西方見聞録...マルコ

 

 

4月の晴れた空のした(3)〜情報戦としての人質事件 - 2004年05月31日(月)

6月だっての、もう。

前回ちょろっと予告して以来、ずいぶん日にちが経っちゃいましたな。まあいろいろと地下活動に勤しんでたのと、研究助成金100万円GETを目指して野望の申請書書きなんかしてました。しかし地下活動に忙しかったので3日で申請書書いて誤字脱字もチェックせずに某財団に送っちゃったのでした>申請書。もし採択されたら日給30万円状態ですな。ほとんど犯罪です。でも採択されたらフラフラ就職活動せずに研究するので採択して〜、と文殊菩薩にお祈りする信心ぶかいマルコなのでした。ええと何の話だっけ?

そうそう、イラク人質事件でしたな。

A.世界はファルージャを注目した

あの人質事件は直前に起きていた米軍によるファルージャ掃討と深く関係している。ファルージャでの虐殺に世界の注目を集めるための地元勢力による情報戦的様相を呈していたように思う。日本も他の国もメディアはイラクに釘付けになり、ファルージャでの米軍の自制をいろんなステークホルダー(利害関係者)が呼びかけるなど人質事件を起こした側のねらいはかなりイイ線で的中した。

またあの事件を機会に「中東の反米武装勢力はみんなアルカイダ」という1面的な見方にも1石を投じた。誘拐実行犯とそれを支援する地元住民、さらに実行犯に自制を呼びかける聖職者会議などさまざまな登場人物が現れた。バクダットの地元の声も、「自衛隊を駐留させているからこんなことになるんだ」とか「テレビで泣いている家族を見た。かわいそうだ、民間人なんだから解放するべきだ」など様々な声があった。そして誘拐実行犯が人質となった3人を解放したことで「話の通じるイラク人」の印象は強まり、さらに解放声明では「米国の圧迫に苦しむ日本の友人に要求する。イラクから日本の部隊を撤退させるように日本政府に圧力をかけること。」と「共闘」を呼びかける。占領下の敗戦国市民とレジスタンス兵士の声がこれだけ力強く世界に向けて発信されたと言う点でも「3人を生かして返す」という戦略は成功だったと思う。もし殺しちゃったら、狂信的テロリストのたわごとと処理されただろう。

 
B.日本側特に人質家族の戦った情報戦

 私が一番よくわからなかったのが人質家族への風当たりだ。私はテレビで記者会見を見ていなかった。家族の記者会見と言うのは私はアルジャジーラやアルアラビアの電波に乗せて武装勢力に見せるためにやってんだと理解していた。彼等の会見場での使命は政府に対して自衛隊撤退要求を出して見せ、できるだけ多くの市民の共感を得て、日本国民の中には自衛隊派遣を反対する人が多くいる、ということをイラクに向けて発信するための仕掛けになることだったんだと思う。
 ちょっと前の自衛隊派遣反対のときのネットワークが生きており、自衛隊撤退を求める署名やデモはとてもスムースに進んだ。それが自作自演などと憶測を生む結果にもなったが、とりあえずイラクに対して「ブッシュのアメリカ追従の政府とは異なる意見を持つ市民が日本には居り、人質となっている人々はその輪の中にいる」と言うメッセージを発信することができた。

 人質家族の行った記者会見は間違いなくイラクの武装勢力に向けたメッセージであり、メッセージ性の強い市民運動を組織するための呼びかけだったのである。

「人質家族の記者会見に違和感を感じた。人質の家族と言うより何かの主義者のプロパガンダのようだった」と言う述懐をあるネット掲示板で読んだが、当然だ。あの人質家族は「自分たち家族は政府の政策には賛成でない市民でそう言う市民はたくさんいる」というプロパガンダを行ったのだから。そうした活動の成果として「イラクの友」と認められた人質は生還したのだ。天晴れな情報戦の勝利である。

 人質に死者が出てしまったイタリアと比較して申し訳無いがイタリアは人質奪還を目指した情報戦に敗れている。長い硬直状態の後、武装勢力側から「イタリア政府に対しイラク政策を見直すようデモをせよ」という要求があり、デモをすること自体テロに屈するのではないかと言う議論を尽くした後、「平和」のみを訴えた静かなデモが行われる。

 人質を生還させると言うミッションの前では高遠妹氏の在り様はイタリアの静かなデモよりよっぽど正しい。彼女が見ていたのは日本の世論ではなくてひたすらアルジャジーラの電波の向こうの「サラヤ・アルムジャヒディン」だったのだ、と思うけどどうでしょう?

