西方見聞録...マルコ

 

 

転んだ話し〜事故の顛末 - 2003年07月30日(水)

 自転車事故の話です。

 この日は大学の集中講義で「タイ東北地方の近代化と家族変容」について発表することになってました。前日から始まった『東南アジア社会文化論』というお題のの集中講義では、参加者は1人1つの論文読んで発表するのです。前日指名されて1晩で準備して発表という結構ハードな日程で、前夜は徹夜しました。まあしかし、タイの東北地方は仕事関係でかなりディープに潜入した経験があったので写真なんか使っちゃった渾身のレジメが完成してました。そんでもってこの日の夜は講座の皆様と神戸で宴会をする予定でしたので、るんるん気分で朝家を出ました。
 ちなみに、この日はあめでおさんが午後から出勤で、午前中はおうちでクーラーのフィルターの掃除をすることになっていたのでめづらしく2人の娘を自転車の前後に乗せてました。

 雨上がりでした。夜明けまで降ってた雨も上がり、頭上に広がる青空は夏の到来を予感させました。

 家を出て2分くらい、快調に自転車を飛ばしていると、ゴミ収集車が向きを変えようとして細い道で苦労していました。フツウの車だったらそんなに道を譲ってやらないんですが、私たちの暮らしのために奮闘してくださってるごみ収集車の皆さんのお邪魔をしては申し訳ないといつもより大きく道を譲りました。道と傍らのマンションの敷地との段差に自転車がの車輪が嵌ったと思ったら次の瞬間、視界には青い空がいっぱいに広がっていました。

 すってんころりんと大変見事に転んだのでした。

 おKさんの泣き声がします。「ああよかった生きている」と思いました。おKさんの顔をみてびっくり。血だらけです。額のほぼ中央に穴があいて凄い景気のよい血の出方です。コレがほんとの出血大サービスです。ごみ収集車の皆さんと、マンション住人の方が出てきてくれておKさんを自転車のしたから引っ張り出して、傷口にぬれタオルをあててくれました。
 1号さんは自力で立ち上がって「あの〜1号ちゃんこんなに血が出てしまいました。」とずり剥けたひざを見せてくれました。まあこちらは1っ刻を争うというわけではなさそうです。
 私は携帯で自宅に電話をいれ、あめでおさんにで迎えにきてもらいました。あめでおさんがきてくれるまでの間に119でおKさんの怪我の状況を話し、最寄の病院ではどこに行くべきか相談すると、脳神経外科のある奈良県立M病院を紹介され、電話番号を教えてくれました。あめでおさんが到着し、マンションの方とごみ収集車のおじさんにお礼を言って車に乗りました。車の中からM病院に電話をし、救急の扱いで脳神経外科に受け入れてくれるようお願いしました。斑鳩町内のM病院にはすぐつきます。かなり狼狽しながら受付を済ませ、脳神経外科に行くと、まず傷をあらってそして医療用のでっかいホッチキスでバッちんと傷をとめられました。麻酔も何にも無しなのでそりゃあそりゃあおKさん泣き喚きました。次にCTスキャンとレントゲンをとる為におKさんを眠らせることになり、バニラ味の飲み薬と苺味の飲み薬を渡され、『お母さんのまして』といわれました。食欲に導かれたおKさんはこの期に及んで、バニラ味とイチゴ味のお薬を喜んでごくごく飲みました。さすがです。そしてまんがのようにコトンと眠りました。

 CTとレントゲンの結果は万事OKでこのまま放免になりそうになったとき、お医者さんが「男の子だよね」というのです。「女の子です!」というと、「男の子だと思ってホッチキス止めにしてしまった、すぐに皮膚科にまわすので綺麗に縫い直そう!」ということになりました。どうやら私が受付で初診申込書に男女を記入しなかったようなのです。それでおKさん、その容貌と名前から男子と勘違いされてしまったのです。

 しかし、男の子なら多少の傷はOKで女の子なら顔が命というのはなかなかジェンダーな話だなあとちょぴっと思いました。今の時代、男の子の中にも顔が命の人がいるかもしれないのにねえ。

