西方見聞録...マルコ

 

 

音楽と私 - 2005年06月27日(月)

え〜っと巷で流行っているむしかるばとん(Musical  Baton)、です。もったいなくも、ドレスデンさんからバトンを渡されました〜。
1)今PCにどれだけの容量の音楽を保存しているか?2)今流れている曲は?3)最後に買ったCDは?4)特別な思い入れのある曲は?の各質問に答えたあと、次の人5名を指名してバトンを回すというものらしいです。

私はかな〜り音楽方面は不得意分野で、いやあ〜そんな事聞かれても困りますって気分だったんですがやっぱ青春の一時期音楽にはまった時期と言うのはあるので、このMUSICAL BATONの各設問(とくに4)を考えている間、過去を発掘しているような気分でなかなか楽しかったです。

では下記がマルコの設問への答えです。

1)Total volume of music files on my computer
むむむ、いきなりわからない。うちは3台パソコン使っててそのうち1台になんだか音楽ためてるんですが、そのマシンが今ぜっ不調で起動させる勇気が無い。
ためてる音楽は「おじゃまじょドレミ」と「坂本九メドレー」と「水前寺清子の365歩のマーチ」「嘉門達夫の鼻から牛乳」「いつも何度でも(千と千尋の神隠しのテーマ)」なんですが、書いてみるとなかなか楽しいラインアップですが、私の好みの音楽は1つもありません。ぜんぶ夫@あめでおさんと長女1号7歳児の好みですわ。

2)Song playing right now (今聞いている曲)
いま?ってこのしゅんかん??この頃家ではアタックナンバーワンのテーマが流行って7歳児と3歳児がよく2人で絶叫してました。

3)The last CD I bought (最後に買ったCD)

森山直太朗の「さくら」を買おうとして河口恭吾 の「桜」を買ってしまい、やっぱ慣れないこと(CDを買うこと)はやめようと思った。そのまえに買ったのは10年位前のことで、サッチモのワッタワンダフルワールドが入ったアルバム。

4)Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

むうう、なんじゃろ。
*「万里の河」ケニアでバイクを爆走させながら唄ってました。
*「夢をあきらめないで」ジェンダーの罠に気持ちよくよってた若いころに唄って、ジェンダーコンシャスな年上の友達にけっと笑われてました。
*「うらみ・ます」情念をこめて絶唱して、部屋の気温を3度下げます。
*「会津磐梯山」スワヒリ語バージョンと英語バージョンを歌って在ケニア日本大使館で受けをとりました。現在もカラオケ屋で歌ったりしますがあんまり受けません。
*「WHAT A WONDERFUL WORLD」いろんな場面で頭の中をながれてます。

なんかカラオケのレパートリーになってしまった、、。

5)Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
こ、これはむつかしい。
あの〜ゆっくりでいいし、シカトしてもいいので、以下の5名の方に一応バトンを渡しておきます。裏の田んぼに投げておいてくれてもいいです>バトン


どらさん
ダイヤさん
Yokoさん
みんさん
しーちゃん

MIXI内部でバトンがまわってきたのでMIXIやってる方でバトンをまわしました。ダイヤさん、バトンを渡す時、もしよかったら、拙掲示板参加者に渡してくれてもいいですよ〜





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慈光院で侘さびと戯れる - 2005年06月26日(日)

 



















 なんか写真だけのほうが侘さびが堪能出来るのですが、一応説明すると、これは家から自転車で10分くらいの大和小泉の慈光院というお寺です。今日は朝から矢田寺(あじさい寺)へ行きたいマルコとあめでおと、ショッピングセンターでお買い物に行きたい物欲の霊が憑いている1号さんとの間で激しいバトルが繰り広げられ、結局自転車で大和郡山のショッピングセンターAPITAでちょっこり買い物したあと、自転車で山の上の矢田寺を目指すことになったのですが、とにかく暑い!そんで矢田寺よりももちょっと平野に近い「慈光院」に行くことになりました。