C.小泉君の情報戦
 これでアラブの民に共感した日本の市民により自衛隊撤兵の議論が強まるかと言うとそうはいかなかった。解放直後聖職者会議のおっさんに「今後もイラクで活動してください」といわれて高遠さんが「今後もイラクで活動したい」と答える。両方リップサービスのようなやり取りだ。お互いそれ以外になんといえば良いのだ。この状況を捕らえて、小泉首相、川口外務大臣が「不快感」や「やんわり批判」をしめす。これも日本政府側の情報戦なのだ。3人が英雄的に扱われ、自衛隊撤兵世論が盛り上がってはたまらない。

 世論は大きく揺り返し、自己責任論へと傾いていく。もちろんそれ以前からマグマは準備されていたと思う。解放される見通しが語られてからの長い1週間。あからさまな批判を避けていた「良識的な保守派」も自己責任論へと合流した。

 小泉君、あいかわらず世論操作上手です。

 しかしこの情報戦は日本の民主主義の未成熟をさらけ出したって点で国益にはかなってないよ>小泉君。
 でも君の目指すアメリカ追随の枠組みが壊れなかったからいいのかな?

D.一番強く届いたイラクからのメッセージ

 さて情報戦としてイラク人質事件を読み解いてみました。私が今回痛烈に受け取ったメッセージは「武器をもった自衛隊はイラクの人にとって米軍同様の占領軍以外の何者でもない」ってことかな。
 戦争の大義はもうとっくにどっか行っちゃった。「大量破壊兵器はなかった」「民主化を進めるといってアグレイブ収容所はフセインもびっくりな人権蹂躙の場になった。」

 今この瞬間も命を張ってる自衛隊が早く帰国出来るように市民は声を出すべきだのう。

 さて次回最終回、危険地帯におけるNGOの在り様を少し考えましょう。

 







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今日の我が家 - 2004年05月29日(土)

 あめでおさん木津川の天井川に学生を連れてって野外実習。
 マルコ動詞者大学で学会出席
 1号さんAちゃんちでビーズ製作
 おKさん21世紀財団紹介のベビーシッターMさんちでMさんの子供さんと鬼ごっこ。

 と、4人全員バラバラに過ごした週末でした。夕方の回収作業が結構大変でした。御協力者の皆様に深く感謝ですわ。


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居場所 - 2004年05月27日(木)

 今年度は木曜と金曜に非常勤講師の仕事が入ってるのだが、ときどき学校の都合であき時間が出来る。そういうときに大阪市内にちょこっとパソコンを開いて仕事が出来る場所があるとうれしい。

 いつも連れ歩いているVAIOはバッテリーが壊れてしまいコンセントがないと動かなくなってしまった。

 持ち込みパソコンのためのスペースがある西長堀の大阪市立中央図書館を根城にしていたのだが、そこが休館だと(事実金曜が定休日、東京近辺にいたころは月曜休館の図書館が多かったが、斑鳩は火曜休館だし、ここは金曜休館だし、全国的にいろいろな曜日に休んでるんですね>図書館。へえ〜)パソコン動かして作業が出来ないので能率が悪い。

 心斎橋のソニプラのところにあるスタバでだめでもともとで「コンセント使ってパソコン使用したらダメですか?」と訊いて見たら、マニュアル的に「ダメです。」いわれてしまった。

 ノマドな暮らしをしているとこういう所在無さにときどき襲われる。
 そういうときは適当な喫茶店で本やファイルしてきた文献読んで時間をやり過ごす。

 東京にいたころは適当な条件(「BGMがうるさくない」「落ち着いて本を読める=客が少ない」「密談もOK=店のスタッフがあんまり客をかまわない」)のなじみの喫茶店を職場や実家やターミナル駅付近で確保していたし、街ごとの図書館も所在地を把握していた。大阪の場合だと町探検からはじめなければならない。イチゲンさんで入った店がハズレだったりすることもある。勢い忙しいとスタバなどブランド・チェーンに依存しやすい。

