アジアリーグアイスホッケー 日光アイスバックス1−2コクド(日光) - 2003年11月30日(日) 惜敗。 今日の一戦はこの言葉に尽きます。 コクドの壁は堅かった。 今日の敗戦ほど、悔しいものはない。 この2戦のバックスは素晴らしかった。そしてかっこよかった。 バックスの意地とプライドを魅せてもらった。そんな試合でした。 日光アイスバックス 2P 08:22 #18井原朗 A:#8村井忠寛 #9三輪ロバート駒生 コクド 1P 09:35 #8今洋佑 A:#11川口寛 #33ジョエル・パーピック 3P 04:35 #8今洋佑 A:#33ジョエル・パーピック #5宮内史隆 シュート数 バックス 16-12-6 計34本 コクド 12-11-14 計37本 本日のスターター バックス #1橋本三千雄 コクド #39菊池尚哉 バックスは土曜日好調だと、どうしても翌日は厳しい試合内容となることが多かった。今日も・・・という思いがあった。 バックスはすごく良い裏切りをしてくれた。 11月8日の王子戦を超える善戦を見せてくれた。 土曜の試合と遜色ないプレー。 11月18日の対ハルラ第2戦目の戦い振りを、この土、日でチャラにできちゃうほど今日のバックスは良かった。 今日の試合は#32、#15、#41、#11が目立った(私的に)。 惜しいのはコクドGK#39を崩せなかったところ。 フリーでパックを持ってゴール前まで持ち込むものの、コクド#39の堅守に阻まれる。 1ピリオドの失点はキルプレー(ペナルティ消化のため、プレイヤーが一人減った状態)中。 コクドの素早いパス回しに喰らいつこうとするものの、耐えきれず失点。 3ピリオドの2失点目は、攻撃中にターンオーバーされ、追いつけず失点。 あと少し・・・だったんだけどね。 2ピリオドの唯一の得点は、パワープレー(相手がペナルティ消化のため一人減)中。 バックスはパワープレーでもなかなか得点できないことが多いけど、チャンスを見 事モノにした。 コクドの戦術に関しては土曜日とあまり変化がなかったように見えた。 プレーはコクドらしさを取り戻したように思える。 でも、何故かパスが繋がらない。どうしても合わない。 コクドの得点は2点ともバックス#1が崩れ、DF陣のちょっとした隙間を突かれ たもの。 よく見るミドルショットはなかった。 日本リーグでは旧・コクドセット、旧・西武セットで組んでいたけれど、アジアリ ーグで(いや、バックス戦で?)それを崩し、西武・コクド混成セットにしたためかもしれない。 ボード際のチェックの激しさも土曜日と変わらず。ただ、変わったことは自滅が増 えた。ボードに当たる瞬間、バックス選手が上手く避けたので、もろにボードに突 っ込むこと数回。 自滅で退場するのはやめましょうね。バックスは何もしてないのに、倒れて起きな いからといって、バックスが何かしたかのようにレフェリーに迫るのやめましょう ね。大人しくボディチェック受けろと言うルールはありません。 そう何度も何度もチェック受けてたまるもんか。 ま、この辺は私の想像です。 今日の試合は両GKの出来が非常に良かった。 コクド相手にロースコアに持ち込めたのも#1の好セーブのおかげ。 もちろんDFも良かったことも非常に大きい。 ま、細かいこと言えば不満な所はあるのだけれど。 昨日の完封勝利を受け、サポーターの応援もいつになく熱かった。 ゲーム中のいろんな応援コールは、いつも決まった人たちが始めることが多い。 他の場所からコールが出たのは久しぶりだろう。 コクドがレフェリーに絡んでる(笑)時に起きたメガホン叩き、すごかった。 誰が始めたのかわからないけど、あっと言う間にアリーナ内がメガホンの音で埋め 尽くされた。 あれだけ揃うのも珍しいだろうな(笑) コクドにとっては非常にストレスになったことでしょう。 あれが霧降本来の姿なのかもしれません。バックスのサポーターは日本一。どのチ ームにも負けませんよ。 その代わり、ダメ〜な時は非常に冷たいです。バックス選手にも野次ります。 ・・・私もな(苦笑) サポーターと言えば、コクド。 土曜日の応援団はみなさんご出勤扱いですかね。今日、わかる範囲では10名もい ませんでしたね、サポーター。 実際何人霧降参りしたのか知りませんが、勝ったのに喜んでくれるサポーターが少 ないのはかわいそうじゃありませんか。 インターバルはわざわざジャージを脱ぐ。攻めているのにコールしない。してもタ イミング違ったりするし。 霧降では試合後の挨拶で相手チームにも惜しみない拍手(いや、メガホン叩き)を 贈ります。今日はいつもより大きかったですね。負けたのは悔しいけど、コクドだ ってすごかったんだし。 