 慈光院はこの辺の領主だった片桐石州(4代将軍徳川家綱の茶の師匠)が寺1個をまるまる茶室作りにして客人をもてなしたという場所で拝観料1000円を払うと抹茶とお菓子がいただけます。

 酷暑の中を到着すると別世界のように涼しい風がふいていて、おKさんは1時間程陰影礼賛な広間で昼寝してしまいました。





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K内さんに会う。 - 2005年06月24日(金)

 22日(水)深夜突然メールをK内さんからもらう。
「23日から関西を訪れる。ついては関係者を集めるので23日夜飲み会に合流してください。」ってあんた、子持ちはベビーシッターの用意もあるんだから前日の深夜に明晩のもう、ではまにあわないのだよ。

 それでもK内さんに会えるのは結構レアなチャンスなので木曜金曜のマルコが自由になる隙間時間を30分単位でリストアップしてメールすると金曜の11時から11時30分に三ノ宮にて会える事になった。

 そんで今日会ってきた。

 K内さんはどんな人かというと、、、

 大学をたびたび休学して自分のぶんや妹の分の学費を工面、そのたび人生の経験値は高まったという方である。その経験値の中身をちょっこり紐とくと京都の料亭の板前になったり、危険物取り扱いの免許をとって一夏海水浴場のすべての海の家のプロパンガスの取り扱いを可能にしてあげる代わりに上納金を納めてもらって、自分はビーチで御昼寝したり、競馬のプロになったり、なかなか波乱万丈な物語を背負っておられた。

 マルコは今から10年前、ケニアでK内さんとおんなじプロジェクトのおんなじポジションで協力隊員をしていた。赴任地がマルコは北のほうでK内さんはウガンダの国境に近い西のほうだったが。文化人類学を専攻する隊員は結構めずらしいのでよく電話連絡をとっては仕事に関して相談したりされたりしていた。

 そんでその後わたしはNGO職員してた時代、K内さんもちがうNGOに勤めていてあっちこっちの業界の集まりで顔を合わせていた。

 マルコが関西に来てからちょっと疎遠だったけど、そんな微妙にやくざな文化人類学者@開発業界生息中のK内さんもこんどJICA専門家になってウガンダにいくことになった。めでたいことである。

 30分の短い会見でお互いの近況や思わぬところの共通の知人のうわさ話をマシンガンのように語り合い、30分きっかりたったところでお互い次の予定があったので別々の場所に移動した。次に会えるのは多分3年位あとかな〜。

 ところでK内さんはわが掲示板の住人のいとなん女史を知っていたよ。「いとなんはマルコをたずねてケニアに遊びに来たことがあるんだよ」というと、「そういえばマルコさんの従姉がイギリスからジンバブエ経由で遊びにきたって言ってましたね。そうか、あの人がいとなんさんか〜」といっておられました。今度どこかであったら(たぶんAから始まる学会とかだと思うけど)K内さんをよろしくだよ>いとなんちゃん。



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奥の細道から聞こえるシャウト報告 - 2005年06月21日(火)