 皮膚科ではかなり待たされました。あめでおは11時半まで付き合ってくれましたが、職場の会議に出るためにここで離脱しました。
 せっかく効いていた麻酔も切れて、目覚めたところで皮膚科の治療が始まりました。皮膚科ではさすがにまず頭に部分麻酔の注射を打ってくれました。そんでホッチキスを外し、傷の中を綺麗にするためになんと歯ブラシ状のものが取り出され、傷をシャコシャコ洗われました。もう朝から失神モノの場面の連続です。そして小さい鉤型の傷をお医者さんはとても丁寧に縫ってくれました。8針縫ってくれました。

 まあとにかく、治療が終わり、お昼過ぎに帰宅し、娘2人とでご飯を食べると、おKさんはクスリの影響か、眠ってしまい、夕方まで起きませんでした。1号さんも傷の手当てをし、テレビなんかを見ながらおとなしくしてくれました。夕方ふときずくとマルコのGパンも割けており、ひざから血が出ていました。Gパンを脱いでよく見ると、傷口に石が埋め込まれたままもうかさぶたになりかけてました。事故から6時間がたとうとしていました。


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聖地の裏側 - 2003年07月27日(日)

 昨日に引き続き、法隆寺では夏季大学が開催されていますが、本日私どもは法隆寺の裏山の矢田丘陵にハイキングに行ってまいりました。家からほんの10分でこんな大自然に親しめるとは。1号さんとおKさんの子ども時代は大都会のコンクリートジャングルを駆け回ってた私の子ども時代とはかなり趣が異なっております。まあどっちがいいとか悪いとか論評は差し控えましょう。いいところもあるし悪いところもある。人生なんてそんなものです。LA・LA・LA〜♪

 ソレでは本日も写真ページをアップしてますのでこちらをごらんください。

 ちなみに梅雨は明けたのでしょうか?梅雨前線が日本の南側にございますのでまだ太平洋高気圧は日本を覆っていません。太平洋高気圧さんに覆われると、熱帯の空気が流れ込みソレはソレは暑いことになります。想像しただけでげんなり。


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マニア、聖地に集う - 2003年07月26日(土)

 さて久しぶりの晴れた休日。

 まずは私どもの暮らす町の町民プールに出かける。町民プール優れものです。大人350円、子ども100円の低予算で子ども用プール(象さん滑り台つき)と流れるプールと競技用プールがあり、客は私ども一家4人だけ!監視員さんは5名もいらっしゃり、監視員様に見つめられながら遊泳させていただきました。私どもが帰るころには小学生高学年のグループが現れ、監視員さんはそちらの監視に任務を移行されました。

 町民プールからの帰りにわが町の誇るパン工房「麦の花」により、幕張メッセのパン競技会で優勝したパンを食べて昼食。イートインのパン屋さんは稲田堤にもTVチャンピオン優勝店とかあったけど、ソレと比べても「麦の花」はかなり優れものです。とにかく売り場もレストランスペースも喫茶スペースも空間がゆったりとしていてロココ調の調度品もいやみではなくとてもくつろげて高級感があり、しかもお値段は手ごろ。西和地区にお寄りの際は是非「麦の花」にもお立ち寄りください。

 その帰路、法隆寺に寄り、法隆寺友の会会員証を2003-2004バージョンに更新してもらう(7月末で年度が切り替わるのです)。友の会会員になると年額3,000円で法隆寺拝観し放題(友の会に入っていない場合、1回の拝観料は1,000円です)、その上1,000円相当の記念品と友の会会員誌「聖徳」が年間4回もらえます。昨年の記念品はお数珠でした。今年の記念品は救世観音の光背の模様をかたどった扇子でした。この拝観無料の会員証で昨年度は家族4人で法隆寺有料部分を30回以上は拝観しちゃってます。
 
 マニア道もここに極まれりって感じがしますが法隆寺マニアの奥の細道は大変深うございます。たとえばこんなページがございます。法隆寺マニアの道を志すマルコ・あめでお夫婦としてはこのページの御前様はかなりアコガレの人物で御前様が今斑鳩にいらしているらしいとHPで読むと法隆寺に行ってもなんかそわそわしてしまいます。

