西方見聞録...マルコ

 

 

たまってます。 - 2006年03月27日(月)

いっぱい書くことがある日々を過ごしているのですが、論文に閉じ込められて日記かけないので後ほど書くことをちょっとメモしときます。もしかしたら実現しないかもしれないけど書きたい日記集。

ダイヤさんちのこと、お逮夜法要でアルファア波、おーいおりてこい、ひとにやさしく2涙の乱れ打ち、はじけすぎ、奈良公園の花嫁、奔流の漏れ出穴3と4,マルコやんママにやられる




...

マルコ、ヤンママにやられる - 2006年03月26日(日)

 マルコ本年度1号さん学童保育所の保護者会執行部役員をおおせつかりました。(やる気はなかったんですが、友人2人に両脇からがっつり腕をつかまれて「3人でやりま〜す」と声をあげられたときに「いやだ〜〜〜〜!」と絶叫したかったけど、気が弱いので、それができずに青ざめてニヤニヤしてたら、そのまま三役に就任させられてしまったのでした。)

 そんで前年度役員さんと今年度役員さんの引継ぎ会が中央公民館で行われました。

 町内の3小学校合同の引継ぎ会だったんですが(つまり私の住んでる自治体に小学校は3つしかない!)、お隣のI小の本年度役員さん、全員現役ヤンキーさんでした。いや、ヤンキーだっていいんです。役員引き受けて出てくるんだから見上げたヤンキーです。

 しかし困ったのは「私たちパソコンできないから〜」といって強引に一番簡単な仕事の分担を持っていったことでしょうか。まあ、いいんですけど。私パソコン使えるから。

 1号さん親友のAちゃんまま(元ヤン)にその話をしたら「そんなんいまどき嘘に決まってるやろ。ヤンキーやてパソコンくらい使えるで、簡単な仕事がやりたかっただけやで」と教えていただきました。

 き〜。でもいいや。なかよくやりましょ>現役ヤンまま!


...

オーバーフローしたので人事のひとになる - 2006年03月19日(日)

 ここにきて非常勤講師駆け込み人事。
 もう受けられません。これ以上受けたら論文も何にもかけないわ。
 ってことで人事担当者となって講座の友達やボランティア&調査先のNPOの関係者の顔を思い浮かべて紹介元にご推薦。

 今回はゼミ名人の講座のセンパイを推薦させていただきました。

 それにしても最初の一歩を刻むと仕事って結構あるんだな。その最初の一歩までがいろいろと長いんだろうな。これは何事にもいえることなんだろうけど。


...

オチまであと何マイル? - 2006年03月12日(日)


 日曜日、1号さんとおKさんを連れてお出かけした。暇な電車内、マルコは1号さんとの対話で時間をつぶす。1号さん@8歳児、結構、話相手になります。
 1号さんが英語をしゃべる真似をして遊ぶ。でも実際はしゃべれないのでなんか顔を大げさに動かしてるだけのような感じになる。

マ「やめなよ。その英語をしゃべるまね。英語人の人が見たらバカにされてると思うよ。私だってケニアで良くケニア人に日本語しゃべるまねとか言って『たかたかたかたか』とかいわれて嫌だったもん。イギリス縁者のさるとるさんが見たら、きっとそんな1号ちゃんのこと嫌だっていうよ。」

1号「英語てのはアメリカの言葉でイギリスの言葉ではないですよ〜だ。」

マ「ばっか、英語はもともとイギリスの言葉でイギリスからアメリカに人がいっぱい行ったからアメリカでも英語がしゃべられてんじゃん。オーストラリアだってそうなんだよ。」

1号「そうなの?イギリスからそんなに人があっちこっち行ったの?なんで?」

マ「産業革命ってのがあってイギリスがすごく強い時期があったんだよ」

1号「いまでもイギリスは強い国?」

 とそこから、国の強さってなんだ? GNPではイギリスはアメリカに負けてるとかって話になってGNPという言葉で1号が躓く。そうときどき8歳児に未形成の概念が会話に出てくるとそこで会話が躓くんである。