皆様。ずいぶん前に予告したあめでおさんの法隆寺研究。やっと論文が掲載された法隆寺友の会会報『聖徳』が配布されましたので、ここに謹んで転載させていただきます。



法隆寺はどこから見えるか


            法隆寺友の会会員山田あめでお

  はじめに
 法隆寺は見晴らしのよい場所に立地している。現在法隆寺の周囲にも住宅が立ち並び、境内から遠くまで見渡せるところは少ないものの、西円堂のあたりまで登ると、晴れた日には奈良盆地の南部や大和三山まで見渡す事ができる。このように見晴らしがよいのは、法隆寺が奈良盆地の低地よりもやや小高いところにあり、北方の矢田丘陵をのぞいて周囲に高まりがないためである。法隆寺からの見晴らしがよいということは、奈良盆地の広い範囲から法隆寺を見ることができるはずである。現在は法隆寺周辺だけでなく、奈良盆地には多くの住宅、工場等の建造物があり、それらが視界をさえぎるため。法隆寺を見ることができる範囲は限られるものの、創建当時は現在のような高い建物はほとんどなかったであろうから、より広い範囲から法隆寺を見ることが出来たのではないだろうか。ある場所から見えるか見えないかは、地形と地表面上の建造物等の有無に左右される。障害物の有無については、創建当時の状態を復元する事は難しいものの、地形は当時と大きく変わっていないであろうから、障害物がまったくなかったと仮定した場合の潜在的な範囲は、地形を元に推定する事ができる。幸い、最近のコンピューターおよび、数値地形図の進展により、容易にある場所が見えるか見えないかの判断ができるようになった。小論ではコンピュータと数値標高データおよびその解析ソフトウエアを用いて法隆寺が潜在的に見える範囲を推定した結果および、法隆寺と同時代に建立された飛鳥寺が潜在的に見える範囲を推定した結果を紹介する。

  法隆寺が見える範囲と飛鳥寺が見える範囲
 第一図に示すように、法隆寺は奈良盆地の広い範囲から潜在的に見えることがわかった。奈良盆地の北西部や奈良盆地南西部では矢田丘陵や馬見丘陵の山陰になるところがあるものの、奈良盆地中央部はもとより奈良盆地北部の若草山から飛鳥、さらには葛城山の周辺からも潜在的に法隆寺を見ることができる。
 ただし法隆寺から遠ざかれば遠ざかるほど小さく見えるため、あまり遠いところでは識別できなくなるだろう。奈良盆地内の法隆寺から最も遠いところで約20キロメートル離れているが、20キロメートル離れたところから20メートルの長さのものをみるのは1メートルはなれたところから1ミリのものを識別するのと同じことになり、周囲とはかなり異なる色でないと見つけることは難しいであろう。実際奈良盆地東縁の山辺の道沿いにある桧原神社(法隆寺から約12キロ南東)付近から法隆寺方面を見渡す事が出来たものの、法隆寺そのものを見出す事は出来なかった。これは、遠すぎたためもあるが、法隆寺の堂塔の色が背後の矢田丘陵の森林と調和的であるためでもあろう。現在の法隆寺は背後の森林と調和した落ち着いた色合いを呈するが、創建当時には華やかな彩色が施されていたとすると、かなり遠くからでも見えた可能性はある。
 一方、飛鳥寺は潜在的には見える範囲は法隆寺よりも狭く、ほぼ奈良盆地の北西部に限られる(第二図)。これは飛鳥寺があった場所に限らず、飛鳥地域は周囲を小高い丘や大和三山に囲まれており、それらの山陰になる範囲が広いためである。ただし法隆寺周辺では比較的広い範囲で飛鳥寺を見ることが出来、実際法隆寺の西円堂のあたりでは飛鳥地域を見渡す事ができる。

  



 以上のように法隆寺は奈良盆地の広い範囲から見えるのに対して、飛鳥寺を見ることができるのは法隆寺周辺の奈良盆地北西部に限られることがわかった。この結果はあくまで地形に基づいた潜在的に見える範囲を示すにとどまるが、法隆寺創建当時は、高層の建造物がほとんどなかったであろうから、創建当時はここに示した地図に近い範囲で見えていたと考えられる。そうであれば、聖徳太子は法隆寺創建前より飛鳥から法隆寺周辺を見てお過しになったであろうし、また、法隆寺創建以降は、法隆寺を見ながら太子道をとおって飛鳥と斑鳩を往来しておられたのではないだろうか。

(初出:『聖徳』184号 聖徳宗教学部発行 2005年、5月)