 今日も学校の実習の影響で3時間ほど時間があいた。それで何したかと言うと、梅田のジュンク堂で本買ってアバンザ(ジュンク堂が入ってるビル)の地下で本読んで過ごした。「有名どころ=梅田ジュンク堂」の多用も「町探検」が出来ていない証拠。きっと心斎橋付近にも蔵書のしっかりした本屋くらいあるのだろうがそういうアンテナが機能していないのだ。「街でうまく時間をつぶせない」というのはその街をちゃんと研究してないってことでだ。

 そういうわけで大阪近辺の皆様、お勧めの SMALL OFFICE もしくは居場所系喫茶店があったら教えてください。あと、ぽっくり時間が空いちゃったら何してます?

 まあその前にVAIOのバッテリーを修理しよう。うんうん。



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き、きた! - 2004年05月23日(日)




えーと、当HP掲示板重鎮いとなん女史は22日夜9時にマルコ宅に到着。ちょっと前までさるとるさんやダイヤさん@やっぱり当HP掲示板重鎮メンバーとお茶してたことが判明。私もおや?と思ってEメール開いてみると私にもさるとるさんから「お茶会のお誘いメール」入っておりました。今回お茶会に参加しなかった(できなかった)マルコの教訓。「メールは毎日チェックしよう。」「急に備えて家庭内でお出かけポイントは蓄積しておこう。」

いとなん女史は(って単なるマルコの従姉なのだが)翌23日朝8時に拙宅を飛び立って再び浪速大学での学会にご出席になられたので我が家には11時間ほどしか滞在しなかったんですが娘2名は非常に感銘を受けた模様でした。

本日はいとなん女史がマルコの娘2人に与えた感銘の内容を書き記したいと思います。

いとなんが到着した夜は娘1号さんはそれはそれは緊張なさられて、じっと固まって下からいとなんをにらみつけこんばんわの一言も申しません。それまでるんるん踊ってたおKさんもいとなんを迎えて以来、マルコにぺちゃっとだきつき、3センチも離れない、離れたら泣く状態でした。まあ、娘2人のこれが来訪者への基本姿勢です。あはは、申し訳無いね〜>いとなん。

翌朝5時半ころ家族のものは起き出し、6時前に隣のいとなん部屋をのぞくとすでに布団をたたんで「美味しんぼ」を読んでるいとなんの姿が。
そこからあめでおさん製作の朝ご飯を食べて、8時前に出発するまでいろいろと遊んでもらっておりましたな>娘2人。朝は割と機嫌が良いし、少しなれてきたらしくっていとなんがジブリ系唱歌(もののけ姫とかラピュタの主題歌)を声楽調に朝から朗々と歌うと、娘2人はひっくりかえって笑い転げておりました。主に6歳児の1号さんが「歌うと顔が長くなっておもしろい」と笑い転がっていたんですが、おKさん@2歳児もつられて一緒にひっくり返って笑っておりました。

次に1号さんがいとなんのために「占いをしてあげる」ということでビニール製のスーパーボールをもってきて胡座を組んだ足の前に置き、多分水晶玉を目の前にした占い師のまねをしてたんだと思うんだけどあやしい手つきでスーパーボールのまわりにハンドパワーを送って「みえました!あなたは今日8時にここを出てお仕事に行くといていますが遅刻するでしょう!」と言う占いなんだか、1号の願望なんだかよくわからないご託宣をいとなんに差し上げておりました。

その後「ほーるでぃや〜、ほりでぃひひや、ほりでぃひひ♪」の歌にあわせて「牛に遭遇してびっくりした農夫が牛乳を絞らせてもらってごっくんと飲んで感謝の投げキスをする」という多分「元歌」はちょっと下品なんだろうなという宴会芸から発達した子ども用の踊り(いとなん女史は学生時代、障害児と遊ぶボランティア活動をしてた)を子供たちの前で歌い踊り、1号さんは特にちょっと下品な雌牛の乳が「ぼんぼん」で乳を絞って「ぎゅぎゅ」と言う個所が気に入り、その日はいとなんが旅立った後も飽きずに踊って歌っておりました。