 次に8歳児が躓かない様に無難にアフリカで見た動物の話をする。

 サファリカーで動物を見に行った時、子連れの象のお母さんにうかつに近寄りすぎてものすごい勢いで追いかけられ、サファリカーでめちゃくちゃに逃げた。ちょうどそのときビデオカメラが回っていて大混乱の車内が記録に残っちゃった話とかする。
1号は喜んで「もっとアフリカで見た動物の話をして」とせがむ。そこで「アフリカでキリンが6頭くらい並んであるいてた。」話をすると「そういうんじゃなくて、追いかけられたとかそういうオチのある話が聞きたいの。」と細かくリクエストを出してくる。ふむ。それじゃあ、あのとっておきの話をしよう。これはどこでしても結構受けるアフリカの話なのだ。

「アンボセリ国立公園で大きなオス象がメス象に交尾しようと挑みかかっていった。メス象はいやがって逃げたら、オス象はものすごい声で鳴いてその声が地響きになった。さらにオス象はすごい勢いでメス象を追っかけていった。声と足音でホントに大地がゆれた。それで追いかけていくオス象を見ると性器がびよ〜んと伸びて、象の鼻と形も大きさもまったくおんなじで、鼻が前と後ろに2本あるみたいだった。」

という話なんである。さてその話を1号にしようとして最初のセンテンスの「交尾」の概念で1号が躓いた。
「おかあちゃん、コウビって何?」
「ええっと、、、おしべとめしべがあって、、、」

、、、、遠い。

「鼻が前と後ろに2本あるみたいだった」という話のオチに到達するまでに8歳児には超えるべき「概念」という名の深い谷がたくさんありすぎる。そんな母の苦悩を知ってかしらずか1号は「コウビって何?コウビって何?」と車中でかい声で連呼するのであった。




...

ひとにやさしく - 2006年03月09日(木)

本日私マルコは人にやさしく、されました。

神が降りてきたのなんだの大騒ぎしてたけど、マルコ論文はそんなに優れたものではございません。老新人の久しぶりの論文書きなんですから、ホントにやっと形にしたって感じです。センセイに投稿前に見てもらうために、提出した後も、夜中にいきなり読み直して「アンナに調査したのにこんなアウトプットか!わたしのばかばかばか」とほとんど壊れた気分になったり、「センセイもきっとあきれてるよ。でもまあ、こんなもんだよ、うんうん。」と無理やり自分を納得させたり結構アップダウンの激しい日々を送っていました。

そんなマルコを生暖かい目で見守るあめでおさんは
『論文がうまくかけないなんてものすご〜くよくあることです。学生の壊れた論文なんて教員してれば慣れてますからそんなに気にやまんでよろしい。』

と優しいんだか冷たいんだかわからないコメントをくれたりしてました。

んで論文を見てもらってるセンセイから今日メールが入ります。(怖くてメールあけるのを1日先延ばしにしちゃった。)ぶるぶる震えながらメール開封。

「大変興味深い論考だと思いました。ただ技術的な修正の必要があるのでO月X日に電話してきなさい」というメールでした。

そのメールを読んであめでおさん。
「稀有にやさしい先生ですな。どこにも論文の出来不出来を書かず、相手のやる気をそがずに修正点があることを伝える。なかなかできるもんではありませんな。私はたいてい人格を否定するようなコメントをくれるセンセイにしかついていなかったんですが、何でアンナに意地悪なのかと思ってました。でも論文を見る立場にたってわかったんですが他人の論文はアラがマル見えなので、『おまえなんかやめちまえ』って気分になるんですわ。このセンセイもきっと『おまえなんかやめちまえ』って言う気分をぐっと抑えてこう書いたんだと思いますよ。」
と重々しくご託宣。

先生ぐっと抑えてくれてありがとう。
私もこれから、心を入れ替えて各方面にぐっと抑えて生きていくよ(うそ)。




...

こんな週末 - 2006年03月05日(日)

さて週末。土曜に我が家が行ったのは




行ったのは、、、




奈良県中央卸売市場でした!

その市場の2階(高さ的には3階以上)にある中卸さん達のための厚生食堂「みやこ屋」に行きました。

この食堂は奈良県民の間ではちょいと通な食堂なのよ。ここはですね。なんと680円(小学生500円、幼児350円)で食べ放題のバイキングなんですが、卸売市場から鮮魚・野菜を回してもらってるのでこのお値段ですごい美味しいのです。寿司コーナーでは刺身と御寿司を板前さん達がちゃっちゃか作りつづけてますがどれもすごくおいしかったす。

でも激コミなので我が家は混雑を避けて午後2時ころに行きました。そんでこの日は昼夜一緒に食べたってことで、夜ご飯は帰りにコンビニで買ってったアイスで済ませました。(それくらいおなかいっぱいざました)


=======*=*=*=*=*=*=*=*========

次の日、日曜。この日は図書館に行ったんだけどそのまえにいい天気だったからここにきました。

ここはどこかというと、、、



はい、富雄川の河川敷ですな。



生駒のほうから流れてきた富雄川はここで大和川と合流します。
手前から流れて行くのは富雄川、左手奥から流れてくるのが大和川。そしてこの大和川ははるか大阪湾まで流れていくのでした〜



呑気な公園スペースで日向ぼっこ。




...