 求道家ってのはいずれの分野にもいらっしゃるのです。
 そんな法隆寺を求道してらっしゃる方々が年に1度法隆寺に集うのが、法隆寺夏安居期間中の法隆寺夏季大学です。今日は丁度夏期大学の1日目で全国からマニアが622名集うておられました。ゲアンゴ、夏季大学に関してはくわしい補足ページを作りましたのでこちらをどうぞ。

 今年はあめでおもマルコもちょっと忙しい時期だったので夏季大学参加を見合わせましたが、来年は参加を予定しております。レッツゴウ、奥の細道。


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私、待つわ - 2003年07月20日(日)

 このころは少子化でたいていの大学は学生さん確保のためにいろいろと趣向を凝らしているご様子です。そういう趣向の一つに「オープンキャンパス」というのがあります。高3の受験生諸君に大学を開放して、大学施設の見学や各専攻ごとにどんな研究や教育を受けられるか説明会を開くという催しです。ものすごーく同世代人口が多くて、そういうサービス業としての大学の企業努力の恩恵を一切受けられない時代に受験生しちゃった私には大変うらやましい話です。

 そんなわけでこの日はあめでおさんの勤め先の大学のオープンキャンパス日でした。あめでおさんの属する専攻の教官全員でじゃんけんをし、オープンキャンパスにあたる日曜に出勤して高校生諸君相手に営業する役を決めたそうですが、じゃんけんによわいあめでおさんがその役を勤めることになりました。午後2時からと4時からと30分ずつ説明をするそうですが間が暇だし、なんだか天気もよさそうだしということでマルコ、娘1号、次女おKも大学に遊びにいくことにしました。

 あめでおさんが営業活動をして拘束されてる時間は私たちは喫茶部でパフェ食べたり、大学図書館の児童書のコーナーで遊んだりして時間をつぶしました。そんで間のあいた時間はあめでおさんの研究室で実験器具とかで遊んで時間をつぶしました。

 受験生の皆様は友人ときている人と親ときている人に大別できました。友人ときている人は受験勉強の合間の息抜きって感じで楽しそうでした。親ときている人は、なんかストレスフルな感じでした。将来1号やおKさんがオープンキャンパスに参加することがあったら、親たるマルコはでしゃばらず、まあ行ってらっさい、と見送りたいと思いました。

 乳幼児連れの私は熱気むんむんの高校生諸君の中でちょっと意味不明な存在でした。
 あめでおさんは興がのると時間を忘れるタイプなので、予定時間に営業活動が終わらず、待ち合わせの図書館のエントランスでで30分近く待たされたりもしました。「おとうちゃん遅いね〜。」と、かの人を待ちながら、30年程前、母エルザの職場でエルザさんが仕事を終えるのを待ったことを思い出しました。いつも面倒見てくれてた祖父母の予定がつかなかったのか、とにかく保育者を見つけられなかったエルザさんに連れられ、エルザさんの勤務先にいってエルザさんが講義を終えるのを待ちました。たぶん用務員室かなんかだったと思います。
 なんか目的意識がえらくはっきりした人の群れの中でひどく所在無い感じが30年前と重なったのでしょうか。あの時も今回も共通しているのは場違いな自分の役回りを演じるのはなかなか面白いということです。オープンキャンパスに何の目的で子連れで参加したのか強いて問われたら「娘(5歳児&1歳児)の将来の大学を見学に」と応えるのが適切か、「来年私も受験するんです」と応えるのが適切かちょっと悩みました。実際は皆さん直接質問せずに遠巻きに眺めて腑に落ちないという顔をするだけでしたが。


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うそつき - 2003年07月18日(金)


「うそつき!!」

長女1号@5歳が保育園で仲良しのAちゃんにかくのごとく罵倒されました。
いったい1号さんどんな嘘をついたのでしょう。

「1号チャンねえ、赤ちゃんのとき宇宙に行ったことあるの」

、、、、。
Aちゃんでなくても罵倒したくなることでございましょう。
しかし、駄菓子菓子証拠があるのです!!

これだ!!!

