2004年12月26日(日) |
シティマラソンへの道を開いた福岡国際マラソン。 |
去る12月5日開催された福岡国際マラソンでは、尾方剛選手が優勝し、 来年のヘルシンキ世界選手権への切符を手にしました。当日、KBCのマラ ソン放送の解説を依頼された私は、このレースの一部始終を見ることがで きました。レース後、朝日新聞の記者からインタビューを受け、この福岡 国際マラソンの持つ意味を訊ねられたのですが、その記事が翌日の朝日 新聞朝刊(西部本社発行)に掲載されました。参考までにその記事を「雑 記帖」に転載します。
○歴史もつ大会 市民マラソン成熟に意味
世界の潮流をみると市民マラソン化は遅すぎた感はあるが、一般ランナー が都市の目抜き通りを走る「シティマラソン」を日本で広げる大きな一歩 となった。道路を車以外にいかに開放するか、という発想が海外にはある。 約100年の歴史があるボストンマラソンをはじめ、スポーツを文化と位置 づける国々では、多くのシティマラソンが続いている。 一般ランナーにとって、国際認定コースを一流選手と走る喜びは計り知れ ない。スタート前、顔見知りのランナー数人と会ったが、緊張のなかにも 上ずった表情だった。自分が約40年前に初めて福岡に参加したときを思い 出した。市民ランナーの活性化は、陸上界の力の底上げにもつながる。
課題はボランティアのあり方だろう。ニューヨークシティ・マラソンは走 者3万人、ボランティア4万人が参加する。給水や救急も担い、行政や主催 者と上手にすみわけている。大きな経済効果にもつながっている。
今回は警備員など動員によるサポートが目立った。もっとボランティアの 参加を募り、養成していく必要がある。地域への協力をきめ細かく求めて いくことも大切だ。
福岡は国内でもスポーツにやさしい土地柄。世界に知名度があり、歴史を もつ大会で、市民マラソンを成熟させる意味は大きい。走者もボランティ アも陸上の奥深さを感じられる大会に育てていきたい。
2004年12月20日(月) |
新年1月1日より、NSVAの事務所を移転します。 |
NSVAの事務所は、(財)スポーツ会館のご好意で、ながらく会館の一部を お借りして事務的な作業を続けてきました。会館のご都合もあり、本年い っぱいで新事務所へ移転することになりました。お世話になりました(財) スポーツ会館に、心から感謝申しあげます。なお、新事務所は旧事務所の すぐそば。電話&ファックス番号はもとのままです。
2005年1月1日〜 「NPO法人 日本スポーツボランティア・アソシエーション」の新事務所 〒169-0073 東京都新宿区百人町2-20-2 金子ビル406号室 電話&ファックス 03-3366-0506
2004年12月01日(水) |
「新潟中越大地震の震源地・川口町」を訪問。 |
「川口町田麦山」という地名は、新潟県中越大地震の震源地として知られるようになりましたが、私にとっては特別の関係のある土地です。この地に住む森山正夫さん(田麦山スポーツ振興会会長)とはもう30年越しの付き合いで、彼の依頼で、田んぼや養鯉池を巡り、山の裾野を駆ける「クロスカントリーコース」も設計させてもらいました。
数年前からこのコースを利用した「田麦山クロスカントリー大会」(スポーツ振興会主催)に、東京の仲間とともにゲストとして参加しています。大会当日は、川口町の近隣からも応援の人々が駆けつけ、地域人口が倍になるほど。同時に開催される「自然教室」も、田麦山の豊な自然を認識させてくれる、素晴らしいイベントだと感心していました。私の「ひとより一汗多く」という言葉を刻んだ記念碑も、建てられました。
その川口町が突然の震災によって潰滅的な被害を受けました。震災後、3日してメールが届いたのですが、その惨状は息を呑むすごさ。記念碑も倒れていました。私はなんとか川口町を元気づける方法はないか、考えあぐねました。そして11月20日の早朝、トイレつきのバスを仕立て、都内のボランティア10数人と出発、川口町へ向かいました。
私たちの到着の様子は、「新潟放送」のテレビや「新潟日報」でも報じられました。森山さんをはじめ、小学校の生徒たちも歓迎してくれました。森山さんは「来年は全国から寄せられた励ましへのお礼の意味も込めて、なんとかクロスカントリー復興大会を開くつもりです」といっていました。ぜひとも実現してほしいし、私もできるだけの協力はするつもりです。
「スポーツを通して地域を活性化したい」という、森山さんたちの素晴らしい取り組みの復活を、これからも息長く応援していこうと思っています。 「新潟県川口町田麦山に笑顔戻れ!」みなさんも応援してください。
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