奔流の漏れいずる穴〜書評ホワイトネイション(2) - 2006年03月04日(土)

で、まず

1)<邪悪なナショナリスト>編。
 
 ここではイスラム女性のスカーフを剥ぎ取るという<レイシズムの実践>への考察から話が始まる。
 豊富な「レイシズム的傾向をに抱えている人々」へのインタビューから彼らが「第3世界風」オーストラリア人に対し、「数が多すぎる」「自分の国へ帰るべきだ」といった分類を行っていることが浮き上がる(P.78)。そして「(ここを)昔みたいに戻す」という願望が何回もインタビューのダイアローグからたちあらわれる。

 そこにはそうした人々がエスニックな他者を自分が思い通りに扱える客体として捉え、自己をナショナルな空間の管理者として認識し、「数を数えて、多すぎる分を他者の祖国に送り返し、オーストラリアを昔にもどすことが出来る」権力がある、と仮定している姿が伺える。こうした幻想の権力が「統治的帰属」(P.91)から派生するとハージは言う。統治的帰属とはつまり、「『自分の故郷=祖国』を存続させるために自分にはネイションの管理に貢献する権利があるのだ、という信念」(P.91)とハージは説明する。


 ハージこの「統治的帰属」をブリュデューの「権力場」の概念を用いて説明する。決して「主体的な白人オーストラリア人」と「客体として扱われがちな非白人オーストラリア人」の間に明確な線引きがあるわけでなく「『白人性』は常に変化する文化的・歴史的構築物」(P116)である、という。「男性であること」「英国系・アイルランド系の子孫」「キリスト教徒」「経済的資本」「オージーっぽい発音」(P.112)とかさまざまなナショナルな資本を蓄積する場として「権力場」がある。このナショナルな資本をより多く蓄積することで、持っている資本がより少ない他者に対して権力を行使できるというファンタジーが成立する場である。

 統治的帰属を主張する人々が夢想する<あるべき祖国=幻想の白人の国(ホワイトファンタジー)>は「生活に充実と活力を与えるもの」として構築される。ナショナリストはそうした彼らが「充足する幻のネイションを他者に盗まれるのではないかと継続的に憂慮する」P.140)。

 実生活に充足と活力を見出せない者が強烈に幻のネイションを追い求める。
「社会生活の他の領域で充たされてないと感じている人々が、もっとも騒がしいナショナリストである場合が多い(略)。ナショナリズムが人生の目的や可能性の感覚を与える手段となるのは、社会生活の他のどんな分野もそのような人生の目的を提供してくれないときである。」(P.138)

 イスラム教徒の女性のスカーフを剥ぎ取るというレイシズムの実践をなした加害者女性へのインタビューをハージは掲載する。被害者はイスラム教徒のレバノン系オーストラリア人で加害者はキリスト教徒のレバノン系オーストラリア人だった(これ以外にもたくさんのこの種のレイシスト的犯罪は起こっているが、ハージがインタビューできたのは彼女だけだった)。加害者は彼女のキリスト教信仰が他のイスラム教徒に比べてより統治的なオーストラリア性への転換が可能であるという信念のもと、他者を客体化し、スカーフを剥ぎ取るというレイシスト的実践を行ったのだ。

 自分の統治的権力に不安を抱く人々がよりナショナルな資本を持たない人々を攻撃することで自らのネイションへの統治的帰属感を誇示し実感する。ハージが「邪悪なナショナリスト」と定義付けする人々のレイシズムの実践はこうした構造を伴っているのである。