そして午前7時40分ころ、「駅まで送りましょう、法隆寺経由で」と言う有無を言わせぬあめでおさんの宣言の下、私ども家族といとなんは法隆寺に向かい、法隆寺境内では法隆寺を見るひまもなく、1号さんのお気に入りの「アメンボ池のアメンボの群れ」を見せられたいとなんは1号さんの予言どおり大幅に遅刻して法隆寺門前からバスに乗って旅立って行かれました。

まあ、いろいろとお疲れ様でしたが、今夜拙宅にて、1号さんは「どうしよう。1号ちゃん、いとなんちゃんのことが大好きになっちゃった」と述懐されておりました。踊って歌った甲斐があったね>いとなんちゃん。



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く、くる! - 2004年05月22日(土)

本日は大阪で学会に出席している当HP掲示板の重鎮、いとなん女史が拙宅を来襲する予定。今(PM8:30)大阪から拙宅に向かって移動中とのTELが!

マ「今どこ?梅田?」
と言うマルコの問いに
い「ううん、違う。梅田じゃない。大阪」
と言う返答。ききしに勝る関西音痴ぶりを披露。梅田=大阪なのじゃよ。>いとなん。

いとなんの背後でフォローするいとなんと同業のさるとる女史(やっぱ掲示板重鎮)の気配もありました。

いとなん拙宅に泊まるからにはHPネタに骨までしゃぶられることを覚悟したまえ
まずは第一弾。


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天啓、10年の後 - 2004年05月21日(金)

マルコは金曜は午後から講義なので、午前中万博跡地にある博物館に出かけた。特別展でコレからマルコが博士論文で取り上げようとしているテーマにとても近いことが展示されている。恥ずかしながら、マルコ関係筋から招待券を頂いた。

マルコ、修学旅行生の中でとてもまじめに時間をかけて拝見させていただきました。

常設展も見たかったけど、仕事の時間に遅れそうだったので今日はがまんして特別展の図録だけ買って引き上げることにした。

この博物館はマルコの修士課程までの専攻分野のものには聖地として認識されており、マルコも大学生の頃は青春18切符の旅行途上や九州地方でのフィールドワークを敢行した折など必ずココで降りて『参拝』した。

それからなぜか高校の修学旅行でもここを訪れている。そんなわけでこの博物館を訪問したのは今日も含めて5回? 結構多い。

図録を開くとまず館長挨拶があった。

この館長とマルコは因縁がある。彼は今から10年前某大学の教授だったのだが協力隊任期満了直前のマルコとナイロビで会食して、自分の下で博士課程で研究しないかと誘ってくれた。マルコは26歳だった。

あの時博士課程に進学していたらどんな人生になっていただろうか。でもあのときソレが出来なかった。あのときの気持ちをどう表現してもうそが混じる。とにかく出来なかった。強烈な逃亡者としての自己認識を抱いて、マルコは10年間違う道を進んだ。

そして10年ののち、その道の現場の人としてまたアカデミズムの世界に帰ってきた。

10年間迷ってあちらこちらで経験をつんだ。『もう迷うまい』と空を見上げて思う。

万博の跡地はすばらしい公園になっており、空は抜けるように青かった。


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今日のあめでお - 2004年05月15日(土)

 昨日から飛鳥に実習の引率で遊びに、もとい、仕事で行ってたあめでおさん。「麩」と葛餅をお土産に買ってきた。夜半子供らが寝入ったあと、麩を金魚に与えながらあめでおさんがふとマルコに尋ねる。

あ「皆で集まって麩を食べる集まりをなんていうか、あんさんしっとる?」
マ「、、、、お麩会(オフ会)」

高まるワタクシの駄洒落経験値。別に高まらなくてもいいが。


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4月の晴れた空のした(2)〜イラク人質事件 - 2004年05月13日(木)



 って、もう5月ですが、人の噂も75日。イラク人質事件、すっかり落ち着いてしまっていますが、この事件に関して私が感じてたことをちょっとまとめておこうかなと思って書いています。

 この件に関して私はほとんどテレビを見ておらず、新聞・雑誌・WEBニュースなどの文字媒体を中心にちょっと世間から遅れて、そしてかなり限定されたソースから情報を拾っていきました。そのなかでめまぐるしく変わっていく世論、人々の声や、メディアによって鮮明に染め分けられる立場の違いのようなものが感じていました。