その昔、1号が生まれるとともに買ったデジカメで楽しく合成写真を作って遊んでたのはあめでおさん。そしてこの写真をアルバムにはり、1号が見つけて
1号「うわー!何この写真?1号チャンどうしちゃったの?」
という質問に
あめ「1号は宇宙に行ったことがあるのじゃ。」
1号「どうやって?」
あめ「助走をつけてぴょーンと飛んだんじゃ。」
とこたえたのもあめでお。

あめでおさん、責任とって1号のうそつきの汚名を晴らしてやってください。


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ベビーサイン - 2003年07月17日(木)

 
 ベビーサインというのをご存知でしょうか。
 まだしゃべれない赤ちゃんと家族で作った簡単なボディランゲージでコミュニケーションをとるというアレです。

 おKさんもうこちらの言ってることをかなり理解しております。ある特定の単語に反応して彼女なりのベビーサインを送ってくるようになりました。

 たとえば誰かが「いってきまーす」というとばいばいと手を振ります。そんなおKさんのとっときのベビーサインは

「南無仏」


「おK、南無仏!」というと胸の前で合掌し目をつぶって頭を下げます。

 聖徳太子の数え年二歳の時、お釈迦さまのご命日である二月十五日の朝、東を向いて合掌され、南無仏ととなえられました。太子は生後ずっと手を握ったままでしたが、この時初めて手を開いたところ握りしめた掌から仏舎利がこぼれ落ちたとも伝えられています。聖徳太子2歳像、というのがこの辺のあちこちのお寺にあって、まあ、年の近いおKさんは時々似ています。例えば、こんなのとか

 まあその伝説を意識してのことですが、おKさんが南無仏ポーズをとった後、ポップコーンを手に握らせて「おおお、仏舎利が!!」と叫ぶところまでやることもあります。まあ暇なときだけですが。



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ダウンサイジング〜底値の私 - 2003年07月09日(水)

 私今人生で底値です。>体重が。
 別にダイエットはしてないが、体重はどんどん減り続け、数値的には高校時代よりも痩せている。
 ジーパンは三サイズ細いのに買い換えた。去年買ったジーパンはボタンを外さなくても脱ぐことが出来る。身長170センチで50キロ台なので一般人としてはかなりがんばっていると思われる。

 原因は授乳である。

 おKさん、まだ乳飲み子なんである。1号のように授乳中にがんがん海外出張入れてると自然と母乳の出が悪くなるのだがこのごろずっと国内にいておKさんと1日も離れないのでぜんぜん母乳の出が落ちない。夜中までゼミがある日は大学のトイレで乳絞りをしている。そんなわけで不自然に虚乳で痩せている私。ぜひ川崎の友に見せたいな〜と思ってたら、ともぴ@川崎の友が大阪出張でやってきた。

 そんなわけで梅田丸ビル地下の喫茶店ででこの日はともぴとデートでした。ゼミ後の夜9時に梅田で待ち合わせて1時間マシンガントーク。この日は忙しかったので乳絞りも出来なかったので、母乳がちょっとあふれちゃいました。

 でも出張で全国をまたにかけてるともぴを見てちょっぴり切なくうらやましかった。授乳ダイエットはリバウンドが避けられない。授乳を止めると太っちゃう運命なのでこの痩せてるうちに就職活動すべきか?なんて俗な考えも頭をよぎる。

 授乳してるのはおKさんのためというより母の美容のためか?


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虫めづる姫君の欺瞞 - 2003年07月06日(日)

 僕らはみんな生きている〜♪
 いき〜ているから悲しんだ。

というわけで虫の話。
 マルコ一家は米どころにお住まいですので、水田で発生したと思われる蚊や虫との戦いが夏を向かえて本格化している。昔女子高生だったマルコさんは虫めづる姫君で目白の実家において、アリや、わけのわからん虫を無差別に殺すことに非常に抵抗を感じていた。
 奇跡的な偶然とものすごい確率でやっとこの世に生まれ出てきた命を簡単に殺してはならない。生まれいずる奇跡的な確率から考えれば、命の尊さにおいて虫と人に軽重があろうか、というのが当時のマルコの主張だったわけであるが、今となってはそんな主張は「けっ」である。それは一家の健康と安寧の責任を担わぬ部屋住みの身分だから言えた無責任なたわごとである。現在一家の主婦として子供の健康と家の維持の責任を担う立場にたって、虫なんぞめでている場合ではない。そんなことしていたらおkさんのぷにぷにの肌は蚊でぼこぼこにされてしまうのである。
なるほど虫と人は同じく単なる生き物であるので、それぞれの生存権をかけて雄雄しく戦い、時としてひねりつぶすのが正しい生物としてのあり方ではあるまいか。

 ところで維摩経に親しみ、仏教に造詣が深いあめでおさんはいう、一寸の虫にも五分の魂。あめでおさんは蚊に刺されても体が反応しないという特異体質なのでそういうことがいえるんざんす。きー!!