 、、、とまあ、こんな感じの論考です。
 本人はあんまり踏み込んでいませんが、何で聖徳太子が斑鳩を自分の宮に選んだかというと、これまでは難波津への交通の要衝だから、って説明がほとんどだったんだけど、あめでお論考をあわせて考えれば、斑鳩に引っ込んでても、飛鳥からばっちり見えるので「飛鳥朝廷へのプレゼンスを失わない」ってのも大きな理由だったかもしれませんな。(付記:斑鳩(聖徳太子の住居)と飛鳥(職場の飛鳥朝廷があった場所、飛鳥寺のあたり)はかなり距離的に離れており、聖徳太子は遠距離通勤者だったんですわ。この辺には『太子道』といって、聖徳太子が飛鳥まで馬で通った道があり、毎年11月23日には「太子道を歩く集い」ってのが法隆寺主催であります。いつか参加してレポートを書きたいものじゃ。)ちなみにこのあと、聖徳太子の息子の山背大兄皇子の時代、上宮王家(聖徳太子の一家)は政権の主流から外れ、蘇我氏によって斑鳩の宮は焼かれて一族殲滅されてしまうんですが、斑鳩の宮に引きこもってると飛鳥からばっちり絢爛豪華な斑鳩宮&法隆寺が見えちゃって時の権力者はおちおち寝てられなかったのでがつんとやられちゃったのかしら。とか時代ミステリー的想像力が喚起されます。

 あめでおさんももちろんその辺は考えたらしいんですが「科学が立証できるところまで明確にするのが私の仕事なので」ということで想像の世界は黒岩重吾におまかせするそうです。



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衣替え - 2005年06月19日(日)

 いろいろと一段落ついたので、懸案になってた衣替え第2段を挙行しました。第1段は冬物と夏物の交代で、第2段は春物と盛夏物の交代なんであります。

 それにしてもおKさん、洋服多すぎます。1号さんの川崎時代の友人Nちゃんから大量のおさがりをもらっていて、それで0歳から2歳までは乗り越えたんですが、2歳以降は斑鳩の1号さんの友Aちゃんの妹ちゃんからどかどかとGOODでナイスな洋服を頂いています。そしてこの夏からついに1号さんのお下がりの封印がとかれました。

 1号さんのお下がりは0歳から2歳までのものはすべて友達にあげたり、捨てたりして処分してあったのですよ。つまり彼女が3歳くらいのころ、わたしは「子どもは1人で充分、1人ッ子政策を我が家は採用します」と考えてた訳ですな。あのころ一番仕事が忙しくって年に3回くらいはタイ-ラオスの国境地帯にお仕事しに行ってたので(何の仕事だ〜!)とても二人目を妊娠する余裕はないだろうな〜と思ってたのですよ。

 駄菓子菓子、職場でいろいろと変動があって、「二人目作っとこう。仕事に命捧げても、あんまり見返りは期待できなさそうだし。」と考えて1人ッ子政策を破棄し、1号さんが4歳半の時、おKさんがお生まれになった訳です。

 4年半の違いってのは上の子のお下がりを下に出すためにはインターバルがあいちゃうんですわ。それで1号さんが着れなくなった服はビニール袋に詰めて2〜3年寝かしておいて、この夏やっとその寝かせておいたビニール袋のお下がりの山の封印がとかれたわけです。

 それにしても曲がりなりにも他人様がまわしてくれるお下がりはきれいなものやブランド物が混ざっているのでステキなんですが、実の姉のお下がりってのはなんつうか容赦がなく汚いですな。なんか白いTシャツは黄色い感じになってるって言うか。

 1号が幼いころ、私はなんだか子供服がめちゃくちゃ高いのが気に入らなくてセカンドハンドのお店やフリーマーケットや保育園のバザーで集中して洋服を手に入れてたのですな。時々祖父母が買ってくれるのが唯一の新品だったりしてね。そんなわけ1号さんのお洋服のお下がりはかなりしょっぱい感じでした。でもいくつかは見られるものがあったのでAちゃんの妹ちゃんから回してもらったきれいなお下がりと合わせれば、おKさんはイメルダもびっくりな服持ちに(ってのはウソですが収容スペースとの比較で行くとそれくらいパンパンって意味)なりました。