 一億総評論家状態と言ってもみんながオリジナルなことを言っているわけでなく、いくつかの付和雷同的な議論が盛り上がってはおさまっていったという印象を持っています。そのいくつかの付和雷同的な議論のひとつが人質自己責任論とそれへのアンチテーゼとしての擁護論だったと思います。

 さて日本で今回自己責任論的立場を取った人の多くが自衛隊派遣支持派で、擁護論にまわった人は自衛隊派遣反対派だったような気がします。なんか議論って言うか色分けって感じでしたね。

 わたしもそんなにオリジナルな意見があるわけではないのでこうやって「人様に見せるテメエのハラワタ」的な日記で書いちゃうのってどうかな〜とずっと迷っていたけど、疑問に思ったことへの感想と言う形で書こうかなと思って書いてます。ちなみに現時点でいろいろ間違ってることもあるでしょうが、まあ大目に見てよ。そういえば前回ちょっとふれたJPF(ジャパンプラットフォーム)とっくにイラクだ活動展開中だったね。<失礼しました、大西さん。12人のスタッフでよくやるな〜。まあNGOはネットワークで伸び縮みするし、基本的にNGOスタッフは狂言回し的役回りで実際活動するのは活動地域の住民の皆さん。NGOは外部から資金や情報や技術を持ちこんで住民の皆さんが円滑に動けるようにする触媒(カタリスト)ですからな。その点「人足」まで派遣しちゃう(しかも高給で)自衛隊は、雇用拡大を期待しているいまのイラクのニーズと合致してないんですが。

あ、前振りだけでこんなに長くなっちゃった。
じゃあ、今日は序章ってことでここで終わりにします。
一応今後書くのは
1) 情報戦としての人質事件
2) 働くオールタナティブ
ってことなんですわ。2)に関しては一応専門なので、あんまり足がつかないように、そんで硬くならないように書きたいと思います。

ちなみに私は多分、擁護論の人に分類されると思います。自衛隊派遣も反対だしね。あら、わたしったら、色わけされちゃって。でも上野千鶴子の朝日新聞の論壇はちょっといただけませんでしたな。彼女もすでに「記号」と化しているような。
(つづく)



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からふるぶらじゃ〜 - 2004年05月10日(月)

 年を取ったなあ〜と思う瞬間がこのごろ良くある。

 鏡の中の自分に結構な量の白髪を発見した時、酒飲んで回復がすっきりしない時、そして健康診断で再検査を申し渡された時などなど。

 4月の大学のホケカンの健康診断で心臓の雑音があるとかで心電図をとるように指示され、今日再検査をうけてきた。

 今日の日に備えて断乳のためのボディペインティングを計画的に落とした。ちゃんとボディペインティングが落ちていることを確認してからホケカンに行ったのだが、このところのボディイペインティングのおかげさまでブラジャーが七色(正確には8色)に染まっていることに気付いてなかった。外側は地味なフツウのブラジャーなのに肌に接するほうは極彩色な配色で一緒に再検査を受けた女学生の皆さんを驚かして大変すまないことをした。

 さて、再検査、長老学生が集まってるかと思ったら、「ダイエットしすぎ」って感じのねいちゃんがいっぱいいた。皆ちゃんとご飯食べよう。

 マルコの再検査は異常なし。なんだ、まだ若いじゃん>じぶん。


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さらば黄金の日々 - 2004年05月07日(金)

 このごろなんとなく日記が饒舌な気がしますが(いや、相変わらずたまにしか書かないけど書き出すと関係ない話までぶらぶら書いちゃうってことです)、おそらくそれはランナーズハイと言うか断乳中で寝不足でハイになって、語らなくてもいい「梟の城」のあらすじとかまで話が及んじゃうんですわ。酔っ払いが「もう、ちょっときいてよ」ってクダまいてる感じですね。