昨日・今日のプレーが出来れば、次週の王子戦もイケルかも。 まだ書きたいことはあるけど、残りは明日に・・・。 ... アジアリーグアイスホッケー 日光アイスバックス4−0コクド(日光) - 2003年11月29日(土) アジアリーグアイスホッケー 日光アイスバックス4−0コクド(日光) 結果の前に書かせてもらおう。 バックス、最高!!!! これがあるから辞められない。見に行かずにいられない。 だってさ、霧降初勝利だよ? その上、完封勝利だよ? 対戦相手、コクドだよ? 社長(#11)ゴールもあれば、#15も霧降初ゴールだよ? ビューティフルな個人技炸裂よ? これで言わずにいられましょうか。 とにかく、とにっかくバックス最高!!!! さて。 日光アイスバックス 1P 03:44 #11荒城啓介 A:#16土田英二 1P 16:06 #32伊勢泰 A:34高橋淳一 #9三輪ロバート駒生 2P 03:10 #15三田亮太 A:#11荒城啓介 #21酒井隆行 2P 12:16 #32伊勢泰 A:9三輪ロバート駒生 #18井原朗 シュート数 バックス 6-9-7 計22本 コクド 14-8-11 計33本 本日のスターター バックス #1橋本三千雄 コクド #44 福藤豊 今日のゲームはこれまで見たゲームの中でのベストゲーム。 攻守とも、とても安定してたと思います。 パックを奪われカウンターを喰らっても、#1にことごとく阻まれるか、DFの戻 りが非常に早く、コクドが思うようにシュートを打てない状態が続く。本数は普段 通り稼いでますけど。 とにかく今日の#1は神懸かってたとしか思えない。あの状況判断力は#61に匹 敵するかもしれません。 よくあそこで飛び出せるもんだな、と勉強になりました。 バックスFW陣はコクドDF陣のちょっとした隙を突いてゴールをゲット。 今日のゴールは全部素晴らしいゴールでしたよ。 ゴール前の混戦を押し込んで・・・という誰がGで誰がAかよくわからんぞ?なんて ことがない。 パックを持ち込んでパスしてシュートして、ゴール!がよくわかった。 コクド側と言えば。 コクドDF陣の壁は相変わらず堅いのに、FWの連携が上手くかみ合ってないよう に見えた。ブルーラインを割ってからが特にそう。バックス選手に当たったり(運 良くそこにいたとも言う)、受け手の後に行ったり、簡単にパスカットされたり、 何を焦ってるのか?と思うようなプレーが多かった。 ラフもいつも以上に目立ったかな。元々ラフなチームではあるんだけど。 どう考えたって、バックスより実力は上でしょう?なぜそこまでやる?と思うくら い執拗に絡まれてたかな。ポークチェックはしつこいくらいやるもんだけど、ボー ド際とか、ボディチェックがとにかくしつこい。転んだところで上に乗ったり。 コクドのプレースタイルなのかもしれないけど、冷静なプレーをして欲しいもので す。 この辺に関して。 NHLはこんなもんという声を良く聞きますが、私はアイスホッケーを見に行くの であって、汚いプレーや乱闘を見にリンクに足を運ぶわけじゃありませんのでね。 「氷上の格闘技」を勘違い解釈して欲しくないわ。 コクドのプレーだってすごいと思うんですよ。バックス関係ないときはじっくりコ クドのゲーム見ることあります。 んで、やっぱ勝てねぇよなぁと思う訳ですよ。 だからこそ、無意味なラフプレーは見たくないんです。 笛が鳴った後のスラッシングとか笛が鳴ったあとにラッフィングとか。 納得いかないことだってあるでしょ、思うように出来なくて苛々することもあるで しょ。だからって相手に絡んだりすることはないでしょ。 コクドだからって訳じゃない。どのチームであっても見てて気分悪くなります。 もしそれがバックスであってもね。 今日から#41が復活。あいにくPゲットはならなかったものの、魅せてくれまし た。かなり良いところまで持っていくんだけどね。明日に期待。 だいぶ#15化けてきました。今後も大きな期待が出来ます。今季入ってからかなり 良いプレーを魅せてた#15。 今日、霧降初ゴール。それもゴール裏から巻いて、GKの隙間を突いて綺麗に決め てくれました。これからも頼むよ! 先にも書いたけど、#1。本当に1年ブランクあるんですか?#61の後継、新・守 護神決定かな?後は土日連戦した場合にどうなるかってところ。 私としては#42にも頑張って欲しいんだけど。もちろん#37にも。GKは一人し か氷に乗れないので、FW・DFよりPO争い過酷だよね・・・。 個人的にすごいなーと思ったのは#33。コクドからの期限付きレンタル移籍選手。 今日はPゲットできなかったものの、さすがコクドで揉まれて来ただけある。 とにかく足が速い。カウンター喰らってしまった!