 1号のお下がりの中のしょっぱいものはかなり大胆にファイバーリサイクルにまわす事にしました。なんかね。1つ1つみてると、「あ、この服着て湖にいったよね」とか「3週間の出張を終えて保育園に迎えに行った時、あの子これ着てたな」とか思い出の走馬灯がものすごい勢いで押し寄せてくるんですが、ここではらはら落涙してんのもあほ臭いので、とっととごみ袋に詰めてリサイクルボックスに突っ込みました。

 あ〜さっぱり。


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ノらぬならノせて見せようホトトギス - 2005年06月17日(金)

 以前の日記で「専門学校生に比べて4大生はのりが悪い。」なんてものすごい少ないサンプルで一般化した物言いをしてしまった。でもホントにノリが悪い>私の新非常勤先の学生諸君。ノらないものをノせるのも講師の技術のうちなので、こんなところでノリが悪いなんてぼやいているのは敗北宣言にも通じる不名誉なことなのだが、このごろ少しだけノリの悪さの正体が見えてきた。 彼らはお利巧なのである。万が一、間違うのが恥ずかしくって自分のプライドを守ること優先してしまうのだ。そのてん専門学校の学生(とくに私の担当している諸君)はもう一遍、中学校からやりなおせー!みたいなものすごいボケも平気でかましながら間違おうが笑われようが大喜びで議論に参入してくる。

(ようこさんがBLOGでアメリカの学生のボケても平気でがんがん発言している話を書かれているのをよんで、専門学校学生諸君をひそかに「浪速のやんきー」と呼ぶ事にした)

 4大のほうでも、一人爆死覚悟でがんがん発言してくれるお気に入り学生が出来てなんとか授業が軌道に乗りそうだった。ところが彼はなんと、となりの教室の授業の受講生だったことが判明した。5月も半ば過ぎ、受講生名簿が出来たので名簿の名前を呼んで出席をとってみると彼の名がない。彼も「なんでぼくの名前がないんですか??」と不思議がり事務に問い合わせてみると、となりの教室の授業と私の授業を間違えていたというのだ。

 そう、私はキミのそういうスケールの大きいボケぶりを愛していたのだが、大ボケゆえに彼は私のクラスを去っていった(ってもともと私の授業は受講できない学科の学生なんだが)。今日も利巧な学生諸君を相手に笑いを取ろうと必死なマルコであった。

 せっかく若いんだからいっぱい失敗すればいいのに。その方が人生楽しいし最終的に大物になりそうなのにな。そうおもわない?

 あ、もしかして「ボケてもがんがん」と「お利巧さん」の違いは学校の違いって言うより大阪と関西周縁部の地域性の違いか??う〜む。大阪、恐るべし。これも吉本のおかげさまか?



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りすぺくと・じもてぃ(じもてぃを敬え!) - 2005年06月12日(日)



 こっちに来ていっぱい水田が間近にあるので毎年この季節は水田観察会で、こんなページを2年前にはアップしたりした。

 さて日曜日、田んぼの近くの公園にファミリーメンバーで赴くと、一号さんの級友のSちゃんが来ていて、一緒に遊ぶ。Sちゃんは先祖代々斑鳩住まいの由緒ただしいじもてぃだ。しばらく無難にボール遊びをした後、「カラスナエンドウ」を吹こう、とSちゃんが一号を誘い二人で草笛を作る。Sちゃんはぷーぷ「カラスナエンドウ」の笛を吹くのだが、一号さんは結局音を出せなかった。

 その後、Sちゃんは一号を田んぼの端に誘い、なんとカブトエビつかみ取り大会をはじめた。

 





 手一杯にカブトエビをつかんだSちゃんに一号さんはもちろんあめでおもマルコもひれ伏すしかない。3人とももあもあがこわくてカブトエビをつかめなかったのだ。

 おそるべし、じもてぃ。

 家に帰ってもSちゃんの武勇をなんとなく感動を持って語り合った私たちだったが、一号はかなり感動したらしくそのSちゃんのカブトエビとの親和性をテーマに作文を一遍書き、羨望と尊敬を書き連ね「いつか私も手一杯にカブトエビをつかめるようになりたいです」と〆ていた。



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あと30分しかないんですが(追記 6.18) - 2005年06月10日(金)