 断乳自体は成功しつつあり、すでにおKはもう乳は欲しがってないんですが、夜起きて泣いて、それを泣き止ませる有効な武器が失われてしまったのでまあ大変なんですわ。

 ところで乳を与えなくなって10日ほどですが、すでにGパンがきついです。“ムリッ”ってかんじで大きくなっております>ワタクシ。嗚呼どの服着てもぶかぶかで「もっと細いサイズの服買わなきゃ、、、」なんぞと呟いてた夢のような日々よ、さようなら。低成長の時代は終わり、時代は再び高度経済成長期に突入する予感がします。

 さて「わたくしどものゴーウデンウィーク」(コピーbyみんみんさん)、何して過ごしたか簡単にまとめると下記のような活動をしておりました。

5月1日 西大寺→精華町にて苺狩り
5月2日 あめでお&1号は法隆寺散策と本屋、おKさんは某JR駅型保育所、マルコは姫路でラオスの新年会
5月3日 夢違で竹細工の体験教室に家族で参加、その後麦の花でパン買って法隆寺近くの西の里公園にてピクニック
5月4日 雨なので1日家で逼塞
5月5日 斑鳩から薬師寺・平城京址につづくサイクリングコースをひたすら東に向かいオープンしたばかりのAPITA大和郡山店へ。竹細工用のルーターを購入。帰路再び夢違へ行き細工用の竹を分けてもらう。帰宅して1日竹細工。

って感じでした。2004年のゴールデンウィークを総括すると苺狩りと竹細工、そして夜は断乳な毎日でございました。

 そういやあんまり家族の話題に上りませんでしたがゴールデンウィーク前後ってマルコとあめでおさんの結婚記念日週間でしたな。確か神社で祝詞挙げて貰ったのが4月の末で籍入れたのが5月のはじめだったんです。そんなわけでゴールデンウィークのころを適当にいわっときゃ間違いなかろうということになってましたが、こういういいかげんなことをしていると「結婚記念日」と言う存在自体を忘れちゃいます。ま、いいけどさ。


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決意のボディペインティング2〜途中経過と図柄解説 - 2004年05月03日(月)

 断乳合宿中のマルコでございます。おKさんは毎晩9時ころ就寝してのち、12時と朝4時くらいに起きて30分から1時間くらい泣いたりテレビ見たりして、しかるべき攻防の末、眠りに着いておられます。初日のような3時間ぶっつづけ泣きロードはなくなりましたが、おKさん心なしか声がちょっとハスキーです。親も子も眠い黄金週間となりました。

 おKさんに付き合って夜起きているので、深夜TVとかみちゃう機会が増えてこの前は「復活の日」@旬の草刈正雄がイイ男なのよ〜、を見ました。丁度南極以外の人類が滅亡して、南極会議が開かれる前あたりでおKさんがお眠りになったのでマルコもそこで寝ました。

 あとなんだか「梟の城」という忍者ものの時代劇も深夜じゃないけど見ちゃいました。忍者さんが「自分とは何者か、代替可能なただのイレモノなんじゃないのか」とか言うアイデンティティクライシスに陥る話なんですわ。そんでアイデンティティをえるために出世して忍者じゃなくなればアイデンティティが得られるかと主人公たち(中井貴一と上川隆也)がいろいろ苦労するんですが、秀吉が「わしが死んでも誰かが代わりに天下を治めるだけ」とか言って、出世ではアイデンティティをえられないことが語られ、代替不可能なただ一人の特定の人物になるには「愛しかないのさ〜」ということで中井貴一はくの一の鶴田真由と結婚してアイデンティティを得て、出世にこだわった川上隆也はテキトーに考え付いた偽名の「石川五右衛門」として処刑されると言う結論なお話でした。そうか出世より愛なのね。

 かなり話がヅレましたが掲示板の方で断乳中、マルコはいかなるボディイペインティングをしているのかという質問をいただいたのでお応えいたします。

 ボディイペインティングは1月以来、下記の3種類しています。

 1)大顔(1月初め授乳間隔を間遠にするために施した)
腹のあたりにでかい口を書いて、胸を左右の目に見立てて体全体ででかい顔を描く。威嚇するのにはいいが慣れてしまうとあんまり効果なし。ペンてる油性マジックの黒一色で描く。


