西方見聞録...マルコ

 

 

次は26年後 - 2009年07月22日(水)

 皆既日食でしたね。皆様ごらんになりまして?

 うちはですね、ワタクシ、マルコと1号娘が移動中、田原本町というところで見ました。てくてく路上を歩いてたんですが、分厚い雲が途切れて一瞬だけ三日月になってる太陽が見えました。くものおかげで肉眼で見れました。昼なのに薄暗くなったのが印象的でした。

 あとのメンバーはそれぞれの活動に熱心だったらしく見逃した模様(学校でも皆既日食鑑賞会が高学年用には催されているようでしたが、1年生のおKさんは無邪気に学童で遊んでたようです)。

 夜、1号と今日の日食面白かったね、と話していると、おKさんが布団で「日食を見逃してくやしい」と悲しんでいたので「次、があるよ。ちょっとおKちゃん33歳になっちゃってるけどさ」と慰めてあげました。

 次回、おK33歳、1号37歳、マルコ&あめでお67歳。

 もう〜どこでどうしてるの?


 
  



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十三通い(チョコラ鑑賞記) - 2009年07月14日(火)

 この日は午後に子どもX2の個人懇談があったんですが午前中は暇だったので朝から阪急沿線の十三駅(じゅうそう駅、と読みます)に参上して第七藝術劇場でチョコラと言う映画を見て来ました。

 なんか私、阪急に乗るときってかなりのパーセンテージで十三の第七藝術劇場を目指しているので、「阪急」と聞くと十三のあのキャバクラとかがたくさんある第七藝術劇場通りのちょっと猥雑な盛り場っぽい空気を思い出すのでした。

 そんで映画ですが、ケニアのナイロビ近郊のティカの町のストリートチルドレンの毎日を記録したドキュメンタリーでした。観てよかったです。

 ストリートに暮らす子ども達の厳しいけれど相互扶助を基本に自由と自立を謳歌する様子が淡々と描かれています。彼らをめぐっては内務省系児童局、教育省系学校関係、いくつかのNGO、そして家庭がそれぞれに福祉的支援を申し出てきてはいるけれど、それらが提示する「よき暮らし」よりストリートで得られる廃品回収の収入によって支えられる「自由と自立」に少年達は魅力を感じていることが伺われます。

 ストリートの子ども達にとって「厳しいけれど魅力的な町の暮らし」については以前、ダーウィンの悪夢に絡めて書いたことがありますが、私の16年前のケニア人口局勤務時代の観察と映画の特に監督さんの視点はわりと近いように思います。

 ケニアの農村と都市の格差、近代部門と伝統部門の2重経済が存在する中「よき暮らし」によって親世代の抑圧に耐えながら農家の相続者を目指すか、学業的成功をして近代部門で成功する低い確率に賭けるか。それよりは、ストリートで暮らしながらジュアカリ(スワヒリ語で「きつい太陽」と言う意味ですが、屋内ではなく路上で行われる器用仕事の仕事人、例えば鉄製の廃品から細工物を作り出す職人や警備員=アスカリ、農産物の仲買人=マカンガなどを指します)としての成功を目指すコースが魅力的なのはケニアの社会的、経済的背景を考えても妥当のように思います(その社会的経済的背景の改変の必要性は強く感じますが)。

 映画には日系のNGOモヨ・チルドレンセンターの活動の様子が紹介されています。モヨが子ども1人1人の家庭的背景をプロファイルし、家庭訪問を繰り返すおかげで、映像は子どもの実家に行って子どもがどういうプロセスで路上を目指したか分かるような仕組みになっています。でも観ているうちに映画の監督とモヨの代表者の松下さんはちょっと視点が異なることが分かります。松下さんは子どもを「学校に戻して、上の学校にやる資金的援助をして、まっとうな就職を目指させたい」と強烈に思っています。でも映画の監督は路上の生活にも楽しみにもそれなりの理解を示し、それなりの学びと現金収入がある路上の暮らし、スラムの暮らしを共感を持って見つめているように感じました。

 ところでケニアの内務省は県レベルでは「児童局」「人口局(家族計画普及)」「刑務所」の3つを管轄しています。一見この3つは相互に関わりあいのない仕事に見えますがこの映画を見て3つの部局の微妙な、しかし連携の必要が激しくある仕事であったことにいまさら気づきました。

 同じく東アフリカのストリートチルドレンが出てくる「ダーウィンの悪夢」とはずいぶん違う視点の映画です。よりアフリカの人々に寄り添った視点でストリートチルドレンが描かれていると言うべきか。

 ストリートチルドレンの路上調理とその食事風景が「ダーウィン」でも「チョコラ」でも出てきましたが、チョコラの方の路上飯は「うお!おいしそう!食いてえ!」という思いを観る者に抱かせると思います!

 後、音楽について。映画にはよくケニアの街角で聞いたリンガラミュージックが採用されていて、心が弾むようにうれしく聞きましたが、なんと!奏者は日本人リンガラミュージシャンサカキマンゴーでした。びっくり。




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未曾有 - 2009年07月05日(日)




 はい、久しぶりにお出かけ報告日記です。本日我が家が何処に行ったかというと!