と思うとコクド選手の前にもう いる。あの足は正式にバックスに欲しい。明日は恩返ししてね。 さて、土曜が良いと日曜崩れることが多い我らがバックス。 今日すごーく動いただけあって、明日の疲労はどれだけのものやら。 コクドも戦術を変えて来るでしょう。 今日の手応えを忘れず、バックスらしいゲームを希望。 バックスの夢はまだまだこれから。 ... そっか、今日は金曜日・・・ - 2003年11月28日(金) 頭の中では土曜日でした。 朝、5時に起きて、5時半に出掛けて。 首都高速池袋線で渋滞に嵌り、高速降りたら降りたで一方通行に嵌る。 着いたら9時半でした。 告別式から初七日法要、精進落としまで終わったら2時半。 帰りも渋滞に嵌りつつ、帰宅。 都内はやだわー混むから。 って、元・都民が言う事じゃないな。 都内は電車に限るよ、ホント。 結局帰宅は5時半過ぎ。 ほんの少し寝て、7時にはホッケーの練習にでかけた。 前に同じチームのUさんに、ゴーリーはとにかくスケーティング。 と言われ、今日は少し多めに滑ってみた。 フォアとバックと2周ずつ。 いつもは1周ずつなんだけど。 フォアはまぁ、普通に滑れているつもりだし、クロスもなんとかなりそうな感じなので、バックの時はいつもより気をつけてみた。膝の曲げ方とか、そんなもん。 ・・・辛うじてクロス入れてる?ってくらい。 やっぱり練習日以外にも滑らないとだめだね。 シュート練習の時にも少し気をつけてみた。 移動の時に上体が振れないように。 移動の時、歩くんじゃなくてちゃんと横に滑ること。 常に正対できているように。 これは自分じゃ判断できないかな。 明日にでも聞いてみよう。 あとね、もうひとつ。 今日は膝を付くことを考えないようにした。 きちんと正対できて、基本姿勢がちゃんとしていれば、大きく動かなくても 自分の体にパックは当たる。 少し腕を動かす、足を伸ばす。 それだけでパックが当たることが多い。 それに加えて、立ったままでセーブして、はじかれたパックが私の正面に出るようにする。 ・・・少しは出来てたと思う(汗) いろいろセオリーを教えてもらったことで、自分の中で焦っている気持ちが減った気がする。 ちょっとずつちょっとずつやってきゃ良い。 ちゃんと出来るようになってきた、と自分では思ってる。 ... 肩がいてぇ・・・ - 2003年11月27日(木) 昨日のダーツのおかげで肩関節が痛む。 上に上げると、関節がこき、と鳴る。 もう10年前に、部活で痛めたものだったりする。 物を投げる時、前から振りかぶって投げるのがツライ。 後からぐるっと回さないと遠投は無理だったり・・・。 一番調子が良いときはハンドボール投げ40mは余裕だったのに、 今は・・・(T-T) 実はすでに日付変わって28日なんだよね。 明日は親戚(と言っても旦那の方)のお葬式に行かなければなりません。 都内まで出掛けてきます。 朝5時半出発です。 なんやかんやで夏から3度目のお葬式。 職場の人に「そんなに急いで人生経験積まなくても・・・」と同情(?)されました。 好きで経験値稼いでるわけじゃないです、はい。 やっぱり年取るとこういうことが増えるんですね。 嫁に行くと大変です。だって、旦那側の親戚の顔、ほとんど知らないですし。 恥かくような事だけもしくは、恥かかせるようなことだけはすまい、と決意しています。 ま、終われば夜はホッケーの練習だし、明後日はコクド戦だもんね。 さて、お風呂入って寝よ。起きられるかな〜・・・。 ... ダーツ、初体験。 - 2003年11月26日(水) 生まれて初めてダーツをやった。 宇都宮にあるスポーツバーで、第1回アイスバックス杯ダーツ大会が開催され、 本当は見学のつもりが何故か参加する羽目に。 バックスからは#8、#15、#16、#32の4名が参加。 1回戦はファン参加者が3人ずつゲームを行い、その中の一人が次戦に進出。 次からはくじ引きで当てた選手と組み、二人一組でゲームをしていくというもの。 私は当然、1回戦で脱落。 以前からそのカフェでダーツをやってた友人が、さくさくと決勝まで進出。 最後は#8と一緒に優勝しました。おめでとうヽ(´▽`)ノ ・・・顔、マジだったよ? それにしてもスポーツマンというのは何をやっても様になるものですね。 ダーツは2回目〜とかでも格好いいんだもん。 この調子でゴールも・・・(以下略) その後は選手もファンも自由に、と言うことで、撮影会状態になったり 好き勝手してました。 一緒に写真撮らせてもらってありがとうございました<#15、#16、#32 (いや、見ないって) 帰る前にもう1ゲームやったのですが。 なんと514出しました。 ビギナーズラックというものでしょうか。 