2006年05月05日(金) |
現役であることーー2006年春学期のある授業後に感じたこと。 |
この春学期を迎えた東海大学・湘南校舎(平塚市)は、新入生と在学生合わせて学生数約3万名(学年約7千名)で賑わっている。やはりキャンパスというのは学生が主役で、学生で賑わうと活気が違ってくる!
実は昨年の同じ時期、「特別研究休暇」をとっていて、授業はじめ一切の業務から離れていた。その間、キャンパスに足を運ぶ機会があっても、何かよそよそしい雰囲気を感じながら、研究室に出入りしていたことを思い出してもいた。
つまりその休暇中、当然に「籍」はあり「研究室」も使えたわけで、普段と何も変わることはなかったわけである。違うのは、生徒諸君との授業に関わらないこと、そのことが「現役でない」と感じられたからであった。授業を持たない先生は、現役でなく、何の意味もないヒトでしかなく、味気ない先生なに思えたのであった。
そういえばこのような感覚は、以前にも経験したことがあった。スポーツの現役に区切りをつけようと決めた際、「もう、トレーニングをする必要がない日を迎えたら、どんなにか毎日が薔薇色だろう!」と勝手に思っていた。
ついにその日がやって来た! 果たしてどうだったろう。朝目を覚ましても、ただトレーニングしないだけ! どこが薔薇色なのか? 昼になっても何もない! 夜にも変化なし。昨日の続きの今日でしかなかった。
スポーツ現役リタイア時に、せっかく貴重な経験をしたのだから、本業をリタイアする際には、二度とこの轍を踏むまい。無意味な「期待」をもたず、充実したものにするにはどうすればいいか? この春「現役」で春学期を迎えることができ、充実感にあふれて授業を終えて、ホットしたものを感じていました。 宇佐美彰朗
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