないことだからね.

それでも,私は期待したよ.
少しでも,心配してくれるような,メールが来ること.

ね,私は,結局君にとって,
「愚痴を言える相手」でしかなかったのかな?
そして,仕事上のネタをもらえる,それだけでしか,なかったんだよね.

いっそのこと,「そうだよ」って,言ってくれたら良いのに.




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淋しさ - 2000年11月28日(火)

今は、とてもいそがしくて、でも、忙しいときによけい考えてしまうのはなぜだろう?

あの人がいなくても、食べるし、笑えるし、話もできるけど、
それでも淋しさは消えない。

とりあえず、「がんばろう」
そう、以前は言えたのに。

今は、どうかな?


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嘘 - 2000年11月27日(月)

今日も,メールがあったね.
酔ってるような,相変わらずのメール.
それでも,私の心は動かなくて,
それを疲れのせいにもできるけれど,以前なら聞きたかったあなたの声も,今は聞けば泣き出しそうだよ.

「待つ」と言うことが,どれほどつらいものか,あなたは考えたことがありますか?
この2週間の間,私のことを考えてくれていた時間はどれくらいありますか?

会いたい気持ちも,話したい気持ちも,すべて私の本当なのに,
あなたが受け止めなければ,それらはすべて嘘になってしまいそうだよ.

私が他の人を見る日をあなたは待っているのですか?




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2週間 - 2000年11月26日(日)

今日で,ちょうど二週間がたちます.
最後に,あなたの声を聞いてから.

メールも,電話もなくて,2週間たちました.新記録,だね.

そして,今日は二週間ぶりにメールがありました.
まるで,今まで通りのような,なんでもない,メール.

私は,嬉しいのか,嫌なのか,分からずに,少しの間,返そうかどうか迷っていました.
嬉しい気もする.
それでも,レンアイがしたい私と,レンアイごっこがしたいあなた.
相変わらず二人の間にギャップがあるのが悲しくて,
私はついつい優しくないメールを返してしまいます.

ねえ,2週間たったよ?
何か,言うことはない?聞くことはない?
それとも,また私から言わなくちゃいけないかな?

あなたから来るメールは,本当は嬉しいはずなのに,
今の私にはナイフよりも鋭くて,痛いよ.



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最後の街 - 2000年11月25日(土)

今日は仕事であの人と最後に会った街に来ました.
朝,少し早く着いたから,あの人と別の友達を待っていた場所で少しの間座っていました.

あの人が座っていた椅子には誰も座ってなくて,私はその椅子に,あの人が座っていた風景を思い浮かべていました.

私はあの人の手が好きでした.
指の長い,きれいな手.男の人の手をきれいだと思ったのは初めてでした.
そのきれいな手で,あなたは椅子に座って電話をかけていました.
携帯のバッテリーが切れてしまって,私の携帯でかけていたけれど.

不思議だね.こんなにはっきりと思い出せるのに,椅子も,周りの風景も,全然変わらないのに,変わっているのは,あなたがいないことと,私の気持ち.

声を聞いたり,会ったりしたら,また前のように戻っちゃうのでしょうか?

あれだけ,毎日のようにあった電話も,メールも,もう10日以上ない.あなたのアドレスも,名前も,携帯の履歴にもメールにもない.
声も,聞いていない.

私のことを,考えてくれている時間はありますか?
まだ,完全に吹っ切ったわけではない.
吹っ切れてはいない.

私が以前期待したあなたの言葉も,もう今は過去のもので,
それが果たして本心だったのかさえ疑いたくなる.

好きなのに,私はきっとあなたを信じきれていなかった.
好きだから,あなたを信じきれなかったんだろうか.




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韓国料理 - 2000年11月24日(金)

今日は会社の人たちと韓国料理に行った。

その店は、以前あの人と二人で来た店。
二人が座った席には、別のカップルが座ってた。
つい、2ヶ月ほど前のことなのに、もうずいぶん昔のような気がする。

楽しかったよ。
いろいろ話をして。あの人と来た店だということも、すっかり忘れてた。

好きだよ。今でも。
声も聞きたいと思う。会いたいと思う。
今の私が誰に意地を張っているのかは分からないけれど。

電話を待つ事がなくなった訳ではないけれど。
それでも、心のどっかでもうかけてくることはない気がしてる。

1ヶ月後は、クリスマスイブだよ?
あの人は以前『仕事だなー』って言ってたね。
もし、仕事じゃなくて、私が「会いたい」って言えば、会ってくれましたか?