これが大会の時に出来てれば・・・くぅ。 ... 今日はホッケーおやすみ。 - 2003年11月25日(火) 次の練習は28、30日。 次のバックスのゲームは29、30日 in 霧降。 最近、アミノ酸を飲み始めた。 ホッケーの日だけなんだけどね。 寝る前に決められた量を飲んで寝ると、次の日すごく楽らしい。 SAVAS AMINO2000って奴。 で。 これがなかなかいい感じなの。 さすがに始めてから3ヶ月近くになると、筋肉痛もだいぶ軽くなってくるんだけど 飲み始めてからは、ちょっとだるいかな?くらいまで軽減。 ただ、まだ味に慣れないのでそれがツライ。 でも、手放せなくなりそう。結構値がはるけどね。 昨日の練習の時、なるべく上体を振らないよう移動することを心がけてみた。 そうしたら背中が張ること張ること。 膝を曲げて、前屈みになり、その状態で胸を正面に向かせる(上体を起こす)。 腰に来ますよ。背中にも来ますよ。 普段、背筋ってあまり使わないので、非常にきつい。 夏は結構似たような体勢で仕事することが多いけど、素早く横移動はしないし。 徐々に慣れて来たものの、まだまだ練習が足りませんな。 それとも私の姿勢が悪いだけか?今のところ注意されたことはないんだけど。 次の練習が待ち遠しい。 あ、良いことあった。 空気椅子で踏ん張れる時間が増えました。 ... 舐められちゃいかんよ。 - 2003年11月24日(月) 11月15日から開幕したアジアリーグアイスホッケー。 16、18日と対戦した韓国のハルラ・ウィニアの監督のお話。 「日光には十分に勝てるという確信を抱いた」 らしい。 舐めんなよ?コラ。 と、凄んでみたものの、一抹の不安がよぎる私。 力量的には互角な気がするんだよね。バックスとハルラ。 先週のハルラホームでの王子戦では、初戦は大差で負けたものの 翌日の2戦目ではハルラ2−3王子とかなり善戦してるし。 侮れませんよ、ハルラ。まじで。 やっぱりGKの出来次第になりそうな予感。 ましてや残り2戦は敵地・韓国木洞(モクドン)でだし。 かと言って韓国まで行けるわけもなし。悩む。 私が行けば絶対勝つわけでもなし(笑) 頼むよ、ハルラには勝って。お願い(はぁと) さて、今日は1.5時間×2枠。計3時間の練習。 精神的には非常に楽でしたが、3時間防具つけっぱなしはきつっ! すごく肩が凝った・・・。 ダッシュ&ストップとか、8の字とか、途中からプレーヤーと一緒に スケーティングするも、もう転びそうで怖いこと怖いこと。 いや、転んでも痛くないけどさ。転ばないと上手くならないけどさ。 その後、パス練の間にポジショニングの練習をしてもらう。 解ったような解ってないような(汗) GKが一人だけだったので(後からもう一人参加)、そのままシュート練習。 片側から順次シュートが打たれ、それに合わせて横移動しつつ、正対してセ ービング。移動の時に上体が上下に振れるので、やっぱり不安定な感じ。 上体を固定したまま横に移動するにはもっと練習するしかないね。 次は左右交互にシュートされる。移動距離が倍になるので非常にきつかった。 あまり待ってくれないから、早く移動して正対しないと完全に決められる。 試合だと多いんだろうな、こういうこと。 その後はDFの練習とPP・KPの練習なので、ほぼひたすら正対の練習になった。 こんな感じで前半1.5時間は練習。後半1.5時間はマッチ。 なんかねー。忘れてません?バタフライ。 なんでスティックだけで止めようとするかなぁ、止められないってば。 正面膝下のシュートだって、足閉じないと止められないでしょ。 股下抜かれるのだけはもうやめようよ。ホント。情けないから。 以上、今日の反省でした。 次もがんばろー。 ... アジアリーグアイスホッケー 日光アイスバックス1−3日本製紙クレインズ(釧路) - 2003年11月23日(日) 日光アイスバックス 1P 03:35 #9三輪ロバート駒生 A:#34高橋淳一 日本製紙クレインズ 1P 05:00 #18伊藤雅俊 A:#19佐藤博史 2P 16:17 #10山野由宇 A:#47樺山義一 #7ジョエル・ディック 2P 16:21 #24飯塚洋生 A:#27石黒史郎 シュート数 バックス 7-10-9 計26 クレインズ 13-14-7 計34 今日のスターターは#1。バックアップは・・・#37。 #42、どうした? 1P、先制するも後が続かず。 シュート数から見ると、3Pはだいぶ押してたのかな。 押さえてたと言うべきか。 何にしても、今日の試合も見たかった。 すごかったんだろうなぁ。 次のコクド戦もこのくらいの勢いで。相手は相当手強いけど、 相手がいやがるゲーム展開を望みたい。 