西方見聞録...マルコ

 

 

私なりに問題の本質 - 2007年01月31日(水)

さて「産む機械」発言。
(おお〜世論をキャッチアップするの久しぶり〜。いつも、さあなんか書こか?と思う頃に世の中の話題は次に移っているのだ)

で、いろいろな場でいろいろの議論があります。
GSML(ジェンダースタディーズメーリングリスト)では「すわ敵失!」という祭り的盛り上がりを見せ、働く母の会員制ネット「畑」のほうでは「機械という言葉が問題の本質ではなく「女が一人頭がんばる」という女のがんばりにだけに少子化問題のしわ寄せを持ってくな」という感じの意見が多いでしょうかね。

私はこの「産む機械」という言葉とそこから仄見える世界観に現政権のいろんな膿みがたまったてるな〜と思います。

個人より公(もしくは国家)がダイジ!っていうアベシンゾー君とそのまわりの人々の世界観をうまく表現してるように思います。

愛国心を「教育」に持ち込み、伝統的家庭観の復活とジェンダーへの執拗なバッシング。夫婦別姓法案を攻撃する人材の男女共同参画担当大臣への起用。あからさまな企業よりの労働ダンピング政策。どれもあまりに偏っているのにそれがらくらく通っていくのは2005年9月の選挙でいろんなことを小泉内閣とその後継内閣(当時から安倍が次ってわかってたよね)に白紙委任したことのツケなんだと思います。

今回の敵失は脇の甘いじいさんのたわごとではなく、もっと本質的な現政権が抱えている問題、すなわち「個の軽視と国家主義の台頭」の発露と受け止めて厚生労働相辞任で話を終わらせずにより息の長い運動へとつながっていくことが肝要かと考えます。


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高橋美佐子さんのこと - 2007年01月28日(日)


 朝日新聞の記者に高橋美佐子さんという人が居る。

 マルコは前職時代、神奈川局勤務だった美佐子さんの取材を受けて神奈川の中学校がタイの子どもたちの就学支援に取り組む様子を紹介したことがある。写真入りの大きな記事なのでたくさん反響があったのを憶えている。記事が出るまでに何回か二人で電話やメールのやり取りをして、記事が出た後も何回かメールをやり取りした。その後東京の本社勤務になったあと、ラオスの小学校のことでニュースリリースをしたがそれは記事にならなかった。

 そういう新聞記者さんとのやり取りというのはNGOに勤務してれば普通にあるのでマルコなりに朝毎読それから産経にも何人かニュースネタをもちつ、もたれつした記者さんがいた。そんななか高橋美佐子さんのことを特によく覚えているのは何回かのメールのやり取りの中で「育児中で大変なんです。川崎は特に保育園行政がしんどいらしくて」とポロっと愚痴ったらすぐに郵送で川崎保育ガイドという美佐子さんが編集過程を取材したことがあるという本を送ってきてくれたのだ。

 忙しい仕事の中でそういうプラスアルファな気使いって結構難しいのは分かってたので強く印象に残った。

 その後高橋美佐子さんの名前を見つけたのは朝日新聞の神奈川版で「ガンと向き合って」という若い記者の睾丸ガンの闘病日記の連載の中でだった。美佐子さんはその闘病する若い記者の最初恋人としてそして最終回では妻として記名で記事に登場した。その連載はとても心に残って熱心に読んでいたので、ああ、高橋さんこんなプライベートを抱えながらクールに取材してたんだなと思った。高橋さんの夫サンの手記はにもなっている。

 その高橋さんの名前と久しぶりに再会した。

 朝日新聞の「患者を生きる」と言うシリーズで新生児集中治療室(NICU)の患者さん達に寄り添った連載を担当していた。相変わらずきめ細かい記事で出産の周りで起きる病と向き合う人々の姿が丹念に描かれていた。

 がんばってるなと遠くから思った。

 私も遠くに来たけど、あの頃と同じく「教育の機会の公正」ということをテーマにしているよ。心でエール。


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煮詰まってるから家族日記 - 2007年01月17日(水)

 仕事が煮詰まったので家族の話が多いこのごろの私。

 1号さんが学童からシュークリームを食べずに持って帰ってきた。「甘ったるいからいらない」んだそうな。渋い。渋いぞ小学生女児。

 さて渋くないおKさんとあめでおさんがシュークリームをめぐってがちんこの戦いを繰り広げることになるのだがおKさんは「お父ちゃんは大人なんだからきっと自分に譲ってくれるはず」っと思って戦いに挑んでいる。

 甘い。

 あめでおさんの目的は「おKをピンチに陥れること」なのに。わかってないぞ>おk。

 「じゃあじゃんけんできめよう」というあめでおさんの声が聞こえる。「え〜、じゃあkちゃんはチョキを出すからね!」とおkさん。つまり「パーを出しておとうちゃんは負けろ」という意味なのか?