1ヶ月後の、2日後(変な表現だが・・・)にはこっちに帰ってくるんだね。
ひょっとしたら、この1ヶ月、電話で話すことがないかもしれない。
何で、電話をかけてこないのかは分かってる。多分。

彼女ができたからとか、そういうんじゃなくて、多分、最後の電話で私が「当分連絡つかないかも」って言ったから。
こういうとこだけは、素直なんだね。
あれだけ長くいたのに、あれだけ長く話したのに、
それでも、二人の間での意志の疎通は上手くいかない。
あれだけ長い間、いったい私たちは何を話してたんだろうね?

いつも、不思議に思うよ。

明日は、仕事であなたと最後に会った街に行きます。
きっと、思い出すと思う。必ず、思い出すと思う。
それでも、待ってる電話は、きっと来ない。






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結婚記念日 - 2000年11月23日(木)

今日は勤労感謝の日だけど会社に行った。
記事がたまってるから。
取材は好きだけど、記事を書くのも嫌いじゃないけど、書こうという気になるまでに時間がかかる。
だからいつもぎりぎりまで放っておいてしまう。

記事を一本仕上げたところで美容師の友人に髪を切ってもらうために友人のところへ。
ここ2,3年ずっと短かったから、久々に伸ばしてみようと思っている。
来年はその美容師の友人の結婚式もあることだし。
髪を切ると、少し心も軽くなる気がする。
違う自分になった気がする。単純だけど(笑)

そして、今日は両親の28回目(多分)の結婚記念日。
毎年特に何もしないのに、何か今年はしてほしそうだったから、昨日ケーキやさんでケーキを予約した。「結婚記念日おめでとう」って書いたチョコのプレート付きの奴。
誰かの喜ぶことをするのは、やっぱりちょっと自分も嬉しくなる。

少しずつ、私は元気になる。
電話を待つこともなくなって。
そしていつか、きっと笑顔であの人に言うことができると思う。
「ありがとう」



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くじら - 2000年11月22日(水)

今日は土佐料理の懐石料理を食べた。
おいしかった〜。

久しぶりに鯨を食べた。
私がまだ小さいころはスーパーにもくじらが並んでたんだけどな。刺し身用(?)で。
くじらは哺乳類だから食べちゃだめなんだって。
じゃあ豚や牛はどうなんだろう?いつか規制されるのかなあ?

各国の文化があって、自国の文化に合わないから規制するなんてなんか変。ありや虫を食べるのは「ゲテモノ」で住むのに。

くじらを繁殖することができたら規制されなくなるのかな?

自然界は死んだらその死体が土に返ったり他の動物の栄養分になるのに、人間だけがそのわからはずれているんだね。
それがいいか悪いのかはわかんないけど。

人間の数よりも、地球上の他の動物の方が数が多いのに、人間が好きなように地球を改造してるのも変な話だなあ。




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一人芝居 - 2000年11月21日(火)

昨日は、泣きながら眠りました。
眠る前までは平気だったのに、あの人から電話がないということを認識すると、悲しくなりました。

このレンアイのために泣いたのは、初めてかもしれません。

でも、この想いは、「レンアイ」ですらないのかもしれません。

自分が好きな人がいて、それが、良い結果にしろ、悪い結果にしろ、その想いに「応え」てくれるのが「レンアイ」のような気がします。
けれど、私のこの想いは、止まってしまっている。
あの人に向けた思いなのに、受け取ることも、跳ね返すこともせずに、あの人は紐をつけた状態で放置してあります。

これは、「レンアイ」ですか?
放置された私の想いは、どこへやればいいんでしょう?