バックスに勝つのは大変なんだぞ、と思い知らせて欲しい。 さて、今日は練習試合。 旦那にお願いして、ビデオを撮ってもらう。 いやぁ・・・なんというか。 何故こんなに危なげなんだろう。 すぐに転びそうな感じがする。 某元・日本リーガーが、うちのチームの練習に来てくれている。 私のコーチも兼ねてくれているらしい。 練習後、ちょっとおどおどしつつも正対が取れてるか聞いてみた。 正対は取れているらしい。 でも、我慢が足りないとのこと。 あはは、やっぱりね。 パックキャリアのフェイントに簡単に引っかかるので、肩口とか狙われる。 GKは立ってればいいんだそうだ。 そっか、立ってればいいのね・・・。 ビデオ撮ったおかげで、今の自分が解ったと思う。 次はゴール裏固定撮影だな。 ... アジアリーグアイスホッケー 日光アイスバックス5−6日本製紙クレインズ(釧路) - 2003年11月22日(土) スコアは後ほど (JIHL、いつになったらオフィシャルリポート出すのよ) 現地に行けば良かった。 激しく後悔。 前試合の敗戦から、選手の意識も変わった様子。 氷練見に行った方の話では、そうとう気合いが入っていた模様。 ま、当然か。 試合の方はかなり打ち合いになったようで。 #42、クレ#30お疲れさまです・・・。 #42Tシャツ着て、念送ってたけど、とどかなかったかな。 今日は練習なし。 溜まりに溜まった疲れを癒そう・・・。 ... 焦ってもしょうがないんだよね - 2003年11月21日(金) 今日も結局ぼろぼろ。 出来ない自分に腹が立ってしょうがない。 1ヶ月じゃ出来なくて当たり前と言われるけど。 月曜がよほどショックだったのか、怖かったのか、開始後20分くらいまで膝が震 えてしょうがなかった。 足が靴に馴染んでないような、ちゃんと氷の上に立ててるのかわかんなくなるくら い。3失点くらいした後に、なんとか1回止めることができて、震えは止まったけ ど。 GKって、メンタルな部分が非常に大切なポジションだったんだなって思い出し た。ハンドボールの時より、大切な気がする。 ハンドの時は、とりあえず体に当てちゃえば、ゴールは防げた。 ゴール目の前までプレーヤー来ないしね。 当てて落としちゃえばこっちのもんだったな。 でも、ホッケーは当てた後のことも考えてセーブしないと、すぐに次が来るから 大変。 常に冷静であることが必要なんだな。 GKやり始めたばかりの頃、何人かの人にハンドの方が怖そうって言われたけど、 ホッケーの方が怖いって。 プロテクターがしっかりしてる分、ホッケーの方が当たっても痛くないよ? ハンドはプロテクターなかったけど、よほどのことがない限り、腹とか顔とかに シュート来ないもん。 一度だけ顔面食らったときは、痛いと思う前に、ぶつかった方の目から涙が出てた けど。 とにかく ホッケーの方が、怖いです。 怖いけど、GK好きなんだな。 あの緊張感が好き。 決められたら悔しいし、凹むけど。 GK選んだのは私自身。 一歩ずつ進んで行こう。 いつか、思うとおりに出来る日が来るはず。 ... う〜ん・・・ - 2003年11月20日(木) 今日は練習試合だった。 ちょうどGKやり始めて1ヶ月目。 休憩挟んで、前半3失点、後半3失点。計6失点。 練習試合でこれなら、公式戦ではどうなるんだろう。 1ヶ月目で、スランプなのだろうか。 基本が出来てない気がする。 と、言うより、基本が身に付いてないんだろうな。 姿勢、正対、バタフライスタイル。 全部ダメ。 2、3回、単独練習の後、ずーっと練習試合ばかりで、体の反射だけで プレーしてたんだろう。 教えてもらったことも全然身に付いてない気がする。 なんでだろう、先週までと何が違うんだろう? ちょっと考えてみた。 どうやら失点の恐怖が出てきたらしい。 止められなかったらどうしようって。 一番集中しないとダメな時に、気持ちが後に下がってる気がする。 何が何でも止めてやる、という気持ちが大事なはずなのに。 それともう一つ。 これは前から気づいてたことだけど。意識的に膝をつくのが怖い。 怖いからどうしても手が先に出て、前屈みになっている気がする。 これじゃあ、膝ついても正しいバタフライスタイルにはならない。 一昨日、ゴーリーは最後の砦とか偉そうなこと書いてたのに、自分の砦が 一番弱かったんだな。 もう一度1から作り直さなくちゃ。今度はもっと強い砦を。 明日も練習試合。月曜日にも試合したチーム。 10点くらい取られたかなぁ。 明日は1つでも多く止められるように、基本に帰って、集中しよう。 ... 一夜明けて - 2003年11月19日(水) 気持ちは落ち着いたような、落ち着かないような。 