「http://www.gender.go.jp/

政府の男女共同参画に関する法案に関して、一般の意見を求めるコーナーがあるんだけど意見締切(今日!)近くなって男女共同参画を阻止しようとする反対派からメールが続々届いているらしいです。

右側にある6月10日締切うんねんという箇所をクリックすると次のページで下の方に送信フォームが出てくるので再びクリックして書き込むようになっています。」


と、いとなんからメールがきたのでこっちの日記のほうにも書いておきます。私はさっき3行ほどの短い意見ですが送信してきました。男女共同参画社会を推進しようと思う皆様、ご協力よろしう。

でも不思議。こういうのの反対派ってどういう人々なのかな。あんまり想像がつかないけどきっと彼氏や夫にはあんまりしないほうがいいタイプなんだろうな。間違ってそういう人と結婚しちゃったら、ダッシュで離婚するのがいいんだろうな。

追記:
この件に関して掲示板のほうでフィードバックがあったのでサルベージしときます。
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 投稿者: どらりん  投稿日: 6月11日(土)22時25分10秒 (前略)
バックラッシュ攻撃はすさまじいものがあるみたいですね。最近、よく
ttp://fightback.exblog.jp/
こちらを読んでいるのですが…。

マルコちゃん、「想像できない」って、すごい幸せなことかも…。
そーゆーおやぢは多分「会社」というところにはごろごろいると思う。(私が会社員だったのは10年以上前で、かたいメーカーだったから余計そう思うのであって、業界によってもいろいろ違うだろうけど…)
あと、「敵」はおやぢだけではありません。「おばさん」にもいろいろおられます。性教育・ジェンダーフリー教育を躍起になってやめさせようとしているのはおやぢ議員だけではありません。

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と、現在進行形で小学校保護者会でなにやら大変な局面にお立ちのどらりんさまから上記のような御注進が!

そうか、普通の人もバックラッシュな今日この頃なのね。と納得してたら
いとなんから下記のようなタレコミが

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 投稿者: いとなん  投稿日: 6月13日(月)06時55分15秒
キーワードは

「フoミナチ」

バックラッシュの方々は推進派をこうよびます。
このキーワードでぞくぞくとみつかります。バックラッシュサイト。

あんまり読むと暗くなるより、気分悪くなってくる。
(東京都都知事のHP読んでも同じ効果があります)
さながらショウキを出す腐界の森のようだが
あの森のような浄化作用はなく、
蟲と共に生きるナウシカの道は遠いって感じでし。

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むうすごいです。
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投稿者: マルコ  投稿日: 6月15日(水)22時29分56秒 いとなん
キーワード伝授ありがと
あたしゃ思うんだけど、敵対者がいてはじめて盛り上がるネットばとる
って気がするんだよな〜
山口二矢が自由な校風の玉川学園でひとり孤独を深めてテロルへと走っていったように

ネットがなければ見ずに済んだものを見る事によって両陣営ともに先鋭化していくって言うか。
もしかしたら豊かな濃淡の連続体だったものがぴっと2分されるっていうか。
でもフェミニズムが自己解放だって言う視点はおじもおばも反動ヤングギャルも大事にしてほしい物です。




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真夜中は別の顔のおKさん - 2005年06月06日(月)

 本日おKさんの保育園の保護者面談。

先生いわく

「Kちゃんって何にも特になやみがないからおかあさんと相談する事もあんまりないんです。」

な、なやみがないって?