 じゃんけんぽん。

 あめでおさんはぐうを出してあっさり勝利。おkは地が裂けたような悲鳴を上げ、あめでおさんは勝ち誇り、つづいておkの号泣がマルコのいる台所に響いてくる。

 「もういちどもういちど」とおkは泣き叫ぶ。

そこでどうやらじゃんけんが再戦されることになったらしい。

「ようし、kちゃんは今度は絶対絶対負けない“ぱあ”をだすぞ」
とおkさんまたしても作戦漏洩。そしてあえなく敗北して悲鳴と号泣。

さらに再戦。

「おとうちゃんはなにだすの?」
お、おkがあめでおさんに情報戦を挑みだした。

それに対するあめでおさんの答え
「ひ・み・つ」

さて再戦につぐ再戦の結果、シュークリームはあめでおさんのものになったが、おkはじゃんけんとは何を出すか秘密のうちに行うものだという世の中の真理を獲得したようであった。めでたい。



 



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いろいろ燃やすひ - 2007年01月13日(土)

成人の日がなんだか早くなったのでどんと焼きも早くにやることになったようですが、成人の日の先週は強風だったのでどんと焼きも若草山々焼きも1週間延期された訳でございます。

そんで我が家は毎月1回の1号さん喘息健診の日を若草山々焼きに合わせて設定したんですがやっぱり先週強風だったので1週間延期したんでした。



燃やしてます。
いくらでもいいからお賽銭を出して、とあったので娘たちに10円ずつ賽銭出させました。お神酒のおふるまいもセットだったので20円では申し訳なかったかな。



燃やしてる上を気球が飛んでます。



んで若草山へ。閉山中ですが今日はあいてます。もうすぐもやすのでその準備中でした。




ほらほら燃やす準備OK。市内から消防団がきていて消防団ごとに松明やら燃やしもんが配布されてました。



月ケ瀬村(現奈良市)の皆さんが和太鼓を披露してました。ここでは七草粥が振舞われます。



燃やすまで居ると寒いから帰って来ましたが、この日は夜から人出が見込まれるんでしょうな。いっぱい屋台が出てました。



最後にプリティーな鹿。おKさんに似てます。



最後にどらちゃんご紹介のどんとに関する参考ページ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A9



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竹取公園BYばいせこー - 2007年01月04日(木)

今日私たちがどこに行ったかというと、、



竹取物語の舞台となった広陵町の、、、竹取公園に行きました。

我が家から南に10キロほど行くと竹取公園がある。あ、ここはまえにもいってるな。こんなかんじ。
正月休みの最終日、1月4日、この日は法隆寺の舎利講もないので(舎利講は1日から3日までね。我が家はもちろん3日にきっちり出馬し舎利を拝みました)自転車に乗って。奈良県大規模自転車道、飛鳥葛城線がどの程度できてるのかの視察もかねていってきました。
8割がた出来てましたね。>自転車道。

しかし2割出来てないのでそこの区間は大変でした。行きはわくわくぐんぐんペダルをこげても帰りは寒いし結構疲れます。1号サンは自分自転車で行ってもらったんですが結構ばててました。



竹取公園はアスレチックや橇遊びや巨大滑り台なんかあって家族連れに人気なためこの辺の親子はみんな「車で」参ります。なんか家族図鑑みたいにいろんな親子や祖父母―孫がいっぱい居ました。








 巨大自転車道、かなりできてるのようなので、ゴールデンウィークには飛鳥まで自転車で行く計画をあめでおさんが一人で浮上させ中。片道30キロはあるよ〜。日帰りは嫌よ。我が家のちゃりはママちゃりなんだしさ。


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みゆきちゃん - 2007年01月02日(火)



ある朝1号がはらはらと落涙しながら目覚めた。どうしたのかと問うと
「お父ちゃんとおかあちゃんが離婚して、私はおかあちゃんと暮らしているのだけど、町でおとうちゃんに会ってしまった。お父ちゃんはすごい若い新しい奥さんを連れて、奥さんもお父ちゃんも茶髪でなんかヤンキーみたいになっていた。それで新しい子どもも生んでいてその小さい女の子はみゆきちゃんといって、もうお父ちゃんはみゆきちゃんのお父さんで1号のお父ちゃんではないのだと思い知り、悲しくて目が覚めた」
ということでした。

そうですか、、。それはかなしいですね。

それ以来1号の大切なものを奪っていく存在を我が家では「みゆきちゃん」と呼ぶことにしている。

1号にはサンタかドラえもんかというほど1号の希望をかなえてくれる伯父(あめでお兄@独身貴族)が存在するのだが、伯父さんがもし結婚して子どもが生まれたら、今までのようにこんな豪華なプレゼントをくれるだろうか、と1号が問うので「無理だね。みゆきちゃんが生まれたらもう1号にプレゼントを買う時間もお金もなくなるよ。」と答えておいた。

みゆきちゃんが生まれていないおかげで今年1号はDSライト(現在入手激困難)をこのお年玉商戦の最中にサンタかドラえもんのような伯父さんによってさっさと入手してもらい、プレゼントされたのであった。ちなみにうちはあめでおによりゲーム機購入は禁止されていたがあめでお兄は大晦日から元旦にかけて弟であるあめでおをとっとと説得し、その後DSライト購入作戦を展開し、1月2日にブツの落札に成功して宅急便で送ってくれた。いっしょにおKさんへのお年玉も入っていたが、それは『駄菓子』だった。

いいねえ、1号。なんかそういう絶対的な味方がいるってのはきっとイイコトだと思うよ。まあ、どんな形であれ、みゆきちゃんが出現するまで伯父さんは君のものだ。よかった、よかった。




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