左胸辺りに何かがまだ憑き物のようにある。 言いたかったことは昨日書いた。二度と言いたくなるようなことがないと良いけど。 ああやって言うことは本当に簡単で。 もしあれが選手の目に留まったら、どう思われるかと考えると消してしまいたくなる。でも、ここが選手に見られることはまずないだろうし、ここは私の日記なので好きに書かせてもらった。 がんばってるのはわかる。自分のやりたいように出来ないもどかしさ、負けた悔しさとかは、ホッケーじゃなくても同じでしょう? 昨日はどうしても吐き出したくて仕方がなくて。 選手にぶつけるわけにもいかないし(当然だよね)、せいぜい高速140キロくらいで飛ばすくらいしかできなかったから、ここに書いた。 もし、あれを読んだ人がいて、その人がバックスのファンだったりしたら、怒るかもね。 さて。 アイスバックスを応援し始めてまだ2シーズン目。 アイスバックスがきっかけに始めたホッケーはまだ3ヶ月目。 私の希望でGKになって、まだたった1ヶ月。 口で言うのは簡単。 パック奪ってゴールを決める。おいそれと出来る事じゃない。 打たれたシュートを止める。それだって簡単な事じゃない。 実際やってみてそう思った。 練習を重ねればいつか出来るようになるけれど、試合になればもっと難しくなる。 だって敵がいるんだもの。 敵だって目的は同じ。パックをゴールに決めること。 アイスホッケーを始めて、私のコーチはバックスだった。 野球やテニスと違って、ホッケーの教本は簡単に手に入らない。 教本があったって、テキスト読んだだけでは上手くできない。 こうするんだよって言われても、上手くイメージ出来ない。動けない。 だから、頭の中でバックスはどう動いたか?それを考えて練習してた。 FWだった時は、どう攻めてたか?ゴール前に入るか、それとも裏から行ったか? DFだった時は、(たまたま好きな選手と同じポジションだったので)#3は こういうとき、どう動いてたかな、どうやって止めてたかな? GKになった今は先シーズンの#61はどう動いてたか。前に出たか?その場で 待ってたか。今は#1、#42はどうしてたか。 テキスト読むのと目で見るのとじゃ、雲泥の差。 イメージ通り、うまく出来た時は最高。 もっとスキルの高いチームはあるよ。 でも、私のコーチはバックスなのです。 ... アイスホッケー アジアリーグ 日光アイスバックス1−4ハルラ・ウィニア - 2003年11月18日(火) 日光アイスバックス 1P 11:32 #9三輪ロバート駒生 A:#32伊勢泰 #18井原朗 ハルラ・ウィニア 1P 0:36 #32マイケル・マードル(ノーアシスト) 1P 10:14 #96ソン・ドンファン A:#33ミロスラフ・ステファ #11キム・ガンヒョン 2P 17:32 #86アレス・ジーマ A:#93キム・キョンテ 3P 18:57 # 6キム・ホンイル(エンプティゴール) 平日夜開催にも関わらず、1103人の観客がありました(JIHL発表)。 それだけ2連勝を期待してのこと、と勝手に思っています。 正直、楽観視はしていなかったものの、私もその一人でした。 これまで負けてしまったけど良いプレーを見せてくれた試合はいくつもありました。 今日の試合との違いはなんですか? モチベーションですか? 体調ですか? #41、#19、#74が欠けたせいですか? 幻のゴールとなってしまった2点目やポストに阻まれたシュートとか バックスにとって運が悪かったこともあったでしょう。 選手が一生懸命プレーしてることは表情を見てれば解ります。 「勝ちたい」その欲求は他のどのチームよりも強いはず。 サポーターだって、バックスに勝って欲しい。もっともっと良いプレーが見たい。 霧降や他会場での声援はそのためにあるんです。 本当は野次なんか飛ばしたくない。歓喜の声をもっとあげたい。あげさせて欲しい。 だから。 氷上で諦め顔なんかするな。 最初から最後の一秒まで、勝利への欲求をむき出しにしてやれ。 野次なんか聞きたくないだろ?歓声が聞きたいだろ? サポーターだって、最後まで諦めない。諦めた奴はさっさと帰る。 もう追いつけない、勝てないと解ってても、最後まで見届ける。 何故か解るか? 見たいんだよ。最後まで諦めないバックスが見たいんだよ。 1点の重み、一番解ってるんじゃないのか? 取り返すことの難しさは充分解ってるはずじゃなかったのか? 3ピリで焦っても遅い。 失点はゴーリーだけの責任じゃない。ゴーリーは最後の砦だ。 その後にはもう何もない。 最後の砦を守るために、FW・DFのプレーヤーがいるはずだ。 責任を持って最初の1本を止めたゴーリーを助けるのはプレーヤーの仕事だ。 