「ええ,とても落ちついって、おともだちはみんなKちゃんと遊びたがるんだけどどの子が来てもちゃんとその子に合った遊びをして上げられるし、ご飯もちゃんと食べるし。いつもにこにこしてておむつはずしもとっても順調だし。」

せ、せんせえ,それは誰の事ですか?まさか子どもを間違ってませんか?
そこでおKさんの家庭での「権太ぶり」の極一端を披露する。いやなことは絶対嫌で絶叫してでもなんでも自分の思いを遂げる(朝の4時にヨーグルトを要求してヨーグルトにありつくまで叫びつづけるとか)。食事を食べないで、母が片付け終わったのを確認してから「おかち、ちょおだいよ〜」とほざく。「Kちゃんいうこときかないわよ〜ブラックサンダー!」と家族を威嚇する等など。

「ほんとうですか?まあ内弁慶なこってのはいるけど、そんなに激しい例はめづらしいですね。でも保育園でもKちゃんは無理していい子にしてるって感じではなくとってものびのび楽しそうに、いい子です。」

うちに帰ってその話を1号にすると、

「あんた(マルコの事),おKになめられてんのがわからんのか」

と可憐な1号さんに関西弁ですごまれました。
そ、そうだったのね〜。


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奈良写真美術館〜新薬師寺〜春日大社〜二月堂 - 2005年06月04日(土)

 本日は1号さんの定期喘息健診のため奈良市に参上しました。検診はさっくり終わらせ,桜小路でご飯を食べて,本日は高畑のほうの「奈良写真美術館」へ行きました。

 ここは古都を撮り続けた故、入江泰吉氏の作品が中心に展示されております。いまちょうど生誕100年という事で入江泰吉の主要作品が一挙展示されちょります。

 実は新婚旅行でも奈良を訪れた我々は写真マニアのあめでおさんにひきづられてこの美術館に来たんですわ。そのときは写真を美術品と認識できなかったんですが,今回は入江作品ってのは「美術だな〜」と実感しました。主張や訴えてくるものがすごくある作品群でした。

 ちなみにマルコは学生料金で200円で入館できますが,大人料金のあめでおさんは500円も払ってました。土曜は小中高生は無料です。




 写真美術館のすぐ横の新薬師寺にも行きました。ここも新婚旅行で(以下略)。
12神将のすばらしい塑像があります。




 拝観を終えて,帰る時、門のところに「気をつけてお帰りください,頭をなでてください」というカエル像がありました。おKさんにも並んでもらって、ハイ激写。




 そんで高畑から奈良公園の春日大社方面を目指します。途中「ろくサロン」なんてステキなお店もあります。




 途中の児童公園で遊びます。子らは国宝より鉄棒です。斜面に鉄棒を設置するとこんな風になります。ここはすでに鹿エリアで糞がいっぱいです。




 森を抜けて,たくさんの灯篭にいざなわれるように歩いていくと春日大社が見えてきます。




 え〜っと水をまく神官さん。どうでもいいですが坊さんより神官さんのほうが恰幅が良いですな。ここで祝詞や雅楽が聞こえてきたので巫女さんに「何かやってるんですか?」と聞いてみると「中でCD流してるんです」とのことでした。は、そうですか。




 春日大社をスルーして二月堂方面に向かいます。ここで竹とんぼ(2つで105円)を購入しました。お土産100円均一で竹のおもちゃがいっぱい売られてました。おKさんは竹とんぼをもらって大興奮。何をそんなに喜んでいるのか不審に思ってみていると頭に付けて飛ぼうとします。彼女にとってあの形状のおもちゃといえば、ドラえもんのタケコプターだったのですね。おKさん,100円で空が飛べれば、人生苦労はいりません。




 二月堂から奈良を望む。何かが空から降りてきそうな景色でした。




 大仏殿のほうへ歩いていると,木苺みたいな実を1号さんが拾いました。




 うへ〜木苺もどきはすごい強烈な果汁が出るようです。

 まあそういうわけでよく歩いた1日でした。あめでおさんにずいぶん歩かせるねえというと

「あんさん(マルコ)が不在の休日はいつもこんな感じで子どもらを歩かせます。」

とのこと。

 家にいたり、余裕を与えると子守り担当者に子らのエネルギーがぶつけられるので,こうやって激しく歩かせて,子どもに自分自身と対峙してもらうのが良いんだそうです。自分も歩いて大変だけど子どものエネルギーを直接ぶつけられるよりずっと楽なんだそうです。ほほう〜。


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夕暮れの水田 - 2005年06月03日(金)





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