こんなのは「レンアイ」じゃないよ。
私1人が動いている「一人芝居」でしかないんです。

それは、レンアイにはなれません。
片思いにすら、ならないんです。


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レンアイについて - 2000年11月20日(月)

私は、今までほとんどと言っていいほど人を好きになった事がありません。
だから、レンアイをしている人の気持ちがあまり分かりませんでした。
「なんで、あれほどはまるんだろう?なんであれほど、相手に合せられるんだろう?」
ずっと、そう思っていました。

でも、自分が人を好きになって、少し、その気持ちが分かりました。
別に合せてるわけじゃないんです。相手の喜ぶ顔が見たい、ただ、それだけなんです。

前にも書いたけど、レンアイで、両想いになるって、本当に、奇跡に近い気がする。もちろん、お手軽なレンアイじゃなくて、お互いが、お互いを好きだというレンアイ。

私の恋愛は、周りからとても「変わってる」といわれてました。
確かに、とても変わってるのかもしれない。
それでも、すごく楽しかった。
本当は、まだ終わってない。
私は、まだちゃんと振られてない。

でも、「振って」といっているのに、どうしてあの人は振ってくれないんだろう?
「両想いにしようか」「好きになるかもしれない」
そんな、期待を持たせるような言葉を並べて・・・、けれど、つきあうわけじゃなくて。

「今はまだ考えられないから、待って」
あの時、そう言ったけれど、
それでは私はいつまで待てばいいですか?
あなたが心から「好き」だという人を見つけるまで、私は待っていなきゃいけませんか?

私は、意地っ張りだから、自分の弱い面は見せていないけれど、それでも、私はあなたが思うほどは強くありません。

片思いをしている私は、あなたの行動や、言葉であなたが私をどう思っているかを推測するしかないんです。それが、当たっているのか、外れているのか、それは分かりませんが。
嬉しいことを言われた時の嬉しさよりも、ほんの少しのあいまいな理由からくる不安のほうが強くて、あなたに片思いをしている私はいつも不安なんです。

「こっちを向いて欲しい」そう思うのはわがままかもしれません。それでは、「振ってほしい」というのもわがままですか?

その想いすら、私が自分で断ちきらなければならないんでしょうか?

もう、お願いだから、私を楽にしてください。







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涙モノ - 2000年11月19日(日)

今日は久々に一日だらだらと寝ていた。

寝ながら、広島にいた津田恒美(こんな漢字だったかな)投手の奥様が書かれた「炎のストライク」という本をドラマ化したものの再放送を見た。

泣けるドラマも、映画も、本も好き。
この年齢になって、なかなか自分のことで泣ける事がなくなってきた。
失恋しても、仕事を失敗して落ち込んでも、なかなか泣けない。
自分に関しての感情のコントロールをずっとやってきたから。感情を隠すのが、すごく上手くなっちゃったからかもしれない。
自分のことに関して、悲しくても、涙が出ない。

でも、泣けるドラマや映画何かを見ると、すぐに泣いちゃう。
その状況に、泣けなかった自分の状況を重ねて、泣いてるのかもしれない。

津田投手のことをはっきりと覚えてるわけではないけれど、脳腫瘍だったということは、全然知らなかった。
「病気」で亡くなる人に関するものや闘病ものが、話題になったり、ベストセラーになったりするのは、もちろんその人自身の生き方や、知名度なんかもあるけれど、「病気」ということに対して一般的に不可抗力で、同情を誘うイメージがあるからのような気がする。一種の「免罪符」的な働きをしている感じ。
でも、同じ病気でも、敬遠されるものもあるけれど。

「病気」=「涙もの」というイメージが強くて、「そうじゃないんだよ」といことを伝えようとしているものもあるけれど、それすらも、「すごいね」ということになってしまう。
「障害」や「病気」をきっかけとして、世間的に有名になった人もいて、そういう人たちの何人かが、当初言っていた夢とは違った生き方をしている。
たまに、そういう人を見ると、「言っていたあの夢はどうなったんだろう?」って思うけれど、まあそれもその人たちの人生だし。

津田投手のドラマは、岸谷五郎も、石黒賢も良かったけれど、石田ひかりはどーも・・・。下手ではないんだけれどね。





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理由 - 2000年11月18日(土)

今日は土曜日だけど、出勤。
会社で座談会があったから。

メンバーは2人。九州で看護士をされている方と北海道で看護士をされている方。
どちらの方もとってもおしゃれ。
そして、紳士的。
でも、話はじめると、とても熱く語ってくれます。
一人の方が言った言葉がありました。