 2)漫才顔(3月に昼間の授乳をやめるために行った)
乳首を鼻に見立て右胸と左胸にそれぞれ顔を描く。右胸はやさしい顔で左胸は怖い顔にして、Kが「乳くれ〜」と来るとまず、やさしい顔の右胸が「だめだよ、Kちゃん。もう大きいし、ご飯もしっかり食べてんだから、お乳は卒業しなよ」と諭す。それでもおKさんが「乳じゃ〜!」と要求すると怖い顔の左胸が「ダメだっていってんだろ!」と歯をむき出して怒る。赤と黒の2色のペンてる油性マジックを使用。


 3)大顔と漫才顔をフラクタル構造でペインティング(今回)
腹全体に巨大な口を書いて牙をむき出しにした上で、乳の周りにも目と口を描く。遠目にも大きな顔のように見えるし、近づいても乳首を鼻に見立てた小さい顔がある。今回は1号さんもペインティングに参加し、小さい顔のほうに漫画の吹き出しをつけて「おKもうやめときなよ〜」とかの文字を1号さんがお書きになる。でもおKさんは字が読めないんだけどさ。1号さんが保育園で使ってたペンてる油性マジック8色組を使用。

 まあこんな感じです。あはは。


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苺狩り2004 - 2004年05月01日(土)

 昨年もゴールデンウィークに苺狩りに行ったりしたんですが、今年も参ります。昨年行ってすご〜くよろしかった明日香村にあすかルビーを狩に行くべえ、と朝からあめでおさんはサンドウィッチなどを作り荷造りを完了させ、出発するばかりになりました。午前10時、出発寸前、明日香村苺狩りの窓口に予約のお電話を申し上げたところ、今日はもう予約いっぱいで5月4日ならあいているとのことでございました。しかし私どもファミリーメンバーの苺にかける熱き思いは、「予約がいっぱいです」「はいそうですか」で引き下がれないほど盛り上がってしまっていたのでございます。

 そこで近くの信貴山のどか村と言う総合農業公園に問い合わせてみると、先着順で1日300名ほど苺狩り希望者を受け入れているけど開園の9時30分には既に300名ほど並んでて今日はもう受付を締め切ったとのことでした。

 既に苺狩りへのパッションはもう引き返せないところまで高まってございました。斑鳩町内にも苺狩り農園があるらしいのですが「現在その電話番号は使われてございません」でした。

 万事休す。

 そのときマルコの脳裏に「苺狩りなら精華町にもあるんですよ」という昨日の某Sさま@当HP掲示板の重鎮様の御託宣が稲妻のように走りました。

 精華町・苺狩りのキーワードでGOOGLE君に聞いてみると、ありましたありました。電話で問い合わせると「午後4時までやってますよ、いつでもどうぞ」とのことです。御託宣を下さったSさまに感謝を捧げつつ精華町へ向けていそいそと出発。

 近鉄で精華町へ向かう途中、ターミナル駅の西大寺駅で途中下車して駅近くの「西大寺」にて作ってきたサンドウィッチを食べました。西大寺は南都7大寺のうちの1つに数えられるのですが、奈良時代に建築された部分があまり残ってないので他の寺(東大寺・興福寺・元興寺・薬師寺・大安寺・唐招提寺)なんかに比べると割りと観光客も少なく静かなたたずまいです。こんな感じ↓




境内には保育園や駐車場なんかもありました。
観光収入だけでなく地域に密着している西大寺のありようになんとなく共感。



こんな感じで適当な日陰でサンドウィッチをもぐもぐ食べる私ども。




 昼食後、精華町の新祝園駅で降り25分ほど歩きます。
 目指す苺農園@精華町農協経営に到着すると、凄い人です。これで予約しなくて大丈夫っていったい、、、、。
 うむう人数制限がないだけあって苺畑に対して人が多すぎの感が否めませんでした。

 明日香村で狩った苺が1パック1000円くらいの苺とすると、精華町の苺は1パック298円くらいでしょうか。精華町、あんまり他のお客さんのいない平日とかに行くといいかもしれません。しかしおかげさまで苺狩りへの欲求は見事に満たされ、苺パッションは鎮静いたしました。

苺狩りの様子はこんな感じでございました。




おKさんその低身長を生かしてレーンからレーンへ下くぐって移動します。立派な苺狩人と申せましょう。とにかく黄金週間は始まったばかりでございます。



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