 私の愛読しているFeliceさん日記にこの構造をよく体現したケースが紹介されていた。
ホテルルワンダを見て


「若い女は優遇されてるとかいうけど、やっぱ、か弱い立場なんだと思う今日このごろ。」と自らを規定している彼女がホテルルワンダのプログラムの町山智弘氏の所収文書 を読んで逆上する。(町山氏は「ホテルルワンダ」の日本公開に尽力したカルフォルニア在住の映画評論家)
町山氏は隣人を虐殺する事例として関東大震災時の朝鮮人虐殺の例を引き、ルワンダの大虐殺は遠いアフリカでの事件でなく、どこにでもその種をはらんだ事件なのだと述べる。公平に読んでとても理解しやすい的を得た「例え」だと思う。

しかし彼女は氏のこの所収文書の最後一節の朝鮮人虐殺はルワンダと何も関係ないじゃないかと怒り、そして
「現在はアメリカ在住のようですが、ぜひ、氏のルーツの韓国でも朝鮮でも帰られたらよいのではないかと。ついでに韓国人男性なら義務のはず、の軍隊で少し揉まれて来たほうがよいのでは?」

とのべる。町山氏の父上が韓国・朝鮮系であったことの一点から彼女は町山氏を自分よりナショナルな資本の蓄積の低い存在と定義付け、すでに日本に帰化している町山氏に対し韓国に行って軍隊云々という暴言を吐く。「国に帰れ」と言うのはハージの言う統治的帰属感を発露させる際の邪悪なナショナリストのの典型的言説だ。彼女は町山氏を客体化することで自らの統治的帰属を表明するのである。こうしてか弱い彼女は権力のファンタジーに陶酔する。

 彼女に対する町山氏の返答。いったん町山氏はこういう返答もして、彼女に対して「日本国民の義務である義務教育も受けてないのか?」と彼女のナショナルな資本に疑義を呈して彼女と同じ「権力場」に立ちかけるのだが、結局は彼女とナショナルな資本争いの不毛な競争は避け、コスモポリタンな視点から「隣人への暴力」への考察を行う方向へと進んでいった。

 彼女のブログにあるたくさんのコメントをはじめ、多くの国や世界を憂える市民の発信であるブログ(含む拙日記)も統治的帰属を求める闘争の権力場と解釈すると、「理解」しやすい。


 さて次回は邪悪ではない普通の人々がなぜいま、ナショナルな方向へと舵を切っているのか。ハージの道案内でちょっくり考察したい。


(すんません。土曜の夜に1回アップしたんだけど、自分の思いが濃すぎて独走しちゃった部分にちょこっと説明を加えて再投稿@日曜の夜 しつこく加筆、火曜の昼木曜の昼リンクその他ちょっこり修正)




...

神様降臨 - 2006年03月03日(金)



できました〜。本文だけ。どんと来やがれ脚注、引用文献、要旨、英文要旨、&キーワード。(なんだ!まだなんだかいっぱいあるじゃん!)



...

奔流の漏れいずる穴〜書評:ホワイトネイション(1) - 2006年03月02日(木)

久しぶりに不定期連載日記。春がちかずくと、なんか一言いいたくなるのか、あるいは抱えてる論文から逃避したいのか、自分でもよくわかんないんですけど。

ガッサン・ハージのホワイトネイションを読んだ。
オーストラリアを舞台に非白人の移民・アボリジニの人々に対する白人オーストラリアの支配幻想(ホワイトファンタジー)が如何に生まれ強化されるかを描いた本だ。昨今のオーストラリア、ヨーロッパやアメリカさらに日本で噴出するネオ・ナショナリズムの奔流の漏れ出る穴がどの辺にあるかがかなりわかりやすく解説されている。支配−被支配の幻想構築の仕組みは昨今のジェンダーバッシングに見るバックラッシュの構造分析にも援用できそうだ。

私はバックラッシュな人もレイシストも嫌いだけど、嫌いをキライと言っていてもなにもかわらない。スピノザが知識人に要請した「嘆くのでもなく笑うのでもなく、嫌うのでもなくしかし理解すること」(P.47)という姿勢を、本著の著者のガッサン・ハージに倣って採用して書いてみようと思う。

本書では大きく分けてオーストラリアの3つのタイプの人々によるホワイト・ファンタジー(支配幻想)の構築・強化の構造が物語られる。

1) 邪悪なナショナリスト
2) 善良なナショナリスト
3) 多文化主義者

そんでちょっと長くなりそうなんで以下3回に分けて日記アップじゃ。待て次号(いつになるかわかんないけど)。



...



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home