ゴーリーが止めたパックを、敵陣のゴールにたたき込め。 それがゴーリーにとって最高の助けになるはずなのだから。 もっと走れ。当たれ。潰せ。 言うのは容易いことだけれど、私たちはそう声に出すことしかできない。 私たちは声援でもってバックスを後押ししているつもり。 だからこそ、応えて欲しい。 大切な勝利と素晴らしいプレーで。 ... 日記&サイト再開へ向けて。3。 - 2003年11月03日(月) 父が亡くなったその日。 病院前のある施設では夏祭りが行われていました。 19時過ぎ、花火が始まりました。 病室からよく見えました。 父と一緒に最期に見た花火でした。 2003.12.14 追記 自宅に帰ったあとの父の顔はとても穏やかでした。 すごく痩せて、見てるのも辛かったけど、とても穏やかに見えました。 やっと楽になれたんでしょう。 そして一回りも二回りも小さく見えました。 斎場の関係で葬儀は8月2日。7月29日に先に火葬をすませました。 ほんのちょっと前までそこにあったはずだったのに、人はあっと言う間に骨になっ てしまうんですね。 1年以上の闘病生活を終えた父の遺骨は、あまり原型を留めていませんでした。 全て終わるまでは泣くまいと決めていたのに、耐えられませんでした。 本当に父はいなくなったのだと、実感せざるを得なかったのです。 これを書いてる今は、もうすでに四十九日を済ませ、2003年も残り2週間ほど になっています。 心の整理はまだつきません。ふとしたきっかけで父を亡くした喪失感がよみがえり ます。 失ったものは本当に大きい。 後悔だけが私を責めるのです。 私はお父さんにとって良い娘でありましたか? お父さんの友達には自慢の娘だと話してたと、葬儀の時に教えてもらいました。 20才になってすぐに独り立ちして、24才で結婚して。 なんでもさっさと決めてしまって、少し寂しい思いだなんて話してたそうですね。 私はお父さんに話したかったことがたくさんあります。 教えて欲しかったことも、してあげたかったこともたくさんあります。 でも、もうできないんですね。 与えてもらってばかりで、なにも返すことが出来ませんでしたね。 それでも、私はお父さんにとって良い娘でありましたか? 私はお父さんの娘で良かったと思ってます。 ありがとう。 これからもがんばるよ。お母さんと弟と、旦那とで。 のんびりと好きなお酒でも飲んで、そっちから見てて。 それじゃあ、またね。 ... 日記&サイト再開へ向けて。2。 - 2003年11月02日(日) 入院から1ヶ月ほどでモルヒネの点滴投与が始まりました。 どれくらいの痛みに耐えていたのか、私には解りません。 モルヒネを使うと痛みはすごく楽になるそうです。 でも、意識が混濁して行きます。 一日のほとんどをうとうとと寝て過ごすようになり、話し掛けても会話は成立 しなくなって行きました。 7月25日深夜2時33分。 電話が鳴りました。 父の心臓が止まった、と。 電話口の母は涙声で動転していました。 すぐに支度して出るから、と電話を切ったものの、私は足が震えて立ち上がれなく なり、そのまま20分くらいが過ぎました。 旦那が起きてきたので、支度を済ませると、再度電話が。 とりあえず持ち直したので、大丈夫だから。また何かあったら連絡するので、今夜は大丈夫だ、と。 全然大丈夫じゃなかったのです。 突然の心停止から、再び回復したと思っていたけれど、その時既に父は脳死状態に 陥っていました。 結局、25日9時25分、再度の電話で実家に向かいました。 ちょっとしたことで病院についたのはお昼過ぎ。 もう父は自力で動くことはありませんでした。 人工呼吸器によって自発呼吸はするものの、手を動かすことも、瞬きすることもありませんでした。 ただそこに寝ているだけ、です。 前の晩から寝ていない母と駆けつけてくれた伯母を一度家に帰し、私が一人父に付き添いました。 狭い個室の中でモニターから出る機械音と人工呼吸器の音が響いてました。 母が友人に連絡をしたのでしょう。 何人かの方がお見舞いに来てくれましたが、私は何も話せませんでした。 涙をこらえるのが精一杯でした。 20時過ぎ、母が戻り、私は一度栃木へ帰りました。 本当はずっと一緒にいたかった。 翌日、今度は一人で病院へ行き、一晩付き添った母と交代しました。 看護師さんが用意してくれた簡易ベッドの上でうとうととしながら、モニターから 出る機械音を聞き、一晩過ごしたのです。 父の鼻から1本の管が出ていました。 痰と体内から出るいろいろなものを吸い上げるための管でした。 前日見た時は確か黄色みを帯びた液体だったのが、緑、そして赤く変わり、少しずつ少しずつ茶色く濁っていきました。時々濃い緑色の物が混ざって一気に流れて行 くのです。 