「壁にぶつかると、その行動の意味ではなく、そのしんどさだけに目をむけてしまって、やめてしまう」

これは、看護婦がやる看護研究についての話の内容で出てきた言葉ですが、普段の生活の中でもこういう人、いる。
「何で今やめるの?せっかくここまで来たのに」
そう思っても、本人はなんやかんやと理由をつけてやめたがる。
どれだけ、理由をつけても、やめる行為自体には変わらないんだけど。

本人の話を聞いていると、そういうもっともらしい理由をつけて単に自分を納得させている気がする。
「やめる」というのはちょっとカッコ悪いし、途中で投げ出すようで悔しいから。
だから、もっともらしい理由をつけて「やめる」行為を正当化、というか、周囲も、自分も納得させたがる。
いっそのこと、潔く「しんどいからやめる」そう言ってみても良いと思うんだけど。
それじゃあ周りから反対されるしね。
本人の人生なんだもの。周りに迷惑をかけない程度なら本人の好きなようにやってみても良いと思うんだけどね。

案外、本人にも「理由」は分かってないのかもしれない。

でも、そのお2人は、それぞれ自分の道を究めていて、とてもすごい方。
私なんて、まだまだ迷うことだらけなのに。
(そりゃもちろん向こうの方が約2倍も上だけど)

小学生や中学生の頃に考えていた今の自分の年齢はもう「オトナ」だったのに、まだ、全然「コドモ」。
いつになったら、いろんなことに上手く折り合いをつけて、立ち回っていけるのかなあ。



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同期 - 2000年11月17日(金)

今日は久々に同期とのみに行きました。
雑誌の編集という仕事柄、それぞれの雑誌の忙しさが日によってまちまちで、なかなか一緒にのみには行けませんでした。
今回も、同期の1人は来れませんでした。

同期は私を入れて4人。
そのうちの1人が来年の3月で退職します。
同期の中の、唯一の男性でした。
でも、「同期」というよりも、「頼れるおにいちゃん」って感じ。
お昼もよく一緒に食べに行ってたし。
いろいろな悩みも相談にのってもらいました。
とても面白くて、とても頼りになって、大好きな同期です。
「退職しても、ご飯食べに行こうよ」
そう言ってくれる。

退職するのは、自分の夢があるから。
やりたいことがあるから。
年齢的にも、経済的にも、難しいらしいけれど、それでも、がんばって欲しい。
やりたいことがあるなら、それがたとえムズカシイ事でも、やってみたら良いと思う。

私が学生で就職活動をしていた時、ある証券会社から内定をもらった。
最初は、そこに決めるつもりでいたけれど、いざ承諾書を書く段階で、迷った。
私がやりたいのは証券会社のOLではなく、「書く」仕事。記者でも、編集でも、何でもいい。とりあえず自分で文章を書く仕事がしたかった。
書類を持っていく時、そこの証券会社の支店長にあったときに正直に自分の気持ちを言った。
そしたら、その人はこう言った。
「やりたいことがあるなら、それをやってみなさい。学生だからといって、やりたいことを諦めたら、後で必ず後悔する。
あなたは仮にもこちらが欲しいと思った人材です。もし、あなたがやりたいことがやれなかったら、もう一度来てください」
とても、嬉しかった。
後押ししてもらっている気がした。
あの言葉があったから、私は今、編集の仕事ができているんだと思う。
あそこでやりたいことを諦めていたら、「編集者の私」はいなかった。

考えると、私は今まで節目節目のポイントで、誰かの言葉に後押しされてきた気がする。
だから、今度は私が後押しする言葉を言いたい。

がんばれ。









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占い - 2000年11月16日(木)

今日は会社が終わってから占いに行ってきました。
行ったところは会社の人から「怖いくらいあたる!」といわれたところ。

占ってもらった結果、率直な意見は「かなり当たってる」

なんて言うのかな。結果は、はっきり言って悪いんだけど、それは多分心のドコカでわかってたことで、落ち込むことはなかった。

占ってもらったのは、レンアイについて。占い方は占星術とタロット。
今の現状、これからの状況、そして、アドバイス。
一番、印象に残ってるのがアドバイス。
「いろんなことを悩んでいる自分を開放してあげなさい」
心が、軽くなった。
「待ってても無理ですか?」と聞いたら「無理」って即答されたし(笑)。
「無理、というか、待つかいがない」とまで(笑)。