 唐招提寺です。自転車圏ですが(我が家的には)この日は近鉄電車にて参上しました。
 というのは秋に稲田堤の1号さんの保育園時代の友人が6家族22名で奈良訪問をしてくださることになっていて、そのとき西大寺のかんぽの宿に我が家も含めて泊まることになってます。その下見でね、近鉄尼辻駅→かんぽ→西大寺駅を歩いてみてどこの駅からのアプローチが最適か試してみました。

 で、その途上、ちょっと方向は違うけど金堂の再建が終了した唐招提寺にも秋篠川沿いをちろっと尼辻から歩いていってみたわけです。

 まだ金堂の中は見れなくて(きっと千手観音の組立作業とかやってるんだ、組み立てパズルみたいに)でも蓮がものすごくきれいに咲いています。11月の1〜3日に唐招提寺金堂の落慶法要があるそうなので、そこでもう一度行ってみたいな。




 で、唐招提寺の無料休憩所で「招提味噌」というのを買いました。味は東大寺の二月堂で売ってる「行法味噌」の味噌味なんですが、そこにうり、なすなどの奈良漬のタネっぽい野菜が漬け込まれています。鑑真和上が来日した際、中国から持ってきて聖武天皇に献上して、聖武天皇は「わが国未曾有のおいしさ」とほめたので以来、味噌という呼び名でミソは呼ばれるようになったとか。

 この辺のミソの伝来譚に関しては是非、佐々木高明一派(つうか照葉樹林帯論者)の意見も聞いてみたいところですが、非常に美味しいです。唐招提寺いったら是非この招提味噌を購入されることをお勧めします。900円とちょっと高いですが。




で、上は鑑真さんのお墓です。唐招提寺境内は大変広くてそして鬱蒼と木々が茂っており、その辺が薬師寺、法隆寺、東大寺、興福寺の非常に管理されて木が刈り込まれてるよりもなんていうのかな、落ち着くって言うか、私は好きです。




で、秋篠川ぞいを西大寺方向に歩きます。途中天然の鵜が3羽泳いでいて、時々もぐって魚を捕まえては食べてました。鵜飼がいないから安心して取った魚を食べられるね。




へら釣堀の向こうにかんぽの宿が見えてきました〜。




 で、秋に総勢22名で泊まる予定のかんぽの宿も下見。かんぽ。オリックスにうっぱらわれずにまだあります。結構よさげです。

 このあと、奈良ファミリー近鉄百貨店でちょっと冷たいもの飲んで、文房具を買って、奈良ファミリー名物ラクダ広場でやってた縁日で金魚すくいをして家に帰りました。我が家の庭の池はなんだかものすごい住人が増えてますが、今日の金魚も仲間入りです。




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お葬式 - 2009年07月03日(金)

 伊丹十三がその昔お葬式という映画を作りましたが、核家族で、長寿な現在、お葬式に積極的に取り組む人材の高齢化と局部化ってのは確かにある話でお葬式の執行部の心得ってのはアクセスのしにくいものだと思います。まあそこで葬儀社さんの活躍があるわけですが。

 わたしなんて実家でいっぱい葬式見て来ましたが、いかんせん、孫ひ孫の立場だったので苦労は全部上の世代に押し付けていとこと遊ぶことに余念がなかったので、お葬式の何たるかをまったくわかっていません。その「場」に適した行動をとるのが難しいポストモダンな私たちなわけです(意味不明)。

 で、我が町内会の班で天寿を全うされた班員様が天に召されました。今年我が家は町内会の班長さんです。班長さんは自動的に葬儀実行委員長に就任します。じーざす!っつうかOh My Budda!

 でも今はわが町にも葬儀社があります。よろしく葬儀社。でも班長は適当な人員2,3名とともに通夜、葬式を手伝いに行き、おもに受付、会計の総指揮を引き受けるということになっています。んで、あめでおさんが一応両日とも講義のない時間帯だったので、現場に行くことになったんですが、お手伝いの確保がマルコの太い肩にのしかかります。

 とにかく人死にが出たことを告知し、お手伝いをお願いに班内を歩くとさまざまな学びがあります。班の勢力関係を地面に枝で書いてくれて「ここで死人が出たら、ここの家々からお手伝いをお願いするのが筋、この古い農家の一群の場合は班長はお飾りでよし。こっちの衆らはこっちの衆らが助勢に来るのが筋」と班内(わずか20数件)の政治力学を筋に沿って解説してくれるおばさん。朝、子どもを学校に送り出す時間帯にわざわざ電話かけてきて「昔は葬儀社なんてものもなく、班長がすべてを仕切った。お手伝いが2人?冗談じゃない、会計だけでも3人は必要で計算が合うまでに何日もかかる」なんて恐ろしい話を延々と教えてくれるおじいさんもいました。

 その昔アンソロポロジストとして日本の農村で社会調査してた時代にそういうホンネトークを是非聞きたかったものですが(当時は「何って何も特別なことはねえ、坊さん来て葬式するだけだ」なんてことしか語ろうとしなかったじゃねえか>古老なみなさん!っていや場所が違うから違う古老だけどさ)、当事者になるとほんとにムラの内幕が惜しげもなく開示され、若いモンを教育せねば!と古老の魂が燃えるようです。

 しかし、クダをまくわりに手伝ってくれる人が少ない!子ども会人脈でなんとか御通夜人員は確保したのですが、役に立つ年代の人はみんな働いていて平日昼間のお葬式に人員を割ける家というのはほとんど皆無(私もその日は遠方講義日)。そんな中、50代の女性がパートを休んで手伝っていただけることになり、お葬式はあめでおさんとその方の2名体制で何とかしのぎました。

 手伝いを断られ続けるとほんとにへこんできてしまって、気風よく手伝いを引き受けてくださった方には「ありがとうございます!みなさんのお葬式は必ず手伝いに行きます!」とか縁起でもないことを口走ってしまいそうになりました。

 我が班の班員の皆様のご健勝と長寿をしゃれにならないくらいマジで班長はお祈りしております、ホント。

 


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