私はそれを見ながら、父は少しずつ死んでいくのだと、そう思うしかありませんでした。 8月27日朝。 8時過ぎに母と交代して、代わりに家の用事を済ませました。 前の晩眠れなかったため、2時間ほど昼寝をし、起きたのは16時。 もう一度栃木に帰ろうか、このまま残ろうかと悩み、時間的に帰るなら高速が混む前の今しかないと思ったので、一度病院に顔を出しました。 妙な胸騒ぎに追われるように病室に行くと、朝のうちは100を越えていたはずの 心拍数がすでに70を切るかどうかにまで低下していました。 最期の時は本当に早く過ぎました。 家に戻る母を見送り、旦那に連絡を取ろうと病院から出て電話をかけるまでほんの10分もありませんでした。 通用口から看護師さんが出てきて、父の危篤を告げました。 話し中だった携帯を一度切り、母と弟に電話をしてから病室へ戻ると、すでにモニターからの機会音は聞こえなくなっていました。 医師が心臓マッサージをしていました。お父さんに呼びかけてくださいと言われても、声が出ません。 まだ死なないで欲しい気持ちともう楽になって欲しい気持ちとが、ぐちゃぐちゃになっていました。 目を瞑っている父の顔を見ることしか出来なかったのです。 母はすぐに戻りました。電車が来る前だったそうです。 母と二人、もういいよね、と確認しあい、延命処置をやめてもらいました。 7月27日17時25分。 私は永遠に父と話すことが出来なくなりました。 ... 日記&サイト再開に向けて。 - 2003年11月01日(土) しばらく全ての更新が止まってました。 サイトの更新どころか、何もする気が起きなかったのです。 サイトの更新を再開するにあたり、また、私自身の気持ちを整理するために この場を使わせていただきます。 今日は読んでくれるかもしれないどなたかに向けて書くつもりはありません。 平成15年7月27日。私は父を亡くしました。 死因は肺ガン。享年55才。 父がガンを患っていることを知ったのは、さらに1年以上遡ります。 母からの電話で私はその事を知りました。 病が発覚した時点ですでに手遅れのところまで病気は進行し、病巣の場所が 悪く、手術は不可能でした。 その後、初めて実家に帰ったのは昨年の初冬だったでしょうか。 抗ガン剤の副作用で一度、全ての髪は抜け落ち、少しずつ痩せ始めた父がいました。 ほんの少し、咳き込むだけで痰に血が混じるほどになっていました。 対処療法で少しでも病の進行を遅らせることしかできず、一時期話題になった 肺ガン用の新薬も飲んでいました。 それでもガンは進行してしまったのです。 年が明けて、平成15年元旦。 予定では2日に実家に行くつもりだったのですが、母からの電話により中止になりました。 年末から発熱が続き、腹水が溜まるようになったので、2日に病院に行って腹水を抜いてくる。私の旦那には「見せたくない」から、とりあえず明日は来ないで欲しい、と。 まだ、その時点で旦那の実家に父のガンの事は話していませんでした。 結局、そのまま実家に顔を出すこともなく、月日は過ぎて行きました。 5月の連休も過ぎたある日。 母から電話があり「とにかく一度、来なさい」と言われました。 話によると正月以降、急激に状態が悪くなり、かなり痩せてしまったという。 主治医の話ではもう夏は越せないだろう、と。だから父がちゃんと話せるうちに お願いだから顔をだして、と。 私は仕事が忙しいことを理由に、実家に行くことが出来ませんでした。 5月末、覚悟を決めて実家に帰ると、驚くほど痩せた父がいました。 すでに話すことも辛く、一人で歩くことも困難なほどでした。 その翌々週、入院。 40度近い熱が出て、自宅にいるのは危ないため、緊急入院しました。 結局、そのまま父は家に帰ることはなかったのです。 父が入院してからは、栃木から東京まで毎週病院に顔を出しました。 いられる時間は少しでも、もう現実から目を背けちゃいけないんだ、と覚悟して。 入院してから、父の体力は急激に落ち始めました。 食べ物を飲み込む時に痛みがあるため、病院の食事が食べられないと言うので、 果物やゼリーなど、食べるのが楽なものを持って行きました。 あんたが来るとお父さんは嬉しそうだよ、と。 この前あんたが持ってきた桃、半分食べたよ、と。 たったそれだけのことで、父が少しでも元気になってくれるなら、私は何故、もっと早くにしなかったんだろう。 何故現実ともっと早く向き合わなかったんだろう。 今更悔やんでも遅いんです。 私は父の病気を信じたくなく、逃げてしまった。 死に行く人と向き合えなかった。 ...
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