■2012年09月26日(水) 価値観
母の価値観と私の価値観はかなり違う。 母は私の価値観は理解できない。 理解できないのなら、それを認めてくれれば良いのだが、母の場合は自分の価値観に当て嵌めて無理矢理私の言動を理解しようとするので、全くトンチンカンな解釈になる。
その解釈を元に様々に私に“アドバイス”しようとするので、しばしば閉口するし、嫌悪感が募る。 まるで私を自分に取り込もうとしているように感じてしまうからだ。
しかし、今はもう“アドバイス”程度になったからマシだ。 子供の頃は“アドバイス”ではなく“命令”であったり“押し付け”であったり、ほとんど見当外れな“心配の押し売り”だった。
どこの親もそんなもんなんだろうか。
■2012年09月22日(土) “私”を否定する「私らしさ」
私の母は、 「静月さんらしくなったわね」 とよく言う。 言われる度に嫌な気分になる。
例えば。 キッチンがきれいにかたづいていると「私らしい」、 流しに洗い物が溜まっていると「私らしくない」。
でも、流しに洗い物を溜めてしまうのも、きれいに片づけているのも、どっちも同じ私。 きれいにしていると私らしくて、きれいにできないでいると私らしくないと言われる度に、きれいにできないでいる時の“私”の存在が全否定されているようで腹が立つ。
キッチンがきれいだろうが汚れていようが、私は私。 “私”を、そんな“条件”で決めないでよ。
きれいにできずにいるのには、理由がある。 ただそれだけで、私らしいも私らしくないも、ない。
たぶん、母にとっては、そんな理由はどうでもいいことなのだろう。 「自分が理想とする娘(=静月)の姿」や「自分が理解している(思い込んでいる)娘の姿」が「静月らしい」なのだ。 それが透けて見えるから、嫌な気分になる。
■2012年09月06日(木) 本音でいこう
はっきりしない人に少々イラつく。 でも、私は相手の出方次第で動くつもりだから、「マテ」の姿勢でいる。
縁を切るつもりなら、それもヨシ。 表面だけ取り繕った関係は疲れるだけだから、そんなのは仕事等切るに切れない人間関係だけで充分。 不満を腹に収めて何気ない笑顔で接しておいて、裏で陰口言うような友情は要らない。
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