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嵌る人々 - 2003年07月05日(土)

 マルコ自身はそうでもないのだが周囲にはなんだか嵌り屋さんが多い。まずは1号。このたび、めでたく、じゅげむの完全暗誦に成功した。「日本語で遊ぼう」という野村萬斎やら、コニシキが異彩を放っているNHK教育の番組の影響で全国でじゅげむを完全暗誦する幼児が増殖中のことと思う。まあ1号さんもその一人なわけだ。

 また1号と色濃く遺伝子を共有しているとお見受けするあめでおさんもそれはそれは嵌り屋さんである。あめでおさんの本職に関することの嵌り方は今ひとつ一般人のマルコには見えないのだが、一般生活の中で彼は今漬物作りに嵌っている。
 青年海外協力隊員生活ハンドブックという名著(非売品)をマルコは嫁入り道具に持ってきたのだが、あめでおさんはその本をこよなく愛している。その本にはキャベツの漬物の方法・豆腐の作り方など、結構楽しい内容満載なのだ。マルコはその楽しいハンドブックの教えを現役協力隊員時代からついに実践に移さなかった。
 しかしあめでおさんは、マルコの任地に遊びにきたときからハンドブックの教えに従いキャベツの漬物なんかをせっせとつけてくれた。あめでおさんが日本から遊びにきて帰った後には大量のキャベツの漬物が残されたものだ。さてあめでおさんは現在再び漬物にこって、今週はキャベツときゅうりで、来週は白菜の予定で漬物を作るべく生協にオーダーを入れている。

 またあめでおさんは下記のようなことどもにも嵌っていらっしゃる。
 今年の年頭に餅つき機を購入したあめでおさんは3月くらいまで毎週日曜には餅をついて、昼食を供給してくれた。3月も過ぎ、もう餅でもなかろうという季節に入ると、今度はうるち米を餅つき機でこねてみたらし団子を作ることに懲りはじめた。さらにもち米を餅つき機で蒸し、五目おこわを製作したりした。このごろは強力粉を餅つき機でこねたあと、食卓の上に薄力粉を打って手打ちうどんを作ってくださる。1号さんは有能な助手としてともに粉まみれになっている。まあそんなわけでいろいろと熱心な人々がめづらしくもおいしい食糧を供給してくれる最近の我が家なのでありました。



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マンション住人諸君の動向 - 2003年07月04日(金)

 さてこの地に引っ越して、マンション先住民のみなさんにはひとかたならぬお世話をいただいてこの地への定着を果たしたマルコだが、先住民の皆様の多くは今年の4月までに出て行ってしまわれた。

 このマンションでちょっとした戦いがあったことはこのページで触れたが、まあその帰結として戦いの中枢をになった方々は新天地を目指して出て行かれたわけだ。出て行った人々にはなんかかなり仲のよくなれそうな人もいたり、凄い面白そうな人もいて、次々と運ばれる引越し荷物を切なく見送った。

 そしてかなり空家が多いマンションになったわけだが、4月と同時に部屋は次々と埋まり、気がつけばマルコ一家は古いほうの住人となって、新住民にごみの出し方を教えたりしていた。

 さて7月4日。久しぶりに出て行ってしまわれた旧マンション住民の友と現在も住み続けている何人かのマンション住人諸君でお昼ご飯を食べに行った。まあ旧住民の友もマンションを出て同じ斑鳩に一戸建てや借家を構えて生活しているので会おうと思えばいつでも会えるし、適度な距離に友達が増えたのは喜ばしきことであろう。また時々お昼食べようね、なんていいながらマルコ斑鳩定着はこのマンション仲間が原点なんだよなあと実感。しみじみとおいしい昼ごはんと新参者を受け入れてくれた友に感謝を捧げる梅雨の晴れ間の一日でした。


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