来年のバレンタインデー以降、私は誘いなんかが増えて新しい世界に目をむけるチャンスが広がるのだそう。
彼の方は、年単位で悪い星回りプラス、自分自身の性格もあって、かなり落ち込みの運気なんだって。
電話しても、話をしても仕事とかの愚痴になって私の方が重くなってくるらしい。
「もっとしっかりしてよ」「なんでこんなことに時間を取られないといけないのか」というように感じてくるらしい。

「今、無理に忘れようとか、連絡を絶とうとかしなくても、これから自然にそういう状況になってくる」んだそう。

何か、ある意味すごく余裕が出てきた気がする。
不思議だなあ。
「駄目」だといわれたのに、悲しくない。
悲しいというよりも「やっぱり」という気持ちの方が強くて。

これほど好きになった人は、ほぼ初めてと言っても良いくらいの人だし。1年間ずっと思いつづけている人だし。
本当は、きっと今も大好きなんだけど。
それでも、これ以上発展しないことは、何となく自分でも気付いていたような気がする。多分、気付いてたんだなあ。でも、認めたくなかったんだろうね。
誰かにそれを言って欲しかったのかもしれない。

「この先、あなたが衝動的に起こしたくなる行動には感情に素直に行動したら良いでしょう」って言われた。
「素直」って、私が一番苦手なこと。

「もう、いいよ。がんばったから」
そう言われている気がした。
とても都合の良い解釈だけど(笑)。

「この人が相手だったらいいな」
ずっとそう思っていたけれど、レンアイはやっぱり難しい。

自分の好きな人が自分を好きだっていうのは、かなりすごいことなんだと思う。
それこそ、奇跡に近いくらい。

今までの自分のレンアイは、「好き」だと言ってくれる人としてた。でも、今回は自分が好きになる楽しさを覚えた。

次は、自分が好きな人から「好き」だといわれる楽しさが欲しいな。












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カラオケ - 2000年11月15日(水)

今日は、仕事の後に友達にカラオケに付き合ってもらいました。
私の仕事が終わるのが遅かったのに、それでも付き合ってくれました。
「ごめんね」
って言ったら
「おたがいさま」
って笑ってくれました。

でも、その友達が話したい時、私はいつも出張に行っていることが多いんです。「いつでも付き合うから」
と言ってみても、現実にはそれも難しい。いつも、いつも、私ばかり頼っている気がするんです。

帰りは家まで車で送ってくれました。
車の中でいろいろと話しを聞いてもらうんです。
彼女は、これといって欲しい言葉をくれるわけでもないんだけど、じっと話を聞いてくれます。
本人には言ったことはないけれど、どうしようもない状況に私が陥った時、彼女はとても当たり前だけれど、私が思いもよらない言葉を発するんです。そして、私の中にあった重いもやもやとしたものをとってしまいます。

私はいつも、人から「強い」と思われるけれど、本当はとても弱いんです。本当に、本当に強い人というのは、彼女のような素直な人の事だと思います。
密かに、憧れます。

いつも、ありがとう。



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同級生 - 2000年11月14日(火)

今日は姫路の中学時代の友人に会いに行った。
大阪から姫路まで、ちょっとした、小旅行の気分。

同行者は同じく中学時代の友人2人。
そのうちの1人は今年結婚した。出会ったのが去年の年末で、付き合い始めたのがその1ヶ月後。結婚が決まったのが付き合い始めた1ヶ月後で、入籍はその2ヶ月後。結婚式はそれから3ヶ月後。
いわゆる「スピード婚」というやつ。
でもなかなか新婚生活は大変そう。

もう1人の友人は、来年の4月に結婚が決まった。
そして、会いに行く友人は年内に入籍する、と言っていたものの、相手の仕事で東京に転勤になったら「別れる」と言っている。

この4人で集まるのは久しぶり。
集まる友人によっては当時の思い出話しかできない友人もいるけれど、この友人たちに関しては別。当時の思い出話ももちろん、現在の状況も、悩みも、皆話すことができる。
「友達」っていう定義は人それぞれだと思うけど、人付き合いの決して上手くない私がもう10年近く付き合ってこれたのはひとえに「適度な距離」があったから。
何かあったら気兼ねなく話せて、相手に何かあったらじっくり話を聞いてあげられる。

「話を聞く」
これって簡単そうで、意外と難しくて、そして意外と重要なことなのだと思う。



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